第百十話 地獄門

 第三十番地区魔導炉の地下へと続くコンクリの階段を。


 ひたすら駆け下りるモルテンは余計なことを考えるのは一切やめようとしていた。背広のポケットに入っている、この石のことだけでいい。手のひらで握れるほどの小さな尖った黒曜の石だ。


「こいつを。こいつを突き刺しさえすりゃあいいんだ」


 クロウはどこでもいいと言っていた。頭でも身体でも。手足はちぎれて吹っ飛ぶおそれがあるからそれは避けて、どこか適当なとこに埋め込んだらいい。簡単だ。簡単な仕事だ。たったそれだけで。


「次の棟梁は、俺だ。へ。へ。」


 数段おきに飛び降りる。息が上がる。階段がようやく終わって地下通路を走る。見えた。ボスの軟禁された部屋だ。


 哀れなもんだ。しょうがねえよな。世代交代ってやつだよバーヴィン=ギブスン。あんたはよくやった。アンダーモートンをここまで引っ張ってきたのはあんただ、その手柄だけ幻界まで持っていきな。こっちはこっちで若いもんがうまくやるからよ。と。


 気がつけば考えるまいと思っていた余計なことばかり頭に浮かんでいたモルテンが扉のノブをぐっと握った瞬間。


「ぐえっ?」

 全身に凄まじい鳥肌が立つ。

 理由はわからない。


 この扉を開けちゃいけないんじゃないか?

 取り返しのつかないことになるんじゃないか?


 しかしそんな魂の警告をモルテンは無視した。この正念場であやふやな直感など気の迷いだと首を振る。


 心の声に従うべきだったのに。

 扉を開けたモルテンは。


 その光景に固まってしまった。


 地下室は異界と化していたのだ。天井と壁の他にはベッドが置かれただけだったはずの部屋全体にびっしりと張り巡らされた血管のような赤黒い脈が波打って、周囲は巨大な菌類が無数に伸びた茂みのような様相で。


 その中心、錆びたベッドの上に。ゼリー状の白濁した粘体に包まれた人間大のなにかが転がっている。中でわずかに動いて見えるのは、胎児のように丸まったギブスンの背中なのか。


「ぎ……ぎゃああああああッ!」


 悲鳴を上げて後ずさったが、もはや手遅れだった。そこらじゅうの床から伸びた柔突起の先端たちが次々に振り返る。その全てに、ぎょろりと。単眼がついていた。


「うわ! うわ! うわああッ!」

 じゃあッ! と。

 細く長い棘の群れが。床から一斉に突き出して。


「うびびッ!……きッ!……」

 哀れなモルテンの全身を串刺しにする。


 下からの棘が太股も骨盤も腹部も貫き胸と頚椎を突き破って。破れた身体からびゅうびゅうと噴水のように血が噴き上げた。


 一瞬で絶命したモルテンの背広のポケットを、一本の棘が突き破る。そこから取り出したのは、真っ黒なガラス質の鋭角に尖った石だ。触手のように鎌首をあげてその先端に石を巻きつけたまま、棘はベッドの塊に向かって。


 どぷりと飛び込んだのだ。

 部屋に、こだまする。奇怪な声が。


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「導師ッ!」

 ガラが叫ぶ。

 先ほどから急に地鳴りが激しい。


 第十七番地区、どろどろとした粘体が流れ落ちる魔導送配管本部の裏庭に。倒れ伏していた導師シャクヤを見つけた三人が駆け寄った。抱き起こしたガラがぐったりとなった老人の、右胸を押さえていた血に染まった手を除ける。と。


「——なんだ、こりゃあ?」


 コートにべったりと張り付いた血糊の真ん中に何かで突き刺したような小さい丸い穴が空いている。まさか蟲に喰い突かれたのか?


