第百五話 ポリス市街戦 ①

 リオネポリス市街地を走るバイパスは外周、内周二本の環状線と、それに被さるように全体に広がった網状線とに分かれている。網状線ルートは各方面へとアクセスが良い代わりに極めて複雑で外来者を悩ませる代物だ。

 南インダストリアから発進したピエールインダストリアの隊はロックバイクが十数台と五台の乗用車リムジン組で、その一台、黒塗りのひときわ長い上等の車にパダーは踏ん反り返っていた。前の助手席に乗った部下が各車に指示する。


「保安隊の通信傍受はPAPAパパ3977にセット! モノローラ躱して3、4班は療養院に——あたっ。」

 後ろからパダーが太った足でがんッ! と前の助手席を蹴った。


「バカかてめえ。療養院はもういいんだよ。そんな保安隊駆けつけてるところに乗り込んでどうすんだ藪蛇じゃねえか」

「へ、へい。すみません」

「北オートロウと東インダストリアを繋ぐルートを全部封鎖するんだろうが。ああ? 頭使えやッ。指示だせおらッ」

「ひ、東インダストリアですかい?」

「国軍本部ビルディングだッ!」

 棟梁パダーの怒鳴り声に部下が首をすくめて。


『療養院は無しだッ! 南北バイパス3、5、7の東インダストリア方面に展開ッ!』

「よっしゃ。よっしゃ。こっちァ見つけ次第ふんずかまえますぜクロウさん。ひゃっひゃっひゃ」





 異常に蛇の動きが早い。そして信じ難い事だが——

 腕輪から響くパダーの笑い声とは逆に。行政塔の通路でクロウの奥歯がぎりッと音を立てる。


 ウォーダーの連中はなぜだか分からないが〝バーヴの娘が人質に取られていた件〟を知っているのだ。そして一番に、その娘を奪い返した。

 わからないのは蟲だ。エリナの蟲をどうしたのだ? あの蟲が憑いている以上、仮に見張りのデントーを連中が撃破したとしても、あの療養院からは一歩も外には出られないはずなのに。


(まさか……憑いた蟲を外せるのか?)


 過去にファガンの売人から聞いたことはある、シュテの高僧かファガンの高位魔術師に、わずかにそういうことのできる者がいるらしい。が、本当に稀だ。根無し草の獣たちにそこまで熟練した魔導の使い手がいるのだろうか?


『とっ捕まえたらあたしらの好きにしていいんでしょ?』


 だが現にエリナは攫われて連中は逃走している。万に一つが起こったのなら次を考えなければならない。もし彼らが、エリナの蟲を外して逃げおおせたというのであれば。


『聞こえてますかいクロウさん?』


 第一に、蛇はアンダーモートンと敵と見做みなしていないということだ。ウルファンドを襲った彼らに対して報復するため、蛇は首都に来たのではない。このことを当のアンダーモートンが知るのは不味い。エリナも取り返された今、彼らが獣と反目する理由がなくなってしまう。


 第二に。蛇の連中はエリナだけでなくバーヴィン=ギブスン本人の奪還も視野に入れて動いているのかもしれない。これも不可解だが、あれほど慎重を期して隠した娘の長期療養院を、彼らはいとも簡単に探し当てたのだ。ひょっとしたら三十番台魔導炉もすでに——


 ここで初めてクロウの腕に鳥肌が立った。


「魔導炉には誰が残ってるんだパダー」

『ええ?』


「いいか。よく考えろ。その逃げたウサギが本当にお前の目当ての女なら、そいつはどこに向かっている。そいつの巣穴はどこだ?」

『そりゃあ、蛇の中でしょうな。だから国軍本部に——』

「適当な奴め。お前が提案した計画、忘れたのか?」


 数瞬ののち。

『……ええ? ちょっと待ってくださいよ。そりゃマズイなあ』


「思い出したか? あの蛇には抗魔導線砲アンチ=マーガトロンをぶちまける。中の獣は全滅だ。全滅させるんだ。目当てのウサギだけ生かして捕らえるなんて器用な攻撃じゃないんだぞ、あれは」


