第百話 蛇、首都に現る


 東部第一境界の夜明け前。

 まだあちこちに常夜灯と指示灯がうっすら光る臨海の国軍本部敷地から、次々に空域警戒のモノローラが飛び立つ。


『第一、第二、第三警戒隊の展開完了』

『風力1。軟風。検波盤反応なし』

『南、西インダストリア海域ともに異常ありません』


 夜第十一時は地球時間における午前五時、早朝である。わずかに雲の浮かぶ水平線に溶ける藍色の薄まった空はまだ明けていない。広場に立つ将軍の外套が緩く翻る。周辺からひっきりなしに通信が飛んでいた。


『首都中央行政区より北域すべて、蛇の到達まで厳戒態勢に入りました。各地域の対空砲は充填完了。検波盤スコープの探索域を200キロリームまで拡大します』

「第二、第三砲撃艦は東西インダストリア空域に展開。工業地帯より北には出るな、市民を刺激する」

『了解です』


「将軍。第一砲撃艦の発進準備が完了しました」

 駆けてきた兵士にファイルダー将軍が、所在無げに手をあげる。軍の大将が乗艦するなど異例だ。だが地上で指揮など執っていれば、あの馬鹿でかい塔の中の政治家連中がどんな文句を言い出すか、わかったもんじゃない。


 まだ明けない空を見て。

「蛇一匹に、ちょっと大袈裟じゃねえかな」

 口元を歪ませるのは自嘲なのか。





 早朝からウォーダーの管制室に集まっているのは乗組員の面々と来客の五人だ。昨日と同じく首都市街地の地図が映されている正面モニタを見上げながら、計器盤に手をついたアキラが話す。


「——まず艦長の……えっと」

 言いかけて。言っていいものかどうかアキラが伺う。虎は頷いた。


「……艦長が敵から得た情報にあった南インダストリア十七地区です。首都臨界工業地域、魔力送配管の制御本部ビルがあります。これは国の施設ですが」


「実質はバルフォントの持ち物よ」

 ラウザが笑った。少し振り向いたアキラも笑い返す。

「そうですね、内部組織の面々はバルフォント議員の運営する企業に繋がりのある人物ばかりでした」

「え? 裏が取れてるの?」

「はい、まあそこは置いといて」

 

 またモニタに向き直るアキラの前で地図が一気に工業地帯へと拡大された。中心に十七地区の送配管本部が位置している。そこからぶわあ。っと。無数の線が縦横無尽に走り始めた。見ていた面々が驚き、虎が言う。

「これはなんだアキラ」


「ここ十日間ほどで施設を出入りした機体の基底盤残留痕です。この中で……」

「待て。まてまてお主」

 グラサンの老人が呆れたように手を伸ばす。

「基底盤のなんだと? 魔導器の残留をどうやって読むのだ?」

「同型の魔導器でも積載重量や運転のクセで残留痕は全て違います。指紋のようなものです。地域の各所に設置されている検波盤の、その通過変動値を時間軸で照合しました。記録の残っているのが、ちょうど十日間です。この街って工業地帯だけじゃなくてあちこちに検波盤がありますよね」


