第16話 マーヤの葬儀

 モーゼル郷は大騒ぎだった。何が何だか、住民たちには見当もつかない中、領軍が派遣されてきて、レニングス兄妹を連れ去り、そして彼らが戻ってきたかと思えば、マーヤの死亡が告げられた。


『急ぎの書類を、森の奥にいたマタイに届けに行ったマーヤは、魔物に遭遇し、貴族を庇う形で魔物に襲われて死んだ』


 郷の者たちはそう告げられて、意気消沈して一言も話もしないマタイとラケルを慰めながら、モーゼル郷の地主たちが総出で、遺体が無いながらも、マーヤの葬儀を執り行った。


 小雨が降っていた。

 マーヤは明るく優しく誰にでも親切だった。

 いなくなって初めて、モーゼル郷の者たちは自分たちがどれほどマーヤに慰められていたかを自覚した。


「リードのおかみさん、あんた、レニングス家はこの先どうするのか何か聞いているかい?」


 地主のある婦人にそう聞かれたリード夫人は首を振った。


「マタイもラケルも今はとてもそんなことを考えられないだろうさ。あたしだって、こうして堪えていても涙が溢れて仕方がないのだから」


 レニングス家の跡取りのマーヤが死んだことで、レニングス家のかなり大きな身代は行く末が分からなくなった。幾人かの地主たちは、マーヤには及びもつかないとは知ってはいるが、自分たちの子をレニングス家に差し出してもいいと思っていた。

 もちろん財産狙いの打算もあってのことだが、マタイとラケルのためにも、何か気を紛らわすことが必要だろうと思ったからだ。


 棺の中にはマーヤの衣服が収められた。

 土がかぶせられ、墓石が置かれた後、その石にすがりながら、エリー・ドヴォラックが号泣した。


「マーヤ! マーヤ! こんなのってひどいわ!」


 その傍らでなすすべもなく立ち尽くし、やはり涙を隠しもせずに流しているのはジョッシュだった。


 彼らの人間関係がこの先どう進むかは不明だったが、そこにはそれなりの物語があったはずである。しかしその物語は、マーヤの死と言う形で、始まる前に終わってしまった。


「おや、あの身なりのいいご婦人は誰だろう」


 見掛けない老婦人が立っているのに、リード夫人は気づいた。マタイとラケルが茫然自失である以上、葬儀を回しているのはリード夫人である。

 涙をハンカチで拭って、リード夫人は、


「もし」


 と声を掛けた。


「あなたさまはどなたでしょう?」

「領軍に務めている甥から、マーヤのことを聞きまして。私はブランシェット・ラーリー。マーヤの親戚です。あなたはラケルさんですか?」

「いえ、私はラケルの親友のリード夫人です」

「そうですか、ラケルさんとマタイさんに会わせて貰えますか」

「あの…ラーリー家のお方だとお見受けしましたが、今度の事故のこと、さぞや御腹立ちかも知れません。けれどもレニングス兄妹は本当に打ちのめされていますので…どうか厳しいお言葉はごかんべんを」


 目の前の老婦人がラーリー家の人ならば、同じくラーリーの姓を名乗るマーヤが、かなり珍しい死に方をしたのを、レニングス兄妹が保護監督責任を怠ったからだと責めるかもしれない。リード夫人は咄嗟にそう思ったのだ。


「そんなことは致しません」


 リード夫人はブランシェットをマタイとラケルに引き合わせた。彼らはしばらく小声で言葉を交わした後、遠くから見ていて、リード夫人はラケルがかなり驚いたのに気付いた。


「あんたには済まないが、私と兄さんは客を連れて家に戻るよ。後のことは頼んでもいいかい?」


 ラケルがそう言いに来たので、リード夫人はもちろん構わないと引き受けた。


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 レニングス家に戻って、


「必要なら試しに少しだけ威圧を出して、私が上級貴族だと証明しても構いませんが」


 と直ぐにブランシェットは言った。


「そんな、どうかそんなことはなさらないでください」


 怯えながらラケルが言った。


「ああ、ごめんなさい。脅したりするつもりはなかったの。いきなり見知らぬ者が来て、マーヤ様に仕える予定の者だと言ったところで、信用されないのではないかと思ったのだから」

「マーヤがドラゴンを斃した時から、信じられぬことばかりでしてな。今更、あなた様の仰せを信じるも信じないもありませんのでね」


 マタイはブランシェットに、テーブルに着くよう促し、自分も着席した。ラケルが熱い茶を入れる。


「…あんた方も娘さんを失って辛いだろうがね…マーヤ様も目が覚めてからが、試練だと思うよ」


 ブランシェットは素の言い方に戻して、そう言った。


「それはそうでしょうな。儂らが側にいてやれんのは、切ないことですの」

「マタイさん。ラケルさんもあんたがたは本当にマーヤ様が貴族の子だとは気づかなかったのかい? 私は捜査官ではないから、知ったところで罰しはしないさ。ただ、マーヤ様が目覚めた時のために、本当のことを知っておきたいのさ」

