第百二十九話 その呪文

 帝国の小型無限機動ベスパーは低燃費の浮上走行と、飛翔体としての空中飛行を切替え可能な機体である。

 ウルファンドの断崖に切り込まれた北西街道の下りに差し掛かってからは、道なりに走っていたその機体が徐々に地上から離れ、切り立つ両面の街道崖に挟まれる形で、ゆっくりと空へ向かって。


 視界がひらけた。崖を抜けた。だが。

 四人は言葉を失ってしまった。


 高空より見下ろす断崖の麓、街道から南へと連なる街並みのほぼすべてが、焼け落ちて未だにところどころからくすぶった白煙を空へと伸ばしている。建ち並ぶ木造家屋は火災によってその屋根も木壁も支えを失い崩れ落ち、残骸が道を覆わんばかりに溢れているのがこの距離からもわかる。

 川は流れていた。崖沿いの森林へごおごおと落ちる滝の溜まりから発するいくつもの川はそろそろの西日を反射して変わらず美しく、だが所々の橋は爆散したのか点々と立つ橋脚だけを残して跡形もない。


 奇跡の街クリスタニアと並び称されるほどの絶景であった「滝と水の街ウルファンド」は、戦禍によって焼き崩れていたのだ。


 浮かぶ機体の中より見るデイジーがぎゅうっと口を閉じたまま、みるみるその瞳に涙を溜めて、ばらっ、と。こぼして肩を震わせている。無理もないことだ。辺境の部隊はそもそもが東域治安が目的で、このような民間への直接的な暴力に若い彼らは耐性がない。そこは一般の人間と変わらない。

 運転する十一隊長もまた、眼下に広がる惨状を受け止め切れないのか疼く動悸が収まらない。呼吸を整えても整えても不自然に体が震える。おそろしい、という感覚なのだろうか。恐怖とは別の——無垢なものたちへ行われたこの非道の規模があまりに現実より乖離しすぎて——


「飛んでくるぞ、十一隊長」

「えっ?」


 後ろのイングリッドより声をかけられた隊長二人がフロントより見れば、それはカーキ色をしたモノローラの単機であった。遠目に、操縦席より長い金髪が揺らめいている。


 女史が訝しげに見る。狐だ。たしか蛇の軍にいた、あれは狐の女だ。

 完全にベスパーの正面につけたモノローラが滞空しながら、こちらを見る運転席の狐が左腕をあげた。手首の腕輪が陽に輝いている。


 イングリッドが言う。

「開放でいい。つないでくれ」


「は、はい」と答えてぱちぱち操作盤をいじる十一ひといちから「どうぞ」と返事を受けた女史が、まず声を出す。

 

「しばらくぶりだな。クリスタニアでは世話になった」

『——あなたは、帝都の炎術家?』

「そうだ。こちらは四人だ」

『なにしに来たの? 今、ここに』


「救援要請を受けたと巡回から報告があった」


 隣のソフィアが目を丸くする。そんな嘘を獣相手にイングリッドが即答したからだ。答えたイングリッドも少し目元を細くした。

 他に言いようがない。まさかウルファンドの街が焼け落ちているとは思わなかったのだ。ソフィアのノエルの呪文がどうこうなど、こんな状況で立ち話で言える内容でもない。


 悪い賭けではないはずだ。


「ソフィアを連れてきた。この子は治癒魔法が使える。なにか戦闘があったなら私が対処するつもりで来た。ベスビオを飛ばす時間はなかった。それとも人員が要ったか?」


『——なにを、そんなに言いつくろうの?』

「おまえの声がひりついているからだ、狐」


 少し、向こうのトーンが落ち着く。


『……今は、ベスビオなんか連れてきてもらったら困るわ。こっちが先導するからついてきて。少し遠回りする』

「了解だ」

 

 モノローラが緩やかにカウルを旋回させて、徐行を始めた。ぱち。と素早く通信を切って隊長二人がどおっと席へへたり込む。


 少女がちらと睨んで。

「危ない真似、やめて」

 イングリッドは苦笑した。

「上々ではなかったか? 獣はこわいな。しかし……」


 窓を見る。またその顔が曇る。

「なんということだ」





 道端で抱えられた赤ん坊が泣いている。抱えているのは親ではない。親の生死はわからない、ただ放り出されていた子を近場の者が抱え上げ、泣くに任せて。呆として焼け跡を見上げている。


