第四十八話 風の道、光の道
空は広大な風の道だ。
虎が前につける。アキラの機体もすうっと宙を滑って浮いて。後ろにぴたりと高度を合わせ、夕闇を蛇に沿って。ロックバイクが直線で走り始めた。
=浮力70。
夜と地平に挟まれた残照はもうわずかで、眩しい。アキラが目を細める。蛇の基底盤から発光する緑がマーキングのように次々に後ろへ流れていく。前を走る虎は月に映えて——
月は、あんなに。でかかったのか。
=機体異常なし。遷移ロスは最小=
声に合わせて指がパネルを動く。スロットルを吹かす。手すりから獣たちが見ていた。風の中で毛先が揺れる。なびいている。格納庫からぐうっと身を乗り出して二人を目で追う。子供らが前、大人は後ろだ。小さくなっていくバイクに、かがんだリザが背中の狼を見上げて呟いた。
「加速、早くない?」
「……そうだな」
銀狼の眼はいつになく真剣だ。
あっという間に蛇の頭部まで達した虎が、くんっと。
(おわっ。)
障壁発生塊の真ん前、ウォーダーの真正面に出た。アキラも後を追うが、やや角度が甘い。ちらと虎が後ろに目線を飛ばして。また。くんっ、くんっと。ジグザグに。アキラが身体を傾けるが、あんなに綺麗な直線が描けない。どうしてもS字になってしまう。
=アキラ。バイクごと身体を隣の
(か、身体を、飛ばす感じ? 別の車線に?)
言われたアキラが傾けるのでなく、並行に。左にぐっと腰を入れた。さあっとバイクが直線的に斜めに滑る。できた。曲線ではなく、直線にアキラが道を取る。
「うおっとっ。」
(切り込みじゃんこれっ。あんま俺、やらないんだけどっ)
=空は広い。他の車もいない。心配するな=
だが地上のバイクと違って、面白いくらいにスライドして思った場所まで滑る。数回こなせばすっかり要領がわかった。自分の銀髪から青い光の粒が舞うのにアキラは気付かずバイクを駆る。
『今度は上だアキラ』「え、えっ?」
軽く虎が立ち乗りになった。ハンドルを引く。フロントカウルが垂直近くまで
=三次元移動ができないと話にならんぞアキラ=
「くぅッ!……でぇえええいッ!」
思いっきりハンドルを切り上げた。それは意外に滑らかに、80度にでもなっているのだろうか。やや垂直から外れてアキラが中空を登る。世界が縦に旋回した。
「ぐっぐおおっとっ」
必死に身体を反らせて弓なりで。虎を目指す。髪が垂れ下がって揺れる。張り付いたようにバイクは90度を越えて弧を描いて上昇していく。
『なんだおまえ、無茶な登り方だな』
上で待つ虎の声が聞こえた。ぶあっと登りきったアキラを待たずに今度は虎が降下する。螺旋だ。ループを描いて蛇の頭まで降りる。慌てて見下ろしたアキラの機体が上空で反転し、宙返りして。
気づいたのだ。
(あ、あれっ?)
夜空にかすかに見えたのは虎の軌跡だ。それは空気の層のように透明で細く長く、しかし確かに螺旋を描いて、端からゆっくりと消えていくのだ。思い切り身体をひねってバイクを横にロールして。フロントを切り返して虎のラインに向かって。
=これは
(スリップストリームが。目に映ってる。うおっ!)
