第27話 12月24日

 ノサエルトでは、暦は分かりやすい。1ヶ月が30日で、12ヶ月で1年である。つまり1年は360日、12で割り切れる、切りよくなっている。

 12月24日と言えば地球ではクリスマス・イヴだが、このイヴと言うのは前日と言う意味ではない。イヴニング、つまり夕方と言う意味である。クリスマス・イヴはクリスマスの前日なのではなく、クリスマスの夕方なのである。

 つまり、クリスマスは24日の夕方から始まり、25日の夕方に終わる。25日の夜はすでにクリスマスではない。


 ノサエルトは4000年の歴史を持つ。歴史の教科書は分厚くて数冊に分冊になっている。大魔導師スザンと7人の弟子たちが、世界を覆いつくす魔物暴走スタンピードの中で、ノサエルトにだけ人域を確保した。

 スザンの血統が今のノサエルト王家であり、弟子たちの血統が属州総督家である。

 ノサエルトを解放するために、8人が集った日付が12月24日であり、ノサエルトではその日を「決意の日」と呼んでいる。クリスマスと同じく、夕方から始まり夕方に終わる祭日である。

 この日は家族で集って祖先の苦労をねぎらい、ノサエルトを守る責務を負う決意を新たに擦る日だった。


 スーペルビア城の職員たちは、24日は11時で終業であり、最低限の人数を残してそそくさと退勤して行った。それぞれの家族の元に戻るのだ。


「あなたたちは戻らなくていいの?」


 変わらずに自分の傍から離れないブランシェット、フェルカム、ゼックハルトにマーヤはそう声をかけた。


「あたしらには家族はいないからね」


 ブランシェットがそう言う。貴族にとって子孫を残さないことは大罪なのだが、ごく一部の例外、私生活など持っていられない高等宮廷官僚に関しては、免除されることもある。それもあって「結婚した女性」は子は3人は産むのがノルマ、のようなところがある。実際には5人くらいか平均と言うところか。フェルカムやゼックハルトのように、「生涯独身」と言う者もいるし、ヒースクリフの妻のアニエスのように、子は1人だけ、と言う場合もあるからだ。


 ニコロ、ジル、キリエの3人は昨日から15日間の休暇を貰っていた。マーヤの側近としては、その3人以外に総督がつけた3人が側近として選ばれたのだが、彼らは挨拶だけをして早々に休暇に入っている。


 家族。

 家族と言えば、マーヤにとってはそれはレニングス家の兄妹しかいないのだが、もちろんモーゼル郷で過ごすわけにはいかない。

 リヒトホーフェン伯家は領地へ帰って行った。マーヤはこの城で、総督家と過ごすことになる。


---------------------------------


 総督は、属州礎に魔力を注がなければならないのだから、上級貴族であっても魔力が少ない者は務まらない。

 属州礎だけではなく、頻繁に複数ある領礎に魔力を注がなければならない。

 基本的には身分が高い者は、魔力奉納の義務があるわけだから、魔力が多い者同士で結婚する傾向にあり、魔力の多寡はそのまま身分とほぼほぼ比例している。


 現総督ガレアッツォが、総督でありながら歴代と比較されて一段も二段も低く見られるのは、母親が第三夫人だからである。母親の身分が低い(それでも上級貴族ではあるわけだが)と言うことは、魔力量においてガレアッツォが不利である可能性が高いと言うことである。

 幸い、ガレアッツォ自身は、総督としては平均的かややそれよりは上の魔力量だった。これは過去においてはスーペルビアは大国であったので、他の属州から有利に妃を迎え入れていたから、そもそもスーペルビア総督家の血統が魔力量が多い血統だと言うのがその理由だった。

 この辺りはブラッドスポーツである競馬に似ている。ガレアッツォはそれで良いとして、問題は次世代である。

 コンラーツィアの実家のファーレンべジア伯家も、総督家ほどではないが、魔力量が多い家系である。しかしここ12年、「ジークフリート王家戦争」以後、ノサエルト全体の魔力環境が安定しない。

