第百二十六話 亡者の樹

 それは、一瞬であったのだ。

 フォレストン、グレイ、バクスターの。意識の隙間を縫って世界が描き変わっていた。


 気づけば風景は違う。あたりを見渡して、狼の神主が呟いた。

「これは……なんだ?」





 断崖船渠グランドックの洞穴に叫びが響く。


「お、おい。あれ。あれ蛇だ、親父さん、親方、親方ッ! ウォーダーッ! ウォーダーですぜ親方ッ!」


 最初にそれを見つけたのは、砲撃で転倒させた敵の搬送車キャリアに積まれていた兵たちを縛り上げる工房の獣たちだった。

 滝が開いた南側の、今はワイヤーも切れてゴンドラも落ちた駅の展望台から。望む空に走る竜脈を突き破って、鋼鉄の蛇がウルファンドの街をごおおと旋回する様が見えていたのだ。


 その腹部、格納庫あたりから小さな機体が五つ。二つはモノローラだろうか、残り三つはロックバイクに見える。発進した五機は降下して街の南へと向かっていく。


「蛇が助けに! 助けに来ましたぜ親方ッ!」


 叫ぶ獣たちの声に、洞穴に並んだ魔導砲ビーキャノンの陰で横たわるブロを介抱していたタイジが顔をあげ、外の見えない滝を見て、そしてまたブロと顔を見合わせた。また滝を見る。確かに。

 なにか水の向こうの空に旋回している巨大な影が見えるのだ。そのフォルムならひとでわかる、間違いない。


 蛇だ。ウォーダーだ。

「——なんで? どこで引っ返してきたんだ? 首都ポリスには行かなかったのか?」

 親方が呟いた、その瞬間。


『行きました』「うおッ」


 直接響いた声はダニーだ。親方とブロが同時に両手で頭を押さえる。周囲の獣たちも聞こえたのだろうか、洞穴の天井をきょろきょろと見回して。


「おめえどっから話してるダニー!」

『ウォーダーの中です。どうなってるんでしょうね。なぜ声が届くのか不明です、前にも同じことがありました。敵襲ですか親方?』


 混乱した顔でタイジが洞穴の天井に声を放つ。


「なんにもわかっちゃいねえ。街は、どうなってんだ。どこまでやられてんだ?」

『——見えないんですか?』


「こっちも襲われた。滝の中だ、なんにも見えてねえんだ、なんにもな」


——・——


 ダニーが動力室の計器盤簡易モニターに映る下界を見ながら、腕輪に呟く。

「燃えています。街中から煙が。ひどいありさまです」

 それだけ言って灰犬の眉根が軋んだ。


 同じ動力室にいるサンディとリンジーの二人も呆然として、こちらはテーブルに両手をついて映し出されたウルファンド全域地図のあちこちに点滅する光を見下ろしている。光は炎だ、まだ街は燃え続けているのだ。


 いつもはおどけたリンジーが、だが今は苦悶の表情で、ようやく腕輪に声を出す。


「……ミネア。モニカ。付近の水星ハイドラがいない。理由はわからない。貯水槽タンクの水を放出する。最短の消火ルートを管制室と主砲へ送信」


『了解』『あいよ、了解だ』

「リッキー、リザ。両翼全開。微速旋回するから伸縮管ベローズ両舷魔導錨サイドアンカーの射出口へ接続して——」


『リンジー? リッキー?』


 その声は。直接頭に聞こえて。リンジーの言葉が止まった。開いた口が、牙が、微かに震える。

 蛇の子らが、皆、固まってしまう。主砲管制室でも。子猫の四人がせわしなく動かしていた計器盤の両手を止めて。


 声に返したのはリッキーだ。

「……ルーシー?」


——・——


 燃える空に蛇が飛んでいる。帰ってきたのだ。

 声が聞こえる。どこからともなく。ほんの数日前に別れたばかりなのに、それはあまりに懐かしく、あまりにせつなく。


「リッキー。リッキーなの? リザ? みんないるの?」


 埃に汚れた長い髪をなびかせて。膝立ちになったルーシーが天を仰いだ。重くのしかかる雲へと声を放つのだ。こらえきれなくなって。

 

