第15話 伝説の側仕え

 貴族の子女に側近を付ける時は、文官、武官、側仕えを配するのが基本である。と言っても中級貴族や下級貴族は、貴族学校を出れば側近をつけられる側ではなく側近になることがほとんどであり、当たり前だが、下級貴族に中級貴族や上級貴族の側近が付くことはない。


 下級貴族の場合は、平民を召使として周囲に置くのが一般的である。


 総督子や伯、あるいは伯の嫡男などは上級貴族の中でも特別なのであり、側近の中に上級貴族がいることも多い。


 マーヤを総督子として迎え入れるならば、側近団の編成は喫緊の課題であった。マーヤの立場であればどこに行くにしても一人で移動することは許されないからである。

 総督子の側近になると言うことは、権力者となる可能性が高い総督子の股肱になると言うことであり、総督子の側近になることを希望する者は多い。

 しかしその中から試験でもして適当に選ぶと言うことは、マーヤに関しては出来ない。

 側近の長は、マーヤが王女であると言う内情を把握しておいて貰う必要があるし、その絶対秘匿の事柄を除外しても、マーヤが前総督の子であり現総督の子ではないと言う微妙な立場の舵取りをしなければならない。


 フェルカムは、文官の長には自分がなるつもりだった。総督ガレアッツォも、フェルカムを手放すのは渋るだろうが、すべての事情と経緯に通じている者がマーヤの側近団の中にある必要は理解しているはずだ。

 武官については何と親衛隊長のゼックハルトが職を辞して、マーヤの武官になる希望を出していた。マーヤがイルモーロの子であることを踏まえれば、絶対の忠誠が期待できる人物だが、スーペルビアの剣を手放すかどうかでガレアッツォとゼックハルトの話し合いは揉めに揉めている。すんなり行くかどうかは今の時点では未定である。

 武官はゼックハルトを入れるのはいいが、マーヤは女性なのだから、女性騎士も必要である。こちらも数名、フェルカムは当たりをつけていた。


 マーヤが昏睡して目覚めるのが一週間後の見通しだとの治癒師からの報告を受けている。この一週間の間に、フェルカムは土台と道筋を整えておき、マーヤの混乱を可能な限り小さくするように努めている。


(さて、側仕えだが…)


 マタイとラケルを聴取して、フェルカムは、マーヤが平民としては異例なほどの知識人であることは把握していた。本は非常に高価なので借金の抵当になるのだ。レニングス家には、先代が抵当として没収した本が山ほどあり、マタイとラケルはほとんどそれらを読んではいなかったが、マーヤはすべてを読んで内容をそらんじて居た。

 ともかくも読み書きには支障は無いようである。今の時点ではそれだけでも御の字である。

 マーヤは賢い、マーヤは何でも知っている、数字を扱う経営仕事などはマーヤが3歳の時から一手に担っていた、それどころかマタイが家に持ち帰った領軍の事務仕事もほとんどマーヤがひとりでやっていた。

 レニングス兄妹の証言はどう聞いてもいささか眉唾である。

 マーヤの「賢さ」を計る基準となるレニングス兄妹の知識と知性にさほど信頼を置けぬ以上、平民としてはかなり優秀な部類だ、くらいの評価に留めておいた方が無難だろう。

 マーヤは12歳。通常ならば来年には貴族学校に入らなければならない。

 病弱のため、入学を1年遅らせる、その措置をフェルカムはとるつもりだった。病気で1年入学が遅れる、あるいは1学年をスキップすることはままあることである。

 貴族学校で目覚ましい成績を上げて貰うことは期待していないが、仮にもスーペルビアの総督子ならば落第して貰っては困る。

 マーヤは知的好奇心が旺盛なようだし、貴族学校に入る前では、そもそも要求される水準が低いので、1年遅らせれば何とかある程度は形がつくのではないかとフェルカムは目論んでいた。


