第3話 親友とのお出かけ
ヒトと言う生物は二つの特筆すべき特質を持っている。
ひとつは、体重に比して脳容量が大きいと言う点。もう一つは直立二足歩行をすると言う点。
この二つは出産を著しく困難にすると言う問題をもたらした。
そのため、ヒトは、未熟児の状態が長く続く状態で生まれる。一人で立ち上がり、逃走するなり捕食するなりの目的を達する水準で走り回れることを、一応の成熟とするのであれば、牛馬であれば生後、ほんの一二分で成熟に達するのに対し、ヒトの場合は五年六年を要する。
ひとえに大きく発達する頭部が著しく未熟な状態で出生しなければ、産道を抜けられないためである。
マーヤが、自分の前世、北条真綾の記憶を知覚するまで、6年の年月を要したのは、幼児の身体にそれだけの記憶や知識を格納するだけの容量が、未熟であったからだろう。
自分が北条真綾であると確信した時、マーヤは、この新しい生において与えられた名前も、MAAYA であると言うその偶然にまず恐れおののいた。
これは偶然なのだろうか、と。
あの日、羽田発大阪行の日本航空123便は、北関東の御巣鷹の峰に墜落し、わずか数人の生存者を除いて520名を越える乗員乗客が死亡すると言う、単体機の航空事故としては史上最悪の規模になった。北条真綾は残念ながら、生存者には含まれなかった。同乗していた国民的歌手、明智もまた。
それから何ヶ月もメディアはこの事故の報道にかかりきりになり、北条真綾も生い立ちから何から何まで、ワイドショーによって暴かれたのだが、その騒動についてはマーヤはあずかり知らぬことである。しかし、6年間とは言え、芸能界に身を置いた者としては、恐らくそう言うことになったのだろうと推測することは容易だった。
おそらくは、両親の離婚によって居場所を失った哀れな天才子役として、同情と言う形を取りながら、消費されているのだろう、と。
それは哀しいと思った。
確かに、芸能界に入ってそのせいで家庭崩壊したことで、そして事故死したことで「薄幸の少女」と言う切り口で描かれるべき条件は備えている。けれどもそれだけではなかった。
演技と言う難しいタスクをこなした後に得られた達成感。
北条真綾の芸能活動によって生きる希望を与えられたと綴った真摯なファンからの手紙。
私は不幸なんかじゃなかった ― とマーヤは思う。
「この歌が好きなのね」
馬小屋で、馬の身体を洗いながら、鼻歌を歌えば、馬たちも耳を傾けている風ではある。
それは日本の国民的歌手・明智の最大のヒット曲『空を見上げて』であった。久しぶりに前世のことを思い出した今日、マーヤは、親切にしてくれた明智を追悼する気持ちで、その歌を口ずさんだ。
明智もこの世界にいるのだろうか。いるとしても、自分と同じように赤ん坊から始めているに違いない。
マーヤは、日本で聞いた楽曲を口ずさむことはあるのだが、用心して日本語では歌わないようにしている。
思い付きで口ずさむのだとしても、マーヤが歌う曲歌う曲すべてが、ここノサエルトではあり得ないような名曲ばかりであることに、ラケルは恐れおののいていて、それが「魔域で拾われた捨て子」と言うマーヤの特殊な出生に結びついているのではないか、そしてそのことが発覚するのではないかとラケルは不安に苛まれていて、マーヤが歌うのにいい顔をしない。
だからマーヤの歌を聞く者と言えば、マタイとレニングス家の家畜たちだけである。
北条真綾は12歳で死んだ。そしてマーヤは12歳になった。
北条真綾は小学校六年生だったのだが、仕事が忙しくて、学校にはほとんど通っていない。だが代わりに専属の家庭教師がついていて、公文式でも勉強をしていた。その学力は既に高校3年生に匹敵していた。
12歳の頃には、共通一次の試験問題で勉強していたのだ。
むろん大学の専門家には遥かに及ばないが、学力と言う点では成人に匹敵していたと言っても過言ではない。
真綾が大阪に引っ越すことになって、それまで5年間、家庭教師を務めてくれた、佐川紹子と言う日本女子大卒の女性は、十分な退職金を得て、職を辞する際に、
「真綾ちゃんが今更普通の小中学校に通っても、物足りないと感じると思うわよ」
と忠告してくれた。
「それでもいいの」
とその時の北条真綾はそう答えた。
普通に生きて、普通に友達を持って。それが何よりも、真綾の望みだった。
「マーヤ、いる?」
