第百十二話 牙の骸骨
魔力から生じ異界から生じた二体が背中合わせで。
その縛鎖もまた、異界のものなのだろうか。
輪の一つひとつが船を繋ぐ
日中の陽射しにぎらぎらと反射する頑強な鉄輪に繋がる三本の鎖を首と両手首から伸ばした骸骨の怪物が、頭蓋よりたてがみのように垂れ下がる五本の角を振り回し、大きく顎を開けて。尖った歯牙を剥き出しにぎゃああああと吠えながら、工場を潰し、瓦礫を巻き上げ、なぜか半端に顕現した上半身だけで這うように街へと。だが。
髑髏の咆哮よりは随分と甲高い声で哭く幻蟲——ぬるりとした肌の顔面にはただ見開いた単眼と、下に口吻が垂れ下がるだけの如何にも蝉の幼虫然としたフォルムのそれは激しく逆らい両腕の鎌を突き立てる。南へ。海へと。
楔が痛々しく刺さるその背中に粘液を垂らしながら。だが力に均衡は無く、徐々に蟲は引き摺られていく。
街へと引き戻されて。仰け反って。周囲に壊れた工場の鉄板を飛ばしながらびいびいと悲しげな叫びを上げているのだ。
「なんでッ……バーヴ……バーヴッ! 貴様! ふざけるなあッ!」
どす黒い壁には心臓に似た脈が縦横に走る。パネルに映る工業地帯に向かってクロウが怒鳴れば口から黒い霧が噴き上がった。
「なんだそのざまは! それがあのバーヴィン=ギブスンか? アンダーモートンの棟梁じゃないのか? 西インダストリアきっての荒くれ者じゃ、なかったのか! 大人しく街まで引き摺られて行けばいいのだッ! 泣きながら逃げるとはなんてざまだバーヴッ!」
——雑駁なる器の思惟より本性を誤認するは逸機の不明である——
モニタを睨むクロウの頭に声が流れる。
「うるさい!」
——全霊を賭け得る此処に到りて因果兆候の陰りを無為に眺むるは汝の髀肉に固執する愚策と知るべきか——
「うるさい黙れ! わかっている! やり直しはできない。何年も待ったんだ。何年もだ。紡ぎの果てだ」
びしびしと赤紫色の血管がこめかみに浮き上がった。クロウの眼球が激しく動く、その目の端からも細い黒煙の線が立ち上るのにまるで構わず、ふ、ふ、ふ、と。魔術師となった彼が笑う。計器盤を操作する両手の指が徐々に加速する。
「黙って見ていろ! やりきってやる。紡ぎを。縛りを。枷を。吹き飛ばして。世界を掻き混ぜれば。人はいつだってやり直せる。俺にしかできない。他のやつはできない。やらない。やろうとしない。俺の人生のためだからだ。そうだ。俺の人生に誰が手を貸すものか。俺がやる。俺がやって報酬を得る。百万の魂を、俺が手に入れる!」
思いは唯一でありながら。
意識が霞んで膨らんで。吐きそうに脳が濁って愉快だ。
クロウの口元より煙に塗れた笑いが出る。
「万能だ。万能になって旅に出る。仕上げだ。自由が手に入る。……手に入るッ! 今、百万人を殺さなきゃならない。皆殺しをしなきゃッ、ならない! は、は、はははッ!」
——素晴らしい——
「この穢れた世界を俺が捻じ伏せるッ!」
盤面に埋め込まれた南インダストリアの地域図に縦横無尽と走る魔導配管が、次々と白から赤へ輝いていくのだ。
◆
『こちら第三
国軍機より声が飛んだ。臨海より北、壁の破壊された市街地方面より濛々と数本の煙が上がっているのが見える。
怪物の立つ第三十地区より六キロリーム東北東に離れた上空を飛ぶ蛇を追う形で、やや海側に位置する三連砲塔の巨大艦より通信が飛ぶ。それぞれの艦首に巻き付いた
ざあと空を滑るようにスライドした蛇の真後ろからさらに大回りして北へ旋回してきたのは国軍第五
『開放通信ッ! 市街地の
国軍全体に届く通信に混ざって。また砲撃艦が声を飛ばす。
『三連主砲発射準備よし。
主砲に連なる艦体部分よりどおっ! と周囲に防御用の光球が複数発射された、その瞬間であった。
蛇の管制でモニタに大写しになったガラクタの山から東に向かって。赤いラインに囲まれた何もない空間が二本一組でぬうっと伸びたのだ。
管制室の全員が目を見張る。一秒。
虎が腕輪に叫ぶ。二秒。
「
三秒。ミネアがパネルを凝視して。
「障壁上げッ! 2500万だッ!」
その虎の声も虚しく。
三秒半で山に爆炎が発生した。通信が帰る。
『し、障壁2500万?——』
飛んできたのだ。
モニタを見るミネアの瞳孔が縦に引き絞られて。
六千リームの空の向こうから凄まじい速度で飛来するなにかが。
艦が傾く。底部の緑光が空に漏れる。
『機体を上げろリボルバーッ!
