第百三話 〝赤毛のエリナ〟


 あれ? と。


 バルコニーに吹く丘の風が緩くカーテンを揺らす最上階の病室で。ベージュの涼しげなパジャマにも似たそれは病衣なのだろうか、簡素で柔らかい布の上下服に身を包んだ少女は、歳の頃が十六、七ほどに見えて。

 癖のある赤い髪を緩くなびかせて入ってきた彼女を見た、その瞬間であった。わずかにアキラのこめかみに痛みが走る。


——〝赤毛のエリナ〟は可愛いかエイモス!? 自慢の娘だ!! ブランコを漕いでやれエイモス!——


「……え?」

=思い出したか? だが今は考えるなアキラ=


——我らが定めたからに決まっとるだろうがッ! お前だけの娘ではないぞエイモスッ! 辞めた魔導師どもには全員〝赤毛のエリナ〟を入れてやったわッ!!——


「アキラくん? どしたの?」

 少女の顔を見つめて固まってしまったアキラに、横からリリィが声を出す。ダリルもやや不安げな表情でこちらを見ている。


=気をしっかり持てアキラ=


「……あ。ああ。ちょっとびっくりして。昔の知り合いに似てたから」

「え」「む?」

 エリナがちょっと驚いて。

 リリィがちょっと不機嫌だ。

 咄嗟にアキラがフォローする。

「いや。親戚。親戚の姪っ子だって」

「……ホントかなあ……アキラくんわかんないし」

「ホントだってば。ほら、挨拶してっ」

 自分自身も混乱しながらなんとか場を取り繕うアキラの頭に声がする。

=あとでバルコニーに出ろアキラ。ちょっと話そう=

(——了解。)



〝ガセ〟の入院である以上、入ってきた彼女にこちらの身の上をあれこれ聞かれるのはまずいので巧みにリリィが「お風呂どこかなあ」「消灯何時なのお?」と矢継ぎ早に質問責めにするが、赤毛の少女は臆することなく親身に教えてくれる。むしろ慣れているほどの受け答えに疑問を持ったのはリリィの本心だ。

「いっつも、そんなお世話してんの?」

「ええ。もうここも長いので」

「あれっ余計なこと聞いちゃったかなあ」

「全然。大丈夫ですよ」

 そう言って笑う彼女はもっぱら普通の少女で立ち振る舞いにも言葉にもどこにもおかしいところなどない。

 事前の情報と違うのだ。

 少なくともアキラとリリィの二人が虎から聞いているのは、この少女エリナ=クローブウェル——決して本人には訊けないが、その本名はエリナ=ギブスン、彼女は地下組織アンダーモートンの棟梁バーヴィン=ギブスンの一人娘で。


 身体に蟲が憑いているはずなのだ。


「じゃあ聞いていい? せっかくだからお話ししよ? エリナ……ちゃんだっけ?」

「はい?」 

 先にベッドに腰掛けたリリィがぱんぱんと隣を叩くので。エリナが遠慮がちにぱふっと腰を下ろす。首をかしげたリリィが覗き込むように聞く。

「長いって、どのくらい前からいるの?」


「もう……三、四年ぐらいです」

「そんなに?」

 本気で目を丸くするリリィとダリルに少女が微笑んで。

「長いですよねえ。あたしの病気、なんだか難しい病気で原因がわからないらしくって。歩いてたり動いてたりすると突然身体が固まって、言うこと聞かなくなって。ばたーんって、顔面から倒れたりするからすっごい危ないらしいんです。それで身体が人形みたいに硬くなって、息とか止まって……あれ。引いてます? ごめんなさい」

 あんぐりと口を開けて聞いているリリィの顔に、逆にエリナが困ってしまった。カーテンの側で聞いていたアキラに声が言う。


=そういう病気もないことはない、が……外部から蟲に身体を操られていても、同じ状態になるだろうな=

(怪しさ半々てとこ?)

