第百十一話 蟲は彼方へ乞い願いて

 その咆哮は、遠く臨海を越えて首都市街地にも聞こえたのだ。


 リオネポリス中央区に立ち並ぶ高層ビル群から多くの市民がテラスやバルコニーに顔を出して、飛翔する国軍モノローラの群れを追い、機影の先に遠く続く工業地帯に立ち上がった奇妙な造形に目を奪われていた。


 動いた。爆発音が届く。何かが地上で吹き飛んだ。低地から黒煙が巻き起こる。人間の半身のような巨大な物体が、また咆哮をあげた瞬間。

 ビル街に警報が鳴り渡ったのだ。わあっと一斉に人々が悲鳴をあげて屋内へと、階下へと逃げる。首都が騒然とする。都市の空に自動音声が響く。


『敵性巨大物体確認 偏光障壁1200万ジュール展開 固定対空砲 迎撃準備』


 首都上空にごおおと渦巻く雲が発生し、偏光障壁の分厚い壁が市民の居住地区を覆うように放電しながら降りてきた。澄んだ透明な魔力が護られるべき内界と護られない外界を無情に切り分けて閉じていく。


 障壁の内側に位置する中央行政塔の空路停泊所——蛇が今朝方に辿り着いた正面広場より続く玄関ホールの階段には、南インダストリアの異変を知らされた多くの議員と取り巻きたちが殺到していた。


 壁が降りているから出来る観覧で、中には鳴り響くサイレンにも構わず「おおお? なんだありゃあ」と他人事のように腕をかざす危機感のない議員もいる。必死になって「下がって! 避難してください!」と叫んで押し返す親衛隊の声にも一向に頓着がない。


 トール副議長はそれら人だかりに呑まれぬよう階段の最深部端から海浜の工業地域を伺いつつ、隣のドーベルマンに囁いた。


「あれはなに? 何があったの?」

「不明です、現状まだ本部より連絡はありません」

「ダリルは?」「彼からも、なにも」


 野次馬どもを残して踵を返し回廊へと戻る副議長の後をレベッカが付き従い質問した。

「いかがいたしましょうか」


 訊かれた彼女の足が止まる。わずかに振り向いた老女の、今は人間の姿をしたその鼻先が辺りを嗅いですんすんと動いたのでレベッカが慌てた。

「ラ、ラウザ様っ。そんなお姿で——」

「あの二人、いないわね」「え?」

 

「バルフォント親子の匂いがしない。どこに行ったの? 見かけた?」

「いえ……捜させますか?」


「そうしてちょうだい。ダリルとも通信を。イースからは『無闇に連絡はするな』と言われてたけど、緊急だからしょうがないわ。状況把握を急いで。あなたも動いていいのよ?」


「承知しました。——わたしはここを離れません。緊急ならば尚更です」

 断言するレベッカに苦笑するトールの後ろから声がかかった。

「副議長!」


 老体に息を切らして駆け寄ってきたのはフォートワーズ議員だ。近づきざまに似たような疑問を二人に投げる。


「あれはなんだ? あんたらは何か知っておるのか? 蛇に関わることなのか?」

 副議長が軽く肩をすくめる。

「なにも。こちらが聞きたいくらいだわ」

「虎は? 連中は何をしているのだ?」


 彼の匂いにラウザとレベッカが気づく。どうやらこの議員はイース=ゴルドバンに恩を売ったつもりでいるらしい。国軍本部が抗魔導線砲アンチ=マーガトロンに狙われているとのタレコミが入った旨は、ラウザはレベッカからの軍内通信で知っている。


 してみると情報を流したのはこの男なのか? それはそれで構わないけど。イースは借りを作ったなんて微塵も思ってないんじゃないかしら? と彼女が忠告するはずもなく。


「私たちにも情報はないわ」

「そ、そうか。導師シャクヤはどこにおるのだ」


 むうと唸ってまた臨海を振り返る老議員の視線を追って、ラウザも再び遠くの工業地帯を見る。障壁の向こうから聞こえてくる奇妙な咆哮は——


 しかし。なぜかラウザの耳には。

 それはレベッカのドーベルマンの耳にも。

 確かに二種類の唸り声が混ざって聞こえるのだ。

 眼に映るあの異形の向こうから、もう一つ。


 泣くような、叫ぶような、悲痛な声が聞こえるのだ。

 