 矢継ぎ早にクロウが腕輪にまくしたてるのだ。

「死骸でよけりゃあくれてやる、お前がそういう趣味ならな。生きたままウサギを飼いたけりゃ、帰る巣穴を先に潰しとくべきじゃあないのかパダー?」


『どうしたんですかい、クロウさん人が変わったみたいですぜ?』

 勘のいいやつだ。だがそこもクロウがやり過ごす。


「——なあパダー。ダニエルはディボ様に話を通していないぞ」

『え?』


「お前の描いた絵、ダニエルはまだディボ様に挙げていない。どういうことかわかるか? 上手くいくかどうか不明だからだ。成功すれば事後で報告するつもりだろう、私が命じました、とな」

『失敗すれば?』

「ピエール=インダストリアの暴走で、話を終わらせる腹に決まってるだろ」

『ひゃっひゃっ。クロウさん。ダニエルさんがあたしらを切れるわけないでしょう。それでどうやって今後、獣やら魔石やら調達するんですかねえ?』


「アンダーモートンがいる」

『……は?』

 刺さった。手応えを感じる。


「今のダニエルにはアンダーモートンが手に入った。蟲を纏った死をも厭わない戦闘集団だ。奴らとお前たちは、立場が被っているんだぞパダー。置かれている状況が分かってるのか? 下手に交渉ごとで頭が回る分、ダニエルにとってはお前たちの方が煙たい存在なんだ」


『……それで、あんたはどういう立場なんだねクロウさん?』

 声色が変わっている。いつものふざけたトーンが鳴りを潜めた。ここまで話したのなら、もう詰めるしかない。クロウが一気に押す。


「俺は逆だ。きっちり損得が勘定できる奴がいい。話が楽だ。いいかパダー。今回の仕事はでかい。抗魔導線砲は世界を変える。ヒトが獣を支配できるようになる。人間の歴史の転換点だ。ディボ様はそれを推し進めようと躍起になってる。だがダニエルは状況をこれっぽっちもわかっちゃいない。蛇どもは今、ここで、どうしたって葬らなきゃいけないんだ。理由がわかるか? 教えてやる」


『なんですかい?』

「あいつらは抗魔導線砲の〝無力化〟に手をつけ始めた。つい今朝方の情報だ」


 通信の向こうは黙って聞いている。


「だからディボ様は必ず動く。蛇がここにいる間に何かことを起こすのは間違いない。抗魔導線砲は、俺たちが動かなくても必ず蛇に撃ち込まれる。その指示は出る。全滅させろ、とな。そうなったら選択の余地はないぞパダー。お前のウサギは手に入らない」


『……今、撃てば?』

「俺が話をつけてやる。俺はもともとディボ様の秘書だ。ダニエルみたいな臆病者に仕えているんじゃない。きっちり言ってやる『ダニエル様が計画を握りつぶしておりました』ってな」


『あんたが、そこまであたしらに肩入れする理由は、なんですかね? なにが欲しいんで? 獣の女ですかい?』

「あんな奴と一緒にするな。

『は、はっ?』

 クロウがとどめを刺しにいく。ここ一番のために隠していた大きな餌だ。


「西インダストリアなんて薄汚れた街の市長の思い出だけで、残りの人生、獣狩りの棟梁でやっていくのかパダー? あの中央行政塔の絨毯を踏め。段取りは俺がする」


『——本気ですかい?』


「お前が行政官の経験者だから言ってるんだ。ただのごろつきなら、こんな話はしない。だがなパダー。市民を納得させるには根回しだけじゃ足りない。鳴り物入りで登場するんだ、どでかい実績が必要だ」

