第百十五話 首都 それぞれの攻防

『竜脈到達! ——時間が早過ぎる、なんだこれはッ!』

 ダニーが狼狽する。蛇の艦内に響く。

 らしからぬ声色こわいろに、子供らもスピーカーに目をやった。



 首都リオネポリスの空、北西から南東へと突っ切った細長い竜雲を駆け抜けるように。山稜のはるか彼方から獣の咆哮にも似た発生音を轟かせた光の洪水が一直線に流れ込む。


 雲橋の真っ暗な底より光芒が突き抜け、山間やまあいから住宅地の屋根を、北西市街を、バイパスを。未だ爆煙たなびく高層ビル群へと。

 さまざまな光の糸や柱が降り注ぐ、その流れが。街と臨海を分かつ工業水路の国軍の頭上を通り過ぎた瞬間であった。


 竜雲の南側に。

 ありえないことだ。

「み、見ろッ!」


 どおっと脈の上流から溢れるように滝のように、真っ白な魔力マナが雲の端を越えて下界へと流れ出したのだ。


 仰天したのは兵士たちだ。頭上を巻いてアーチ状に降ってくるのだ。

 猛烈な勢いで河川敷へと到達して、撥ねて、液状に舞って。河へ向かって一気に蟲の大群を押し包む。


 呆気に取られ天から地上へ光の滝を追って首をやる将軍が、大きく振り向いたその先で。白髪の少年はロックバイクに跨ったまま両腕を空へと掲げていた。

「なにやってんだお前ッ」

「ほんッとに。何やってんでしょうね!」

 きらきらと汗を浮かべた少年が歯をぎっと食いしばったまま笑って。その手を振り下ろしたのだ。


「押し流せ!」

 アルトの命令に、輝く波が蟲を襲う。


 河原を洗い、だだっ広い河の表面へ流れ込み、水面を伝って膨大な量を維持したままどおんっ! と対岸で光が撥ねた。黒い群れを飲み込んで向こう岸まで。砲撃で破壊された工場の壁を乗り越えて埋めていく。


 あちこちで聞こえるのは断末魔なのか、蟲の甲羅と鎌が流されて追いやられて。光に包まれぼろぼろに、砂に還るが如くに粒となって散っていく。


 それに気づいた兵士たちが一層錯乱して「溶けるぞッ!」と一斉にモノローラを退避させるが零れ落ちる光に巻き込まれた数機が仰天したまま、しかし何も起こらない。


 波に次々と飲み込まれる兵士たちの身に、際立った変化は起こらない。身体を固まらせた彼らのヘルメットに、また声が響いた。


『皆さんに、害はありません。』


 恐るおそる目を開く。身体と魔導機が光に包まれた兵士らは河川敷を見る。

 もはや濁流となって蟲の群れを押し流す光の洪水は、工業地を飲み込んで南へと突き進んでいくようだ。大剣を掴み下ろしたままの将軍の手も所在なく、追いやられる群れを呆然と見るのだ。





 光の洪水は臨海の、網目のような道路を流れて進んでいく。どおと溢れる輝きに溺れる塊たちは身体のテカリがぶすぶすとくすんで穴が空いて、その形が崩折れて、光から突き出て暴れる無数の鎌や脚が南へ南へと押し流される。

 

 海へ吹く風にたてがみを揺らめかせながら。北の竜脈から溢れた光の滝が、地上を煌めかせて木の根のように流れ込んでいくのを遠景で捉えていたケリーはバイクの上で言葉も出ない。こんな現象は見たことがない。

 やがて十七番地区の道路へも、彼らの飛ぶ眼下へも波が到達して、蟲たちを飲み込んで、その瞬間。


「うああッ!」

 声に驚いて狼が振り向く。ノーマが叫んだのだ。がくんッ! と右腕が一段と引きちぎられそうに圧がかかったからだ。


 旋回する聖文ヒエラルの竜巻が急に輝きを増している。流れ込んだ純白の魔力が吸い上げられて凄まじい光を放って塔を巻き上げる内側で。外壁の真っ黒な粘体から人型の影が幾つも幾つも伸びて千切れて天へと。