さらに虎の通信が飛ぶ。
遠くに見える山からまたしても二発の爆炎が噴き出す。一秒。五秒。壁を張り直す砲撃艦の全体が激しく光る。八秒。十二秒。巨大な艦の基底盤が傾きを直していく。
しかし十八秒後。間に合わない。砲撃艦の左側方底面で二つの爆発が起こった。障壁が吹き飛ぶ。空に黒い爆煙が舞う。
開放されたままの通信から『うわああああッ!』と悲鳴が届く。三本の艦首が煙に巻かれながら空中を上向いて、砲撃艦がその高度を下げていく。東インダストリアの工業地域にゆっくりと墜落していく。
まずい。虎が声を張り上げた。
「下は蟲の群れだリボルバーッ! 底を着けるなッ! 立て直せッ!
『聞こえますッ!』
「俺らの援護はいいッ! 砲撃艦を蟲が襲うぞ! 掃討に回れ!」
『了解です!』
撃沈された砲撃艦が空を降下していく。飛び込んできたのは将軍の声だ。
『何があった艦長!
虎の額に汗が散る。
「こっちに来るな将軍。国軍機は一切、こっちに飛ばすんじゃねえ。敵の初速が異常だ、大型艦じゃ対処できねえ。街に救援を飛ばせ。被害が出てるぞ」
『——単機でやるのか?』
「俺らがなんとかする。いつものことだ」
それだけ伝えた虎が管制室を見渡して。ミネアに視線をやる。ミネアがモニタを睨んだまま声を返した。
「大丈夫。見える」
「そうか。アキラ……おまえ、どうした?」
次に顔を向けた先のアキラの異常に、初めて虎が気づいたのだ。左のこめかみを押さえて背を丸くして座る青年の全身からは、朧げに青い竜紋がゆらゆらと湧き上がっているのだ。両隣のリリィとレオンも固唾を飲んで見守っている。
=先にキジトラに伝えろアキラ。大丈夫ではない。
「ミ、ミネアさん」「え?」
「あれは普通の武器じゃない。まだ速くなります」
管制室の全員がその発言に注目した。ミネアが初めてモニタより目を離してこちらを向く。
「……どのくらい?」
「——今の速度から、最高で六倍から七倍。発射されたら避けることも撃ち落とすこともできません。モニターに映っている射出台の射線上には、絶対にウォーダーを交差させないでください。それと——艦長」
「なんだ?」
「あの武器の貫通力は異常です。障壁2500万でもおそらく、防げないと……ちょっと待てってば!」
急に俯いて叫ぶアキラの身体が一段と強く青く輝くのだ。隣の席でリリィが「ひゃ!」と思わず仰け反る。こめかみを押さえたままのアキラが虎に笑うが、その顔は。
必死の形相だ。
「はは……す、すみません」
「どうしたんだおまえ?」
「ウォーダーが来たがっています」「なに?」
離れた席から。
「——バーヴが呼んでいるんだ、艦長」
答えたのはエイモス医師だ。アキラと同じように彼もまたこめかみを手で押さえながら顔を伏せて。しかしまだ虎は、意味がわからない。
「バーヴィン=ギブスン? あいつがウォーダーを? どこにいる? あの骸骨と関係があるのか?」
その時。今度ははっきりと全員に聞こえた。甲高い鳴き声に反応した管制室の全員が注視した正面モニタに一瞬だけ。
巨大ななにかが映ったのだ。両手に鎌を掲げたそれは確かに背中から伸びた鎖のようなもので、北の怪物と繋がれていて。そして。
『艦長ッ!』
