第百六話 ポリス市街戦 ②

『3班から通信消失ッ! 敵と交戦の可能性ありッ!』

 空いたバイパスを爆走する黒塗りの乗用車リムジンに通信が飛んだ。

『2班、4班! デルケント通りを南だッ! 臨海に下ってんぞッ!』

 乾いたコンクリ状の路面より二十リームほど浮かぶ基底盤の緑光が、走る車体の残像を残す。


「いいかッ! あと一時間以内だッ!」

 後部座席よりパダーが体を揺らして吠える。

「てめえら絶対逃すんじゃねえぞッ! 東インダストリアに逃げ込む前に確保しろッ!」

 助手席の男が振り返って。

「工業水路の大河沿いに三本、幹線橋が架かってます。封鎖しますか?」

「おっしゃ。追跡班と封鎖班で組み直せ!」

「了解ですッ」と短く返答した男が通信を飛ばす。

「1、5、6班ッ! 幹線橋の北側を封鎖ッ! 獣一匹通すんじゃねえッ!」


 ピエールインダストリアの追っ手が展開するロックバイクは全員がタンデムだ。北部ビル街の厳戒態勢の敷かれた道路を加速するバイクのリアに掴まった背広の連中ががしゃッ! と次々に右手を振り下ろす。


 袖から勢いよく突き出したのは刀身八十リームほどの光の片刃剣だ。剣の裏側に沿って細長い銃身も隠れている。ぶらさがった魔導の剣先がちっちっと車道を擦って火花を散らす。

『男はぶっ殺せ! 女は生け捕りだッ!』

 武装したバイクが、葉脈のように入り組んだ街に散る。



 デルケント通りの爆発現場には既に数台の保安隊モノローラが到着していた。速やかに鎮火されたビル壁に溢れた消化剤の白い泡を道路に降りてきた野次馬が指差している。保安隊が脇に追いやる。

「危険だ! さがって!」


 車道に転がった死体に被せられたシートの周りに数人の兵士が集まって通信していた。

「被害者は全員、防御服プロトームを着用。魔光剣ソード大地星タイタニア弾を付与した連射式魔導銃ブラスターで武装しています。——はい。全員です」


 通信兵が腕輪に話しながら上空を見る。激しくカウルを回転させた数機が鋭角に旋回してビルの合間に飛んで消える。

「非合法集団同士の抗争の可能性があります。保安隊への発砲許可と国軍の出動を要請します!」


 高空を飛ぶ保安隊のモノローラには数カ所から同時に通信が飛んできていた。

『軍属機に戦闘態勢3番の指令が出た。包囲網は東インダストリア国軍本部。各機は巡回路を変更』

『こちら保安隊22、23、24。現場より発砲許可の申請』


 下のビル街を見下ろしながら兵士がヘルメットを片手で押さえる。今朝からの厳戒で街のバイパスには人っ子一人見当たらない——はずなのだが。

『15、16番。ペイル通りを東へ移動。南北バイパスには異常なし……いや。』

 バイパスの立体交差の下を西方面から。

『数台のバイクを発見。非該当だが接近する』


 機体のカウルがぎゅっぎゅっぎゅと緩く旋回して路面へと降下する。兵士の腕輪とスピーカーがリンクする。

「そこのバイク! 厳戒態勢中だ。所属は? 停車しなさい!……停車ッ」


「ハッハァッ!!」

 奇妙な喚声とともに。

 リアの背広が。

 こちらに向かって右手を振り上げた。眩しく光る。

 ががががががッ! と白煙をあげて撃ち放たれた魔導の連弾が保安隊モノローラの旋回する基底盤で破裂する。透明の壁が弾けて割れた。


「うおおおおッ!」

 叫ぶ兵士が投げ出され横倒しになったカウルが路面に激突し二転三転して。

「邪魔すんじゃねぇよ馬鹿野郎ッ!」

 走り去るバイクの後ろでモノローラが爆発した。





=うん? 連中と保安隊が交戦したぞ?=

「え? マジで?」


 百万都市リオネポリスを山手から臨海へ向けて横断するアキラたち二台のロックバイクは、メインの大通りを一直線に飛ばせない。高空を旋回する保安隊から隠れるように、相変わらず入り組んだビル街の裏道をジグザグに走っていた。