 どうすればいいのか。みんな、わからない。


 フィルモートンの避難民五千人を受け入れた時も、暴風で街が被災した時も、彼らはなんとかやってきた。建て直し、植え直し、張り直して、それは鎮魂たまふりの祭りがすぐそこにあったからだ。ひとかたまりの想いは夜に花火が咲く頃には、ようやっと笑顔が布天蓋の下に溢れるほどには、街は復興していったのだ。


 すべてを足蹴にするかのような蹂躙であった。まして炎である。焼けて変色しはだけた木杭は炭となってやに臭い匂いが獣の鼻を弱くする。剥げた木板きいたれ曲がり割れて元いた場所には使い物にならない。


 その炎は油のようであったので、むしろまだ田畠でんばたは丸く焼けて残った苗の幾ばくが逞しくも無事ではあった、が、その面倒を見る者がいない。

 多く死んだのだ。獣の体毛は災いであった。巻かれて着いた火はなかなか消えず、しかも内の皮膚を溶かして内臓を焼いたのだ。


 軽症のものを除けば、火に巻かれて重症で唸るものは、そういない。内と外からの熱傷で速やかに命を失っていたからだ。街のあちこちで、生きた者が黙々と焦げた死骸を巻いている。それだけは、前の災禍に見られぬものであった。




「狙え。旗振れ。下、離れとけよッ!」


 断崖のゴンドラ駅、発着場の端からはるか下の街駅に向かって旗が振られる。今は切れてしまった崖と街を繋ぐワイヤーが片付けられて、進入路ぎりぎりに据え付けられていたのは魔導砲ビーキャノンだ。


「てえッ!」

 どおんッ! と音がして斜め下へと銛の付いた新しい紐が飛んでいく。しばらくの滑空の後、まだかろうじて形を留めている街駅の発着所へと、正確に銛が刺さった。数人が走って紐を解き、垂れ下がる滑車にゆわえる。


「よおし。あげろあげろ」


 一人が腕輪に声を出す。

「こっち拾いました。巻きます」

『了解だ、はりは大丈夫か? 緩めすぎるなよ』


 この距離だと紐でも風を受けて重い。張りすぎず緩めすぎずにだんだんと太くなり、やがて崖と街とで新しいワイヤーが引かれるのだろう。

 ただ下街駅はもはや外壁も天井もボロボロで、落ちたゴンドラの修復も時間がかかるだろう、当面は崖との行き来は、あまり数のない搬出車ポーターと、資材は数人乗りの籠車カーゴでやり取りすることになる。


 懸命に復旧を急いでいるのは、生き残った獣たちの中でも比較的若い者たちだ。理不尽な攻撃に牙を噛み締めながらも、彼らは与えられた作業を必死にこなしていた。ただ、それらの中でも、やはり思いの丈をぶつけるものたちもいるのだ。

 



「——今度はだめだ。街長。収まりがつかない」


 大滝の溜まりに近い、焼け残った公民館の大部屋で。街長まちおさダンカを含む統率者の面々に詰め寄るのは、各地区の若者衆である。


「街のみんなだって多少のことは聞いてる。前の暴風は避難民の受け入れのために仕方なかったって言い聞かせたんだ。祭りの時だって、あれは単に街の中で戦闘があった、ってだけなんだ。それはわかってる」


 簡易のテーブルについた老齢の長に向かって、各々おのおのが声を上げる。


「けど今回はダメだ。攻撃を受けたんだ。街が直接攻撃を受けたんですよ?」

「狙われたのは蛇の連中じゃない。外の連中でもない。俺たちが狙われたんだ。なんでなんですか? なんで俺たちが狙われるんです? しかも無差別だ。老人も子供も殺された。焼き殺されたんだ」


