第九十七話 運命に沈むもの

 真夜中の星空に飛ぶ無限機動ウォーダーが自動運転に切り替えられて、蛇の面々はいつもと違って動力室に集まっていた。


 サンディとリンジー、そして管制室のミネアはすでに寝室で休んでいる。動力班はダニーだけが計器盤を監視するこの部屋に、今は大人組——艦長とロイ、ケリーとノーマ、ログ、そしてアキラがテーブルを囲んでいる。

 管制室ではなく会議室でもなくここ動力室に集まった理由は、目の前のテーブルだ。ガラス質の表面はモニタ仕様で通常、地形図や進路を描写するのに使われているのだ。


 取り囲んで座った乗組員たちのうち、ふたり。ダニーは計器を見ながらで、ノーマはテーブルに着かず腕を組んで部屋の壁に背を任せたままだ。金髪の狐はいつもより一層無表情で目を閉じている。

 

 女性にとっては、見たくもないものなのだろう。

 それはアキラにもわかる。虎が言う。


「出せるかアキラ?」「ええ」

 頷いたアキラがすっ、と。テーブルのガラスに手を置いた。


 一瞬でモニタ上に写った名簿は単純な表組で、名前、種別、年齢、性別、身長、体重、髪色、肌色、獣化率——獣化に一定の基準値があることを、その時アキラは初めて知ったのだが——などの数字の最後に、金額が書かれている。ほとんどの名前に横線が引かれているのは、売れてしまったのだろうか。

 数枚めくるうちにアキラの顔が曇っていく。すいぶん幼い年齢にも線が引かれているからだ。さすがに気分が悪くなったアキラの手が止まった。周囲の皆も特に何も言わない。


 しばし部屋が沈黙した。

 ぎいいっと椅子を軋ませて顔を上げたのは、虎だ。


「こいつの名前も評議員名簿にあるってのは本当か?」

「あります」「見せてくれ」


 撫でるようにアキラが手を振る。ざあっと名簿が消えて別のリストが現れた。アルター語で書かれたその一覧の真ん中あたりに、二人並んで。ディボ=バルフォントとダニエル=バルフォントの名が連なっているのだ。


 音を鳴らすほどにばりっばりっと虎が頭の毛を掻いて。

「やってらんねえな。」

「で、でも、あの。艦長」「うん?」

「こういうのって、この世界でも犯罪でしょ? いくら評議員だからっておおやけになったら捕まるんじゃないんですか?」


 掻いた頭の手を止めて。また虎がテーブルに顔を寄せる。

「アキラ」「はい」

「なぜ悪人は裁かれるんだ?」

「それは……悪いことしたから?」


「違う。悪人が裁かれるのは、そいつが弱いからだ。法より強い奴に、法は機能しない。お前の世界じゃ、法は万能か?」

 虎に言われたアキラがぐっと詰まった。虎がやや眉をあげる。

「違うだろ? アルターだって法治国家だぜ一応はな」

「そ、それはまあ……」


 口ごもるアキラを残して虎がまたぎしっと椅子に体重をもどす。周囲に座る面々も今のところは口を挟むこともない。


「まあ、国を跨いだ取り決めごとって言えば〝竜脈に手を出さない〟〝聖域に手を出さない〟の二つぐらいだ、それ以外は七つの国が好きずきにやってるさ、だから評議員の特権持ちなら国内で裁かれることはないんだ、こいつもなアキラ。前の名簿を出してくれ」


