第百八話 二発の弾丸

——それは一瞬だった。


 川を越えて飛ぶアキラのロックバイクの正面から真っ直ぐに向かってくる機体は本当に一瞬で、猛スピードで空中をすれ違う。

 カーキ色に鈍く輝くカウルは見覚えがあった。運転する彼女の金髪が風防障壁の中ではためいているのをわずかにアキラが捉える、それも一瞬だった。


 狐がこちらを見たような気がした。

 ノーマが行った。通信は届いたのだ。

=彼女に任せろアキラ。基地へ向かえ=

 声に頷いたアキラが歯を食いしばる。あと少しだ。


 水路を抜けた臨海の工業地帯は源泉を魔力に持つのかもしれない、だがアキラの記憶にある関東湾岸のそれに似ていた。百万都市を支える生産プラント群は縦横に複雑に張り巡らされた錆びた鋼鉄の配管が、あちこちから白い蒸気を吐きながら。

 地を覆っている。その上を飛び越えて。

 見えた。広大な敷地だ。空に展開する多数の国軍機の群れから数台がアキラのロックバイクへ飛んでくる。相手の通信が聞こえてくる。

『そのまま直進せよ。エリア1。無限軌道ウォーダーへ誘導』


「……見えたッ……やっと……」

 敷地に着陸した蛇を視認したアキラの目に、なぜか急に涙が溜まる。



 カウルを回転させ浮揚ホバリングする上空のモノローラが巻き上げる塵と風に外套を揺らして、アキラの着地を待っていたのは虎と飛竜だ。蛇の格納庫からサンディとリッキーが走ってきた。

 将軍と総督の老人も兵士を従えて、二人の人間が乗ったロックバイクを見守る。ゆっくりと降りたアキラの機体が基底盤を地面に下ろす。


 身体に縛り付けられた少女をサンディが解こうとして駆け寄った。

「あ、ありがとう」

「大丈夫でしたかアキラさ……んっ」

 犬の娘は絶句した。リッキーもそうだ。今朝方別れたばかりのアキラがあまりに憔悴しきった表情で、真っ赤な目で頷いたからだ。

 手伝うリッキーがばっと一気にロープをはだけた瞬間に、サンディが軽々と娘を両手で抱え上げた。そして振り向く。

「艦長ッ!」

「医務室でいい。まだエイモス先生には会わせるな。何が起こるかわからん。モニカ主体で診てくれ」

「はいッ!」

 赤毛の娘を抱いた犬の女性と青い子猫が早足で蛇へと駆けていくのを、将軍が目で追って。老人は獣たちに囲まれる銀髪の青年を、じっと観察していた。

 

 バイクを降りて数歩。ふらあっとよろめく。

 その肩を虎が正面から支えた。顔を上げたアキラに。

「——なんてえ顔してる」


「艦長……俺、リリィさんを置いてきて」

「聞いた。ノーマが飛んだ。心配するな」

 虎と飛竜の姿を見て。アキラの唇は細かく震えて声が続かない。


「あの子の蟲は外れたのか?」

 虎の問いに、ただ頷いて、頷いてばかりで。

 そして一気に。

「艦長、艦長」「うん?」

「人を殺しました。艦長」

 ばらっと涙をこぼしたアキラの銀髪を、虎が肩に抱え込んだ。

 傍の飛竜は何も言わずに見ている。イースの右手が声を殺して泣き続けるアキラの背をとんとんと叩く。

「何も変わっちゃいない。いいなアキラ」

「はい……はいッ」

 警戒が続く本部敷地の砂煙の中で、虎はアキラの震えを受け止めるままだ。


 渋い顔の将軍はもはや口を挟むことをしない。

 そこまで馬鹿でもない。

 きっとこれは〝救出作戦〟だったのだ。この獣たちの中で、重要な作戦が進行していたのだ。腕輪を口元にやる。

「こちらは問題ない。周辺警戒に戻れ。時間は?」

『連絡より四十分経過してます。空域展開します』

 ホバリングしたモノローラが上空に旋回する。





「ひゃっひゃあッ!!」

 奇天烈な笑い声を響かせたパダーが一瞬で跳び下がった河川敷の地面が吹き飛んだ。狐の放った数発の魔弾が躱されたのだ。左右の指に嵌められた、ぎらつく指輪が空中に光の軌跡を残す。