「わかっとる。調査はこれからじゃ」

「そうじゃないでしょう?」


 答えるダンカに、一人がテーブルの向こうからぐっと詰め寄った。


「ウルファンドが、蛇の拠点と見られて攻撃されたんじゃないんですか? 俺たちが蛇の仲間と見られて、それで攻撃してきたんじゃないですか?」

「いや今さらなに言ってんだてめえ」


 手で制しようとするダンカに構わず、隣に座る相変わらず姿勢の悪いタイジが髭を弾きながら言い放つ。


「こんなことが万に一つもないなんて目出度めでてえ頭でいたんじゃねえだろうな? 武装した勢力と足並あしなみ揃えるってのは、そういうことだぞ?」

「そんな……」


「結局今回も、追っ払ったのは蛇と連中の仲間じゃねえか。俺たちで、やれたか? はっきり言うがな、あの連中がいなけりゃ街の住人は、お前ら若いもんもみんなもっとひでえ目にあってたぞ。おまえらも、おまえらの家族も、嫁さんも、子供らもだ」


「焼かれて死ぬ分にはマシだって言うんですか!」

「誰がそんなこと言った調子に乗るんじゃねえッ!」

「やめんかタイジ。——若いの、今のは言い過ぎじゃ」


 苦虫を噛み潰した顔でタイジが黙る。吠えられた若者は俯いたままで。


「……ひどいもんです見ましたか? ただの火じゃないんだ。腹が焼け溶けて背中まで穴が空いてる死体だってある。焼けただれて、顔もなくなって……」


 涙を溜めたその顔が、もう一度首長らを睨んだ。


「あんな死に方するために生まれてきたわけじゃないんだ。誰だって。そうでしょうタイジさん!」





「声を出す者の間では、だいたい二組に分かれとるかのぉ」


 夕暮れの大岩の広場、今は四機の長い貨物軌道トランパーが岩山を中心に弓なりとなって停留している——四機のうち二機は操縦機構がまともに炎を受けて燃え上がり、もはや修理も無理ではないかというのがタイジの見立てであった——広大な空き地のそこかしこが、空から降った熱のしずくの焼け跡で痛々しい。


 ただ不思議なことなのか偶然なのか岩山そのものには、まったく焼けた形跡がない。機体のコンテナで隠された目立たぬ場所で、淡い橙色に染まった苔の山を見上げる面々は、街のものがタイジとダンカの二人、そして虎の艦長とアキラがいた。アキラは人の姿のままだ。


 老猫が続ける。


「ひと組は、これは出てくるとは思っておったんじゃが、もう蛇とは手を切って街から出て行ってもらうべきだと、な。声をあげているのは少数じゃが、黙っているものの中でも、今回のことで相当数はおるかもしれん」


 虎はなにも言わない。

 揺れるように数度小さく頷くのみだ。


「もちろんそんなつもりは毛頭ねえぞ」

「ありがとう親方。それで、もうひと組が厄介なんだろ?」

「まあな。出て行けってのよりマシかもしんねえがな」


「お主らの蛇に『乗せてくれ』と言ってくる面々がおる。血気にはやっておるのじゃ。あだを討ちたいとな」


「だめだ。断ってくれ街長」


「じゃろうなあ」と小さく呟くダンカに、虎が言う。


「これまでにもあった。戦禍受けた街じゃあ、よくあることなんだ。だが魔導の絡んだ戦争に、生身の兵隊は無駄死にだ。せめて軍用の防御服プロトームでも着込んでりゃあ少しは違うかもしらねえが、それでもな。自分で壁も張れねえ獣は、戦さ場に出るべきじゃない」


「よかろう。わかった。こちらで収めよう」

「頼む街長。——親方は、上は良かったのか?」


 虎の問いに、タイジが鼻の端をぱりぱりと指で掻いて。

 その指が止まる。


「俺あ口がりいから向かねえんだがな。ダンカ一人には切り盛り任せらんねえだろ。ボスが逝っちまったしな」

「そうだな、そうだ……ボッシュの具合は?」

「一命は、なんとかな」「そうか」


「神社の臨時診療所で、おめえんとこの先生に診てもらってる。ブロも一緒だ。あいつも脇腹を電撃で焼いちまってるからな、俺あ今から様子見に行くんだ。てめえも空いたらでいいから、どこかで顔出せイース」