『ルーシー。みんなは——』

「リ、リッキー。リッキー。う、うわ、うわあ」


 彼女の嗚咽が青猫の声をさえぎる。

 会いたかったのに。聞きたかった声なのに。みんなそうだ。言いたくなかった。聞きたくは、なかった。

 

「アランが。アランが。リッキー。アランがッ! わあ、わあ、わあああああああああああッ!」


 焼ける煙が薄墨のように混ざってけぶる道の真ん中で。彼女の慟哭は空へ届き、黒猫が垂らした両の拳を握る。

 もはや動かぬ友人の包みを胸に抱えた片膝のマーカスが顔を伏せた。


——・——


 その叫びは蛇に届いた。

 開いたままの唇を震わせた青猫の瞳からばらあっと大粒の涙がこぼれた。


 管制室では、その声にリリィが髪を揺らして椅子にどさあっと沈み込んだ。眼前のモニタに大写しになった街は濛々もうもうと煙をあげている。


 ミネアが強く操縦桿を握り直す。

「……リッキー。ルート確認。旋回する。貯水槽タンクの第一層から伸縮管ベローズを接続」


 返事がない。ミネアがもう一度言う。

「リッキー。接続して。旋回する」


 青猫の右手がやっとパネルのダイヤルに届いた。震えている。そして答える。


伸縮管ベローズ、第一層に接続。散布開始。——ごめん。ごめんルーシー」


 また涙がこぼれて。それは他のみんなも同じく。

 リザが顔をくしゃくしゃにして泣き顔で棹を操作する。エリオットの右の拳はかつ、かつと計器盤を叩き続けた。流れる涙を拭くこともせずパメラが黙々とレバーを調節している。



 街に焼け出された獣たちが見た。塵にまみれた彼らが見た。

 

 災厄の雲の元を飛ぶ鋼鉄の蛇から一斉に。噴き出して霧となった水の膜が薄絹のように空へと広がって、その腹を輝かせる基底盤の緑光が、くすぶる家々の屋根を照らして通り過ぎていく。


『ごめん。おそくなってごめん。間に合わなくてごめん。ごめんな。今、消すから』


 鋼鉄の、黒光りするその長いながい胴体から聞こえてくるのは少年の声だ。降り注ぐ淡い水流が焦げ付いた民家の木壁へと染み込んで。


『今。助けるから。待ってて。待っててみんな。助けに来たんだ』


 声にミネアと、そして。涙声のリザも混ざって。


『二層接続。リザ』

『……了解。二層接続』


『もう少し、もう少しで助けるから。みんな助けるから』


 青猫の言葉が、街から見上げる獣たちの耳へと届く。声が届く。

 水流が増して一段と広がるその放水もまた、翼のようだ。

 焼けた街を蛇が飛ぶ。





 ウォーダーから発進した五つの機体、その先頭の二機はケリーとノーマのモノローラであった。赤紫に澱む空を降りながら下界を、狼と狐が訝しげに見る。呟いたのはケリーだ。


「……なんだ、あれは?」

 

 それはあまりに巨大な、透明の半球ドームだ。

 大滝の溜まりから東に伸びる大通りとゴンドラ駅の一部を含む、街の南へとずれた数区画の地域、距離にして数キロリーム四方ほどでもあるのだろうか、どのような構造物よりもはるかに大きいドームで覆われているのが空中から見て取れるのだ。


 追随する三台のロックバイクからも、そのドームは見えた。ロイの目にも映るその内側に見覚えのある連中——少年の導師と小型無限機動、そして兵士、もうひとりはグレイだ、街の神主がいる。