 肉が削ぎ落とされて骨が見えてくる様に似て、その鉄とコンクリでぎゅうぎゅうに絞られた内壁が露わになって。がりいっと牙を噛んだノーマの目が見開いた。瞳に映ったのは光点だ、強烈な赤の光点。


「ケリーあそこ! 地上から25ッ!」


 叫びに狼の鼻先が仰いで塔を睨み据えて。持っていた魔光剣の柄を一振りすればびゅうと剣先が消えた。肩越しに後ろも見ずに渡すその柄を老人が素早く受け取る。

「掴まっとけ爺さん」「あいよ」


 左手一本でハンドルを握りしめたまま、顔の横で数回手のひらをごりごりと開いて閉じて。そして拳に構えて。ケリーが息を吸い込む。胸筋が膨らむ。





 部屋の内壁に異常が生じた。生温なまぬるく澱んでいたはずの粘っこい壁に無数の小さなひびが入り、乾燥して剥げて落ち始めたからだ。

 はっ、はっ、はっ、はっ。と。口から途切れ途切れの煙を吐くクロウの顔はこの数時間で何年も歳を食ったかの如く深い皺が刻まれて。暗く落ち窪んだ眼がびっしりと鬱血している。


 もう、無理だ。と。魂は理解しているようで。


 骸骨も、塔も、喚び出した蟲たちも。保たない。そう感じる。

 なぜだ? あの獣どもが来た途端、なぜこうも脆くにすべての計画が台無しにされる? だが今ならまだ。蛇ごと工業地帯だけは吹き飛ばせるだろう。獣もまとめて。しかし、それでは自分も——


 勝っても死んでしまえば意味がないのか?

 生きても負けてしまえば意味がないのか?

 そもそも。

「どうして、俺は。こんなことを……」


 背中の影が呟く。


——無稽むけいの晩節にい付く掌の未練を棄つるべき——


「そ、うだ。きらめきだ。こ、ここにきて……」


——幻界に煌めきが待つ——


「やめられるか? そんなわけに、いくか?」

 クロウの手が盤を操作する。震える指先にも黒煙が巻く。かたかたと動く指の下で、パネルに映る工業地区の配管図が一段と赤みを増していくのだ。





 あの馬鹿ども二人はどこに行ってしまったのだ?


 次々と開ける棚の引き出しから無造作に書類を鞄へと詰め込みながらディボ=バルフォントが苦虫を噛み潰す。役立たずどもだ。昔から知っている。役に立たない人間というのは大事の時にいなくなる。今がそうだ。


「パパ? パパは? おじいちゃん」

「クロウさんは、あの人たちは?」

「いいから早く荷物をまとめろ。しばらく街を離れる」


 娘と孫が不安そうに身支度をする執務室の、開け放たれたテラスからは街のサイレンがひっきりなしに聞こえてくる。未だ煙が立ち上る臨海の工業地帯では獣の蛇が何か騒ぎを起こしたらしい。


 街へ来て早々だ、なんだというのだ? まさかあの虎は抗魔導線砲アンチ=マーガトロン在処ありかを見つけて実力行使に出たのか? そこまで考えなしの男には見えなかったが、どのみち獣だ、何をしだすかわかったもんじゃない。


 国軍の無線には三十番台魔導炉の言葉も混ざっていた、バルフォントは聞き逃さなかった。こういう時は姿を隠すに限るのだ、こういう時の嗅覚は——

わしは獣に引けはとらん」「え?」

「なんでもない、準備はできたのか?」


 は、はいと再びしゃがんで孫の身を整える娘の肩を見ながらディボは思う。あの馬鹿な娘婿ダニエルはこの際どうでもいい、が。クロウはどこに行ったのだ。まさか魔導炉に行ったのか? それとも十七番地区か? 魔導送配管本部に向かったのか?