それに触れた途端、急に速度が上がる。なだらかで単一なアールを描いた虎の残影に機体が滑り込む。後を追う。内側に
『乗ると追うのに楽だろアキラ』
「は、はいっ」『だがな』
「え?」
降りきった虎が直線を伸ばして。ぎゃあっとその場で前後のカウルを振ってターンして。急加速する。戻ってくる。ループを
アキラが機体を横倒しにした。
虎は寸前で跳ねた。
夜空に二つの機体が交差する。
なだらかにフロントを起こした虎のバイクは、そのまま蛇の上空わずかを後ろに逆走していく。アキラの機体が横倒しのまま蛇の右舷に大きくループを描いて。
「う! おおお!」
底面を外に向けたまま、アキラが右足を伸ばして。半円の軌跡でぐるうっと蛇の格納庫まで戻ってきたので「わああああっ!」とサンディと子供たちが下がった。狼と狐と飛竜は、ぴくとも動かない。
ざああっと。
アキラがバイクを起こして。車体のエンジンを吹かして格納庫に横付けした。テールが揺れて軌道を保つ。
乱れた髪をばさばさっと振り立てるのだ。
青の光が粒に舞う。まだ飛んだままだ。
速度を蛇に合わせる。
すぐそばの手すりで、狼が笑う。
「いけてるか? アキラ」「は……ははっ」
『むやみに相手のラインに乗るなアキラ。誘いの時もある。行くぞ』
格納庫の屋上に戻ってつけた虎が上から声を通して、すぐにまた加速した。アキラも追って、蛇の上と横とを二台で走る。逃げたみんなが戻ってきて、おそるおそるまた首を出して機影を追うのだ。ロイが腕輪を口元に寄せて。
「同期してるのかダニー」『いえ』
「してないのか?」『してませんな、どちらも』
やり取りを聞いたノーマが隣のケリーに言う。
「——じゃあ今の
「みたいだな」「そうなんだ、キレイね」
うなじで広がるブロンドをまとめながら。
「あんな柔らかいライン取りができるんだ、彼」
「だが避ける動きが大きい」「そうね。大きいわ」
「あいつ……縦移動が苦手そうだな。まるで地上を走ってる感じだ」
狼と同じことを、蛇の屋上を飛ぶ虎が腕輪から言う。
『下に沈めば避けられるんだぞアキラ』
「バイクは
「なんでもありませんっ」
『ふふ、まあいい。
「えっ?」『
さっと、斜め上を見上げて。また正面に目を戻して。
「……やっぱ、これ、戦闘訓練です?」
『むしろなんだと思ってたんだ?』
答える虎の機体が、ぼっと虹色に輝く。
=変調確認。虎の壁が変わった。こちらも
アキラの機体も周囲に虹が走った。虎がかすかに視線を送る。
=来るぞアキラ!=
瞬間、艦長の機体が速度を落とさず。
があんっとエンジンを唸らせて蛇からアキラの頭上に飛び降りた。初速が伸びている。アキラが横に逃げるが間に合わない。空中で激しく魔法の壁が互いを削る。かけらがガラスの様に飛び散った。
「ぐッ!!……このおッ!!」
無理やり寄せる相手からアキラが右に大きく避けた。テールが空を滑る。軌道を修正する。また弦を描いたアキラの機体が横っ腹を見せたので。
さらに虎が突進してきた。
直前で急停止して片腕でハンドルを切り上げる。アキラの顔が基底盤の光線で緑に染まる。立ち上がったロックバイクの底が思い切り。
「がああああッ!!」
咆哮とともに斜め上から叩きつけられたのだ。
目が眩む衝撃と回転する世界で方向感覚が消えた。大きなヒビが入った壁の向こうの空が錐揉みで回っている。
=落下してるぞアキラ!!=
蛇の格納庫から子供たちが身を乗り出す。山の麓まで落ちて小さくなるアキラの機体を目で追って。
「ア! アキラさんッ!」
(こ、この回転どうやって止めたら)
=どの方向でもいい。まだ走る意思をみせろアキラ=
横倒しで回りながら落ちる機体のスロットルを絞り上げた。ぶわあああんッ!! とエンジンが強く唸って。回転に抗力がかかって止まる。だがまだ横倒しのまま、落下は止まらない。アキラが周囲を一瞬で見て把握する。下はもう漆黒の森が近い。
歯を食いしばって右腕でハンドルを切り上げる。虎がやったように。
「うおおおおッ!!」
わずかにフロントが上を向いた瞬間もう一度。強くエンジンを吹かした。
浮き上がる。空に戻る。勢いを上げてアキラのバイクが戻ってくる。格納庫から歓声が上がった。姿勢を復活させたアキラの機体を目で追いながら、狼が軽く鼻を掻く。ノーマが言う。
「決まったと思った?」
「拾いに行くか、とは思った。立て直したか」
ホバリングしながら上で見ていた虎の数百リーム先に。登ってきたアキラがぐっとフロントを切り込んで、機体を水平に戻したので。
『取り回しが解ってきたかアキラ』
「殴って落とすのって。普通なんですかっ」
虎が笑った。腕輪に話す。
『普通だ。別に魔導使ってもいいんだぞ』
「……どうなっても知りませんからね!」
『ふっふ。どうなるかやってみろ』
月を背にしたアキラの左目がコバルト色に輝いて。
があんっと軽くスロットルを吹き上げたロックバイクの全体を走る青の線が光を増した。
急発進する。直線ではない。右に左にジグザグに。アキラがラインを取って虎に突進してくる。が、虎はそこから動かない。伏し目でその動きを追うのだ。
直前でアキラの機体が思いっきりテールを振って。虎を中心に半円でスピンしながらすり抜けた。バックに機体を滑らせて蛇の背中まで遠ざかり、ばっと左手を開いて突き出して。
閉じる。
ばりっ。と。アキラの道の残影が放電して。
虎の目が見開かれた。
(
甲高い放電音が空に響いて。垂直に雷撃が爆発した、が。
「えっ!?」
それはまるで薄紙か木の葉が風に運ばれる様に虎の機体が突如制御を失って。風に舞って重い機体がデタラメにくるくると飛んできてアキラの頭上を抜けていく。上下が逆になった虎が追い越しざまに。
『少し驚いたぞアキラ』
耳元で聞こえる。鳥肌が立つ。目の前から虎の機体はいなくなり、あっという間に後ろに回り込まれた。ぶわっと振り返ればさらに後ろ、蛇の広がる主砲のあたりで虎の機体が姿勢を取り戻して浮かんでいる。
虎が、やはり笑っているのだ。
アキラが混乱する。
(え? え? ナニ? 今の動きナニ?)
