第九十九話 遥かな記憶
この男はいったい、過去に何をやっていたのだろう?
鋼鉄の義手で器用に外壁の鉄板を剥いでいくガリックを見ながら隊長が思う。ロックバイクの運転を見たときも感じたことだが、彼は思い切りはいいが決して行動は荒くない。
集合煙突の鉄骨から巨大な魔導炉に連結する三階建てのビルの隙間に潜り込んだ今も、天井裏の配管層へと続く外壁の位置をガリックは簡単に探り当てた。こういった構造物への侵入に慣れているのか、もしくは頭に図面でも入っているのだろうか?
何の指示を受けるでもなく作業を続けるガリックが、壁の隙間に押し込んだ義手の指を軋ませると、かき。と音がして中のビスが折れる。都合八回繰り返して、ぐわん、と。揺れた鉄板が外れて正方形の穴が開いた。
外した鉄板を脇に立てかけ、ガリックが振り向く。どうするか、先に入るかとでも言いたそうだ。隊長が軽く頷いて先導する。気になるのはさっきから右手首の腕時計——
「……お前、曝露は本当に大丈夫なのか?」
「あう。あーあー」
早く行けと庭番が背を押した。
日中の陽差しを反射した白い外壁を見ていた眼が、天井裏の暗闇になかなか慣れない。しばし目を凝らしているとだんだんと縦横に走る細い配管と、遠くに明かりが見える。
幸いコンクリ様の下地で軋みもせず音もしない。魔導炉の施設なのでこれくらい頑丈で当然なのかもしれない。埃っぽいが乾燥しているのも助かる、
まさかこんな場所に見張りはいないと思うが、しかし警戒すべき罠も見当たらない。こういう公的な建造物の中で
四つん這いで暗闇を進みながら時折、隊長が止まって右腕をぐるりと周囲に差し出す。腕時計の反応はむしろ弱くなっていた。滞留が減っている証拠だ。
隊長が考える。どうも腑に落ちない。
これでは普通の魔導炉と代わり映えしない。
獣狩りの巣が、ここまで無防備なのだろうか?
進みが止まってしまったので、隣のガリックが急かす様に隊長の背中をたんたんと叩く。細かく頷いてまた前に行くと、やがて。その明かりの元が見えてきた。長方形の小さな換気口だ。細い羽板が嵌っているので向こうは見えても出ることはできない。隊長が覗いてみる。
そこは無機質な廊下だった。換気口は壁の上部に繋がっていた。見える範囲に扉はない。いくつかの交差があり、その奥まで伸びている先は魔導炉に繋がっているのだろうか? だが。
異様な光景だ。どこか送風用の巨大なファンが回っているのだろうか、鈍い音の響く廊下に天井からの自然光が漏れたり消えたりを規則的に繰り返す廊下の壁に。
「……犬?」
壁際に背を向けてひとりの獣が立っている。
訝しげに隊長が目を凝らす。横からガリックも覗く。
獣は犬の獣人だ。男で、年齢はわからない。成人で、そして裸だ。何も身につけていない。毛むくじゃらの全身をそのままに両手もだらんと下がったまま、わずかに曲がった膝が細かく震えているようだ。顔はやや上向きで天井を見ている風でもある。
全身の毛はしなだれて、そして下腹が妙にだらしなく膨らんでいる。太い尾は股の下に垂れ下がって動かない。虚ろな目をしたその顔に、ただ繰り返しファンの影が通り過ぎていく。
これは、なんだ? 見張りか?
