第4話 好きな人の話

「ところで、エリー、ドヴォラックさんとどうして喧嘩をしたのよ?」


 マーヤとエリーは、御者台に並んで、リンゴを齧りながら、教会に向かっている。


「ああ、お父さんが私のことを嫁に出すことにしたなんて言い出すものだから」

「えっ!? お嫁に行くの? 誰と結婚するの?」

「いやあねえ、相手もまだ決まっていないわよ。それに二三年先の話だと思うわ。うちは、女ばかりの五人姉妹でしょう? 末のフレデルケが生まれる時には、お父さんは、娘なんてもう要らん、絶対、男子を産め、なんてひどいことをお母さんに言っていたから、今度も女が生まれたらどうしようって私たちはずいぶん気を揉んでいたのよ。で、フレデルケが女だったでしょう? これはもう、お父さんは愛情を示さないに違いない、その分、私たちがきちんと可愛がってあげなければと思っていたら、いざ、フレデルケを目にしたら、お父さん、もうデレデレでね。親は、自分の子供はみんな可愛いって言うけど、そりゃ可愛いか可愛くないかで言えば可愛いんだろうけど、明らかに贔屓はあるわよね。長女の私から見ても、三女や四女の時よりは、お父さん、熱を入れて末っ子を可愛がっているもの。

 それはいいのよ。三女や四女は拗ねているけど、フレデルケが可愛がられないよりは可愛がられた方がいいでしょう?

 ところが、あんまり溺愛が過ぎて、ドヴォラック家の家督はフレデルケに婿取りをしてその婿に継がせるなんて言い出したのよ。今までは、息子が生まれなければ私に婿を取らせるから、おまえは嫁には出さん、恋愛なんてもってのほか、って言っていたのに。

 私は別に婿取りをして、家を継ぎたいわけじゃないの。年齢順の順番で言ったら、姉妹の中じゃ私が最初に結婚するとして、婿取りだったら、お婿さんは、舅姑たちだけじゃなくて妹たち小姑に囲まれて暮らさないといけないでしょう? いろいろ気を遣わせて可哀想だなって言うか、細かいことに気が付く人じゃないとやっていけないと思うのよね。でも、私、男の人であんまり細かいことに拘る人って、魅力を感じないものだから、どうしたものかしら、と思っていたのよ。フレデルケが婿取りをするならば、その時にはもう私たち小姑は家を出ているわけだからね、考えたら末っ子が婿取りをするのが一番合理的だわ。

 私がお父さんに怒ったのは、今まで私を総領娘だから、後継ぎだからと抑圧していたのに、フレデルケを気に入ったらころっと前言を翻すその身勝手さによ。あんまりでしょう?」


 エリーはぷりぷりとしながら、同意をマーヤに求めた。

 結果的には収まるべき形に収まったと言えなくも無いが、ドヴォラックさんが身勝手なのは確かなので、マーヤも、


「それはひどいわねえ」


 と相槌を打った。


「まあいいわ。これで私も誰かのことを好きになってもいいってことだから。私、ジョッシュのことが好きなの」

「えっ? ジョッシュ・トリヴァー?」

「そう」


 トリヴァー家も地主であり、ジョッシュはその長男、今は十四歳である。


「ジョッシュは乱暴者だから嫌いって以前言ってなかったけ?」

「最近はそんなに乱暴者じゃないわよ。トリヴァーさんの手伝いもするようになって、ちょっと大人びてきたと思わない? それに優しいところもあるのよ。二年前、地主の子供たちだけで川に遊びに行ったことがあるでしょう? あの時、日差しが強かったから、本当は私、少し体調を崩していたの。そうしたらね、ジョッシュがずっと私の隣に立っているのよ。最初は鬱陶しいわって思ったんだけど、ジョッシュがね、自分の体で影を作ってくれているんだって気づいたの」

「へえ、あの子、そんな優しいところがあるのね。でも、エリー、そんなこと一言も言ってなかったじゃない」

「そりゃあ、その時は、トリヴァー家の後継ぎのジョッシュとは結婚出来ないと思っていたし、ジョッシュのいいところに他の女の子が気が付いて好きになられたら嫌だもの。ごめんね、マーヤ。あなたにもジョッシュは渡したくないの」


 マーヤはジョッシュには何の興味も無かったので、真剣な表情でそう申し訳なさそうに言うエリーが、可笑しかった。

 ジョッシュは、ぶっきらぼうで、最近は急に背が伸びてはいるが、顔の方はそう二枚目でもなく、まあ普通と言う処である。別に嫌な奴ではないが、女子のアイドルになるような少年ではない。そのジョッシュのことを宝石のように言うエリーのことが、マーヤは可笑しかった。


「ねえ、マーヤ。私とジョッシュのこと、応援してくれる?」

「もちろんよ、エリー。でも」

「でも?」

「ジョッシュももう14歳だし、地主の後継ぎだし、トリヴァーさんもそろそろ嫁取りを考えていると思うの。嫁に来てもらわないといけないわけだから、レニングス家を継がないといけない私はもちろん候補から外れるし、トリヴァーさんは当然、あなたのこともドヴォラック家の後継ぎだと考えているわけだから。あなたも候補には入っていないわね」

「大変! 私行かなくちゃ!」

「駄目よ、エリー。私たち教会に向かっているんでしょう? まずは仕事をちゃんとしないと。でも近いうちにジョッシュにちゃんと自分の気持ちを伝えたほうがいいわね。グズグズしている時間はないわよ?」

「そ、そうね。明日にでもジョッシュに会いに行くわ」


 エリーのその様子を微笑ましく想いながらも、マーヤは少し不安になった。


「ねえ、エリー、こう言うことは相手がいることだから、そうそう思い通りにならないかも知れなくてよ。私はエリーは美人だし気立ても優しいし最高の女の子だと思うけど、ジョッシュには他に好きな子がいるかも知れないでしょう? いなくても、エリーとは恋仲にはならないかも知れないわ」