 魔力横流しの証拠隠滅に動いたのなら少しは褒めてやるところだが、と。しわくちゃの口元が苦笑するディボはまだ、事件の真相を何も知らない。



 中央行政塔の構造は高層ホテルのような二重構造になっている。

 評議員や行政官が行き来する絨毯敷のメインフロアのあちこちに鉄扉があって、壁の裏側に警備用の詰所やバックヤードが隠れている。二層になった裏の昇降階段には、ひたすら駆け降りるダニエルの姿があった。


 上等な背広にだらっだらの汗をかきながら数段まとめて飛び降りていく彼の行き先は地下の魔導機駐車場である。妻子と強権ある義父とを放っといたまま、この行政塔を抜け出そうとしていたのだ。


「冗談じゃないッ。なんの連絡もなしに仕掛けたのかあの馬鹿ッ!」


 ダニエルはまだファットジャン=パダー率いるピエール=インダストリアの面々が獣にたおされたことを知らない。やたらと街中を保安隊のモノローラが飛び回っているのを怪訝に思っていた矢先の、あの爆発騒ぎだ。


 ふざっけんなよ。と悪態をつく。どうやら義父は街を出る腹らしい。一旦街での悪事は手仕舞いする気なのだ。急にそんなことを言われても、こちらの準備は何もできていない。だから飛び出してきた。


 そもそも抗魔導線砲アンチ=マーガトロンの検体用に獣を手配する過程で付き合うようになったピエール=インダストリアは愛玩用の獣も売り買いしていたが、ダニエルは全くもって食指が動かなかったのだ。


 獣の少女を飼うには、その凶暴な牙や爪を折って抜いて傷物にして、かつ強靭な筋肉を鎖や魔導で縛り付けなければならない。少女特有のせっかくの上等な産毛が血で汚れてがさがさに固まるのだ、パダーのような嗜虐嗜好を持ち合わせないダニエルにとって、そこまでやって飼育するほどの代物でもなかった。


 だが、魔術と蟲を知ってから、彼は変わった。


 下顎の付け根のあたりから小石状の尖った種を埋め込むだけでいいのだ。それだけでいい。獣も人も、意識と思考をそのままに運動と感覚だけを支配することができる。素晴らしい出来栄えだ。


 最初は、まだあどけない顔をした獣の少女がぐすぐす泣いて自ら着ている服を剥ぎ捨てていくのを馬鹿みたいに呆けて見ていた。泣き止めと言えば泣き止む。口を開けろと言えば開く。


 透明の唾液に濡れた唇と噛まれればひとたまりもないはずの牙先の奥から覗く薄桃色の舌先が、まだ涙で喉と胸をひっくひっくとしゃくり上げながら命じるままに、そこだけ男を悦ばせる別の生き物のように艶かしく自在に動く様を見て、彼は変わった。


 階段を飛び降りる足が速まる。動悸が激しいが構わない。


 内股の全体へ這うように染み込んでくる快感に。漏れる喘ぎ声を必死で噛みこらえて涙目で、虚しくあらがいながら汗ばんだ産毛がしなり付く下腹のさらに下を、横たわるダニエルに跨ったままひたすら回して回して挿し入れする娘を、数人ほど飼うようになって。


 取り憑いた蟲に噛むことも爪を立てることも禁じられた少女たちは神経の端まで弄られて、敏感になった全身はびくびくと跳ねて簡単に果てる。

 まだ繋がったまま激しく息継ぐように痙攣する尻肉を逃さず鷲掴みにしたまま、指先で真ん中の窪みから膨らみの付け根に生えた尻尾を逆向きに撫でこすれば痺れるような絶頂が続いているのか嫌々と、振る顔と真っ赤に火照った耳を胸元に擦り付けて焦点の合わない潤んだ目で鳴くさまにやっと獣の良さがわかってきたのだ。


 そんな獣の少女たちは売り物の中から姿形の違う者、最高の型と毛並みと仕草の娘たちを、大枚をはたいて横流しした物だ。義父はどうも商売女に入れ上げて金が尽きたと思っているらしい、結局あれもふるい人間なのだ。言うことも旧い。

 契約など。するわけがない。蟲があれば、魔術があれば。そんなものはいらない。


 疲れ果てたら眠り、目が覚めたらすでに奉仕を始めている彼女らを。ここで手放すなどと。あの柔い肉と産毛と液たちにおすのすべてをどっぷりと浸した愉悦のひとときが、なくなってしまうなどと。


 耐えられない。だから妻と娘は置いてきた。

 俺は、おかしいか?