スピーカーからダニーの声が飛ぶ。
「どうしたダニー?」
『今、
「——見えた。なにかでかい幻蟲のようなものだ。凄まじいとは、どのくらいだ?」
『測定不能領域です』
=アキラ。20億ジュールを越えていたぞ。しかも励起した魔力だ、おそらく——=
「か、艦長」
またアキラが言う。情報の断片が飛び交う。
「い、今の蟲に」「無理するなアキラ」
「だ、大丈夫です。今映った蟲に溜まった魔力は20億を越えてます。励起してます」
それらの断片が、だんだんと繋がって。
「励起した魔力が20億? あの蟲の中にか?」
繰り返した虎が、今度は医師を見れば。エイモスは細かく頷いて。さらに。
『緊急ッ! 開放通信! こちら第五突撃艦!』
「どうした
『そ、それが……蟲が一斉に移動し始めました!』
「——モニカ。
『あいよ』という声とともに前面モニタが眼下の工業地帯を映す。確かに。煙を上げながらすれすれに高度を下げていく砲撃艦には目もくれず、黒い無数の大群が一斉に北へと動き出しているのだ。
なぜか? わかっている。街の壁が消えたからだ。
虎がモニタを凝視する。
超高速弾で首都の障壁を破壊し、大型艦を牽制して。
蟲たちに街を襲わせて。
そして骸骨の怪物が引きずっているのは20億ジュールの魔力だ。
一人の魔術師が計画的に。首都リオネポリスを壊滅させようとしているのだ。そこまで思い至った虎が。
——まさに、それが、そう動いているのなら。
虎紋の描かれたイースの目尻が軋む。
腕輪に声を出す。
「将軍。工業水路の対岸に防衛線を張ってくれ。ぎりぎりまで低空で小型の艇がいい」
『了解だ。バンドランガーを配置する。だがいつまで保つかわからんぞ』
「なんとかする。——ミネア、接近するぞ」
「わかった」
ミネアの返事を聞いた虎がまたアキラを見れば、青い紋は一段と濃く浮き上がってぽたぽたと汗を計器盤に垂らしているのをリリィが心配気に見守っていた。
クリスタニアの一件のあと、虎をはじめとした蛇の面々はアキラとの関係を聞いて知っている。彼が今またウォーダーを呼び出せば、その体躯が維持できるかどうかはわからない。
「アキラ。蛇が、喚べと言ってんのか?」
「は、はい。でも今の俺では……」
「お前が呼ばなくていい」「え?」
モニタを見据えたまま答えた虎の台詞に、振り向いたのはアキラ一人ではなく。だがリリィやレオンの視線にかまわず続けて。
「お前には、きっと別の役目がある。——ダニー」
『はい』
「工業地帯全域の魔力は、あの蟲に集中してるのか? もう配管に流れている分は消えてるのか?」
『いえ。まだ付近一帯のプラントからは魔力の残留が確認できます。なぜですか?』
意外と。そのダニーの返事に、はっ。と顔を上げたのは赤毛の少年だ。視線をやった虎が少し笑った。
「やっぱり、少し賢くなったなレオン。……アキラ。お前はな——」
◆
「一体なんだってんだあの速さは? 旦那、大丈夫ですかい?」
工場群の空を飛ぶ二台のロックバイクは、遠方の
また苦しそうに。隣を飛ぶ銀狼がぶるぶると頭を左右に振っている。
「旦那?」
「も、問題ない。くっそ……」
傷ついた導師を背負うガラからの問いかけに、さらにもう一回。ぶるっとケリーが首を振って。耳鳴りが止まないのだ。