『へ……へっへへ』


「首都で起こった獣の暴動を鎮圧すれば英雄だ、パダー」

『よっしゃおもしれえッ!』


 大声に慌ててクロウが腕輪から顔を離した。


『で? どうすればいいんですかい?』

「話を戻す。おまえたち全員出払ったんじゃあるまいな?」

『そりゃあ抜かりはねえですよぉ、指示が出たらいつでも動けるようジャックマンの隊は置いてあります』


 あの黒服だ。クロウが思い出す。


「いいだろう。やるぞ、時間を合わせる。三十番台魔導炉の獣たちを向かわすのに必要な時間は?」

『場所は国軍本部で? 一時間ってとこです。抗魔導線砲の牽引車トレーラーも準備してあります。幌で隠せばいいですかね』

「任せる。二台に分かれて先に獣を突っ込ませろ。今から一時間後だ。三十分ずらして状況を見て光線を撃ち込むんだ。お前ら市街地の班がウサギを追っているなら、それまでにカタをつけろ」


 ひゃっひゃっと通信の向こうで嫌らしい笑い声がひとしきり響いた後、パダーの怒声が腕輪越しに聞こえた。

『いいかてめえら! 一時間だ! 一時間以内に生け捕りだッ!』

「うまくやれよパダー」

『へいへい。ひゃっひゃっひゃ』


 話を合わせてクロウが通信を切る。すかさず。


 次の暗号コードを腕輪に打ち込んだ。

 しばらくの呼び出し音が鳴る。

(……出ろッ)


『——この暗号は誰だ? なぜ私の個人コードを知っている?』

 相手が出た。

「ディンガー=フォートワーズ評議員のコードでお間違えございませんか? 私はゲイリー=クローブウェルと申します」

『うん? バルフォントの子飼いか。私に何の用だ』


 しかし。そこでクロウが言葉を切った。

『……どうした? 私は忙しい。用件はなんだ?』


「私は、もう、限界です」

『なんだと?』

「もう、ついていけませんフォートワーズ様。ディボ様はあまりに恐ろしい企てを起こそうとしております」

『何があった? 聞き捨てならんな。話してみろ』


 食いついた。クロウが真摯な声を装って。


「今朝の議事堂で騒動が起こったことは聞きました。蛇の連中が抗魔導線砲の無力化に着手したとか」

『そうだ。もしやそれ絡みでバルフォントが何か企んどるのか?』


「国軍本部に係留された蛇に光線を撃ち込もうと」

『……本当か?』


「あの蛇には! 子供の獣も乗っていると聞いております! まったく関係なしに皆殺しにするつもりです。私は、私はもう!」


『落ち着け。落ち着かんか。なぜ私に話した』

「こんな大それたこと、一介の秘書ごときが叫んだからと言って誰が真剣に取り合ってくれるでしょうか? 国軍の上層まで声が届く方から話してもらわなければ、とても伝わるものではありません」


『それで私か。どのくらい信憑性がある? どんな計画だ。いつ、それは行われる予定なのだ?』

「今から一時間後に」『はあっ?』


 これが肝だ。考える時間を与えてはならない。


『ばかものッ! なぜもっと早く知らせないッ!』

「申し訳ありません! 私も主人を裏切るのを最後まで悩んで……」


『なんということだ……わかった。今は貴様をどうこう言っている場合ではない。よく決心してくれた。あとは私に任せておくといい』

「ありがとうございます!」


 こちらの会話はすぐ終わった。

 通信が切れた廊下でふう、と。クロウが息を継ぐ。


 これで。ピエール=インダストリアは国軍に向かう。蛇と軍は迎え撃つ。本部に足止めになるだろう。街を飛んでいる保安隊も急行するはずだ。すべての目は東インダストリアに向く。邪魔な連中は取り敢えず殺し合いをさせておこう。


