第5話 教会の現実
マーヤたちが到着すると、イズメと言う女が迎えに出た。イズメは、孤児ではあるが既に24歳になっている。孤児は12歳頃、遅くても14歳頃には、孤児院を出てどこぞに奉公に出るのだが、特に選ばれて孤児院に雑色として残る者もいる。選ばれると言うか、結果的に奉公先が無くて残ってしまう者を、そうした雑色にする例も多い。イズメは仕事ぶりは普通なのだが、容貌が著しく不美人なので、おそらくは「結果的に残ってしまった」方の雑色だった。
「こんにちは、イズメ。私たちは布施の品々を持って来たのだけど、神父様は ― なにやらお取込み中のようね」
そう言ったマーヤに、一礼すると、イズメは早速、荷物を下ろしながら、
「そうなんですよ、貴族様が直々に、使用人を選びにいらっしゃっているんですよ」
と言った。
「そう。ならば今日はこのまま失礼するわ」
マーヤはそう言ったのだが、
「あらせっかくだからご様子をご覧になられては? こちらの奥から中の様子が覗けますよ」
とイズメは言った。何を言っているんだろう、とマーヤは思ったのだが、エリーが好奇心のままに、
「それなら見せて貰いましょうよ」
とつかつかと案内されるままに、建物の裏手の方へ歩き出した。
そこには確かに覗き窓のようなものがあって、そこから目を凝らせば、マーヤたちと同じ年頃の少女が5名ばかり並べられていた。
「あっ!」
マーヤは思わず小さな声を上げた。中年の太った貴族の男が、ある少女の衣服をたくし上げ、小さな胸のふくらみをまさぐっていた。
「貴族と平民の間では子が出来ませんからね。それが却って都合が良いわけですよ。見目の良い女の子も男の子も、そう言う理由で貴族様のお屋敷に奉公に出されます。この孤児院の出の子は読み書き計算が出来るので、容色衰えて飽きたとしても、なにかしら使い道があるわけですよ」
「そんな…教会がこんなことを許しているなんて」
マーヤは震える声で言った。
「教会と言っても上を牛耳っているのは貴族様ですしね。平民が逆らえるはずがありませんでしょう? それに私らは何の後ろ盾もない孤児ですから、貴族様に可愛がっていただければ、くいっぱぐれることはないのですから、当人たちも望んでのことですよ」
「まあ、人間平等じゃないからしょうがないわよね」
イズメの言葉に、溜息をつきながらも、エリーはそう言った。
え!? と驚いて、マーヤは親友を見る。
「何を驚いているの? だってそうでしょう? 平民の間でだって、地主と自作農、小作と孤児じゃ、望める人生が違うのだもの。まして貴族様たちから見たら、平民なんて同じ人間じゃないわよ」
何を言っているの、人間は平等よ?
マーヤはそう言いたかった。でも言えなかった。人間が平等であると言うのは、前の世界での常識だ。こちらの世界ではエリーの言うことが常識だ。
そもそも前の世界でも、本当に人間は平等だったのかどうか ― 。
「心配しないで、マーヤ。貴族様だってさすがに相手を見るわよ。地主の子なら護民官様の保護が得られるから。ましてあなたの保護者のマタイは兵士長じゃない。スーペルビア属州に仕える兵士長の家族に手出しをしたら、下級貴族だって処分されるんだから」
そう言うことを言いたいんじゃない、とマーヤは叫びたがったが、根本的に価値観が異なるこの世界では、自分の価値観の方が異端であることは自覚していた。
そもそもこの世界は、構造からして地球とは違っている。
地球でも貴族制度は存在したし、歴史を紐解けば横暴な貴族なんていくらでもいただろう。だが、貴族も所詮はただの人間だ。権力が打倒されてしまえば、首狩り処刑機に抗う力は無い。しかしこの世界では ― 。
この国、ノサエルトはこの世界で唯一の国だ。
ノサエルト以外の土地は魔域に覆われていて、とても人間では叶わない魔物が跋扈している。このノサエルトにだけ人間が棲めるのは、ひとえに貴族が魔力を国土に注ぐことで結界を維持しているからだ。平民には魔力は無い。
つまり、極言すれば、貴族は平民がいなくても生きてゆくことが出来るが、平民は貴族がいなければ生きてゆくことは出来ないのだ。
そのことが貴族に絶対的な権力を与えている。
そうは言っても、食糧生産や下働きで、文明を支えているのは圧倒的多数の平民でもある。為政者としては、貴族のやたらな横暴によって平民が無為に殺されてしまうのは容認しがたい。
そのため、貴族が平民に対して横暴をしすぎることが無いよう、属州総督は、にらみがきく上級貴族を選んで護民官に任じている。