 頷いて、ざっと反対に振るアキラの手の下で、また獣の名簿が戻ってくる。虎の指差す手は面倒そうで力がない。

「線があるだろ」「はい」

「何の線だと思う」

「……売れた、ってことですよね」

「上から消えてないだろ」「え?」

「上から順に消えてない。消されてない子は、どこにいるアキラ?」


 ざわっと。身の毛がよだつ。

「手元に……残している?」

「そうだ。こいつは自分用にも飼ってるんだ。誰からも追及されることもなく、爪を剥いだり牙を抜いたりして遊んでるんだろうな」


「いや。……わかんないな」

 ぐったりとした顔のアキラが言う。

「なんで、そんなことできるんですか? 綺麗ごととかじゃなくて。俺にはどうしても理解できないです」


「最初はできねえ。みんな同じだ。せいぜい体の自由を奪って好き勝手に弄り回すだけだ。でもなアキラ、こういうのは薬物と同じだ」

「薬ですか?」

「そうだ。最初はな、獣が泣いたりわめいたり苦しんだりするのを見るのが楽しいんだ。だが、されるほうだって、いつまでも泣きわめいたりはしねえ。自分のこころを守るために殻にこもるんだ。麻痺させるんだ、自分をな。そのうち殴っても蹴っても何をされても一切反応しなくなる。人形みてえにな。でもそれが良くねえ」


 虎がアキラの顔をじっと見て。


「反応しなくなると、今度はやるほうの毒が足らなくなるんだ。頭の毒がな。だからいくらでもむごい真似ができるようになる。泣かなくなったやつを泣かせるために、叫ばせるために、もっと強く、もっと強くだ。脳みそがぼろっぼろに焼けていくんだアキラ。やってるほうもな。びゃあびゃあ泣きながら大声で助けを呼ぶのを聞かねえと焼けた脳みそが収まらなくなる。だから指を折って、歯を折って、耳を裂いて——」


 だめだ。限界だ。

「艦長。すみません俺ちょっと気分が」

 アキラがテーブルに突っ伏した。初めて部屋の全員がアキラに注視する。虎が顎を撫でて言う。

「少し風にあたってくるか?」


 細かく頷いたアキラが席を立つ。うなだれて出て行く背中を獣たちが目で追って、壁によりかかったノーマは、こつん。と。頭の後ろで鉄板を叩いた。





 実際は、もっと話すことがあった。首都の防衛機能や国軍のデータなど、いくらでも報告事項はあったはずなのだが。格納庫の手すりを掴んで夜空を見るアキラが口を半開きにして「あぁぁぁあ」と奇妙な声をあげる。


=ちょっとだらしないなアキラ=

「知らないよ。ただの一般市民だよ俺は」

=虎は納得していたな=

「は? なにを?」


=嗜虐行為に対して、お前が明らかに嫌悪したことをだ。きっとああいう言葉でお前の性質を探っていたのだろう=

「なんでそんなことするのさ」

=お前に狂気がどれだけ潜在しているかを——=

「だから。なんでそんなこと?」


=わからないか? お前が敵と対峙し、殺しあう時期が近づいていると虎は踏んでいるのだアキラ=


 声の言葉にアキラが固まる。


 夜の山稜は静かで、遠い。

 視線が彷徨う。


=まあ、本人に聞いてみるんだな=


「え?」と声を出したアキラの後ろから。気配がしたので振り返る。通路からやってきた艦長はひとりっきりだ。


「少しは落ち着いたか」

 答えを聞くでもなく、アキラの隣に立って手すりを軽く掴む。同じ夜風に吹かれて佇む艦長は、月もない夜のおぼつかない薄明かりの下で、その姿はやはり人間のアキラよりひと回りも大きいのだ。


「お前は、どう思う?」

 虎も視線は外にやるままで、おもむろに訊く。


「俺らは人間を、たくさん殺した。戦闘の末だが言い訳にはならねえ。お互いに戦って、相手を倒した。言えばひとことだが、実際は悲惨なもんだ。魔導で焼け焦げた死体なんざ目も当てられねえ。そんな死に様を、俺らは敵にいてきた」


 やや首を傾けて。

「ひでえ殺し方してるのは、俺らも同じだアキラ」

「いや全然ちがうでしょ?」

「そうか? どう違う?」


 銀髪をなびかせてアキラが虎の顔を見上げる。

「殺し方とか死に方がどうとかいう問題じゃないでしょ艦長。戦場でしょ? 戦いの場所に行くなら敵だって覚悟はあるはずなんじゃないですか? 一般人を殺す快楽殺人者と一緒なわけないじゃないですか」


