第百二十一話 神主グレイ

 煙を巻き上げて川に風が吹く。

 グレイとキーンを乗せたぼろのロックバイクが異音を立てて走る。

 すれ違う多くの獣たちは、降った災いに混乱して逃げ惑っていた。


 神主の背にしがみつきながらキーンが不安げに見る火の柱は何本も、街に不規則に噴き上がっているのだ。所々、空に浮かぶ搬出車トラックらしき魔導機は、あれは敵なのだろうか?


 炎は一ヶ所から延焼しているのではなく。それは先ほどから。


「——まただ。」


 ハンドルを握るグレイが空を見る。リアに座るキーンも視線をやった。

 火煙ひけむりかげる薄暗い空を十でも流れているだろうか、真っ白な線を残す弾道が、また一つ、ふたつと街に落ちて。いくつか爆発が起こった。キーンが首を竦める。木屋根の破片が飛んだ。


 南から飛んでくるのだ。敵は南にいる。

 あれが街を燃やしているのだ。

 中央の大通りの向こう側だ。だとすれば。


「キーン」「な、なにっ」

「もう駅は燃やされてるかもしれない。通信機が使えそうになければ、君も早く避難するんだ。他の子らと合流しなさい」

「うん。グレイさんは?」


 わかってはいても、その背中にキーンが問いかける。ばたばたと灰色狼の袴とたてがみがはためいている。


「あれを飛ばしてるやつに会いに行く」


 いつもとは明らかに違う狼の静かな一言に、つかむ両腕の毛がぶわりと立ち上がった。匂いがわかるのだ。

 リアに乗るキーンが狼の背中から微かに滲み出てくる——それは波ひとつない沼のような、顔を近づけて覗きこんではいけないようなしんとした気を嗅いで。


 それでも一層、しがみつく。あやうき気配に自ら浸る。


 黒猫の心配を背中に感じてなお、狼は何も言わない。

 バイクをるグレイの視線は南の空から西に抜け、大滝の崖を捉えていた。船渠ドックからのゴンドラのワイヤーが切れているのだ。

 十中八九、駅は燃えている。だが万に一つでも通信機が生きているなら——


「北西に向けるんだ」「え?」

「アルターから助けは来ない。ウォーダーも間に合わない」

「ネブラザ、イルケア、クリスタニア?」

「そうだ」「帝国領だよ?」


「間に合うとすれば帝国ガニオンしかいない。いいね」

「わ、わかった」


 自ら行けたら行くのだろうが時間がない。あの爆撃を止めさせなければならない。確認はキーンに任せるしかない。狼の目が細くなる。バイクの速度が上がった。





 飛び交っては破裂する光弾のもとに屈み込んで、左手首のない水牛の肘に巻き込んだ止血の添え木を、若い獣がごりっと力任せに絞り込んで。上からもう一度強く縛って留めた。

 必死にボスの手当てをするその兵は、がちがちと歯の根が鳴るのが治まらない。彼らのすぐそこに横たわる仲間の死体は、ざっくりと綺麗に右半身を失っていた。


 敵に魔導師が、二人いる。それを思うだけで。

 むしろ手当する若者の方が、震えながら泣き出してしまう。


 ボスは顔に脂汗を噴き、落ちた左手の傷をぼおっと光らせ壁を張る。出血は止まるが痛みが消えるわけではない、それでも気丈に敵を睨みつけ、ぎっしりと縛られた巻き布の上から左腕を握りしめた。

 冷たい。凍っているほどに冷たい。

 何をされたのかは、わからない。水星ハイドラの技なのかも知れない。だが横をすり抜ける一瞬の気配もなかった。


 顕現自在フラッグマイン

 ならば一人は〝霊化〟した魔導師だ。


「こ、これでいい」「はい。ボス」

「泣くな。無理か?」


 若い獣は必死に首を振って涙を飛ばした。

 その頭をボスが残った右手でぐっと押さえつけて。

 