 たぎる欲望がダニエルを、二十数階の非常階段を地下まで一気に駆け下ろす。最後の鉄扉をだあんッ! と開ければひんやりとした地下駐車場にはサイレンの音が微かに響いて、並ぶ黒塗りの魔導器には、まだ誰も——


「……なにをするつもりか?」


 心臓が飛び上がる。声を見る。

 暗い駐車場の壁に沿った歩道の向こうから。


「何事だ、その凄まじい臭いは? バルフォント評議員。何を考えている? まるで獣狩りの連中と同じだ」


 親衛隊の外套が少し膨らんで。フードの奥から覗くドーベルマンの鼻の根にきつい皺が寄っている。レベッカの鋭い目が光っている。ダニエルが呆けたような笑い顔を彼女に向けた。


「これは。珍しいじゃあないかレベッカ、なんだって君はご執心のラウザ様を放っといてこんな場所をうろついて——」

「貴殿が我が主人をファーストネームで呼ぶ筋合いはない。あと私に話しかけながら、何故自分の服を意識している」

「は?」

「その背広の右ポケットに、なにがある?」


 外套から軽く手を上げ指差すレベッカの言葉に、並びのいい歯を見せたままの笑顔が固まった。ほんっとうに獣ってのは気質たちが悪いなあ。と。彼の右ポケットには。


 予備の〝蟲のかけら〟が入れてある。





 骸骨が攻めあぐねている。

 北の空に竜脈が走ってから様子がおかしい。


 低い唸りを上げ眼前の中空を掻きむしるように、両の腕輪をじゃらじゃらと鳴らしながら、そのぼっかりと空いた眼窩に光が差し込むのを避けるように伏せて上げて、また伏せてを繰り返す。

 

 管制室で軽く拳を握ったまま右肩を引いて構えていた虎の身体から、紅の紋が少し収まった。訝しげに化け物の挙動をモニタに睨み据えながら。

「——どうしたんだコイツは?」

 一言イースが呟いた、その時。


=骸骨の魔力が増えているぞ=

(……えっ?)


 管制室の全員が目を見張った。

 怪物の背に映る魔導炉の小山から。何本もの赤い走査線が一斉に描かれたからだ。数が多い。そして。


「街を狙ってるぞこいつはッ!」


 構え直して吠えたイースの声が艦内に響いた。ぼおおおおおおっと六つではなくその外側にさらに円周上で六つ。計十二の光球もまた骸骨が背負ったからだ。


 超高速弾。魔光弾。どちらも多い。

「避けろミネア!」

 がらくたの山のあちこちが破裂した。


 尖った炎が一斉に甲高い爆発音を立てて噴き上がる。蛇が頭を引く、が。

「うおおおッ!」

 かすった左舷障壁が弾けた。蒼い水晶のような魔力が欠片になって飛び散る。背中の体躯にも長い裂傷が生じる。

 周りの地上もまたあちこちで工場が粉砕して。


 そして。右の羽根にまともに突き刺さったのだ。大きく蛇が揺れた。イースが膝をつく。レオンとアキラが転げる。管制室が傾いた。

「このッ……!」

 ミネアの右腕が張る。思い切りかんを戻す。



 爆発音に河の兵士たちが空を見た。

 東に浮かぶ艦の船底が突然、吹き飛んだからだ。

『第一砲撃艦リボルバー被弾ッ!』


 アルトムンドが目で追う。空に。あれはなんだ? 猛烈なスピードで飛翔していく物体が。街に向かって。その瞬間。

 ばあんッ! と。「うわッ!」

 急な気圧差と割れるような音に耳を押さえる。煙をあげて機体を傾かせる砲撃艦の頭上にも白煙が街へと尾を引く。


 飛翔体は高層ビルに突き刺さった。ビル壁が破裂してガラスが舞って地上に降る。悲鳴と共に頭を伏せる市民の上に、魔導器リムジン一車両分ほどもある捻れた巨大な鉄管がぎいと高層から抜けて落下してきた。