獣は身じろぎもしない。
足音が近づいてきた。隊長がガリックの肩を引く。
廊下の交差から二人の男が歩いてきた。一人は背広、もう一人は白衣を着て手に
「……金槌?」
釘を打つ金槌だ。たいして大きなものではない。かつかつと響く足音がやがて止まって、白衣が喋った。
「二十四番です」「そうか」
音すらしなかった。
なんの躊躇もなかった。
背広の男が獣の顔を思い切り金槌で横殴りに殴ったのだ。
牙が一本折れて飛んだ。
隊長とガリックの目が見開かれ、肩に力が入る。右の頰を鉄で殴られた獣が、しかし声ひとつあげない。顔だけが反動で横を向いただけだ。おもむろに白衣の男が腕時計を構える。
「五秒……十秒……十五秒経過」
背広は槌を持った手で、割った頬骨を触る。唇を指で捻って折れた牙を見る。
「……一分経過」
「再生しねえな、もう交換だ」
「了解です。二十四番は破棄」
腕時計を見終わった白衣が、記入盤に指を走らせる。やはり金槌を持ったままの手のひらで無表情に背広の男がぱんぱんと、軽く獣の頰を叩いた。
細い羽板の向こうで。
これは何が行われているのか。
——臨海調べるってんなら獣には気をつけなよ。すでに蟲が憑いた人形だぜありゃあ。——
医者の言葉を思い出す。
この獣はきっと〝見張り〟なのだろう。侵入者を見つけたら襲うように仕掛けられているのだろう。しかし。まるで想像と違う。蟲に操られた獣とは意思を持たぬ下僕や奴隷、兵隊のようなものを隊長は予想していた。
これでは奴隷ですらない。いったいいつから彼はこの廊下に裸のままで立っているのか。食事は? 睡眠は? まさかあの膨れた下腹は——
(排泄すら制御されているのか?)
それを、いつまで?
このまま、死ぬまで?
ごりいっ。と。鈍い音に隊長が思考を戻す。隣から聞こえたそれはガリックの歯ぎしりだ。換気口から光が差すだけの真っ暗な狭い空間に浮かぶ庭番の横顔に隊長が戦慄を覚える。
明らかに激しい怒りを感じたからだ。見ればわかる。長い銀髪の奥の目が見開かれて鼻の根元に皺の寄ったガリックの表情は、むしろ彼こそが、飛びかからんとする獣のようなのだ。そして。
「グゥウウウ」「……おい」
唸り声まで上げ出した。庭番の肩を隊長が押さえる。だが。今にもガリックは大声で吠えそうだ。
「——うん?」
まずい。
背広の男が周囲を見渡す。だがガリックはいよいよ換気口に顔を近づけて唸り声を届かせようとするのだ。ぐいぐいと肩を引くが言うことを聞かない。隊長の手を振り払うように身体を揺らして食い入るように羽板を覗く。
「どうしました?」
「いや、こっちか?」
気づかれそうだ。背広の男が天井のファンを伺っている。
「ガリック、ガリック」
「グゥウウウ……ウゥッ!」
なぜ。その言葉が咄嗟に出たのか。
隊長にはわからなかった。
「——
瞬間。庭番の唸りが止まった。
「——
命令した隊長も。それを聞いた庭番も。顔を見合わせたまま固まってしまう。今、自分は何と言ったのか? どこの言葉を?
そして。これまでにない強烈な頭痛が隊長を襲った。思わず叫びそうになるのを一瞬で自らの右腕を噛んで声を抑えた、が。そのまま。ぶわあっと額から脂汗を滲ませて。隊長が崩れ落ちてしまった。慌ててガリックがその身体を支える。
急激に隊長の意識が霞んでいく。これは無理だ。気力を振り絞って、一言だけ。
「か、帰るぞ。か、え——」
そのまま隊長は庭番の肩に体重を任せて、動かなくなってしまったのだ。
ガリックが沈黙する。重くよりかかる身体を器用に音を消して左肩でずらしながら、羽板の向こうを覗く。天井を見回す背広の顔面にファンの影が規則的に通り過ぎて、やがて。
「排気の音だったか」
「よろしいですか?」「ああ」
そして二人は踵を返して、廊下の向こうへ戻って行ったのだ。横顔を殴られた獣は、殴られる前とまったく挙動を変えず立ち尽くしたままだ。
ずるずると大の男一人を引きずりながら、この暗闇の入口へと撤収を始めたのだ。
◆◇◆
それは唐突だった。
「うわわっ」「きゃっ!」
後部座席に乗ったフォレストンとメグが前につんのめりそうになる。
峠の頂を越えるか越えないかのあたりで急に
「どうしたフューザ」
「いや。えっと……おっかしいなあ」
ハンドルから手を離していくつかのスイッチを操作するが、フロントの制御系は発光しているのに駆動系がかからない。うんともすんとも言わない。心配そうに導師が背もたれから覗き込む。
