第9話 総督側の事情

「総督様…」

「行ってくるよ、コンラーツィア」


 スーペルビア属州総督ガレアッツォは、第二夫人のコンラーツィアにキスをした。コンラーツィアはガレアッツォの第二夫人だが、ガレアッツォに他に妻がいるわけではない。

 ガレアッツォは先々代の総督と、その第三夫人との間に生まれた。ガレアッツォの父には、二人の息子がいた。長男イルモーロは、七人兄弟の第一子であり、次男ガレアッツォは末子であった。長男と次男の間には相当な年齢差があった。

 ガレアッツォは総督子ではあっても、総督の正夫人である総督妃(第一夫人)が産んだ子ではないので、庶子と言う扱いになる。長男イルモーロは総督妃所生の男子であり、健康で優秀な人物だったから、ガレアッツォは総督家を継承する予定はまるっきりなく、早くにファーレンベジア伯家の娘のコンラーツィアと婚約し、ファーレンベジア伯の地位を継承する者として、ファーレンベジア伯家において育てられていた。


 ガレアッツォとコンラーツィアは、幼馴染であり、兄妹として育った者たちであり、それぞれに唯一の配偶者となった者たちである。

 本来ならば、二人は、ファーレンベジア伯、ファーレンベジア伯夫人にとどまるはずだったのだが、先代の総督イルモーロが子を為さないまま逝去、それも戦死したため、ガレアッツォが総督家を継承せざるを得なかった。


 属州において総督は、最上の立場であり、属州はいわば総督を君主とする小さな王国である。

 しかしガレアッツォは、望んでその地位についたのではない。


 総督は子孫繁栄、つまりは総督位継承者を確保するために三人の妻を迎え入れる。子をなさなければならないのだから、三人の夫人はいずれも総督と同じく上級貴族から迎え入れられるのだが、上級貴族の内内でも身分の貴賤はある。

 総督妃は、総督子、もしくは王女でなければならない。

 身内から総督妃を迎え入れることもあるが、基本的には他の属州の総督家や、王家から迎え入れられる。

 第二夫人は領地を有する、伯家と呼ばれる上級貴族の娘から擁立される。

 第三夫人は、領地を有しない宮中上級貴族の娘から選ばれる。


 ガレアッツォが総督になるのは良いにしても、ファーレンベジア伯夫人としてはガレアッツォの正妻だったコンラーツィアは、そのまま総督妃には上がれない。彼女自身は、伯の娘であり、総督子や王女ではないからだ。

 それで第二夫人になったのだが、ガレアッツォが総督位を継承した時には、既にファーレンベジア伯家としては嫡男となるウォルフガングが産まれていた。

 ガレアッツォ当人も、周囲の者たちも、ウォルフガングがガレアッツォの嫡男であると言う意識が既にあった。


 しかしガレアッツォが総督になったからと言って、新たに総督妃を迎え入れれば、その総督妃が男子を産めば、その男子が嫡男になるのだ。

 ウォルフガングは、ファーレンベジア伯の子であった時には、嫡出の長男であったのだが、総督子に置かれ直された時には、第二夫人所生の子に過ぎないので、庶子に降格になり、総督妃の子(嫡出子)よりも継承権において劣るからである。


 次世代の継承が混乱するのを嫌って、ガレアッツォは総督妃を置いていない。ガレアッツォに総督妃がいないのを見て、他の属州がおのが総督子を押し込もうとするのを、「糟糠の妻コンラーツィア一筋ですから」とノロケとして名分をつくり、断っているため、第三夫人を置くことも出来ない。

 もっとも、ガレアッツォとコンラーツィアの夫婦仲が、余人が容易には割り込めないほど良好だと言うのも事実ではあるのだが。


「どうしても先延ばしに出来ないのですか?」

「言っただろう。今やらないとスーペルビアは深刻な飢饉に見舞われる。それに先延ばしをしたら、下手をしたらウォルフガングがこの重荷を果たさねばならなくなる」


 属州都スーペルビアを離れて北に行った魔域の奥に、属州礎と呼ばれる巨大な結界石が置かれている。これはスーペルビア全体を覆う結界の起動装置であり、同時に、土地を潤している。

 属州礎には、五十年に一度、総督一族の誰かしらが魔力を注いで補充すればいいのだが、その量が膨大であった。総督が注げば、その負担はわずかに軽減されるのだが、この「わずかな軽減」が重要であった。必要とする魔力量が膨大なため、この「わずかな軽減」がなければ大抵の上級貴族は、持てる魔力を満タンにしてそれをすべて注いだとしても必要を満たすことが出来ないからである。

 魔力を補充する際には、一度、属州礎をすべて魔力で満たさなければ、注いだ魔力が安定せずに霧散してしまうのである。

 つまり五十年に一度、事実上、総督自らが、持てる魔力をすべて注がなければならないのだが、すべての魔力を注ぐと言うことは生命力を削ると言うことでもあり、何人かの歴代総督は、注入を終えた後、すぐにそのまま逝去している。

 非常に危険な行為なのである。

 今現在、属州礎には、まだ二十五年分の余裕があり、本来ならば、ガレアッツォが今この時に魔力注入に踏み切らねばならない理由はない。

 しかし先の戦争では数多くの貴族が死んだ。特にスーペルビアは、一方の陣営の主力になったせいもあり、人的被害、その損傷が甚だしかった。

 貴族の数が減ると言うことは魔力を確保できないと言うことであり、魔力が弱まると言うことは結界が弱まると言うことである。


 今から五千年以上前、この世界の人類は超絶規模の魔物暴走に直面し、ほぼ絶滅しかけた。その時、わずかな魔導師が生き延びた人々を率いて、この地、ノサエルトに魔物を退ける、結界で覆われた土地を確保した。

 以後、ノサエルトのみが人類に残された唯一の生息域になっている。結界を作った魔導師の子孫がすなわち、ノサエルトの貴族たちである。

 結界が崩れればノサエルトは滅び、人類も滅びる。


 今は結界は弱体化はしていても、打ち破られるまでには至っていない。だが、貴族の減少は土地を貧しくする結果をもたらした。このままでは遠からず、飢饉が発生するだろう。

 属州礎は五十年は持つとはいえ、満タンに近いほど威力が強くなる。ここで属州礎を満タンにすることで、他の結界石に注がれる魔力が減った分を補って、飢饉の発生を回避しようとガレアッツォはしているのである。

 二十五年分だけを注げばいいならば安全かと言えばそうでもなく、礎に残っている魔力が、新たに注がれる魔力と反発するので、ある程度魔力は霧散してしまう。二十五年分残っているならば、本来の必要量の場合の倍、つまりは結局はガレアッツォは魔力をすべて注がなければならないのだ。


 この時のためにガレアッツォは魔力を温存してきたが、一度、フルで注入してしまえば魔力が全回復するまでは2年はかかる。ガレアッツォはまだ若いから死ぬことはないとしても、半回復するまでの1年間は体調不良が続くだろう。


 ガレアッツォの長男のウォルフガングは、今12歳。今、ガレアッツォが苦役を引き受ければ、次に属州礎に魔力を注ぐ必要が生じるのは五十年後、ウォルフガングは62歳になっているだろう。

 人生50年のこの世界、おそらくウォルフガングはもう死んでいる可能性が高い。つまり、ここでやり切れば、ウォルフガングをこの苦役に直面させずに済むのかも知れないのである。

 そのこともあって、ガレアッツォは、今、やりきるつもりだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る