「ガあアアアッ!」

 付いた膝を逆にバネにして音が鳴るほど軋んだイースの太腿が床を踏んで。右の拳を骸骨の顎に向かって下から。

 蛇が呼応する。弓形に捻った身体を弾かせて翼を。だが。みしいっと。

「——なっ!?」

 虎の拳が宙で止まった。まるで見えない何かに二の腕を押し止められたかのように進まない。振り切れない。


『右舷一番、二番! 関節駆動系に異常ですッ!』

 ダニーの声が響いた。さっきの至近距離からの一撃だ。蛇の右羽根には長々とした、がらくたの槍が刺さっていたのだ。

 

=骸骨の右手が来る!=

「ミネアさん退がるんだッ!」

 床に倒れたまま叫ぶアキラの声が、しかし間に合わない。はっとして操縦桿を握るミネアの眼に。モニタ越しに怪物の開いた手のひらが映って。


 雄叫びと共に思い切り振り抜いた骨の右腕が。

 蛇の首を捕まえてしまった。

 間に合わない。頭から地上に叩き押さえられる。


 蛇が地に墜とされた。鉄の瓦礫が衝撃で吹き上がる。凄まじい揺れが艦内を襲う。外れるかと思うほど顎を開いた骸骨が轟く声で威嚇して。一気に五本のツノたてがみをぐるりと振ったその時。


 蟲の背中から、髑髏の首輪に繋がる楔が抜けたのだ。

 辮髪べんぱつのように空を舞う。残り一本。そして。

 右手一本で蛇を押さえ付ける骸骨は首都を見て。

 取り巻いていた十二の光球が。

 どどどどどおっ! と北に向かって火を噴いたのだ。



 直射砲バルトキャノンほどもある複数の光線が天を貫く。十七地区を飛ぶ狼の視線の前を幾つも、轟音で突っ切った。

「なッ!……」

「急いでケリーッ!」

 狐の叫びに狼がロックバイクの前輪カウルを騎兵の如くに立ち上げて。その右拳に巨大な光の塊を溢れさせながら一撃で。


「ガアアアッ!」

 白光びゃっこう渦巻く塔に向かって振り抜いた。眩しい光柱が槌となって外壁にぶち当たる。

 渦の魔力が弾けて強烈な圧が空に反射した。


「ちょッ!……うりゃッ!」

 揺れる機体をガラが立て直す。ケリーのバイクも沈むフロントを逆手で思い切り引き揚げながら弧を描いて宙を下がって。


 だがまだだ。衝撃で壁に絡まった配管が吹き飛び、しかし穴は開かない。ぎりっと牙を噛むその後ろから。


「そちらではない。狼よ」「ああッ?」

「図面を忘れたか? 三階制御室と機械室の壁は南じゃッ」

 聞くなりケリーがスロットルを捻ると同時に。右手で大きく車体を垂直近くまで掲げて剛腕で振り下ろす。左右反転したバイクが勢いよく塔を南へ回り込む。


 


 十二発の光線が市街地へと。

 視認した将軍が腕輪に叫んだ。

『着弾するッ! 避難しろ!』


 魔光の直撃が街のあちこちで猛烈な爆発を起こした。中層から折れたビルが将棋倒しに道路の頭上で向かいの外壁へと崩れて刺さる。バイパス脇の公園が遊具と芝生ごと吹き飛ばされた。街が燃える。人が逃げ惑う。激しくサイレンが鳴り響く中をモノローラが旋回して。