「み、身を伏せておけ。もっと、頭を低くしろ……お、俺は、突っ込む」

「え? ボ、ボス」


 屈む獣の耳に顔を寄せる。

 また近くの獣が撃たれて吹き飛んだ。時間がない。


「お、お前は出るな。ここに残れ。グレイが来る。あいつがき、来たら〝血と足跡は残した〟と、言うんだ」

「ち、血と、足跡」

「そうだ。ふ、ふたつだ。両方だ。いいな」


 涙の跡をつけた顔で見上げる若者の頭をもう一度、今度は切れた左腕で軽く押し込んで。ボスがおもむろに立ち上がる。右腕一本で魔導銃をがしゃりと鳴らして周りに叫んだ。


「死ねるやつッ! 三人来いッ! 三人以上は来るなッ!」



 上空を飛ぶ搬送車キャリアの基底盤から吹き下ろす風を受けながら、白猫の身体と外套のところどころから噴き上がる炎は。

 橙と青白に色を変えては煙を巻き上げ、だがどのようなわざなのかくすぶる匂いは確かにすれども一向に服も身体の体毛も焼けほどけていかない。


 呆気に取られる二、三の兵に檄を飛ばす。

「何見てんだ! 撃て! 牽制しろッ!」

「は、は、はいッ!」


 怒鳴りつけたクデンが改めて両腕からぼそぼそと湧く炎へなぞるように目をやり、舌打ちをした。湧いては消えるそれらに強い耐性でも持っているのだろうか、まったく苦痛の表情もない。


「ッ。なんだよこれ幻界の火か?」

「霊術士よ」「ごぎッ」


 白猫の右頬が膨らんで、口の形だけが象られる。ばくばくと動く。皮膚が引っ張られる。


「ここから北北西に直線十キロくらい。崖下の森あたりにへんてこな建物があるわ。見たこともない造り。なんなのあれ神殿ってやつかしら?」

「ぎぎぎ、ひ、引っめ」


「街の火を消した霊術士よ、変なおばあさん。でもねえ、あれじゃないわクデン。だって旅の者って言ったのよ」

「あ、ああ?」


「捕まえてもいいけどねえ。街のまもりじゃないわ。どこか他にいるはずよ、これくらいの街なら。あのお婆さんじゃないわ。捕まえる? 殺す? 今なら楽よ、胸を凍らせてきたから。死にかけてるわ」

「わ、わあッた、引っめって!」


 もう、と呟いた口型がやっと萎んで皮膚を解放する。ばあっと外套を翻して白猫が、浮かぶ搬送車キャリアの一台に叫ぶ。


「術者発見ッ! 北北西一万! 断崖下の神殿らしき建造物内だ! 手負いらしいから引き摺ってこいッ!」

『三隊了解。北北西一万。捕獲に向かいます』


 駆動音を激しくして機体が空へと動き出す。荷台に乗る兵たちが一斉に魔導銃の砲身を立ち上げてがしゃり。と鳴らした。

 命じたクデンは膨らんでいた右頬の毛をがりがりと痒そうに掻いている。


 ザーラの言う通りなのだ。いないはずがない。


 メイネマ姉妹の今回の任務は〝強者の捕縛〟である。即戦力になりそうな兵隊を連れてこいと指示を受けている。

 特にこの規模の街なら相応の力を持つ獣か、ひょっとしたら魔導師が守っているはずで、だが、まだそれらしい姿を見かけていない。


 ちら、と断崖の大滝に目をやる。

 ウルファンドは大きくふたつに街が分かれている。崖下に広がる居住区と、大滝の内側に隠れた断崖船渠グラン=ドック。してみると、モーガンを降ろした船渠側に主力がいるのだろうか?


「——くそッ、燃やし方が足りないか?」


 ネブラザのクオタスでは一番使えそうな敵がよりによって自ら蟲に変身してしまった。さすがに蟲憑きになってしまったものを連れ帰るわけにはいかない。蟲は本部でつけるのだ。


 遠く中央道路付近からひたすら反撃している敵兵に目をやる。さっき、あれらの一人がなにやら叫んだのだ。

 考えなしにザーラが斬り捨ててしまったが、あの辺の連中は拘束して連れ帰りたい。蟲をつければいい兵隊になる。


 そろそろ焦れているはずだ。奴らの頭越しに街を燃やせば、いいかげん抵抗よりも先に交渉をしてくるはずで——


 その時だ。数名。

「はっ?」

 クデンが呆れた声をあげる。


「うおおおおおッ!」

 雄叫びをあげて。向こうで立ち上がった敵が突撃してきたのだ。

 なんだ、結局馬鹿なのか? 魔導師二人に立ち向かってくるなんて。クデンの口元が引きるように笑う。


 果敢に突っ込んできたのはボス含めて四人の獣だ。猫二体、犬一体。それぞれ腕に覚えがあるのか銃身を両手で持ち抱え、全速で距離を詰めてくる。


 クデン側の弾道が低く変わった。足を狙っている。だが爆発する地面をジグザグに素早く避けながら、疾い。

 その中でも体躯のでかい水牛のボスが意外に引けを取らない。着弾を躱しながら、右手一本で抱える銃を振り下ろす。発砲する。クデンの二人ほど向こうの兵が直撃を受けて吹っ飛んだ。