「儂らは平民ですからの、どうかマタイさんなどと呼んでくださるな。常ならぬ子ではあるとは思ってはおりましたよ。2歳までには読み書きが出来るようになって、領軍の書類仕事などは3歳でこなしておりましたから。ただそれは」

「貴族かどうかはそれは関係ないね。マーヤ様が異常に優秀だと言うだけであって」


 マタイは頷いた。


「貴族様かどうかと頭の良し悪しは関係がありませんからの。おおこれは無礼を言いましたかの」

「いいのさ、その通りだからね。でも、あんたたちはとても危ない状況にあったのは分かっているのかい? なにしろドラゴンを斃すほどの魔力さ。その制御は並大抵では出来ない。そのことだけでも、マーヤ様がここで幸せに育てられたことは分かる。不幸なことが多くて心を乱されていればとても魔力を制御しきれなかっただろうからね。そうなればあんたたちは死んでいたよ」

「それでも私はマーヤの側にいたいんですよ!」


 ラケルがふいに叫んだ。


「駄目だよ」


 ブランシェットが睨んで言った。


「これから成長期に入るマーヤ様は、魔力制御を学ぶためにも、貴族社会に入らなければならない。そこはこんなのどかなところじゃないんだ。心を乱されることもたくさんでてくるだろう。その時にうっかりあんたを死なせてしまったら、その罪に苛まれるのはマーヤ様なんだよ。親が子にそんな重荷を負わせちゃいけない」


 ブランシェットは自分でそう言いながらも自分を嘲笑せずにはいられなかった。たった一人の息子、フェルカムには何もしてやれなかったのに、その自分が親の道を説くのも傲慢だろうと思いながらも、この場ではそう言わなければならなかった。


 心を乱される ― あくまで結果論であるが、実はドラゴンを斃したあの日、そもそもマーヤの心はジョッシュに告白されたことでかなり乱れていた。ある意味、危うい状態ではあったのだが、それが大規模な魔力放出を可能にする下ごしらえになっていたのだ。その心の乱れが無ければ、ドラゴンを斃すことは出来なかったかも知れない。


「それにマーヤ様がこれから背負う重荷は並の上級貴族のものじゃない。マーヤ様が王女様だと言うことは聞いてはいないだろうね?」

「「えっ!?」」


 さすがにマタイもラケルも驚いた。

 ブランシェットは事情を逐一、事情を話す。そして自分が、亡き総督妃グイネヴィアを最後の主人とした者であり、その誓いを守るためにも、グイネヴィアの遺児のマーヤを命に代えても守り抜くことを明らかにした。


「まあ、念押しをせずとも分かるだろうが、今の話は絶対、口外厳禁だよ。スーペルビアにとっては最重要の機密さ。これを知るのは、総督と親衛隊長と、秘書官のフェルカム、リヒトホーフェン伯夫妻、そして私だけだ。マーヤ様の生まれはいと高貴なれど、それだけにマーヤ様の敵となり得る者たちが雲霞のごとくいる。その者たちがマーヤ様が元は平民だったと知れば、どれほどマーヤ様には痛手となるか」

「儂らはマーヤの重荷にはなりたくはないさね」

「駄目だよ」


 ブランシェットはマタイを睨んだ。


「マーヤ様の重荷にならぬよう、死のうとでも思ったね?」

「あの子は…儂らにとってはただひとつ、掛け替えのない子なんで。儂らの命などいくらでも呉れてやりますさ」

「そんなことを望むような子かい? マーヤ様は?」


 そう言われればマタイもラケルも首を振るしかない。


「私がここに来たのは、あんたたちに手紙を書いてほしいからだ」

「手紙を」


 ラケルが言った。


「今の気持ちのままにね。手紙ならばやりとりはできる。私がいつもいつも取り次ぐことは出来ないが、信頼のできる者を間にいれさせよう。マーヤ様にはあんたたちの支えが必要だ。そうじゃないときっと、私が話に聞いたマーヤ様は立っていられないと思うんだよ。愛する者を守るためにドラゴンに立ち向かうなんて無謀なことをする子だよ。愛する人がいてくれないと、生きていられるはずもないじゃないか」

「手紙を書きます、今から」


 ラケルが立ち上がった。


「ああ、待って、まだ話はあるのさ。悪いが私は今晩はここに泊めてもらうよ。あんたたちの親戚のブランシェット・ラーリーだからね。明日の昼過ぎに出るから、それまでにマタイも、ラケルも手紙を書いてくれ。マーヤ様も返事をお書きになられるだろう。

 話と言うのはだね、レニングス家に新しい養子でもとったらどうだと思ってね」


 予想通り、マタイたちは難色を示したが、いつ実現するかどうかはもとかく、ブランシェットとしてはまずは考えさせなければならなかった。マーヤならばおそらく、老人二人がレニングス家に取り残されるだろうことをとても心配するはずだから。

 この辺のことも、マーヤ様が目覚めたらおいおい話していかなければならないね、とブランシェットは思った。

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