 国軍本部のフィールドで対峙していた敵味方は、各々おのおのが別のものを捉えていた。


「なんだありゃあ……!」

 ファイルダーが空を見て呆気にとられている。鈍色に光る奇妙な小山を引き裂いて、ここより遥か十キロリームは離れた南インダストリア工業地帯に忽然と現れた物体はまるで巨大な生物のようだ。人間の耳にも微かに、その叫びが届く。


 対して正門前に未だたむろする獣たちが、次々と後ろを振り返っている。ゲート前ロータリーの向こう、立ち並ぶ工場群から人間の悲鳴が絶え間なく聞こえて。

 やがてざわざわざわざわと道を覆うほどに出現したのは地を這うフナムシのようなサソリのような幻蟲であった。


 反り返った棘のような鋭い尾と前二脚の鎌を立ち上げたぬるりとした黒い甲羅の先端に、うっすらと。裂け目に似た単眼がまだ眠そうに緩く開いている。が。

 それらの後ろから巨体を揺らして現れた数匹のヤゴのような大型の幻蟲が、扇に開いたこれも単眼をつけた顔をぎょろおっと獣の群れに向けた瞬間、応ずるように。地上のサソリたちがはみ出るほどに目を剥いた。


 両腕に旋回砲ガトリングをつけたアンダーモートンが一斉に蟲めがけて連射する。獣たちは国軍に背を向けて、蟲たちへと歩み始めた。彼方の蟲もまたがしゃがしゃと鎌を鳴らして獣の群れに突進していく。


 風に吹き流されていく爆煙の向こうで、蟲と獣の新たな戦闘が始まったようだ。国軍が蚊帳の外に置かれる。

 身構えていた身体を起こして、虎がロイに言う。


「——なんだか状況が見えねえ。一体なにが起こってんだ?」

抗魔導線砲アンチ=マーガトロンも一向に気配がありませんな」

 訊かれた飛竜も怪訝な顔だ。戻ったばかりのノーマとリリィも遠くの正門から目を離さない。やがてあの獣たちは蹂躙されるだろう、蟲たちとは数が違いすぎる。


 虎が思考を走らせる。

 作戦行動のようで、作戦ではない。罠のようで、罠ではない。ちぐはぐだ。工業地帯に蟲を湧かせるのも敵の思惑なら、なぜけしかけた獣たちと互いに衝突するようなタイミングでそれを行うのか?


「イースよ」

 後ろからの声に虎が少し振り向く。ウォルフヴァイン総督であった。二人の兵に守られた小柄な老人の目は往年の鋭さからいささかも衰えていない。

「振れ、イースよ。同時に何かが起こっておる。戦さ場では、ままあることじゃ。お主らだけで抱えずに振れ。痩せてもわしらはアルターの軍隊じゃぞ」


 老人の言葉に数瞬考えた虎が、正門に構えを戻して。手短に横の将軍へと伝える。

「ファイルダー将軍」「おう」

「俺らは飛ぶ。南インダストリアに仲間がいる、放っておけねえ。蟲はインダストリア一帯で発生しているようだ、任せていいか?」


 同じく構えはそのままで、将軍は意外な答えを返す。

「——護衛は?」「なんだと?」


「お前らにも砲撃艦リボルバー突撃艦ハンマーを付ける。どうせ蟲は無生物には興味を示さねえんだ、ここをからにしても構わねえだろう。俺らも地上からは撤収する」

 ちらとだけ横の虎に視線を飛ばした将軍の、拠点を捨てる判断が早い。少し虎の口元が緩んだ。最後に繰り返して。


「わかった。任せる」「ああ、行け」

 それだけ言った将軍が腕輪に指令を出した。


「総員搭乗ッ! 本部基地より撤収して全機発進する! 小型機はインダストリア空域に散開、モノローラとバンドランガーの混成で臨海一帯の生存者を救出して砲撃艦リボルバーに運び込め。無理に蟲と戦闘をするな、連中は数が減らない。突撃艦ハンマーは低空で掃射、救出の援護だ。第三砲撃艦と第五突撃艦は蛇を護衛しろ。以上ッ!」


 指令が放たれると同時に空中で展開していたバンドランガーが一斉に向きを変えながら高度を下げてくる。後方の兵士が徐々に後退して飛び乗る。本部ビルや宿舎から次々に職員がフィールドの大型艦へと走っていく。


「戒心の要があるやもしれぬ。イース、武運を」

「ありがとうございます」

 虎の礼に軽く頷き、総督も機体の後部座席に飛び乗った。

 構えを解いた将軍のそばにバンドランガーが一台降下してきた。犬の兵士にも指示を出す。

「お前は蛇に同乗しろ」「了解です!」


 正門の戦闘から数体が抜けた。蟲がこちらに向かってくる。虎も短く言った。

全員オール。発進する」

『了解。基底盤フローティング斥力上昇良し』

『斥力上昇20。30。姿勢制御スラスタ0.5。離陸後に風防障壁ドラフトバリア展開。進路、西南西70に旋回。艦長』

「うん?」


『レオンの様子が変。管制室に来て』

「わかった。ダニー。風防ドラフトは100万だ」

抗魔導線砲アンチ=マーガトロン対策ですか。了解です』


 ロイが踵を返して格納庫のタラップに向かい、リリィがロックバイクのエンジンを噴かす。ダリルに声をかける。

「乗って。ほらっ」「は、はいっ」


 モノローラに跨ったノーマは虎に声をかけようとして。少し辛そうな顔で。だが、やめた。


——ひゃひゃひゃッ! 確かめなきゃいけなくなっちまったなあ! 行ってみろよ。エメラネウスに行ってみろッ!——


 今は落ち着いて話せる状況じゃない。首を振る狐の金髪が揺れる。


 ごおおと地響きをあげて蛇の基底盤が緑色に激しく輝き始めた。かすかに浮上した格納庫に虎が飛び乗って。本部敷地を囲んだ外壁のあちこちから、ざらざらと鎌を突き立てて小さな黒点が侵入してくるのが遠くに見える。


『各班。インダストリア空域へ展開。包囲対象は南インダストリア三十番区に出現した未確認巨大物体。工業地域一帯の市民救出を優先する。第一、第二、第三突撃艦は地上の幻蟲を掃討開始』


 解放通信が腕輪から聞こえる。格納庫の手すりに掴まったまま地上を覗く虎の外套が吹き上がる風になびく。高度を上げる蛇とともに、アルター国軍の砲撃艦が次々に、陽の高い臨海上空へと離陸していく。

 


 

 

 魔光剣の腕にはそれなりの覚えがある傭兵ガラも、蟲を斬り裂く二人の動きに舌を巻いていた。


「ふッ!」「しぇいッ!」

 ヤゴ幻蟲の巨大な鎌を。


 ざあッ! と振り下ろした狼の切っ先が、関節ごと切り飛ばした。

 飛翔するバイクを馬鹿力で傾けるケリーは、剣を振る時だけ左手一本で重いハンドルを操作する。リアから落ちんばかりに身体を突き出した老人は下から伸び上がったサソリの眼球を突き刺した。


 その様が見事にバランスが取れているのは、おそらくリアに乗る青果屋の爺いの手際が良いのだろう。左右に対に、振り子のように群がる敵を斬り抜いていくのだ。


「たいした爺さんだ……ぜッ!」

 ガラも身体を起こしたサソリの頭を叩き斬る。眼球が縦に真っ二つに割れた。狼が声を飛ばす。

「もう少し高度取れ! 工場の屋根下あたりまで浮上するんだ」

「了解だ。こっからどうすんだ旦那。策はあるのか?」


 二台のロックバイクがヤゴの鎌が届くか届かないかのあたりまで浮上する。あの地を這うサソリどもは大した攻撃力でもないが数が多い。相手にしていたら保たない。


 ぎゅっとガラが片手で腹の魔力を引き絞った。傭兵ガラは大地星タイタニア特化の気術や操術を得意とする。今も座席に乗せたシャクヤを縛っているのは飴のような魔導錨アンカーだ。背中に抱えた導師から伝わる熱が尋常じゃない。ケリーに声を返す。

「導師の容態が良くねえぜ旦那」


「わかってる」とだけ答えたケリーが塔を見上げた。異形の塔だ。


 逆手にスロットルを吹かして蟲どもの上を、横に機体を流しながら考える。下でがしゃがしゃ鎌を鳴らしているこいつらとやり合っているのは時間の無駄だ。倒すべきは魔術師で、相手は眼前の塔にいる。だが今の四人で仕掛けるのは、あまりに不利だ。


 バイクもそこまで高度を上げられるのかどうか。向こうに見える巨大な骸骨の化け物は地響きを上げながら、徐々に距離を詰めてきている。上空を飛べば勘付かれるだろう。だが先ほどから。


「なんだ、この声は……」


 ケリーが呟く。髑髏の咆哮に混ざってその後ろから微かに、別の声が聞こえるのだ。泣くような、叫ぶような——

「狼よ」「うん?」

 後ろの老人が顎をしゃくった方角に。ケリーの目にも映った。


 ここより遠く東の空にいくつかの光点が増えてくる、と同時に。間違いない、あの機影は突撃艦ハンマーだ。

 国軍が空に動いた。ではどうやら話はついたのか。その時。

『ケリー。聞こえるか?』

 腕輪から虎の声がした。





『聞こえます艦長。通信を解除して大丈夫なのですか? アキラは?』

 狼の返事が無事に届いた。虎がふうっと息を吐く。

「アキラ達は問題ない。俺たちもそっちに向かっている。十分もかからん。今の状況を教えてくれ」


 管制室に戻ってきたアキラとリリィが席に座らせたエイモス医師は、まだ顎をしきりに撫でながら頰に血涙の跡が消えていない。いつもと違ってレオンも椅子でしっかりと杖を抱え込んで黙ったままだ。


『巨大な怪物です。クリスタニアの時と似ています』

 ケリーの返事とともに、前面パネルに映し出された南インダストリアの真ん中に立ち上がる骸骨の上半身が鮮明になった。


『俺たちは十七地区の魔導送配管本部そばにいます、ビルが変形して塔になっています。中に魔術師が一人』

「そいつが蟲を操っているのか?」

『不明ですが、おそらく。それとシュテの爺さんが重傷です』

「重傷は緊急か?」


『一命は取り留めてます。——こちらの任務は失敗しました』

「バーヴィン=ギブスンは見つからなかったか」

『申し訳ありません』


「艦長」

 離れた席から声をあげたエイモスに、イースと管制室の面々も振り向く。右手で口を覆う医師は、やはりまだ震えたまま。

「彼のことは……諦めてくれ艦長」

 クリスタニアでの痩せ衰えたような表情に戻ってしまった医師を、虎がじっと見て。また腕輪に言った。


「——無理をするな、一旦バイクからモノローラに乗り換えるべきだ。合流しよう。地点を計算してくれダニー……いや、何か案があるか? アキラ」


=狼たちをこちらに寄せろアキラ。あの塔と幻蟲に近づくのは危険だ。合流地点は——=


 こめかみに手をやったアキラが答える。

「第十九地区の東端まで移動させてください。送配管本部から五千リームほど東です」

「それで行こう。ケリー」『了解です、移動します』


 画面に映る臨海工業地帯に、ぽつんと。あまりに広大な鋼鉄のプラント群に差す午後の陽を浴びて、相変わらず雄叫びをあげながら少しずつ怪物は北へと動いている。十七地区の塔に向かっているのだろうか。


 だが、もうじき到着する国軍には数機の砲撃艦があり、都市の対空砲塔も迎撃体勢に入るはずだ。偏光障壁グラスバインドの向こうから一斉に直射砲が撃たれるだろう。首都の壁だ、ゆうに一千万ジュールを超えるはずなのだ。


 獣を囮にして、抗魔導線砲アンチ=マーガトロンすら囮にしていたのだろうか。こんな骨の化け物を生み出して、わざわざ包囲されるために? それにしては——


「ねえ」「うん?」

「静かすぎない? あいつ」


 操縦桿を緩く動かしながら同じ疑問をミネアが呟く。そうなのだ。この怪物は何がしたいのか、それが読めないのが不気味だ。顎の毛を弄りながらモニタを睨む虎に、またケリーの声が届く。

『合流したら導師の治療を、先生とアキラにお願いできますか』

「わかった。どんな怪我だ」

『それが、拳銃で撃たれたようです』

「拳銃だと?」『はい』


 アキラがこめかみに手をやったまま。

(拳銃って? 弾丸が出る銃? 魔力じゃなくて?)


=地球のそれと同じ原理なら、魔導の壁には逆に有効だろうな。対魔法防御に力が割かれている障壁は、物理エネルギー特化の攻撃には性能が減衰する。徹甲弾のようなものだ。アーダンの要塞を覚えているか?=


 アキラが思い出す。確かにあの時も魔導砲撃の攻防を決着させたのは、蛇の尻尾の一撃だった。隣のリリィに呟く。


「導師が重傷って……意外と力押しに弱いんだ、壁って」

「うん、だから突撃艦ハンマーも面倒なんだよね」


「拳銃……」

 ざわっ、と。虎の頰毛が逆立って。


「ダニー」『はい』

「魔力が励起しているって言ったな? 南インダストリアに流れているのか?」

『そのようです。区域一帯に曝露があるようで、正確にどこまで流れているのかは検波盤スコープでは追跡できません』


=——例の魔導炉だアキラ=


「艦長」「うん?」

「あの魔導炉のあたりです。十七番の送配管本部から線の伸びていた、三十番の」

「魔力が追えるのか?」「はい」

「ケリー」『はい』

「あの怪物はどこから現れた? 俺たちは遠すぎて確認ができていない。ひょっとして三十番魔導炉のあたりか?」

『小山が見えませんか?』「小山?」


 ケリーの通信に管制室の面々がモニタを目視すると、怪物の後方——まだ小さくしか見えないその骸骨の化け物は、頚椎のあたりから後ろに向かってなにやら巨大な鎖のようなもので繋がれているのだ——に鈍く輝く巨大な膨らみが立ち上がっている。


「あれ……?」

 リリィの長い耳が動いた。

 なにか聞こえたような気がしたのだ。


「あの小山はなんだケリー」

『周辺から吸い寄せられたガラクタです』

「ガラクタだと?」『はい』


 アキラが気づいた。レオンが握った杖がわずかに、震えているのだ。

「……レオン?」

 首を傾げるアキラの肩越しにリリィも視線をやる。杖の頭に嵌まった緑の宝玉をじっと見つめる少年の目が見開かれている。


=魔力が伸びている。アキラ=

(え? なにが?)

=あのガラクタの山から、透明な魔力の線が北に伸び始めた。六組。市街地の方向だ。魔導錨アンカーを固めたような真っ直ぐな二本の線だ=


 声に言われてモニタを伺う。何も見えない。リリィがぴこっと耳を動かした。また何かが。それはミネアも同じで。

「……何か言った?」

「俺がか?」「うん」

 

 問いに答えず微かに首を振った艦長の、首筋の虎毛が立ち上がってくる。エイモス医師のひたいに大きな丸い汗の粒が一気に浮かんで。


『艦長。風星エアリアです』

「なんだと?」

『三十番地区方面から強い風星エアリアの励起を感知しました』

 腕輪からダニーの声がした。操縦桿を握るミネアの体毛がぶわっと逆立った。赤い紋が浮かぶ。


「艦長……これ以上近づくなッ!」

「イースっ! 〝逃げろ〟って言ってるッ!」

 エイモスとレオンがほぼ同時に叫んで。虎が二人を見る。ミネアの全身から爆発的な魔力が噴き上がって。


電磁加速砲E L Mだアキラ!=

「七番! 〝軍霊ケルビム〟ッ!」


 

 六つの爆煙がスクラップの山から噴き上がったのと市街地を覆う一千万ジュールを超える魔導障壁に数リームほどの弾痕が空いたのは同時だったのだ。その着弾は恐ろしく正確に、数棟の高層ビルをも突き抜けて中央区市街地に隠れた六ヶ所の障壁発生塊を粉砕した。


 行政塔の中央階段から工業地帯を眺めていた議員たちは、何が起こったか一瞬わからなかったのだ。だが遠くに煌めく透明な壁に。目の前の空に。びしびしと亀裂が入って放電が始まったのを見て。ひとり、二人、三人と。じりっと後ずさって。


 また遠くで爆炎が。その瞬間。

 広大な空の壁が完全に砕けた。


 百万都市を覆う魔力のドームが南側から内部に破裂して。一桁街区に林立したマンションに降ってきた半透明の瓦礫がビルの中高層にぶつかって吹き飛ばしていく。着弾はまたしても街のあちこちですでに伸び上がっていた対空砲塔を的確に捉えて爆破した。


「う! うわああああッ!」

 やっと悲鳴があがったのだ。議員たちが一斉に塔の中へと逃げ出す。評議場奥の回廊に居たラウザとレベッカ、そしてフォートワーズ議員の方へと人の波が押し寄せるのだ。

「ラウザ様! 避難を!」

 主人の女副議長を囲うようにレベッカが外套を広げた。



 南の方で起こった爆発音から微かに遅れて猛烈な衝撃が地上を走り抜けたのだ。その直線上に狼たち二台のロックバイクが位置していなかったのは幸いだ、しかし。

「うおおおッ!」

 どおんッ! と南から北に突き抜けた数本の爆風が工場の壁と屋根と、蟲たちを空中に巻き上げて木っ端微塵に飛散させるのを三人は見た。


 回転した鉄板が飛んでくる。

「なんだこりゃあ!」

 叫んだガラが思い切り空中でスロットルを吹かした。ハンドルを切る。間一髪でスクラップの破片を避けた。狼が腕輪に叫ぶのだ。

『艦長ッ! 敵の攻撃が始まった!』



 三十番地区の工場の屋根から見ていたスクラップの山から噴き上がった爆炎の形は初めて見るものだった。まるで射出方向に尖った円錐状に楔のように爆発した魔導炉の外壁から、これは何かが飛んでいったのだろうか? 目で何も追えない。


 思わず身を伏せた隊長とガリックが側面から山を見上げる。次々に爆発するガラクタから、おそらく何かがとんでもない速さで飛翔している。

 市街地の障壁が砕けた。街から爆発音が聞こえて煙が立ち上る。いくつかの高層ビルが斜めに崩れて上層が滑り落ちていく。


 巻き起こる旋風の中で伏せたガリックが寄ってきて。

「がああッ。ああ。うああっ」

 指差す。空だ。何もない。隊長が目を凝らす。が、かすかに。唐突に。日差しに反射して輝く何本もの透明な線が魔導炉だった山から突き出ているのだ。

「——なんだ、あれは」

 また聞こえた。馬鹿みたいに巨大な数本の鎖で繋がれた蟲の化け物が、縮こまって倒れたままで。わずかに北へと引きずられていく。声がする。長い口吻をあげるたびに聞こえるのは訴えるような嘆くような、悲しげな声だ。


 その目に。

 泣いているのだ。単眼から涙が流れている。

 

 

 蛇の内部に異様な重力場が発生して。管制室の全員もぐらあっと身体を揺らした。ミネアの全身から魔力の陽炎が紋を巻いて浮き上がっていた。

「ふッ!」

 操縦桿を横滑りに傾けた途端、ウォーダーの巨体が一気に空を北方面へと旋回していく。疾い。パネルに映った工業団地がスライドする。


「何が起こったダニー!」

『不明です! 市街地の障壁が破壊されました! 街から火の手が上がっています!』

「モニカ! ログ! 遠隔映像ビット飛ばせ! ノーマは俺らから離れろ!」

『了解だ艦長』『わかった!』


(え? え? 何したの今?)