 腕がいいのが、いるじゃないか。

 だが虚しいもんだよなあ、と。

 若い白猫の口の端が、また歪んだ。顔を巻くように大きく右腕を斜め左に振りかぶって。


 もうすぐそこまで見事に詰めてきた四人の獣たちに向かって、ただ魔導師クデンの腕が一瞬振り払われただけなのに。

 猛烈な四つの爆発が立て続けに起こって特攻した彼らが打ち返されたのだ。


 体の細い三体の若者は全身がひしゃげてあらぬ方向に手足が曲がって地に落ちる。血煙と土砂が舞う。


「ぐ……あッ」

 ボスのでかいツノの左が折れた。牙が飛ぶ。右手から魔導銃が銃身ごと吹き飛ぶ。爆風で身体に張った壁が粉々に砕けた。

 頑丈な肉体と、魔力に対応して身体に広がる防御壁。だが、獣も所詮しょせんそこまでなのだ。


 それ以上は、無理なのだ。魔導師に叶う術はない。

 特攻した街の自警団四人が地に斃れる。呆れて笑うクデンの牙がかちりと鳴った。





 狼のバイクを降りたキーンが、煙の上がるゴンドラ駅の駐車場に駆け込んで足を止めた。数人、倒れている。硬い岩盤で舗装された駐車場に爆発の跡があり、無惨に崩れたコンテナが荷を吐き出し、駅の入口は半分ほど壁を失っていた。


 血溜まりに伏して動かない獣たちは体の一部を失っている。凄惨な有様にキーンが目を逸らして、真っ直ぐ構内へと駆け込んだ。


 絶句する。

 ゴンドラは落ちていた。


 見慣れたいつものぴんと滝まで張っているはずのワイヤーがない。落ちて傾いた車体は降車場に嵌まり込んで窓ガラスのあちこちが砕け散っていた。

 あまりの光景に心音が急に激しく耳に届く。胸を押さえた黒猫が一階脇の壁に張り付いた小部屋に目をやる。


 あれが通信室のはずだ。だあっと駆け出して。

 ここでも崩れた荷を飛び越えて、小窓のついた鉄の開き戸を両手で引いた。鈍い金属音が構内に響く。思わず手を止め周囲を見た。誰もいない。


 息を吐いて部屋に飛び込むと、ものは散乱しているが通信盤は無事のようだ。動くか? うろ覚えの頭で必死に思い出しながら、計器の影にしゃがみ込んで。ぱちぱちとスイッチを入れていけば反応してランプがつく。

 盤から垂れ下がっていた片耳用のホーンを尖った耳に当て、ダイヤルを少しずつ捻っていく。グレイは北西を狙えと言っていた。どこかに、どこかに誰か。


 反応はないのか? ひたすら音を探る。

 その時であった。唐突に。


 があんッ! と猛烈な金属音が響いた。心臓が止まるほどに仰天したキーンが竦み上がって口元を押さえ一段と身を潜める。また音がする。聞こえる。

 誰かが鋼板の側壁を殴っているのだ。通信室のガラス窓から暗い構内を見渡せば、音は対面遠くの壁から聞こえてくるようで、がんッ! があんッ! とまた数度。そして。


 今度は奇妙な機械音が響いてきたのだ。

 まるで滝の工房で聞くような激しい旋盤の回転音が壁の向こうから聞こえてきて。


 それが凄まじい轟音に変わる。もうキーンはヘッドホンも手離して両手で口を押さえる。叫び声を止めるのに必死だ。微かに計器盤から頭だけ出して窓越しに遠くの壁を見る。

 火花が飛んでいる。もう間違いない、このゴンドラ駅の頑強な側壁を誰かが破ろうとしているのだ。口を押さえる両手が震えてくる。


 ほどなくその機械音が止んで、また数度壁を殴りつける音がしたかと思えば、遂に火花を飛ばした壁の向こうから外の明かりが漏れて鋼板が曲がり、外れた壁が自重で思い切り構内へと倒れ込む。