 確かに理屈では、できないことではない。だが。

「途方もない作業じゃぞ?……まあ良いわ、続けてくれ」

 腕を組み直す老人に、遠目から虎が少し笑う。アキラが続けた。


「はい。この中で異常値のないもの、定期便の配送とか、巡回とか、理由付けの取れるものを削除します、すると」

 あれだけ多くあった光の線が一気に消えて減っていく。残ったわずかな線のうち、ひときわ太い線が一本。

「これです。この線は十七地区の送配管本部から十日間のうち四回同じ目的地を通っていますが、適当な理由が見つかりません。拡大します」


 まず第一に拡大した地図で。南インダストリア地区が写り込む。

「線が通っているのが第三十番代地区の魔導炉、制御ビルです。こちらも調べたらバルフォントの息がかかっていました」

「だとしたら別に、おかしくないのではないか?」

 ロイが訊ねた。アキラが言う。

「それだけでしたら。さらに拡大します」


 一気に市街地全体が写り込む。来客の中でも三人、ラウザと護衛の犬たちが訝しげに地図を見る。レベッカが呟く。

「あれは……」

 先ほどの光線は工業地帯を抜けて街をぐねぐねと走り中央行政塔へと繋がっている。さらに一本分岐して市街地を北に抜けて山間部手前の大きな建物にもルートを取っていた。


 トール副議長が問いかけた。

「十日間、って言ったわよね」

「はい」「じゃあおかしいわ」

「ですよね」


「何がおかしいんだ副議長」

「中央の行政塔は評議員塔よ。あたしの部屋もあるわ。十日に四回も配管制御ビルや魔導炉に通う評議員なんて知らない。それは技術官の仕事で、技術官なら南部行政塔なのよ」

 虎の質問に答えるラウザに続けて。アキラが言う。

「はい。変に思ったので中央行政塔の車輌痕も全部擦り合わせました。異常値はこの一台だけです。しかもルートの取り方が変です」

「——こりゃいてるんじゃねえか?」

 さすがに傭兵は気づくのが早い。ガラがさくりと答えた。


「ええ。尾行を撒いているルートだと思います。特に複雑な動きをしているのが四回のうち一回、この山間部に近い建物に寄った時の走りです」

 アキラの声に応じて北に移動した地図がズームアップして。その建物をフレームで映し出した。犬のダリルが指差して言う。

「ブレナデス。ブレナデス長期療養院です」


「そうです。これも国の施設ですが、長期の患者リストとバルフォントの関係者を比較したら……一人だけ」

 ざあっと画面を流れる二つの名簿がある行で停止して。右に一人、左に一人。人物が強調される。

「左の女性がエリナ=クローブウェル。十六歳で、三年を越える療養患者です。右に写っているのはゲイリー=クローブウェル。ディボ=バルフォント評議員の秘書です」


 ラウザが細い顎に手を当ててモニタを食い入るように見て。

「ゲイリー=クローブウェル。〝クロウ〟はディボの側近よ。確かに娘がいたわ。でも……こんな赤毛だったかしら? それに、だいぶ昔に離婚したって聞いたんだけど」

「娘と称して女でも囲ってんじゃねえですかね?」

「相手は十六よガラ。クロウは陰気な男だけど、そんな趣味には見えないわ」

「ですので施設の配食記録に侵入しました」

「は?」「なんですって?」

「少なくとも一年以上、この子は外食をしていません。単に身内や愛人を隠しているなら異常です。まるで彼女はこの場所に——」

 アキラが虎の方を向く。虎が制する。


「わかった。そこまででいい」


 その表情に、副議長が眉間に皺を寄せる。なぜ彼は、そして隣に立つ飛竜も。呆れたように笑っているのか? そしてどうして、こんな悲しそうな匂いをさせているのか?

「——イース艦長」「なんだ」


「この女性は誰? あなたたちは、何の目的で首都に来たの? 抗魔導線砲アンチ=マーガトロンに物申すのが目的だったんじゃないの?」


「俺たちの目的は、あんたら五人を首都に届けることと、評議会に文句をつけることと。死んだ将軍の墓参りだ」

「言ってくれなきゃ手も貸せないわよイース」

 イースが大きな左手のひらを軽く上げた。

「理由は言えねえ。手は借りたい」

「なにそれ?」


 虎の言葉にいよいよ眉根を寄せるラウザより離れて。グラサンの老人がじっと見ているのは正面モニタの名簿と。計器盤に手をついたままの銀髪の青年だ。シャクヤ導師には、確信が生まれてしまった。


使途不明呪文ジャンク=スペル〟ではない。


 おそらくこれは。なにかもっと機械的で、的なものだ。だがそれならば、今。目の前でこの青年は。人口百万に近い首都リオネポリスの中より、たった一人の人間を探し当てたのか? と。