 奇妙なのは対峙しているのが、空からは単独の敵に見えた。それよりも、地上の彼らよりさらに西側に、まるで塔のような大きな木のような——


「これは、敵のしわざか?」

 バイクを駆る虎が呟くが。


「いえ、俺がやりました」

「そうなのか? なんだありゃあ」

「あの中だけを引っ張ってきてます」

 

 隣のバイクで答えたのは、降下の風に銀のまだらの体毛をなびかせた猫の獣人だ。虎が少し目をやれば同じくロイも彼を見て、言った。


「幻界だと? あの中が?」「はい」


 虎も呆れて笑う。

「おまえ、やることがだんだん突拍子も無くなっていくなアキラ」

 その言葉に、ハンドルから片手を離して猫が鼻を掻く。

「中は——どうなってるか自分でもわかりません」


「かまわねえ。突っ込むぞケリー、ノーマ」

「了解です」「わかったわ」

 五人の機体が一斉に速度を上げた。


——・——


「これは……なんだ?」と。狼の神主は呟く。

 フォレストンも周囲の景色と空を見て、呆然と固まっていた。


 そこは広大な河原であったのだ。


 河そのものは見えない。流れていない。ただ足元より延々と敷き詰められた石礫せきれきの類が丸く均一で粗くなく、砂漠でも荒野でもなく、己の感覚と記憶にある河原のほとりに似ているというだけで。

 ウルファンドは消えていた。遠くの街も、ゴンドラの駅も、道も区画も何もない。草はらの炎と煙すら消えて、ただ、断崖が残っていた。崖は乳白のもやにぼんやりと浮くようで、南へと延々と、延々と。おかしいくらいにどこまでも。


 流れる滝は絵画のようで、まったく音も聞こえない。

 

 空も白い。竜脈だけがぼおっと走った空はそれが白いのかあの災いの雲が白いのか、これもまた幼児が絵筆で何も考えずに塗っただけのようなかすかな光の濃淡だけが揺らいでいるだけで。


 距離感がない。広がりがわからない。

 そして、なによりも。

 対峙するバクスターとモーガンが戦いをやめたのも、その〝変異〟のせいだ。


 あれだけ黒々とそびえていた、たましいの木が白い。唐突に白い。そしてもはやぼんやりともしていない。

 無数に絡まった瓦礫のような、廃材のような、しかし目に慣れれば明らかに、遠くの彼らにも正体がわかるほどの覚えのあるもので。


 骨だ。


 うずたかく積まれて山となった骨の集まりであったのだ。それらが群れて、絡まって、がさがさとうごめいている。

 まるで——虫の群れのようで。

 そこまで思い至ったフォレストンが、はっとして地上を見遣みやる。狼も一緒であった。


 地に先ほど一斉に刺し降ろされた蟲たちの、鎌も真っ白に変わっていた。

 両腕がそのまま伸びて尖った骨の鎌だった。


 地を這う蠍の幻蟲だったものは六足となっていた。腕が二対四本、前脚が鎌で中脚は人の腕に似て手の骨が地を支え、後脚はそのものが筋肉のように一層太く折り畳まれている。

 もはや漆黒の甲殻はない。幹のような背骨から囲うように巻いて伸びる肋骨は人に似て、だが頭蓋が異常であった。後頭部にしなりのある一本の長い角が髪の束のように生えて。

 顎骨から見える歯には牙がある。なによりも。単眼なのだ。頭蓋の真ん中、ヒトより遥かに平坦な鼻腔の上にそこだけは真っ黒で何もない異様にでかい眼窩がぼっこりと空いている。


 群れなしてがぎがぎと牙を擦り鳴らすそれらの後方から。数匹もの骨を吹き飛ばして別の巨大な骨が立ち上がる。それもまた腕を鎌にした、蠍の数倍はありそうな——バクスターの目が軋む。あの立ち上がり方に、見覚えがある。