 タイジがちらと上目に睨んだ。


「痕が残らねえか気にしてやがる。寂しそうだったぜ。こんな時ぐらい、気持ち汲んでやれ」


 虎の表情は、夕日に少し和らいだようで。


「わかった。後で会いに行くと伝えてくれ。アキラ」

「はい」


 それだけ言って、二人は大岩の向こう、南の小川へ向けて歩き始めた。

 後ろ姿を目で追うタイジが思う。船渠ドックに着いたダニーや蛇の面々からは、今日の話はおおまかに聞いていたのだ。

 首都リオネポリスへ乗り込んでの議会での発言、そして獣との戦闘。巨大な怪物を倒したのちに、あり得ない速度の竜脈移動ドライブで飛んできた。それが蛇の今日一日だ。


「頑丈な野郎だぜ」

 老鼠ろうその眉が少し下がる。

 




 大岩の裏側に広がる荒地は土手から下って一段低い。飛んで跨げる小川の向こう、雑草の覆い茂るその場所に、二台並んで無限機動が停まっている。ひとつはヴァルカン、もうひとつは帝国のベスパーである。ノーマのモノローラも着陸している。


 狐を除いて、その搭乗者たちはひと固まりになっていた。


「——O OLAMオラム ASTOアスト OLAMオラム TALISMATNAMタリスマトナム


 夕暮れに少女の声が響く。


 ヴァルカンの倒した助手席に寄り掛かるように寝かされたバクスターの、広い胸元にかざしたソフィアの両手がふわりと輝いた。光に混ざって黒い霧が兵士の胸、今は細かい光の流れが消えてしまった防御服プロトームから。


 湧き出る。やや離れて見ていたノーマが顔を曇らせた。空へと還る霧。あの黒い霧だ。幻界にいた化け鴉の吐く、そして神社ではモニカが過去から決別する瞬間、その全身から湧き上がった、あれだ。

 ざああっと宙へ流れて消える黒霧がだんだんと量を減らして、そして。弱々しく息を継いでいたバクスターの呼吸が収まり、次の瞬間。


 ふわあっと。その防御服に走る幾何学的な紋様に光が戻ったのだ。カーンの三人が目を丸くする。


「つ、点いたぞ。フォレストン」

「え? 服まで直ったのかあ?」


 ウイングドアを覗き込むように見ていたメグとフォレストンより、はあああっと安堵の息を吐いたのは運転席のフューザだった。たとえ傷が治ったとしても防御服の故障は、実質的な戦線離脱を意味するからだ。そして閉じていたバクスターの目が、ゆっくりと開いて。


「バクスター!」

「バクスターさん。よかった!」


 声をかけられて兵士が少し身を起こす。体を寄せる三人とは別に、少女がややドアから離れて言うのだ。


「しばらくは身体が痛みを覚えてる。でも治ってるから」


 不思議そうに胸を撫でてまだ少し痛そうにするバクスターと、周りの三人と。そのヴァルカンから離れたイングリッドとソフィアに、狐が声をかけた。


「手際のいいものね」

「そうでもない。制約、多いの。艦長さんは?」


 ノーマになんら物怖じせず答えるソフィアを遠目に、ベスパーの側に行儀良く立つ十一隊長とギャレットがひそひそと。


(あれって、あたしたちが戦った蛇の連中なんだよね?)

(うん……ちょっとおっかないけど、きれいなひとだなあ)

(は? この非常時にナニ言ってんだ?)