「ちと、早まったかの」「なんすか?」

「なんでもないわ。まあ、それはそれで面白い」

 顎を撫でている導師にガラが怪訝な顔をした。呆れ顔のラウザは虎に問う。

「訳も言わずに、私に何をさせる気?」


「俺らが取る市街地への侵入方法を許可してもらいたい」

「あたしが? どこを通るつもり? 何を考えてるの?」

「いろいろさ」と虎が笑った。





 同じ早朝の孤児院では、院長室でアルトと隊長が話していた。まだ子供らは起き出していない。ただガリックはいつものごとく扉の脇でやや猫背になって二人を見ている。その話がわかっているのかいないのか、じっと黙って聞いているようだ。


「——もうだいぶ昔に聞いた話ですが、特殊な能力を持った魔導師でなければ〝憑いた蟲〟を外すことはできないはずです。しかもそんな状態だったら、隊長さんが見た獣人はすでに……」

「死んでいる、か?」

 執務机の椅子に座ったアルトが悲しげに頷く。


「……おそらく。肉体は死んだまま意識が保たれているのでしょう。ただ動く肉の機械です。蟲を外しても無駄です」


 窓際に立つ隊長が外を見る。今朝方は早くから暁の空が騒々しい。遠くから聞こえるのはモノローラの駆動音だ、やがてやってくる蛇に対する厳戒態勢が敷かれているのだろう。


「鉄の廊下に立たされたまま死んで、蟲に侵されたまま立ち続けているのか」

「そういうことに、なりますね」

「破棄すると言っていた」

「言葉通りの意味でしょう。そんな状態の獣の爪や牙が売り物になるとは思えません。——隊長さん」

「うん?」

「僕が行きましょうか?」


 そう言ったクレセントの少年は、真っ白な髪の奥から沈むような深みを帯びた瞳で隊長を見ている。もう一度言う。

「僕が行ってもいいです。隊長さん」


 つまり。そういうことだ。あなたがやらなければ私がやる、と言っているのだ。少し隊長の表情が緩んだ。

「意外だな」「そうです?」

「長く生きれば、こういう熱は冷めるものと思っていた」

「あなたは、どうなんです? 隊長さん」

 白髪を揺らして小首をかしげるアルトの視線に。隊長が答える。


「街が騒がしい。あんたはここに残っておくべきだ。どのみち魔導炉の調査をやめるつもりはない。潜入するなら、獣たちを避けては通れないだろう……こいつは、付いて来そうだな」

 ちらと視線をやる隊長に、ガリックがあうあうと頷くのだ。




◆◇◆




 南海洋に昇る旭日きょくじつが水平線の上ぎりぎりを漂う雲間より、海へと。金色の陽を投げている。


 鋼鉄のプラントが染まり、複雑に走る配管がコントラストを上げる。あちこちに立つ集合煙突の影は産業道路を抜け、やがて湾岸線も朝焼けに強く色づいていく。

 上空に浮かんだ巨大な円盤より三つの艦首を伸ばした砲撃艦リボルバーの周囲に展開するモノローラ群も、昇る日に反射して輝く透明な障壁が水晶の塵のようだ。


 市街地の道路には人影がない。走る魔導器もない。時折、政府の広報車が『本日朝第三時までは首都全域が厳戒態勢に入ります。市民の皆様は外出を控えてください』と拡声器から注意を呼びかけて走り抜けていく。

 アパートメントの窓からは結構な数の人間が下を覗いている。大人も子供もいる。中にはテラスに出て湾岸空域に展開する、海からの陽にシルエットになった国軍機を眩しそうに見ている家族もいた。



 南インダストリア中央に浮かぶ第一砲撃艦の艦橋管制室で、大きく映された北部山麓を睨みながらファイルダー将軍が兵士に確認する。

「昨夜のうちも特に不自然な動きは、なかったんだな?」

「はい。艦船、地上ともに報告はありません」

「親衛隊もか」「はい」


 それならばいい、が、油断はできない。

 今一番気を回さねばならないのが身内だということが、将軍の気を重くする。

 軍の内部にバルフォントの息のかかった者は結局見つからなかったが、万が一にも蛇に向かって抗魔導線砲アンチ=マーガトロンなど発射されたら大惨事だ。最悪、蛇が市街地に墜落しかねない。