 ヤゴの幻蟲だ。クリスタニアの湖で蠍の後から湧き出た、あいつだ。


 肩から胸にかけて鎧のように広がった骨から伸びた鎌を折り広げて顎を突き出し威嚇するそれもまた巨大な単眼の穴を有し牙は一層長く太く、頭蓋から生えるツノは二本、後ろ向きに並んで垂れ下がっている。


 白いかたまりの、たましいの木よりざわざわと動く骨たちも重なり零れ落ちながら地上へと降りてくる、その数はいかほどか想像がつかない。


 蟲が、骸の怪物どもに化けた。それだけでおおかた、グレイはここが何なのか想像もついてきたのだが、あとひとつの異様がそこにある。


 鳥居だ。これがわからない。


 彼らと、蟲たちとから離れて。河原の南に巨大な鳥居が立っている。真っ赤だ。神社の鳥居をそのまま巨大化したようにでかく、赤い。鳥居の向こうには何もない、ただ忽然と。それだけが、この広大な世界の唯一の建造物である。


「——ひょっとして、ここは……幻界かあ?」


 脂汗を流すフォレストンが構えて広げる手のひらが輝いていく。臨戦の体勢に入っているのだ。つくづくこの少年は物怖じしない。神主が少し笑って。


「どうかね? だが、さっきの砲撃は、きっとだ」


 そう言った途端であった。

 そう思った途端であった。

 神主の言葉に、この世界が反応するように。


 なにひとつの予兆もなく突然に、彼らの後ろから複数の駆動音が聞こえたのだ。爆音だ。そして声が届く。


「グレイッ! 小僧ッ! 無事か!」


 聞こえた虎の叫びと同時に。ぎゃああああんッ! と二人の左右両側を二機のモノローラが低空で突き抜けて前に出る。滑空の爆風でつぶてが飛んだ。

 袖をひるがえすグレイが腕の向こうに見たのは、彼方でも砂塵を上げて一斉に突進を始めた六足の骨たちだ。神主が声を飛ばす。


「ケリーッ! ノーマッ! ボスを蟲に喰わせるなッ!」


 飛ぶケリーの鼻先がわずかにこちらを向いた気がする。そして銀狼が機体に立ち上がり右の逆手でハンドルを持ち直して。赤褐色のカウルが猛烈に鋸刃のように回転を始めた。


 横一帯となって河原の石を蹴り散らかし突進してくる骨の群れに、対峙したノーマは逆に中空でモノローラを急停止してホバリングのまま立ち上がり、胸の前に引き絞った両腕を思い切りぶわっと開く。黄金の髪が風に広がって。そのなに背負うように無数の光球が顕現する。


 叫んだ。

「燃やして艦長ッ!」


 フォレストンの横に虎のバイクが滑り込む。石と白煙が舞う。片足で機体の重量を軽々と止めて。少年は見た。虎は、でかい。その顔と身体を巻く右腕は外套の上からでもわかるほど膨らんだ肩の筋肉が音を立てて軋み上がって、一声。


「ぬうあッ!」


 振り抜いた。

 彼方に立ち上がる。なんという火力。もはやそれは地を斬る爆発だ。南から北へ一直線に走り抜いた爆轟に巻き込まれた骨たちがばらっばらに吹き飛ばされて、すぐ。猛烈な炎の壁が燃え上がる。

 フォレストンが愕然と目を丸くして。そして気づいた。自らの光る両手を見た。火星イグニスがいる。慌てて天を仰ぐ。水星ハイドラがいる。彼らは自由だ、誰にも支配されていない。そこかしこに、いるのだ。


 すかさず虎が右腕で指して吠える。

「そこの飛んでるのッ! 右手に回れッ! 抜けてくるぞ!」


 通信ではなく突然に頭に飛び込んできた声に、フューザが慌てる。

「と、飛んでるのって! くぉのッ!」

 半自動になっていたハンドルを思い切り倒す。


 無限機動ヴァルカンの機体がバクスターの背からさらに北へと空を滑った、その瞬間。虎の言葉通りに炎の壁を突き抜けて。焼かれて火達磨になった骨たちがこちらの河原に次々と飛び出してきたのだ。