その望みは、ここ、異世界ノサエルトに来て叶った。
「あら、早いじゃないの、エリー。どうしたの?」
「お父さんと喧嘩しちゃって。顔もみたくないから早く来ちゃった」
「なによ。私まだ朝ご飯も食べていないのよ?」
「私もよ。さあ、哀れな親友に、レニングス家の美味しい朝食を恵んでちょうだい!」
マーヤが来てから、レニングス家のモーゼル郷での交際のありようも変化した。
幼い子供がいれば、レニングス家にもその周囲にもある隔たりをものともせずに、諸々、付き合ったり助言を貰ったり、助けたり助けられたりをしなければならないことも多々ある。そうやってレニングス兄妹も老齢に差し掛かる頃になって新たに学ぶこともあり、周囲もいざ付き合って見れば、レニングス兄妹がその父親とはかけ離れた性格の優しい人たちであることを理解した。マーヤがいれば、子育てと言う共通の話題もあった。
それでもレニングス家がかつて倫理的には不当な手段で貯めこんだ資産を、がっちり抱え込んだままであれば、郷の者たちの反感も和らぐことも無かっただろうが、マーヤに残されるべき十分な資産を除いて、マタイとラケルは孤児院の運営のために、教会に多額の布施をほどこすようになった。今や、モーゼル郷の教会の孤児院では、栄養失調の子は一人もおらず、子供たちの表情も明るい。郷の者たちも、それら孤児のために、レニングス家がどれほどの資金と労力を注いでいるかを知るにつれ、態度を軟化させた。
マーヤの親友であるエリーの家、ドヴォラック家もその一つで、ドヴォラック家も地主のひとつであり、今では同じ地主階級に属する家としてレニングス家とは親しく交際している。
「さあさ、たんとお上がり!」
「わあ、美味しい!」
心から嬉しそうに食事を堪能するエリーを見て、ラケルの目尻も下がった。
レニングス家では今は3人の女中、下働きの少年を1人、雇っているが、料理は今でもラケルが作っている。前世知識をいたずらに持ち込むのはいかがなものか、とマーヤはある程度自粛はしていたが、料理についてはある程度は話が別だ。どうしてもあの料理を食べたいと言う衝動は生まれ変わっても抑えきれるものではないからだ。
北条真綾は、子供向けの料理番組を担当していたこともあり、マーヤは料理も得意だった。
ラケルは見たことも無く聞いたことも無い料理や、その発想に驚きながらも、マーヤと一緒に新たなる料理に精進して、モーゼル郷の中では料理の達人として名をはせている。ラケルは料理人としての名誉をマーヤから奪ったのではなくて、新奇な料理の数々を、まだ子供のマーヤが考案したと言うよりは、自分が考えたと世間に思われた方がまだしも軋轢が少ないだろうと思ったのである。
ラケルは請われるままに、ご婦人方に新作料理を教えたので、結果、モーゼル郷の婦人たちの「お師匠様」になり、その社交によってレニングス家の地位は向上したのだった。
食事を終えた後、エリーが操縦してきた荷馬車に、食料品を詰め込んで、
「じゃあ、行ってくるわね」
と、マーヤとエリーは、馬車に乗って教会へ向かった。
食料品は、モーゼル郷の富裕層が集めたもので、レニングス家は、教会の孤児院運営の実情を伝えて、支援が一過性のものにならないよう、地主層を中心に孤児院の後援会を組織して、定期的に食料品を送り届けていた。
それだけではない。
地主層の子弟らが手分けをして、孤児たちに読み書き計算を教えている。読み書き計算が出来れば、子供たちが孤児院を出なければならない時に、有利な就職口を得られるのだ。また、地主たちからしても、召使や管理人として働く人材を孤児院から得られると言うことでもあり、自分たちの利益になることでもあった。
マタイは兵士としては一線を引いているが、兵士長の任にあり、書類仕事を多くこなさなければならない。
マーヤがある程度、大きくなってからは、マーヤが手伝うようになってその負担は大幅に軽減されたが、本来は領軍の中で、事務系の人材を供給すべき話ではある。孤児院で最初に教育を受けた世代の男子数人が、マタイの推薦で領軍の兵に採用されていて、後、数年の後には、兵士長補佐としてモーゼル郷に戻ってくる見通しであった。そうなれば、領軍の事務仕事の手伝いから、マーヤが手を引くことも可能になるだろう。
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