第百三十二話 知ることの義務

 社務所の座敷では広い黒檀調の卓を囲んで。胡坐をかくロイの横に神主が座って。アキラは上座に立って少し頭をかきながら。


「……本当にいいんですか? 室内ですよ?」

「かまわん」

「振ってごらんアキラちゃん」


「じゃあ」とだけ言ったアキラが右腕を肘から引いてあげて、ぶんっ! と。眩く光った右腕の籠手から鈍い発生音がする。飛び出したのは刃渡り三十リームほどの輝く剣だ。

 

 グレイの眉根が寄った。

「幻界でも、そんな短かったかい?」


「いや。ほら室内ですし」

「まあ長さはどうでもかまわん。もっとこっちに寄せてくれアキラ」


 飛竜が身を乗り出す。う、う、とどうしてもアキラは腰が引けるが「もっとこっちだ」と言うので仕方なく刃先を二人の方にやる。流石にロイが少し顔を引きざまに、しかし右手でアキラの籠手ごとがっしと握った。


 そして。

「ロ、ロイさん」


 包帯の痛々しい左腕の傷口、その上のあたりに。アキラの剣をあてる。もうアキラは見ていられずに顔を背けて目を瞑ったままだ。

 さらにロイが左肩を入れてぐいっと。腕全体を押し付ける。鱗に当たった刃は食い込まない。がっがっ、と。斬れない。硬質な音がする。


「うおっ何やってんだおまえたち」

 部屋にやってきた虎が仰天した。ロイが少し笑う。


「いえ、いろいろと腑に落ちないことが多過ぎなので」

「ああ。お前の左腕か。普通の魔光剣や魔導剣じゃあ、斬れたりはしないんだろ?」

「えっ」


 アキラが改めて向く。確かに、さっきからがしがしと当てているロイの左腕には傷ひとつ付かないのだ。神主が言う。


「でもほら。アキラちゃん猫だったじゃないか」

「関係あるのか?」

「あたしは知らない。どうなんだい?」


 じゃあ、ということで一度アキラが虎まで交えた三人の前で。一旦、光剣を消した。ぶんと頭を振る。と、一瞬で。神主が笑う。


「あっはは。すごいなあ」


 その全身にふわりと青い紋様を浮かばせたアキラが銀猫の獣人に変わった。


「そんなこの格好おかしくないでしょ」

「ごめんごめんおかしくない。じゃあやってごらん。ほら」


 ぐうっとさっきより右腕を大きく振りかぶって。猫のアキラがぶんッ! と振る。一段と眩さを増して噴き上がった光剣の刃渡りは三割増しほどには長い。片刃の美しい刀身が白く輝いているのだ。


「ほらみてごらん、全然違うじゃないか」

「あ、あれ? なんでだっけ。前はそんなことなかったんだけど」


=お前が変身に慣れてきたからだ。魔力の励起量が以前より増えているぞアキラ=

「そうなの?」「うん?」


「あ。なんか魔力の励起量が違うせいかもって」


「それでもなあ」とロイが呟いて、今度は光る刃先を直接右手で握る。親指の腹を刃に当てて、つい、と。斬れない。確かに剃刀のような鋭い薄刃で、相当に切れ味も良さげな光剣なのだが。


「どうなのだろう。斬って斬れないことはない、とは思うのですが……ああまで一撃でいけるだろうか」

「あそこはいろいろおかしいぞロイ」

「そうなのですか?」


 虎が右の拳をぐいぐいと数回握る。


「俺もおかしかった。なんていうのか、あのフィールドは意志とか思念とかに反応するんじゃないか? 特に感情だ。火星イグニス水星ハイドラが有利かもしれん。逆に風星エアリア大地星タイタニアは効きづらい」


「ああ、たしかにシュテの少年の雷撃が効いていましたな。彼の水星はかなり強力です」

 ロイに言われてアキラも思い出した。

「え? 電撃って水星使うんですか?」


「おまえ……風紋豹バックリンクス使えたじゃないか」

「ああ。えと、だいたいこっちまかせなんで。はは」


 アキラがこめかみを突ついた。あきれて虎が言う。


「ちゃんと理解しておけよ危なっかしいなあ。電撃は通常、風星と水星の混合だ。風星は本来が電撃の作用を持つが触媒がいる。だから水星を混ぜる。あの子の雷術はさらに高位だ、火星も混ざってたからな。危険な術だ」