あの音はなんだ? と。魔導の砲弾では聞いたことのないような衝撃音が、銀のたてがみより突き出た耳を痛める。壁を張っていなかったら完全に鼓膜をやられていたかもしれない。
狼のリアから老人が器用に顔を出す。
「蟲らが動いとるぞ狼よ」「うん?」
言われてケリーが視線をやれば、確かに。眼下の工場に溢れた蟲の群れが一斉に地を埋めて市街地の方へと移動していた。黒い波のあちこちにはやや大型のヤゴ幻蟲がのしのしと歩みを進めている。
通信が届く。
『ノーマ。ケリー。聞こえるか?』
「聞こえます艦長」
『聞こえるわ。ケリー? あなたどこにいるの?』
入ってきた狐の声に狼が東の空を見た。ちか、と。雲の増えてきた昼の空に金属の光沢が映る。腕輪に返答する。
「そこから西だ。3キロほどだ。そっちはモノローラか?」
『見えた。了解。二台で四人なの? 一人重傷がいない?』
「——たまげたのお。〝遠見〟のできる仲間かの?」
それを看破するあんたも大概だぜ爺さん、と苦笑したケリーが。
「導師さんが撃たれた。傷の手当てがしたい。だがこれは……蟲が街に向かってるんですか?」
『そうらしい。お前たちは手を出すな。きりがねえ。どのみち後から湧いてくる連中だ、大元を潰さなきゃ話にならねえ』
「魔術師ですか?」
『そうだ。俺たちが陽動に出る。が、魔術師に何か手が打てればいいんだが』
「……打てる。」
ロックバイクの三人が。ぎょっとする。
何に反応したのか、傭兵ガラの背中に頭を預けたままのシャクヤが答えたからだ。禿げた頭に脂汗を垂らしたまま、かすかに息を継ぎながら導師が言うのだ。
「魔術で、守られた塔じゃ。……破邪の理術をぶつければ、こちらの攻撃が通る。……ぐッ……わ、儂が詠むが、声が弱い。誰か、斉唱を……〝遠見〟の者がおるのか?」
『理術、使えます。私はノーマ=アンブローズ』
「その名を……許可する。」
それだけ言った導師がまた、ガラの肩で目を閉じたのだ。腕輪から虎の声がする。
『北に回れケリー。ノーマ。こっちにも考えがある。絶対に俺らからは前に出るな。北回りで塔に近づけ。塔を盾にしろ。あの馬鹿みてえに速い弾の射線に入るな』
「了解です」『わかった——』
だが。その通信が終わる寸前に。
異常に気づいたのはガラだ。
「おい。……まじいぞありゃあ!」
ぼっ ぼっ ぼっ ぼっ ぼっ ぼっ と。
身悶えしながら北へと這いずる骸骨の周囲に。浮かび上がった六つの巨大な光球はさながら
これまでで最も凄まじい咆哮とともに。
北へ向かって六本の直射砲を発射した。
空を真横に突き破る軌跡を。蛇も。国軍も見た。無防備な首都に吸い込まれた直射の魔砲は数瞬の後、火球と爆炎となってビルを吹き飛ばした。押し倒されて潰れる高層ビルの轟音に続いて市街地のあちこちでサイレンが鳴り響き、灰色の粉塵が雲のように膨れて空に伸びていく。
「やりやがったあの野郎!」
牙を剥く狼の腕輪から。
『時間がねえ! 俺らが仕掛ける! 移動しろケリー!』
虎の声が響くと同時に、東から向かってくる蛇が一気に速度を上げたのだ。二台のバイクもハンドルを切る。旋回する機体に、カーキ色のモノローラが合流した。狐の金髪が空になびく。