 

 その焼ける頭蓋に緑光が映る。

「しッ!」

 縦に叩き降ろされたのはケリーのモノローラ、その銛のようなカウルだ。骨の頭が粉砕される。狼は縦に旋回する凶悪な円盤を片腕一本で切り回しながら次々に白の怪物どもを打ち砕いていく。


 ノーマが広げた両腕を同時に正面に振り切った。

「連撃ッ!」

 どどどどどどどおッ! と噴き上がった光球が白い尾を描いて敵へ飛ぶ。炎から飛び出した骨どもを撃ち落とす。

 さらにその北側に向かって。


「ええッ?」

 運転するフューザが素っ頓狂な声を上げた。

 いつもの硬質弾の連射ではなかったからだ。 

 

 ヴァルカンがガトリングから焼けた骨どもへ撃ち放ったのはまるで蛇の尾に付く旋回狙撃砲バッシュレイと酷似した白色の光弾である。さすがにフューザも見ればわかる、無属性だ。


 自ら大地星タイタニアの属性を解いているのだ。

「ヴァルカンッ! おいっ」


 そこにまたしても。別の声が頭に直接飛び込む。知った声だ。

「構いません! 幻界の蟲に大地星タイタニアは効かないッ!」

「え? え? トーノ君?」


 次のバイクはフォレストンと神主グレイの後方へ滑り込んだ。飛び降りてグレイに駆け寄る、その姿に狼が驚いた。

「ア、アキラちゃんか?」「しっ」

 今は猫の姿をしたアキラが口元に指を立てる。


「敵がいるなら人の姿は見せません。怪我してますね?」

 答えも聞かずに素早く。焦げた白衣の襟に手のひらを差し出して。かすかに触れるとグレイが「ぐッ」と呻いた。


=爆発による衝撃と熱傷だアキラ。鎮痛から行う。大地星五番。=


 ざあっと右から左に狼の胸を撫でて走るアキラの手のひらを追うように、三つの小さな光輪が不可思議な紋様を浮かばせて回転を始めた。


 いきなりやってきた応援に、帰ってきた元素星エレメントたちに。意識が追いつかないフォレストンはただ緩く口をあけて、神主の治療を始めた猫を見て。そこでやっと虎の艦長が少年に目をやる。


「——どうした小僧、お前も怪我か?」

 

「お、お前らなんで? どうやって?」

「飛んできたのさ、ありえねえ速さでな」

「はあっ?」


 今度はケリーの声が頭に響く。

「奥にでかいのがいる艦長ッ!」


 驚いて正面に向き直るフォレストンの横で未だバイクに跨ったままの虎が毛むくじゃらの右手を裏拳のまま、右頬のそばまで引き絞って。左の手刀を緩く伸ばして半身に構えて。


 一瞬、円が見えた。虎を斜めに囲うように見えた光環の周にぼぼぼうっと七つの赤い光の塊が連続して浮かぶ。


 確かに、炎の壁の向こうにそれを超えるほどの背丈を持った単眼の巨大な骨どもが三体、四体と立ち上がり牙を覗かせ呻いているのだ。

 虎が裏拳を揺らがせ強く握って引き絞るのは右胸で。七つの光がどおッ! と。でかい三つの光に変わる。

 

 鼓膜を割らんばかりの猛り声で。

「がらああッ!」「ぎゃっ。」

 