ただしそれも平民の立場によって保護の濃淡がある。
地主や兵士は統治機構に直結しているから、ここに手出しをされれば、護民官がすぐに動くが、その辺の浮浪者や日雇い労働者、小作人に対しては動きが鈍い。仮に、貴族がそう言う弱い立場の平民を、一方的に嬲り殺したとしても、わざわざ捜査もされない。基本的には国や属州の維持のためには貴族は貴重で、弱い立場の平民を守るために貴族を罰するのは、費用対効果上の損失になるからだ。
(私、マタイとラケルに拾われて、本当に幸運だったんだわ)
マーヤはそう思った。
マーヤが捨て子であったことを、マタイとラケルはマーヤには話してはいなかったが、かすかに記憶が残っている。森の中で、不安に苛まれて泣いているところを、抱き上げてくれたマタイの太く優しい腕。
マタイが助けてくれなければ、いずれ餓死するか魔物に食い殺されるかしていただろうし、仮に人間社会に戻れたとしても何の後ろ盾もない孤児だったら、最低限の人間としての扱いも望めない立場にいただろう。
それだけではない。
マタイとラケルは、おそらくは、マーヤが持つ違和感を理解してくれるだろう。自分たち自身が、長い間、排斥されてきた存在だから。
「ねえ、エリー」
「うん?」
「あの子たちのこれからが幸せだったらいいわね。ううん、少しでも不幸なことが少なければ」
「そうね」
欺瞞かも知れないが、マーヤは心からそう思った。
(それにしても。やっぱり貴族と平民の間では子供は出来ないのね。これはどういうこと?)
帰りの馬車、手綱を引きながら、マーヤはそう考える。隣に座るエリーは朝が早かったからか、うつらうつらしている。
(貴族の中でも階級が違えば子供は出来ない。上級貴族は上級貴族としか子を為すことが出来ない。魔力の有無、そしてその量の違いが影響しているのかしら。種の定義から言えば、ノサエルトでは4種の人間が存在していることになる。そして私は ― 魔法を使える)
マーヤは自身の体の中にマグマ溜まりのようなものがあるのを感じている。おそらくこれは魔力なのだろう。ささやかな魔法、小さな火を起こすとか、水を少しだけ発生させるとか、試しにそうした魔法を使ったことはある。蛇口をゆっくりと開いて、ほんの一滴、水滴をしたたらせたようなものだ。魔力を注げば、火で言えば大爆発を起こさせるほどの威力まで高めることが出来る予感はある。だが、それはしたことはない。平民は魔法を使えないと聞いたからだ。
逆に言えば、魔法を使えるマーヤは、種としては平民ではない。
平民の中から、たまたま魔力がある者が生まれる、と言うことさえ無いようだ。
下級貴族は下級貴族同士でしか子をなせず、その子は下級貴族である。
上級貴族は上級貴族同士でしか子をなせず、その子は上級貴族である。
つまりマーヤの身体上の父母は貴族である、と言うことだ。
それが知られれば、平民ではいられないかも知れない。
レニングス家から出ていかなければならないかも知れない。
魔法を使えることは隠し通さなければならない。
今は前世の家族のことも愛おしい。うんざりとしたこともあったし、嫌いだと思ったこともあるが、別に親だって完璧な人間ではないのだ。その不完全な処も愛おしく感じる。
昔のことが懐かしく思い出されるのは、今が幸せだからだ。優しい家庭。互いを気遣いあう人たち。マタイとラケルは、マーヤが欲しかったものを与えてくれた。どうしても、どうしても失くしたくない。
(あ!)
マーヤは気づいた。
(私、"平民"と結婚しても子供できないんじゃ…)
と言うか、マーヤはいったい何貴族なのだろう。下級なのか中級なのか上級なのか。自分と同じクラスの相手でなければ、子供は出来ない。
マタイとラケルが、マーヤに子が生まれることを望んでいるならば。いや、さすがに相手が誰になるにせよ、子供が出来ないと分かっていて、何も言わずに結婚するのはさすがに相手に悪いだろう。最悪、子は諦めて、養子を取ると言う手立てがなくもないが、関係者が納得づくでなければ丸くは収まらないだろう。
(私が血筋的には貴族だってこと、話さないといけない?)
だいたい元々は貴族も平民も無い、ただの日本人なのに、なんてことを悩んでいるんだろうと、深刻になりながらもどこか可笑しかった。
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