「一般人を殺すあいつらも、また一般人だぜ」

「いや。犯罪者です。だから」

「殺せるか? お前は」「え?」


「それをな、話に来たんだ。アキラ。戦いの末なんて言い方したが、獣を狩る連中は例外だ。戦闘員だろうが一般人だろうが、俺らは見つけ次第殺す。手当たり次第だ。皆殺しだ。そうやってきた。これからも、そうする。この大陸には連中を裁く法がないからだ」

「そ、それは……俺だって目の前で」


「目の前で狩りをやってるとは限らねえぞ。獣を金で買ってる連中の多くは丸腰で、きっとお前より弱い。ひ弱だ。なあアキラ。喧嘩や殺し合いができるかどうかが知りたいんじゃねえんだ」

 アキラを見る虎の瞳は、優しい。そして鋭い。


「お前は自分より〝弱いやつ〟に手が下せるのか? 目の前でひざまずいて命乞いするような奴をだ。それを殺すのは戦闘じゃねえ。殺人だ。できるのか? 俺らはそれも、やってきたんだ。ついこないだもフィルモートンでな。——アキラ。俺はお前に線を引かなきゃいけねえ。何をやらせて、何をやらせないか。それを決めておかなきゃいけねえんだ、艦長としてな」


「なんだってやりますよ俺」

「そうはいかねえな、帰る場所があるんだろ?」


 急に言及されて。アキラが詰まる。


「地球でそんなこたあ、やってなかったろお前は。そっちとこっちじゃどう違うかわからねえが、少なくともお前は〝一般人〟のくくりにいたはずだ。やむなく敵と戦うってんならともかく、丸腰の人間を殺すなんてこたあ、やらせられねえ」