(いやおまえが話振ったじゃんかっ)


 ノーマが土手の方を振り返る。夕日になびく金髪が輝いている。


「もうそろそろかと思うんだけど……ああ。艦長」


 軽く手をあげる狐の視線の向こう、ちょうど大岩端の土手から大小ふたりがこちらに歩いてくるのが見える。西の陽が低いので影になってよく見えない。帝国の面々が目を凝らして。だが近づくに連れて。


「遅くなった。帝都ルガニアの炎術家は、この人か?」


 イングリッド=ファイアストンは、少しだけ驚いてしまった。


 噂に聞こえる〝蛇〟の艦長で、しかも虎の獣人である目前の獣は、たしかに通常の成人男性より隆々とした体格で、首も外套から覗く腕も、凶悪な獣の毛に覆われてはいたが。


 その風貌、威厳があるでもなく、粗野でもなく、傲慢でもなく。やたら冷徹にも聡明にも主張しない、なんというのだろうか、自然体で。

 イングリッドは、ふと思い出して。似ている。


「ウォーダー艦長、イース=ゴルドバンだ——どうした?」


 差し出した毛むくじゃらの手を掴んだイングリッドが少し目を伏せて。わずかに口元が緩む。そうだ。帝都で退屈しているはずのムーア導師に似ている。この二人は気が合うのだろうか?


「いや。ガニオン竜脈研究班、副主幹イングリッド=ファイアストンだ。クリスタニアの件は、あなたに言いそびれていた。街の救援には礼を言う。そして辺境の暴走は本当に申し訳なかった」

「こちらこそだ。治癒の魔法が使えるって連絡を受けた。少しでも助かる。その子か?」


 ちらと虎がソフィアを見る。頷いた少女は虎を見返す視線を、そのまま横の青年に移した。黒髪ではない、まだらの銀髪の青年だ。

 アキラがわずかに会釈する。頭の声は、沈黙したままだ。



 お互いの情報を簡単に交換する。


 本当に簡単なものだ、どちらもすべては語らなかったからだ。イース側からはウルファンドの街が急襲を受けたこと、街が燃やされ、襲ってきた敵は排除したこと、だが首都より急遽駆けつけたばかりなので、多くの情報は持ち得ていないこと、などだ。

 蛇の特殊な竜脈移動ドライブや、敵が獣王に関わっている恐れがあることまでは伝えていない。


 イングリッド側は、結局最初に話した救援要請の嘘を通すことにした。ノエルの呪文の件は、ここでは言わない。虎と狐は少し目配せをしたように感じたので、隠し事はバレてはいるのだろうと女史が思う、が。


 そこを押し切る。

「わかっていると思うが、ソフィアを使うなら時間がない」


「……知ってる。復活の減衰だろ?」


「そう。一通り伝える。早く決めて」

 左腕に杖を抱えた少女が、虎に向かって右手のひらを伸ばして、随分とぶっきらぼうに言う。まず人差し指を立てる。


「ひとつ。私は普通の魔法医師より魔力マナが多い。それでも今日から明日にかけて復活できる人数は、おそらく十二名は越えない。そして十二名の復活にすべての魔力を使うなら、怪我人は一人も治せない」


 指を二本にする。


「ふたつ。外傷の部位と複雑さによるけど。復活させる人間を一人減らせば瀕死ならおそらく二人、通常の怪我人は五、六人ほど治せる。それが交換。緊急の序列は?」


「わかってる。首・両腕・両足の大きすぎる欠損は治せない。だから首の飛んだ死体は欠格だ。頭が割れてるやつもダメだ。心の臓と肺は、どうなんだ?」


「状態による。復活させても脈動と呼吸が自力でできなければ失敗。内臓が失われたか大きく損傷した死体も最初から欠格にすべき。それと微傷でも重要器の深部のわかりづらい損傷は復活の率が格段に落ちる」

「了解だ」


 三本目。


「みっつ。その減衰の話。夜が明けた死体は再生率が減衰する。生きてた頃のことを覚えていない。記憶が消える。下手をしたら生き返らせても、まったくの別人として生きることになるかもしれない。だから誰を治して、誰を生き返らせるか、早く決めて」

 

 そして右手を下ろして。


「本来は生きてるものを先に治療すべき。階級も年齢も関係なく瀕死のものから治して、足りるなら復活に回すのが普通だけど。あなたたちが誰を優先するかは、私たちは知らない。でも夜第五時(地球時間:深夜二十三時)までに決めて。それまでに死んでしまいそうな獣がいたら、起こしてもらってもいい」


