第10話 そこにいるはずがない魔物

 総督の出立となれば、大々的な随行者が伴われるのが通例だが、今は仰々しい大名行列をこしらえる余裕はない。動ける貴族たちは遊ばせず、それぞれの結界石に魔力を注がせる必要があり、魔力を注入後は身体の回復を優先させねばならぬ以上、どこにも余剰人員はいないのだ。

 総督には直兵として近衛騎士団があるのだが、今回は近衛騎士団を動かさず、10名からなる親衛隊のみを動かす。更には文官側近の総督秘書団から、1名のみを伴う。

 魔域に入るとはいえ、浅い場所であるし、そこに入ること自体の危険はほとんどない。朝、出て行って、夕方と呼ばれる時刻になる前には城に戻れる行程である。

 総督の最側近たちは非常時に備えて魔力を温存させてある。

 念のために治癒術師も随行させるべきだとの意見もあったのだが、随行させる文官、フェルカムは簡易な治癒術を使える。総督が重篤に陥るとすれば魔力欠乏症しか考えにくいので、魔力欠乏症であればどのみち治癒術は役には立たない。


「領軍から案内の兵士長を出させました」


 当日、出発間際になって親衛隊長のゼックハルトが、総督ガレアッツォに報告した。


「案内? なぜ?」

「近場とは言え、そうそう頻繁に赴く場所ではありません。特に先の戦争以後では、領軍でも巡回が手薄になっていて、周囲の植生が変化して道行が分かりにくくなっています」

「その者はなぜその道を知っているのだ?」

「領軍の兵士長とは言え、現役ではありません。とうに引退していますが、領軍の巡回が手薄なのを知り、自発的に巡回していた者です」

「ほう、それは感心な。平民の中にも人物はいるのだな。直に褒めてやりたいが」

「おやめになった方がよろしいかと。ただでさえ貴族に囲まれて平民には気の毒な状況です。総督様に目通りを許されたとなると、当人の心理的な負担になりましょう」

「そうであろうな。褒美は十分に取らせよう」


 そのマタイと言う老人は一行が城を出て直ぐに合流した。

 一行はみな、騎馬であるが、マタイは臆することも無く、飄々と一行の先頭に立つ。

 これはスーペルビア歴代総督の善政の賜物であるかも知れない、とガレアッツォは少しばかり誇らしくなった。

 ノサエルトは七つの属州と中央の王領から成る。地形的にはノサエルトは半島であり、半島の付け根部分、つまり魔域と直接隣接しているのは、スーペルビアだけである。

 それだけに、スーペルビアには常に危機意識があった。

 結界が破れ、魔物の暴走が再び起これば、真っ先に生贄になるのは自分たちであると。そして、スーペルビアが破られれば、それは即、ノサエルトの滅亡を意味するのだと。

 最前線なればこそ、そこは冷酷なリアリズムが支配する。

 ただ倨傲に溺れるばかりの貴族など、この過酷な地理環境の前には生存を許されるはずもない。


 一致団結。


 それがスーペルビアの国是である。スーペルビアは国ではないから属州是と言うべきかも知れないが。

 その団結は平民にも及んでいる。

 他の属州では、貴族が思いのままに平民を無礼斬りすることなど珍しくもない。ノサエルトは、貴族がいなければ国土そのものが維持できない土地なのだ。当然、貴族たちの自尊心はそれだけ高くなる。

 どれほど無理な理由で、貴族が平民を嬲ったとしても、貴族が処罰されることは無い。政府にとって、国土を維持するために欠かせない貴族を、魔力を持たない平民のために罰するなどあり得ないのだ。


 しかしスーペルビアでは事情は違う。

 平民は確かに国土の維持には役には立たないかもしれないが、貴族を支えているのは平民なのだ。農産物を作り、諸産業を回しているのは平民なのだ。

 貴族が頭脳だとすれば、平民は手足である。頭脳が威張るために手足を切り落とすことほど愚かなことはない。

 誰であれ、手足が無ければ立っていられないのだ。

 そしてスーペルビアのような最前線では愚かなこと一つが致命傷になる。

 スーペルビアには他の属州には無い官職、護民官が置かれている。民衆の陳情に沿って、民衆を保護する、特に貴族の暴虐から保護するのが任務であり、護民官には貴族を罰する権限が与えられている。

 それも護民官職には、上級貴族、中級貴族、下級貴族から最低限それぞれ1名は充てられることになっている。護民官が下級貴族のみであれば、上級貴族が暴虐であれば抑えが利かないからだ。

 護民官の長官職である最高護民官にはここしばらく、宮中上級貴族のヴェテランが充てられている。裏も表も知り尽くした、老練な官僚が手腕を発揮する場所としてポストが用意されている。