 引いた右腕を真っ直ぐ虎が突き抜いたと同時に。三発の砲弾が轟音を立てて発射された。フォレストンが両耳を押さえる。

 一直線に打ち出された光跡がぎゅん! と三叉に離れて。凄まじい爆発を起こして立ち上がった骨の化物を撃ち破る。粉砕された真っ白な骨片が宙に舞って飛び散っていく。


「お、おまえ! 馬鹿でッかい声でえッ!」

「次が来るぞ小僧」

「フォレストンだッ!」

「なんでもいいから手伝え。加勢しろッ!」


 虎がバイクの前面カウルを左手一本のハンドルで大きく立ち上げる。今一度引いた右腕の後ろにまたしても光球が旋回を始める。それは銃を構えた騎馬隊のようだ。基底盤の下に溜まる霞が渦を巻いて。


 少年が困惑するのだ。

「あれはなんだあ? 蟲なのかあ?」

「俺にはわからん。アキラに聞け」


 虎はそれだけ言って。後方カウルが激しく礫を噴き上げたと同時に猛烈に加速して、バイクが走り出した。置いていかれたフォレストンが、まだ口を開けたまま今度は、神主の手当てをする見慣れぬ獣人へと顔を向けて。


「……おまえって、おまえ、え?」

「ども」「いやその格好ッ!」


 痛みの引いてきた狼の神主は、目の前のアキラに問うのだ。

「あれは、蟲かい? ここは、どこなんだ?」


 アキラが狼と少年に、交互に視線を向けて。

「幻界です。あれは蟲です。蟲はこちらでは骨の形をしていて、ていうかあれがきっと本当の姿です。その、俺の……」

「君の?」


 ばぎばぎと木の折れるような音に三人が見れば、参戦して空中のバイクから爆炎を飛ばす虎の向こうでまた新たに。骨どもが集まり寄って重なって一つとなって。いくつかの巨大な骨の化け物となって立ち上がるのだ。


=そうだ。地球であれは蟲とは呼ばない=


 視線は遠くで切りなく湧き上がる骨の化け物たちと、そして。無限とも思える広大な河原の南にそびえ立つ赤い鳥居へと流れて。アキラの今は尖った鼻先に汗が垂れた。


「俺の世界では、ああいうのは亡者もうじゃと呼んでます」 

 


 五台目のバイクは河原の石にかすかな白煙を湧き上がらせて降り立った。コート状の軍服が駆動の風で緩く舞う。兵士バクスターの対峙する相手をロイが見た。


「なぜ象種エレファントがこんな東域にいる? 山脈を越えてきたのか?」

「気をつけてください、奴には魔法剣の類が効かない」


 声に少し視線を向けて、改めて敵を見れば。怪物の弩太どぶとい両腕の手首に奇妙な籠手が嵌まっている。回転式の刃だとロイが即座に察知してバイクから降りる。鱗の拳を二、三度握りしめて。


「奴の獲物はあの手首だけか?」

「あれは砲身にも」


 モーガンは、降りた新たな敵を明らかに警戒しているようだ。緩く腕を伸ばして鉄仮面の内側から伺うように見ている。

 逆にその所作から、ロイが相手を推し量って。


「砲身か、即座に俺を撃たないのは、では残量のせいか」

「え?」

「自前じゃない、石で仕込んだ魔力量ということだ。押し続ければ剣も効き始めるかもしれんぞ」

「確かに、奴の射撃は単撃です。そうか、そうですね」


 透明な大盾を構え直したバクスターの横で。同じく身構えるロイの身体が薄く、薄く輝いていく。飛竜の纏う壁は本当に薄い、が。

(——斬れないなら、俺には不利だな)