 後ろに縛って背負った少女の首がなるべくカーブで揺れないように、アキラが前のめりで右肩を開く。乗せた彼女の顔をたまに横目で伺えば未だ目を覚ます気配がないのが幸いだ。癖のかかった赤毛が風防障壁ドラフトの中でなびいている。


=向こうが保安隊を引きつけてくれるなら結構だ。この橋架は突っ切っていいアキラ。右上空に機影青3。まだこちらは死角だ。ビルの向こうで旋回するようだ=


 声と同時にアキラの網膜上で、前を横切るバイパス陸橋に並ぶ街路樹を越えた視線の前方、遠くの高層ビルディング二棟の輪郭に赤いマーキングが走って。それを透過するように上層階付近に青の光点が写る。

「了解。後ろは大丈夫?」


=ウサギは問題ない。彼女も運転が達者だな。橋架を抜けたら右折だ。前方より敵三台と接触。赤だ=

「赤……わかった」


 ぐっとアキラが身構えて。ヘッドセットに声を出す。

「リリィさん。敵と鉢合わせます。三台」

 同時に右手首を捻るように振った。ざっ! と短い光剣が一本伸びる。

 

「あいあい」

 リリィのバイクは完全にアキラの後方に流れる魔力のスリップストリームを追跡して離れない。腰に手を回していたダリルが声をかけてくる。


「運転に集中してください、自分がやります」

 そう言って大きく横に振り抜いた腕から発した光剣はアキラのそれより長い。幅広の軍用魔光剣ソードが強い光を放つ。

 左手をリリィの腹から離しリアのタンデムグリップを握り直して。自由にした身体を右に出す。ふわりと彼を包むのは風星エアリアの気なのだろうか、急にリリィがダリルの体重を感じなくなった。


「まかせていいのねっ」「はいッ」

 後ろからの返事に、リリィの肩がぐっと前に入る。

 二台のロックバイクの頭上を複雑に組まれたバイパス陸橋裏の巨大な鉄骨が通過する。




 

「……現場から出動要請が出てるだとッ?」

 兵士の報告にファイルダーが口を歪めた。戦闘態勢3番は国軍本部を中心に展開する非常時巡回態勢だ。その守備に必要な魔導機はモノローラよりむしろ火力のある飛空突撃砲バンドランガーなのだが。


 同機種のモノローラを使用する保安隊が国軍に出動を要請するなら、呼ばれているのもその飛空突撃砲バンドランガーで、しかも。

「武装集団同士の衝突か?」

 席に座ったウォルフヴァイン総督が訝しげに目を向ける。バンドランガーが街に出撃するということは状況が市街戦の様相をなしてくるということだ。


 虎は。席で腕を組んだまま何も言わない。言いそうもない。

 焦れているのは将軍だけではない。この部屋にいるウォーダーの面々で一人ミネアだけが肩を怒らせ俯いた顔から上目のみでぎりっと艦長を見つめている。その視線はイースも知っている。だが言葉を発しない。


 先ほどの会話では抗魔導線砲が一時間後に襲ってくるという話で間違い無いのだ。しかもおそらく現在市街地で追われているのはアキラたち一行だ。死亡者が五名を越えたと兵士も言っていた。


 なぜ。艦長もロイも。ログもノーマも。じっとしていられるのか?


「……くっそ」

 ミネアと違って将軍はわかっている。

 彼らは今現在〝拘束の身〟なのだ。


 アルター国軍が、自分が。その拘束を解かなければ一歩も動けない。事実、獣どもはテーブルに腕を組んで座ったまま一言も喋らない。

 ふざけてやがる。言ってることがわかってるのか虎の艦長? この市街戦はなんなんだ? てめえらは何の理由も説明しねえままで。


 俺に拘束を解けっていうのか?

「国軍の大将ができねえ判断だぜ虎の艦長ッ」


 ちらとイースが視線を投げた。

「何がだ?」

「訳も言わねえ相手をな! 信用していいのは一介の兵隊までだってことだ!」

 吠えるファイルダーを虎がきっちり見返す。

「それは違うぜ将軍」「ああ?」

「賭けを打つのも大将の判断じゃねえのか」

「部下の命を賭け札にしてか?」


 その台詞に。虎が鼻の根に皺を寄せて。

「——覚悟の足りねえこと言ってるんじゃねえぞ」

「なんだと?」


「石の橋を叩くのが、てめえのとこの兵隊を守ってるつもりか? 失くした時間は取り返しがつかねえぞ? 賭けだろうが何だろうが一人も死なせず乗り切る覚悟はねえのかって聞いてんだ」