 横でしゃがんだ爺がシャクヤの頸に指先を当てて。


「〝硬気〟を張っておるの、途切れておらん」


 それだけ言って「ふんッ」と。二本の指で傷口を突き破った。ぎいっと導師が歯を食いしばる。一瞬で。傷から指を引き抜く。血濡れたその先に挟まれていたのは頭の潰れた銃弾だ。


「鉛玉かよ?」

 驚くガラに構わず弾を投げ捨てた青果屋が。

「肉で留まっておる。縫えば塞がるじゃろ。連れ帰るぞ」


「大丈夫なのか? 急がねえとマズイぞ」

 導師の周りでしゃがんだ二人に促すケリーは建物を見上げたままだ。いよいよ地鳴りが大きい。体が揺れる。そして唐突に。


 ばぎ。ばぎ。ばぎばぎばぎと。


 ガラと青果屋も建物を見上げて驚愕する。三階建て送配管本部の外壁が上に伸び始めたのだ。


 張り巡らされたのは鉄の配管であるはずなのに、それがごりごり軋みながら反時計回りに捻れて一階と二階部分が細く伸び上がって黒い粘体を垂れ流す。最上階を持ち上げていく。その三階も折れ曲がった排気の管がまるで黒い果実を乗せた棘だらけの花弁の如くに広がって。


 塔だ。捻れた塔に変化していく。


 粘体が降り注ぐ。千切れた壁の破片がばらばら崩れ落ちて。

「急げッ!」


 傭兵が肩で導師を引き上げた。怪我人を抱えて壁は跳べない。

 三人が正門へと向かうのだ。





 彼が何を察知したのか隊長には分からない。が。異常に素早い反応で。


「グウウウウッ!」

 垂れる銀髪に隠れた鼻の頭に獣のような皺を寄せたガリックが工場の陰から飛び出したのだ。


「おい!」と声をあげて後を追う隊長も道路に駆け出す、と。左手首のアルトに借りた腕時計型魔力検波盤パルスコープが強く震えた。その盤面を見る。


「——4000ジュール?」


 周辺の魔力マナが急激に上がっている。

 隊長たちは被曝し始めている。帝国製の防御服プロトームを着込んでいる自分は、まだこの程度なら耐えられる被曝量だ、だが庭番は? 彼の姿を探し工業団地の道路を見渡すその足元が。


「うおッ!」

 がくんと大きく揺れて。


 先に道路に飛び出したガリックもあちこちを見ていたのだ。立ち並ぶ工場の屋根を、その上の空を。そしてそびえ立つ魔導炉に視線を戻して。


「ガアアアウッ!」

 庭番の咆哮は完全に獣のようだ。一声叫んでこちらに素早く駆け寄った。義手の右手で隊長の身体を巻き込んで。腰を低くする。


「——跳ぶのか? どこに? うおッ!」


 まるで重機のような義手の膂力りょりょくが凄まじく、身体を巻かれた隊長ごとガリックが道路端の工場の屋根へ跳び上がった瞬間。激しい土埃を上げてコンクリ様の路面にヒビが走った。


 鉄板の屋根に飛びついて登り上がって周囲を見る。空中に細かい飛沫が舞い上がっているのは、これは埃か、砂か? ほどなく。隊長の視線が固まってしまった。

 

 屋根から見渡す第三十地区の空の下。

 連なる工場群のあちこちから。

 空に鉄鋼管が持ち上がる。鉄の破片が飛ぶ。


 工場から塊の部品がばぎばぎと千切れ飛び、ぎいいいいいと軋む音と共に数々の屋上の向こうで細い太いいくつもの魔導配管が折れ曲がって立ち上がってきたのだ。それらはすべて同じ方向に集中するように。


 三十番魔導炉が周囲の工場を吸い寄せている。

 やがて部品だけでなく。


「ウガアアアッ!」

 ガリックの叫びに隊長が我に帰る。近隣の屋根が。工場そのものの外壁が剥がれて持ち上がり始めた。鉄板のひしゃげる鈍い音があちこちから聞こえる。混ざる悲鳴は内部の工員たちだろうか。風が噴き上がる。外套がはためく。このままでは巻き込まれる。


 隊長と庭番は同時に屋根を駆け出した。次の工場へと跳んで。さらに走って。その最中にも周囲にがらがらと音を立てながら宙に持ち上がっていくプラントの部品は引き上げられた鉄塊でできた臓物のようだ。空を無数の鉄屑が飛んでいく。鈍く光る。あちこちの工場から飛び交う悲鳴が凄まじい。