 飛竜が思う。風星エアリアの技は斬撃が主なのだ。拳を握り直す。



 同じく不利との言葉を声に出したのは神主だ。まだ痛む胸をさすりつつ。

「アキラちゃん、あれが蟲ならこちらは不利だ」


「……どうしてですか?」

「蛇の皆は強い。強いが魔導は励起で術を使う。肉弾型なんだ。ノーマの理術も限りがある。あれが蟲なら、いくら倒してもきりがない」


 グレイの言葉に。確かに。それは首都でもそうだった。蟲相手の戦いは、どこかで切り上げないと消耗戦になるのはアキラも理解していた。さらに狼が言う。


「法術が必要だ。あたしのような単騎の切り込み型の術士も、蟲には向かない」

「じゃあ、どんな?」

「封印か縛鎖ばくさ真言しんごんに込めた術が効くはずだ」


=〝縛鎖〟だと?=


 頭の声と同時に、アキラが目を丸くして。鮮明に思い出す。


——「この雲、たぶん法術だろ?」

  『こいつは〝縛鎖系〟の術だよ艦長』——


 まただ。また跳ね返った。

 夢とうつつが反射して。


——「幻界は、鏡だ。艦長。私は竜脈に、そう教わった」——


 牙の見える口を開けて、アキラが導師の少年を向いた。フォレストンもまた神主の声が聞こえていたのだろうか? 見開いたまなこの傍に汗が垂れて。だが。

 ぐっと口を閉じて少年が下に見る彼の両手のひらは光ったままだ。いるのだ。ここに火星と水星は共にいる。


 向こうでは魔導機を駆る獣たちが戦っている。次々に骨を打ち砕いて、弾き飛ばしている。猛威を振るう虎の爆発も立て続けに、それでも。新たな骨が地から伸び上がり固まってまたひとつ、ふたつと異形を成していくのがわかる。

 

 導師の瞳孔が引き締まる。

 彼もまた唐突に。遠い昔を思い出したからだ。


——いや。だってさあ、じいちゃん。火星と水星はさ、仲が悪いじゃないか?——


 なぜ、今になって。

 むしろなぜそれを、あの国境の沢では、思い出せなかったのか?


——そおだなあ。仲が悪いなあ。

  だろ? だから禁忌なんじゃないの。——


 森の木漏れ陽に照らされて。確かに、祖父は笑っていた。


——禁忌だなあ。でもなあジェイム、だれとだれが仲が悪くたって、それどころじゃない時だって、あるだろお?——


 骨のうごめく真っ白な、亡者の樹をフォレストンがぎしりと睨む。光る両手が上がって広がって。


 ぱあんッ! と。


 一瞬。その柏手かしわでの響きがすべてを飲み込んだように。骨どもが停まった。獣たちもそうだ。あろうことか、虎も狐も狼も。敵を前にして振り向いてしまったのだ。

 モーガンもそうだ。象の耳がはためいた。戦う者たちがすべて、それはまるで飛ぶ小型無限機動ヴァルカンですら、ガトリングの周期が停まったように。


 最も驚いたのはすぐ近くのアキラで。神主は思わず笑ってしまったのだ。「ははっ」と痛みを堪えて声が出た。


 モノローラの上で、素早くケリーが鼻先を天に向ける。真っ白な空に流れる元素星エレメントたちの動きが、ざわめいている。そして遠くの少年を見て。

「……あの、馬鹿ッ。またッ」

 虎の毛も。ぱりッとかすかに毛羽立った。だから。

「——さがれ。ケリー、ノーマッ! 距離を取れ!」

 そう叫んだのだ。


——なあ。ジェイム。覚えとけよお——


 思い出した祖父の笑顔に。フォレストンは泣きそうになる。

 あの沢では、こんな気持ちは、なかった。

 だから負けたのだろうか。俺は、やれなかったのだろうか。でも、あそこでやらなかったら、負けていなかったら。こうして、俺は、やろうとしただろうか?