「引き続き警戒しろ」「了解です」


 その時、計器盤の椅子に座った別の兵士が振り向いて叫んだ。

検波盤パルスコープに反応ッ!」

 管制室に緊張が走った。将軍が叫ぶ。

「全機に開放で通信! 行政塔にも聞かせてやれ!」


 展開する艦船に通信が届く。

『距離199ッ! 規模は無限機動! 国籍、機種ともに不明! 蛇ですッ!』

 浮遊するモノローラが独特の旋回音をあげながら扇を広げるように位置を調整する。

『先発隊一、二、三班。まだ目視できません』

 微速で進む兵士の乗る機体は高度200リームほどを警戒していた。遠く見渡す市街地の向こうは北部山麓で、朝靄あさもやが山並みに沿ってうっすらとかかる以外は厚い雲もない。見晴らしは良好だ。

『陸南街道ルートより北西3.7。反応は単機です』

『北西3.7了解』

 ぎゅ、ぎゅ、ぎゅと緩やかにカウルが回る。まるで風に浮かぶ砲座のように複数の機影が並行移動して向きを変えていく。眼下のビル群がゆっくりと流れる。

 本当に晴れた空だ。だが。見えない。将軍の声が入る。

『先発隊どうだ』

『いえ……目視できません』

 モノローラの座席で、しきりに兵士が目を凝らすのだ。青い空には、点も見えない。


 おかしくねえか? と。将軍が思った矢先に。

「反応が消えていきます!」「何?」

 ぎっ! と計器盤を睨んだ艦長が兵士に叫んだ。

「解放通信!」「了解です」


「こちらリオネポリス国軍本部ッ! 無限機動ウォーダー応答せよッ! てめえ隠身シルクかぶってんじゃねえぞッ何のつもりだッ!」



 ◆



 ウォーダーの管制室前面モニタにも、すでに市街地の地図は姿を消して眼前の山麓が大写しになってゆっくりと後方に流れていく。動力室からダニーの声が届く。

濾波障壁シルクバインドウォール、展開完了。駆動音トーンに切り替えます。現在、最前の機影と距離195』

 灰犬の言葉に反応したのは搭乗する来客の五人だ。グラサンの導師が声を出す。

駆動音トーン? 駆動音トーンとはなんじゃ?」

 それには答えずちょっと含んで笑う虎は。将軍の通信に返答した。


「保険をかけてるだけだ将軍。あんたを信用しねえわけじゃねえが万一があるからな」

『隠身状態の船など首都に入れられるかッ! 今すぐ濾波障壁シルクバインドを解除しろ! 強制誘導するぞ虎の艦長!』

「誘導は認めませんファイルダー。そのまま待機しなさい」

 前に広がる山麓の映像に向かって副議長が声を上げた。

「モノローラもバンドランガーも、全ての機体がこの無限機動に近づくのを禁止します。いいわね。同乗しているあたしたちの命もかかっているのよ」

『軍が信用できないのかラウザ?』

「あのねファイルダー。その国軍機がウルファンドに突っ込んできたのよ? あたしが信用しているのはあなた自身であって軍全体じゃないわ、悪いけど」

『……ッ! 勝手にしろ! 厳戒から臨戦に切り替えるぞ!』


 切れた通信に息を吐いて。副議長が虎を睨んだ。

「これでいいの?」「上等だ」


 将軍と副議長のやり取りに呑まれていた犬の護衛たちとはよそに、傭兵ガラも腕を組む。この蛇の連中は、魔力検波盤パルスコープとは別のなにか、相手の位置を特定する手段があるのだろうか? シャクヤ導師と目が合った。

「——音ですかね」「うーむ」


 モニタから目を離した虎がミネアに向かって。

「進路変更。予定通り」「了解」

「え? 濾波障壁シルクバインドで終わりじゃないの?」

 また眉間に皺を寄せた副議長に虎が振り向く。

「そんなわけないだろ、隠れてからが本番だ」





「あいつら進路変更の可能性がある。北西3.7に拘らなくていい。全方位を警戒」

「了解です。偵察を出しますか?」

「いやダメだ。市街地上空から目視で捉えるんだ」

 忌々しそうに将軍が答えた。腹は立つが一理あるのだ、近づいた機体に万一にも抗魔導線砲アンチ=マーガトロンが搭載されていたらと獣たちが考えるのは、正直、理にかなっている。市街地侵入のギリギリまで彼らは姿を隠すつもりだろう。