=全停止したのだ=
(ええっ?)
=機体を一瞬で全て停止したのだ。肉体に溜めた
声に言われて。慌てて周囲を見渡すアキラの目に。夜空に。ちかちかと細かい光の粒が浮いている。まるで蛾の鱗粉のように機体の障壁に張り付いている。その一箇所が。
音を立てて弾けた。「うわっ!!」
ばしっと障壁にヒビが走る。虎が鋭い爪でアキラを指差したままの左手首を口元に近づけた。
『簡単な魔法だ。その粉はどんな属性の
「ううっ……」
『今は無属性だ。それでも衝撃は与えることができる。壁だけ割ってもいいが外気にお前が耐えられないからやめておく。終わりだ。
悔しいアキラが無理をして。
「ま、まだ俺はっ 自分はっ」
『そろそろ時間なんだ』
別の声が混ざった。ダニーだ。
『艦長。
=
「くっ……そお……」
蛇の後方、虎を睨んだままのアキラの周囲で、ぶわあんっと魔法の障壁が白く輝いて。張り付いた光の粒も一緒に離れて散っていく。それでもアキラが前に直らないので。
もう一度腕輪から。
『周りを見ろアキラ。きれいだろ?』
「……え?」
光の粒は。
虎が仕掛けたもの、だけではなく。
気づいて見渡せば風に任せて蛇の背中をちらちら小さな蛍が舞うように、背中だけでなく広げた翼の十二本もうっすら巻き上げていつのまにか。夜空に淡く輝く薄衣が流れている。
音は、なかった。砂漠で出会った竜雲の轟くような吼えるような天を揺るがす咆哮はどこにも聞こえずただ前へと進む機体の受ける風の音だけが銀髪の、アキラの耳元で。
ばさばさ、と。
青のラインをなびかせて、アキラが正面を。
夜空を振り返る。
『
風の道が、光の道に変わっていく。
『
彼方より流れる竜脈に、アキラが釘付けになる。
月の明かりに照らされた続く山稜のはるか向こう、南の夜からこの地へ届く光の平板な束は蛇を乗せてもまだ広いだろうか、波のごとく揺れて、揺れて。だんだんとその輝きを強くして、浮かぶ道のたもとはまるでささけた布の端に似て細い糸のような光線が風になびいているのだ。
ふわあああと格納庫で口を開けながら光の道を見る子らの身体に、なだらかに竜紋が浮かび上がる。犬の娘にも、狐と狼にも、飛竜にも。
蛇の全身に幾何学的な光の線が一斉に流れて埋まり、あちこちで噴き出した蒸気とともに幾つかの場所が盛り上がって変型する。
蛇の背に乗る虎と、アキラも。
虎が濃い
青年は薄青白の紋様を浮かばせて。
それぞれの色に。なぜ、それぞれの色に合うのか。誰も知らない。二人の乗るロックバイクが赤の線と青の線を互いの車体にくっきりと走らせた。
がしゃあっ。っと。
「うわっ」
励起した元素たちに反応した機体がそのかたちを変える。しゅううと湧き上がる蒸気が夜空に流れて消えていく。腕輪からまた、虎の声が聞こえた。
『このロックバイクにはな、アキラ。なんにも入っていない。幻界の、どんな生き物にも繋がっていない』
「なんにも……」
『からっぽだ。だがな、こうやって紋を出すんだ。理由はわからねえ。乗り手によるとか、時によるとか、あやふやなことばかりだ』
膨らんだフロントカウルは一部から内部構造が見て取れる。細かい機器に細い筋のような青い光が走っているのがわかる。
『
『
ダニーの声が届く。虎が通信を終えて、ひとつ。息を吐いた。アキラはまだ蛇の正面を、南の空を見つめてやまない。光の輝きは、いよいよ強い。
◆◇◆
少し疲れたアキラがゆっくりと虎の後ろから格納庫に車体を滑り込ませて鉄板の床に着地した瞬間。ぐうっと拳を握って脇で見ていた子供たちが、わあっと集まってそのバイクに飛び乗ってきたのだ。
「わあっとっと」
「アキラさん! アキラさん!」
「見てたよ! ね、すごかったねっ!」
ちいさいものたちにもみくちゃにされるアキラを放っといて、虎がバイクを任せようとして。寄ってきたケリーを片手で止めてノーマに。
