第四十五話 虎と剣士


 蛇の管制室に映し出されている、クリスタニア湖を中心とした周辺数百キロリームの縮尺図を見ながら、虎が腕を組んで考える。ミネアも計器に肘をついてとんとんと盤面を指で叩きながら、地図に描かれた光の筋をにらんでいた。時折、大きな耳がひくっと動く。


網状脈ヴェインで間違いないのか?」

「うんっ」


 虎を見上げて大きくレオンが頷いたので、ミネアが操縦席に背を投げてふうと息を吐いて言う。


「辺境本部からも敵が出てくるんでしょ」

「迎撃は、ある。イルカトミアから連絡が入っているはずだ」


 後ろに立つダニーとロイも思案顔だ。せっかくの竜脈だが、厄介な流れになるかもしれない。



——網状竜脈ヴェイン=レーンとは。


 通常の一本で構成された竜脈と違い、細かい支脈の群が集まった光の道である。数キロリームの小さな航路が迷路のように連なり、時間によって現れたり消えたりする。脈を間違えば、機体が竜脈を外れてしまう。そんな時は隣のレーン魔導錨アンカーを撃ち込んで、飛び移らなければならない。


 ウォーダーの運動性能を考えれば、そんな迷路上の動きは得意なのだろう。しかし竜脈では竜紋態ドラゴニアが起こる。獣たちの魔力や筋力は格段に上がるが、持続力が下がる。長期戦や追撃戦にもつれ込むと不利かもしれない。しかも——


「出てくるのは突撃艦ハンマーでしょうな」

「げえ……あいつ、やだな」


 大袈裟に舌を出すのに虎が笑う。わざとミネアが余裕ぶって振舞っているのがわかるからだ。実際、状況はもっと深刻で、帝国の突撃艦ハンマーは蛇にとって〝天敵〟とも言えた。


 地球にあるような強襲艇ではなく、名前の通りそれは突撃してくる無限機動で最前面は動物のサイに似ている。異様に頑強で、鋭角な数本のツノが生えた兜のような装甲でまともに質量攻撃を仕掛けてくる。何千万ジュールの障壁だろうが関係なく突っ込んでくる。


 蛇の身軽さと体型は、そういう戦いでは欠点になってしまう。押し負けるのだ。一度でも突撃を喰らえば、角度によっては竜脈から弾き出されてしまいかねない。唯一押し勝つとしたら爆発的な防御障壁を発生させての正面衝突しかない。が、それでも内部は相当の反動を受けるだろう。


 さらに突撃艦ハンマーは、敵の魔法障壁に魔導錨アンカーを打ち込んでくる戦法を得意とする。徹底した肉弾型なのだ。


「マメに壁を切り離すか?」

「そうですな、炉が枯れることもないでしょう」

 飛竜が同意した。改めて虎が指示を出す。


「唸ってる時間がもったいねえ。レオン。リンジーに脈の航路ルートと時間をトレースしてもらえ。完成したらミネアは頭に叩き込め。遅くても日没までにだ」


「わかったっ」「やっぱそうなるよね」

 げっそりするミネアと対照的に返事の良いレオンに。苦笑した虎が念を押す。


「お前、少しはわかりやすく言ってやれよ。リンジーが頭抱えるぞ」

「おれはいっつも、わかりやすいだろっ」

 少年の頰が膨らむ。




◆◇◆




 湖のほとりにあるラザ村は、以前は岸向かいのクリスタニアまで小さな船便が出ていた。もともと村の家は少なく居住者も老人が主だったが、辺境本部が立ち上がってからは若い家族もいくらか村に逃げてきて、今は湖での漁と農業を営んでいる者もいる。


 その一家も山林の切り立った崖の下に畑を持って、崖から離れた道沿いに小さな家を構えていた。近所の子らが数人集まって畑のそばの空き地で遊んでいるのに、遠くから若い父親が声をかける。


「苗植えたばっかだからな。入るんじゃないぞぉ」

「はーい」「はーい」「あれっ?」


 子供の一人が。崖の上からひゅうん、と投げられて垂れ下がったロープに気がついた。見上げれば森から人が覗いている。目が会った。小さく見えるそのお兄さんが(しぃーっ)っと口元に指を当てていて。


「わあ」「すげえっ」


 他の子らも気づいたのだ。十数リームはありそうな崖の上からロープ一本でとーんとーんと身軽に片足で跳ねながら、最後は結構な高さから一気に地面まで、着ていた外套を広げてざあっと飛び降りてきた。女の子が怖がって父親の元に走ってきたので、大人もその侵入者に気づいて怪訝な顔をする。


 青年はぼろのポンチョに厚ぼったいシャツ、ポケットの多いズボンを着ていた。私服だ、帝国兵には見えない。が、その身のこなしから父親が警戒して早足でやってきて、子供たちを後ろに下げる。


「あの。なんのご用でしょうか?」


 青年が両手のひらを胸の前にあげて見せた。武器はなく、敵意もないというジェスチャーをする。だがシャツの袖から覗く両方の手首に光る腕輪は通信用なのだろうか、やはり軍人かと警戒を強める父親に、ちょっとカールのかかった金髪を揺らしてなつっこく言う。


「えっと。怪しい者です」「は?」


「そりゃ怪しいですよね、わかります。ご迷惑はおかけしません。この辺りって、あっちからモノローラの巡回が飛んできますか?」


「……たまにですね。抵抗軍レジスタンスとかじゃないでしょうね。厄介ごとは持ち込まないでくださいよ」

「いえ、北から来ました」「北から?」


 父親が拍子抜けした。抵抗軍レジスタンスが活動しているネブラザは南だ。青年が続ける。

「ちょうどいい場所がなくってですね。ここ、空いてます?」

「ここですか? まだ耕してないので」

「じゃお借りしますね」「あ、あの」


 訊ねようとする父親にかまわず青年が腕輪を操作する、と。微かに緩やかな振動音が辺り一帯に響いて、崖の上の木々がざわざわと揺れて。


「……うああ」「なにあれっ」


 本当に静かに、低速で。周囲に白いベールの膜を被った大型の乗り物が崖の上に姿を現した。木の葉がはらはらと舞い落ちてくる。薄青色の光を発した機械の底面が、全員の頭上にだんだんと近づいてきた。後退あとずさりながら呆然と見上げる父親に、青年が訊ねる。


「食べ物の交換って、できます?」





 近くの家からも数家族が、かした芋やさばいて焼いた魚の切り身を持って来てくれたので、逆にフューザが子供たちに携行食レーションを分け与える。やはり甘みが強いものは人気がある。


 いくらか話をするうちに、だいぶ気を許してきた子供らの父親が三人、フューザを囲んで畑のそばで話し込んでいた。こちらが広げて見せたのはクリスタニア市の最新の地図だ、が、そこに例の奇妙な建造物は書き込まれていない。持っていた鉛筆で赤く丸をつけていく。

 きゃっきゃと喜んでヴァルカンのボンネットをぺたぺた触っている子供らから少し離れてバクスターは、村人に聞こえない位置で湖を遠目に見ながら腕輪に話していた。


「画像は届きましたか?」

『届いた。なんだろうなこれは? 全部で六機か?』


「六機です。村の者たちの話では、ここ半年ほどで突貫で建てられた物らしいですな。実際に運用されたところは誰も見たことはないそうですが、数回、実験らしきものはあったようです」

『実験?』


「空に向かって円盤が輝くそうです。魔力の発生装置のようですが、光線も光弾も発射されません。なので、実験かと」


『不可視なだけかもしれんぞ、そういう魔導もある。しかしこれだけ大掛かりな装置に炉が見当たらないな。ケーブルの状態から見て地底か湖底か。もう少し近づくのは無理か?』


「難しそうですな。建造が始まってから辺境本部付近の湖面を異様に警戒していて、数キロ範囲でモノローラが巡回、民間船の進入も漁も今は禁止だそうです。船便も止まっているので近隣への物資は陸路です。逆に湖の対岸と山地は手薄らしい、と……村の連中からです」


 そこまで言って振り返れば、フューザが若い父親たちとしゃがんで談笑していた。崖から双眼鏡で見下ろして、話す相手をあの父親らに決めたのも、食糧の交換してみましょうと言い出したのも彼なのだ。強面の自分とは違って、なんだか自然に他人と打ち解ける術を身につけているらしいとバクスターが苦笑して、通信に戻った。

 

「近隣に顔を出して大丈夫でしたかね」


『疑われてないんだろ? 湖面に探波ソナーを打つよりはるかに安全だ。拾える情報はなるべく拾っておいてくれ』


「了解しました……所長」『うん?』

「蛇は、こちらにくるのですか?」


 やや間があって、通信の向こうのマインストンが答えた。


首都エールカムから砲撃艦リボルバーが出たはずだ。私の相棒が乗ってる。負けず嫌いでな。あいつが蛇を、東に越境させるはずがないんだ』


 暢気な声にバクスターが呆れる。

「それならそうと、言ってくださったらよかったのに」

『勝ち負けに確実はないさ』


「まあ、そうですな。——ひとつだけ。蛇と辺境本部が戦闘になったときは、我々はどちらにつけば良いですか?」


『判断は任せる。責任はすべて私が持つ』

「わかりました」


 通信の終わったバクスターがふと振り返ると、さっきまで道端でしゃがんでいたフューザと村人たちが立ち上がって、少し湖を指差しながら何やら話しているので近づいて訊ねる。