 リリィの胸で必死に構える兵士のダリルが目を剥いた。あの身体のどこにそれほどの運動能力があるのだろうか。

 だが狐は臆せず金髪をなびかせ立て続けに前に大きく踏み込んで。肩で構えた右手を思い切り振り抜く。


焔號エンゴウ。〝神鏑カブラヤ〟ッ!」


 狐の周囲で空間より撃ち出された数本の光矢こうやが、飛び立つと同時にごおっと紅く燃え上がり炎の渦となって一直線に。

「ひょッ!」

 透明の壁に包まれたパダーが両腕を交差してさらに跳び下がる、その体躯に火柱がぶち当たって。しかしそれでも。

「うううううりゃあッ!」

 パダーが腕を振り払う。燃えた炎がちぎれ飛ぶ。その火焔の向こう側に。

「うおおッ?」

 狐は一瞬で距離を詰めていた。光る手のひらをノーマが真っ直ぐに伸ばす。パダーの胸先まで届いたしょうが激しく輝いて。


 ゼロ距離で爆発した。


 水路のほとりに轟音が響く。爆風にリリィとダリルが身を伏せた。数リーム後ろにパダーの身体が地面を縦に吹っ飛んで。だが。


 やはり立ち上がるのだ平然と。

「ひょおお。はっはあ。さっすがは〝蛇〟の連中だぜえ。その辺の獣とは段違いの戦闘力だ。なあ。ひょっひょっ」

 今の連続攻撃を受けて、なお軽口かるくちを叩く。なんと頭にかぶったベレー帽すら落ちていない。マントも破れていない。全身を覆う魔力の壁が爆煙を巻き付けながらぎらっぎらに輝いている。


 さすがにノーマも呆れて笑った。

「——ひょっとして『ムストーニア・クラブハウス』?」


 うひょっと喉を鳴らしたパダーが揚々とマントの襟元を両手の親指でびしいっと指差して吠える。

「そうッ! 『ムストーニア・クラブハウス』ッ!」

 マントの奥に隠れた魔法陣が電子回路のように煌めいている。リリィとダリルが唖然として。意味がわからない。ノーマだけが口元の笑いとは裏腹に視線は厳しい。


「戦場特化の法術系『防御服プロトーム』の最高級メーカーだッ! 元素障壁アンチマテリアル10万ジュール。環化重合変性サイクロポリマライズの粘力型だあ。ひょっひょ。本当に貴様ら〝蛇〟は楽しい。一目で見抜くか? 見抜くか? うん? さすがは抗魔導線砲アンチ=マーガトロンの実験台に選ばれるだけあるなあ」


 わざとらしい。獣たちが最も反応するはずの単語をパダーが持ち出す。ノーマが眉根をしかめたので。下衆な顔をして右手の指を逆手にわきわき動かすのだ。


「どうだ? 聞きたいか? 知りたいか? お前らに何が起こったのか俺は知ってるぞ? クリスタニアで死にかけたんだろ? アンダーモートンに嵌められたんだろ? 俺様は事情通だ。聞かせてやってもいいぞお、寝物語になあ狐ちゃん」

「薄ッ気味悪いこと言わないでくれる? あなたから情報聞き出すよりその耳障りな口を黙らせる方が先だわ。獣は音にはうるさいのよ」


 にたあっと笑ったパダーが今度は左手も動かし始める。両手の指が触手のようだ。

「知ってるぞ、よく聞こえる耳だあ。だから拷問に使える。ひゃはは」

「……は?」

「そのでかい耳に音響帽ヘッドバンドを縛り付けるんだあ包帯でな。そして大音響で流す。他のやつの悲鳴をなあ。死ぬ寸前の悲鳴をだあ。簡単だ。獣なんて簡単だ。なあ。半日で気が狂う。そうなれば音響帽バンドを外しても、頭から悲鳴が抜けなくなるんだ、ずっと、ずうっとなあ。泣き叫んで涎を撒き散らしてのたうちまわるんだ。そして自分から言うんだ『蟲をくれ』となあ」