 それなら目視で見つけるのみだ。幸い視界はいい。全方位に展開したモノローラ隊で容易く見つけられるはずなのだ、山を越えようが、海を越えようが——


 山を。越えようが—— しかし。


「……しまった」

 

 将軍が思い至ってしまった。

 あれは空飛ぶ〝蛇〟なのだ。




◆◇◆



 

 厳戒態勢と言っても百万都市もなればその面積は広く、周辺部までその緊張が伝わっているわけでもない。早朝から広報車が『厳戒です厳戒です』とけたたましいサイレンを上げながら走る本街道を眼下に見ながら、山麓の坂道で日課の散歩をする老人が近所の人に挨拶をする。


「なんだか今日はやかましいですなあ」

「ああ、おはようございます。獣の蛇が飛んでくるって話ですがね。あんないっぱい飛んでるのはモノローラですかね」

 家の石垣から顔を出した隣人も、一緒になって遠く海沿いの空に見える円盤と機体に目をやる。でかいのは砲撃艦だろうか。

「市街地に砲撃艦が飛ぶなんて、初めて見ますわい」

「ほんとに。どこの空から飛んでくるんでしょうな……うん?」


 隣人が手をついていた石垣が、細かく振動を始めた。二人が顔を見合わせる。ごごごごごごと。足元が揺れる。地鳴りだ。また互いに顔を見て、空を見る。だが何もない。朝の青空が広がるのみだ。

「こ、これは……」

 音は後方から聞こえてくるのだ。二人が振り向けば道なりの民家の庭から、ベランダから。やはり同じように住民が、家族が顔を出して。その向こうの山並みを見ていた。西の山あいに緩いカーブで隠れた森に続く道が、ぼおっと緑色に光を放って。


 地鳴りがひどくなる。老人が石垣に掴まる。そして。

「うおおおおおっ」

 道の向こうから顔を出したのは漆黒の鈍い光沢がてらてらと輝く、巨大な障壁発生塊だ。兜のようなその塊の下に切れ長のヘッドライトが目のようで。


 坂から無限機動が降りてきた。


 腰を抜かさんばかりに道端にへたり込んだ老人の頭上を緑に輝く基底盤が通り過ぎていく。民家の屋根すれすれを飛ぶ蛇を全ての住民が見上げて声を飛ばす。

「へ、へ、蛇だあッ!」「蛇が飛んでるッ!」

 黒く続く機体のあちこちに幾何学的に走る光線を目で追って。ただ民家の子供たちの幾人かは「すっげえ……」と。目をきらきらとさせて見とれていたのだ。



『蛇! 侵入しましたッ! 検波盤に反応ッ!』

「どこだッ!」

『陸南街道西の市道23号を南下中ッ! こ、高度100を切ってますッ!』

「ちィッ!……」

 将軍が大きく舌打ちする。やはりだ。

 蛇は地を這う。狙うには低すぎる。

 展開するモノローラより次々に通信が届く。

『市道より山麓住宅街を通過します!』

『北部ターナー地区よりアッシャーベルト街へ移動中!』

『高度推定80ッ! 威嚇しますかッ!』

「撃つな馬鹿野郎ッ!」

 アッシャーベルトは商業地区だ。上空からの発砲などあり得ない。将軍が叫ぶ。

「包囲しろッ! 横につけろ! 誘導しているように見せるんだッ!」

 自由に飛び回られているなど。市民に気づかれたら騒動が起こる。ファイルダーが奥歯を鳴らす。

「ふざけやがってッ!」



 山間部の住宅街から降りてきた巨大な蛇が街の空を舞う。川の橋を渡った三叉路の大通り沿いに立つビル屋上の大きな不動産屋の看板が、蛇の移動でぎいぎいと軋んだ。周辺の建物は朝方だけあってオフィスビルには人影はない、が。居住用のマンションからは共有の廊下や屋外階段に一気に市民が溢れて。