 喋る口元に牙が見えた。

「もうじき抗魔導線砲が向かってくる。俺はぶっ潰す腹だが子供らの命を賭け札にはしねえ。……頭をさげるのは一度きりだ。いい加減、あんたの判断が遅けりゃあ、その喉笛、食い破って出て行くぜ」

 眼光は一段と鋭い。睨み合う将軍と虎に。

 総督も、獣の乗組員クルーも一言も発しない。


「言えよ。将軍」

 敵か。味方か。

「〝ひとつ貸しだ〟って、言えよ」


「クソったれの獣どもがッ! 貸しにしといてやるッ!」

 軍服の外套を翻して将軍が大声で叫んだ瞬間。がたッ! と椅子から立ち上がったミネアとノーマが窓に走って跳んだ。二人して一気に飛び出し敷地の向こうに停まった蛇へと駈ける。

 残る三人が立ち上がる。虎が腕輪に声を張り上げた。


全員オールッ! 戦闘準備! ダニー! 魔力検波盤パルスコープ駆動音感知トーンで周囲を索敵! ミネアとノーマが向かった! サンディとリンジーは魔導炉を起動! 主砲班、副砲班、配置につけッ! モニカ遠隔映像ビット飛ばしてくれ!」


『了解ッ!』『了解しましたッ!』と次々に戻ってくる返答が腕輪から聞こえる中、ログが黙って部屋から出て行く。

 飛竜は、いまだ席に座ったままの小柄な老人と立ち尽くす将軍に交互に目をやりながら。

「アルター国軍の配慮に感謝します」

 そういって鱗の頭を下げた。笑う総督がわずかに頷く。





 架橋をくぐって抜けた界隈はおそらく高級マンション群なのだろうか、周辺を公園らしき広場で覆われ歩道も整備された二車線をアキラ達のバイクが飛ばす。突っ切った先の三叉路を右折する。また両面がビルで囲まれた通りだ。


=光点。赤。いいな。三つだ=

 声に細かく頷くアキラが見通す前方の、右のビル陰の向こうに透過した赤い点が三つ。横に走って近づいてくる。


=5、4、3=

 尖った光剣ごと右手首を前方に構える。ぐっと前のめりに。背中に少女の重みがのしかかる。


=2。発射!=


 どおッ! と衝撃とともに。

 射出された右手の剣が風防の壁を抜けて一直線に。ビルから大きく飛び出してきた敵が車体を傾けカーブして。先頭の一台が向けたカウルの、そのど真ん中に。

「なあッ!?」


 リリィとダリルが目を見張る。

 言った通りに三台。


 アキラの放った光の刃が正面から突き刺さったロックバイクの折れた先端カウルは路面に接触して機体が大きく縦に回転する。すぐ後ろの二台が素早く左右に躱して抜けた。追突をまぬがれる。

「抜けたッ! 二台ッ!」

 叫ぶアキラがもう一度右手をぶんッ! と振り下ろす。次の刃が突き出した。縦回転でクラッシュしたバイクのリアから投げ出された一人は道路に転がり片膝をつく。その目の前で爆発が起こる。運転手は巻き込まれてしまった。

 敵が向かってくる。それぞれにリアの男が向けた光剣からほぼ同時に。爆煙をあげて光弾が連射されたのだ。


大地星タイタニア付与だ! 避けろアキラ!=

 

 アキラが右に。リリィは左に。ざあっと路面を滑るように弾を躱す。耳元で抜けた光線が銃弾のような音を立てる。ダリルがタンデムシートを強く握って身を屈める。交差する。一瞬。

 振り切った右腕の刃が後部座席の敵の右鎖骨から胸を切り破って刀のついた右腕ごと吹き飛ばした。左から接触したリリィの後ろに座るダリルは大きく身体を捻ってあろうことか。

