第五章 決戦クリスタニア〜無限機動ハンマー・弩級幻蟲ドラックピード登場〜

第四十三話 辺境の傀儡


「医務室に頼むログ。艦長、回収しました」


 格納庫まで引っ張り込まれた搬出便ポーターから飛び降りたアキラたちを待っていたのはロイとログ、そして副砲車両から戻ってきたケリーとノーマだった。


 飛竜の指示に頷いて、激しく熱を発する少女の身体をものともせず、岩のログが軽々と抱え上げて医務室に向かう。子供たちが先導して走る。キャリアーの端にもたれかかったままぜえぜえと息を吐いて余熱を冷ますサンディの汗を、ノーマが厚手のタオルで拭いてやる。


「がんばったわね、サンディ」

「え、えっへへ」

 べたべたの顔で犬の娘が笑う。


 魔力を解いたアキラは席を降りてロイに頭を下げた。

「お手数かけました、ロイさん」


「かまわん——獣化とは、稀有な出会いがあったものだな青年」

「えっ、そんなに珍しいものなんですか?」「なに?」


 その返事にロイだけでなく、犬と狐と狼も反応したので。若干の沈黙にアキラが声を出す。

「あ、あの?」


「……アキラ、見に行ってこい」

「彼女を、ですか?」


「モニカが許せば、だがな。見ておいたほうがいいかもしれん」

「わかりました。行ってみます」

 また頭を下げて格納庫を後にする背中を目で追って、ノーマが呟く。


「……彼って、ホント変わってる」

「そうなんですよッ!」「きゃあ」


 思い切りサンディが食いついてきた。喋りたいことが山ほどあって狐の両肩を掴んで揺する犬の娘の向こうで。同じく前方の出口を見つめていた飛竜の後ろから、銀狼が声をかける。


「何も知らないってのも、考えものですね。危うさすらある」

「あれは、力に釣り合っていない。だが……」


 わずかに目を細めるロイに。ケリーが言う。

「知れば変わってしまう者もいる、ですか?」


「うむ。知ることもまた、危うい時もある」




◆◇◆




 ゆっくりと操縦桿を操るミネアと、その席の横に立つ虎の元にダニーの報告が届いた。


駆動音トーン確認なし。追撃はないようです』

「わかった。通常飛行に」『了解です』


 そのやり取りにミネアが少し肩の力を抜いて背もたれに体重をかけて、虎を見上げた。

「——獣化なんて、ずいぶん久しぶりだね」

「そうだな」

「よかったの?」「うん?」

「アイルタークに向かったほうが安全だったんじゃない?」


 虎が少し考えて言う。


「もう普通に人が暮らす街には、降ろせないだろう。預けるとしたらウルファンドか、ひょっとしたら——」

「ここに残すつもり?」「嫌か?」


「わからない。艦長に任せる……アーダンで彼を拾ってから、なんだか、いろんなことが起こるね」


 ミネアの言葉に、ごつい手のひらで虎が顎を撫でる。眼前のモニタに映る午後のイルケア山麓に目をやりながら、思うのだ。それを。遠い昔に聞いたことがある。あれはラーマの僧院の巫女であっただろうか。


——運命は目に見えるんだよ。流れが急になるとね、いろんなことが起こるの。それは〝しるし〟だからね。もっともっと、大きなことが起こる〝しるし〟。見逃しちゃダメだよ、イース。——


 薄紫の髪をなびかせた僧竜の隣で、金髪の少女は。たしか、そんな風なことを言っていた。


 また、ミネアが訊いてくる。

「どうしたの? 考え込んで」


「たしかにあいつは不思議だ。なにかの〝しるし〟かもしれんな」


 話す二人の声を少し離れた席で、赤毛の少年は両手で杖を抱えて。きいきいと椅子を揺らしながら黙って聞いているのだ。




◆◇◆




 廊下に白猫のパメラの姿はなかった。厨房組の二人もいない。リッキーに聞いた話だと、怯えたパメラを放っとけずにフランとシェリーが食堂車で付いてあげているらしいのだ。幻界の時も怖がっていた彼女は、獣化にも過敏になるらしいが、その理由は今は、わからない。


「中、入るの? アキラさん」

「うーん。ロイさんに言われてね」


 リッキー、エリオット、リザの三人はモニカにここまでと言われて廊下で成り行きを見守っていたのだ。ログも彼女をベッドに寝かせてからは外にいたので、横でアキラの言葉を聞いて、頷いてドアを軽く叩いた。しばらくしてモニカが顔を出したので、その旨を話す。