 後は、俺がやらなければならない。

 もう後戻りはできない。

 ふ。ふ。ふ。と。なぜか自然に口の端が上がる。


 今日が記念日だ。このどぶ川のような街を綺麗さっぱり、吹き飛ばしてしまうのだ。醒めた目で笑うクロウが、最後のコードを腕輪に打ち込む。


 相手はすぐに出た。

『おい! 聞いたぞ。魔導炉は大騒ぎだ。獣化した連中を一斉に集めてやがるぞ! 何があったんだ!』


「落ち着けモルテン。最後の石は持っているな?」

『持ってる。やるのか? 本当に? 今日? 今から?』

「お前はそこに残れ。身を隠せ。失敗すれば魔導炉ごと吹き飛ぶぞ」


『ほ、本当に俺をアンダーモートンの棟梁に……』

「くどい。死ぬ気でやれ」

 実際は。どちらにせよ魔導炉は吹き飛ぶし、お前はそこで死ぬんだがな、とクロウが笑った。



◆◇◆



 こんな状況でありながら、ふと。

 旅行で来たかったな、と。

=ずいぶん呑気だなアキラ=


 広がる街並みを左右に見ながら警戒態勢の敷かれて空いた道路をバイクで飛ばす。後ろに縛った少女という奇妙な荷物を抱えているとはいえ、浮上して走るロックバイクにはタイヤのような振動がない。そのライディングは快適だ。

 見渡せば東京の街とまではいかないが、ここリオネポリスは本当に整備された都会で、車道と歩道がきちんと分かれ街路樹も植えられている。


 一瞬。日本に戻って来たかと錯覚するくらい、街並みが綺麗なのだ。

「もうちょっとのんびり走りたかったよ」

 そう返すアキラの声は、だがまだ暗い。目の前で起きた人死にが心に影を落としている。


=——騒ぎが終わってからにするんだな。その信号を左だ=

 言われた通りに左折して。

=右に見える黄色い看板のビルの小道へ=

「了解」

 またすぐハンドルを切るのだ。操作に迷いはない。


 そのアキラの後ろをリリィのバイクも追ってくる。むしろきょろきょろと街を見渡しているのは地元であるはずの兵士のダリルだ。

 今は青年——小柄な体でリリィの背にしがみついた彼は童顔で少年にしか見えないが——の姿に隠身した彼は本来が犬の獣人で耳はいい。

 先ほどから空のあちこちで保安隊モノローラの飛行音が聞こえるのにひやひやするのだが、その機影が一向に目に入らない。こちらから見えないということは、向こうからも捕捉されていないということなのだが。


 前を走るアキラのバイクがやたらと回り道をするのは。

 ひょっとして。

(俯瞰から見えない位置取りで走ってる?)

 密集したビルの高さと、保安隊の位置と。そして街の道路まで頭に入っていないと、そんなことは不可能ではないのか? 戸惑うダリルにリリィが声をかける。


「さっきから、なにきょろきょろしてんの?」

「え! いえ保安隊が気になって」

「アキラくんに付いていけば大丈夫よ」

 気楽に言うのだ。やっぱり、そうなのだろうか?


「あのひと、すっごいですよね」

「……でしょお? へへ」

 その背中から心底嬉しそうな匂いがする。なんとなく察したダリルは頓着なく。

「好きそうな匂いがしますが?」

「は? たっははッ。どっ、どおかなあ? アキラ聞こえる?」

 話を逸らしたリリィがヘッドセットで通話する。


『うん?』

「艦長には連絡しなくていいの?」


『保安隊の通信を傍受してるんだけど』

 傍受してるんだ、とまたダリルが呆れる。どこまでできるんだこの人は。

『隠身しているおかげで、まだウォーダーと関連付けられてないみたいだ。一般的な事件として捜査されているなら、そのまま行こうと思う』

「——うんうん」


『艦長の状況もわからない。腕輪を鳴らすのはまずいかもしれない。街に仲間を降ろしたことを第三者に知られるのは良くない。国軍本部に突入すればどうせこっちの存在はバレるから、ギリギリまで隠れて邪魔のない状態で近づきたい』

「——わかった、りょーかいっ」


 そうリリィが答えた矢先だった。


 メインのバイパスから一本外れたこのビル街の裏通りを、二台のロックバイクが猛スピードで向かってくる。アキラが目を凝らすと相手もタンデムで保安隊には見えない。接近する。全員どうやら背広のようだ。リアに乗った男らが横に身体をずらしてこちらを見ている。腕を上げてこっちを指差した。