「つゥッ!!」

 微かに吐く息とともにリアシートで横に一回転して後ろ向きに振り払ったダリルの剣がもう一台の運転手の首を刎ね飛ばしたのだ。


 大きく敵の機体が反り上がる。二台。転倒する。しかしそれを振り向かずにアキラ達が速度を落とさない。食い縛った歯が、だが鳴るのだ、かちかちと。

「う、う、腕が首が飛んだ、腕が首が」

=アキラ。アキラ。しっかり運転しろ=

「だ、だ、大丈夫」

=大丈夫じゃない。斬られてるぞオマエ=

「えっ」


 言われて気付けば右の肋骨の下、一直線に服が破れていたのだ。痛みは感じない。血も出ていない。

=傷口は硬質化して痛覚を止めてある。大きく斬られているぞ。いいか。私が処理できるのはかすり傷だけだ。首を刎ねられたらお前も死ぬぞアキラ=

 走るバイクの上でアキラが震えるように頷いて。

「わ、わかった。わかった」

=お前にはまだ白兵戦は無理だ。メンタルが保たない。赤も青もなるべく敵を避けて行くぞ=

「うん。うん。」


 一方のダリルは。リアで大きく剣を振って返り血を飛ばして。こちらは気にも留めていない。「ふうっ」と息を吐いて。しかし見た。

 確かにまだ視えない敵に向かってアキラのバイクは剣を射出した。敵がビル陰から曲がってきたのはその後だ。匂いも届かない遠くから。

「やっぱ視えてるんだ……」「え?」

「すごいですねアキラさん」「まあねえ」

 リリィの返事が素っ気ないのは前を走るアキラが気になっているからだ。おそらく、他人を斬るのは初めてなんじゃないだろうか、と。



 ◆



 保安隊の無線は、中央行政塔の裏から発進して臨海工業地帯へ走るクロウの運転する小型乗用車キャリアにもひっきり無しに飛び込んでくる。

『犯人とは別のバイク隊と遭遇。ペイル通りで保安隊を攻撃してきた。敵は連射式魔導銃ブラスターで武装している』

『国軍より飛空突撃砲バンドランガーの発進命令、GSAM333。工業水路から市街地方面に展開。繰り返す。GSAM333』

『モノローラ各機に発砲許可。追撃隊は魔導砲ビーキャノンを装備せよ』


 どうやらピエールインダストリアは保安隊と交戦したらしい。驚きはしない。やるだろうとは思っていたのだ。あの荒くれどもが穏便にウサギを追うわけがない。ふん、とクロウが軽く鼻を鳴らす。むしろ好都合なのだ。

 しかし遠くから追跡するバイクには、まだ気づいていない。そして今は通常のように追っ手を撒くような走りもしない。真っ直ぐに道路を飛ばす先は臨海工業地帯だ。


 その後方数百リームを追跡中のシャクヤ導師は随分と慣れた操作でロックバイクを運転している。風防障壁の内側でコートを緩くなびかせ左手首に声を出す。

「現在地は中央区郊外じゃ、二十分後ほどには南インダストリア十七番区に到着するじゃろう。そちらはどうするかの?」



 魔導送配管本部前の道路を挟んで。道なりに隣接する工場の狭い隙間に隠れたケリーと傭兵ガラはもう一人別の男としゃがんで紙を見ている。書かれているのは建物の平面図だ。今は人の青年に隠身したケリーが口元に手を当て考え込む横で。

「こっちはと合流しました、準備して中に入りますよ」

『わかった。獲物が着いたら一回鳴らそう』

「了解っす」

 導師との通話を終えたガラが二人を覗き込んだ。

「どうだ? 見当つくか?」


 ケリーの前にしゃがんでいるのは、ぼろの作業着ツナギを着た小柄な老人だ。抜けかけでまだらになった頭髪を垂らしてぎょろぎょろした目で前の青年を凝視する。その視線を特に気にする風でもなくケリーが言う。