 四つ目の屋根に飛び移って隊長が振り返った。

 おかしい。

「待てガリック」「うううあ?」


 完全に向かい風になった屋上で。しばし遠くまで視線を飛ばす。もういくつかの工場は屋根が剥がれて舞い上がり配管に繋がった工場の機材すら空に浮かび上がっているのに。


 自分たちが巻き込まれない。


 離れた距離から見る魔導炉の表面には周囲から群がった鉄のスクラップが張り付いてだんだんと山を成している。磁力か? おそらく違う。身に付けた防御服もバックルも魔光剣の柄さえ引き寄せられないからだ。


 びゅうッと頭上を千切れた配管が飛び越す。二人が素早く伏せたこの屋根も震えている。程なく吸い上げられるだろう。


 今は理由がわからない、が、もっと離れなければいけない。また立ち上がって二人が走り出す。向かい風がますます強い。





「ふ、ふざっけんじゃねえッ! なんだこりゃあッ!」


 周囲に巻き起こる旋風とともに道路沿いの工場から多数のがらくたが地上から舞い上がって。ついにひびの入った路面の下からも猛烈な勢いでちぎり折れた地下配管が三本、四本と立ち上がる。


 真っ白に噴き出しているのは精製前の魔力マナなのだろうか、いくつかの配管が虫の様にくねりながら空中に撒き散らしているのだ。


「ハ、ハ、ハンドルが効かねえッ!」


 吹き荒ぶ風の中で、全長10リームを越える巨大な牽引車トレーラーがその車体を軋ませながら徐々に浮き上がり始めた。助手席の魔力検波盤パルスコープからアラートが鳴りっぱなしだ。ジャックマンが禿げた頭にぶわっと脂汗を球のように湧かせて隣に座った部下に怒鳴った。


「何してやがる! とっとと進まねえかッ!」

「やってますって動かねえんですよッ!」


 運転席の部下も必死でがんがんと足盤ペダルを踏みつけるが機体がまともに動かない。


 がくんッと揺れて一段と座席が傾く。フロントが持ち上がっている。検波盤は鳴り止まない、車の外は強烈な魔力の曝露があるのだ。また一段浮く。割れんばかりに歯を鳴らしたジャックマンが背広のポケットに左手を突っ込んだ。確かにはある。


 決断しなければ。窓の外に鉄鋼管が飛んでいく。もう保たない。

「ひいいいッ!」

 また揺れる。車体が浮いていく。


「この……糞ったれがッ!」

 ジャックマンは思い切り助手席のドアを開けた。突風が吹き込む。傾いた車内に旋風が巻いて。ぎゃっと他の二人が叫ぶと同時に。一人だけ外へと飛び出したのだ。


 ひび割れた道路に転げ落ちたジャックマンが仰向けになって見たのは。ぎゃああああっと二人の部下が悲鳴をあげる牽引車トレーラーの全体が大きく立ち上がって道路向こうにそびえ立つ魔導炉へと吸い寄せられて飛び立っていく、その車体の底だった。


 荷が。抗魔導線砲アンチ=マーガトロンが。

 鋼鉄のがらくたの山へと持っていかれる。


 卵型の魔導炉の下半分がすでに吸い寄せられた鉄鋼の破片で埋め尽くされている。


 そして、ぶわあああっと。舞う砂埃の中でジャックマンのひたいから湧くように汗が垂れた。心臓が。割れるように。手が。体が。痺れる。ぐずりと皮膚が崩れる。

 魔力だ。

 どぶから浚った泥みてえな質の悪い魔力だ。


 全身に染み込んでくるのだ。ポケットに入れたままの左手を素早く抜けば、ぼすっと小指の肉が取れた。握られていたのは矢尻のように尖った黒曜の石だ。


「へッ……ざッけやがって……俺も仲間入りかよッ!」


 自ら左の頸に勢いよく突き刺した。躊躇は無いが。猛烈に風が渦巻く道路にジャックマンの悲鳴がこだまする。





 異変をいち早く察知したのは南インダストリア空域に展開するモノローラの一群であった。暗雲が渦を成す第十七番地区の魔導送配管本部ビル上空へと飛来した数機が見たのは、胞子嚢の如くに三階部分を持ち上げて伸び上がったビル本体と。眼下に広がる工業地帯の向こう、あれは三十番地区の魔導炉だろうか?