「それは……俺が、決めます。その時に」

「たぶん間に合わねえ。そしてたぶんお前は殺せねえ。殺せねえから殺される。いくら強くたって、相手に手を上げられない奴は、殺されるぜアキラ——そんな睨むなよ」


 虎が苦笑した。

「臆病だって言ってんじゃねえんだぞ」

 アキラも視線を落として。

「わかってますよ」


 しばらく黙って。手すりに寄りかかって外を見る二人のシルエットの向こうで、星空が流れて行く。やがて口を開いたのはアキラだ。


「こんな人間と獣が争って、なんになるんですかね」

「そうだな。——こないだも似たようなこと、ロイに言ったな」

「そうなんです?」

「ああ、こんな星の下で何やってんだろうなあってな」


 ふと。虎が思い出したのだ。


「なあアキラ」「ええ」

「お前、扇動者アジテーターって知ってるか?」

 特に虎は答えを期待するでもなく、それは本当に何気ない一言だったのだ。


 しかし。


「〝Agitatorアジテーター〟って……血小板の?」


 アキラが問い返す。

 ゆっくりと虎の顔が。彼の方に向けられて。


「……血小板? なんだそりゃあ」

「いえ。血液とか保管する時に、固まるのを防ぐ医療機器です。振動とか与えて」

「振動を?」

「ええ、なんていうんだろう。〝攪拌器〟ですかね」


「撹拌……撹拌したら、どうなる?」

「どうなるって、えっと。ものが混ざったり、流動したり、沈んでたものが浮かび上がったり、でしょうか」

「沈んだものが浮かび上がるのか?」

「ええ、いろいろ。——いや。なんの話です?」


 不思議そうな顔で見上げるアキラをよそに、虎は口元に手を当てて。飛ぶ蛇の外には満天の星が、後方へとひたすら流れていくのみで。その夜空に虎が視線を送る。


 流れる満天の星辰せいしんに。



——これを帝国に知られたくなかったから、亡命を決意したのだ。艦長。私は、あんたに買ってもらいたい——


 夜風に金色の産毛がそよぐ。


——先ほどレオンと私で確認が取れた。ミネアが正式な所有者として、竜脈にめいが書き込まれた——


 浮かび上がる。沈んだもの。


——私から見ればね。ねえ、イース。クレセントのクレアをひた隠しにしているあなたも同類よ——



「世界に沈んだものなんて、しかねえ。」

「はい?」

「敵の目的が、やっと見えたような気がする。今回の件が終わったら、シュテに行くぞ。会わなきゃいけねえヤツがいる。僧院の巫女にな」

「……クレセントのシェイって子ですか?」


 今度は虎が目を見開いて、青年を見下ろすのだ。


「なんでお前がシェイを知ってるんだ」

「つい昼間に。話が出ました。抗魔導線砲アンチ=マーガトロンを攻略する鍵を握ってるかもしれない子です」

「——抗魔導線砲アンチ=マーガトロンを?」


 夜の格納庫でふたり、立ち尽くして。

 運命の紡ぎが、解きほどかれていく。




◆◇◆




 一夜明けて。


 ウルテリア=アルター国の首都リオネポリス臨海工業地域はサンタナケリア大陸南東海岸に位置する広大な鉱工業プラント群である。


 東西40キロリームを越える海岸に港湾設備から倉庫群、工業地帯、十数基の魔導炉をようし鉄鋼を主とした様々な工場が連なり、湾岸道路から伸びる幹線に沿って朝夕の定期便が労働者を敷地内へと運ぶ。

 地域内には商店や住居もあり、そこにも格差があった。廃棄物を集積する東リオネラ川の河口西岸区域はバラック街で、逆に中央区にアクセスの良い南インダストリア一番から九番の〝一桁区街〟は港湾関係者でも比較的裕福な人間が住む背の高いアパートメントビルが林立して高級な店も多い。


 一桁区街と周辺は検問所で遮断されている。居住者証または通行証が必要で、検問を通った先の道路からはイルカトミア市でも見られた青く光る〝無料の魔力マナ〟が道路を覆っている。歩けば成人の太ももの高さまで流れる精錬された安価で安全な魔力だ。

 南岸から西インドストリアへどこまでも続く工業地域の敷地内には、そんな安全な魔力は流れていない。魔力は石で手に入れるか、または点在する魔導炉スタンドまたは魔導槽ダクトセルから購入する。真っ白に光る液体のような魔力が粗悪な場合は曝露する。慎重に扱わないと体内で暴走し病態を生じるか獣化を引き起こす。


 見えない危険に晒された臨海工業地域の敷地内を朝早くから。荷台にくたびれた風体の労働者を満杯に積んだ搬送車キャリアが、三機ほど連なって道を飛んでいる。

 通りに並ぶ工場は薄っぺらな鉄板で壁を覆われ、道なりにぐねぐねと伸ばした鋼鉄の配管が影を落とし、時折朝の陽射しに照らされ眩しく反射する。

 やがて停車してぞろぞろと人の降りる広場の端ではいくつもの掲示板に人集りが出来て。


「三十九番。十二人。ヤァ! ヤァ! 無いか? 無いか!」

「五十五番。六人。高いぞ! ヤァ! よおし、お前とお前! 他は無いか!」


 市場のりのような掛け声に応じて今日の食い扶持を探す手が挙がり、手配師がその手を選んでいく。湿った土にいっぱいの足跡がついた広場にうっすらと流れているのは青色の魔力ではなく朝霧でもない工場の蒸気と排煙で、搬送車キャリアから降りた一人がす。と屈んで地面まで右手を近づける。


 隊長であった。

 右手の袖に隠した腕時計型の検波盤に反応は、ない。


 辺りをうかがう隣で「うぅ」と、上から覗くガリックが猫背で唸る。見上げた隊長が「しっ」と指を口に当てる。大男があうあうと頷いた。

 立ち上がる。広場に降りた労働者たちはさっそく求人盤へと群がって行った。なるべくのぼろを着て外套を羽織ってはいたが、二人だけそこに残れば目立つので取り敢えずは歩き出すことにする。