「——二枚目、見せてくれ」「あいよ」

 老人が紙をめくる。それも図面だ。またケリーが。

「三階と屋上、見せてくれ」「あい」

 また老人がめくった紙を指して。


「やっぱりおかしい。三階制御室と機械室の間の壁が異常に分厚いのに、内壁の配管は何も書かれていない」

 ケリーの頭越しにガラが図面を覗いてくる。

「なんだ? 隠し部屋でもあんのか?」

「わかんねーな。……じいさん、その警備員とは話がついてんのか」

 老人が何回か頷いて。ツナギの胸ポケットからごそごそと出したのは薄汚れた小さなカードだ。ケリーに差し出す。ざくろのような果実が描かれている。


「裏口の連中に〝果物屋〟を訊きな。そんでこいつを見せればいい」

 ぎょろぎょろした上目でケリーに説明する。二人が立ち上がる。時間がない。

「世話になったな」「ああよ」

 猫背で立つ老人を置いて二人が工場の陰から道路に飛び出して。だが。彼らが去った工場と工場の狭い隙間には。


 もう誰も立っていなかったのだ。





 身長の倍ほどもありそうなコンクリ状の外壁を、しかしガラが難なく飛び上がって「よっ」と壁に手をかけた、その隣に。ふわっと。

「げっ」「早く登れ」

 ちきしょうてめえらと一緒にすんじゃねえよと、一瞬で壁の上に立て膝でしゃがんだケリーを見上げてガラが呟く。素早くケリーが建物の裏庭を見渡して。端の小さな焼却炉の前に扉がある。辺りには誰もいない。

 二人、音もなく飛び降りる。獣の動きについていくガラはさすがの身のこなしだ。


 扉は普通の勝手口で、ケリーの小鼻が少し動いて。

「中の部屋に人が二人いる」「了解」

 かちゃりとノブを捻って薄く開けたドアのすぐ中にあったのは警備室だ。入ってきた二人をちらを訝しげに見る壮年の黒眼鏡の警備員が。

「なんだねあんたら」

「——〝果物屋〟は居るか?」

 ケリーの一言に。警備員が後ろをちらと振り返って。またこちらを向く。ずいぶん小声で。

ふだは?」「これだ」

 差し出したカードを、しかし手には取らない。顎で廊下の奥をしゃくる。

「行くなら手前の階段でな」

「何か情報は?」

 黒眼鏡の奥からじろっとケリーを見上げて。

「何も聞いちゃいない。見てもいない。そもそもこの建物は関係者なら立ち入り自由だ」

「全階? 三階も?」

「三階もだ。送配管の制御室は一般公開もされている。なんの変哲も無い公共施設なんだがな。怪しいもんなんざどこにもないぜ?」

 そううそぶく警備員に二人が少し視線を合わせるが、今さらだ。

「まあ調べてみるさ」「そうかい」

 軽く肩を竦めた黒眼鏡を置いてケリーとガラが廊下を歩く。これはひょっとしてハズレなのだろうか? ケリーが思う。

 

 艦長の話では、ウルファンドで最後に残ったアンダーモートンの連中が死に際に教えた場所らしいのだ。てっきりここが連中の隠れ家で、ここのどこかにバーヴィン=ギブスンも囚われているのではないかと考えたのだが、アキラの説明で状況が変わった。

 どうもそのゲイリ=クローブウェルという秘書はギブスンの娘を隠している療養院と、この送配管本部、それと三十番区の魔導炉の三ヶ所を行き来しているらしい。


 かつかつと階段を登る。降りてきた数人の所員らしき人間が会釈をした。拍子抜けだ。これだったら堂々と表からでも入れてもらえたんじゃないだろうか? そもそもケリーの鼻に何も怪しげな臭いが引っかからない。

「その秘書がこっちに向かってるのか?」

 階段を登って二階の廊下を見渡しながらケリーが聞く。

「こっちかどうかは知らねえな。魔導炉の方かもしれねえ」

「じゃあいよいよこっちはハズレか? さっさと調べよう」

 廊下にも数人歩く所員に目もくれず、三階へと続く階段を登る。と。


「——ちょっとまて」「うん?」

 あと半分。踊り場でケリーが立ち止まった。違和感がある。三階へと続く階段は薄暗く、しかしなにもない。匂いもしない。ガラが振り向く。

「なにか引っかかるのか?」

 それには答えないケリーが駆け上がることなく、ゆっくりと。階段を上がっていく。こつ、こつと。やがて。

 二人は三階の廊下へと辿り着いたのだ。



 運転するクロウの眉が動いた。視線が、わずかに動く。

「ほお?……誰だ?」

 本当にこいつら獣は油断がならない。すでに送配管本部まで探り当てているとは。



 三階の廊下には左右に似たようなドアが続いているだけで、まるで人の気配がない。ここの制御室は工業地帯全域の魔力配分をコントロールしているはずだ。誰もいない、というのは明らかにおかしい。それとも昼休みか何かなのだろうか?