 ひゃーひゃひゃと笑うパダーの下あごに並ぶ歯がおぞましい。

「ヒトも獣も簡単だッ! ひゃっひゃッ!」

「アンタは潰すッ!」

「やああああッてみろッ! できもしねェだろがッ!」

 

 パダーの振り上げた両腕の先が激しく輝いた。

 あれだ。リリィが目を大きくして叫ぶ。

「逃げてノーマッ!」

 モノローラを吹き飛ばした光弾だ。

 だが逃げない。金の産毛で覆われたその身体に紅い紋が湧き上がって。ざあっと再び足を踏み込み半身に構える。


 奇声をあげて振り下ろしたパダーの両腕からど太い二本の光弾が飛んだ。「うおおおおッ!」とノーマも両手を打ち出す。壁だ。

 まるで小型の直射砲バルトキャノンが撃たれたような白光が三人の獣の直前で。凄まじい爆炎を噴き上げた。

 地面が抉り取られ扇状に数リームほどの土砂が舞う。透明の障壁が砕け散った。が、爆圧は通らない。間髪入れずに。


濘號ネイゴウ。〝沙對羅サグラ〟ッ!」


 ノーマの周囲から透明の魔力がぐにゃりと空気を歪めて。両腕を交差して思い切り振り下ろせば伸びた粘体のように巨大な塊が膨大な質量となってパダーに襲いかかった。

 どおおんッ! と。土煙を上げて叩き伏せる。それでも。

「通らねえなあッ! らあああッ!」

 両指にはめた指輪が強烈な光を放って。粘体となった周囲の魔力を粉々に飛び散らせたのだ。大口を開けたパダーが叫ぶ。

「もう一発だッ!」

 また強烈に輝いた右腕をパダーが振り抜いた。


 一直線の光線がノーマの眼前で爆発した。張った壁が吹き飛ぶ。「ぐッ……!」と。伸ばして開いた右手に痺れが走って震える。


 後ろに守られたリリィはダリルを抱えながら狐の背中を見る。一体全体あの男は、どれだけの魔力マナを身体に蓄えているのか?


 こちらが押し負けているのか?

「ノ、ノーマッ」

「絶対にそこを動かないでねリリィ」

 振り向かずに狐が言うのだ。肩をわずかに揺らして声を張り上げる。

「ずいぶんと単調な攻撃ね。あたしの魔力マナ切れを狙ってるの?」


「うっひょ、そのとおりだ。物分かりがいいなあ狐ちゃんよ。後ろにお荷物抱えてるとろくに動けやしねえだろお前も? ああ? 壁も張れなくなるほど消耗したら生け捕りにしてやるよ」

「このカラダに傷をつけたくないんでしょ」

 上目で睨むノーマが少し笑って胸元を艶かしく撫でる。パダーの顔もにたあっと崩れた。

「わーかってるじゃねえか。魔力の尽きた貴様らは二匹とも生け捕りだああ。その犬は潰してもいいぜえ、なんだったらお前らの相手に連れて帰るか? ひゃっひゃ、俺ら人間様の目の前で見世物みてえにまぐわらせてやるよ。ああ。ああ」

 今度は左腕が輝いて。

「それもいいなあ! それもいい! 蟲憑けて馬鹿みてえに腰を振らせてやるッ!」

 振り抜く。どおんッ! と。もうそれは直射の魔砲だ。

 また咄嗟にノーマが「ぐうッ」と壁を噴き上げて。


 今度は下から突き上げるような爆発に。

 両手で張った壁が弾けて狐が数歩下がる。牙を食い縛る。

 よろめくノーマの向こうでパダーがほっほっほっと両腕を握って腰を振っている。

「うひょっひょっひょおッ! はっはアッ!」


「……あいっつ最低だわ。ノーマ大丈夫?」

「動かないでね、

「え?」

 やはりノーマは振り向かない。爆煙に舞う金髪をリリィが見上げた。構えを解かない狐の口元は正面を見据えながらかすかに呟いていた。

「アキラくんみたいには、いかないわ」

 リリィの耳がぴくりと動く。


 でっぷりと太い身体を斜めに曲げたパダーが。指輪をぎらつかせた両手の甲を内向きに広げて。

「見えるかリリィ? お前に吹き飛ばされた指に嵌めたこいつらが? うーん? いいかげん観念させてやろうかあ? 指輪一個に埋め込んでる魔石も最高級品だあ。一個が五十万ジュールだあ」