=わからん。別の質問が必要だ=


 声がそう言った時に、リリィが問うのだ。

「今でも、よく起こるの?」

 しかし少女は首を振った。


「いえ。父の前で倒れた時が最初で最後で」

「ええ? 一回だけ?」

「はい。でも父がもう真っ青な顔になって。おじさんに運ばれて病院に行って、それからここに……あ。」


「どしたの?」

「おじさんの事は、内緒にしててください。なんだかここの病室を取るのに政治的にどうこうって……」

 ふーんと。頷いたリリィはちらりと見るのではなく。むしろ思いっきりアキラに振り向いて言うのだ。

「聞いた? ナイショなんだからねっ。変なことねっ」

「リ、リリィさんっ別にそこまで」

「いーのっ、男はデリカシーないんだからっ。それでさ——」

 違う方向に話題を逸らすリリィを余所に、苦笑しながらアキラがベッドで話す二人を放っといてバルコニーへ出た。外はいい天気で。


=嗅いでも無駄らしいな=

(そうだね。嘘ついてないんだ。本当に病気なのか、それとも……)


=自分に蟲が憑いていることを誰からも全く知らされていないか、だ。バーヴィン=ギブスンの様子からすると、少なくとも父親は聞かされて知っているようだな。上手いやり方だ=

(そう?)

=そうだろう、年頃の女性が身体を操られていることを知って、何年も正気を保てるとは思えない。エリナが知らないという事実がそのまま、バーヴィン=ギブスンへの脅しに使えるはずだ。——それより、さっきの話だが=


(うん。先生の記憶に彼女が使われていた、ってこと?)

 最上階のバルコニーで、アキラが左手首の腕輪を弄りながら声に聞いた。




◆◇◆




 晴天の東インダストリア国軍停泊所は、全長数キロリームに及ぶ巨大な敷地に今日はまだ発進していない突撃艦ハンマー六機が整列して着陸し、多くの兵が機体を整備する手を止めて青空を見上げていた。

 街の方、中央区よりいくつものモノローラに囲まれなから飛来する黒色の蛇が、その姿をだんだんと大きくして鈍い基底盤フロートの音を響かせ高度を下げてくるからだ。その後ろから三つの艦首にアルターの国章が描かれた第一砲撃艦、将軍ファイルダーの搭乗する旗艦もゆっくりと近づいてくる。

BEAPERビーパー000331。000331。外来機動を同期中。エリア1に着陸準備』

 構内広場に誘導音声が開放で流れる。


 本部ビル正面玄関脇に沿って植生された花壇の片隅で。しゃがんで肥料の袋にスコップを突き刺していた老人が、眩しそうに空を振り仰ぐ。そのしわくちゃの小さな顔に蛇のシルエットが影を下ろした。

「ずいぶんと、ひさしぶりじゃなあ」





『少なくとも、エイモス先生は彼女に会わないほうがいいと思います、どんな症状が起こるかわかりません……すみません先生』

「かまわない。関心はあるが、私も危険を冒すつもりはない」


 ウォーダーの管制室には虎とロイ、操縦するミネア、椅子に座るレオン、そして診療室から呼ばれたエイモス医師がいた。部屋に響くアキラの通信に向かって医師が返事をする。

「あの時……辺境本部は奇妙なことを言っていた。聞いていたんだろう君も?」

 答えるエイモスの横で虎は思案顔だ。また声が聞こえた。


『はい。本部の相手は、辞めた魔導師に全員〝赤毛のエリナ〟の記憶を埋め込んだ、と言ってました』


 今は白衣を着たエイモスが、アキラの台詞に手で顎を擦る。しきりに何かを思い出す風な医師に、横から虎が言うのだ。

「無理しなくていいんだぜ先生」


「いや……黒騎士と魔導師エグラムが政変を起こして帝都をひっくり返した際に、私を含めて二十から三十近い研究員が帰郷を望んだはずだった。部署はバラバラで、それぞれに帰郷の条件として、当時使用できていた魔導を石にして返上したんだ。その頃までの私は確か、操術と法術が使えた……はずだ」


 わずかに頭が痛い。おぼろげな記憶を医師が追いかけて。

「——少し辻褄が合わない。今ではどうにか本当の過去を感じられるが、私の故郷は東ファガンのはずだ」

 その言葉に飛竜が少し頷いた。医師の闘病は横で見ていたからだ。顎から手を離したエイモスが頭を上げて。音声のアキラに向かって。

「だが、君にも言ったと思う。偽物の記憶を信じていた頃も、やはり私の中で、故郷は等しくファガンだった。ここではない。リオネポリスではないのだ」

『ええ、そう聞きました』


「つまり、どういうことだアキラ?」


『エイモス先生も、他の魔導師も、、ということでしょうか。仮に帝都から離れた全員がリオネポリス以外の土地を故郷に持っている場合、彼らは誰一人、記憶の中の娘さんを見つける事はできません。〝赤毛のエリナ〟さんは、ここに隔離されているわけですから』