「起こす?」

「私は眠る。なるべく魔力を貯めておく。いい? 準備はすべて任せる」


 それだけ言って、今度は少女が虎からアキラの方を向くので。アキラが驚く。


「あ、あの?」

「聞いて」「はい。」


「死体は水でも気体でもいいけど緩力フーロンに浸けてあるはず。浸けてないなら今すぐやって。冷暗所をひとつ。狭いところはだめ。窓はない方がいいけど地下はだめ。窓があるなら外には誰も近づかないようにして」


 少女の指示に、ただアキラが頷く。


「灯りは自立の燭台がふたつでいい。あまり柔らかくない絨毯か敷物が欲しい。一度毎に替えるから人数分。机とか椅子はいらない。火星イグニスを抑えるためにグラッセル、風星エアリアを抑えるためにモルトバ、水星ハイドラを抑えるためにセンカ、大地星タイタニアを抑えるためにユクレイディアの葉を同量ずつ。全部その辺に生えてるから摘んでこうにして」


「撒き香、ですか?」

「誰かが知ってるわアキラくん、聞いてみて。他は全部覚えた?」

「覚えました」「さすがね」


 狐がちょっと笑う。少女は少し目を丸くした。


「準備はこちらでやろう。——彼を治した分は?」


 そう言って虎が、軽くヴァルカンの方を顎で指す。ちらと少女が振り向いて。また向き直った。


「計算に入れてない。だから眠るの。使った魔力を戻したいの」

「そうか。ありがとう」


 ソフィアがおかしそうな顔をする。


「もっと怖いかと思ってた」

「そうか? そんな怖がってる風にも見えないぜ。何かあったら連絡する。ノーマ、おまえはここで待機してくれ。——メグ!」


 カーンの四人に虎が叫ぶ。


「大滝の溜まりに救援の本部がある! 人が集まってるからすぐわかるはずだ! 話はつけてあるから東の通りから回って真っ直ぐ大滝まで無限機動そいつを乗りつけていい! 街のもんに手を貸してやってくれ!」


「わかった! 了解だ!」と遠くのマーガレットが叫ぶと同時に、カーンの面々がヴァルカンに搭乗するのが見えるが、もう辺りは薄暗くなってきた。虎がもう一度帝国の二人に向かって。


「始めよう。時間がない」

「では夜第五時に」

「ああ。行くぞアキラ」「はい」




 二人が土手を上がれば、すでにタイジとダンカの姿はない、ひと足先に神社に向かったのだろう。貨物の端に停めてあるロックバイクまで足早に歩きながら、振り向かずに虎が後ろのアキラに声を出した。


「まだは黙ったままか」

「はい」

「俺と喋る分には、かまわねえんだよな?」

「それは大丈夫です」


 アキラが淡々と答える。


——ノーマから帝国の到着を通信で聞いた、そのほぼ同時にアキラの頭の中で、唐突に声が沈黙したのだ。最初は戸惑ったが、すぐにレオンが駆けつけて「しーッ。しーッ」と言うので。聞けば「おまえたち喋ったらソフィアに見つかるぞ」と助言してくれた。


 たどたどしいレオンの説明では、どうやら帝国の面々の中に元クレセントがいて、その子が治癒系の魔法を使うらしいのだ。


 彼らの来訪の理由が明確でない以上、帝国からはアキラを隠しておくことが本来は得策なのだが、敢えて。知らせを受けた虎はしばし熟考したのちに、アキラをこの会合に連れてきた。


「誰が言ったんだったけな……時の流れは川の流れみたいなものでな、流れの急なところには何もかも集まってくるらしい。……今日はほんと、散々な日だぜ」


 それが虎の独り言なのかは、わからない。

 アキラはただ、ついていくだけだ。


「大陸中の治癒魔法には、帝国が鍵をかけちまってる。内情は知ってるなアキラ」


 虎の声にアキラが「はい」とだけ答えた。

 帝国黒騎士のノエルの呪文十三番〝死門クロージャ〟の件は、獣たちとの話の端々に出てきた情報だ。それはこの世界に来た当初から、アキラたちが感じていた疑問の答えでもあった。