 その台詞に。リリィは固まってしまった。ノーマの顔が歪む。棟梁は笑う。

「そーだ。その反応だあ。いいじゃねえか。俺はあと百発でも撃てるぜえ? わかるか? 降参するか? いいぜそれでも。毛皮に傷がつかねえように加減するのも疲れるからなあ。だからこうやって喋ってやってるんだぜえ。優しいだろ俺様は?」


「……一気に片付けないとダメみたいね」

「ひゃっひゃ。やってみろお?」


 狐が宙に円環を描こうと。が。

「やらせやしねえぜッ? ひゃっひゃッ!」

 また両腕が光った。振り抜く。二撃。光弾が。「くッ!」とノーマは詠唱をやめて強い壁を打ち上げる。

 轟音とともに爆煙が舞う。今度はでかい。がらあっと崩れた透明の壁の向こうでノーマの息が、ついに荒いのだ。

 

「理術か? 詠唱か? させるわけねえだろ? ほら早く呼吸を整えねえと呪文が唱えられねえぜ? ひゃっひゃ」

 ぶあああと右手をまた光らせて。パダーが次の弾を腕に込めるのだ。はっはっと胸を上下させるノーマが、しかし。ふううっと一息吐いて。

 構えを解いて半身で立つ。ゆらゆらと垂れた金髪の前髪が乱れて。

「もういい」「ああ?」

「もう疲れたわ、いい加減。——上から3498」

 またリリィの耳が動いた。パダーが声を張る。

「ううん? 降参かあ? それでもいいぞお?」


「貴方の右腕を、全身を見てみれば? ——5514」

(5514……)リリィが頷く。


「ああ?」とパダーが光る二の腕を見れば。わずかに。濡れているようだ。何かが付着している。ぎょっとして胸を。腹を。左腕も見る。やはり濡れているようだ。

「あ? あ? なんだこりゃ」


 ノーマが軽く挙げた右手で指差す。

「〝沙對羅サグラ〟は水星ハイドラ大地星タイタニアの混成操術よ。まともに被った貴方に張り付いてこちらに情報を送るのが、役割なの。——9394、2007。どうかな?」

 言っている意味はわからない、が。

 本能的に。

「てめえらッ!」

 危険を感じたパダーがこれまでで最も激しく輝いた両腕を振り上げて。だがそれは間に合わなかったのだ。


 ふらっと横に半身をずらしたノーマの後ろから。真っ直ぐ立ち上がったリリィが両手で握った釘打銃ネイルガンを正面に構えて。

 躊躇はしない。何も言わずに。一発の小さな魔弾を撃ち放った。


 風星エアリア。マイナス3498。

 火星イグニス。マイナス5514。

 水星ハイドラ。マイナス9394。

 そして大地星タイタニア。マイナス2007。


 相克。逆位相エンチャント=キャンセラー

 どうッ! と。

 元素障壁アンチマテリアルの帯域を突き抜けた魔弾がパダーの鳩尾みぞおちを撃ち抜く。





 国軍本部の敷地上空に展開する警戒中のモノローラが、徐々に数を増やしていく。数機が蛇や砲撃艦の周囲に入れ替わりで着陸して、その度に駆け寄ってくる乗り手の兵士が交代しては何か声を飛ばしていた。