「だが本当の家族にも、昔の知り合いにも会う可能性があるわけだろ? 田舎に帰るってんなら。何か意味があるのか? そんなことして」


 横で聞いていたロイが考え込んで虎に言う。

「故郷の人々の話と、自分の記憶が合わない。……周囲の人間が嘘をついているように見えるでしょうな。他人を信じられなくなるでしょう」

「すると、どうなる?」

「社会に溶け込めず、真実を見つけようとするはずです。——先生も、その一人になるところでした。魔導や魔法を返上した人間が、もしそういう状況に堕ちたら、何を頼りにしますかな?」


 飛竜の視線が医師に向いた。エイモスが考えたのはわずかの瞬間で。

「私なら……ことを思いつく」


 虎が目を細めた。

 操縦席のミネアが振り返る。

 レオンも椅子を漕ぎながら、医師の言葉に耳を傾けていた。

 ここにいる面々には分かる知識だ。何らかの理由で魔導を失ったものが〝魔術師〟に鞍替えする事は、決して珍しいことではない。


 皆、知っているのだ。

 それが極めて簡単なことで。

 それが極めて危険なことである、と。


「……〝撹拌者アジテーター〟か……」


 虎が呟く。

 誰かがこの大陸を掻き混ぜている。

 では、魔導を使えぬ魔導師を大陸中に解き放った帝都は、それに加担しているのだろうか?

 ケリーとノーマの話では、クリスタニアで出会った炎術家——彼女は帝都でも比較的、高位のものであるらしい——の女は、辺境で蛇に向けられた一連の罠に関して何の情報も持ち合わせていない風だったらしいのだ。


 何かがおかしい。虎が思う。

 帝都の中もまた割れているのだろうか?

『国軍本部、到着。基底盤斥力減少。停泊エリア1に着陸します。同期は解除されました』

 管制室にダニーの声が響いた。



 着陸した蛇の中ほどにある格納庫の扉が開いていく。囲むように外で待機していた兵士たちに緊張が走った。が、しかし。

「あ。兵隊さんだあ」

 能天気な声を発したのはドワーフウサギの小さな女の子だった。外套の中から魔導銃ブラスターを構えようと前のめりになっていた兵士たちが唖然として固まってしまった。開いた扉の向こう、格納庫の手すりにつかまって子供たちが外を見ていたからだ。その後ろに金髪をなびかせた美しい狐と、若いネズミっぽい女性の獣人がいる。

 慌てて指揮官らしき数人が「やめっ。障壁下げっ」と手を振った。コンクリ様の敷地に立ち並んだ兵士たちが構えを解いていく。

 微妙にただならぬ気配だった場の雰囲気が和らぐ。ところどころで「子供かよ」「俺、獣の子って初めて見るぜ」と兵士たちが小声で語っている。リッキーやエリオットが恐るおそる手を振るのに、覚束なげに数人、振り返す兵もいた。


 やがて数百リーム離れて着陸した旗艦の砲撃艦リボルバーからこちらに向かって数人の一団が歩いてくるのと同時に、格納庫前方より虎たちも姿を現した。一団は将軍ファイルダーが先頭だ。相変わらず後ろの兵士を放ったらかしで大股で近づいて。

「艦長。降りろ。全員だ。何人乗ってるんだ?」

「うん? 俺と、ロイと、ダニー、ノーマ、それと……」

「今さら指折って数えてんのかッ貴様ッ?」

 呆れて怒鳴る将軍に苦笑しながら虎がタラップを降りて。場がまた緊張した。虎と将軍が広場で向き合う。

「そんなに突っかかってくるなよ将軍」

「うるせえ。余計な騒動ばかり起こしやがってッ。とっとと全員ビルに入れ。こっちは検分しなきゃいけねえんだ」

「は? この中をか?」

「当たり前だろうが」


 そこで初めて虎が不機嫌な顔をした。

「無理だろ、寝室もあるんだぞ?」

「だからなんだ? 武装艦だろうがこれは」

「じゃあ案内をつける」「要らん」

「そんなわけに行くか。勝手に中をいじられちゃ困る。拒否する」

「立場を分かってんのか? 拘束されてるんだぞ貴様らは?」

「別に暴れても構わねえんだぜ」「ああ?」

 睨み合う二人に。格納庫の獣たちが一斉にロイをみて。困り顔を伏せた飛竜ががっりがりと大きくうなじを掻きながら降りてきた。


「艦長、艦長」「何だロイ」

「さすがに暴れるのは同意しかねます……あなたは?」

 そこで飛竜が気づいたのだ。虎と将軍も視線をやる。


 兵士の輪の中からとことこ歩いて出てきたのは子供のように小柄な、やや腰の曲がった、花壇の世話をしていた老人だ。首にかかった紐は後ろに背負う麦わら帽子のものだろう、肩にタオルをかけて作業ズボンに緩いシャツといった出で立ちは、まったく公園に居るような清掃員のそれであった。