 目指すのは三十番から四十番の区画だ。




「失敗ですか? 抗魔導線砲アンチ=マーガトロンが?」

 それは数時間ほど前、朝食が済んだ孤児院でのことだ。


 執務机に座ったまま茶のカップを両手で持ったアルトムンドが隊長に訊く。

「クリスタニアで蛇が起こした騒動が、それと関係があるんですか?」


「正確には彼らは、実験に巻き込まれただけだ。そして生きている——失敗の理由はわからんが、あんたが知らないということは、やはり首都内部では評議会の連中しか知らないのだろうな」

「情報は来てませんね、じゃあバルフォント一派は気が気じゃないでしょう。抗魔導線砲アンチ=マーガトロンは彼らが鳴り物入りで打ち出した政策ですから……ああ。それで隊長さんは臨海を調べていたんですか」


「どういうことです?」

 意味がわからず座ったソファーから訊ねるヤン青年にクレセントが微笑む。


「連中は失敗の原因を探らないといけない、そして一日も早く完成させないといけない。モノは獣を殺す光線だよ。じゃあ必要なのは検体だろ?」

「検体って……実験用の獣?」

 頷く少年にヤンとハンナがあからさまに顔をしかめた。朝からあまり気分のいい話ではないのだ。構わずアルトが話す。


「獣を狩る組織と繋がっていたって、そうそう商品をそんな実験体には使えない。手頃な検体を手に入れるとすれば——工業地帯で獣化した労働者、ってことですね隊長さん」

 壁際に立った隊長は否定しない。が。少年は続ける。

「でも遠回りじゃないですか? 軍の兵器を調べるのに検体から手繰たぐるというのは」

「国軍内部からはおそらく、情報は出てこない」

「なぜ?」


「前の戦争で治癒魔法の独占と引き換えに休戦を呑んだ評議会と国軍が上手くいっているとは思えない。関係が良好ならわざわざ帝国の辺境で実験したりはしない。しかもバルフォント一派にとって抗魔導線砲アンチ=マーガトロンは政争の切り札なのだから、おそらく研究施設は軍の外にある。秘密裏に開発して、厳重に警備ができて、一般人が立ち入れない施設だ」


「——魔導炉?」

「そうだ。院長、あんたはバルフォントが魔石の密輸で財と権力を成していると言った。だったらその魔石を管理する魔導炉があるはずだ」

「確かに、彼の息のかかった魔導炉があります。南インダストリアの三十番台区域の三基です。——わかりました」


 そう言って。席を立った少年が近くの頑強な木目の棚に右手のひらを当てた。ふわっと白い光が走ってがこん。と鍵が開く。大きく両手で開いた棚の奥には、隊長も初めて見るような奇妙な魔導器が並べられている。


「面白いコレクションだな」

「まあ長年あちこち旅してるとですね。あ、あった。これでいいかな」

 アルトが手に取ったのは黒い腕時計のような器械だ。机を回って、隊長に手渡す。

「小型の魔力検波盤パルスコープです。ムストーニア製です。性能いいですよ」

「助かるが、構わないのか?」

「もちろん。防護服プロトームは?」

「身につけている」「武器は?」


 羽織った外套の上から隊長が腰を軽く叩いた。

「じつは、持っている」「そうですか」

 ソファーのヤンとハンナは目を丸くした。笑うアルトが言う。

「ちょっと外に出ましょう」



 中庭で、朝食を終えた子供たちと一緒になにやら訓練しているのはガリックだ。二人三人と固まってかかってくる子供たちを芝生の上でころんころんと投げ飛ばしてあしらっている。やや体格のいい子が数人、手には真っ直ぐな木剣を持って。庭番を囲む。


「いくぞッ。やあ!」

 一斉に打ちかかる子供らの木剣を。ガリックは右の義手で受けているのだ。三方向から打ち出される剣撃を、甲高い音を立てながら片腕一本で流す。生身の左手はだらんと垂れたままだ。