「状況どうだ? 西インダストリアに異常はない」

「特に目立った連絡は来ていない。ガセだったんじゃないか?」

「いや、確かな筋からの情報らしいぜ」

 互いに言葉を交わす兵士たちが空を見渡し、そして蛇を見る。漆黒の無限機動は馬鹿みたいに長い十二本の主砲を折り畳んで着陸したまま沈黙しているのだ。


 虎に軽く背を叩かれながらアキラが蛇の格納庫タラップに向かって歩く。やっと涙の乾いた目で上を見る。もう昼は過ぎているのだろうか、臨海の工業地帯は少し雲が増えてきて、陰った空をいくつもの機影が飛び交っている。

 二人の横につけた飛竜が腕輪に声を出した。

「ダニー。どうだ? 異常ないか?」


『目立った反応はありません。ですが、これだけ国軍機が飛び回っていると駆動音トーンが追いきれませんね』

 その返事に虎が今度は声を出す。

魔力検波盤パルスコープにも反応がないのか?」

『機影の他には、何も異常はありません。ただ暴露があるんでしょうか、工業地帯方面は魔力マナのもやがかかったようで全体的に反応がぼやけてます』


 そういう会話を続けるうちにも、正面のゲートからは各方面から召集された兵士たちだろうか、検問の遮断機がひっきりなしに上げ下げを繰り返して、搬送車キャリアが行き来している。

 落ち着かない敷地をぐるりと見渡した虎が、アキラの頭越しにロイに声をかけた。

「離陸すべきじゃ、ねえんだろうな」

 飛竜も難しい顔をする。


「わかりませんな。目撃したケリーとノーマの話では、クリスタニアでの攻撃は竜脈を伝ってウォーダー全体に到達したらしいです。それを考えれば浸透性の魔導のようですが、基本は光線砲だと思います。地上にいれば遠距離からは射角が取れないはずです」

「だが良い的でもあるわけだ、停まっていればな」

「高所から狙うなら、確かにそうですな。このあたりで高い建物といえば——あれは?」

「うん?」

 周辺の空域を見渡した飛竜と。虎が立て続けに気づいた。アキラも頭を上げる。その方角を見る。地上の将軍や総督、兵士たちも徐々に。

「おい」「なんだありゃ」


 方角は南西。遠い空だ。

 雲の色が、おかしい。


 黒煙にも似た暗い雲が周辺へとわずかに膨れ上がり、空の一部で渦巻いているのだ。虎が腕輪に声をやる。

「ダニー。南西だ。ここからは10キロは離れている」

『異常は検知しません。10キロなら駆動音トーンも拾えません。そんな遠くに何か見えるのですか?』

遠隔映像ビットで視認してくれ。雲がおかしい」

『了解しました』


 将軍と老人が駆け寄ってきた。ファイルダーの強面こわもてが緊張している。

「見えるか艦長。ありゃあ、なんだ?」

「わからねえ。あの方角には何がある? 魔導炉か?」

「艦長」「うん?」

 横から声を出したのはアキラだ。

「——あちらは十七番区画です」

 その一言に、虎と飛竜が少し顔を見合わせて。だがもう仕方がない。再び腕輪に声を出すのだ。


「ケリー。聞こえるか。ケリー?」


 応答がない。逆に横で見ていた将軍の顔がみるみる曇って。

「お前たち……一体どれだけ首都に仲間を降ろしてんだ?」

「悪いな、こっちはこっちでやることが多いんだ。……ケリーから応答がない。何かあったのかもしれねえ」

「私が飛びますか?」と答えた飛竜に虎が首を振った。

「これ以上戦力の分散はまずい。ノーマが戻るのを待とう」


 だが。


 その五台は。幌を被った明らかに国軍所属の搬送車キャリアのはずだった。本部敷地の外周道路を走ってきた車体が、正門のすぐ横に走る鉄条網の張られた壁沿いに次々に浮遊したまま停車する。

 先頭の助手席からドアを開けて降りた一人の男は、これもまた兵士の外套に身を包んでいて。足早に正門遮断機横の検問所へと近づいてくる。


 ガラス窓の向こうから警備の兵士が首を覗かせて。

「おい。どこに停めてるんだ。応援ならさっさと中に」


 足を止めずにぶわっと広げた外套から。

 魔導銃ブラスターが発射された。

 検問のガラスが砕け散る。


 虎が。耳を立てた。


 顔を吹き飛ばされた警備員を見ることもなく。前を向いたままの男が銃身ごと右腕を大きく振る。搬送車キャリアが一斉に移動を始める。正門前に横付けされた五台の車体に。将軍も兵士たちも目を向けて。