 薄くなった髪の下からしわくちゃの顔を一段と潰して、しゃがれ声を出す。

「ばかもの。子供の前で何を言っとるかイース。ファイルダー、誰か一人つけさせてやれ。ダニーでよかろう。なあ?」


 格納庫から首を出して。大柄な灰犬が前に出て言った。

「総督? ウォルフヴァイン総督ですか?」

 明らかに虎は失敗したという風に爪先で首を掻いて。じろっと睨む老人に頭を下げた。

「お久しぶりです」

「いつまでも無頼のつもりでおるでない」

「はい」「うむ。息災かロイ?」


「ご無沙汰しております、総督もお元気そうで」

「今は引退の身じゃ、花を世話しておる。日が長うてかなわん」

 そう言って老人がくしゃっと笑った。




  

 歴史を紐解けば、大国アルターも周辺国家の共同体だ。北東砂漠カーン、内陸港イルケア、奇跡の街クリスタニア、山岳国ネブラザ、そして港町リオネラは元来が独立した大陸の要所で、リオネラを除けば先の大戦が終わった際にばらばらと、元の形に戻ったに過ぎない。

 その時に辺境総督ウォルフヴァインも任を解かれた。主に西方さいほうのイルケア・クリスタニア地区を任されていた老人は、だが解任がなかったとしても。


「もう歳じゃったからのお。長くは続かんとは思っておったのじゃ」

 カップになみなみと注がれた甘い茶を飲みながら、そう答えた。


 虎たち一行が通されたのは本部ビル一階の大会議室のような一室で、窓の外からは停泊する蛇が目の前に見える。

 老人のげんに折れた将軍が不機嫌そうに中央テーブルに肘をついて漆黒の巨体を見ながら聞いている。蛇の中では今、灰犬ダニーが数名の監査兵を案内していることだろう。それより。

「……何やってんだあいつら」


 つぶやきが聞こえたロイも窓の外を見て苦笑した。

 蛇の頭部、兜のような障壁発生塊の前で、獣の子供らと若い兵士たちが集まって並んで、あれは記念写真を撮っているのだろう。

 一緒にいるサンディとモニカも、特に男性陣に囲まれて人気のようだ。人間が苦手な二人はさぞ困っていることだろう。


 逆にミネアは、虎たちと一緒に部屋に来ている。こちらにいるのは艦長、ミネアとロイ、ノーマ、ログの五人だ。エイモス医師は蛇に残った。彼は人間で、正確にはまだ乗組員の〝獣〟とは言えないからだ。

 数名の兵士が入口に立つこの会議室のテーブルで、だが獣たちは特に臆するところもない。平然と椅子に座って腕を組んだ虎が言う。

「私もバウンディ将軍の墓参りができたらと思い、ここに来ました」

「うむ、そうか」「はあ?」

 頷く老人とは別に将軍が素っ頓狂な返事を放つ。


「なにがおかしい将軍」

「ほんっとに立場わかってんのか貴様? 拘束された身で墓参りなん……まさか、それでこの基地に」

 呆れて歯噛みするファイルダーに虎が笑った。

「軍人墓地は敷地のすぐ隣だろ」「てめえ……」


 からからと小柄な老人が笑う。

「よいではないかファイルダー。殊勝なことじゃ。わしが許すから行ってこい」

「総督ッ」「ありがとうございます。それとな将軍」

「ああ? まだ何かあるのか?」

 声を張り上げる将軍に虎が身を乗り出して言う。

「フィルモートンの件が知りたい。聞かせてくれ」

「なんだと?」

「別に軍の機密事項でもないだろう? 何があった? 街はどんな状態で壊滅していたんだ?」

「貴様ほんといい加減にしたらどうだ! 身の程を弁えて——」

「おい」「あ?」


 乗り出した虎の目が光る。

「いい加減にしろってのは、こっちの台詞だぜファイルダー将軍。てめえ本気であの街を〝蛇が潰した〟とか思ってんのか? 突撃艦ハンマーの件もそうなのか? なあ?」

「くッ……」

「いつまでも絵空事で話してんじゃねえぞ。ここの壁には耳でもあんのか? 俺らは情報を集めに来てんだ」


 ぐうっと。逆にたじろいで喉を鳴らすファイルダーが思い切り顔を歪ませる。老人は素知らぬ顔でずずず。と茶を啜るだけだ。ついに振り返った将軍が部屋の入り口に立つ兵士たちに。