「な、な、な。何だあれはッ?」

 周囲から噴き上げる風が次々と炉に集めているのは周辺の工場から引き千切られて飛んでいく無数のスクラップだ。がしゃがしゃと集めた鋼鉄の塊と化した魔導炉がおよそ地上から百リームでもあるのだろうか、すでに山を形成している。


 勢いよくカウルを旋回させて海側へと舵を切る国軍機が相互に通信を飛ばす。


『近づくな! 巻き込まれるぞ! ——南インダストリア空域に異変! 本部応答せよ! 十七番地区に続いて三十番地区に異常発生ッ!』



「がああああああッ!」


 虎が咆哮とともに打ち放った右拳から噴き上がる火焔の柱が、粘体の如くに数百リームを突き進む。疾走するアンダーモートンは身軽に、目のない顔を振って横っ飛びに火焔の射線を躱す。が。「ぬうおッ!」と前に振り抜いた拳を握り返した虎がまるで右フックの様に曲げて二段で肩を入れる。


 射線が曲がった。炎が曲がった。

 巨大な柱が飴のように横殴りで蟲憑きの身体に殴りかかった。ごおおおおっと燃え上がる敵の巨体から悲鳴が上がって。


 そこから。振り抜いた右腕を思い切り握って絞って。ぐっと手前に引き抜いた。轟音が。火焔の柱が爆発を起こす。


 敷地の路面が爆圧でめくれあがった中で木っ端微塵に吹き飛んだ敵の身体の向こうから。爆炎を突き抜けてさらに二体の人間が飛び出してきた。やはり目がない。顎からは触手が生えている。そして疾い。凄まじいスピードで距離を詰めてくる二体の両肩に背負った砲身から、四つの光弾が撃ち出された。


 ロイが足を踏み込む。

「ううううおッ!」


 右から左に扇のように。鱗の腕を大きく振り抜いた国軍の前方十リームほどに横一直線に、地面の土砂をぶち抜いて透明の防御壁が立ち上がる。光弾は四つほぼ同時に着弾して壁の向こうで起こった眩しい爆発に兵士たちが身を伏せた瞬間。


 生身の拳を叩きつけて。折れた指を飛ばして。その壁を殴り割ってアンダーモートンが飛び込んできた。


 それを。

 砲身ごと敵の肩から大剣一閃で袈裟切りに切り伏せたのはファイルダー将軍だ。防護服から発する障壁がどす黒い返り血を浴びた。


 もう一体が拳を構えて壁の向こうで飛び上がったが、遅い。貫手に構えたロイの右腕がぼうッ! と突き出され逆にこちら側から破られた壁から見えない空圧の槍が相手の腹を貫いて。背中が吹き飛ぶ。


「首を飛ばせ将軍! 蟲憑きだッ!」


 虎の叫びに下段の光剣を持ち上げて。片腕で。

「ううおりゃ!」

 真横に振り抜く。将軍が首を刎ねる。


 土手っ腹に穴を空けながらなお透明の壁の向こうで立ち上がった片割れに、ロイが手刀を放った。飛竜の風刃はがしゃああっと壁を割って。

 敵の胴と首が離れた。壁の内と外で二体、斃れる。


 獣は一体も寄せ付けていない。

 やはり厄介なのはアンダーモートンだ。

 だが、それにしても。


 虎が正門に視線を飛ばす。同じ蟲憑きで、しかも獣と人間なら身体能力は獣が上ではないのか? 確かにアンダーモートンが訓練された人間といっても、あまりにも差がありすぎる。


 これはひょっとして。

 獣化したばっかしの人間じゃねえのか、あいつら?