◆
「うわああああッ!」と叫んで身を伏せた議員たちの周囲が大きく揺れた。副議長を外套で包んだまま抱き寄せるレベッカの体毛が逆立つ。その胸の中でラウザも確かに聞いた。魔導砲の通過音と、直後の巨大な爆発。
「あなた。行きなさいレベッカ。バルフォントの二人を探しなさい」
「そんなわけにはいきません!」「探しなさい」
きっ。と見下ろすドーベルマンの胸元から気丈にラウザが続ける。
「今の音、聞いたでしょ? あなた、軍人なのよ」
「私は
「だったら主人の命令を聞きなさい。あの怪物とバルフォントはきっと何か繋がりがあるはず。事が有耶無耶になる前に、証拠を押さえなさい。それも親衛隊の役目よ」
また爆発音とともに行政塔が大きく揺れる。天井から落ちる塵を見上げて。
「誘爆してる。市民が攻撃されてるわ。さあ、離して」
ラウザの瞳がレベッカを見据えた。ぐっとひとしきり力の篭った腕を、レベッカが遂に解いて。外套を広げて。
「無理はしないでください」
それだけ言って奥の議事堂へと駆け出して行った。その後ろ姿を目で追ったラウザが臨海を振り返る。彼女の目に映ったのは。
遠く見える怪物に、真っ直ぐ向かう蛇の姿である。
◆
『西に旋回! 定点保持! 射撃開始します!』
『やめろ馬鹿ッ! 蛇に当たるッ!』
混線する。翼を広げて滑空する蛇の後ろ、東インダストリアから。国軍の砲撃が追い抜いていく。三発、また三発。
中空を伸びて進む直射の魔砲に。初めて髑髏がこちらを見据えた。また肋骨を広げて反り返って。吠える。そこに。連射の砲撃が衝突する。怪物を巻き込んで次々に猛爆が起こる。
虎の顔がかすかに歪んだ。まずい。煙が敵を包んだからだ。だがアキラが叫んだ。
「右17ッ!」「——くッ!」
反応したミネアが舵を切る瞬間。
甲高い音とともに大きく蛇が揺れる。
「なっ! このおおお!」
立て直す。ダニーの声が飛ぶ。
『左舷障壁に破損!』
「続行だミネア!」「了解っ。ナニいまの?」
理由はすぐわかった。遥か後方の空で爆発が起こったからだ。開放通信から声が聞こえた。
『第二砲撃艦! 被弾ッ!』
『もっと下がれ! 味方が近接戦仕掛けてんのに爆煙張ってどうすんだ馬鹿野郎ッ! ——イースすまねえ勇み足だ。街が撃たれたせいだ』
「了解だ……かまわねえ」
将軍にそう言いながらもモニタを見据える虎の鼻先を斜めに汗が流れた。視覚で何も捉えられなかったのだ。ミネアも、管制室の面々も同じだ。再びダニーの声が聞こえた。
『左舷障壁を一直線に突き傷のようなヒビが
=
声にアキラが頷いて。
「艦長。今のは」
「弾道の風撃だろ」「は、はいっ」
モニタの向こうの煙が晴れた。そこに。管制室の全員が目を剥く。砲撃艦の直射をまともに受けた骸骨の周囲に、また光球が浮かんでいた。奴はこちらを向いている。
=魔弾と射撃が同時にくるぞ!=
「ミネアさんッ!」
蛇に吠えた怪物から六発。太い魔弾が次々に身を躱すウォーダーの周囲で爆発する。またしても南インダストリアの空を包む濛々とした黒煙に、突然。
どどどおっ、と。三つのすり鉢状の穴が空いた。射撃は一瞬で煙を貫き、細い煙を残し、遠く東へと。