「全員廊下へ。呼ぶまで入ってくるなッ」

 ばっ。と直立した兵士たちが一斉に部屋を出て。扉が閉まったのだ。


 きれいなものだ。飛竜が鼻を鳴らして笑う。

「——なんだ。あいつらも信じちゃいないのか」

 はああああと大きな溜息を吐いた将軍が諦めて言った。

「当然でしょうロイさん、あんな惨状を蛇がやったなんて話、軍内部では誰一人まともに取り合っちゃいませんよ……それとこれとは別だからな艦長。お前らは変わらず国軍に拘束の身だっ。いいな」

 虎が笑う。老人はカップの向こうで目を閉じている。



 将軍曰く。

 東北の港町フィルモートンは市街地を取り囲む丘陵ごと、ほぼ完全に壊滅状態で、死者重軽傷者は八万五千に及んだとのことだ。その惨状は凄まじく、元々古ぼけた石積みの倉庫とビルが多い街並みは跡形もなく——


「跡形もなく?」「そうだ」

「だが実際は、魔導の攻撃痕は一切なかったんじゃねえのか?」

 その言葉に将軍が虎を睨む。

「何を知ってる艦長」

「攻撃痕や爆発痕は、なかっただろ? まるで巨大な〝嵐〟に巻き込まれたような破壊のされ方じゃなかったのか?」

 老人がことりとカップをテーブルに置く。

「心当たりがあるようじゃのイース」

 虎が頷いて。飛竜が答えた。

「そいつはウルファンドも襲ってきました。我々が討伐しましたが」

「なんじゃと?」


「本当か艦長? なんでそんなことを黙っていた?」

「この国の誰が味方で誰が敵か、わかんねえからだろうが。腹立ててんのはこっちなんだぞ将軍。アルター国軍はもう少しなんとかならねえのか? 突撃艦ハンマー盗んで仕掛けて来た連中も、俺らは知ってる。情報を共有するか?」

 睨み返す虎に、将軍がぎりっと歯を鳴らして。

「——こちとら蛇みてえに自由気ままな身柄じゃねえんだ」

「それで後手に回ってりゃ世話ねえ」

「よさんかイース。儂等わしらの頃から変わっとらんわ。それで敵の当たりもついとるのか? 敵は無限機動か?」


「魔導器でした」ロイが答えた。


「魔導器……では魔導師か?」

「場合によっては、魔術師かもしれません」

「ファガンか?」「わかりません」


 ぎいと。虎が椅子を鳴らす。窓の外ではまだ子供らが兵士たちと戯れているようだ。平和な光景だ。ちらとそこに目をやって、また虎が将軍に向き直って。

「なあ、将軍」「……なんだ」


「俺らが追っかけてる敵はな。どうやらこの大陸全体を巻き込んで騒動を起こそうと考えてる連中だ。アルターだけじゃねえ。ウルファンドも、他の国だって危険に晒されているかもしれねえ」

 やや目を逸らしたままの将軍は、しかし聞いてはいるようだ。何も言わずに顎がかすかに頷いているからだ。虎の声が続く。

「それに比べて、俺らはばらっばらだ。敵さんは上手くやってる。人と獣を、国と国を、互いに探り合いさせて対立するよう仕組んでるんだ。よほどきっちり立ち回らねえと、個別に撃破されるぜ」

 じろっと。やっと将軍が虎を見据える。

「それで? 国軍に何をしろってんだ」


「もう一つ聞きたい。こっちは機密事項だ、言えるか?」

「何が聞きたい」

「アルターが帝国と休戦協定を結んだ時、誰が来た? 帝都ルガニア首都リオネポリスを何度か行き来した人間がいるんじゃねえのか?」


 虎が本題に斬り込んだ。今度は獣の面々がわずかに緊張する。もし帝都ルガニアから旅立った元魔導師たち全員に〝赤毛のエリナ〟が埋め込まれているのであれば、それは父親のバーヴィン=ギブスンの記憶で。