「な、なんだありゃ」「蛇だ。無限機動だ!」

 野次馬が空を指して騒いでいる。その蛇が。


「うわああああッ!」

 ごおと唸りを上げて空中で弧を描き、さながら生き物のように向きを変えて。潜るように道路の上を飛んでいく。


『外に出るなッ! 厳戒中だ! 屋内に戻れ!』

 飛んできたモノローラから発する警戒に市民たちが散り散りになって部屋に戻るが、また別のビルからも次々に顔を出すのだ。きりがない。運転する兵士が空中から声を涸らす。

『出るなって言ってるだろッ!』

 蛇の上部に四機、五機と集まってくる。別の機体からも声が飛んだ。

『無限機動ウォーダーッ! 高度が低い! 高度あげろッ!』

 その声に反応したのかどうなのか。また蛇が舵を切る。大きく旋回する。

『う、うわッ! 蛇行するなッ! 何をやっているんだ!』



 何をやっているのか?

「右だ右。その道路を西に下るんだ」

「下るってどっち!」「海だ!」

 ミネアの操縦席に張り付いたドーベルマンのレベッカが指示を出す。が。モニタに映る街の景色を見ながらなので、その指示がどうにもワンテンポ遅れる。

「海なら川沿いでいいでしょ」

「ダメだ。川を下れば西インダストリアに出る。中央区は交差点を左……そこだ。行き過ぎだ!」

「どの交差点よッ」

「タッカード幼稚園だ」

「わかんない!」

「その赤い丸い屋根だ! 有名だろうが!」

「知らないし! もっと早く言えこのッ!」

 ミネアがぐんっと操縦桿を切る。「と、とっ」と管制室に立つ面々が足を踏ん張った。席に掴まるドーベルマンの鼻がミネアに近づいて。

「いいか。中央区は高層ビルが多い。この高度で飛び続けるなら道沿いを行くしかない。ぶつけるなよ。さっきの看板は危なかったぞ」

「わかってる。……なんでこんな時にアイツいないのよ」

「なんだと?」「なんでもないっ」

 

 操縦席で騒ぐレベッカとミネアを遠目に見ながら。

「割といいコンビじゃねえか?」

「そうかしら?」

 苦笑する虎にラウザが呆れるのだ。



 いよいよ周辺のビルが高くなった通りを蛇が飛んで行く。道路に車は走っていない。が、ビルのあちこちから市民が顔を出して、漆黒の無限機動を指差している。マンションの一室で部屋の奥に引っ込んだ家族の中で、だが。少女が母親の傍からばっ! と立ち上がって。窓に駆けて行った。

「ちょっと!」

 慌てて追いかけた母親が後ろから少女を抱きしめた。

「危ないじゃない! 近づいちゃダメでしょ!」

「ええ? でもこどもが、のってたよ?」

「え?」「けもののこども。のってたよ」


 格納庫の開いた扉から手すりを握って首を出しているのは主砲班の子らだ。リッキーとエリオットが興奮して指差す。

「うわでっけえ。なんだこのビル」

「すごい見て見てノーマ。ノーマってばっ」

「はいはい」

 奥のモノローラに座ったノーマが相槌を打つのに構わず、リザとパメラも。初めて見る都会の様相に夢中で目をやる。時折ビルの窓からこちらに手を振る家族がいた。わあっとはしゃいで振り返すのだ。後部車両からフランとシェリーも走ってきた。

「ちょっとナニ持ち場離れてんだよッずるいじゃんか」

「ずるーい」「見てほら。手、振ってるよ」

 言われて二人も一気に駆け込んで。振り返すのだ。ふと頭上を見れば国軍のモノローラに乗る兵士と目が合った。兵士がぎょっとするのがわかる。子供らが笑ってそちらにも手を振るのだ。


「こ、こども? 子供が乗ってるだと?」

『確認しました。間違いありませんッ』

 第一砲撃艦の管制室に連絡が届く。もみあげを震わせて将軍が叫んだ。

「通信繋げッ! おまえいい加減にしろよ虎の艦長ッ!」


 