「こんな山の中で故障かあ?」
「いやそれは困るんですが。どうしちゃったかな」
「
「いえ。炉は問題ないです。ちょっと外を見てみます」
そう言ってフューザが開けたガルウィングから。かすかに高原の湿気を含んだ高気圧の風が機内に流れ込んで来たので。
「……ちょっと私も、外に出るかな」
マーガレットがドアを開けた。反対側からフォレストンも降りる。なんとはなしに、何度目かの休憩をすることにした。もう昨日の朝にウルファンドを出て一日半、ずっと山道の行程なのだ。
外はいい天気で、遠くの山稜まで見渡す限りの緑が波打っている。低い山々の向こうに湧き上がる雲は分厚く、だが真っ白で空の青とで目に沁みるほどだ。風が涼しい。ううーんとメグが思いっきり伸びをする。
明日の朝にはウォーダーは首都に到着するはずで、地上をくねくねと走る
「どうだ、フューザ」
「うーん」
ボンネットの脇から覗き込むフューザに、しかしバクスターはあまり関心がないようで、鈍い光沢を放つヴァルカンの機体を遠巻きに見て、髭面を傾げて何か考えているようで。
「——メグ様、導師」
「うん?」「なんだ」
「お二人とも、ちょっと宜しいですか?」
集まった全員が怪訝な顔をする。目を丸くしたのはメグだ。
「待機する? ここでか? こんな山の中で?」
「はい。もしくはウルファンドに戻るか」
「いや! ちょっと待ってくれバクスター。ウォーダーはもう行ってしまったんだぞ? 明日にはリオネポリスに到着するんだぞ? なんでそんなことをするんだ、ヴァルカンの調子が悪いからか? 私たちが行っても戦力にならないと——」
「いえ……これで三度目ですメグ様」
「え?」
ボンネットに軽く体重をかけたバクスターが三人に話す。
「最初はクリスタニアで起こりました。我々が判断する前にコイツは勝手に
「そうだったのか」
「はい。そして二度目。覚えておられますか? ウルファンドの広場の川岸で、いきなり動かなくなった時のことを」
「……ああ。」
三人が思い出す。バクスターが続けた。
「あの大風の時は、
フォレストンが反応する。
「拒んだ? コイツがかあ?」
「そうです」
混乱するメグのポニーテールが揺れる。
「それって、なんだ? 予知でもできるっていうのか?」
答える代わりに上位兵がフォレストンを見た。少年は目を丸くして。
「いや? 俺はなんにも聞いてないぞお? マインストンもそんなこと、言ってなかったろお?」
「仰っていませんでしたな」
「僕も聞いたことないです」
「だろお?」
「じゃ、じゃあ。だったら今は何を拒んでるんだ? 首都に行くことをか? 怖がっているのか? それならむしろウォーダーは余計に〝危険に晒される〟ってことなんじゃないのかバクスター?」
「いえ。怖がるのは辻褄が合いません。前の二回の挙動は、危険を回避するというよりは自ら戦闘に備えるために、という動作でしたな」
さらさらと草原に吹く風はこれほど清涼であるのに。バクスターの言葉は不穏極まる予言のようだ。だんだんと意味が取れてきたメグの顔が曇る。
「戦闘に備えるために、首都に行くのを拒んでいるなら……その戦闘はどこであるんだバクスター?」
「おそらく、首都に向かえば遠ざかることになる場所——」
その瞬間であった。ばしゅうう! と。
「きゃッ!」
メグが後ずさる。機体のそばにいたバクスターとフューザも思わず身構えた。唐突に
もう、間違いない。
こいつは帰ろうとしているのだ。しかし。
「——なぜだ? なぜ今? もうすでに一日半、走った後なんだぞ? 離れたくないなら、なぜ最初から留まっておかない?」
メグの疑問はもっともだ。上位兵も首を振る。
「わかりません。なにか状況が変わったのか、突発的なことが起ころうとしているのか……それよりメグ様、ご判断ください」
「な、なにをだ? 帰るかどうかってことを、か?」
「それもあります。もうひとつは。この件を今、ウォーダーに伝えるかどうか、ということもです」
メグが黙り込む。俯いて、口に手を当て考える。
ウルファンドで戦闘が? 誰と? どうして? しかし今まさに蛇はリオネポリスに向かっている。一国の首都だ、彼らこそ正念場のはずなのだ。
ではこちらはこちらでなんとかするか? そもそもヴァルカンの予知は本当か? 予知ではなく、単に予測なのかもしれない。何も起こらないかもしれない。だとすれば、そんな予測で彼らを呼び戻せるものなのだろうか?
無理だ。今の彼らには言えない。だがそれでは戦力が——
「マーガレット」「え?」
じいっと。今は私服のフォレストンが帽子のつばから視線を上げて。
「俺を馬鹿にするなよお? シュテの魔導師だぞお」
見透かされた。少し頰を赤くしたメグが、しかし鼻を鳴らして。
「国境では負けたじゃないか」
「なっ! あ、あれはなあっ。俺はやれていたはずなんだからなあっ。いったい何がなんだか今だってなあ」
「わかった。わーかった」
両手を振って少年をなだめるメグが、胸をぐっと膨らませて。ふうっと大きく息を吐いてバクスターに言うのだ。頭のテールが風に流れる。
「ウォーダーには言わない」
「……良いのですね?」
「いい。何が起こるかの確証もない。そんな状態で戻ってこいなんて言えない。でも私らは戻る。どうせコイツはこれ以上、南東に向かう気は無いんだろ?」
「そのようですな」
「だったら歩いて行くわけにもいかないじゃないか。全員。出発するぞっ」
「了解です」と言った上位兵が座席に乗り込んだ。
軽くバクスターが笑うので、運転席のフューザが訝る。
「どうしました?」「いや」
この旅で。少しずつマーガレットは変わってきている。経験は未熟だが、我らの姫は思い切りがいい。良い風に伸びてきたとバクスターが思う。いつまでも悩んだりしない。時には判断を誤ることもあるだろう、ならばそこを補佐するのが我らの役目だ、と。
後部座席に戻ろうとしたフォレストンが「マー……」と声をかけようとして、やめた。当の彼女は南東の、空の果てをじっと見つめていたからだ。
こんな青空の向こうで、ウォーダーの
でも。あの美しい滝の流れる獣の街に危機が迫っているというなら、話は別だ。それを放っといて後を追ったところで。
ミネアに叱られるに、決まっているのだ。
メグがもう一度、大きく息を吐いて。振り向いて。
「フォレストン。ほらっ。早く乗れっ」
「わっなんだオマエはあっワガママだなあ。むぎゅ」
無理やり身体ごと押し込められるのだ。
◆◇◆
遠くの山々を見れば。
空に、光が溢れている。
ここは、どこの景色だっただろうか。
はじめに 言葉があった
私はそれを
解くことから始めたのだ
隣の老人を見れば。
その顔に巻かれた包帯が痛々しい。
彼は、なんと言ったのだろうか。
結局は 私すらも獣であった
世界の謎は解けても
呪いを解くことは 叶わなかった
空の遠くに、なにかが浮かんでいる。真っ黒な双円錐の種子のようで、ごわごわとした表面が真ん中から芽吹くように、じぐざぐにひび割れて。
時の紡ぎを 大切にすると良い
魂の奥底に 問うてみると良い
常に初めより答は
常に魂は その答を
知っているはずなのだ
ゆっくりとひらく。
顔半分が醜く焼け爛れた、真っ黒い嘴の巨大な鳥がこちらを見ている。じっと睨んでいる。まるで『いつまでもこんな場所にいるな』と言わんばかりに——
◆
隊長が目を開ける。
クレセントの少年と、孤児院の二人が覗き込んでいる。
「——気づかれましたか? 大丈夫ですか?」
青年と少女に支えられながらゆっくりと身を起こしたそこはどうやら部屋の一室で、柔らかいベッドのすぐ横の窓から差し込む陽射しは、もう夕暮れのようだ。どのくらいの時間、気を失っていたのだろう?
そして自分は、何を見ていたのだろうか?
ずきりと。
「……ぐっ」
「どこか痛みますか? もう少し横になられたらいかがです」
頭を押さえる隊長の腕に手をやって少年が問う。軽く隊長が首を振った。
「いや、慣れている。——ここは孤児院か? 戻ってきたのか?」
「ガリックがあなたを抱えて戻ってきたので、子供たちが大騒ぎでしたよ。怪我でもしたんじゃないかって。本当にどこも問題ないのですか?」
無理に笑顔を作っている青年と少女も顔を見れば心配げな色が消えていない。見渡せば清潔な個室だ、おそらく来客用の部屋に寝かせておいてもらったのだろう。隊長の外套は脱がされて椅子にかけられて。ふと目をやれば。サイドテーブルの上に鋼鉄の、魔光剣の柄が置いてある。
一本だ。少し目を細くする隊長に。
「もし……ガリックがお役に立ったのなら、彼を怒らないでくださいね」
「怒る? 俺が?」「ええ」
アルトムンドが苦笑した。
「彼は中庭にいます」
問題なく歩けるようなので
同じように目をやる。庭の真ん中にガリックがいた。そこは今朝方早く、隊長と彼が軽く試合った芝の上だ。
庭番は自然体で立っている。真っ直ぐな姿勢でやや落とした視線の先に。左手から。すううっと鈍い駆動音を響かせて。光の片刃が地に伸びる。
彼が持っていたのだ。隊長は何も言わずに見ている。ガリックの切っ先が緩やかに上がって中段まで。左手のみで。前方に構えて——
右に振り抜いていた。
見えない。
1リームほどの刃が右に抜けた。腰が入っている。やや落として。また見えない。目で追えない。左に払われていたのだ。
義手を添える。両手だ。逆袈裟に切り上げた。それも刹那でわずかに対空し瞬時に。
振り下ろす。風を切る。初めて音がした。ひゅ。と。
右肩に寄せて八双に構えて。
抜けた。見えない胴を払う。また切っ先が左へと。
足は、踏み込まれていた。
間違いない。この男は剣技を知っている。
「ガリック」
そこでアルトが声をかけたのだ。ぎょっとして庭番が止まる。いつものおどおどとした彼に戻って、手の中に光の剣が縮んで消えたのだ。隊長と院長が一緒に中庭へと歩みを進め、庭番は身体を縮ませしゃがみ込んでしまった。周りで見ている子供たちが息を飲む。
「顔を上げなさい、ガリック」
「うう、あ、あ。ああ」
「さあ。それを返して」
心細げにぼさぼさの髪の中から見上げて。
「ああ。あうあ。か、か、うあ。あああ」
少年を見て、隊長を見て。交互に見て顔を振って。その両手は胸の前でうろうろとして。だがやはり言葉はまともに出て来ずに。やがて。
諦めたように両手を添えて。こうべを垂れた庭番が魔光剣を二人に差し出す。その肩が震えている。隊長は前に立ったまま、大きな背を丸めて
微かに聞こえるのは?
「ううう……うう……」
この男、嗚咽しているのだろうか?