 アンダーモートンが訓練されているのではなくて、この獣たちがまるで訓練されていないんじゃないのか。だとすれば魔力に被爆したばっかの人間だ、どこで? この工業地帯でだ。


 昔っから魔導の工業地帯では被爆した工員が獣化する事故があるのは、虎も知っている。工業地帯に抗魔導線砲アンチ=マーガトロンが運び込まれて照射されるというのなら——。


「なるほど。暴動抑止のデモストレーションで、俺らは巻き込まれたって筋書きにしてえんだな。政治家の考えそうなことだ」

「なんですと?」

「こいつらは足止めだロイ。狙いは国軍じゃねえ。俺らだ」


 怪訝な顔をする飛竜が拳をごりっと握って。また敵に向き直る。爆炎の向こうには、まだのろのろとこちらに向かって歩みを進める獣たちの影が見える。


「足止めとは抗魔導線砲アンチ=マーガトロンが発射されるまでの?」

「そうだ。だが、それでもおかしい」

「時間がかかり過ぎですな」

 ロイが答えた、そこに届いたのだ。


 通信は将軍の腕輪だ。

『南インダストリア空域に異変! 本部応答せよ! 十七番地区に続いて三十番地区に異常発生ッ!』


「ああッ! なんだと?」

『三十番地区の魔導炉です! 周辺の工場から部品を集めて、山がッ!』

「山? 山とは何だッ!」


 叫ぶ将軍を見る虎とロイの腕輪からも、ダニーの声が響いた。

『艦長。検波盤に奇妙な反応があります』

「なんだダニー、奇妙ってのは?」


励起反応フォージングです。工業地帯に走る魔導配管の魔力が励起反応フォージングを起こしています。危険な状態です』


 ダニーの返事に虎とロイが目を見開く。

「どの辺りだダニー、まさか」

『南インダストリアに繋がる配管ルートです。ケリーが危険です』


 励起反応フォージングは魔力の不安定状態だ。攻撃用の魔力は故意に励起させて光弾を撃ち出し爆発させる。配管に流れる工業用の魔力が励起していれば、その繋がった先の工業プラントが誘爆する。

 

 臨海工業地帯が吹き飛ぶ。そんなことを政治家が?

 虎が叫んだ。

「将軍ッ!」「ああっ?」


「俺らは飛ぶぞ! 国軍も避難しろ! 南インダストリア一帯が——」


 どどどどどどどどおッ! と。虎の声を遮って立て続けに、また正門方向から発射音が響いた。連射だ。空にいくつもの棘が飛ぶ、蟲の群れなのか。舌打ちをした虎が拳を構えたその時。


 北の空から一斉に、まるで追尾弾ホーミングのように。

 無数の光の矢が蛇行しながら正確に一矢一撃で敵の放った蟲を宙で仕留めて爆破していくのだ。


 飛んできたのはカーキ色のモノローラだ。長い金髪が風に舞う。


「帰ったわ隊長ッ!」「到着うッ!」


 後ろに従って二人乗りのロックバイクも飛び込んできた。国軍の頭越しに勢いよく舞い降りた二機がざあっとテールを滑らせ土埃をあげる。リリィの後ろから素早く降りた犬の獣人が、しかし足元をふらつかせて。将軍が目を丸くした。


「お前……ラウザのとこの親衛隊か?」

「はいっ。ダリル=クレッソンです」


 中腰で返事をする獣の兵士は随分と身体がきつそうだ。では彼も戦っていたのか? 蛇の連中と一緒に? ということは、この件に副議長も一枚噛んでいるのか? そんな疑問を声に出そうとして。だが将軍が。


 いや。

 将軍だけでなく。

 虎も。飛竜も。着いたばかりの獣たちも。

 そして国軍の兵たちも。


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 その呪文は攻め入る獣たちすら凍りつかせたように立ち止まらせて。

 空を見る。誰彼ともなく。



 奇怪な呪文は染み込むように蛇の機内にも響き渡った。動力室。管制室。主砲、副砲車両と。獣たちが見えない天を見上げる。見渡す。ミネアが気づいた。レオンの握りしめた杖が震えている。


 医務室では、モニカとサンディが横にいた。アキラは後ろにいた。担ぎ込まれた少女はベッドに身を起こしたまま眼前の医師を凝視して。

 