 それを持ち帰った誰かがいるはずで——

「黒騎士だ」


 将軍の言葉に部屋の時間が止まったように。目を見開いた虎が。やっとのことで質問する。

「……グートマンが? ここに?」


「違う。別の黒騎士だ」

「なんだと?」

「サルザンという名の黒騎士だ」


 二人目の、黒騎士が。

 この首都に来ていた。


 その事実に。イース=ゴルドバンは言葉が見つからない。




◆◇◆




 概ね語り終えたリリィは、だが相変わらずエリナが話し続ける細かい入院の説明を受けていた。

「それでですね、洗濯物は廊下の突き当たりに名前の入ったカゴがあるはずですから」

「ふんふん」

「どうしても自分で洗いたいときは、えっと、この棚だったかなあ」

 ごそごそと棚を探すエリナの横でばっと振り向いたリリィがアキラとダリルに「もう間が保たないッ」と言いたげに丸く口を開いて。だがどうすることもできない二人の男性がちゃっちゃっと手を振って。

(適当に話して。終わらせてっ)

(えええええええ)

「あった。これですっ」

「あ。あ。ああっそうなんだ」

 喜んで棚から洗濯網を出すエリナにひこひことリリィが相槌を打つ。


 と。そこに。


 あまりに勢いよく引き戸が開いたので、思わずダリルが身構えた。斜めに首を出して部屋を覗いているのは随分と人相のよくない、四角い反ったフレームの眼鏡をややずらしてかけている細身の男だ。カタギに見えない。

 しかしエリナはにこっと笑って。

「あ。デントーさん」

「部屋にいなかったもんですから……新しい患者さんですか? お嬢」

(お嬢ッ?)

 アキラが驚くのに気づいたエリナが頰を赤くして。

「人前でその呼び方やめてって言ってるでしょ」

「へい。すみません……みなさんは、どちらから?」


 咄嗟に。

=東カルテリア総合病院だアキラ=


「ひ、東カルテリア総合病院です」

「そうですかい……ごゆっくり」

 それだけ言って。男がぱしっと引き戸を閉めたのだ。リリィとアキラの視線が合う。ダリルも屈めた姿勢のままで目を走らせて。


=バルコニーに出ろアキラッ!=

「ちょっとごめん!」

 ばっと。アキラが部屋から外に出た。ぽかんと口を開けたエリナが隣のリリィを見て。

「どうかしました?」

「う。ううん? だいじょーぶだよお」



 広いバルコニーの端に寄ったアキラは部屋から見えない位置に身を置く。最上階の壁に背をつけ左のこめかみに手を当てて。

「ひょっとして裏を取られる?」


=それだけならいいが。我々はしくじったかもしれん=

「え?」

=両手を広げろアキラ。帯域を探索する。急げ! 両手を上だ!=


 声に言われたアキラが両の掌を広げて青空に向かって伸ばす、と。一気に周辺の空気がぐわあ。と揺れて青白い陽炎のような光が全身を包んだ。同時に。

『あなた元気いや三千これ買ってもうそろそろ退院笑っちゃうよねあの先生おかしくってさ』

「うわッ」

 まるで混線したような声の塊が頭に響いてきた。


=どこだ……見つかるか?=


『本当に元気にしてるの? 叔母さんが随分心配してるん——』

『だから足りないんだって。今度買って来てよ』

『六千まで上がったら処置した方が——』

『言ってること毎回違うんだよ?』


『つってもですねえ』

=声紋が一致した!=


 声が回線を特定する。アキラが耳に手を当てた。

『現に新しい患者が入ってますぜクロウさん』


『そんなはずはない。


 ざあっとアキラの首筋に冷や汗が出る。

=やはりか。しまったな=


『なにか病院側がヘマしたんじゃねえんですかい』

『それはこちらで調べる。目を離すな。患者の名前を調べろ』

『ああ。受付呼び出して聞いてます。リリィ=ストラウドって女です』

 ぎッ! と。アキラが奥歯を噛んだ。名前が漏れた。だが。さらに音声は意外な言葉を発したのだ。


『リリィ=ストラウド? その名前はパダーから聞いたことがあるぞ? 少し応援をやる。その女を捕獲しろ。療養所から出すな。おかしな真似をしたら〝蟲〟を使ってもいい』


「……なんだって?」

 耳に響く声の宣言に、アキラが呆然とするのだ。

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