「……敵かもしれない」


 そう言うなりアキラがバイクを加速させた。瞬間。遅れなく後ろのリリィもスピードを上げる。ダリルがぎゅっとしがみ付いて。相手と車線がすれ違う。叫び声が聞こえたが聞き取れない。


=傍受する!=


『いましたぜパダーさんッ! 3班ッ! デルケント通り三丁目バイパス北の一本裏ですッ!』


『パダーの一味だ!』

 アキラの声が首のヘッドセットから響いたと同時に。すれ違った二台がぎゃああああんッ! と基底盤を唸らせてターンして。振り向いたダリルの瞳が引き締まって。


「追ってきます!」

 そう叫んで、しかし。しがみついたリリィの背中の、匂いの変わりようにざわっと鳥肌が立った。どす黒い憎悪の感情だ。


「……指示してアキラッ」


 その匂いを噛み殺すようにリリィが声を振り絞る。背後の敵は一気に加速して距離を詰めてくる。


=通信帯域の解析完了。保安隊位置情報と合算する=


 運転するアキラの網膜に光点が赤く映った。同時に。

『よっしゃあああ! 全班取り囲めッ!』

 喧しい声で命令が聞こえる。


 アキラがヘッドセットになるべく冷静に声を出す。

「他の敵が近づいてる、戦闘で時間は取れないな。なんとか相手を撒かなきゃ——」


『蟲を付けたらこっちのもンだッ! 女はパダーさんに持ってけッ! 男二人は殺し合いさせようぜひゃはははッ!』


 敵の通信が。

 首にかけたスピーカーから聞こえて。

 アキラの瞳が広がって。


——俺ァお嬢の子守だ。赤ん坊の頃から見てんだ——


 なぜ彼を思い出したのか、わからない。

 その感情がどういうものか、アキラにはわからない。


「……逃げるべき?」

=今は逃げるべきだ=


「戦うべきではない?」


=戦うべきではない。——だが、お前が決めろ。どのような選択をしても私はお前を助ける。心配するなアキラ=


 瞬間。

 両目にぶわっと涙が浮かんで。

 噛み締めた歯が鳴る。

 魂に。嘘がつけない。


「ヒトを……人をッ! なんだと思ってやがる貴様らあッ!」


 そんなロックバイクの動きをリリィとダリルは見たことがない。

 アキラが前面パネルの計器盤を横滑りで振り払ったロックバイクは瞬時に駆動系を停止した。間髪入れずに二人の人間ごと風星エアリアの気に包まれた機体が。

 まるで風に飛ばされた木の葉か花びらのように不規則に旋回して、走るリリィのバイクの頭上を、一瞬で後方に抜けて流れる。二人が思わず頭を縮める。

「ひゃっ!!」「うわッ!」


 追撃のバイクで嗤っていた追っ手の目が見開かれて。迫るのは基底盤の緑光だ。


=障壁、再展開。十五万ジュール=

「があああああああッ!」

 声は獣のようであった。


 一台目。鋼鉄の塊ほどに質量を増大したアキラのロックバイクが敵に突っ込んで前方カウルをプラスチックを割るかの如くばらっばらに吹き飛ばす。乗った二人の敵は慣性で前に投げ出され十数リーム先の路面に顔から突っ込んだ。身体に張った障壁が砕けて首が縦に折れ曲がる。


 二台目。引き裂かれたバイクの破片にまともに追突した運転者の左脇腹を尖ったカウルが突き破って内臓を飛び散らせる。衝突の反動で空中を横に一回転するアキラのフロントが今度は乗っている人間をまともに殴り抜けた。逆にバイクだけが前に飛んで。後続の男二人は後方へ弾き出されて破裂するような音を立てて道路へぶつかって。四肢が折れてごろごろと転がって。