 歩き続ける男の背中で、車の幌が開いていく。そこから。

 声も立てない。一言もなしに。

 怒涛のごとくに降りてきたのは、獣だ。口を半開きに涎をこぼした生気のない獣たちがまるで壊れた人形のように奇妙な歩みで遮断機を飛び越えて溢れて向かってくるのだ。


 空を飛ぶ誰かが叫んだ。

『——襲撃ッ! 襲撃だ!』

 虎と飛竜が身構えた。腕輪に声を飛ばす。

「ダニー。ミネア。誰も外に出すな」

 ぎゃあああんッ! と空域のモノローラがカウルを旋回させて突入する。将軍が右腕からがしゃああッ! と腕二本分ほどもある幅広の魔剣を突き出した。

「敵襲だ! 所属は不明、獣だ! どこから湧いてきやがったッ!」





「ひょっ……い、痛ってえ」

 贅肉に覆われた腹部を撫でれば。黒マントの奥に輝く防御服プロトームの一部がみるみるうちに鮮血に濡れて。その赤い染みがパダーの全身を覆う透明な障壁を伝って、まるでガラスの内側のように広がっていくのだ。

 砂煙が上がる。両膝を付いて、腹を押さえたパダーが倒れ込む。

「な、な、どうなって……」


「前の戦争から伝わる古い攻撃法よ。元素障壁をさらに無効化するのよ。貴方らは知らない」


「ひゃ、ひゃっひゃ、なんだそりゃあ? ひっでえ話だあ」

 それでも伏せたパダーはまだ笑っている。舌と歯が血に染まりながら喋るのをやめない。

「く、く、くっだらねえ。脆ぇもんだぜえ。高い金払って手に入れたってのによお。たった弾一発ってのは笑えるぜえ。ひゃっひゃ。お、おれは死ぬのかあ?」

「そのようね。やっとね」

 長い金髪を揺らすノーマが、まだ構えたままだったリリィの両腕に手をかけゆっくりと下ろしていく。むしろ肩で息をしていたのはリリィで、頰に一筋の涙が伝っていた。やっと。やっとこいつを。狐がうずくまるパダーに視線をやって言う。

「貴方はここで終わり」


「……そ、そおかよお。じゃ、じゃあ。最後に俺を楽しませてもらおうかあ?」

「死ぬ間際まで、何言ってるの?」

「俺が、死んでもなあ。獣の売り買いは止まらねえぜえ。大元を潰さねえとなあ」

 ぜえぜえとしぶといパダーの台詞に狐が振り向く。

 地面に這ったパダーが笑う。血まみれの口で。


「獣狩りの大元は。


 ノーマが。リリィが。毛を逆立てた。

 凄まじい形相の狐が男のそばまで詰め寄って。金色の産毛が全身、膨らんで。すでに障壁が消えかかったパダーのマントの襟を掴んで引きずり上げる。


「——何デタラメ言ってるのアナタ?」


「ひゃ! ひゃ! その顔だッ! ひゃはは! その顔が見たかったぜっ!」

 ばたばた血をこぼして叫ぶパダーが心底愉快そうだ。

「嘘かなあ? 本当かなあ? ひゃひゃひゃッ! 確かめなきゃいけなくなっちまったなあ! ごふッ……へ、へ、へ。行ってみろよ。エメラネウスに行ってみろッ! あの蛇に乗ってな!」


「ヴァン=セルトラが? 獣が獣を人に? 売ってるって言ってるのアナタ? デタラメ言うんじゃないわよッ! あいつだけはそんなことはしないッ! アレがどれだけ人間を憎んでいるのか知ってるのッ?」

 ひゃっひゃっと笑うパダーの頭をぶんぶんと揺らしながらノーマが叫ぶ。


「人間を滅ぼすのがアイツの目的よ? この大陸から一人残らずッ! そのヴァンがどうして人間の獣狩りに手を貸すのよ? どうして人間に獣を売るのよ? 嘘つくんじゃないわよッ! どう言うつもり? どう言うつもりなの答えなさいッ!」