 ざくざくと歩きながら虎が続ける。


「俺は別にそれで構わねえと思っていた。昔いろいろあってから、俺やテオ……カーンの伯爵は治癒系の魔法には関わらねえつもりでいたんだ。だがそうも言ってらんねえようだ。ウチの中じゃあ、モニカが単純な治癒の魔法を、昔ちょっとかじってたぐらいだ。他の連中も、その見よう見まねでしかねえ」


 アキラは何も答えない。もうだいぶ陽が暗くなってきた。


「まして復活の呪文なら、お目にかかるのは俺らの誰かが死んだときだ。本当ならな——これは、めったにねえことなんだ。俺の言ってることが、わかるなアキラ?」


 虎の背を見てアキラが言う。


「はい。自分が手に入れます」


 黒騎士の件があるなら盗んで使えるかどうかはわからない。そして少女は欠損には使えないと言った。だからロイの左手は明らかに、この呪文では治せない。


 それでも確かに。戦いは熾烈さを増している。

 今日という日で、アキラは痛いほど、それを思い知ったのだ。





 このことを伝えたのは、街の面々では街長ダンカ、タイジの親方、そして神主グレイの三人だけだ。蛇の中も知っているのはロイとログ、ノーマ、レオンぐらいしかいない。ダニーとケリーにすら話していない。

 開放された宿坊は臨時の北部診療所となっている。怪我人はほとんどが火傷で、看護師のチャコもエイモス医師に従って忙しく動き回っていた。

 離れの一室で、難しい顔をして意見したのはグレイだった。

 

「その子の言う通りだね。本当ならよほどのことがない限り、一人だって死者を復活させるべきじゃない。今生きてる怪我人を優先させるのがすじさイース。だって、どうやって選ぶんだい?」


「一切何も考慮せずに、緊急一号から順番だ」

「何人までさ」

「そこだ」「だろう?」


 軽く両手を合わせたグレイの、白衣の胸元から包帯が見える。彼もまた、負傷しているのだ。


「三人なら四人目、四人なら五人目。なぜそこで切った、なぜこの人は漏れた、ってなるさ。おおやけにしちまえばね。枠の取り合いになるんじゃないのかい」


「言い方はある。復活可能性の極めて高い死者だけを内密に厳選する。魔力が限られているなら、なおさらだ。バレたら、街のものには一切内緒で俺らが勝手に選んだことにしてくれ」


 虎が街の三人に目をやって。はっきりと言う。


「みんなには抱えさせねえ。蛇が選ぶ。人数も。相手もだ」

「おめえ一人で引っかぶるつもりかイース。今度こそなじられんぞ」


 睨む親方に、虎が少し笑った。


「——しばらくは、戻れないと思うしな。構わない」

「馬鹿野郎が。わかった。おめえらの知り合いだ、どう使うかはおめえらが決めろ。準備はやってやるから、ブロとボッシュに会ってけ」



 実際、虎とアキラはそこから特にすることも多くはなかったのだ。少女が指定した香草の調達はログが速やかに行ってくれたし、死者の緩力フーロンでの保存も、これは腐敗を防ぐためにちまたでは日常的に行われているものであった。


 虎はボッシュの状態を見て、エイモスと少し話した。本人に体力があるのが幸いして、予断は許さないが峠はなんとか越えたらしい。ほぼ火傷がないのも幸いしたが、外傷は凄惨なもので痕は大きく残るとのことだ。


「イ、イース」

「遅くなったな」


 簡易の寝間から起き上がった大猫のブロは、虎の胸にしがみついてわあわあと泣き出した。長くあふれる彼女のたてがみをかき分けて、虎の大きな腕がブロの首から肩いっぱいまで、しっかりと抱いて。泣くに任せて撫でてやる頃には夜第二時を回っていた。


 少しばかり苦労したのは死者の選定だ。


 子供たちみんなが寄り集まって、畳の安置所——アランの骸のそばで固まって眠っていたからだ。全員ろくに一日飯も食わずに、ただ昏々こんこんと眠っているばかりだった。

 虎たちはモニカとリリィに任せた。起こして少し眠そうにぐずる子供らを別室へと連れていく。あの分では本当に何も食わずに朝まで寝てしまうかもしれない。


 子供らだけではない、この安置所には並べられた亡骸に、いまだに呆然として付き添う家族らが、そこかしこに居るのだ。大部屋の風景を見ながら顎に手を当てる虎が誰ともなく言う。


