第四十六話 辺境突撃隊


 旧くからクリスタニアが〝奇跡〟と唱われる理由は、二つ。


 ひとつ目はこの地が初代ガニオン皇帝の故郷という伝説で、ノエルの使途不明呪文ジャンク=スペルの中でも最大の規模を誇る魔法、十八番『月鏡ルテナ』が発現した街と云われていることと。


 もう一つは、その湖の美しさにあった。


 周辺をなだらかな緑深い山稜に囲まれた街そのものが、透明度の高い湖面に鏡写しに映り込む様は絶景で、特に先の伝説でもある『月鏡ルテナ』が発生する『月昼期ルナウィーク』のクリスタニアは、その広々とした空と湖に、巨大な魔法陣を回転させた二つの月が現れる。


 時に一部が重なり、時に全く二つに映り込み、ゆっくりと動く月面の魔法は、天界の神が造るべき仕組みを人が造ったあかしであり、その美しさの畏怖はそのまま、伝説の魔導師への畏怖へとつながり、それを語り継いでいくのだ。


 小さな村から始まった、そんな伝説の古き街は東の要衝で、カーン、イルケア、ネブラザを旅するものは必ず立ち寄る宿場の街で、しかし今では湖のほとりがすっかりコンクリ様の石組みと鉄骨で整備され、緑は切り捨てられて平地となり、辺境本部手前の巨大なロータリーを中心に放射状に走った幹線道路に沿って背の低いビルが立ち並ぶ軍の拠点へと様変さまがわりしてしまった。


 街道あたりまで足を伸ばせば旧態の宿場は残ってはいるが、湖の側はむしろ今は軍用の港か空港のようで、ロータリーの向こうに立ち並ぶ宿舎や倉庫のさらに先は、無限機動が五、六機は停められるほどの広さを持った陸上停泊所ポートである。


 だだっ広くて何もない灰色の広場は、それはそれで壮観で。今日のような晴れた昼下がりは湖面と空の青が相まって照り返しも眩しい。ゆっくりと低空を飛んでいるモノローラとバンドランガーの向こう、双眼鏡をはるか東に向けても、まだ雲に変化はない。帝国兵の外套を着た若い男はふうとため息をついて、今度は北の湖畔にざっと双眼鏡を向ける。


「うう、おおお……」


 見れば見るほど巨大だ。

 つい双眼鏡を構えた身体が仰け反ってしまう。


 六機のパラボラアンテナの理屈は技術班から聞いたことがある、が、あまり難しいことは分からなかった。要はあの馬鹿でかい凹面鏡で反射させた魔法陣を超遠距離まで到達させる機械で、この湖の東岸、50キロ向こうまでセフィラを飛ばすことができると言う。

 

 魔法の光弾は、つまり魔力を無理やり固めた爆弾のようなもので、射程距離がある。一定の秒数が経つと空中で爆発を起こすのだ。だから大型の直射砲バルトキャノンでも20キロ、狙撃砲マークドになると数キロ先までしか届かない。

 まして複雑な魔法陣の発現となるとせいぜい砲塔の周辺だけである。遠距離、大出力、かつ高度な魔法、となれば。


 どうしたって魔導師が、要るのだ。


 それが軍隊の限界を決めていた。確かに、魔導師ではなく普通の人間の軍が強力な魔法を遠隔で操作できれば、ずいぶんと戦略も多様化するのだろう、が。


「使い道が、いまひとつ思いつかないよなあ」

「まあた考え事かァ、十一ひといち!」


 ごん。っと。

「痛ッ」


 双眼鏡を構えた青年の後頭部が、軽く小突かれる。痛い。それはそうだろう、後ろから食らわされたのは右肘鉄だ。


「痛い。何すんだ。人数割できたの、か、よっ。と。」


 頭を押さえて振り向けば巨大なバストが目の前で、また青年が仰け反る。その女傑もでかいのだ。着ている帝国の兵服も外套も特注なのだろうか、肩にかかる薄い茶髪で、日焼けした顔でにかっと見下ろして言う。


「相手は蛇だぜ、なに考えたって一緒だあ。なあ。見晴らし十分だろ。ぶっ叩いて墜としゃいいんだよ」

「……天気が良くて結構だな」

「ああ? なんだって?」


 このでかぶつは、いっつもこうだ。視界さえ良ければ自分が負けないと思ってるんだ。突撃艦ハンマーを操る隊だからそれくらいは楽天的な方が向くのかもしれない。が、あまりにも頭で考えるのを放棄しすぎじゃないのか?