 スーペルビアは最終的な敗者となったが、あの戦争では様々な合従連衡があった。スーペルビアのみならず、多くの貴族が戦死したのだ。結果、貴族人口が大幅に減っている。魔力奉納量がどの属州でも減っていてるのだが、その悪影響は、特にスーペルビアで出ている。魔域に接する北の端にあるからだ。


 母は第二夫人、祖母は伯夫人と第三夫人と母系の弱さを持つウォルフガングで果たして大丈夫なのか、そう言う声が消えない。

 ウォルフガングは事実上の嫡男なのだが、正式には嫡男を名乗れる立場ではない。もしガレアッツォが総督妃を迎え入れ、男子が生まれればそちらが嫡男になるからだ。ウォルフガングは、現在は暫定継承者であるにすぎない。

 マーヤは、ヴィクトリアの娘と言うことであったとしても、母は第二夫人なのはウォルフガングと同じだが、祖母は伯夫人と総督妃である。魔力的な意味では血統的にはマーヤの方がウォルフガングよりも優位にある。


 だからと言って、とりあえずは収まっているスーペルビア情勢において、いたずらにウォルフガングを廃嫡せよと迫る者はいないが、以前はどのみちウォルフガングしかいなかった。今はマーヤと言う比較対象が存在する。ウォルフガングはいよいよ気を引き締めないといけないのだが。