 埃が舞う。隠れて震えるキーンが凝視する。その横で計器からぶら下がったホーンがゆらゆらと揺れている。


 外の逆光に浮かぶシルエットは少年がこの街でかつて見たこともない巨体だ。だから一瞬でわかる。あれは敵だ。本能的にキーンが、身体に薄く張った壁を消した。限界まで縮こまって、少しずつ黒猫の体毛が薄く霞んで消えていく。


 かつて森を行軍していた時に学んだ簡易的な〝隠身〟の技術である。

 間に合っただろうか? あれの鼻はどのくらい効きが鋭いのか——


 だが。キーンが眉根を寄せた。


 徐々に逆光に慣れてくるキーンの目に、敵の顔面から長細い奇妙な影が三本伸びているのが映ったからだ。二本は鋭く尖って顔の両側に……牙だろうか? あんなボスのツノみたいに長い牙を持った獣がいるのか? そして。

 中心の一本はさらに長い。揺れている。あれは一体なんなのだろう? 鼻か? ゆらりと立ち上がったそれが軽く顔の周囲を旋回しているのが分かる。顔の両側に広がるのは、あれは耳なのか?


 敵は構内に足を踏み入れた。

 ずず、ずずと。ゆっくりと歩いて。ばしゃりと水音もする。したたる水滴の音がした。

 敵の全身が濡れている。光の加減で顔が見える。仮面? 鉄の反射が。顔全体を硬質の仮面が覆っているように見えて。


 ぐうっと。また思い切りキーンが口を押さえた。思わず叫びそうになったのだ。

 その敵は誰かを引きずっていたのだ。

 無造作に右腕を掴まれた黒い巨体。上半身が濡れた剛毛に包まれ、そのあちこちに深い傷があるのか、毛が剥げて赤黒い皮膚か、それも剥げて肉が見えているのか。


 工房のボッシュさんだ。


 ついにキーンは右手の甲を自ら噛む。歯の震えが止まらない。

 生きているのか死んでいるのか、ここからではわからない。


 よく知る相手が血だるまで意識なく引きずられている姿を見て。こんなに身体が抑えが効かぬほど震えるなんて。目に涙が滲んでくる。息が荒れる。だめだ。抑えないと見つかる。いよいよ肩を小さくする。


 敵がボッシュの右腕を離した。どさあと、また埃が舞う。それ以外に構内は静まり返って音がしない。だから微かにでも音を立ててはいけない。森で隠れるのは得意だった。いつもアランと競っていた。葉擦れの音すら立てないくらい気を遣うキーンは隠れるのが得意だった。


 でもこれほどの恐怖とともに隠身したことはない。

 探す仲間たちを木陰から伺うときは、笑いを堪えるのに必死だった。

 今は震えが止まらない。血が滲みそうになる程に手を噛む。


 さいわい通信室からは窓越しで、構内の焼けた入口に身を向ける敵の巨体を横から見ている。あれは何をしに、こんな駅の暗がりに乗り込んできたのか? 


 その時、怪物に不可解な現象が起こったのだ。

 キーンは見ていた。


 ボッシュを離し自然体で立つ敵の、筋肉で盛り上がった全身がふわりと輝いて、なにか薄い粘液質の——例えるなら粘度の高く設定された緩力フーロンで固定された水のような厚ぼったい透明の膜が、ずるり、と。皮が剥げ落ちていくように。


 あれは魔力マナだ。きっと障壁だ。。そんなはずはない。凝視するキーンが、しかし過去にそういう魔導があることを、どこかで聞いたような気がするのだ。


 四種……混合?