 笑うパダーの頭を。揺らしながら。


「ノ、ノーマッ」

「答えなさいアナタッ!」

 リリィが後ろからもう一度声をかけた。

「ノーマ。死んでる。ノーマっ」


 狐の手が止まった。


 ピエール=インダストリアの棟梁、ファットジャン=パダーは。笑いながら死んだ。がくんと後ろに垂れた頭から、ベレー帽が地面に落ちた。


 死体の襟を下ろした立て膝のノーマの後ろから、ウサギが言った。

 エメラネウスにそういう通り名の狂った王がいることだけは、リリィも知っていたのだ。

「〝山脈の狂王〟が? なんでセルトラって名前……ミネアと関係あるの?」


 狐の眉間に深々と皺が寄る。まさしく。

 最後の最後までこいつは自分らに苦痛を与えて死んだのだ。





 館内から多くの悲鳴が聞こえる。周辺の道路には人だかりができていた。どろどろと暗雲が天で渦巻く第十七区、魔導送配管本部の外壁は真っ黒の液体が流れ落ち、異様な紅い霧が周囲に篭り始めていた。

 背面道路の壁沿いにバイクを停めたシャクヤ導師がちらと指先でグラサンを上げて、異界に変化した建物を見る。


「いかんなあ……なぜこんな顕現が起こっとるんじゃ」


 降りたバイクの脇からとんっ。と。身長の倍はあろうかという壁を易々と跳び上がって。裏庭のようだ。ケリーたちが乗り込んだはずの勝手口も見える、が、シャクヤはそれを知らない。今はガラと連絡も取れない。おそらくこの中にいるはずだ。


 ふわりと飛び降りた。自分が助けに入ってもいいが。

「生贄で造った魔術の楼じゃの。先に穴を開けておくか」


 異界で仕切られた建物の中に元素星エレメントが入れないであろうことを、シャクヤが見抜く。右手は上向き、左手は下向きにしょうを開いて構えて。黒い粘体に包まれた建物に向かって。


「ゆらかされかぬ あかしあの

 ままあるしえに やぶれながれし

 うすらぐまくよ くらきをはらい

 なすべく あるべく わかつべし


 O OLAMオラム QULTクルト AGLAMアグラム PELTQURANAGNペルトクラナガン


 唱文と共に。

 これもまた渦巻くように導師のコートが揺らめいた。


 天空の暗い暗い雲の塊に、そのあちこちに。まるでが入るようにぼつぼつと細かい穴が開き、一筋、二筋、三筋と。細い光芒が建物に降り注いで。

 なにが焼けているのだろう、じゅうっ、じゅうっと。光の当たったあちこちより白煙が上って、そして。

「ギャアア」「ギャア」と。黒く濡れた建物の外壁から細かい悲鳴が聞こえるのだ。時折あがる白煙は、まるで苦しんで叫ぶ人間の顔をしている。

 両手にぐううっと力を入れる導師が建物を睨みつけて。

「ヒトの魂を……なんという使い方をしておるのじゃ」


 一発の銃声がした。

「それが魔術だ、仕方ないだろう?」

 

 声の方を、導師が。見て。だが。その右わき腹に。血が。撃たれた。だがなぜ? 壁は張ってあったのに。身体に薄く張られた魔導の壁に。

「……ぐッ」

 弾痕が開いている。構えが解けた。雲の光が消えていく。わき腹が焼けるように熱い。これはなんだ? 魔導か? 魔術か? ぶわっと脂汗の吹き出たその顔を敵に向ける。


 ゲイリー=クローブウェルは右手に拳銃を握っていた。魔導の銃ではない。銃口からうっすらと煙が上がっている。

「火薬式の回転式拳銃シングル・アクション・リボルバーが、魔導師には効くのだろう? の言う通りだな」


 シャクヤ導師の顔が歪むのは、痛みか。それとも驚愕か?


「ガラムジャン?……ファガンの、長兄?」

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