 勉強を教えるのは文官の仕事、つまりはフェルカム自身になるだろうが、しょせんは付け焼刃で何とかなる勉強よりも、重要なのは貴族としての立ち居振る舞いが出来るかどうか、もっと言えば権謀術数の貴族社会の中で生き残っていけるかどうかである。

 その面の補佐は側仕えの仕事である。

 マーヤが抱えている秘密はとてつもなく重い。そのうえで社交や外交の舵取りをしなければならない側仕えは、生半可な者には務まらないだろう。それが出来る者、となればフェルカムには心当たりが一人しかいなかった。


「気安く呼び出すのは止めて貰いたいね、フェルカム。あんたが私との関係をどう思っているかは知らないが、甘えられるのはごめんだよ」


 ブランシェット、その気になれば王の前に出しても問題が無いほどの洗練された話し方が出来る女である。問題は、その気になることが滅多に無いことであった。


「ブランシェット。出番ですよ」

「はっ、第二夫人様にでも付けるつもりかい? 総督妃でもあるまいに、私がいなくてもどうとでもなるだろう?」


 ブランシェットは何歳になるのか。60歳を越えているのではないだろうか。

 この人は、若い時から側仕え一筋でならした上級貴族である。歴代の総督や総督妃に仕えて、まったく遺漏が無かった伝説の側仕えである。

 既に隠遁生活に入っているのだが、今回、総督の名を用いてフェルカムは呼びだしていた。


 ブランシェットとフェルカムの関係は、遺伝的な母子である。


 貴族の女性は子を産む義務がある。最低限それぞれ2名は産んでもらわなければ次世代の貴族の数が確保できないからだ。しかし実際には子が生まれないこともある。未婚を通す場合もある。

 そのため、結婚している貴族女性はだいたいが3人以上の子を産むのだが、結婚して子供が出来ない場合はともかく、30歳を越えて未婚の場合は男も女も、ペナルティを課せられる。

 属州府が選んだ適当な異性と、強制的に結婚させられるか、さもなくば性行為を伴わない種付けを行い、婚外子を産ませられるのだ。

 ただし、せっかく産ませるのだからと、属州府が選んだ優秀な人物が相手として割り当てられることが多い。


 ブランシェットは仕事一筋でずっと未婚であったが、その強制受胎法によって、当時は「優秀な人物」とされていたフェルカムの父親と、人工授精によって子作りをすることになった。

 フェルカムの父親は妻との間に子がいなかったから、生まれて来る子を嫡男とした。

 そう言う次第で、ブランシェットは生物学的にはフェルカムの母親なのである。万が一、近親相姦などが発生してはいけないので、フェルカム当人には誰が生物学的な親なのかは知らされるが、ブランシェットとフェルカムは法律的には赤の他人である。

 フェルカムの父親が処刑されて、フェルカムが困窮している時にも、ブランシェットは一切関わりを持たなかった。


 関りがあったのはその当時のそれぞれの主人との関係で、である。


 フェルカムの主人はイルモーロだった。

 当時、ブランシェットが仕えていた相手は、総督妃グイネヴィアだった。総督妃グイネヴィアは、ブランシェットを解任し、それから一年もたたないうちに自決したのだが、グイネヴィアがなぜそうしたのか、ブランシェットは彼女なりに理解していた。少しでも連座する者を少なくしようとしたのだろう。

 実家のジークフリート王家から付けられてきた側近だけを残して、スーペルビアに来てから側近になった者たちは、スーペルビアに還そうとしたのだろう。

 当時もそう理解はしていたが、理解することと納得することとは別である。

 最後まで主人に仕えられなかったことがブランシェットの心の傷となり、戦争の終結後は隠居した。宮廷の裏表に通じている彼女の出仕を、新総督のガレアッツォは随分望んだのではあるが。