=キジトラが照準を外したのだ=

(照準?)


=我々も狙われているかもしれないから、定点移動したのだ。撃たれたら避けるのは不可能だ、魔導の砲弾とは違う。咄嗟に判断するのはさすがに野生の勘だろうか=


(これって——レールガンってやつ?)

=よく知ってるな。そうだ、おそらく原理は電磁投射砲レールガンに極めて近い。拳銃といい、どうもこの世界には地球から良からぬ知識まで流入しているようだ。何を投射しているのか不明だが、向こうの攻撃は亜音速かもしれない=


「音速って……」「え?」

 断言する声にアキラが焦り、隣の席でリリィが心配そうな声を出す。声との会話が聞こえているであろうレオンは、青年の顔をすがるような目でじっと見ているのだ。


 いつものごとく左のこめかみに手を当ててなにやら呟いているアキラに気づいた虎が言う。

「アキラ」「は、はいっ」

「あのでかいのがどんな攻撃をしているのか、お前の〝声〟には解るのかアキラ」

「は、はい。解ると言ってます」

「——対処できるのか?」


=できる。電磁投射砲レールガンには射出台カタパルトが必要だ。あれは射出台を魔力で生成しているようだ。その発生にはタイムラグがある。計器盤に手をつけアキラ=


 声に言われてアキラが咄嗟に前方の計器に右手を置いた。ぶわっと青い光が掌から漏れた。ミネアと医師もそれを注視して。そして。

 唐突に巨大な前面モニタがズームアップしたのだ。遠隔映像ビットと連動して第三十地区のガラクタの山が拡大されて、何もないはずの空中に赤い線で囲まれた棘がいくつも描写された。


 虎が見る。

「砲身か」「はい」

「ダニー。動力室のモニタに映ってるか?」

『はい。見えます。方角も計算できます』

「ロイ。モニカ。そっちのモニタには?」

『映ってますな』『見えるよ艦長』


 まだ赤い線は、こちらを捉えていない。ミネアも頷いた。決意するようにイースが問うのだ。

「俺らにしか、見えてないんだな? 国軍には見えないんだな?」

「はい。ウォーダーにしか見えません」


「じゃあ、俺らがやるしかねえな」

 その艦長の言葉を。エイモス医師が聞いた瞬間だったのだ。



 声が、変わった。

「うん? うおっ」

 いままで長い口吻を持ち上げて鳴いていただけの巨大幻蟲が、胎児のように縮こまっていた身体から右手の鎌を高く天にあげて。振り下ろした。

 地響きとともに工業地帯に鎌が刺さる。工場の瓦礫が弾ける。背中に突き刺さった鎖がびいんと張って、北へと進む骸骨の頚椎が後ろに引かれて仰け反った。今度は髑髏が叫びをあげる。


 上半身だけの骸骨と。

 赤ん坊のような巨大蟲が。

 北と、南へ。正反対に。

 張り詰めた鎖に繋がれたまま、別方向に進もうとする。

 骸骨は街へ。胎児は海へ。


 変わらず口吻をあげる蟲の声が変わった。先ほどとは違う何かを叫んでいる。遠くで見る隊長とガリックにも、その声質の違いがわかる。

「なんだ……なんて言ってるんだこいつは」

 隊長の横でガリックも唸りながら、南へと這いずり始めた蟲を見るのだ。



 その目からまたしても流れ始めた赤い涙を拭おうともせず。エイモス医師がアキラに言う。

「あれと、戦えるのか? アキラくん」

「え、ええ。なんとか対処できると……思い……え?」


=どうしたアキラ?=


 押さえたこめかみの奥に。声とは別に。獣たちが耳で捉えた骸骨の声とも、蟲の声ともおそらく違う、また別の声が。


 彼方より。〝助けを求められている〟と。


=どうしたのだアキラ=


「いや待って俺まだ右足、ちゃんと治ってないんだって!」


 我を喚べ、と。

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