『中央区中央街方面に被害甚大ッ! 救援要請ッ!』


 その一撃は行政塔をも掠めた。

 ロータリーに沿って停まっていた魔導器リムジンが衝撃波で飛び転げる。地上数階の外壁が抉られて、塔の全体に衝撃が走った。

「うわああああッ!」

 激しく揺れる中央階段から先の停泊所がひび割れて崩れ落ちていく。評議員たちが腰を抜かして。ホール天井にも巨大な亀裂が入ったのだ。

 

 壁にも。縦に亀裂が。副議長の瞳孔が引き絞られて。

「避けなさいフォートワーズッ!」


 突然の震動に足を取られた老議員は「あ、ああ?」と振り返る、が。咄嗟に駆け寄った貴婦人ごと巻き込んで、議員の上に巨大な壁が崩落してきた。

 

 

 衝撃は地下駐車場も襲った。

「ぐッ!?」

 地盤が揺れて複数停まっていた魔導器が互いに衝突して。レベッカとダニエルの間にも車体が滑り込んで間を塞いだ。外套を翻したレベッカの視線の向こうで評議員が背を向けたので。


「貴様どこへ行くッ! 待て——ッ!」

 ボンネットに片足をつけて一気に飛び越えたドーベルマンの先で。しかし。評議員は振り向いたのだ。笑っている。レベッカの耳先の産毛が泡立つ。彼の右手に黒い鉱石のような棘が見えた。


 思い出したのは。


——全員オールッ! 敵襲!—— 

 

 ウルファンドの川で副議長を抱えたまま敵の棘を踏んで後ろに飛び退けたイースの姿だ。あれは、変動値コントだ。風星エアリアだ。


 ふわり、と。思いっきり曲げ上げた左脚のブーツの裏でレベッカが鉱石の先端を踏んだまま。まるで紙切れか枯葉の如くに手応えのないドーベルマンの身体が跳び下がって。「うえッ?」とつんのめるダニエルの頭上からボンネットに。


大地星タイタニアッ!」


 体重を倍掛けにしたレベッカがどおんッ! と評議員の顔面を押し付けた。ダニエルの顎が軋んで前歯が折れる。鼻骨が曲がる。ぎゃああと叫んでなお振り回す彼の右手首を立て膝のレベッカが力任せに掴んだまま。


「これは何だバルフォント!」

 ざくっ! とダニエルのひたいに突き刺したのだ。





 凄まじい力で首根を抑えられたウォーダーの薄青い障壁が徐々に剥がれてぱらぱらと塵に舞う。縦に長い蛇の形状は、首を押さえられるのは最も弱点となる位置取りだ。

 しかも、どうやら敵の鎖もまた一本抜けてしまった。骸骨が緩やかに首を回してかかかかかっと細かく牙を震わせる。


 だが。振動する管制室で虎が言うのだ。

「首、上げるぞミネア」「え?」

「力尽くだ。ちょっとで、いいんだ。——リザ解るか? 聞こえるか?」


 主砲車両の全員がリザを見た。赤猫の巻毛が竜紋に揺らめいている。

「わ、わかります。」

 それだけ言ってリザが計器盤の大きな赤ボタンに手を伸ばして。ロイが素早く他の子猫たちに顎をしゃくる。

「掴まれ」「は、はいっ」「了解っ」


 そして。予想通りそれは始まった。骸骨が肩を入れて左腕をがしゃあ! がしゃあ! と引っ張り始めたのだ。そのたびに哀れな幻蟲の身体が浮く。


 最後の鎖に集中させるわけには、いかない。

「うううおおおおおおおおオオオオッ!」

 じっとりと汗で毛の張り付いたミネアの両腕が操縦桿を引き寄せる。


 僅かずつ。急に力を入れ始めた蛇に骸骨が左腕を鳴らすのをやめて。低い唸り声をあげて右でさらに怪力で押さえ込んでくる。蛇の首から上が震えている。ばち、ばちっと半透明の障壁が弾けて散る。それでも。