 今だってぐううっと筋肉質の身体を屈めて、嫌味は聞こえづらい便利な耳を近づけてくる。ただでさえ兵士の中では背の低い第十一隊長の顔面に影が射すほど巨体のくせに、いい匂いがするので。くっそこのやろおと思って顔を背けて。


「あ、あのなっ。十一隊こっちは六十。お前は四十。その割でいいだろ」

「ああ? だからっ。四十も要らねえって邪魔くさい。こっちはぎりっぎりで構わねえから十一ひといちの船で七十みといてくれって」


「……十人減らしたからって船が軽くなるわけないんだぞ。ホンットお前いつか怪我するからな、そんなんじゃ」


「うーん? 心配かぁ?」「は? うわ」


 大蛇のような片腕でぐいいっと十一隊長のフードの被った首ごと巻き込んで、さらに腰を曲げて。触れそうなほど頰を寄せて。少し甘えた小声で十三隊長が言う。

「心配なら、そう言えよお。なあ」


「お前……絶対、からかってるだろ」

「ひっさびさの空だしさあ。天気いいよなあ。だから、しょうがないだろお。飛ぶのがさあ、大好きなんだからさあ」


 一体なにがだからしょうがないのか全然意味がわからない、が、この大女はいつだって力技だ。ずっしりと。分厚い鉄板をこじ開けるような甘え方をする。少し上気した青年の顔に唇が近づいて、もう一度。


「なあって、大好きなん……ぎゃんッ!!」

「ぐおッ!!」


 ばしいっ!! と。思い切り尻を叩かれて。女傑が叫んだ大声に、青年が耳を押さえた。あわてて二人が振り返れば。


「なにじゃれてんだ、水ぶっかけるぞ」

「あ。あ。十二隊長っ」「お疲れ様ですッ」


 姿勢を正して二人が挨拶する前に立っていたのは、帝国の外套を着た老年の小柄な男性だ。やや顔が長く頬骨の目立つ顎にはぼつぼつと、なくてもいい程度の白くて短い無精髭が生えている。


十三ひとさん突撃艦ハンマーは整備が済んだのか」

「あとちょっとです。あとちょっと。えっへへ」


 でかい親指と人差し指をぺちぺち合わせて女が言う。ふんと鼻を鳴らせた老人が、じろっと若者に目をやって。


「お前がこんなとこで油売ってっから、これが尻尾振って寄ってくんだろうが。さっさと編成終わらせねえか」

「す、すみません」

「……隊長そんな人を犬みたいに」


「またぞろ数が多いとかぶちぶち言ってんじゃねえだろうな」

「言ってました」「あ! おまえっ」


「今回はいい」「え?」「は?」


 二人が同時に聞き返すのに十二隊長が答える。


「少なくて気が済むンなら、構わねえから置いていけ。十一ひといちもだ。突撃艦ハンマー二機はなるべく少人数で回せ。俺もモノローラは最小人員でいく。バンドランガーはそれなりに積んでくがな」


「……理由聞いても」「言わねえ」


 拒否されて青年が怪訝な顔をするが、それ以上は突っ込まない。この人の指示にそうそう間違いはなかった。これまでも。


 一隊から二十隊までの辺境の中隊はもちろん、指揮系統に上下関係はない。同格なのだ。しかし新旧入り混じった帝国の軍は暗黙のうちに、経験値による序列は生まれていた。序列は自発的なもので、同じ新旧でも三隊と四隊のように同格で張り合う隊もある。


 今の三人のようにはっきりと関係が確立している組もある。若い二人は老人を十二隊長と呼び、老人は二人を十一ひといち十三ひとさんと略称で呼ぶ。


 政変が起こったのち、帝国の兵士は、その名前を呼びあうことを禁止されていた。黒騎士が言い出したことらしいが詳しい理由は伝わっていない。だから大隊長ムルバオのように古参の中には魔導師の馬鹿らしい世迷言よまいごとと笑い飛ばす者もいる、が、老人のような現場の叩き上げは一も二もなく従っている。


 老人の勘の良さには、二人の若者も一目置いている。だから真似して名は呼ばない。今回もそれ以上、何も聞かない。


「三十で回るんなら回せ。編成終わらせろ。何時だ」

「昼第四時までに」「までにっ。はいっ」


「じゃあ行け」「はいっ」


 敬礼ののち、若者たちが駆け出す。みごとに凸凹の二人だ。走り去っていくその先に、同型の無限機動が二機、低い駆動音を上げて青空のもとに停留していた。


 無限機動ハンマーは炉心1億ジュールの突撃艦で、尖った流線型の巨大な兜のような障壁発生塊の先端にはもりのかえしのようなさいの角のような突起があり、兜は全体の三分の二まで機体を包んでいる。


 浮力を放つ基底盤も平板ではない。むしろ細長いジェットエンジンのような緩く真ん中が膨らんだ円筒形の魔力噴出機構が左右に設置されていた。完全に機動性重視のフォルムであった。兜の底部にはこれも二箇所、魔導錨アンカーの噴出口が見える。それぞれの船に戻っていく二人の若い隊長を目で追って、それから老人が空を見上げた。夕方には竜脈が出るという。


 特に勘というわけでも、ないのだ。


 蛇の機動力は高いと聞いていた。竜紋すら出す獣たち相手に、モノローラは全く役に立たないだろう。まだ速射砲の撃てるバンドランガーを乗せていくほうが、いくらかましだ。そんなことより。


 視線が六機の建造物へ向かう。昼の日差しを浴びた鉄骨が巨大で複雑な影を辺境本部の敷地に落としている。あれは、きっと。今回の戦闘で何らかの実戦投入がされるはずなのだ。あれがなんなのかは、老人も説明を受けていない。何も知らない。


 あれが。不穏だ。蛇よりも。

 だから。


(ここに戦力は、置くだけ置いてったほうがいい)


 そう感じるのだ。

 そこはまさに、老齢の勘であった。




◆◇◆




 いつものメンバーが座る会議室の、ミネアの席に置かれた地図を見ながら、当の本人はうーと小さく唸り声を上げている。描かれた竜脈は結構な複雑さに加えて、微妙に図面がわかりづらい。大きな耳の根元をかきかきと指でいじりながら悩む雉虎を横目に艦長が笑って。


「夕方までに読み込めるか?」

「なんとかする」


 ごねてもしょうがないのが分かっているのか返事の良い猫の隣は、今回は空席のままだ。リリィはまだ医務室で、モニカと二人で少女のベッドについているのだ。飛竜が言う。


「微妙に戦力が足りませんな、リリィは何もできないでしょう、あの子をほっとくわけにはいかない」

「そうだ、下手に目を覚ませばモニカも手を取られる。どうなんだろうか先生?」


 対面に座ったエイモスに虎が訊く。


「わからない。怖いのは拒絶反応によるパニック症状だ。自分の姿を見て暴れ出せば、火星イグニスに寄っている以上、あの二人でも手が足りない恐れがある」


「本部との戦闘中に中から火が出るのは、ちょっとまずいですね」

「もう一人ぐらい、念のため動ける人員が側にいたほうがいいわ。私とケリーは中にいるかどうか分からないし」


「……おまえ、もう出るのかケリー? 大丈夫か?」

「本部相手で出ないわけにはいかないだろ。なんとかなるさ」


 心配げなダニーに返す狼を見れば、すでに三角巾は外したままだ。ただでさえ竜脈での高速戦なのに今回は加えて網状脈なのだ。灰犬が二人に念を押す。


「二機とも、最後まで強い同期でいく。基準座標ベースラインは朝まで外さない。無茶をするな」

「了解」「わかったわ」


「ダニーの言う通りだ。十二時間の長丁場だから戻れる時には中に戻れ。網状脈ヴェインはいつまで続くんだレオン?」


「でてから、そうだなあ。よなかのまんなかぐらい」

「じゃあ六時間か」「かなあ」

「クリスタニアの手前か、過ぎたあたりで通常脈に戻りそうですな」


「そこまで行けたら、三国国境トライポイントまで振り切るだけだが……敵の出方がわからんな、あちらさんも夕刻に脈に乗るなら速度的に、ぶつかるのはちょうど中間あたりか? ミネア見せてくれ」


 言われてミネアが地図をテーブルの真ん中あたりに寄せたので。全員が身を乗り出す。アキラとエイモスはさすがに遠いので席で座ったままだ、そもそもこの二人は非戦闘員扱いなのだ。顔を寄せて話す獣たちを遠目にアキラが声に言う。


(——こっちの世界でも、半日って十二時間なんだ。偶然かな)


=別におかしなことではない=

(そうなの?)