 思考に感覚を盗られていて何が起こったのか意識が追いつかなかった。

 揺れていたホーンのジャックが計器盤から抜けたと分かったキーンの視線が固まる。


 手は。動かなかった。

 かこんっ。と。

 床にぶつかった耳当てが跳ねたと同時に本能が少年の目を通信室の外へと振り仰がせる。が。


 敵もこちらを向いていたのだ。

 まるで機械仕掛けのように持ち上げた右の、前腕を包む分厚い籠手のような金属塊ががしゃあッ! と三つに開いて。


 構内に響き渡る猛烈な発射音がキーンを計器盤の下へとあり得ないほどの速さで潜り込ませた。敵の腕から撃ち出された三つの光弾が、駅の壁に二発、ガラス窓を破り破って通信室の側壁に一発突き刺さって一拍。

 それらが爆発を起こして小さな散弾が部屋中に跳ねる。交差する複雑な軌道が無数の穴を穿って電撃を放ったのだ。機械が弾け飛ぶ。瞬間的に火を放つ。


 すべては一瞬で。敵の籠手から発射の白煙がいまだ揺らめいたまま。

 爆発の残響が止んだ。

 敵は腕を振り下ろした。開いた籠手が元のように閉じた。しばし立ったままの怪物は、やがてその成果を確かめることもせずおもむろに倒れたボッシュの右腕をもう一度掴み上げて。


 またゆっくりと引き摺りながら、ゴンドラ駅の入口へと向かって歩き出した。その全身が再度うっすらと輝き出して、ぬるりと張り包むような膜が再生されていくのだ。



 構内に静けさが戻ってきた。

 出て行った怪物を追うようにボッシュの血が硬い床に跡を引いていた。


 まだばちばちと火花を残す計器盤の下でうずくまったキーンは啜り泣いていた。

 黒猫の姿に戻ったまま、両手で口を覆って涙を流していた。


 いかなる加護か跳ねた散弾は、少年の身体に当たらなかった。だがもう、見ないでもわかる。通信機は破壊されてしまったのだ。なすすべもなく、ただ少年は机の陰で啜り泣くばかりだった。





 外套をばさりと翻したクデンが吠える。

 遠くに思い切り声を飛ばす。右腕で敵を指す。

 

「おおいッ! まだやるのかおまえらッ!」


 いいかげん飽きた。悪い癖だ。この若い白猫は飽きっぽいのだ。勝つ術を持たない敵をじりじりとなぶり殺しにする趣味はないのだ。もっぱら足手まといになるような弱者を容赦無く殺すのも、これも飽きっぽいからだ。


 突然の大声に周囲の兵が銃撃をやめる。反抗する街の自警団も銃を構え直した。爆発に巻き込まれたボスら四人は立ち上がる気配がない。


「まだやるのか? 投降しないのか? 交渉しないのか? 馬鹿なのか? まだ勝てると思ってんのか? なあ? おまえらそれで、街を守ってるつもりか? 笑えねえぞ?」


 叫ぶクデンの首筋の毛が膨れてうふふふ、と声が溢れる。身体に潜ったザーラが笑っている。それを気にせずクデンがぐおっと外套を広げ両腕を上げて。

 一気に振り下ろした。周りの兵が伏せる。若猫の背中からまたしても空中に数リームでもあるだろうか、まるで骨だけのような魔力の羽根が伸び広がった。


「全力でやるぞッ! いいのか? おまえらがそうやってたかたかたかたか馬鹿みたいに撃ち返してくるばかりだったらもう纏めて街を吹っ飛ばしてやる! それでもやるのか? 続けるのか? ろくに守れてもいないくせに『命賭けてやってます』なんて格好ばかりいつまで続けるつもりだッ! ああッ!」


 自分で喋って激昂していく。これもクデンの癖なのだろうか。


「お・ま・え・らがッ! 本当にやんなきゃいけないのはなんだッ! 無駄死にすることか? 勝てない相手に無謀に立ち向かうことか? それで頭ン中考えるのやめてたかたかたかたか、たかたかたかたかくっだらねえよッ! そんなもんに付き合ってられるかよふざけんなよ吹っ飛ばすぞッ!」


 ろくな説得にもなっていないクデンの青い目がぎらついていく。この若い司令官は本当に交渉が下手だとばかりに周りで伏せた兵が首を振る。うふふ、うふふと首からザーラの笑い声も漏れる。