 二台の壊れたバイクが歩道のビル壁に激突する。

 爆発が起こった。窓から人々が顔を出す。下を指差す。振り落とされた敵は全員立ち上がらない。


=死亡確認。急げアキラ。逃走経路を再計算する=


 バイクに跨ったまま。はっはっと息を整えるアキラが肩越しに背中を伺う。少女はまだ目覚めていない。前を見ればリリィのバイクが遠くで停まっている。ヘッドセットに声を出す。


「ごめんリリィさん。なるべく隠れて行動しようって言ったばかりなのに——」

『いいよ。急ごう? 保安隊がくるよ』

「わかった」


=お前がその気なら、保安隊と連中を色分けする。保安隊が青、連中が赤だ。いいな=


 軽く頷いたアキラがバイクを再び走らせて。すぐに隣に追いついて。隣からリリィが手を伸ばして。濡れたアキラの目元を手で拭って頰を撫でて。


「大丈夫?」「大丈夫」


 背後のダリルが、その時。気づいたのだ。

 彼は匂いがしない。こんな苦悩に満ちた顔をしているのに。



◆◇◆



 だが。さすがに市街地でパイク同士の戦闘があって爆発が起こった事実は国軍まで届いてしまったのだ。部屋に駆け込んで来た兵士からの報告にファイルダー将軍が席を立って。

「どこでだ? 逃亡者はどちらに向かっている?」

「三番南北バイパスのデルケント通り裏手です。手配中の療養院誘拐犯と同一のようです」

 その情報は聞いていない将軍が眉を寄せた。

「療養院誘拐犯だと?」

「先ほど起こった事件です。犯人は長期療養中の女性を拉致、介護者一名を殺害したのち逃走中です。これで死亡者は計五名です」


 立ち上がって聞いている将軍の横で。虎と飛竜は眉一つ動かさない。ログとノーマも腕組みしたまま黙って聞いている。一人ミネアがずいぶんと肩を怒らせて下を向いて固まったままだ。

 獣たちの異様なまでの沈黙に。部屋を見渡しながら将軍が重ねて訊くのだ。

「——それで、どこに向かっているんだ」


「どうやら、こちらに」「なに?」

「東インダストリア方面に向かっています」


 みるみる顔が曇る将軍が虎を見据える。総督の老人はまた黙ってマグカップを両手で口にやるが、すでに茶が入っていない。ちらと横目で虎を見た。二人の視線に相対あいたいした虎が兵士に声をかける。


「なあ」「は、はいっ」

「犯人は俺らみてえな獣か?」

「……い、いえ、獣とは報告を受けていませんが」


「隠身できるだろうがてめえらはッ!」

 堪り兼ねて将軍が叫んだのだ。

「虎の艦長! イースッ! なんだこりゃあッ! 他人の街で何をやってるッ!」

「俺らは知らねえな」


「艦長っ」と。つい。顔を振り上げて叫んだのはミネアだった。さすがに平静を保てなかったのだろうか。困り顔で虎がこめかみを掻く。ウォルフヴァイン総督は、それでも言葉静かに。


「イース。理由わけを言わんと協力もできんぞ?」

「すみません総督、すべて事が終わったら必ず」

 虎の口ぶりに将軍が怒気を膨らませる。

「きっさまらいいかげんに——」


 その手首の腕輪がなった。ぎっと睨む将軍は、しかし。コードを見て不機嫌そうに通信を繋ぐ。

「どうされましたフォートワーズ議員。今こちらは立て込んで……は? ここに? 国軍の本部ですぞここは?……一時間後?」

  

 しばし小声で。だが。ここにいるのは獣たちだ。虎の耳が微かに動く。やがて通信を終えた将軍が部屋の全員に向き直った。睨む目は、しかし先ほどの単純な怒気とは違う。先に声を発したのは虎だ。