「深夜に緩力フーロンの差し替えをする。そう言って一度みんな引き取ってもらおう」





 深夜、夜第五時。


 場所は神社より少し離れた、森の空き倉庫が選ばれた。がらんどうだ。燭台は二本立てられて灯が薄暗く、中心に並べられているのは四つの遺体であった。ログが黙々と、部屋のいくらかに立て膝で屈んで右手をかざす。ぼおっと。魔力マナの平たい塊が床すれすれに浮かんだ上に、刻んだ香草を乗せていく。


 線香のような煙は立つのに、なんの匂いもしない。

 あれが撒き香なのだろうか。アキラが思う。


 兵士たちは無限機動を守っているのだろうか、帝国はイングリッドとソフィアの二人だけがいる。少女は死体になんら恐れることなく、その脇にしゃがんでじっと死に顔を見つめているのみだ。女史は傍で見守っている。


 虎と、アキラと。そしてログが香を焚き終え、あとひとり。レオンが来ていた。どうせ居るのは知られているはずなのだ。赤毛の長い少年は、しゃがむソフィアを遠目に神妙な顔で黙っていた。

 そんなクレセントの少年に、ソフィアはちらと一瞥を投げ、また亡骸へと視線を下ろすだけで。


 レオンの沈黙には理由があった。いつになく、緊張している。


 死体は四つ。子供が三つ。若い女性が一つ。その中に、見知った顔があったからだ。もしリッキーが、キーンが、マーカスが、みんなが目を覚ましていたならば。きっとレオンと同じくここに並んでいたはずだ。


「これで全部?」と立ち上がって少女が言う。虎が答える。

「そうだ。いつでもいい」


 だが。


「だめ」

「なんだと?」

「欠格が混ざってる。減らすか、別の死体と替えて」


 少女の声が静かに響く。その宣言にログが振り返ると、レオンががくがくと震えているのがわかる。それは隣のアキラにもわかった。

 ソフィアが杖を右手に持ち替えて、その先の宝玉を降ろしていく。腕を組んだまま、イースは何も言わない。レオンの顔がみるみる青ざめて。


 なんて日だ。なんて日なんだ。

 アキラの眉間に深い皺が寄る。

 

 幻界で、人から蟲を外した。現実で、人を殺した。目の前で、何人も死んだ。生きた人を見て、死ぬ人を見た。あの鴉も。真っ黒な鴉。


 その日が終わろうとする夜に、まだこんなことが。

 降ろされたソフィアの杖が指した先に横たわるのは、少年アランの死体であった。


「早く替えて」


 アキラが目をぐっと閉じる。虎は腕を組んだまま、その様子を見て何も言わない。


 横から小さく、震えるレオンの声が聞こえたのだ。

「……ア、アキラ」



 だめだ。魂に、嘘がつけない。



=——お前の決断なら、私はかまわないアキラ。=


 レオンの瞳が丸くなってかすかに涙がこぼれた。

 杖を死体に降ろしたままで、銀髪の下からソフィアが上目でアキラを睨むのだ。その法衣が、少女の全身が、ゆらあっと発光している。


「そんなところにいたの」


 異変を察知したイングリッドが二人を見る。横たわるしかばねの向こうから、今度はアキラに向かって少女が杖を向けた。


「なにをこそこそ隠れていたの? やはりあなたが私の〝声律トーラ〟を無断で使った張本人?」


=何の濡れ衣か知らんが、まさか私を燻り出すために、その少年を欠格扱いにしたのなら許さんぞ、クレセントの少女よ=


「ふたりとも、やめるんだ。」


 虎が、アキラを見る。

 虎は、少し笑っていた。

 その声に、意志を感じたからだ。


「この子を欠格には、したくない。俺は何をすればいいか、教えてくれソフィア」


 アキラがはっきりと言った。

 そうだ。

 もう、川に流されたままの自分では、いたくないのだ。

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