 ネズミの彼女が少し考える。

「……ちょっと待って、先生に聞いてみる」


 一旦引っ込んだモニカが、また顔を出し扉を半分だけ開いて手招きをする。

「あまり気分のいいもんじゃないよ」


 医務室にアキラが入った。こういう病室の雰囲気は、やはり慣れない。一番奥のベッドから微かに聞こえてくる呻き声と手前に座るリリイの背中と、奥で何か処置をしている医師の姿が目に映った。


 振り向いたリリィにちょっとだけ目配せをして、その背を回ってベッドの縁に立って。ただじいっと無表情で見るアキラの様子を医師もまた、ちらと視線を送った。


 服が脱がされ血に汚れた薄い上掛けが体半分ほどかけられた、横たわる少女の頭部はほぼ獣化が終わっていた。この蛇に乗る獣たちと同じく、その顔は半人半獣といった風貌で人の面影を残しながらも顔全体が独特の、体液で濡れた土色の毛でべったりと覆われ、鼻先から口周りだけが白い。


 その横にはぐにゃぐにゃと薄い色の人間の皮膚が、崩れたデスマスクのように剥げて寄り固まっている。首筋からうなじ、その下はまだ人間の皮膚が皺になってあちこちが裂けて血が滲み体毛が顔を出し、裸の女性の身体でありながら、まるで獣が作り物のヒトの身体を脱いでいるような、そんなグロテスクな様相をなしている。


 どのような元素星の処置をしたのか、もう彼女の体からは強い熱を感じない。皮膚がきれいに剥がれているのも、そのためなのかもしれない。まだはあはあと息は荒く、薄く開いた少女の目は焦点が合っておらず意識の混濁もあるようで、車に乗っていた時のような激しい暴れ方もしない。むしろ一段と弱っているかのようにすら見えた。


 裂けた顎に半開きになった口からは真っ白な牙が見え隠れする。わずかに血がついている。ふと見ればリリィの手元のベッドの脇に小さな金属製の容器が置かれていて、その中に、根っこに肉片の付着した抜けた人間の歯が、ひとそろい溜まっていた。


「……生え変わるの? 全部?」


 湯を絞ったタオルで少女の体を拭くリリィが細かく頷く。

 アキラが口元に手を当て考える。合点がいかない。


 こんな劇症と苦痛を伴う変化とは思わなかった。まるで昆虫の脱皮か変態のようだ。街で見たリッキーやエリオット、あんなに一瞬で姿を変える彼らの手慣れた変身と、一体何が違うのだろう? 


=初回だけなのかもしれない=

(やっぱ、そうなのかな)


=おそらくな。魔力に反応して変化する細胞が一気に目を覚まして、上澄みの人間の組織を細胞死させて排出するのだろう。この娘からは強い魔力の反応があった。適切な例えかどうかわからない、が、アキラ。この魔力と獣化の関係は——=


(ひょっとして、癌に似てる?)


=その通りだ。細胞のガン化に、もっと言えば放射線障害のガン化にも似ている。魔力を浴びて、それに応じた細胞が優勢になるのだ=


 もしそうであるならば。あるいは。

 アキラが医師に声をかける。

「獣化って、命が危ないケースもあるんです?」


 娘の剝げかけた肩の皮膚を丁寧に削いでいた医師の手が止まり、少し顔を上げて答えた。


「と言うより、ほとんどの場合は死んでしまうな」

「えっ」「え……」


 意外に、その医師のセリフに反応したのはアキラとリリィの両方だ。モニカは黙ってこぽこぽと音を立てるポットのお湯を洗面器の水に混ぜている。


「獣化で生き残るケースは二つしかない。発現した元素星のバランスが相当良かった場合と、今回のように元素星エレメントの制御ができる者がそばに付いている場合の、二つだけだ」


「この子は? かなり火星イグニスが強かったと思いますが」

「我々が保護しなければ、自分の高熱で死んでいただろう」


 黙り込むアキラに。また医師が治療を続けながら言う。


「家族がいても、普通の人間ではどうしようもないだろうな……水星ハイドラに寄れば体温が下がり続けて死んでしまう。大地星タイタニアだと体の水分が失われて内臓が機能不全に陥る。一番悲惨なのは風星エアリアだ。全身のあちこちの血管が詰まる。一刻を争うし、最も助けるのが難しい」


塞栓そくせん……ですか」


「獣化といえば聞こえはいいが。実態は、人間の体内での〝魔力の暴走〟だ。その過程で、ヒトが獣に変化する。獣の種も一定ではない。理由は——わかっていないのだ、なにひとつ」