横の少年が唇をつぐむ。
また、隊長の頭に鈍い痛みが走る。
隊長が。この街に来たのは偶然だ。あの貸金庫屋を思い出したのも偶然だ。その金庫に魔光剣が二本、仕舞われていたのも。この孤児院にやってきたのも。目の前の物も言えない男に出会ったのも。すべて偶然だ。
——時の紡ぎを 大切にすると良い——
「おまえ、泣くほど剣が欲しいのか」
——常に魂は その答を
知っているはずなのだ——
立て膝になった隊長が肩に手をやる。ガリックが少し震えた。
「使い方がわかるなら、お前が持っていろ」
その言葉に。ゆっくりと顔を上げる。やはり泣いていたのだ。ぼさぼさの銀髪の奥から涙を流して。
立ち上がる隊長にアルトが声をかける。
「良いのですか?」
「良いのではなく、それが正しいのだろう」
隊長が踵を返した。
片腕を失い、記憶を失い、言葉を失った男が。握った剣の柄を胸に仕舞うように。そのまま地にひたいを擦り付ける。横のクレセントの少年も、立ち去る隊長の背に頭を下げた。
◆◇◆
=搭載されているのは展開型の
「剣?」
=思い切り振ってみろ=
声に言われるまま、蛇の自室でアキラが右腕を振った。
「うわっ!」
右手首に巻かれた
=魔力の刃だ。レーザーのようなものではないから触れることができる。だが斬れるぞ、重さはセラミック刃ほどだ=
ウルファンドの街で別れ際に神主のグレイがくれた護身具だ。細かく頷きながら、その白く輝く刃を顔に近づける。眩しい。
「——これ、振っても?」
=抜けたりはしないだろう=
ぶん。と。だいぶ
柄を握っていれば少しは違うのかもしれない。手首より伸びた、この刃の型は相当な熟練度が要るのではないだろうか。
=それでは敵は斬れないなアキラ=
「えええ……」と思わずため息が出た。こんなもの。こんな物騒なもので。まして誰かを傷つけるなど。ぐっと肘を引くと刃が消えて収まった。どっさとベッドに腰を下ろして、手甲を見て。
「ちょっとハードル高いよこれ……」
=むしろ帝国兵が持ち歩く
「え、何をさ」
=アーダンの要塞で、オマエなんて言った?=
「へ?」
——普通ほら、攻撃魔法とか、なんか『ファイヤー』とか『アロー』とか。そういうのって——
「あああああああ」
アキラが頭を抱えた。確かにそう言ったのだ。偉そうなことを言っていた。実際に持ってみれば刀剣一本まともに振れないとは。声が助け舟を出す。
=まあ、流線を描く武器には修練が必要だ。初心者は振るより突いた方がいい。使わずに済めば一番だがな。お前はこういうのには向いてないだろうアキラ=
頭を上げて。どさっとアキラが仰向けに寝っ転がった。
鉄の天井がうっすらと光をたたえている。
「突くのだってハードル一緒だって……やっぱ獣の皆みたいには……」
がばっ。と。
=どうしたアキラ?=
起きたアキラがベッドから腰をあげる。立ち上がる。おもむろに着ていたシャツを脱ぎ出した。上だけ裸になって。手甲はそのままで。ぐっと。拳を握って。
=……なるほど。しかし何か変わるのか? やってみるか?=
「うん。やってみる」
ぐうっと逆手に拳を構えたアキラが胸を張って目を閉じる。
=いいだろう。〝
その瞬間。うっすらと。
アキラの全身に青い蛇のように走る紋が渦を巻き、銀髪がたてがみのようにざあっと後ろ首を隠して。耳が立ち上がり首筋に腱が走って頬骨を包むような深い毛に覆われて。口端が開いて割れて牙が覗く。
銀色の猫だ。両腕も手甲を残してなだらかな体毛に覆われていく。ぎっと正面を睨んだ顔の前で両手をがしがしと揉み擦り合わせて。
「ふッ!」
足を踏み込んで右手を振った。
じゃあッ!! と。
膨らんだ腕から細く締まった手首を抜けて。光の刀剣が伸びる。ゆっくりと上げた右肘に左手を添えて。一気に振り下ろした。ぶれない。びゅん。と。切っ先が違う。横に払う。腕ごと。真一文字に剣が走る。
理解した。この剣は手首でなく肘で振るのだ。
「……よし。」
=いけるようだな。だが獣化するのは関係があったのか?=
「あるさ。〝変身〟は大事だよ」
アキラ猫が、ぎっと牙を見せて笑う。
夜が明ければ、もうそこはアルターの都だ。
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