=空を昼夜が回転する以上、時間は円で表される。円の分割は幾何的なルールがある。まず普通に三分割ないし四分割だろう。それをさらに細かく割るなら八分、十二分、十六分割あたりが候補だ=

(ああ、なるほど)


=半日が八分割では時間単位が少し大雑把だ、逆に十六では細かい。円周を十二に割るのは、知性体インテリジェントとしては常に無難な落とし所だ=

(そう言われれば、そうなのかなあ)


=特別な教義や信仰が絡まない限り、数理と幾何の絡む分野の進化は、そこまで特異性は産まないだろう。これも一種の平行進化だ……違和感は、あるがな=


(違和感って? この世界に?)

=そうだ。緩力フーロンを覚えてるか?=


 こめかみに手を当てたまま、アキラが頷く。この場にリリィがいたらわくわくですり寄ってきただろう、が。今この部屋でアキラと声に注視しているのは、一人だけだ。


 レオンが、見ている。アキラも気づいた。声はかまわない。まるで赤毛の少年にも言い聞かせるかのように言葉を紡いでいく。


緩力フーロンの魔法を使って、この世界では水や食品を固めて安定させ保存していた。しかしアキラ。固定できる元素は他にもある。例えば緩力フーロンで〝街全体〟を覆うことも、できるはずだ=


(街を、全部?……)

 レオンの目が、一段と真剣になって。


=そうすれば、空中や水中にも都市が造れる。空気で柱を作れば街を空に浮かばせることもできる。だがこの世界で、まだそういう街は見ていない。空を飛ぶ無限機動は地上に着陸している=

(うーん……)


=アキラ。魔力と魔法はもっと多様な使い道があって、この世界は地球より遥かに発展していなければおかしい。文明が進んでいなければならないはずだ。だが一部の魔導機と、社会のありようは乖離がある。ちぐはぐなのだ=


 うーんと声を出しながらアキラがぱりぱりとまだらの銀髪を掻くので、隣のエイモスがちょっと不思議そうな顔をして笑う。


(超古代文明とか? 先史文明とか、あるじゃんゲームとかにさ。遠い昔にやってきた宇宙人の遺産、とかさ)

=割と、いい線かもしれないな=


 じいっと、まるで先を促すようにレオンが見ている。そこに。


=やはり自力で気づいて欲しいのだな=


 レオンの表情が固まった。


 アキラの、髪を掻く手が止まる。

 少年を見る。


=知ってて話せないのは、何か制御されているのか?=


 完全に不意を突かれたレオンの表情は、まるでいたずらの見つかった子供のようだ。ううううと潤んだ目でアキラを見て、ばあっと隣のログの腕に捉まって顔を埋めたので岩の男が少し驚いて声をかける。


「どうしましたかな?」

「なんでもないっ」


 意味がわからないログがアキラの方を向く。青年がちょっとお辞儀をするので。ため息をひとつ吐いてしがみついた赤毛を撫でてやる。モニカの燈火カンテラの話はやはり信憑性があるのだろうか? そう思いながら、アキラに言う。


「青年」「はい」

断崖船渠グランドックに着いたら、少し話がある」

「自分に、ですか?」「うむ」


 ログの声が狼と狐の耳に届いた。


「あら、奇遇ね」「うん?」

「俺らも断崖船渠グランドックに着いたら、ちょっとアキラと話したい」

「ええっ?」


 灰犬が、顔を上げた。

「ああ。私もだアキラくん」「はっ?」

「正確にはサンディからの情報なんだが。艦長と一緒にな」

「俺もか?」「はい、ぜひ一緒に」


=パメラの件も、言っておいたらどうだ?=

(うーん、そうかなあ)


「あの、自分も話したいことがあって」

 当のアキラが発言したので、全員の視線が集まった。艦長が言う。


「誰にだ?」「ロイさんです」


「……私に、か?」

「はい、エイモス先生と一緒に」


 ひとりだけ完全に置いてけぼりのミネアが、全員を見渡して、きょとんとしたままだ。




◆◇◆




 結局リリィとモニカは今回の竜脈移動ドライブでは基本、医務室付きで待機することにした。問題が起こった際にはロイがいつもの主砲車両から走る。一晩まるまる戦闘が継続することはないだろうが、特に子供たちは先に仮眠を取らせることにした。


 さすがに「こんな明るいのに寝れないよ」と厨房組は文句を言うが、猫の四人、特に街を脱出したリッキー、エリオット、リザの三人は少し疲れていたのか、さっさと寝床で丸まるらしい。それぞれの配置に戻る途中、ミネアを先に管制室に戻らせて、虎と灰犬が廊下で立ち止まっている。


「それで、さっきの件は? 俺はなんにも聞いてないが」


 訊く艦長にダニーは少し言いづらそうにして。


「じつはですね……サンディからの報告なんですが」

「うん」


「彼は魔導機乗りに、なれるのではないか、と」

 それだけ言ってダニーが黙る。じっと虎が目線を外さずに。


「あいつは、まだ立ち位置もなにも、決まってないんだぞダニー」

「わかってます。サンディにも、言いました」

「それでも、か?」


 縦なのか横なのか、灰犬は微妙な頷きかたをする。ややあって、言うのだ。


「しかし、あれはですな」

「からっぽだ。もう何年も、ただの動かない機械だ」


「でも彼は、幻界アストラルに行けます」

 虎が顎を撫でる。ダニーが続けた。


「彼は魔導生物アーカノイドの理屈もわかっています。ひょっとしたら、と思ったのです。まあ……確かに、まだ何も決まっていません。あの青年が、どうするのか。どうしたいのか。そして、彼はいったい、なんなのか」


 そうだ、なにもまだ、わかっていない。少し伏し目になったイース=ゴルドバンが呟いた。


「〝しるし〟ってのは、あるのかなあ。本当に」





 竜脈が現れる夕刻まで、あと二時間ほど。搭乗ランディングしてから敵と出会うまで、さらに三時間近く。ゆうに五時間近くはあるので、ロイは今なら話を聞いてもよいと部屋に残ってくれたのだが。アキラが少し迷う。話の流れから辺境本部との戦闘は結構な規模のものらしいからだ。


 会議室には三人。アキラと、ロイと、エイモス医師がテーブル後方の席に固まって座っている。アキラとロイが対面で、右手に医者が腰掛けて二人を見ていた。腕を組んだまま飛竜が言う。


「話があると言って引き延ばされる方が、気が散る。訊きたいことがあるなら、さっさと訊いておけ青年」

「まあ、そう、そうですよね」


 それだけ言ってもまだためらっているアキラに。はあ、と珍しく大きく口を開いて肩を下げて。またぎゅっと持ち上げた顎の鱗は、人のしわのようだ。


「面倒だ。当ててやる」「え?」


「子猫を一人残して三人連れて。街から戻って、医者と一緒に私に訊きたいことなど、一つしかないんじゃないか?」


「おお……」「おまえなあ」

 呆れるロイを見るエイモス医師の合点が行った。


「私の目に興味を持ったのは、そういう意味かアキラくん。あの白い子のことなのか」

「まあ、そうです」


「誰が頼んだ? リザか?」


「いや、怒んないでくださいよ」

「怒ったりするかっ。……それで、なぜ、パメラの目を治したいのだ青年?」


「なぜ?」「なぜ、だ」

「子供の目を治すのに理由が要りますか?」


 真面目な顔をして逆に訊いてくるアキラに、少しだけ。飛竜の目が開いて。


「……要らんな、たしかに」

「ですよね」「ふっふふ」


 珍しく飛竜が下を向いて笑う。ほんとうに可笑しそうに。ええっと、と戸惑いがちに言葉を待つアキラに、ぐいっと真正面に向き直って。強い言葉で。


 ロイが言う。


「本当に調子の狂うやつだおまえは。いいかアキラ。私は人間ってやつが嫌いだ。根っから嫌いだ。わがままで。ずる賢くて。臆病で。そして欲深い。根拠なく欲が深い。谷底に落ちている食い物を何日も何日も見返しに戻ってきて。谷底に残っているだけで喜んでるような奴ばかりだ。取りに行く勇気はないくせに谷底を見て喜んでいる。もうそれがまるで、いつかは自分のものになるのが当然であるかのようにだ。手に取る前から自分のものだと言わんばかりにだ。金でも力でもつがいでもそうだ。そんなやつばかりだ」

