第5話 確かに森なんだけどさ……!
「ロドッカの森に転移!」
叫んだ僕の声に応じた杖が、青白く光る。
『のどかな森 に 転送します』
よし、ちゃんと認識した! 認識した……したけど、なんか……ちょっと、違うことを言ったような?
疑問符を浮かべる僕をよそに、杖の放つまばゆい光が僕を包み込んでいく。視界を光が埋め尽くし、僕は目をつぶる。
そのまま数秒身を固くしていると、やがてまぶたごしの閃光が止んだ。
恐る恐る目を開けてみると、確かに目の前の景色は変わっていた。
しかし、耳に届く音はなぜか変わり映えしなかった。ざわざわとささやきあう声、食器と食器がぶつかる音、厨房から聞こえてくる威勢のいい声。
そして目の前にある景色というのも、それほど大きく変わってはいなかった。
「き、消えた!?」
「なんだなんだ!?」
「あいつも魔法使いだったのか!?」
目の前のその人たちは何もない空間を取り囲みながら、聞き覚えのある声で驚きの声を露わにしていた。
僕は後ろを振り返る。西部劇的なドアの向こうに、店に入ってくるときに通った道路が見える。
つまり、僕は今店の入口に立っているのだった。
――なんでだ!? ロドッカの森って言ったのに……。
「あ」
そう考えてみて、不意に僕はこの店についていた看板のことを思い出した。確かあの看板に書いてあったこの店の名前は……。
「……のどかな森」
――確かに響き似てるけども!
それにしたってついさっき行ったばっかりの場所なんだし、ちゃんと認識してくれてもいいんじゃないかと思うんだけど……。
なんて頭を抱えていると、僕を囲んでいた一団の1人と目があってしまった。
「…………」
「…………」
無言で見つめ合うこと2秒。
「……失礼しまーす」
僕は人生で一番愛想のいい笑顔を作り、忍び足でその場を去ろうとする。
「――いた! あそこだ!」
「ですよねー!!」
勢いよく指をさされた僕は、脱兎のごとく店外へ駆け出した。
「何がどうなってんだよー!!」
嘆きの声を上げながら、未舗装の土の道を走る。
「待て! 逃げるな!」
待てと言われて待つ人は――ってつい最近同じようなことを考えた気がする!
ちらりと振り返ると、店にいた人の半分近く、20人弱が追いかけてきていた。
捕まったらどうなるんだろう。魔女って言うくらいだからなんかの実験台とかにされるのかもしれない。魔術の効き具合を確認するとか、新しい薬の効果を確かめるとか。
なんにせよ、魔女なんて言われるくらいだしいい人だとは思えない。悪ければ殺されるだろうし、よくても何かの動物に変えられて可愛がられる、とかそんな感じだろう。
「勘弁してくれ!」
叫んで足の回転速度を速める。
その直後、僕の背後を走る一団から地鳴りのような怒号が飛んだ。
「おーい、黒髪黒目の男が出たぞー!」
鼓膜がしびれるような声は、立ち並ぶ民家から次々と人を呼び出した。数十メートル先の家にも声は届いていたようで、僕の行く先を塞ぐように男たちが出てくる。
途中に曲がり角はない。つまるところ袋のねずみだった。
「ほー、確かにこいつで間違いなさそうだな」
「これで俺も億万長者……」
僕が立ち止まると、正面から男たちが舌なめずりをしながらにじり寄ってくる。
「そこを動くなよ!」
後ろからも嬉々とした声が聞こえてくる。振り向けば一団はもう目と鼻の先まで迫っていた。もう一刻の猶予もない。どこかに転移しないと……。
「――って言ってもどこに?」
また「どっかの森」って言えばロドッカの森に転移できるか……?
でもそれでまた「のどかな森」に転送されても困る。もっと別の場所を指定したい。
といっても、具体的にここという場所が頭に思い浮かばない。当たり前だ。この世界には知っている場所もなければ、顔見知りの人間だっていないんだから。
「よーし、観念しろ……!」
どうすれば――と、頭を抱えようとしたところである1人の人間……いや、1体の生き物の姿がよぎった。
「ああもうどうにでもなれ! ――ヘイ、杖!」
十分に息を吸い込んでから唱える。
「さっき会ったオークのところに転送して!」
一拍の間。冷や汗が背中を伝っていく。
『ヌデオーク・ベルブ の 近くに 転送します』
――うん? ヌデ……?