 だが、ふと。

「あら?」

 ザーラが気付いた。


 遠くの自警団が身を伏せる中央通りの広い道路を西から一台のロックバイクが駆けてきたのだ。高い駆動音がテールを滑らせて止まる。一人増えた。クデンも気付く。

「……お?」

 やっと話のわかる奴が来たのか? 明らかに他の獣たちと服装が違う——遠目に見えるそれは緩くひらつく祭儀の着物のようだ。


 崖から吹き下ろす風を受けて、グレイが跨ったバイクを降りて。

 南の敵を見据えている。数人の獣が声をかけた。


「グ、グレイさん」

「——ひょっとして、ボスは突っ込んだのかい?」

「はい。あの、血と足跡を」


 包帯を巻いた獣が答えて。その返事に狼が訝しそうに目をやった。


「血と、足跡?」

「は、はい。ふたつ残す、と」


 意味もわからず答える若者が灰色狼の表情を不思議そうに見る。グレイはまた敵の方を向いて鼻先を宙に留めたまま、じっと。その目に何を見ているのだろうか? 斃れてしまったボスを見ているのだろうか?


 一瞬。あまりに唐突に。

「グレイさんッ!」


 狼が駆け出したのだ。疾い。滑るように袴をなびかせ突っ込んでくる新しい敵にクデンの顎ががっくりと下がって。

 驚きと呆れが、やがて怒りに変わって全身が毛羽立っていく。こいつも同じかよふざけんなよ? と。


「もういいあの馬鹿撃ち殺せッ!」


 短気に叫ぶ司令官に慌てて兵らが発砲した。狙いが甘い。そして狼は素早い、さっきの四人の段ではない。凄まじい勢いで距離を詰めてくる、だが疾いだけで。


 やってることはまったく同じだ。

 だからくだらない。

 ろくに当たらず周囲の地面を穿つ銃撃をなんなく躱して走り込む狼に向かって、またしても。

「ううりゃあ吹っ飛べッ!」

 若い咆哮とともに振り払った右腕の先で、これもまた同じように。 


 

 猛烈な爆炎が狼の身体を薙ぎ払って。


 それが。

「——なッ?」


 


 クデンの瞳孔が丸くなる。吹き飛んだ神主が姿掻き消えていく。たいを低くして滑るように走る神主はもはや白猫のすぐ脇まで寄って。

 狼狽より本能が先んじたクデンが身を捩って右腕を、狼の首筋めがけて手刀で振り下ろした。


 。走り抜けた神主の姿が。消える。その瞬間。ツノの下からぎろりと見たのだ。はじめてクデンの毛が怒りとは別の感情で総毛立った。


 これはなんだ? 狼はどこだ?

 兵の叫びが聞こえた。「ぐあッ!」


 数人の兵が次々と。宙に跳ねて胸を上に浮いている。投げ飛ばされているのか? わあああと叫んで兵が撃つ。仲間に当たる。狼はどこだ? また浮き上がって落ちる。どさああっと。軽く吹き飛ばされているはずの倒れた連中が、しかし立てない。


 腰を。足を。押さえてあるいは抱え込んで悶え苦しんで。同士討ちは止まない。飛んできた光弾をクデンが伏せて避けた。目で追う。どこにいる?


 いた。

「つッえいッ!」

 真っ直ぐに火球を飛ばした。当たる。はずの。それが。

 だがとおり抜けたのだ。先の兵が吹き飛んだ。


 神主の姿はさっき吹き飛んだはずの敵側の、姿、消えていく。

 クデンが大声で吠えた。


「なんだこれは幻術士かッ! 霊術かッ!」


 狼狽える兵が見るのは体を低くして這い滑るように迫りくる神主で、もはや銃が間に合わずその鉄身を棍棒の如く振り下ろした。だがすり抜けて消える、狼が犬の兵士の姿になって。


 次の一瞬ですでに空を見ていた。重力でどおんと落ちた身体の格好で関節が脱臼する。激しい痛みが立ち上がらせてくれない。ぎゃああと太腿を押さえて転げ回る。


 目で追う神主が消える。しかも先ほど爆炎で吹き飛ばした四人の姿になって。だが当のボスたちの身体は先の地面に伏して倒れたままなのだ。


 もう混乱が止まない。また吹き飛んだ。また同士討ちをする。乱れる銃撃がやがて止んで銃身を構えながら激しく周囲を見回すだけになる兵隊たちを、白猫が一喝する。


「やめるなッ! 仲間を撃ってもいいから撃てッ!」

「は、なかなかぶっ壊れてるじゃないかお前さんは」


 すぐ後ろで聞こえたので。

「この霊術士がッ!」

 ごおっと腕を炎に包んで思い切りクデンが振り払えば、そこにいた神主の白衣をすり抜けて。


「霊術に見えるなら学びが足りない」

 神主の姿が。狼が。また水牛に変わる。

 そしてクデンが空を見た。何が起こったのか気付かなかった。

 

 まるで巻き手で捻るように低い位置から外套の背を斜めに撫で下ろしたグレイの頭上に弓形ゆみなりになった白猫が浮かんでいたのだ。


 気術〝空蝉ウツセミ〟。


 敵味方問わず、その場に残る魔力の跡を追って支配するまごうことなき気術のわざなのだ。残留の魔力なので元素星を使わない。よって属性が無い。相手を選ばない。

 

 思い切り地面に叩きつけられたクデンの右半身に激痛が走った。ぎゃあッと叫ぶ間もなく躊躇もなくその胸元を見下ろした灰色狼の神主がなびかせた白衣の袖から手刀を構えて。


 だが。

「シャアアアアアアアッ!」


 倒れたクデンの身体から。漆黒の布が巻き解けるように垂直に噴き上がった塊の先端に尖った爪の一撃を、神主もまた白衣を巻くように身体を捻って間一髪で擦り避けた。

 冷えた空気の匂いがする。宙に細かい氷が散っている。構え直したグレイの向こうで、飛び出した布がぶわりと開いて。


 身体のあちこちが小さな炎で焼けている、もう片方の白猫が。


「ああ! 熱い! 熱い! くそおおおアナタ気術ねそれ気術でしょおッ! 共鳴系? 気術に共鳴系ってのがあるのおッ!?」


 グレイの胸元で揺れた眼鏡がちゃりっと鳴った。左半身に身構えて。


「そんなとこに隠れてたのかい?」

「うるっさいッ!」


 一瞬。グレイが身を逸らしたのだ。空中に氷の膜が走る。ざあっと足を滑らせて狼が向き直した先に黒布が浮かんでまた猫が現れる。ぎぬるうっと瞳を剥いて。


「なんで避けるの? なんで? なんで二人も顕現自在フラッグマインを避けられる奴がいるのッ!」

「教えられないねえ」「はあああッ?」


 浅く答えるグレイの鼻は、しかし。またこちらに走る〝血の匂い〟を捉えた。先んじて匂いが走る。ボスの血だ。また身を捩った。ぱしいっと氷の壁が宙に走る。

 血と、魔力。ボスが残した二つの跡が魔導師二人を翻弄する。だが。


 また氷の先に姿を現した雌の白猫がげらげらと笑う。

「そうやって逃げ回るだけ? ねえ? あははっはははッ! だったら疲れて果てるまで巻きついてあげるわッ!」

「どうかね、そううまくいくかね」


 対峙するザーラと神主を、腰から足の太腿に走る激痛を堪えながらまだ立てないクデンが、それでも睨む視線の下で口元がく、く、くと笑っている。


 こいつだ。本命だ。

 こいつがこの街の〝まもり〟だ。

 白兵戦の達人だ。


 こいつを捕まえれば。連れ帰れば。痛みよりも先にもはや成果を想像するクデンが牙を剥き出して笑うのだ。





 身体の冷えが治らない。まだ意識が戻らずに呼吸を荒くするだけのキィエの胸を、服の上から懸命にカーナがさすってやる。その目には涙が滲んだままだ。

 これ以上どうしていいのかわからない。先ほど聞こえていた声は沈黙したままだ。今の神社には誰もいない。誰も頼れない。


 先程の呪文が効いたのか、キィエの腕の傷は消えていた。だがこのまま自分が看ていて老婆の状態が良くなるとは思えない。いっそ誰かを呼びに下まで駈けるべきか、燃えている街のどこに助けを求めたらいいのか?

 ついこの間までヒトの少女だったカーナには経験も知識も覚束ない。もう一度、もう一度さっきの声がなにか応えてくれたら——


 焦りで思いも纏まらない彼女は、あろうことかその音に気付くのが、遅れてしまったのだ。


 ぶおおおおっと風が宿坊の縁側まで吹き込んできた。はっとして顔をあげる。境内の広場を見る。顔の毛が、ざあっと立ち上がっていく。


 巨大な搬出車キャリアが広場の空中に浮遊して。

 ばらばらと兵士たちが降りてくるのが目に映ったからだ。

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