「ちょっと、頼む」「あら、いいわよ」
訝しげな顔をした狼の肩をぐっと抱いて。
「あいたたた。艦長、そっちの腕はまだ」
「いいから来い」「わ、わかりました」
ちらと視線をアキラに向けて。なかなか子供らから解放されないでいるのを確認して。格納庫の入り口から狼と二人して抜けていくので飛竜が首を傾げた。
「なんですか艦長。戻ってくるなり」
(ひとつ目だ)「はい?」
小声なのだ。通路で肩を抱いたまま虎が呟く。
(——あいつは素人じゃねえ、魔導機の経験がある。だが俺たちが乗ってるもんと、かなり様子が違う機械だ、おそらく地上を走る機械だ)
(ああ、それは俺もなんとなく)
(それを調べてくれ。ふたつ目。あいつは獣だけじゃなくって、きっと竜脈もろくに見たことがねえ。乗ったことがないだけじゃなくって、見たことがないんだ)
(え。でもそんな竜脈に関わらない暮らしで、じゃああの魔導の出来はなんなんですか?)
(そうだ、つじつまが、合わねえんだ。だからあいつの故郷が知りたい。どんなとこで、どんな暮らしをしてたのか)
狼がこくこくと頷く。
(みっつ目。一番大事だ)(はい)
(あいつは、どんな時でも。むきになったり、気が
虎が狼の目を覗く。
(まるで、誰か〝
(……でも誰もいませんよ?)
(いない。だからついているなら霊術的な、なにかだ)
やっと虎が肩を離す。二人が背筋を伸ばした。
「——それも、調べるんですね」「そうだ」
「リリィとモニカも、なにか知ってるようです。まとめて情報を集めましょう。竜脈を降りてからでいいですか?」
虎が頷いて言う。
「
「了解です。
虎と別れて格納庫に戻れば、外はそろそろ眼下の竜脈が明るい。まだ子供らがアキラにじゃれついているので呆れるケリーにロイが寄ってきた。
「なにかあったのか?」「ありました」
「青年のことか」「はい」
「まあ、この戦闘を乗り越えてからだな」
飛竜が顎に手をやる。
管制室に入りながら虎が腕輪に声を出す。
「戻った。いつでもいい」『了解です』
見ればミネアが操縦席に座ったまま動かないので、後ろから声をかけた。
「戻ったぞ。
返事がないので。
「——あいつは、けっこう素質がありそうだな」
やはり返事がないのだ。
「——すねてるのか?」
ぽんっと肩に乗せた虎の左手の上から。がりっと。
「ぐ! ちょ、ミネア。おい……」
「ずるい」「あ、ああ? なにが?」
ぎりぎりと。雉虎の
「おもしろかったなあ、いーす」「そ、そうか?」
「みねあと、ずっとみてたんだぞっ」「そうかっ」
「なんだか、みねあ、おっかなかったぞっ」
少年の笑顔がすばらしい。
「……ずるい」ぎりぎりと。
「痛い。ミネア。ホントに痛い。ホントに痛い。なあ。なあって。」
そもそも上空を動く
蛇の頭部、障壁発生塊より撃ち放たれた二本の
『魔力逆流70万ジュールで安定。まあまあですな』
「了解だ、
『了解。ウォーダー、
「進路、そのまま」「……進路そのまま」
ふるふると左手を振りながら指示する虎をじろっと見て。ミネアが操縦桿を傾けた。
動力室で。ダニーが計器盤を慣れた手つきで操作しながら、ふっと笑う。あの二人はまだ戻ってこない。おそらくまだ格納庫なのだろう。
皆、身を乗り出して。
今夜の竜脈は上からの
『ウォーダー、搭乗開始』
まるで水面のように大きく揺れる。
『
光の道が視線に降りた。竜紋の浮かんだ獣たちと。子供たちと。アキラが南の空を見る。ぐっと。見据える。敵が来るはずなのだ。もう、あの地平の向こうからは、大勢の敵が迫ってきているはずなのだ。
『戦闘準備。三時間後だ』
夜空を蛇が、クリスタニア辺境本部へと向かう。
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