 今度はしっかりと。その義眼でアキラを見上げて。

「だから、やまいとして恐れられている。獣はな」


 エイモス医師の言葉を、じっと聞いていたのはアキラ一人だけではなかった。途中から手に持つタオルが止まってリリィが耳を傾けて、やがてまた少女に向き直って。ゆるく縛られた両手首の先の爪を拭いてやりながら、呟く。


「バランス良かったのかなあ。あたしは」

「え?」「ううん」


 聞こえたアキラに何も答えず。また、ウサギの手が止まった。




——生き残った、ということだけ思えば。あの状態も幸運だったのだろうか。と。


 母親はとうの昔にいなくなっていた。酔っては娘に手を上げていたろくでなしの父親は逃げ出して、部屋の中は片付けられている風もなく異臭を放ち、汚れて散らかったタオルや下着のあちこちに古い血が固まっていたのだ。

 自分の体臭とえた臭いのシーツと、吐き気とに。朦朧として。そして。耳は人間の耳では、なかったのだ。ぱりぱりに固まって汚れた産毛に包まれた両腕を見て、顔を撫でて。そのまままた、気を失って。それを何度も繰り返して。


 最後にはっきりと目を覚ましたのは、家賃の滞納に腹を据えかねた大家が合鍵で扉を開けて飛び込んできて、自分の姿を見て大声で悲鳴を上げた時だ。

 その瞬間の身体の反応を、まるで昨日の事のようにリリィは覚えている。思考だけが霞がかかったようで、しかし本能的に。ガラスごと窓のさんを叩き破って隣の屋根に飛び出して。身体を捻って四つん這いで飛び移って、投げつけられた花瓶を軽々と避けて、さらに跳んで逃げて。


 獣が逃げたと街中に声が広まるのは、あっという間だった。でも最初は盗むこともなく、ごみの山に捨ててあった子供の服と破れた靴を見つけて、虫の湧いた残飯を手で払って食えるところだけ食って、裏道の陰に隠れてうずくまって眠っていた。

 雨に打たれていても眠れるようにもなった。誰に迷惑をかけたとも思わないウサギの子は、街の人間の目に留まれば棒や刃物で追いかけ回されていたのだ。——


 目の前で少女がはあはあと継ぐ弱々しい呼吸は時折止まりそうなほどにも感じる。こんな状態で見つかっていれば。捕まっていたら。確かに生きて今ここに居ることもなかったかもしれない。それだけを思えば幸運だ。


 思いながら、そっと少女の脈を図る。細く早く波打ってはいるが乱れてはいない。触れた手首の皮もずるりと向けて、ねばねばとした体液の内側に体毛が見える。


 自分の時は、どうだったのだろう。自分ひとりで、何度も着替えた跡があった。それも記憶がない。あの呑んだくれは、どの段階で自分を捨てて逃げたのだろう。少しは看病しようとしたのだろうか、なんとかしようとしたのだろうか。考えても仕方のないことだし、リリィはすでに人間に、そんな期待も抱いていない。


——匂いを、感じるようになったからだ。わかるようになった。怒り、蔑み、嫌悪、そんなヒトの放つ感情の匂いが。呆れたことに男どもの中には、こんな汚れにまみれた年端もいかない獣に、卑しい情欲の匂いを放つ者すらいた。やがて石を放ち追い回す連中の匂いに、愉悦や嘲笑と欲望の感情が混ざり始めた頃、自分に懸賞がかけられていることを知った。


 懸賞の元締めは街の有力者だった。一度だけ近くで嗅いだその匂い。裏道に仕掛けられた網に引っかかって捕まって、目の前に連れ出された時。


 その強烈な嗜虐の匂いに、気が狂いそうになって。


 捕まってはいけない。もう戻ってこれない。そう感じたウサギは全力で網を引きちぎって男が伸ばした手を振り払ったのだ。悪趣味な指輪をはめた男の指が数本ちぎれて飛んでいったことだけは、ぼんやりと覚えている。それからのウサギは遠慮もなかった。扉を叩き割り、店の食えるものを盗み、逃げて逃げて、しかし彼女を追う者たちも明らかに街の住人ではなくなって。


 それは怒りに我を忘れた元締めが雇い入れた本職の狩人たちだったようだ。ぎりぎりの逃亡が、それでも二十日ほどなんとか続いたのは獣の身体能力の賜物だったかもしれない。腕を折られて、耳がちぎれかけてぶらぶらに垂れ下がって、何日もなにも食わずに飢えと疲れで限界まで追い詰められて、諦めかけた土砂降りの日。


