第14話 リヒトホーフェン伯との交渉
その日のうちに、貴重な転移魔法陣を用いて、フェルカムはリヒトホーフェン伯領にとんだ。先行して魔法電報で総督の緊急の所用で訪問する旨、通告していたが、今までこんなことは一度も無かったので、実際にフェルカムが、リヒトホーフェン伯領の同家の屋敷に現れた時には、待ち構えてはいても、リヒトホーフェン伯夫妻は驚いた。
「フェルカム、久し振りだな」
「ご無沙汰しています、リヒトホーフェン伯ならびに伯夫人」
転移魔法陣は、貴重な魔力をかなり消費するので、総督一族が遠方に移動するときくらいしか用いられない。各伯家の屋敷には緊急時のために、スーペルビア城と通じる転移魔法陣が置かれてはいたが、それが起動することは滅多に無い。
「一人だけのようだが、帰りも転移魔法陣を使うのか?」
「はい、総督様からは許可をとっています」
このことだけでも並々ならぬことが起きたことをリヒトホーフェン伯は察した。総督の命によって、魔力の浪費も構わずに総督の懐刀が送り込まれて来た。
リヒトホーフェン伯は既にかなりの高齢である。通常ならば嫡男に家督を譲って隠居している年齢なのだが、リヒトホーフェン伯の嫡男のヒースクリフは、外交官であり、王都に駐在している。余人を以て代え難しと総督が言うほどの信頼を受けているので、当面は外交官職から退くことが叶わない。
リヒトホーフェン伯家の当主は、リヒトホーフェン伯領の内政を行わなければならないので、外交官が片手間に出来る仕事ではないのだ。
そのため、リヒトホーフェン伯の隠居の時期は大きく後ろにずれこんでいる。
「久しぶりね、フェルカム。あなたがヴィクトリアを送ってきてくださった時以来かしら」
リヒトホーフェン伯夫人アンジェラが、そう言った。あの時も転移魔法陣を用いた。ヴィクトリアにした仕打ちとその行く末は前総督イルモーロの唯一の気がかりであり、イルモーロの股肱中の股肱であったフェルカムは、自らヴィクトリアをその実家まで送り届けたのだった。
「ご無沙汰しております、伯夫人。早速ですが緊急の用向きの話をしたいのですが」
「ずいぶん急いでいるではないか、フェルカム。いったい何があったのだ」
フェルカムとしては、マーヤが目覚める前に道筋をつけておきたかった。マーヤ当人にはイルモーロのこと、グイネヴィアのこと、マーヤが王女であることなど、何もかも話さなければならないだろうが、話して、ただでさえ心細く混乱するだろうに、これからどうするのか処遇は未定ですと言うよりは、こういう風に致しますと話した方がまだしもマーヤの不安は軽減されるだろう。
一切の使用人を排しての応接室。
ともかくも、属州都スーペルビアで起きたことを包み隠さず、フェルカムは話した。自分としては無論、イルモーロの子であるマーヤを支えたいと思っているし、その膨大な魔力は必ずスーペルビアのためになる、総督ガレアッツォも落としどころを探しているところだと。
話を聞いて、リヒトホーフェン伯夫妻は口を開かなかった。
しばらくの沈黙ののち、ようやくリヒトホーフェン伯が言った。
「死んでなお、ヴィクトリアを利用するつもりなのか、総督家は」
率直なその物言いにフェルカムは返す言葉も無かった。リヒトホーフェン伯家は総督家への篤い忠誠で知られている。その忠誠に不作法に甘えてしまったことにフェルカムは気づいた。
「ねえ、フェルカム。あなたが前の総督様を敬愛しているのは知っているわ。それはあなたならばイルモーロ様の忘れ形見がいらっしゃったならば放っておくことは出来ないでしょう。ヴィクトリアのこともよくしてくれたようにね。でもね、ヴィクトリアの親としては。ヴィクトリアはイルモーロ様とグイネヴィア様のせいで不幸になったようなものだから。臣下としては許されないことかも知れませんが、まったく恨みが無いわけではないのよ。その、マーヤ様のことはお気の毒に思うけれど、私はお支えする自信が無いわ」
「…妻が無礼を言ったと謝るべきなのだろうが…。よくぞ言ってくれたと思っている儂がいるのも確かだ。さて…。儂らが断れば、そのマーヤ様はどうなるのだ?」