「危険って、水星と火星が相剋だからですか?」


「それもあるが。火星を触媒にした電撃は相当に高位の術だ。ありゃあシュテの爺さん連中の碑文級レメゲトン聖文ヒエラルあたりだろうな……白猫の火術も、たいしたもんだったがな」


 虎が敵の火炎を思い出して、胡坐をかいて座る。アキラもふおっ。と剣を仕舞って、猫のまま隣に腰を下ろした。神主が言う。


「でもあんたには効かなかったじゃないかイース」

「いや。最初は受けるので精一杯だった。なんでだったか……そうだ」


 虎が猫のアキラを見て。


「おまえ、あの時、名前を叫ばなかったか?」

「俺ですか?」

「そうだ。ヴァンの名前だ」


=敵の過去を見ただろう。あの白猫の過去だ=


「ああ……」と呟いてアキラが首を撫でる。顔が曇った。あまりいい情景ではなかったからだ。その表情に虎が訊いてくる。


「おまえひょっとして、なにか見えたんじゃないのかアキラ」

「ええ。これ、話しておいた方がいいんですよね。——」




 社務所の座敷にいる三人に、アキラが一通りの見たままを話す。

 あの二人の白猫のあらまし、どこかの山地の敵陣の情景。

 そして石の玉座に座った獅子の姿。

 奇妙なくじを引く獣たち。彼らの殺し合い。

 

 それを聞く部屋の面々は三者三様であった。


 神主グレイは眉間に皺を寄せて胸の包帯をさすりながら神妙に聞いている。

 不機嫌なのはロイだ。もともと飛竜がこの手の話は強烈に嫌悪するだろうと予想していたアキラであったが、それでも露骨に怒気を隠すことなく腕組みして睨むのでこっちが怖い。


 問題は虎である。


 見ようによっては確かに飛竜と同じく機嫌が悪いとも思えるその表情は、だが、感情的に不愉快というよりは、むしろ。


「——合点がいかねえ」


 とうとう声が出る。そんな顔をしていたのだ。全員が虎を注視するので。

「いや、それがな」

 話し始めるのだ。


「今のそれが本当なら、ちょっとあり得ねえんだ。確かにあいつは、ヴァンの野郎はイカれてやがる。あいつの中じゃあ強者が絶対だ、弱いもんには容赦がねえ。それは女子供ですら、そうなんだあいつは。だがな。弱い獣を『獣狩り』に売るって?」


「ええ。なんか、そう吠えてました。幹部らしいのが」


「いやあ。」と大きく虎が首を振る。そして。


「あのなアキラ」「はい」

「ヴァンは最初の嫁と子供を獣狩りに惨殺されてんだ」

「えっ!?」


「ネブラザからエマトナ北部まで縄張りにしてた結構でかい組織シンジケートでな、当時から組織とやり合ってた俺らにヴァンの群れが合流して、その頃のウォーダーには結構な数の獣が乗ってたんだ。局地的な戦闘が何度もあったんだが、とうとうその件で一気に全面戦争になった。最終的には向こうは全滅、あいつも仇を討てたんだが、そこからがいけねえ……」


 渋い顔で虎が鼻を掻く。黙り込んでしまったので。代わりに神主が言う。

「非戦闘員に手を出してね」

「え? 子供とか」「そう」


 虎が続けた。言いづらそうだ。


「——ヴァンは止まらなくてな。組織が根城にしてた街やら村を片っ端から襲って、関係ねえ住人まで皆殺しにして回り始めたんだ。それは流石にやりすぎだってんで、今度は俺とあいつが喧嘩になった。……どっちつかずの嫌な喧嘩だった。やりすぎだとは思うが、気持ちがわからねえってんじゃ、ないからな。そこで、ほとんどの獣が降りて出ていったんだ。ヴァンに従ってな。元々あいつが連れてきた連中でもあったしな」


 またちょっと一息ついて。やはり言いづらそうで。


「——それでな」

「イース。」「うん?」


 神主が遮った。


「さっきちょっとロイと話をしてたんだけどさ。そっから先の話は、あんた、ミネアも一緒に聞かせた方がいいよ」


 虎の口が薄く空いたまま。神主を見て。


「さすがに、そろそろさ。あの子もいい大人だ。聞かせた方がいい。知っとくべきだと思うよ」


 神主は諭すように言う。ロイもまた虎を見ながら、わずかに頷いているので。すぐには返事をせずややあって虎が答えた。


「そうだな」「そうだよ」


「わかった。街の救援が一息ついたら、な。——話が逸れちまった。だからなアキラ、ヴァンの野郎は見境みさかいがねえ。人間憎しで生きてるような奴だ。それが人と手を組むなんてのは、まして獣狩りに獣を売るなんてのは、俺はどうしても合点がいかねえんだ」


=怨恨を上回る理由があったのなら不思議ではないだろう=


「ええ、そう簡単かなあ」

「どうした?」

「いえ、恨みを上回る理由があったのかも、って」

「たとえば?」


=そうだな。例えば——=


 アキラがこめかみに指をやってじーっとうつむいてるので。グレイは珍しそうに胸元の包帯を掻きながら見る。虎と飛竜は何も言わずに待っていて。そして。


「ざっと言いますよ? 仮に獣狩りと組んでるとして」

「いいぞ」


「ひとつ。その獣狩りが彼らと同じく人間社会と敵対している場合。ひとつ。その獣狩りが一般的な獣狩りとはまったく組織の性質が異なる集団の場合。ひとつ。艦長と決裂してからヴァン=セルトラの心情に極端な変化が起きている場合。ひとつ。弱い獣を献上するに見合う報酬、たとえば強い獣とのトレード等が為されている場合。あとは——」


 アキラが三人を見渡して。


「これらすべて、もしくは複数の理由がある場合。だそうです」


 しばしの沈黙があって。

 うーんと三人が考え込む。


「あれ? だめです?」

「いや理屈はわかるが。今度は想像がつかねえ」

「そうだねえ、どんな集団かなあ」


「いや。しかし最後はわりと有り得る線かもしれませんな。象種エレファントなど居らんでしょう、このあたりには」


 ロイの言葉にアキラが大きく頷いて。


「エレファント。いました。そうです。他にもヤギとかウマとか」

「ヤギ? ウマ?」

「えっと、山羊ゴートホース?」

山羊種ゴート馬種ホース? ホース青毛馬ブラックホースか?」


「はい。はい」と頷くアキラを。なんだかロイは不思議そうに見つめるので。


「どうしましたロイさん?」

「おまえ、前は私に、地球には獣はいないと言わなかったか? なんでそんなに詳しいんだ」

「いやもちろん象の獣人とか初めて見ましたよ」

「うん? いよいよわからん」


「いや。獣はいるんですよ。いるけどあんなのじゃなくってですね。似てるけど違うんです。かたちがこう、人じゃなくて獣……ええっと。なんて言えばいいんだろう」


 猫毛を振って悩むアキラを見かねたのか、グレイが体を反らせて「いたた」と顔をしかめながら部屋の端に置かれた茶盆に手を伸ばして。


「はいアキラちゃん」「へ?」


 つづり紙と鉛筆を渡す。


「何するんです?」

「獣、描いて」

「俺が描くんですか?」

「いや他に誰が描くのさ、今の流れで」


 受け取ったアキラが躊躇して。怪訝な顔で虎も覗く。


「……下手ですよ俺」

「そこはどうでもいい。いいから描いてみろアキラ」

 あきれた顔でロイが言う。


 じゃあ、と。うーん、と。鉛筆が動き出して。へろっ、と。一筆書きのように。見ている三人は声も出さない。

 ちょっと止まって。まあるく描いたのは耳か。そこから。ぷいっと後ろに線を伸ばす。


「……ぷっ」

「誰か笑いました?」

 ロイがうながす。

「いいから続けろ」「ええ……」


 下によっつのでっぱりがある。描き終えたようだ。


「アキラ」

「はい」

「これはなんだ?」「ぶふッ!」

「だからッエレファントですよッ! えれふぁんと! 言ったじゃないですかッ下手だってッ」


 もう神主がひゅうひゅう言って笑いを堪えているのにアキラ猫は耳まで真っ赤だ。虎までくっくっと声が出る。


「地球のエレファントはこんななのか? こんなのがいるのか?」

「いるんですって!」

「床下に?」「はあッ?」

「いやもうやめてロイ傷が。傷が痛いあっはっははは」


=なんでそんなに小さく描くんだ。ネズミぐらいにしか見えんぞ=


「かたちが分かればいいじゃんかッ。だったらウマ描きます! ウマ!」

馬種ホースか?」

「そうですよッ! そんなこれっくらいちゃっちゃっと……えっと」

「いきなり遅いな」「ぶはッははは」

「ああもうッ! 気が散るから!」


「……なに遊んでるんです、みんな忙しいのに」

「ごはんですよー。あ。アキラさん猫だー」


 大人たちが部屋で騒いでいるところにフランとシェリーが廊下から覗いてきた。呆れるフランの横で、シェリーが持ってた茶碗を箸でちんちんと鳴らす。笑いながら神主がたしなめた。


「こらこら行儀悪いでしょシェリー、あはは痛たた」

「はーい」

「食事、こっちにお持ちしますか?」


「いや、食堂に行こう。他のみんなは?」

「交代で食べてますよ」


 皆が立ち上がる。虎がロイに言う。


「そういや、そもそも俺を探してたんじゃないのか?」

「ああ。私の左手の件もあってグレイと話したんですが。——我々もそろそろ防御服プロトームを考えるべきではないか、と」


「あっはあ。なにこれえ?」

「ちょ、ちょっとシェリーちゃん」

「くっくく……あげるよそれシェリー」


 笑いながら言う神主に「ええ?」とアキラが答える間もなくシェリーが「やっはあ」と紙を持ってぱたぱたと廊下を走っていく。


=アキラ。=

(ええ……なんだよ)

=ちょっと気になることがある。訊いてみろ=

(うん?)

 

「防御服か、柄じゃねえんだがな」

「あんた自分を基準にしちゃダメだよイース。あの子らだってさ、着てた方がいいんじゃないのかい?」


 まだ少し笑いながらではあるが、神主が言う。「そうだな」と額を掻いて呟く虎の後ろから。


「えっと艦長」「うん?」

「その。ヴァン=セルトラの種族はなんですか?」


 猫のアキラがこめかみを押さえながら言うのは、おそらく中の声からの質問なのだろうか。虎が答えた。


「あいつは〝獅子種レオン〟だな」


=ふーむ。やっぱり種族名はそうなのか。では——=


「じゃあ、えっと。レオンはなんで〝レオン〟なんです?」

「うん?」

 

 廊下を歩きながら虎とロイが顔を見合わせる。ロイは首を捻った。虎も。


「いや? なんでだろうな。あいつはクレセントだから獣の種族とは関係ないだろう。それとも関係あるのか?」

「いえ……了解です。うーん」

「おまえ人に戻ったほうがいいぞアキラ。帝国に隠身知られると……」

「あ、そうでした」


 アキラが頭を振ろうとして。

「ちょっと待て」「え?」


 虎が廊下で立ち止まったのだ。猫のアキラをじっと見る。一緒に止まったロイと神主は逆に怪訝な顔で虎を見た。


「どうしたんだいイース?」

「いや、なんでもない。戻っておけアキラ」


 また虎が歩き出すので、他の全員が不思議そうに互いに顔を見合わせる。廊下を進む虎は少しうなじを撫でて考えていた。


 既視感。なのだろうか。


 姿 と。



◆◇◆



 そんなわずかな休息の時間も掻き消えてしまうほどに、数日のうちに街の被害はあらわになって獣たちへと重くのしかかってきた。

 逆に、話を聞き取るごとに不明瞭となっていくのは、街が受けた攻撃の段階だ。まず第一弾として各地域での突然の爆発、そして兵士の侵攻。やがて上空からの砲撃までは話が通じるのだが、そのあとがどうにも想像がつかない。


 空から溶けた炎の玉が垂れてきた。

 そういう表現が最も近い。


 目撃談では、敵兵が搭乗した搬送車キャリアまで無差別に被弾したと言うのだ。事実、街には焼けて墜落した機体から黒焦げになった敵の死体も見つかっている。それは南の広場でも同じである。


「——あれはねイース、完全に異界の災厄だよ。意図された攻撃じゃない」


 神主はそう言う。少年フォレストンも同意見であった。ただ現場に居合わせた彼らですら、その災厄が途中から力を失うように枯れて、むしろ敵へと反射するが如く魚の群れのように天を飛び去って行った理由はわからない。

 理由を知るものはこの街にはいない。当の本人、カーナ=イルムートンすら覚えていないのだから。ただぼんやりと、街を守ったのは火炎豹クーガーの娘であることは、老婆キィエだけが感じていたのだ。


 街の被害は民間の死者が百数十名であるところまでは明らかになってきた。火を食らった被害者のいくらかは川に飛び込んで流されているからだ。もはや遺体の見つからない者もいる。


 蛇に対して説明を求める声は日に数度も街長まちおさダンカの元に届くため、結局一度は話をしなければならないとの結論の上、ウルファンド各地区の住人と会合が持たれることになった。場所は修繕中のゴンドラ街駅、その二階の集会広間である。



 街の住人代表、十数名ほどが早々に集まっていた広間はがやがやと騒がしく、獣たちの幾人かは、部屋の後方に視線を送って落ち着かない。


 人間がいるからだ。カーンの面々、マーガレットとフォレストン、そして兵士二人はすでに見知った顔ではあったが、加えてさらに四人。

 イングリッドと少女ソフィア、それに付き従う新たな兵隊である。一人は随分と体格のいい女兵士である。


「……あれって、帝国ガニオンの兵隊じゃないのか?」

「聞いてないのか? あのちっちゃい嬢ちゃんが魔法医師らしい。もう何人も治療してもらってるんだぜ」

「なんで? ウォーダーと帝国って、クリスタニアの件で険悪なんじゃないのか?」


 さらに幾人かの獣は気づくのだ。上座の親方タイジ、街長ダンカ、神主グレイ。そして蛇の艦長と、飛竜と、銀髪の青年。

 その飛竜の左腕に包帯が巻かれ、手首から先が失われている。かすかなざわめきは、神主の白衣から見える胸の包帯にも会話が及んでいるようだ。今回の戦闘がいかに熾烈なものであったかを窺わせるに十分であった。


「始めるかの、皆の者」


 ダンカの宣言と共に、まず始まったのは艦長の説明だ、が。あまりに情報が少ない。簡単に言えば敵の正体はまだ不明、この街を襲った理由も不明、ただ撃退ができたということだけが結論で、当然。


 納得はいかない。


「——何もわからないというのと同じじゃありませんか、艦長?」

「そうだ。調査はこれからになる」

「では、今後もこういう攻撃が起こり得るのかどうかに関しては」

「何も断言できない」


 ざわめきが一段と大きくなって。

 別のひとりが本質を訊く。


「仮に。仮にですよ。あなたたちがこの街からいなくなったら、もうウルファンドは襲われることはなくなる? なくならない?」


「どうとも言えない」

「いや! それでは困る! 対処できない!」

「そうだ! 説明になってない!」


 途端に声が大きくなった。収拾がつかない。部屋が騒然とする。ぎりっと牙を噛むタイジの親方をちらとダンカが「何も言うな」と目で諌めた。ここで怒鳴ったりしたら場が紛糾するばかりだ。


「あんたらが来てからじゃないかッ蛇の艦長ッ!」

「これまで何があったかわかってるでしょう! 祭りの騒動だって! その前もそうだ! あの暴風はなんだったんだ!」


「調査が終わり次第説明する」

「調査、調査ってなんの調査ですかッ! もう十分でしょう!」

「ずっと前から始まっていることじゃないんですか艦長!」

「あんたら一体、この街を何に巻き込んだんだ艦長ッ!」


 わあわあと叫ぶ街の者が声をやめない。だが。


「私が説明してもいいか」


 獣たちの誰よりも良く通る声が広間に響いたのだ。その圧がすべての者を一瞬で振り向かせた。目が点になってソフィアが見上げる。体を引いていたのは兵士たちも同じだ。


「あんたの説明は下手だ、虎の艦長」


 赤紫のミドルヘアーを垂らす胸元で腕を組む女史は、その細い身体のどこから出るのかはっきりとした声量で。いつものように左の顔をやや引いて右目で部屋の獣たちを見渡していた。


「私は帝国グランディル=ガニオンの帝都ルガニアからきたイングリッド=ファイアストン。魔導師だ。現在は帝国辺境本部の統括代行を任されている。彼らウォーダーには借りがあるから、今回はその借りを返しに来た」


「借り……」「いやだって帝国と蛇は」


「戦闘はしていない。蛇が辺境本部を襲ったのではない。蛇はクリスタニア辺境本部が敵に襲われた際に共に戦い、一度は全滅しかかったのだ。それも聞いていないのだろう?」


 また部屋全体がざわめく。


「敵の正体は私も知らない。だが目的は知っている。今、大陸全土の獣たちを皆殺しにするための計画が進行している」


 ざわめきが大きくなった。虎が慌てる。

「イングリッド。あんたそれは言い過ぎだ」


「言い過ぎなものか。——抗魔導線砲アンチ=マーガトロン。それが忌まわしい大量破壊兵器の名称だ。人間には一切の害を及ぼさず、獣だけを選択的に殺す魔導が秘密裡に開発されている。効果範囲は不明、子供も老人も無差別に殺害する。その実験機を無限機動ウォーダーは、全滅の危機を乗り越えて撃破した。今、彼らが調査しているのは、大陸にその魔導を拡散しようとしている張本人を探しているのだ」


 もはや声を出すものはいない。

 イングリッドの言葉だけが、部屋に響く。


「誰かが言ったな。何に巻き込んだのかと。私が答えよう。彼らも巻き込まれたのだ。彼らはこの事件に巻き込まれ、それでも今、必死で目に見えぬ敵を追っている。我々もそうだ。辺境の戦闘では兵士と民間人合わせて一千名弱の死者が出ている。だが、蛇が来なかったらクリスタニア市は全滅していただろう。ここはどうなのだ? そしてフィルモートンはどうなのだ? 私はこの街についてから、彼ら蛇が五千名の獣を救ったと聞いているが、それは嘘なのか?」


 ちらと。誰が言ったんだと虎が視線をやれば。神主が少し笑って指を振っていた。伏せ顔で虎がかすかに苦い顔をする。


「こうも言ったな。蛇が消えれば脅威はなくなるのか、と。それは順序が逆だ。重ねて言うが、すでに脅威が先にある。お前たち獣社会、その全体への攻撃が大陸で始まっているのだ。それに立ち向かうために、蛇とお前たちが今後も協力するのかしないのか」


 最後にもう一度見渡して。


「それは自由に決めるといい。私からは、これだけだ」


 イングリッドの話が終わった。

 完全に部屋が沈黙してしまったので。ロイは虎に軽く目配せをした。もう、これだけ話したのなら良いのではないですか? とでも言いたげだ。なので。


「——引き継ごう」


 虎が言う。


抗魔導線砲アンチ=マーガトロンに関しては、ここにいる乗組員のアキラが元素解析を完了している。じきに魔導は無効化される。それは約束しよう」


 横のアキラが真面目な顔はそのまま正面に向けたまま。

(約束しちゃったよこの人……)

=仕方がないな。急がねばいかん=


 逆に大きく息を吐くのはイングリッドだ。通常、不明な魔導の解析は少なくとも数ヶ月、下手すれば数年を要するはずなのだ。まさかこの短期間で、そこまで彼らが進んでいるとは。さらに虎が言うには。


「じつは首都リオネポリスの議会でも、それは発言してきた。ウルテリア=アルター国では抗魔導線砲の配備は見送られることになるだろう」


「あきれた」「ほんとだな」

 どれだけおせっかいなのか。呆れ顔のソフィアにイングリッドが呟いて笑う。


 逆に広間に座る獣たちは、すっかり毒気が抜けたように静まりかえって何も発言する者がいない。互いに顔を見合わせる者、顔を伏せて納得がいったように何度も頷く者、いろいろいる中で。やがて。


「虎の艦長」


 小さく声をあげたのは、老年の犬の獣人だ。やや塞がった目の奥よりじっとこちらを見つめながら。


「わたしら地に生きるものには分からぬことが多くあるのだと思う。だから言葉を選んでおったのも、今は納得しておる。大きすぎる出来事は抱えきれぬであろうと、おそらく気を遣っておったのだろうと思う」


 虎が頷き、聞いている。


「だが、わがままを言う。言って良いか?」

「かまわない」


 瞬間。老犬の目から涙がこぼれた。


「娘が死んだ。艦長」

「うん」


「私より先に死んだ。焼け死んでしまった」

「うん」


「わがままですまぬ。だが、数百人とか一千人とか分からんのだ。娘が死んだのだ。それが私に起こったすべてだったのだ虎の艦長」


 ただただ頷くイースの目が赤い。


「権利ではない。わかってくれ艦長。我々は知る権利があって責めたのではない。ここの皆は、家族に先立たれた我々は、どうあっても知らなければならなかったのだ。死んだ娘に、言って聞かせなければならなかったのだ」


 そして。老犬が頭を垂れる。


「これで死んだ娘に話せる。よく教えてくれた。ありがとう」


 合わせるように。それは虎だけでなく。

 前に座る全員が深く頭を下げた。伏せた頭で虎が言う。


「俺たちが必ず、決着をつける」


 アキラも。それは自然と。深く頭を下げたのだ。



◆◇◆



 散会は夕方であった。それからはおおむね言い争うこともなく、逆に今後不測の事態が起こった際にどのように街が動くべきか、これは若い獣たちが中心になって話し合いが行われた。

 経験の乏しい彼らに具体的な助言をしたのはカーンと帝国の兵士たちで、むしろ虎たちは聞く側に回り、数時間ののちに一通りの会議が終わって、獣たちはそれぞれの地区へと戻っていった。


 外へ出てみれば、もう西の崖から長い影がごおごおと落ちる滝の流れを暗くしている。水も森も変わることなく、北の街からかんかんと槌を打つ音があちこちから聞こえる。とっぷりと暗くなるまでは皆ずっと家屋の建て直しを続けているのだ。


 それはあちこちに梯子の垂れたゴンドラ駅の屋根も同じだ。数人の獣たちがこの時間まで補修作業を続けている。


 いつもならいくらかの雑談も交わすであろう面々は、しかし今は別れた。帝国の四人、カーンの四人、そして街の神主や親方、街長と離れて、虎と飛竜と青年の三人は少し手を振り駅の今は資材置き場となっている駐車場を南へと歩いていった。その先には大岩の広場があり、四機の貨物機動トランパーが停まっている。


 赤く染まる三人の背を、それぞれの組が、それぞれに見ていた。



 貨物機動の開け放たれた車両に思いおもいに陣取っていたのは残る蛇の面々だ。ケリーは未だに上半身を包帯で包んでいる。ダニー。サンディ。ノーマ。モニカとログがいる。そしてミネアとリリィは戻ってきた三人を迎えて。


「子供たちは宿坊で手伝ってる」

「そうか。先生は?」

「まだ治療中」


 虎が頷いた。そして。

 夕日に染まったミネアの顔を、じっと見る。


 いつのまに、こんなに大きくなったのだろうか。

 年頃の、雉虎の。頬の産毛がかすかに夕山風ゆうやまかぜで揺れている。


「どうしたの」


「いや。ウルファンドは陽が落ちるのが早いな」

「崖が高いから、しょうがないよ」

「そうだな」


 虎がそのまま横を通り過ぎて、貨物車両のコンテナの、真ん中に腰掛けた。ぐるりと乗組員の全員を見る。自然と虎を中心に、暗くなる荒地にそれぞれに。


「街の皆とは話をつけてきた。ここからは蛇の戦いだ」


 その蛇の全員に言う。


「俺らの戦う相手は、エメラネウスの狂獣、ヴァン=セルトラ。元ウォーダーの乗組員クルーだ」


 夕暮れが影を落とす。


「お前の母親イエナを殺した、お前の父親だ。ミネア」


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