「抗魔導線砲が運び込まれるのか?」


 だあんッ!! と。

 唐突に激しく拳をテーブルに叩きつけた将軍が。


「聞き耳立ててんじゃねえ。いいか虎の艦長。俺らはな。護るのが仕事だ。兵隊ってのは他人を護るのが仕事なんだ。どんな理不尽な目にあってもそこは譲らねえ。相手が誰だろうが関係ねえ。——てめえらのような血の匂いさせた獣どもでも一緒だ! てめえらを護って、また兵隊が死ぬんだよ! わかってんのか!」


 睨みつける将軍に。虎は目を逸らさない。


 抗魔導線砲は葬らねばならない。だがそれは彼らに関係がない。

 ディボとラウザの確執も、彼らには関係がない。


 自らに関係のない場所でものごとが動いて、兵は死ぬ。それは帝国もアルターも変わらない。彼らは人間で魔導が使えない。防御服を身に纏い、外套を障壁で覆って。生身では到底勝てるはずもない獣や蟲や魔導師に立ち向かうのが人間の兵隊だ。

 

「なあ艦長。使い捨ての兵隊だってな。命を張るなら、理由わけが知りてえってのが。そんなにおかしなことかよ?」


 虎が少し笑った。

「ロイの言う通りだ。あんたは大将らしくねえな」

「ああ?」


こらえてくれ」


 ミネアが目を丸くする。イースがテーブルの上に額を押しつけて頭を下げたからだ。蛇の目的は抗魔導線砲の撃破に加えて、今は獣狩りに関与する評議員の始末まで加わってしまった。それを軍の上層にはどうしたって話せない。敵対するに決まっている。


 将軍の、握った拳が震える。

「俺はわけを聞かせろって言ってんだ」

「今は、言えねえ」「く……そったれ」


 ぶあっと外套をはためかせて腕輪に将軍が叫ぶ。

全員オールッ! 解放通信ッ! 東インダストリア国軍本部に兵器攻撃の予告あり! 時間は一時間後だ! 全機戦闘態勢に入れッ!」



◆◇◆


 

 中央行政塔の地下一階から三階は評議員専用の駐車場になっている。

 その地下三階の昇降機リフトが音を立てて開いて、今は誰もいない日中の地下駐車場にクロウが降り立った。ディボにもダニエルにも付き随うわけではなく、一人だ。

 かつかつと早足で歩く先に停まっているのは議員用の高級車ではなく、むしろ技術官が搭乗するような小型の乗用車キャリアだ。運転席に乗り込んでキーを回す。ぶうんと低い振動が起こって車体が浮いた。


 そのまま躊躇せず。一気に車を発進させる。上部出口へ続く路面を滑らかに機体が走っていく。


 わずかに時間が経って。支柱の影から一台のヘッドライトが光った。ロックバイクだ。跨っているのは裾まである薄いコートを羽織ったグラサンのシャクヤ導師であった。腕輪に呟く。

「バイクなんぞ、どのくらいぶりかのう。クロウとやらが動いたぞ。一人じゃ」



「たぶん、こっちに来るんじゃねえっスか?」

『かもしれんのう。その時は合流するかの』

「了解っす」


 埃臭い土砂が露わになった道路の片隅で通信を切ったのは、こちらもバイクに跨っていた傭兵のガラだ。隣のバイクのハンドルに組んだ両腕を乗せたケリーは、人間の姿のままだ。


 南インダストリア十七番地区。

 周囲を取り囲む工場群に流れる魔力は低品質で、整備されていない道路は人間にもわかる悪臭が立ち籠めている。爪を焼いたようなこの臭いは、ケリーはどこかで嗅いだ覚えがある、が、今は思い出せない。

 見上げる奇怪な建物は高さ数十リームの五階建てほどの中心塔から横に裾が広がる丸みを帯びた祈祷場のようで、しかし。その全体に無数の錆びついた配管が複雑に絡まってあちこちから空に向かって蒸気を吹き出す細い煙突が棘のように突き出ているのだ。


「魔導送配管本部か、ぞっとしねえな」


 呟くケリーが、ふと思い出した。

 クリスタニアだ。


 この工業地帯に流れる臭いは。

 巨大な幻蟲が傷つき流した、緑の体液に似ている。

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