 ともあれ、イルモーロとグイネヴィアは夫婦ではあったが、それぞれに仕える者からすれば、微妙で複雑な感情を持つ相手である。

 フェルカムは当時から、グイネヴィアと子を為すことに見切りをつけて、第二夫人ヴィクトリアに早々に手をつけ、第三夫人も至急選定するよう、イルモーロに進言していた。

 それはブランシェットからすれば容認できないことであり、ブランシェットとフェルカムは血統的には母子でありながら、いがみ合う関係にあった。


「聞いてもらいますが、先に言っておきますが、聞いた以上は引き受けないという選択肢はありませんよ。聞いたうえで引き受けないのであれば投獄します」

「ならば聞かないよ」

「いいえ聞いてもらいます」

「ずいぶん横暴じゃないか」

「聞けば分かりますよ。これだけの横暴をするだけの話です。そうしなければならない理由も分かるでしょう」

「さてさて、若造が大きく出るじゃないか。私のように古株になれば宮廷でもそうそう驚くことは起きないのだけどねえ」

「前総督妃グイネヴィア様が妊娠し出産していたことが発覚しました。イルモーロ様のお子です。生まれたお子は今まで平民によって保護され育てられていました。先日、総督様が礎に魔力を捧げた際にドラゴンに襲われましたが、そのドラゴンを退けたのがそのお子、少女でした」

「なっ!!!!」


 ブランシェットは椅子を倒して思わず立ち上がった。


「大きな音をたてないでください。不作法ですよ。ブランシェットともあろう人が…」

「グイネヴィア様のお子! 嘘を言っていたら、あんた、殺すよ」


 グイネヴィアは殺気を放つ。フェルカムともども上級貴族の中では魔力量が多いブランシェットである。その威圧の力はかなりのものだったが、慣れているせいか、フェルカムは平然としている。


「幸いにして嘘ではありません。主人から妊娠を隠されていたことはあなたには衝撃でしょうが」

「…確かにそうだが、いや、グイネヴィア様の当時のお立場を思えば。グイネヴィア様はたぶんイルモーロ様にも知らせないままだったんだろうねえ。お可哀想に。殺すおつもりだったんだろうが、殺せなかったんだろう」


 ブランシェットは少しだけ涙ぐんだ。


「あなたにそのお子を委ねたいのです」

「総督家は、そのお方を隠すつもりかい?」

「いいえ。第二夫人ヴィクトリア様とイルモーロ様の間の子と言うことにします。リヒトホーフェン伯家は既に了承しています。先ほども申しましたようにかのお方、マーヤ様はドラゴンスレイヤーです。ドラゴンを斃した反動で昏睡していますが、数日内には目覚める予定です。グイネヴィア様の子として表に出すわけにはいかない、そのことはあなたにも分かるでしょう?」

「…平民の中で育ったお方かい?」

「はい。ですから難しいのです。あなたにしか、支えられないでしょう」

「…今の総督はずいぶん甘ちゃんだねえ」

「…」

「イルモーロ様ならば後顧の憂いを断つべく殺していただろうさ。いくら魔力が惜しいとは言ってもね」

「…」

「でも、もう殺すことは出来ないね。私が聞いたからね。私が手出しをさせない。引き受けるよ」

「ありがとうございます」

「…今まではあんたが守っていたんだね、フェルカム。あんたにしちゃよくやった。褒めてやるよ」

「…あなたから褒められたのは初めてですが。側仕えの選定はあなたにお任せします」

「任せな。言っとくが側近の中では私が筆頭だよ。あんたじゃない」

「…」

「どうせ文官として側近に加わるつもりなんだろう? 部下としてこきつかってやるよ」

「…やれやれ、嫌な上司だ」


 ともあれ、これでガレアッツォから提示された三つの課題のふたつまでをフェルカムはクリアした。

 ひとつはリヒトホーフェン伯家の了承を得ること。

 ふたつはマーヤの複雑な立場を補い得る高度な側近団を編成すること。

 最後のもうひとつは、貴婦人としての教育を全く受けていないマーヤを出来るだけ早くある程度にまで仕上げることである。

 それはマーヤが目覚めてから取り掛かることになる。

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