 その様子を見ながら感心して顎を撫でる隊長を、院長アルトがちらと見上げるのだ。

「どうした?」

「彼を護衛につけましょうか?」

 アルトが笑う。少し考えた隊長が、廊下の引き戸を開けて中庭に出た。


 かかかん、と。打ち合っていた庭番と子供たちが、こちらに向かって歩いてきた隊長に気づいて動作が止まる。汗だくになった少年一人に向かって手を出した隊長が。

「借りていいか?」

 きょとんとしたまま細かく頷いて少年が木剣を渡した。庭番がひょいと廊下を見ると院長のアルトが笑って胸に上げた手を振っているので。あうあうと彼もまた、近くの一人に手を差し出す。その子も庭番に木剣を渡した。


 大人同士の打合い。


 子供らがどよめく。ヤンも中庭に走って出て、院長とハンナが歩いて続く。遠巻きに囲む子たちの円の中で。


 隊長は外套から伸ばし剣を握った右手は逆手で切っ先は外向きだ。左半身をやや前に出して腰を低くする。ガリックの構えも独特で、今度は義手の右腕がぶらんと垂れたまま左手で握った剣先が軽く肩に乗っているのだ。

 子供らが固唾を飲む。誰も声を発しない。向き合った二人の摺り足が芝を滑るように移動する。


 ちっとかするような音が。間合いを詰めて。隊長のリーチが長い。一気に伸びて剣を突く。が、庭番が身を引いた。隊長が戻す。

 瞬間。かしッ。と。

「うッ?」

 引き戻した手に剣がない。打ち落とされたのだ。ガリックは振り下ろしていた。見えない。疾い。


 わあっと子供らが歓声をあげる。元に戻った庭番が周りの子らに「おうおうおう」と剣を持った左腕で勝鬨かちどきをあげるのでアルトが苦笑した。隊長も笑って右手首をふるふると揺らすが痛みも痺れもなかった。芝に落ちた剣を拾う。


 また構える。二本目。


 隊長が少し柄を短めに握る。逆手は止めて順手にする。逆手では追いつかない、この庭番の抜きは恐ろしく疾い。帝国兵でもそうそう見ない。かなりの使い手かもしれない。

 やや猫背で大柄なガリックはあんなに銀髪が目にかかって、見えているのだろうか? と思いつつ伺えば。今度は彼も少し左肩をこちらに寄せて足幅を取っている。一度動きを見られたからか、ではまだ一層、疾くなるのか?


 踏み込んだ。三連で隊長が突く。


 だが三つとも。風のようだ。庭番が体を揺らして受けた剣先はほとんど動かず構えも変わらず。また引きの瞬間に。今度は見えた。

 彼は左手首の捻りだけで扇のように剣先を走らせて隊長の手先を巻いて叩いていたのだ。かしゃッ。と。

 また落とされた。わあっと子供らが叫んだ。二敗だ。「おっおっ」とガリックが木剣で天を突く。つい隊長も釣られて屈んだまま笑ってしまう。


 庭番のこれは奪剣術だ。


 旧い闘術だ。どちらかといえば杖術に近い。剣の握りは一から十まで力を入れっぱなしではない、引きや返しで握りが弱まる隙を見据えて撃ち落とす術だ。力尽くではなく弾みで打つから落とされた瞬間がわからない。隊長がまた木剣を拾う。