「もう! お兄様ったら!!!」


 転移装置。総督ガレアッツォ夫妻とマーヤ、そしてそれぞれの主だった側近らが見守る中、4人の子らが転移してきてまず聞こえたのが、メイフェアの金切り声だった。


「へへーん」


 してやったりと言う顔で、ウォルフガングがにやにやしている。


「お母様!」


 コンラーツィアを見つけたメイフェアは駆け寄ってコンラーツィアに抱きついた。


「お兄様がひどいの!」


 遅れて、次男のジギスムント、三男のデジオが母親にまとわりついた。ウォルフガングは口笛を吹いて、うそぶいていた。

 ガレアッツォはこめかみを抑えて、唸る。


「今度は何をした? ウォルフガング」

「あのねーあのねーウォルフガング兄上は、転移陣の上でお祖父様とお祖母様に笑って手を振ってるメイフェア姉上の頭の上にカエルを乗せたの」


 父親に応えたい一心で、最年少のデジオがたどたどしく答える。


「精一杯おしゃましてたのにね。あれには笑ったなあ」


 ジギスムントがそう言うと、メイフェアはジギスムントを睨んだ。


「ウォルフガング、紳士のすることではなくてよ。メイフェアに謝りなさい」


 コンラーツィアがそう言うも、気にも留めずにウォルフガングがマーヤのところにつかつかと歩いて行った。


「おまえがマーヤか?」

「そうよ、ウォルフガング」


 事前の協議の結果、マーヤとウォルフガングたちは、「兄弟姉妹」として互いを扱うことになっていた。


「これやる」


 そう言って、ウォルフガングはポケットに入れていたカエルを取り出した。


「ウォルフガング!」


 ガレアッツォが慌てて雷を落とそうとしたが、マーヤはにっこりと笑って、


「可愛らしいお土産ね」


 とカエルを受け取り、それを膝の上に乗せた。


「すげー」

「すげー」


 ジギスムントとデジオが言い合う。


「ねえ、ウォルフガング。カエルは今冬眠中のはずだけど、このカエルは土から掘り返したの?」

「あ? まーな」


 マーヤが取り乱したりしないので、不服な様子でウォルフガングがそう言った。


「カエルは生餌しか食べないのだけど、この季節に餌を確保できるのかしら。目覚めさせてしまったから、あなたがどうにかするしかないわね。これはお返しするわ」


 そう言って、マーヤはカエルを押し付けた。


「命をおもちゃにするものではなくてよ、ウォルフガング」


 マーヤはにこやかに微笑んでいた。しかし抑えられてはいたとしても、漏れだす怒りが、威圧となって、ウォルフガングに脂汗をかかせる。

 マーヤは、ブランシェットを見た。ブランシェットはマーヤに頷きながらも、ガレアッツォを見ては、やれやれと首を振った。


「なるほど、こう言うことなのね」


 マーヤは呟く。

 ここまであからさまな問題行動がありながら、ガレアッツォはそれを認識できていない。それがつまりは、総督妃を母親に持たないことの弊害なのだろう。今、スーペルビア総督家には総督妃を母親に持つ者が誰もいない。「真の総督子」がいない。その内部にあっては、そのことの弊害に気づくことは難しい。


「フェルカム、あなた、総督閣下の首席秘書官の仕事をおざなりにしたわね?」

「恐れながら。命を賭けるのは、命を賭けて忠誠を誓った主に対してのみです」

「私に対してもそう言う姿勢で仕えているの?」

「いいえ。マーヤ様に対しては命を賭けてお仕えしていますから」


 マーヤは表面的に微笑を取り繕うのもやめて、溜息をついた。そして立ち上がり、ガレアッツォの方を向いて一礼した後、きっぱりとした口調で言う。


「前総督イルモーロの娘として申し上げます、総督閣下。ウォルフガングの現在の側近は彼のためになりません。総入れ替えした方がおよろしいでしょう。ウォルフガングに対してはこのまま最低1週間程度は自室待機処分が必要かと」


 それとなくゼックハルトの立ち位置が変わる。いざとなればマーヤのためにガレアッツォに対しても剣を振るう。ゼックハルトのモードがその臨戦態勢に変わった。


「ま、まあ、ウォルフガングもいたずらが過ぎたのは叱っておくが。マーヤもそこまで怒らなくても…」

「閣下。お気づきにならないのでしょうか? ウォルフガングがカエルを転移させました。命をひとつ転移させて貴重な魔力を無駄に消費させました。転移陣の使用許可は総督閣下の専権事項です。これは叛逆罪です」


 叛逆罪と罪名が提示されて、そこにいた全員が驚愕した。そして改めて「これが叛逆罪であるかも知れない」と言う視点で状況を見れば ― 。マーヤの言う通りだった。


「閣下、ことさら騒ぎ立てて、暫定継承者を失うのは本意ではありません。ですからそもそもの理由の話は、ここだけの話にしましょう。皆にも口外を禁じます。しかしやったことはやったことです。何も無かったことにして、このまま決意の日の宴に参列させるのは、ウォルフガングのためにもスーペルビアのためにもなりません」


 家族的情愛の馴れ合いの中で、ウォルフガングは公私の別において越えてはならない一線を越えた。むろん当人の咎ではあるが、12歳と言うウォルフガングの年齢を考えればこれは周囲の側近たちの責任だろう。

 そしてウォルフガングも昨日今日こうなったわけではなく、今まで、誰も厳しく踏み込むことが無かったのだ。それはガレアッツォの側近たちもコンラーツィアの側近たちも同じである。

 ガレアッツォとコンラーツィアは、親であるがゆえにウォルフガングのことは「しょうがないいたずら小僧だ」程度には思っても、視線が緩い。真の総督子として厳しく育てられていないため、良くも悪くも「なあなあ」で流されている。

 子供には甘い親に対して、いったい誰が「いやいや、あなたのお子さんにはかなりの問題がありますよ」と苦言を呈するだろうか。

 ガレアッツォの首席秘書官だったフェルカムはそうするべきだった。しかしフェルカムは、魂を捧げたわけでもないかりそめの主のためにわざわざ火中の栗を拾いはしなかった。

 それが当たり前の人間なのだ。それを見越して総督は親として厳しすぎるほどに律しなければならないのだが、総督子としての真のノーブレスオブリージュ教育を受けていないガレアッツォには、思いもよらないことだった。


 これは自分が言うしかないことだと、マーヤは覚悟を決めたのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る