「は、はい……」


「でも取りには行かない。欲深いくせに臆病だからだ。怪我をするのが嫌だからだ。だから、別のやつに取りに行かせる。騙してでも、脅してでも、殴ってでも取りに行かせようとする。傷ついてぼろぼろになって崖の上まで他の誰かが持って上がった食い物を、大喜びして横取りするのが人間だ。それすらまるで当然の行為のように、誇らしげに横取りする。それこそが、それができることが知恵と力だと、狂った頭で考えている。私は見てきた。そんな人間を、もう反吐が出るくらいに見てきたんだアキラ。自分が道を外すだけでなく、自分の欲のために他人に危険を犯させる。道を外させる。人を巻き込む。なんでこんな話をするか、わかるか?」


「え? えっと」

「アキラ。私はなんで、こんな話をする?」


 ぐうっと。今度はアキラが考えて。しかし。ここにくる、その前に。


「え、まさか……」


 アキラはエイモスから〝石の話〟を聞いていたのだ。エイモス医師は、苦い顔をしている。おおよそ白猫の左目の理由を、彼は察していたのかもしれない。一気にまくし立てたロイが、目を伏せて言う。


「親が子供を、魔導師にするのだ」


「……なんで、そんなことを?」

「自分の左目だと、痛いからだ」


「いや! そうじゃなくて!」

「アキラくん」


 医師が言う。


「子供が魔導師になれば、その親の人生は安泰だ」

「そんな……」


「おまえがこの話を信じられないなら、私は嬉しい。アキラ。それだけでも嬉しい。流行ったのだぞ、人間の街で。普通ならありえない。冷静なら、できることではない。魔導とはそれほど魅力だ。自分の人生の逆転を賭けて。いちかばちかで、子供を改造するのだ」


 椅子の背もたれに。アキラが崩れるように身体を落とした。パメラのことを話す飛竜の鱗はやはり、深い皺のようだ。


「パメラは。失敗して捨てられた子だ。石を埋めている途中に獣化が始まって医者と親が逃げた。我々の隊が街に乗り込んだ時には、あの子は。寝床に縛り付けられ左目をくり抜かれたまま放置されていた」


 組んだ腕を解いて、テーブルに拳で置いて。しかし飛竜は続ける。


「あの子にとって、獣化は、さいわいでもあったのだ。傷が埋まったからだ。くり抜かれた目の穴は、新しい肉と皮膚で埋まった。だから出血も止まって、命が助かった」


 ロイが顔を上げた。


「そのかわり。あの眼帯の下には、なにもない」

「なにも……」


「そうだ。あるべき左目の跡は、残っていない。それを治せるのか? できるのか青年?」


=難しいな。侵襲と変態が同時に起こったなら、おそらく眼窩に腫瘤しゅりゅうが溜まっている。外科手術になるぞアキラ。その状況なら、まぶたが残っているか、正常に動くかどうかも不明だ。筋肉や瞼板けんばんが退化している可能性もある=


 声に言われて。さすがにアキラの眉間に深い皺が寄る。口元を掴んで考え込む。じっと横から見るエイモスが声を出した。


「君には、そこまでは無理じゃないかアキラくん。少なくともここでやるようなことじゃない。そんな器具も設備もない」


 そう言われても返事をしないので。ロイは上目遣いで。アキラを睨む。


「アキラ。諦めるなよ、簡単に」

「え?」


「私に嘘はつくな青年。おまえは、子供の目を治すのに理由は要らないと言った。だからパメラを治すのにも理由はいらないはずだ。一切の報酬もなくてもいいはずだ。お前は何も得られない。それでも必死に考えて、やってみろ。理由なく訊いたのだ。ならば最後まで関われ。途中で投げ出すな」


 椅子から立ち上がって。


「簡単なことだと思っていたか? 訊くべきではなかったか? 私はまた、人間に失望しなければいけないか?」


 挑発する飛竜に。アキラが強い視線を返す。


「俺、諦めません」

「当然だ。他者の秘密を知るには、責任が伴うのだ。知るだけなど、ただの野次馬だ。私は許さんぞ」


 ロイが微かに笑って言った。



 

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