どうなる? その先を想像して、フェルカムはわずかに眩暈がした。
「…他に押し込める先が無く、と言って、平民に戻すわけにもいきません。グイネヴィア様の娘であるとなれば、ラインハルト王家どころか、現スーペルビア総督の地位も揺らぎます。殺すしかなくなるでしょう」
「…」
「…」
「どうか助けてください、お願いします」
フェルカムは深々と頭を下げた。
「私にできることであれば何でもします。私の命を差し出せと仰せならばそうします」
「…フェルカムよ。リヒトホーフェン伯家は領地上級貴族の最大の権門。その立場をヴィクトリアが子を産めば、イルモーロ様の下でも維持するはずだった。だが、ヴィクトリアは子を為さず、今の総督家はファーレンベジア伯家とつながりが強固だ。当家はファーレンベジアの後ろに置かれている。これは率直に言って、リヒトホーフェン伯家としては我慢がならぬことだ」
リヒトホーフェン伯はそう言う。
総督ガレアッツォは、総督位を継承する前は、ファーレンベジア伯家の跡取り娘のコンラーツィアと結婚し、ファーレンベジア伯となっていた。
ガレアッツォが総督位を継承したことで、一度は隠居していたコンラーツィアの父親が再びファーレンベジア伯の地位に戻っていたが、ゆくゆくはファーレンベジア伯家の家督は、ガレアッツォとコンラーツィアの第二子で長女のメイフェアが継承する予定になっている。
今や総督家とファーレンベジア伯家は一心同体であり、リヒトホーフェン伯家としては面白くない状況であるのは事実であった。
「マーヤ様がリヒトホーフェン伯家の血統と言うことになれば、当家が再び総督家に食い込むことも可能になる」
「あなた」
「アンジェラよ。おまえの気持ちは分かる。儂も同じ気持ちだ。しかし罪の無い、マーヤ様を死なせるわけにはいかないだろう。イルモーロ様とグイネヴィア様のヴィクトリアへの仕打ちがどうであれ、おまえも聞いた通り、既にマーヤ様は親の報いに値する以上の苦労をなさってこられた。ヴィクトリアよりも確実に過酷な運命に晒されて来たのだ。ヴィクトリアの痛みを知る我らが、どうしてさような過酷な境遇にあるマーヤ様を見殺しに出来る?」
「…ええ、あなたのおっしゃる通りですね。ヴィクトリアのためにも。忘れ去られたあの子ですが、マーヤ様の母親と言うことになれば名前だけでもまた生き返ることになるのかも知れませんね」
うむ、とリヒトホーフェン伯は深く頷いた。
「そなたの、総督様の申し出を受けよう、フェルカム」
「ありがとうございます! 心より感謝します」
「だがな、総督様にも覚悟を示してもらうぞ。出来るか?」
リヒトホーフェン伯が出した条件は、総督の長女のメイフェアを、リヒトホーフェン伯の嫡孫で、ヒースクリフの長男のアドルファスの婚約者とすることであった。
ファーレンベジア伯家には別の継承者を見つけて貰う。
「ファーレンベジアが総督子を世継ぎとして取り込むこと、リヒトホーフェンは容認せぬ。メイフェア様は当家で貰う。よいな?」
マーヤを得ることで、リヒトホーフェン伯家の影響力を増大させる。それだけではなく、メイフェアをファーレンベジア伯家から切り離すことで、ファーレンベジア伯家の勢力伸長を抑える。
リヒトホーフェン伯がマーヤに同情したのも事実ではあるが、ただの同情には終わらせなかった。
この提案を、フェルカムは独断で受けた。フェルカムには交渉役としてある程度の独自判断が許されているが、メイフェアの件は総督の娘の身の振り方の問題でもあるので、明らかにそれを独断で受けるのは越権行為だった。それでも受けた。
マーヤのためにも話をまとめたかったし、スーペルビア総督位や王位の話も関わってくることなので、それだけの重要性があると考えたからである。
後ほど報告を受けたガレアッツォも、フェルカムを責めることはせず、その判断を了承した。
「しかし相変わらず食えぬ爺さんだ、まったく」
とぼやきはしたのだが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます