第九十八話 暗躍


 蛇に乗せられた来客五人は、管制室モニタに釘付けになってしまったのだ。トール副議長が思わず呟く。

「え……なにコレは?」


 巨大な前面パネルに映し出されたのは首都リオネポリスの空域平面図であった。進行方向の北域山麓を下部に映写し南部臨海工業区域から南海洋を上に見る地図は、白く輝く詳細なフレームで描写されている。

 注目すべきはその地図上で刻々と変化する光点と文字だ。首都全体を覆うように動き回る点は明らかに警備で飛び回っている機体で、その種別と所属が文字になって追尾している。


 文字には魔導槽ダクトセルの残量まで表示されていた。それがわからない。傭兵魔導師ガラは伏し目でパネルを睨みながら無精髭のぽつぽつと生えた顎をつまみながら考える。

(位置だけなら……複数の遠隔測定器ビットを飛ばしゃあ交差法で読める。あの文字情報は無理だなあ、ハッタリか? 本当か?)


 だが、そこに。

 計器盤に座った青年が声を出したのだ。

「進路を表示します」


 宣言とともに、それは光る黄色い線で。パネルを見ていたドーベルマンの女は半開きになった口から見える牙をかちかちと鳴らすほど見入ってしまう。隣で立つ犬の兵士も開いた口が塞がらない。

 一瞬で。空を飛ぶ警備機の巡回予定路が正確に表示されたからだ。軍の通常任務が筒抜けになってパネルに映る。


 魔導師たちと副議長がふたりの犬の兵士を振り返る。

「あってるの? レベッカ」

 表情を見るに回答の明らかな質問を。敢えて副議長が投げる。いつも形式張った女軍曹が、だが今は直属の上司にひたすら頷くだけだ。声も出さずに。


 兵士たちの緊張を見たグラサンの老人が、ひとつ大きな息を吐いて。盤に座ったアキラの後ろまで歩み寄って。

 隣からコートの裾を垂らして。皺の寄る首筋をぐうっと伸ばしてパネルを見るのだ。アキラとリリィがぎょっとするのに構わず。

「いくつか質問いいかの?」

「あ。あの。どうぞ」

「軍本部の敷地内を拡大できるのか? 停留する無限機動まで」


 そう老人が言った直後に。すうっと表示が動いて首都東岸の離着陸場と軍本部ビル上空がズームアップされる。停泊する砲撃艦リボルバー突撃艦ハンマーの所属も映る。数字には収容された機体数まで描写されていた。


「……市街地の対空砲は?」

 また地図がズームアウトする。今度は赤色の丸い点が市街地の各所に浮かび上がった。

「行政塔の障壁発生塊は?」

 中央区やや上に位置する行政区域を包むように六つの、さらに大きな光点が明滅する。


 そして老人が言う。視線はパネルに向けたままだ。

「これは表示するだけか?」

「え?」

「まさか侵入して操作することまで——」

「そこまでだ爺さん」 


 虎の声が管制室に響いた。猫背になった老人が姿勢を起こす。


「これ以上は言えねえ。だいたいわかったろ?」

「そうじゃな。たいした魔法じゃ。のお副議長」

「え?……え、ええ。そうね」


 困惑する首都の獣たちとは対照的に、コートに手を突っ込んだまま。とっぽい丸グラサンの奥から虎を見る老人のスキンヘッドには汗一つかいていない。しばし黙って、そして話す。

「やって見せたと言うことは、報告にあげても構わん、と取って良いのだな艦長?」

「まあ、そのつもりだ」


「うむ。良かろう」

 わずかに肩を竦めて笑った導師が踵を返す。その後にガラが付き従いざまに、何か言いたげにちらとアキラを見た。

 管制室を出るシュテの面々を追いながら、しかし。トール副議長と二人の兵士たちは困惑するのだ。

 嘘の匂いがした。確かに。だが本当だった。軍の情報は筒抜けだ。それならばあの匂いは一体——


「またあとで。イース」「ああ」

 首都の三人は驚きを隠せないまま、管制室を出て行ったのだ。



 来客組がいなくなった途端。ぶはああああああっ。と。示し合わせたように。艦長とミネアとアキラとリリィが息を吐く。端っこに座って大人しくしていたレオンがへらっと笑う。

「緊張したなっアキラ。な。」

「ホントだよ」

「びゃあぁぁぁぁあ、汗かいたあ」

 ぺったんとウサギが計器盤に突っ伏した。耳が垂れる。


「——こんな嘘ついてどうするの?」

 リクライニングになった操縦席に寄りかかるミネアが艦長を見上げた。虎はこきこきと首を鳴らして。

「どうだろうな。この件が誰にどこまで話が通って、どんな反応が起こるか見たいだけだ」


=一種の追跡子トレーサーだな。虎はどうやら使途不明呪文ジャンク=スペルの動向に焦点を絞ったようだ=

 頭の声に、アキラが頷くのだ。



 来客五人の部屋はツインで三つに分かれていた。トールとレベッカ、そしてダリル。残りの一部屋にはシャクヤ導師とガラの二人だ。椅子に腰掛けた導師がテーブルの上で指をとんとんと弾いている。腕を組んで立ったガラが言う。

「ダッガーストンのジジイには言わなくていいんじゃないっすか? 今回の件とは関係ねえでしょう」

「お主は相変わらずリギドマを嫌っておるのお」

 老人が笑うのにガラが呆れて。

「だってねえ、なんか怪しいでしょあの爺さんは。絶対どこか他所と繋がってると思うんですがねえ」



「——え? そういうことなんっすか?」

「それでなければ、なぜ虎がわざわざ秘密を話すと思うのかの? なあガラよ、あれはきっと〝操作までできる魔法〟じゃぞ」


 ガラの眉間に皺が寄る。

「いや。導師。本気で言ってますか? 蟲憑きじゃあるまいし街だの軍隊だのを他人が外から操る魔導ってのは、いくらなんでもむちゃくちゃですぜ?」

「視えるだけでもたいしたものじゃがの、なにか違う。あれだけが効果ならば型に収まり過ぎておるわ。ノエルの呪文は……もっと、こう、人の世のことわりの、もうひとつ上を行くものじゃ」

「そんな常識はずれな魔導の在りかが、知れる場所に知れちまったら、とんでもねえことになりゃしませんかね?」


 シャクヤ導師が右手をあげて。ぽうっと光球が浮かび上がった。幻界通信クロムコールの準備だ。



 同じ台詞を繰り返す。

 グラサンの奥の目が細くなる。




◆◇◆




 南インダストリア三十番区画に広がる敷地の魔導炉は工業地区にごく一般的に見られる大小二対の卵型の建造物である。

 区画のはずれに立ち並ぶ工場の陰で、隊長と庭番の二人は身を潜めて建物を伺っていた。この辺りでも魔力の漏洩はなさそうで、薬品臭い蒸気がうっすらと鼻にみるこの場所でも、右手首の腕時計は未だに振動しない。


 副炉内部で魔石から励起状態になった魔力は白い液体状となって主炉である流動旋回炉に流入するはずで、この規模からすれば概ね容量は一億から二億ジュールほどだろうと、遠くから見上げた隊長が思う。

 軍用に使う無限機動に搭載された圧縮炉と違って工業用の魔力を薄めて扱う流動旋回炉は、その馬鹿でかい図体に比して大した量の魔力を保持できない。安価で汎用的な魔力の保管場所なのだ。


「お前の主人は、よくあんな魔導を無事に保持できているな」

「うあう?」

 昨夜の中庭で見た情景を思い出し、隣のガリックに呟く。


 魔石から魔力を生み出す。その操作は簡単で、しかし不可逆的であった。薪を燃やして火を起こすようなものだ。逆に火から薪は作れない。同様に魔力から魔石は作れない。

 現状、魔石を生み出すのは竜脈を走る無限機動に搭載されている基底盤に繋がった採石システムしか方法はないはずであった。それ自体も川で砂金を掬うに等しく極めて不安定な採集なのだ。


 しかもその質に大きな開きがある。隊長のポケットに入っている魔石はおそらく一粒で二万ジュールほどの最高圧縮率の品だろう。対して工業用に輸入される魔石は両手で持つほどの塊で五千ジュール程度と圧縮率が悪く、よって石からの魔力の流出——曝露もよく起こる。


 無限機動でも輸送艦ベスビオ砲撃艦リボルバー突撃艦ハンマーで採取される一般的な魔石が、そんなものだ。採れた魔石は基底盤より流れ込んだ魔力と一緒に魔導炉で燃やされその場で消費される。燃料にはなり得るが流線ラインに溜まるゴミのようなもので、ファガンや帝国ではわざわざ採取して金に換えられるわけでもない。


 一部の無限機動が、それ以上の品質を誇る魔石を生み出す。石炭とダイヤモンドほどの価値の差が生じるのだ。システムに相違があるのか採り方にコツがあるのか、蛇にはそれができるらしい。〝契約痕クレーター〟という特殊な紋章で繋がった操縦者でなければ碌に言うことを聞かない、ということと関係があるのだろうか。


 その蛇が、向かってきている。

 いくつかのことを、隊長が断片的に思い出す。


——汎用であれ、特殊であれ、竜脈に搭乗ドライブできる無限機動に搭載された圧縮炉は軍用で目の前のより遥かに高性能だ。それでも一基で三億を越える魔導炉を未だかつて隊長は見たことも聞いたこともない。


 26億ジュールは。桁が違う。

 それがひとりの人間に詰め込まれているのなら。

 彼自身が、超高性能の魔導炉のようなものだ。


 そしてもう一つの情報——バクスター上位兵の通信では、アンダーモートンはやはり蛇を裏切っていたらしい。彼らは〝蟲憑き〟で操られていたとのことだ。

 この街で起こる獣化の制御にも蟲が使われていると、あの医者は言っていた。ならば当然、目の前にそびえる魔導炉で働くものも警備するものも〝蟲憑き〟と思っておかねばならない。

 幸か不幸か今まさに蛇がこちらに向かっているおかげで、警備は厳重になるだろう、それは首都外縁に向けてのものだ。


 工業地区内部では。どこかに隙が生じるかもしれない。


「しばらく遠巻きに見るか……」

 呟く隊長に、隣でガリックが「あうあ」と声を出した。

「うん?」「うああう」

 顎で魔導炉敷地の正門方面をガリックが指す。こんな工業地帯には不釣り合いな一台の険路用搬送車アウトランドビークルが門から走り出てきた。二人が一段と深く、工場の陰に身を隠す。


 荷台には結構な人数の〝やさぐれ〟が乗っているようだ。その中に。遠目に一瞬だが見覚えがある。

 あいつらだ。医者のアパートメントを襲った連中だ。首に包帯を巻いているのですぐわかる。隊長が眉をあげた。殺さないで正解だった。やはり魔導炉の中に連中の巣があるようだ。

 走り去ったビークルを目で追っていると。今度は道の向こうから上等な乗用機リムジンがやってきたのだ。入れ替わりに正門から敷地内へと乗り込んでいく。


 ずいぶんと慌ただしくなっている。俺のせいか、と、つい隊長が笑う。だが困った。すでに何者かが西インダストリアに侵入していることが知れた以上、じきに魔導炉内も警戒レベルが上がるに違いない。さっさと乗り込むべきか?

 門より反対側の道なりを見れば、ずっと走る敷地の壁には上部に鉄条網が張られている。単なる針金ではないだろう、おそらく〝探知の法術〟が掛けられている。


 隊長の視線を横に見るガリックが。

「あ、あ、あ。」「うん?」

 魔導炉のやや手前を指差す。地上から数十リームにそびえ立つそれは、鉄骨で補強された集合煙突だ。庭番の左手の指が煙突からひゅうっと動いた。隣接する工場の屋根が近い。空中の距離にして十リームほどだろうか。


 防御服プロトームは筋力補強も行う。今の隊長なら、跳べない距離ではない。だが生身の庭番は?

「……お前、飛び移れるのか?」

 にっと笑ったガリックが右の義手を顔の前でかしゃかしゃと鳴らす。よく見れば意外に、それは精巧な出来なのだ。





 乗用機リムジンから降りるや否や警戒することもなく魔導炉監視ビル玄関を通り過ぎ、どかどかと鉄板の通路を目的の部屋まで足早に歩く若い評議員は、明らかに機嫌が悪い。無表情で後ろを付いてくるゲイリー=クローブウェルを振り向くこともなく吐き捨てるように言うのだ。

「なんでこんなに報告が遅れたんだ!」

「私とモルテンは娘の監視に行っておりました。パダー様からは連絡は入っておりません」

「糞ったれがッ!」


 小走りのダニエル=バルフォントに付き従うクロウは醒めた目で評議員の背中を見る。この小物はいつだって廊下を早足で歩く。いつだって不機嫌だ。いつも誰かのせいにしている。もう何年こいつの背中を見てきただろう。悪態を聞き流してきただろう。老齢のディボならともかく、この小賢しい男から学ぶことは何一つない。そんな無意味で退屈な日々も、ようやく——


 甲高い音を立てて議員が扉を開いた。

「兵隊が襲われたってのは本当かッパダー!」


 応接室のソファーに腰を埋めたパダーがでっぷりとした身体を揺らしながらもしゃもしゃとテーブルの菓子を食いながら顔を上げた。横にはいつもの、こちらも無表情な護衛の黒服が立っている。相変わらず室内であるのにベレー帽を被ったパダーが怪訝な顔をした。

「おや? 来るなと言ったり来てみたり、お忙しいですなダニエル様」

「答えになってない! 誰に襲われた? 何があった?」


「落ち着きなさいって。トールのばばァが西のシマ潰したんですぜ? 後釜狙ってんのはあたしらだけじゃないんだ。こんなこた良くあることですよ。今さっき兵隊が街に探索に向かいましたよ」

「……本当にシマの獲り合いか? 帝国のバイクを見たって言ってたじゃないか? そっちの調査はどうなってるんだパダー?」

「続けてますって」「あのな」


 反対側のソファーにどさっと。せわしない声を発してダニエルが座る。真っ正面から太った棟梁の顔を指差して。


「いいか。帝国はまずい。ガニオンだけはまずいんだ。黒騎士が何をやってるか知ってるだろパダー? あれは頭がおかしい。徹底的に獣が嫌いなんだ。帝都に一匹たりとも獣のいない街を作ってんだぞ? 今回の休戦だって獣と手を切ることが条件なのは知ってるだろうが!」

「別に私らだって獣と手を組んじゃいねえじゃないですか、ありゃあただの商品だ。一緒に仲良く暮らそうなんて思っちゃいねえでしょ?」


死門クロージャ管理権限を持ってる我々が獣の売り買いに関わってることがバレるのがまずいんだろうが! いざとなったらお前らを切るぞパダー! ピエールインダストリアは切る! それでもいいのか!」

「いやいやいやぁ、そんな、どうしちゃったんですかダニエル様。バルフォント一族の後ろ盾を失ったらあたしらどうやって暮らしていけばいいんですかあ」


 ふにゃふにゃに贅肉を揺らして、わざとらしく懇願するパダーの隣で見下ろす黒服の視線が冷たい。と、同じく相手の後ろに立つクロウと目が合う。にっと口角が上がった。お互い厄介な主人に仕えてるなと言わんばかりに。クロウの表情は変わらない。


「なんですかあ、いきなりそんなケツ捲るような勢いで。昨日だってわくわくしてたじゃないですかダニエル様。またルートが決まりゃあ、いい娘が抱き放題ですってえ、ねえ。楽しいこと考えましょうや」


 半笑いで血管の浮き出た指を擦り合わせるパダーの顔を忌々しそうに睨むダニエルが、軽くため息を吐いて。

「状況が変わった。本気で警戒しろパダー。情報を流す」

「ダニエル様」「黙ってろクロウ」

「ううん? なんか、ありましたかね?」


「軍から連絡が入った。

「……は?」


 空気が変わる。上目で睨むダニエルが続けた。


「無限機動ウォーダーがこちらに向かってるんだ。トールの馬鹿が連れて来たらしい。ここの地下のクズどもがウルファンドでしくじったお陰で副議長が帰路の護衛を頼んだそうだ」

「……いつ、到着するんで?」

「明日だ。明日の朝には首都圏内に飛来する」

「もっと早く云えや手前テメェ」「は?」

「いえいえ。そうですかい。蛇がねえ。そうですかい」


 へらへらと笑う顔は変わらないファットジャン=パダーは、血管の浮いた指先を互い違いに掴んでぐにぐにと捻り始めた。おもむろに。後ろの黒服に。

「ジャックマン」「は」

「今、獣は何人いるんだっけなア」

「曝露組もですか?」

「獣ッたら曝露も品物シナモンも全部に決まってんだろがッ!」


 大声に固まるのはダニエルだ。逆に後ろの黒服は平然として。

「南インダストリア区画に六十名ほど仕事に出してます。治療中は十名程度。あとは地下に四十ほど商品がいます」

「百ちょいかあ、みんな蟲付けたんだっけかな」

「蟲憑きです」「よおし」


 黙りこくったパダーを訝しげに見て。ダニエルが訊くのだ。

「何考えてるパダー?」


「——蛇の着陸場所はわかるんですかねえ」

「そりゃあ、きっと軍の敷地……何をする気だパダー?」

 鋭くなった視線のまま、またふにゃあっと笑ったパダーは。とんでもないことを言い出したのだ。



「はあ?」

「蟲憑き百匹ほど蛇に突っ込ませるんです」

「な? なんでそんな騒動起こすんだ?」


「いいですか? 筋書きはこうですダニエル様。——抗魔導線砲アンチ=マーガトロンの配備に嫌気のさした獣たちが亡命するために、飛んできた無限機動を奪取しようとして殺到。蛇はこれに応戦。首都で獣同士の衝突が発生。これを鎮圧するために、軍部はやむなく開発中の光線を使用」

「……おお」

「獣らは全滅。光線の効果と有用性は証明されて、評議会で承認。ぶっとい無限機動のオマケ付きでさ」


 ずずっとソファーにもたれかかってダニエルが感心する。

「よくそんな絵を簡単に描けるなパダー」

「へっ、似たようなことを昔されてましてねえ、あの蛇には」

「ああ? その指の件か?」

 嫌味な質問には何も答えず。

「アンダーモートンの連中もお借りできますかね?」

「なんだと?」


「やるなら失敗は無しですぜ。万全を期したいんでさ。かまわねえでしょ? どうせボスのバーヴィン=ギブスンもあのザマですしねえ」

 パダーが地下を指差す。ちらと。こんな時だけダニエルが意見を求めるようにクロウを見た。痩せぎすの男は頷いて言う。

「パダー様の言う通りです。失敗は許されません」

「——いいだろう。使え」


「どうも。じゃあ後の段取りはこっちで組みまさア」

 にいっと笑うパダーの太った身体を見ながらクロウが思う。


——地下に溜まったアンダーモートンの連中が出払ってくれたら、あとはモルトンに任せればいい。最後の一個をどういう風に打ち込もうかと悩んでいたのが、これで解消した。僥倖だ。



 

 ダニエルたちが出ていった部屋のソファーで相変わらず菓子に手を出すパダーが、しかし掴んだまま口に運ばずにやにやと笑って。

「てめえ指揮取れジャックマン」「は」

「ウサギは生け捕りにしろよ?」「はい?」


「蛇にウサギが乗ってたら俺の前に捕まえて連れてこいや。殺すなよ、絶対生きたまま連れてこい。俺が年取った分だけでも虐め倒さねえと気が済まねえ。死んだほうがマシなまんまで飼ってやらあ」

「承知しました」


 頭をさげる黒服には目もくれず。口元が緩む。

 あの頃、権勢を誇っていた市長の身分と人生を一瞬で木っ端微塵に吹き飛ばしてくれたウサギの餓鬼と蛇の連中を。まさかこの手で皆殺しにできるとは。

「ひゃっひゃ。長生きはするもんだぜジャックマン」

「はい」「ひゃっひゃっひゃ」

 棟梁が太った身体を揺らして、いつまでも笑っている。





 工場の隙間は暗がりで、普段は誰が気にする場所でもない。


 波打った粗末な壁に規則的にボルトがはみ出し排気用か何かもわからない細い鋼管が縦横にぐねぐねと走っている。ひと一人が入れるかどうかの狭い空間は、あちこちに手掛かりが飛び出ているので屋根に登ることなど造作もないのだが。

「む」

 右手首に嵌めた腕時計が細かく震えた。盤を見れば針がやや反応している。どうやこんな暗がりになるとうっすら魔力の曝露があるらしい。隊長が防御服を軽く操作すれば、ふわっと。隣のガリックが目を丸くする。

 服ごと全身が透明の薄い膜で覆われたからだ。庭番がちょんと隊長の肩を突けば指が通るので物理的な防御力はないのだろう。が、そこから。


「——お前はここで待っていろ」

「うう? うあ? ううん」

 庭番が首を振った。

 いやダメだ。障壁も張れない生身の人間を魔力の曝露に晒すわけにはいかない。隊長も相手に首を振って。

「あのな、魔力を浴びるだろ? わかるか?」

「あーあー。か、か、だ、だい。だい」


 ぱんぱんと。

「なんだと?」

 ガリックが左手で彼の胸を叩いて見せるのだ。

「ま、ま、まな。だいじょぶ」


 瞬間。

「おい!」


 あっという間だ。右、左、右と。義手の腕はだらんと下げたまま左腕一本で両側の壁に次々と手足を掛けて。壁を上まで登りきってしまった。どういうことだ、彼は大丈夫と言ったのか? 隊長もそこここに伝う配管の隙間を足掛かりにして壁を登って行く。


 そして見上げれば、いきなりガリックは飛び出さない。隊長が隣に上がって来るのを待っている。微かに銀色の長髪を揺らして陽の当たる屋根を眩しそうに覗き込みながら。ただの無茶や無鉄砲ではないらしい。

 隣まで登った隊長もそっと頭を出して屋根を覗く。もちろん人などいない。だが思ったより魔導炉の集合煙突は、この工場から距離があるようにも見えた。ガリックがくんっくんっと左右に首を振ったのは最終の確認か。


 またいきなり。大柄な身体を小さく丸くして。とんっと屋根に飛び乗る。足を置く。振り向いて眼下の隊長に、にっと笑う顔が影になって。


 その疾さに隊長が驚愕するのだ。

 獣のようだ。

 

 小さく屈んで発条ばねになった彼の全身が一気に駆けて数歩でもあっただろうか、一切の躊躇ないその走りは風に乗ってこんな明るい日差しを抜けて十数リーム。たあんッ! と。青空の粒となって馬鹿高い煙突を包む鉄骨に。


 巻きつけたのは左腕だ。そちらは生身だ。鍛えられた筋肉が軋む。腕一本で跳躍の衝撃を受け止めて引っかかった布切れのように鉄骨に留まって。くるりと脚ごと身体を巻いて。飛び移ったのだ。


 ヒトには在り得ない身体能力。また隊長が思う。

 あいつはまるで〝獣〟のようだ。




◆◇◆




「いや……ミネアのは、そんな魔導ではなかったな」

 古めかしい装飾の施されたベッドの老人が答える。


 広い寝室に開かれた窓の向こうはテラスになって、その先の庭園には砂漠特有の多肉植物が白い砂の上に鮮やかな緑を湛えて点在している。今日は風もなく砂も舞わない日なので少し開け放たれたガラスの手前でレースのカーテンがさわさわと揺れていた。

 ベッドの近くにある応接チェアで手を組んだ小柄な男はアーダン要塞の所長マインストン導師であった。つい先ほど、故郷シュテとの幻界通信クロムコールを終えたばかりなのだ。


「では、聖域に届いた情報が間違っていると仰られますか伯爵?」

「おそらく違う。故意か偶然か知らぬが、やはり故意なのだろうな」


 ゆっくりと起き上がる。所長が腰を浮かして。

「無理はされますな」「よい」


 痛みで微かに顔をしかめて起こした上半身は老齢というには恐ろしく鍛え上げられた体躯で、綺麗に刈られた白髭に緩い癖毛の金髪もまた白髪の混じったテオドール=カーン辺境伯は、だがその深い藍色の瞳が笑っているようだ。

「こんな襤褸ぼろになった身体でも蛇の噂を聞けば具合が良い。大見得を切っておきながら、やはり便りの無いのは堪えるのだ所長」

 少しため息を吐いて。

「歳を取るのは嫌なものだ……その事を知っておるのはソフ導師様のみかな?」


「いえ、円卓に座る者たちの耳には、入っておるのでしょう。今トール副議長に同行しているシャクヤはダッガーストン導師の伴僧です。ソフ導師が御存知なら円卓の場でお聞きになったのかと」


「そうか」

 砂漠の庭園を見る伯爵が、一段と可笑しげにしているので。ついマインストンも苦笑するのだ。

「ずいぶんと楽しそうではないですか?」


「手に取るように、わかるからな」

「ほお」

「これはな、燻り出しだよ所長。イースの考えそうな事だ。ミネアの魔導に嘘を混ぜて流し、どこまで届くか試しておるのだ。まさに今ここに届いたようにな」

 緩めた眉で老人が少し振り返る。

「あいつはこういうことをする。仕掛けるのが好きなのだ。蛇に捕まろうが艦長になろうが、いつまでたっても根は冒険者のままだ」


 ソファーでやや身体を起こした所長は、おとなしい目を丸くした。


「虎が元冒険者というのは初耳ですな」

「ナイショだぞ」「はい」


 笑う伯爵が、また外に目をやる。風がぬるい。

 そうだ。彼らとは長い旅をした。


 エメラネウスの山脈で蛇を見つけるまでは、世界中を旅した。イースの胸に契約の痕が埋め込まれてから、全てが変わった。獣王との確執、獣同士の戦争、そして傷跡。まさかセルトラの娘と自分の娘が。こうして共に旅をすることになろうとは。


 感慨深げに見る空が青い。

 伯爵が思う。


 なんのために自ら身を引き、後を頼んだのか。

 己の剣を手渡したのか、と。


「今、おまえはどこで、どうしているのだ。ザノア」

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