 エイモスが。その両目から。

 開いた義眼の右目と傷で潰れた左目の、その両方から。

 血の混じった涙を流していたからだ。


 シーツに片手をついたままぶるぶると震える両肩へアキラが声をかけた。


「……せ、先生——」

「ひどすぎる」「……え?」


「始まりは、俺だったのかもしれない。けしかけたのは、俺だ」


 ばた。ばたっと。シーツに血の跡が丸く染み込んで。年老いた頰に赤い涙が落ちるその様を、エリナが食い入るように見つめている。


「でも選んだのはお前じゃないか。少しはしあわせだったんじゃないのか。笑っていたじゃないか。サラと結婚したときだって、アリアが生まれたときだって。お前は笑っていたじゃないかゲイリー。金に困ったときだって何度も助けたじゃねえか」


「……おじさま……?」

 呟くように問いかけるエリナの声に、しかし。医師は虚ろな顔をしたままで。肩を怒らせ血涙を散らす。


「その行き着く果てがッ! このざまかゲイリーッ!」



 世に響き渡る奇妙な呪文に巻かれるが如くに第三十番代魔導炉はその全体に引き寄せられた鋼鉄のスクラップを張り巡らせて積み上げて。軋み。鈍く甲高い金属音は周辺から舞い上がる旋風に鉄板が揺れているのか未だ変化へんげの途中なのか。


 もはやその山は臨界の工場を見下ろすほどに盛り上がって。ぐねぐねと張り付いた配管のうねりがところどころからぶしゅううと白い蒸気をあげている。


『危険だ! もっと遠巻きに旋回しろ!』

 がらくたの尖塔となった魔導炉に数機のモノローラがカウルを微調整しながらゆっくりと近づくその一瞬。


 塊を突き破って。空に。

 とてつもなく巨大な。骨の腕が。

 なにひとつ、間に合わなかったのだ。


 山から飛び出した骸骨の掌が飛ぶモノローラを握り潰した。骨の中で爆発が起こる。呆気にとられた他の機体に襲いかかったのは噴き上がった山の破片だ。


 どおんッ! と。中から。猛烈な破壊で鋼鉄の屑が砲弾のように飛び散って。


『う! うわあああッ!』


 避けきれなかった数機が鉄の破片にまともにぶつかってカウルを吹き飛ばした。真っ黒な眼窩と頭蓋骨が頭突きで飛び出してきたのだ。


 骨の肩が。首が。頭が。髑髏が。牙が生えている。

 まるで残った筋肉が張り付いているように曲がった配管と鉄屑で全身を覆って。


 首に、腕に、鉄輪と鎖が繋がっている。


 魔導炉を核とした鋼鉄の揺籠ゆりかごを割って出現したのは五本のツノがたてがみのように後頭部から頚椎へと流れた骸骨の怪物であった。開いた門の向こう、漆黒の闇から抜け出さんとして両腕でぎああああああああと鉄の殻を折り曲げて。陽が差し込んで。骸骨の鎖は魔導炉の奥へと伸びていた。


 腕を突き下ろす。工場が潰れた。鉄板が飛び散る。そして首を伸ばす。反対の腕を、また。突き下ろす。掌の裏で潰れた何かが爆発を起こす。朦々と。黒煙が上がる。


 骸骨は四つん這いで、鎖を引きずりながら手で歩いていた。がじゃら。がじゃらっと。どれくらいの太さがあるのだろうあまりに大きい鉄鎖が張って。


 それも闇から引きずり出されてきたのだ。


 鉄の鎖に繋がれていたのは胎児のように丸まった馬鹿でかい蟲だった。四肢が鎌状になって縮こまった毛むくじゃらの蟲は単眼で顎からいくつもの触手の中心に長い吻を垂らして。横向きに引きずられて出てきたそれの背中にあろうことか。骸骨の枷から伸びた鎖の先に繋がった銛のような鋼鉄の楔がいくつも突き刺さっていたのだ。