「でも私から動かないと先に進まないでしょう? ジョッシュは私のことをドヴォラック家の跡取り娘だって思ってるんだから、ジョッシュの方から声をかけてくれるなんてこと、まず考えられないわよね」

「それはそうよね。でも動いたからと言ってその先に道が通じるとは限らないわ。それは分かっている?」

「マーヤ、あなたはその道が通じなかった時に私がひどく落ち込んだり取り乱すんじゃないかって心配しているのね?」

「そうね。私が心配しているのはそれだわ」

「だからと言って動かない方が良いってわけじゃないのよね?」

「そうね。動かないと始まらないのは確かだから」

「じゃあ、私も覚悟を決めるわ。ジョッシュにふられたら ― 泣きわめくかも知れないけど、まあ、死にはしないわね」


 エリーはお道化て笑ってみせた。


「うん、エリーにその覚悟があるんなら、何の心配もないわ。上手くいったら一緒に喜んであげるし、いかなかったら何日でも慰めてあげる」

「ありがとう! それでこそ親友よ! 私たち、一生お友達でいましょうね」


 二人は体をくっつけて、楽し気に笑いあった。


「ところで、マーヤ・ラーリー。あなたの結婚はどうなっているの?」

「え? 私? まだ12歳よ」

「もう12歳よ。早かったら13で結婚することもあるじゃないの。結婚はともかく、もう婚約の話はちらほらあっても不思議じゃないわ」

「マタイとラケルは、その辺は全部、リード夫人にお任せみたいね」


 リード夫人もやはり、モーゼル郷の地主の夫人で、ラケルと同年齢の親友である。レニングス家の先代の悪評が甚だしかった頃から、その悪評ではなく、レニングス兄妹の実際の人柄を見て、交際をしてくれた数少ない人であった。世話好きで話好きで、若い時には、マタイのことをちょっといいなと思っていたこともある、とマーヤに打ち明けてくれたこともあった。レニングス家の悪評のせいばかりではなく、マタイが異常に異性に対して奥手なので、結局なにひとつ進展しなかったのだが。

 とにかく社交的で顔が広い。やりて婆のように、若い者たちをくっつけて仲を取り持つのが己の使命だと思っているところがある。

 レニングス家の方の条件は決まっている。

 マーヤに婿をとる。

 働き者で気立てがいい者が良い。

 あんまり係累に煩わされない方が良い。

 

 リード夫人が言うには、やはりレニングス家が郷に馴染むためには、同じ地主階級から婿を取るのが一番良いのではないか、と言うことだが、レニングス家が例の悪評を除外しても、モーゼル郷では土着してまだ二代にしかならない新参のため、同じ地主階級ならば、レニングス家を見下す意識も多少は生じるのではないか、その点は心配だと言う。

 マーヤの姓がレニングスではなくラーリーなのも、「レニングス」よりも馴染みのない「ラーリー」と言う姓を婿も名乗るのか、と言うことになって、マイナス材料になると言う。婚約の際に、マーヤが正式にマタイの養女になるのが望ましいそうだ。

 嫁は一段低い家から貰えと言う格言の通り、一段低い家から婿を迎えれば、レニングス家の家風に馴染もうと努力をしてくれる婿も選びやすいが、自作農階級にとって、同じく自作農たちから土地を収奪したレニングス家は親の仇みたいなもので、自作農からは良い返事は貰えないだろう。

 いっそのこと小作から選ぶとなると、レニングス家の小作はまさしく土地を収奪された直接の被害者たちであって、表向き態度は恭しいが内心はどう思っているかは分からない。かと言って、他家の小作から選べば、なぜ他所の家の小作の倅が良い目を見るのか、と不満を持ちかねない。


「最悪、年は離れているけれど、うちの孫のロリアンと言う手もあるからね」


 とリード夫人は言うが、ロリアンはマーヤよりも6歳下だ。


「ロリアン? あの洟垂れ小僧の?」

「やめてよ、エリー。そんな風に言うのは。あの年齢の男の子ならみんな洟垂れじゃないの。ロリアンだけじゃないわ」


 ロリアンは良く言えば物事に動じない。いつもボーッとしている。ボーッとし過ぎていて、この子は将来やっていけるのだろうかと周囲から心配されている。ロリアンはリード家の三男だから、まかりまちがっても後を継ぐと言うことはあり得ず、何らかの形で将来は自立して生計をたてなければならないが、文に非ず、武に非ず、商に非ず、謀に非ず、信に非ず、で、取り柄と言えばまったくの無口であるから他人の悪口も言わないというところか。

 子供たちの会合では、それとなくロリアンのような見下されがちな子たちに優しく接するマーヤのことはそれなりに慕っているようで、たまに綺麗な野花などを摘んで持ってきてくれることがある。

 レニングス家の人たちはみな優しいから、ロリアンが婿に行っても蔑ろにはされないだろうし、ロリアンが何一つできなくても、マーヤが家政のみならず経営のことでもしっかりしているから最悪、マーヤの邪魔さえしなければいいのである。


「ねえ、気を付けなさいよ。リード夫人、親切面をして婿探しをしているようで、まんまとロリアンをレニングス家に押し付けようとしているんじゃないの?」

「そんなロリアンを ― お荷物みたいに言わないで」


 ロリアンをババ抜きのババみたいに扱わないで、と言おうとして、マーヤは、この世界にはトランプが無いことを思い出し、咄嗟に言い換えた。

 気を付けないと、前世知識が口をついて出て来ることがある。

 そんな風にして、二人の馬車はやがてゆるゆると教会に到着した。

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