「このおおおおおッ!」

 ついにここまで流れ込んできた竜脈の白い魔力にひたされた蛇が、ゆっくりとゆっくりと。骸骨も牙を食いしばって上から蛇を睨みながら。


 押し合う。

「3。」

 虎が言う。アキラが見た。

「2。」

 ミネアが全力でかんを引き絞る。


「1。左舷ッ! 減衰爆破バンパーッ!」

 リザが叩き押した瞬間。


 蛇の左首の地上で猛烈な爆発が巻き起こって鉄の瓦礫を吹き飛ばす。鎌首が横に滑って逃げて。押し込んだ骸骨の右手は工場地を破砕して埋まる。怪物の体勢が崩れた。

 凄まじい咆哮をあげて。鎖で繋がる左手を高く上げて。そして。



 時の流れとは、世界に。

 信じがたい偶然を産み落とすためにあるのだろうか?

 それを奇跡と呼ぶのだろうか?



 一瞬。甲高い音であった。

 ただ愚か者のようにひたすらに打ち据え続けた剣撃の果てであった。骨の怪物が全身の力を込めて振り下ろした左の剛腕に呼応するかのように二つの化け物を繋ぐ最後の鎖が四分の三ほどから硬質な破砕音を立てて。


 割れ砕けたのだ。幻蟲の背中に最後の楔を残したまま。


 ぎゅんと高速で頭部を回し起こす蛇の、その管制室モニタに一瞬だけ。アキラは。それはあまりにあり得ないことで。巨大な怪物たちが闘う危険な場所に。


(……人?)

 鳥にも、獣にも見えた。ただ銀の髪か、たてがみが見えた。


 とぐろを巻いて旋回する蛇に向かって、解き放たれた左腕を思い切り差し下ろす骸骨がまたしても首根を捕まえかけたその寸前。

 左の翼が突き上がる。下から上へ。低空より骸骨を見上げたウォーダーの風切羽根はまさに塔の如くに立ち上がり、なぜか。


 竜脈より工業地帯へと流れ込んだ白色の魔力マナが翼の周りを渦を成して先端へと吸い上がって。

 怪物の首元から天に陽の差す雲間を狙うかの如くで。


「左舷主砲ッ! 全弾発射ッ!」


 どどどどどおッ! と。頸椎を抜けた猛烈な六連主砲が怪物の頭頂から後ろに生えていた五本の垂れ下がるツノを噴き飛ばした。

 曇天に砕けた骨が飛ぶ。突き抜けた魔光の穂先が真っ直ぐに、雲へと届いて跡をつける。


 牙が震え、髑髏が震えて。

 モニタに大写しで見えるのは天から見下ろす骸骨の暗い眼窩だ。

 だがイースは。それは他のものたちも。

 斜めに崩れて蛇の横に倒れ込む骨の化け物が、最後になぜか。


 愉快そうに笑った気がしたのだ。





「く、くッ、鎖が? 切れた?」


 モニタを見るクロウが呆然と呟く。そんなこと。〝あり得ない〟とすら聞いてない。なぜ? どうして? 確かなことは、ただ一つ。

 もはやバーヴの背中から、三つの楔を抜く方法は無くなったということだ。


「う、う、ううううううあああああ」

 バーヴを爆発させるのは、もう今しかない。ここでやるしかない。


——事象の因果が頂点に達する——


 もうクロウにはそんな声も聞こえるはずがなく。ひっ、ひっ、ひっ、ひっ、と。嗚咽か何かもわからない音を鳴らしながら。震える手を計器盤に、だが。


 間に合ったのか。間に合わなかったのか。突然。

 部屋の機械が一気に爆発したのだ。


 全身を魔術で固めていたはずのクロウがあっけなく吹き飛ぶ。内壁に叩きつけられる。モニタも吹き飛ばされてあらわになった大穴は千切れた鉄管の向こうに外が見えて。


 何かが浮いている。半開きの口から血を流すクロウの、焦点のぼやける目に。銀色の狼と小さな老人が映って。狼が腕輪を口にやって。


「——首謀者を捕獲した。重傷だ。アキラ来てくれ」


 ケリーが睨みながら言う側に、さらに狐と傭兵の、二台の機影が見えたのだ。

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