「どうした」

「あ、なんかですね。湖に投棄してるらしいんですよ」

「投棄? 何をだ?」


 村人の一人が答えた。


「あんまりしげしげ見てて捕まるのも藪蛇なんで、わかんないんですけどね。網にいっぱい詰まった……石ですかねアレは。夜中にすっげえ音が聞こえるんですよ。あの、なんですっけ、輸送船の」

「ベスビオ?」


「ああ、それ。ベスビオが浮かんでるんですよ。夜中に。網を抱えて」

「網に石が詰まってるのですか? どのくらい? 何回くらい?」

「何度もありましたよ、あのでっかいの建ててる間じゅうです」


「結構な量ですね」

 フューザの言葉に、バクスターが顎髭を撫でる。




◆◇◆




 昼食に出た医師と入れ替わりに治療室に入っていたのはノーマと、そしてケリーであった。すうすうと寝息の落ち着いた火炎豹クーガーの少女はすでに裸ではなく、リリィとモニカが着せてやったキャミソールに、薄いシートを頭の下に敷いて、枕の側から狼が髪をいて揃えていく。


 右手に持ったハサミを少し止めて体を起こして、ふうっとケリーが眉間に皺を寄せて息をつく。三角巾を外した腕をくいくいと動かせば、まだ痺れるような痛みが消えない。心配そうにノーマが顔を覗く。


「大丈夫? 代わる?」

「いや。夕方までには慣らしとかないとな。まずいだろ、さすがに。リリィ右向けてくれ」

「あーい」


 言われてウサギがそっと少女の頭を傾けてやる間に、狼が右肘を外に張り出す。やはり痛い。獣の回復力はヒトに比べて尋常ではない、が、さすがにまだ動かすには早いはずなのだ。

 それでも狼は銀色に毛羽立った少し震える指先で、ざっざっと娘の頭頂部から縦にハサミを流しながら整えていく。寝た子の髪を梳くのは難しい、狼のは器用で良い仕事だ。敷いたシートにさらさら金髪の細毛がこぼれて落ちる。


 この蛇の中で、魔導機の整備と獣たちの散髪トリミングはおおむねケリーの担当で、他のものには任せられない。下手をすれば取り返しのつかないことに——以前リリィに子供らの散髪を任せた際にリザが大変なことになって大泣きされたのだ——なるので、ノーマもそれ以上は特に押さずに丸椅子に腰を戻した。部屋向こうに設えた小さなシンクの前ではモニカが座って、ぬるい茶を飲んで一息入れている。


 左手の指先で娘の金髪をつうっと根元からなぞると、途中から急に枝毛になって荒れているのが分かった。そこから先は魔力が届いていない証拠で、起きたら無意識に爪で掻いて引きちぎってしまうだろう。〝隠身おんしん〟の際にも邪魔になる。だから眠っているうちに削いで揃えていく。ただ、この子は相当に元素星エレメントに偏りがあったので、ヒトの姿に化けるのは苦手な部類だろう、と狼が思う。


「けっこう思い切り削ぐのね、起きたらショックかも。綺麗な髪なのにもったいないわ」

「髪どころじゃないだろう、鏡を見れば獣になってんだぞ」

「そっか」

「そうだ。——リリィ、あとでもう一度着替えさせて、毛を軽く洗ってやってくれ」

「あいあい。ね、かわいいよねこの子」


 少女の頭を撫でながら、ウサギが耳をぴくぴくと振って二人に聞く。少し笑って狼が答えた。


「かわいいな。高く売れる」「げっ」

 リリィが引くが、ノーマも続けた。


「売れるわね。狩られたら終わりだわ。ろくな人生じゃない」

「アルター側とファガンには降ろせないな、誰か里親つけるなら断崖船渠グランドックのボスのところか……」


ラーマに預けるかね」

 少し離れた席のまま、ずずうっとカップの茶を飲みながらモニカが言うので。ちょっと首をあげたケリーが右手をあげてハサミをぱちぱちと鳴らした。


「飲むのかい? 狼にはにがいよ」

「薄いの淹れてくれ。ぬるいやつ」


 ノーマとリリィもすっと手をあげる。モニカが席を立つ。棚から普通のを一つ、浅底で広口のカップを二つ出して。


「——火星イグニスに寄ってるってのも、あるんだけどね。魔力マナも相当強いよこの子は。ちゃんとしたとこに置いとくのが、事故がないと思うね」


「ああ、火星イグニスだと確かに事故が怖いな」

「だろ? せめて初歩の制御くらいは、いい師匠がついたほうがねえ」


 冷水に外だけカップを浸して茶を淹れて。からからとカップをモニカが揺すって言うのだが。ふっと、会話をそこで打ち切ったかのように。ケリーがハサミを動かして言葉は何も続けない。やや間があってノーマが呟いた。


火星イグニスの師匠かぁ……」

 狼のハサミが止まる。ちょっと横目で。


「艦長に無理、言うなよ?」

「なによ、言わないわよ。思っただけじゃない」


「……艦長の火星イグニスは封印だ」


「ザノアの話はしないで」

「してないだろ、思っただけじゃないか」


 妙な雰囲気にリリィが二人の顔を交互に見るので、ノーマが苦笑した。


「別に喧嘩してないわよ」

「そお? ザノアって、あのほこり被ったモノローラの人よね?」


 小さく数回、ノーマが頷く。狼は目を伏せて、またハサミを動かし始めた。格納庫の奥にある今はもう誰も乗らない機体には、ずいぶん前から。それはウサギがこの蛇に乗った時からシートが被せてあったのだ。その乗り手の事は、リリィも。モニカも。断片的にしか知らない。初期の乗組員クルーが、あまり語りたがらないからだ。


 リリィが知っている断片は。

「クレアって人の旦那さんなのよね?」


「〝元旦那〟ね」「元なの?」

「捨てたの」「おい。ノーマ」


 珍しく困った顔でケリーが狐を睨んで。

「やめろ。お前だって嫌いじゃないんだろ?」

「嫌いじゃないわ。許せないだけ」


 ノーマが狼の視線を外して。軽く手を振って。

「……ごめんなさい。ザノアの気持ちも痛いほどわかる。でも相談もなしにって、ひどいと思う。わたしはね。納得できない……今でも」


 辛そうに声を絞るノーマに、狼が、ため息を吐いた。

「俺だったら、と、考えるとな」


「いなくなるの? 黙って? 何も言わずに?」

「声が大きい、この子が起きる」


 ぎゅっと口元に手を当てたノーマの苦し気な眉間にさらりと長い金髪が垂れて。あまりそんな仕草も見たことのないリリィは心配そうで、しかし。かちゃかちゃと盆にカップを乗せたモニカが寄ってきて言うのだ。