だが。赤い紋を噴き上げるミネアは。
「見え見えよね、それはさッ!」
そこに蛇はいない。煙を抜け、上から。まさに鎌首を叩きつけるが如く突き下ろす頭頂の障壁発生塊に粘化した魔力が張り付いて。
「2。」
蛇の頭突きで髑髏のひたいが激しく爆発した。
白煙から首を振り抜いたウォーダーの対面で骸骨が傾く。
管制室のモニタに映ったのは背中に銛の刺さった巨大な幻蟲だ。鎖で繋がれ、単眼でこちらを振り向いている。骸骨が巨大な右腕を振りかざして。しかし鉄鎖がびんと張る。止まる。幻蟲の背中の一本から血しぶきのような液が吹き上がり、甲高い鳴き声が響いた。
互いに縛られているのだ。虎のつぶやきを。
「あいつはひょっとして……」
「右3ッ!」
アキラが遮った。ミネアが素早く反応する。が、また左舷が揺れて。
「うおおおおッ!?」
南の小山に爆炎が発して強い衝撃が蛇を揺すった。管制室の面々が椅子から投げ出されて。操縦席でミネアが必死に桿を抑える。モニタに映るガラクタの山から伸びた赤いラインの射出台が一斉にこちらを向いた。ぎりいっとキジトラの牙が鳴る。
「このッ!」
飛ぶ鳥より疾い。
翼を閉じたウォーダーが宙を跳ね退いた。猛烈な射出の爆発と完全に同期して直線上の工場地が吹き飛ぶ。避けたのだ。だが。
=アキラ! 元素量が一致! 虎の予想通りだ!=
があああああっと骸骨が大きく口を開けて。その奥に見えたのは斜めに横たわった
虎の瞳孔が引き絞られる。
「
転がった床から立て膝になったアキラが両手のひらを真正面に伸ばした。全身が猛烈な青の光を帯びる。
「
骸骨の口から吹き出した膨大な光線が蛇の正面に向かって撃ち出された。獣を毒殺する禁忌の魔法だ。しかし寸前で。
蛇の中腹から前に向かってぐにゃりと揺らいだ円周数十リームの空気の圧が。傘のように開いて。
毒の光を吹き返す。四方へと弾き流す。
「主砲! 顔面を狙え!」
その叫びをミネアの耳が捉えた瞬間。
主砲室のリッキーの腕が動いたのだ。
「ぜ、全弾発射ッ!」
右の翼を上げた蛇が六連の主砲を撃ち放つ。どどどどおっと右頬骨で爆発をまともに食らった骸骨が仰け反って口からの照射が止まった。
「距離を取れミネア!」「わかった!」
蛇の機体が空を横滑りしながら徐々に怪物から離れていく。
「——ケリー。ノーマ。問題ないか?」
モニタに映る骸骨の、ぐるぐると獣のように唸る牙の奥を睨みながら虎が言う。静まり返った管制室にはその声と、微かに。ミネアとリリィの息遣いが聞こえた。獣を殺す魔導の一撃を、まずは防いだのだ。
『こちらは何も。何かありましたか?』
声が返る。ふうっと、虎が息を継いだ。
「いや。俺らより前に出るなよ」『了解です』
「……やっぱり、ここにありやがった。国軍本部に届かねえはずだ」
悪いことは、まとめて起こる。いつだってそうだ。
この化け物は、20億の魔力を引き摺っているだけでなく、その身に毒の魔法も蓄えているのだ。
=
声にアキラが立ち上がって頷く。
=蟲の大群が街に到達する前に、20億ジュールを誘爆させずに、あの化け物を倒さねばならない=
頷けない。ぐっ、と。肩を入れて。
(はは……ハードル高くない?)