 そして骸骨には下半身がなかった。尾のように伸びた脊椎は胎児の蟲が抱え込んだ何かに繋がって骨でありながらどくどくと脈打っている。


 蟲の胎児を重石につけた骸骨の怪物が。その頭を振って咆哮する。


 同時に。蟲もまた吻を投げ上げてぼあああああああと声にならない叫びをあげた。

 泣いているかのように。



「ふ、ふ、ふふふ」


 モニタに映った化物の姿を、椅子から立ち上がり計器盤に腕をついた黒衣のクロウが可笑しげに凝視する。痩せて窪んだ目の奥がぎらぎらと輝いて。


「なんだそれは。なんて格好だバーブ。そんなものか。そんなものにしかなれないのか? たいしたことないじゃないか。金があるんじゃなかったのか? 組織があるんじゃなかったのか? なあ。強いものが偉いんじゃなかったのか?」


 クロウが笑った。


「なあ? 何もかも手に入れて! マリーも手に入れたんだろ! けどお前は結局そんなものだ! その程度だ! まるで赤ん坊じゃないか! 手も足も出ない赤ん坊だ! ははは! やはり最後は力だッ! すべて投げ捨てて力だけを手に入れるものが勝つッ!」


 首筋の腱を引きつらせてクロウが拳を握る。

「それが世界だ。このどぶ川みたいな、世界のことわりなんだッ!」



「あいつを。助けなきゃ」「——え?」


 ミネアがレオンを見る。腰まで伸びた赤毛を揺らめかせたクレセントの少年は杖を両手で抱えたまま。呟いて。ミネアの方を向いて。今度ははっきりと言った。


「あいつを助けてやらなきゃダメだミネア」

 レオンは涙を流していた。



 傷ついた導師はガラが背負って、狼の後ろには青果屋の老人が乗って。二台のロックバイクからごおごおと唸る風の中で、ケリーたちは怪物を見上げていた。


「二度目かよ。どうなっちまってるんだ世界は」

 忌々しげに言う狼へガラが、もはや魔術の塔となった魔導送配管本部を遠目に見ながら声を飛ばす。


「もう俺たちの手にゃ負えねえぜ旦那」

「わかってる。おそらくここ一帯も砲撃が飛んでくる。ロックバイクじゃらちがあかねえ。せめてモノローラでも——」


 ずしん。と。バイクが揺れた。同時に。


 あちこちから上がっていた悲鳴が一段と引き裂くようで。やがて道路脇の工場から。巨大な扇型の頭に単眼を開いたヤゴの幻蟲がのそりと現れたのだ。でかい。鉄板の屋根に頭が届くほどだ。その足元からざらざら音を立ててサソリ型の幻蟲が群れをなして。


 バイクに跨ったままの狼がぶんッ! と片手を振って魔光剣を伸ばす。

「いい加減うんざりだぜ」



 蟲は屋根にも鎌を突き立ててきた。工場の隙間からぎいいいと屋上を覗くようにあちこちから首を伸ばして。右の義手と左手の剣をガリックが構えて唸る。


 隊長はまたしてもずきりと痛む頭を軽く振りながら。破れた山から出てきた巨大な骸骨を見上げている。その間にも空にはいくつかの鉄屑が相変わらず吸い寄せられて飛んでいくのだ。


 隊長は理解した。きっと。魔力で紐づいているのだ。この工業地帯に流されていた魔力に漬かっていた配管や機材が吸い寄せられているのだ。先ほどから強く震える左手首の検波盤は、すでに二万ジュールを越えている。


「また死ぬのかな、俺は」

 馬鹿馬鹿しい程に気にならない。隊長が笑った。



 孤児院の玄関から階段を早足で降りた少年が、小走りで追いかけてきたヤンとハンナに振り向いて釘を刺す。


「絶対に敷地から出ないように。いいね」

「わ、わかりましたけど。院長は?」


 青年のそれには答えず、離れた納屋に停まった帝国のロックバイクに向かって、ばちんッ。と。指を鳴らせば突然エンジンがかかったバイクが自動で走り出した。二人が目を剥く。魔導のキーがかかったバイクは他人が動かせないはずだからだ。


「様子を見てくる。心配は、いらない」


 まるで駆けてきた馬にでも飛び乗るように。

 院長アルトムンドが片手でバイクのハンドルを掴んで、その小さな身体を飛び移らせたのだ。

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