「最後だ。いいか?」

 おうっ? と振り向いたガリックがにっと嬉しそうに笑って、また構える。


 三本目。ぶわっと外套から両腕を出して。隊長が構える。ガリックの姿勢は変わらない。

 踏み込んだ。今度は脇腹を狙う。が、また。くんと腰が落ちて木剣の刃がまともに受ける。かんッ! と甲高い音がして。隊長が引いた。ガリックの手首が剣を回す。

 そこに。もう一段。隊長の腰が沈んだ。

「おうっ?」と声をあげたガリックの切っ先が今度は弧を描いて空を切る。空振りだ。引いた剣を流線で回した隊長がそのまま狙ったのは彼の左の脛で。


 しかし脛がない。

「うッ」


 ひょ。と。右足で一本立ちになったガリックが。上から。ぱあんッ! と。今度は平打ちで力尽くで叩く。手が痺れた。大きな音を立てて剣が打ち落とされた。

 庭番が上げた左足を下ろす。「おおおうっ」と妙な唸りをあげてガリックが息を吐いた。


 完敗だ。今度こそ子供らがわっと庭番に駆け寄って飛びついてきたので、試合はそこで終わった。立ち上がりながら右手をさする隊長に、アルトムンドが歩いてくる。

「いかがでした? 護衛になります?」

 隊長が細かく頷いて。

「彼を連れて行って、ここは大丈夫か?……愚問か」

 少年院長が肩を少し竦めた。百年生きたクレセントだ、これくらいの敷地の守りは本来、彼一人でどうにでもなるのだろう。

 

 

 

 結局、アルトムンドから渡されたのは腕時計型の探知盤と、紐で包んだ紙幣の束だ。なるべくお金で解決できる場面は、そうしてくださいと注意された。身の安全を気遣ってのことだろう。

 どうやらこの付近に魔力の曝露はないようだ。がやがやと日雇いの者たちが賑やかな広場を後にして。

「あまりあちこち見るなよ」「あうあっ」


 隊長と銀髪の男が、東へと歩く。工場群の向こうにひときわ巨大な建造物が見える。蝶の産み付ける卵に似た形のそれは、臨海に点在する魔導炉なのだ。




◆◇◆




 首都に接近するに際して。虎が異様なことを言い放ったのだ。管制室に呼ばれた来客の面々は耳を疑う。

「この蛇が〝ノエルの使途不明呪文ジャンク=スペル〟を保有していると?」

「そうだ。七番〝軍霊ケルビム〟だ」


 トール副議長をはじめとして、部屋の中央に立つ導師と魔導師、そして獣の二人が互いに顔を見合わせた。副議長が艦長イースに言う。

「どうしてそんな秘密を話す気になったの?」


「俺らがどこにも所属せずに放浪艦となった理由を伝えとこうと思ってな。この魔法を特定の国や軍が所有すれば軍事のバランスが崩れる。そういう効果を持った呪文だ」

「具体的には何ができるのかのう? それが一番重要じゃ」

 興味を隠そうともせずにグラサンの老人が訊いてきた。そして虎が答えたのは。


呪文だ」

「なんじゃと?」


 嘘だ。

 管制室の席に座ったアキラは、しかし素知らぬ顔をする。じつは早朝、アキラを含めた管制室の面々は、虎に呼び出されてある指示を受けていた。


 副議長も不可解そうに眉根を寄せた。彼は今、嘘を言っている。それは傍にいるレベッカ、ダリルの二人も気づいているだろう。だがなぜ? 獣同士で嘘が通じないことなど、百も承知ではなかったか?

 気づかないのは人間の魔導師二人だ。シャクヤ導師とガラだ。だが、そんな嘘が通じる相手ではないことぐらい——

「どんなものか、見るわけにはいかんかのお」

 ほら。そんな嘘、突き通すなんて無理じゃない? と思う副議長の視線に。


 イースが笑ったのだ。


「了解だ。やってくれリリィ」

「あいあーい。それでは。ノエル七番ッ!」

 アキラの隣に座ったウサギはノリノリだ。操縦席のミネアが呆れた視線を送るのに構わず。

「〝軍霊ケルビム〟! 発動ッ!」

 ばっと大げさにリリィが前面の大パネルを指差したので。皆が注視した。


=今だアキラ。昨日のハッキング情報データをアウトプットする=

(了解っ)

 こそりと。アキラが計器盤に付いた右手がふわりと光ったのだ。

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