=やらねばならんだろう=
「やるしかねえな」
内なる声と、虎が言うのは、偶然だ。アキラは苦笑しか出ない。苦い顔で口元を緩めるのはイースも一緒だ。これだってそうだ。いつだって、そうだった。
最悪の状況を乗り越える方法は、ひとつしかない。
やれることを全部やることだ。
「レオン。任せる」
管制室の床に投げ出されたレオンが、次に立て膝で。頷いて躊躇なくその床に右手のひらをだんッ! と突いて。
「ノエル十番! 〝
ごお。っと。
「うおっ」
工業地域の空に、竜脈に似た風が吹く。
北から大回りで第十三地区の魔術塔へと飛ぶ二台のバイクとモノローラが、その機体をぐらりと揺らした。空の雲が厚く、暗くなる。巨大な骸骨の化け物に対峙するウォーダーの基底盤から、ゆっくりと。
薄く平べったい、それも巨大な円形の魔力が形成されていく。急に強くなった風に目を細めながら、狼と狐がそれを見ていた。腕輪にノーマの声が入る。
『ケリー。あれって?』
次の瞬間。蛇が横滑りに素早く動いた。横風に変わる。
「ぐッ!」『このッ!』
小山で爆炎が噴き上がった。南東の工場が木っ端微塵に吹き飛ぶ。また蛇が避けた。
三機が平衡を保つ。隣のガラが素早くハンドルパネルを操作した。ぶうんっと全体の障壁が輝いて揺れが収まる。
「なんだこの風は旦那ッ!」
「
ぎいっと力ずくで機体の揺れを押さえつけるケリーが。ぎゅるぎゅると緩くカウルを回すノーマが。
光の輪を底に浮かべながらじりじりと距離を詰める蛇は、まさか。ケリーが思う。風がいよいよ強い。ばさばさとたてがみが揺れる。地鳴りをあげて北へと進む蟲たちの群れを眼下に見ながら。
二人の獣が思い出すのは。
クリスタニアの惨劇だ。
「艦長。聞こえますか?……レオンッ!」
『百二十、百三十、百四十……百五十万突破』
細かく振動する管制室全体の壁と天井はぼおっと白く輝いて。だがダニーの声は百五十を越えたばかりだ。操縦桿を掴んだミネアの息がわずかに荒い。
虎がぎりっと歯を鳴らした。工業地帯でははるかに早い、が。やはりこの魔導では七億ジュールの奪取は無理か、と。だがそこに。
『上に、もう一つ。レオン! 艦長! 聞こえますか!』
「——ケリー? なんだと」
『ウォーダーを呼ぶなら、上に。
ケリーの声が終わる前に咄嗟に。レオンが床に付いた右手をそのままにぐんっ! と高く天井に左手を開いて。周囲の面々が目を見張ったのは、赤毛の少年がその長髪を巻き上げて全身に光らせた竜紋の色が。
赤から青に変わっていくのだ。アキラの色と同じように。
「ここに来いッ! ウォーダーッ!」
◆
「ガリックッ! ガリックしっかりしろお前!」
化け物たちの動きから遠ざかった工場の屋根では隊長が、唸りを上げてうずくまった庭番の男の背を揺する。義手の右腕を器用に曲げて心臓を押さえたガリックの全身から。
隊長は見た。次々に。それは影か陽炎か。
犬か。違う。狼か。虎か? 複数の獣の影が浮かんでは消えて布が剥がれるように風に煽られて飛ばされていくのだ。
あの光を浴びてからだ。蛇が骸骨に飛び込んで、照射された奇怪な光を空圧の壁で弾き返した、その魔光が吹き流れて来てからだ。
だん! だん! と何度も何度も自らの心臓を鉄の義手で叩く庭番の口から、やがて。「ガハッ!」とでかい息が漏れて。ぜえぜえと荒く息を吐きざまに、左手に持つ魔光剣の柄を歯で噛んで。
一気にひねる。よろめいて立ち上がる。隊長が数歩下がった。今、確かにこいつは剣の出力を最大に引き絞った。
左手一本で庭番が八の字に切っ先を振る。
びゅうと空を切るその刃はゆうに人の身の丈はあろうほどの大剣だ。
屋根に北からの猛風が吹く。右手の義手は添えるだけで。まだ荒く息をする庭番がびたりと一直線に構える剣先の遥か向こうより、哀れで巨大な幻蟲が単眼で見ていた。
びいいいいっと声が鳴る。
隊長が目を丸くする。その声に、彼が答えたからだ。
「お。お、お、俺が。その鎖を、切り離す!」
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