「なんか静かだな」

 ガラの声にケリーが頷いて。そこで。


 振り返ったのだ。廊下にガラが立っている。

「どうした?」

 ガラを見るケリーの目が、見開かれている。



 だがクロウが不敵な笑みをこぼす。

「知らない人の家に勝手に入っちゃあ、いけないって習わなかったか? 忘れちまうよなあ。子供の頃のことなんてな」

 その口元から。かすかに。黒い霧のようなものが湧いた。



 違和感は、すぐ後ろだったのだ。

「どうして俺は、んだ?」

「なんだと?」



「OeLLLLeYe Qen MeN ELLLouM」

 漆黒の吐息とともに。クロウが奇怪な呪文を唱えた。



 どおんッ! と。

 空気が揺れるような圧を感じて。

「なッ!」「うおっ?」

 足元がふらつく二人がぐっと踏み込んで。素早く辺りを伺って。そして見た。


 ドアが並ぶ灰色の三階廊下は明らかに頑強なコンクリ様の壁が続いているのに。その壁に皺が寄っているのだ。生物の腸内のようなぐねぐねとしたひだが床から天井から一瞬で。至る所に。そして。

 がじゃがじゃがじゃがじゃがじゃがじゃと。

 向こうまで並んだ左右のドアノブがこれも一斉に。苛立たしげに捻られて。


「壁、張れ。兄さんッ。」

 ガラの全身がぶわっと光った。ちっとケリーが舌打ちして。鼻先がぐにゃりと伸びていく。口の端から牙が覗く。顔と手先だけに狼の体毛が戻る。二割か三割かの隠身解除だ。ゆらりと全身に赤い紋が揺れた。


「もう解いちまえばいいんじゃねえか? 誰も見てねえだろ」

 半端な変身にガラが訊くが、ケリーは答えない。

「なあ、兄さん」「できない」

「はあ?」

「人間用のズボンなんだよッ。くそったれ」

 尻尾が出せない。


 やがて襞の寄った廊下全体が細かく震え始めて。足元の床がぐにっと柔らかくなる。何が貼り付いているのかばりいっと引きちぎるような音がして次々に廊下のドアが開いて。


 斜めにたくさんの顔が覗く。服は所員の白衣だが。

 こちらを見ている。 

 のっぺらな顔だ。


 顔がない。ないのではなく、何かが巻きついている。まるで蛇のような巨大なミミズのようななにかが全員の顔にぐるぐるに巻きついて首元から倒した身体の方にぶら下がっているのだ。


 その連中を見た途端すかさず躊躇せずガラがぶわあっと右手を広げて前面に向けて。だが。何も起きない。

「ぐッ?」

 半身に構えて左手の手刀を顔の前にやって大きく息を吸ったケリーも。途中でその呼吸を止めた。


 いないのだ。水星ハイドラが反応しない。ガラが呼ぼうとした大地星タイタニアも反応しない。

 ここには元素星エレメントが、いない。

 のろのろとドアから歩き出てきた所員たちはまるで死んだ虫のように関節を曲げた両腕を不規則に震わせながら。こちらに向かってくる。唐突に曲がった腕がじゃあっ! と伸びた。血と肉が吹き飛んで手のある場所から硬質の棘が突き出る。


「ズボン破れ旦那。それどころじゃねえぞ」

「ふざけやがってッ! うおおおおおッ!」

 どおん! とケリーの全身が真っ白に輝いて。細身のスーツが引き千切られて散らかった。破れた胸元から銀色の体毛が噴き上がる。尻尾は無事に生えた。完全に隠身を解いたケリーが顔の横で爪の生えた右手をごりっと握りしめて。


「ノーマに叱られるじゃねえか馬鹿野郎が」

 ゆらゆらと近づく化け物を睨み返す。



「うん?」

 離れて追う前の乗用車キャリアを、訝しげに導師が見る。運転したまま左手で丸グラサンを持ち上げる。

 かすかに見えるのだ。車の周囲からうっすらと黒い霧のような影のような揺らめきが湧き上がっている。常人には果たして見えるのか。老人が腕輪を手首にやって。


「ガラ。聞こえるか? ガラ」

 返答がない。というより、通信に反応がない。

「……こりゃ呑気に道路など走っとる場合じゃあ、ないのお」


 周囲を見渡した導師が、車を追うのをやめた。

 ぎゃあああッ! とロックバイクのカウルを滑らせて。

「ぬうッ!」

 一気に車線を突っ切って歩道の向こう、仕切られた金網を破って空き地に突っ込み爆走する。目の前は巨大な水路で。


 その対岸に南インダストリア工業地帯の工場が立ち並んでいるのだ。

 

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