「なんだ気忙きぜわしいな将軍」

『街の人間を盾にするわ、子供を盾にするわ、どういうつもりだウォーダーッ! 本気で喧嘩売ってんのかッ! 見損なったぞ貴様!』


 腕を組んだ虎が平然として。


「何度も言わせるな将軍。俺らは万が一にも光線を浴びるわけにはいかねえんだ。やれることは全部やるさ。見損なうなら好きにしろ。それにな。おまえら首都の人間が蛇をどう見てんのか知らねえが、これは俺らのだ。子供ぐらい乗ってるさ」

『いつから乗せているんだ! 住居といっても戦闘艦だろうが! 子供を乗せるなど責任が取れるのか貴様!』


 虎の目の光が強くなる。

「うるせえ。そんな話は他所から言われる前にずっと考えて、もうずっと前に通り過ぎた。それに子供なら、最初の最初から乗っていたさ」

 ラウザの方を少し振り返って。

「——〝蛇の七人〟の頃からな」

 その言葉に。副議長が少し目を丸くした。虎が笑う。


 操縦席のレベッカがミネアに顔を近づけて。

「進路そのまま。あの高いのが中央行政塔だ」

「了解」


 グラサンの老人は黙って顎を撫でている。その横の傭兵はいない。腰に手を当てたラウザが首を振りながら虎に言う。横の兵士ダリルも姿を消していた。


……あなた自分の名前に傷がついてもいいわけ?」

「俺の名前が、なんだって?」

 虎が眉を上げた。

 アキラと、リリィもいないのだ。




◆◇◆




 蛇が低空飛行で市街地に侵入した本当の理由は。

 彼らを森で降ろすためだった。


「順調に飛んでるんですかね? あれって」

「まあ、なんとかなるんじゃないか?」


 市街地に消えて行った蛇と、それを追って行った首都のモノローラを遠目に見ながら。市道、峠道の片隅に停まったロックバイクが四台。


 二台には、ケリーと傭兵ガラが乗っていた。アキラは人間に隠身したケリーの姿を初めて見る。ハリウッドにでも居そうな細面の青年は首の後ろで長髪を軽く縛っている。あの筋肉質な身体がここまで細く変化するとは驚きだ。

 彼ら二人の目的はインダストリア工業地帯の第十七地区、送配管本部の探索だ。その前に市場によって地元の情報屋と接触するらしい。道案内はガラが行う。


「お前らも気をつけろよ」

「了解ですっ」

「あいあーい。ねえアキラくん。どお? ね。どお?」

「なにがですか」「またまたあっ」


 アキラのロックバイクのリアシートに乗っていたのは。

 薄水色の長髪をゆったりと縛った美女だ。白い肌に小鼻がつんとして、意外と眉がはっきりと太いがこちらも色が薄い。満面の笑みで後ろから首元にぎゅうっとしがみついてくるのだ。

「ぜっったい隠身解いたらダメですからねッ」

「あーい。えっへっへー」

 よくあんな長い耳を隠せるもんだとアキラが感心する。ただ彼女の隠身は保って半日が限界らしい。今回は戦闘力と機動力を重視して、サンディよりリリィに付いて来てもらった。


「自分、案内します?」

 最後の一台に乗った童顔の青年——身長的に少年にしか見えないのだが——がアキラに言う。隠身した親衛隊兵士ダリル=クレッソンだ。こちらも鮮やかな隠身だ。アキラが笑って答える。

「大丈夫、地図は頭に」「入ってるからねっ」

「そうなんですか?」「そだよおー」


「了解です、ついていきます」

 犬の兵士が強く頷いて返答する。彼は命の恩人だ。何があっても守り抜くと意気込んでいるのだ。

 こちらの目的はブレナデス長期療養院であった。くだんの少女を探し出し、身体に憑いた蟲を解くのがアキラ達の任務だ。初めて任務らしい任務を得たアキラが軽く武者震いをした。


 ケリーが軽く上げた右手を振る。

 一斉に。


 四台のバイクが峠を走り抜ける。目の前にリオネポリスの街が広がる。遠くに海が見える。アキラには初めての、異世界の海だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る