 法衣が膨らむ。ゆらめく。

 柏手を合わせたままのフォレストンが全身から柔らかな魔力の流れを浮かばせて。あの沢の時よりはるかに、なだらかな気配に覆われた地の河原で、ぱち、ぱち、と。光が。電光が生き物のように跳ねる。


——世界になにが起きてほしいのか、言って聞かせるのが、魔導師の呪文なんだぞお。——


 幻界に叫ぶ。


樹雷衝オーバーフィールド=ライトニングッ!」


 それは強烈な稲妻の樹だ。正確に。

 耳をつんざく轟音とともに。

 白き骨の亡骸なきがらどもを無数の電光が異界の河原から縦に貫いて。


 あまりの眩しさに獣たちは目を眩ませた。それほどに。

 地より湧き上がる骨格の顎の根本からぶち抜いて頭蓋を一斉に木っ端微塵に破裂させて吹き飛ばす。

 立ち上がる巨大な骨もそうだ、その全身をいばらのように絡んだ雷光が尖った鎌の先まで輝かせて一瞬で粉々に割り飛ばして散らせて消える。


 骨の山はいくつもの雷撃がさかさに突き上がり、あちこちで弾けた白の欠片が吹き飛んだ。

 全身に電撃を走らせた骸骨どもががらがらと次々に、それこそ焼かれた虫の如くに山から崩れて落ちてきて。


 本当に一撃であったのだ。数秒でも、かかったのだろうか。

 幻界の骨たちが、沈黙してしまった。ぴくりとも動かない。


 からん、から、とどれかの頭蓋骨が白い骸の山を転がって落ちていく。



 まだごおごおと燃える壁の上で飛ぶ獣たちは、呆然として。言葉が出ない。それは地にある者たちも、同じく。なにより。


 当のフォレストンすら、同じく。

 あんぐりと口をあけて自らの魔導の結末を受け入れがたい。


「え……まじで一撃?」

 アキラが呟く。


 まだ呆けて口を開いたままのフォレストンの右の鼻の穴から、ついいと鼻血が一筋垂れて、下の唇からたっ。と。ふとももの法衣を汚した。


 その血の一滴が合図であったのだろうか?


 獣が。導師の少年が。アキラが。アキラは。初めてだ。初めて獣の云う〝全身の毛が逆立つ〟という感覚を、その瞬間に感じて。


=——あれは。=


 骨の化け物たちが沈黙してしまった、さかさの雷撃が起きた河原よりはるか遠くまで続く乳白に霞む崖の、空の上。


 南への断層に整列するように、ずうっと一直線に。ひし形の、黒い種子のような巨大な塊が浮いているのだ、絵のように。


 なかったはずのものだ。

 そしてひとつ。

 

 巨大な赤い鳥居のすぐ外に、それよりもでかい。漆黒の種子は中央から縦にぎざぎざに割れたひびわれが音も立てない。


 ゆっくりとひらく。


 ロックバイクで宙に浮いたままの虎が言う。

「……おまえかよ」


 種子の殻は翼であった。漆黒であった。その中からさらに種子のように黒光りする閉じて伏せた嘴の上に煌々と赤く光る目の、だが半面が焼けただれて。

 鳥居の外に巨大な鴉が翼を広げる、羽ばたくこともなく浮いたまま。


——・——


 あらかた街にゆらゆらと水を撒き終わった蛇の、その頭蓋が突然。

「ウォーダー?」

 操縦桿を握ったままのミネアが言う。効かなくなったのだ。


 蛇が、南を向いた。


 その先に、遠く中央の通りのまだ先に発現した巨大で透明なドームを睨むかのように、蛇がそちらを向いたのだ。


——・——


 地に降り立ちて見上げれば、その鳥はあまりにでかい。猫のアキラも他の者も言葉を失って。そこに。


 から、からから、と。


 気づいたのはモノローラで浮いたケリーだ。音の方向を見る。山だ。今はもはや沈黙した骨の山のちょうど中腹のあたりから、がらあっと。しゃれこうべが転がって。狼の瞳が丸くなる。


「艦長ッ!」


 叫びに呼応して山からばんッ!と勢いよく飛び出したのは、二体の黒い塊だ。


「貴様ら! 貴様らアッ!!」


 怒声とともに、霊化の双子が宙を飛ぶ。

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