「誰、っていうか何!?」
またオークって単語の入った別の何かか!
人の名前なのか? 近くってことは場所そのものというより、何か物とか生き物なんだろうけど……。
そんな風に考えているうちに、僕の体は例によってまばゆい光に包まれていた。
ああ……どうか安全なところでありますように……。
「――グオオオオオオッ!」
転送先で最初に知覚したのは、目の前で発せられた野太い雄叫びだった。
まぶたを上げた瞬間に目に飛び込んできたのは、巨大な岩のような何か。
「うわああああっ!?」
僕は悲鳴を上げながら、その岩を突き飛ばすようにして後ろに下がった。
「ぐえっ」
岩はそんな間抜けな悲鳴を上げてよろめいた。
「ん? 『ぐえっ』……?」
とっさのことにテンパり、何か恐ろしいバケモノ、それこそ竜のような怪物を頭に思い描いていた僕は、そのカエルが潰れたみたいな音にひどく困惑した。
ゆっくりと顔を上げてみる。そこには――オークがいた。
「…………」
僕は無言で1歩、2歩と下がりながらオークを見つめる。
さっきのオーク……かもしれないけど、あいにくこの世界で他にまだオークを見たことがないので判別ができない。もしさっきのオークじゃなかったら、竜ほどではないにしろ危険ではある。
オークは驚きの表情でまばたきを繰り返していた。
「い、一体何……って、あれ、さっきの人?」
そして僕を見ると、今度は意外そうな顔になる。
「なんでここに? 急に現れたようにしか見えないけど、どうやって?」
ふむ、どうやらさっきのオークみたいだけど……。もしかすると別のオークがさっきのオークになりすましてるという可能性もなくはない。
僕はにらむようにオークを見据えた。
「……オマエ、ボク、タベル?」
「いやそれもういいから」
うん、本当にさっきのオークで間違いなさそうだ。
「あー、1つ聞きたいんだけど、お前の名前ってヌデオークなんちゃらかんちゃら?」
「え? なんちゃらかんちゃらではないけどヌデオークだよ? ……ん? ボク名前教えたっけ?」
「いや聞いてない。まあそれはこっちの話だから気にしないでくれ」
僕が軽く手を振りながら言うと、オークは首を傾げた。
「別にいいいけど……。じゃあ、こうしてまたあったのも何かの縁だと思うし今度こそ自己紹介しておくね。僕はヌデオーク・ベルブ。ヌデオークが名前で、ベルブは人間で言うところの姓かな。正確には祖先にあたる魔族の名前だけど」
「いいづらいかヌデオね」
「あ、うん。みんなはヌデとかヌッディって呼ぶけどそれでもいいよ」
ヌデオ。秀男とかそういう感じの名前だと思えばわりと僕の中でもしっくりくる。ヌデはちょっといいにくいからご勘弁願いたい。ヌッディはなんかアメリカンな感じがしてイメージに合わなすぎるのでパス。
「僕は鏡野優星……ええと、ユウセイ・カガミノって言った方がいいかな。ユウセイが名前だ」
「ユウセイね。これからよろしく」
ヌデオが巨体をかがめて手を差し出してきた。
僕は怪訝に眉をひそめてそれを見つめる。
「よろしくするのか? 人とオークが?」
「……よろしくしてくれないの?」
オークは残念そうに眉を垂らして首をかしげる。
まあ文字通り住む世界が違うというか……。ヌデオ以外のオークは僕のことは敵なり餌なり、友好の対象としては見ないだろう。
そもそも僕自身これからどうすればいいのかもよくわかってないわけで、ヌデオとこれから会う機会があるかどうかもわからない。
と、難しい顔で考え込んでいたとき、不意に「ぐーっ」と腹が悲鳴を上げた。
「あ」
そういえばそうだった。腹が減ったから「のどかな森」に入ったのに、結果的には余計に腹を減らされただけだった。逃げるのに必死で忘れてたけど、こうして落ち着いてみるとものすごい空腹感が襲ってくる。
「ボク、すぐそこの小屋で生活してるんだけど……なにか食べる?」
ヌデオは苦笑しながら東の方を指差す。
「オークの村に行くのか?」
「違うよ。ボクは森のなかで独りで暮らしてるから、他のオークのことは心配しなくていいよ。どうする?」
僕はほんの一瞬だけ考えてからうなずいた。
「よろしくお願いします」
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