「どうしたんだい、らしくないじゃないか。飲みなよ。苦いよ、ちょうどいいだろ」

「……ありがと。なんでちょうどいいの」

 ノーマがそっとカップを取る。


「落ち着くんだよ。ほら。そっちも」


 モニカに言われるままに。ケリーも体を起こしてハサミをおいて、リリィも手を出してカップを取る。皆多くを語らず口をつけ、ケリーが一言だけ。


「まだ苦いな」

「慣れるしかないね、苦味ってのはね。人生も一緒さ」

「年寄り臭いなあ」

「しょうがないね、魔導の出だ」

 モニカが笑う。






 疾風の斬撃を操る人間の剣士がいた。

 豪炎の魔導を操る虎がいた。

 奇跡の魔法を身に秘めたクレセントがいた。


 クレセントは、人間に降りた。

 剣士を愛していたからだ。


 戦争が起きて。

 剣士と虎は、漆黒の騎士に挑んだ。


 クレセントは残された。

 その奇跡の呪文を護るため、彼女は隠された。



 闘いはおよそ闘いと呼べるものでは、なかった。

 黒騎士には、彼らの一切が通用しなかった。


 魔力が完全に枯れた血まみれの、

 瀕死の虎は地に伏して、


 立ち上がれなかった。

 立ち上がれなかったのだ。だから。


 最後に立ち上がった剣士が、

 力を振り絞って牙を剥いた剣士が。

 それを受けてしまった。


 悪魔の呪文を。


 利き腕は、肩から腐り落ちて。

 声も出せずに膝をついた片腕の剣士の、

 眉間に突き刺さった黒騎士の指が。


 その頭蓋から黒色の石を抜き出して。

 虎の叫びは天に届かず。


 石は。砕かれたのだ。



 剣士は、剣の使い方を、うしなった。

 人生を賭けてきた技は、消えてしまった。



 そして剣士も、いなくなってしまった。

 理由は、虎も聞かされていない。


 クレセントの力を捨てて人に降りて、

 人を愛して生きようと決めた彼女は、


 まだ。修道院で孤児たちを見守りながら。

 剣士の帰りを、待っているのだ。


 その呪文から、セトの〝魔女〟と。


 さげすまれ、恐れられながら。






「——せめて、右腕だけでも治療しに戻ればよかったのよ、クレアにはそれができたのだから」

 カップを口元から離してノーマが呟く。


「腕が戻っても剣技が戻らないんじゃあな」

「だからって」

「俺らがもっと、強ければな。あの二人のように」


 静かな狼の台詞に、狐は言葉を詰まらせる。クレアの元に残されたケリー、ノーマ、ダニーの三人は、死にかけて運ばれた虎の姿を見て、ただ道端に崩折れた事だけを覚えている。それもまた苦い記憶だ。ノーマが軽く首を振る。


「いても一緒だったと思う」

「そうだ、それが悔しい。俺は今でも再戦したいと思ってる」


「無理よ。いっそウォーダーで突っ込んだ方が良かったかもしれないわ。それでも黒騎士には勝てる気がしないけど」

「えええ、無限機動でも勝てないんだ、やっぱり」


 呆れるリリィに狼が苦笑する。が、また思案気な表情に戻って。


「だから艦長も火星イグニスに頼りっきりなのは止めた。あの頃の艦長の火力はとんでもなかったんだ、それでも、まったく通用しなかった。あれを倒すには、なにかもっと……別の方法が必要だ。だが……それが、わからない」


 かちりと。苦いと言いながらも飲み干したカップをモニカの盆に返せば、当のネズミがケリーの顔をじっと見ている。


「なんだ、モニカ」

「再戦したいのかい?」「うん?」


「別の方法は、あるかもしれないねえ」


 モニカの言葉に全員が固まる。最初に声を出したのはリリィだった。


「……アキラくん?」


 それにまた狼が驚く。


「なんで、ここでアキラが出てくる?」

「ええと。わかんないけど、そうなんだよね? モニカ」


「なんだい、あんたも思い当たる節が、あったのかい?」


 いぶかに。ノーマがモニカに向き直った。


「あなたがそんな冗談を言うはずないと思うけど。私たちにとっては、黒騎士のことは半端な話じゃ、済まないのよ? 本当なの?」


「ほっそい線だよ、ノーマ。蜘蛛の糸より細い。あんま当てにしてもらっても困るんだけどね、あいつはシュテに行きたいんだろ?」

 ぶんぶんと。ウサギが耳を振って大きく頷く。


「じゃあ、連れてってからだ。じゃなきゃわかんないね。まずはクリスタニアを抜けなきゃ話になんないんだケリー。腕の痛みは消えたかい?」


「十分だ」「そうかい、焚き付けて悪いね」


 笑うモニカは思うのだ。やっとあの頭でっかちどもから離れたというのに、また里帰りとは。今の自分の姿を見て、妹はなんて言うだろうか? 泣きべそだから、また泣いて謝るのだろうか?


「苦いのには、慣れないねえ。なかなか」




◆◇◆




 ダニーとサンディの二人はぱちぱちとひたすら動力室の計器盤を調整する振りをして忙しそうにしていた。その背中、中央のテーブルから途切れなく聞こえるのだ。


 はっはっはっはっと舌を見せながら。


「じゃあこっちだねっ。三番から二番に戻ればいいんだよねっ」

「そうだぞっ それからこっちかな」

「そっち六番じゃない?」「うん?」


「六番まだ出てないんじゃないの?」「だったっけ?」

「うんうんっ。三番から三十分後だよねっ。出てないよっ」


「じゃあ おちちゃうぞ」「だよねっ」

「ななばんに いこうかなぁ」

「七番は六番の後だよねっ。だからまだだよっ」

「じゃあ おちちゃうぞ」「だよねっ」


「じゃあこっち ろくばんにしようか」

「しようか? しようかなの?」「うんっ」


 レオンの笑顔が可愛い。はっはっはっはっと息をしながらリンジーが対面の笑顔を見て。かしかしと地図に消しゴムをかける。


「ええっと。五番がズレるから。ええっと」

「これが ごばんっ」「そうだねっ」

 かしかしかしと地図に消しゴムをかける。


「なんか みづらいなあ」「あははははは」

「もっかい かこうかなあ」


「もっかい! そうだねっ。今度はサンディが」

「あたし書かない」「サンディっ。サンディっ」



 やがて夜が来る。竜脈が、やってくるのだ。


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