 規律強化のために総督一族から最高護民官が出されることもしばしばある。


 ガレアッツォは総督になる前もなってからも、しばしば王都や他の属州を訪問する機会があった。そのどこでも平民が、スーペルビアほど温和な顔をしていない。スーペルビアでは、平民が法の支配を信じているのだ。

 であればこそ、平民の中でもスーペルビアを祖国と思い、マタイのように無償で魔域を巡回するような者も生まれるのだろう。

 マタイは無論、貴族に対しては礼を失することは無いが、必要以上に恐れてはいない。

 そこに民衆からの総督への信頼がある、とガレアッツォは感じて、嬉しくなった。


 ガレアッツォは気づいていないが、そこで喜びを感じるガレアッツォこそが総督としては異端であり、まさしくスーペルビアの賜物なのだ。他の属州では総督は民衆からの信頼など歯牙にもかけていない。


 ともあれ、一行はマタイの的確な案内を受け、予定時間よりもかなり早めに目的地に到着した。


「…終わった」

「ご苦労様でした、総督様。お加減はいかがでしょうか?」


 フェルカムが、属州礎に魔力注入を終えたガレアッツォを支えながらそう言った。


「大丈夫だ。体調を維持する程度の余力はある。これならば寝込まずに済むだろう」

「先々代様も、イルモーロ様も歴代に比して魔力量はかなり多かったと聞き及んでいます。お二人の血筋に連なるガレアッツォ様もそうなのでしょう」

「確かに私は魔力量は上級貴族の中でも多い方だがな。亡き兄上には及ばぬよ。兄上の側近だったおまえならば分かるだろう?」

「イルモーロ様はあらゆる面で傑出したお方でしたが、ガレアッツォ様も決して劣りませんよ」

「そうかな? 何年たっても兄上に追いつける気がしないが」


 スーペルビアに暗君無し、と言うのはノサエルト全体でも知られている格言である。歴代のスーペルビア総督はそれぞれに方向性は違っていても、すべてが英邁であった。そうなるよう、過酷な教育を施されてきたからでもある。

 総督位の継承ラインからは外れていたガレアッツォでさえ、一通りのことは叩き込まれたのだ。

 今、ガレアッツォの事実上の嫡男のウォルフガングがその境遇にある。傍から見ていて、親としては切ないほど、ウォルフガングは厳しく育てられている。次世代のスーペルビア総督となることがほぼ確定している以上、背負うべき責任は決して軽いものではない。


 それら英俊しかいないスーペルビア歴代総督だが、中でも先代のイルモーロは傑出していた。誰もが、かの人に仕えることを名誉なことだと感じた。

 ただ一点、瑕疵があったとすれば正妻の総督妃を愛し過ぎたことだった。イルモーロの総督妃は王女であった。グイネヴィア王女とイルモーロは恋愛結婚だった。貴族学校で出会った二人は、互いを互いの半身とした。

 恋愛結婚とは言え、大州のスーペルビアの総督と、王女の結婚は、社会的に釣り合うものだったので、王女の父、すなわち王からも祝福された。


 この総督妃に子が出来なかったことから、イルモーロは第二夫人第三夫人を娶りながらもそちらとも子作りをすることはなかった。

 更には王の婿と言う立場から王位継承戦争に巻き込まれ、スーペルビアを疲弊させて自らは戦死してしまった。


 イルモーロは殉死を固く禁じていたにもかかわらず、イルモーロの死がもたらされた後、何人もの側近が自決した。

 後を継いだガレアッツォは、人的荒廃の状態から、建て直す使命を与えられたが、その際にガレアッツォを支えた側近たちもまた、イルモーロより薫陶を受けた者たちであった。


 刹那。


 緊張が走る。


「魔物出現、親衛隊、迎撃態勢に入れ!」


 親衛隊長ゼックハルトの指示で、各員がただちに戦闘態勢に入った。

 そこに出現したのは、ドラゴンであった。

 災厄の象徴、いや災厄そのものである。


「なぜドラゴンが!」


 思わず、親衛隊のひとりが叫ぶ。

 そもそもこの周囲は結界石のすぐ近くなのだ。結界にも方向があり、その効果範囲が最大化するために、魔域に置かれているのだが、魔域とは言ってもこの周辺は結界石の周辺なので、弱い魔物すら出現しないのが普通なのだ。

 ましてドラゴン。接近に気づかないはずがない。

 

 そのドラゴンは突如として、テレポートして現れたかのように、その漆黒の姿を晒し、天を割くようにしていなないたのであった。

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