 押しつぶすような雨雲から。

 蛇が舞い降りたのだ。


 狩人たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。鋼鉄の、巨大な蛇から降りてきた獣たちの影を遠くに見つけて。這いずって這いずって水たまりに膝をついて、折れた右腕をそのままに、ばしゃりと音をたてて頭を垂れて。


「お願いです。お願いです。乗せてください。助けてください。連れていってください。お願いです。助けて。」


 あの時、目の前のまだ幼い雉虎の子が、降りしきる雨にかまわず傘を差し出してくれなかったら。自分は——



 手の止まってどこを見るともなくぼんやりとしたリリィの目から数滴、涙がこぼれた。驚いたアキラにちょっとだけ顔を上げて「えへへ」と笑って、目を擦って。また腕を軽くぱんぱんと拭き続けた。モニカは何も言わずに湯を混ぜて少女の足を拭く。


 もうバケツに何枚もタオルを漬けるほど粘ついた体液が身体から滲み出ているせいなのか、ネコ科の顔つきに変化した彼女の鼻先は乾いてからからに見える。エイモス医師が毛羽立ったひたいに手を当てて熱を測り、ベッドの脇に置かれた吸い飲みを口に入れてやれば、まだこの身体にも顎にも慣れていないのか飲みにくそうに不器用そうに舌先だけが動くのがわかる。


 この娘を看るのは、それなりに時間がかかるのだろう。

 積もったタオルの山を見たアキラが袖を捲る。


「洗ってきます。水洗いでいいですか?」


 三人がいっしょに顔を上げる。モニカが答えた。


「頼もうか。洗い場は外のみんなが知ってる」

「はい。聞いておきます」


 素直に従うアキラを見つめて。

 ウサギが思う。


 すでに人間に期待も抱いていない、そのはずだったのだけれど。




◆◇◆




 まだ空を警戒するモノローラが、道路の向こうに繁る中央公園の森林から川を渡った工業団地へ、そして西大橋の上流へとひっきりなしに飛び交う中、道の真ん中にまとまったキャリアの脇で二人の隊長はそれぞれに報告を受けていた。


 川を見渡す第三隊長に、調査を終えた数人の兵士が傍で話す。

「本通りの市で目撃情報があった他は、足取りが追えていません。いつ頃から街に侵入していたかも不明です」

「川の上流は? 蛇の隠れる余地があったんだろ?」


「可能性があるのは山間部の地下採石場ですが、昨夜は遅くまで作業が行われていまして、そんな巨大な侵入物があるなら気付いていた、とのことです。もし蛇が地下水路に潜ったなら、深夜遅くかもしれません」

「それで朝方に市場で呑気に買い物か? 帝国がいる街に干物でも買いに降りたのか? 獣たちが?」

「さあ……なんとも」


 蛇の痕跡は消えていた。まるで街全体が口裏を合わせているようだ、と。あながち外れた想像でもないのだが、それも知らない第三隊長が考える。下流からばたばたと吹きこむ風に髪をなびかせるにまかせて、目をやれば離れた路上ではいつまでも市長への尋問が止まない。


「いや、おまえいいかげんにしろ市長。知らねえはずねえだろうが」

「本当に、本当に。何も私は聞かされておりませ——ひッ」

 がしゃっ! と右腕に設えた魔導銃ブラスターの太い銃身を第四隊長が市長の右肩に乗せる。それでぺしぺしと軽く頰を叩きながら。


「ほんっとうに。ばっかりじゃねえか。頭にちゃんと血が回ってんのか? 今の皇女さまに感謝しなよ市長。なあ。前帝の頃ならいいかげん首が飛んでるぜ」

「はっはははい」

「てめえが知らねえならな。何か知ってるやつとか、いねえのかって聞いてんだぞ?」


「それがっ! まあったく! まったく心当たりがありませんでッ!」

「ああうるっせえ! わかったわかった」

 最初からせわしなく汗を拭き拭き、市長が震えて怯えているので、嘘か本当かわからない。下手に平静を装われるよりタチが悪い。はあっとため息をつく第四隊長に、キャリアの運転席の兵士が早足で寄ってきた。


「本部より通信です!」

「あん? 蛇を追っかける目処がついたのか?」


 その兵士が声をやや落として。

「それが……ムルバオ大隊長からです」「は?」


 第四隊長があからさまに渋い顔をする。自分の隊はネブラザに派遣中なのだ。街で油を売っているのがバレたのだろうか? 待たせても仕方がないので、右腕の銃身を大きく振って第三隊長を呼ぶ。怪訝な顔をしてやってくる彼女に。


「本部隊長だ」「えっ」

 市長を離れた場所にやって、通信を切り替える。

『三……三隊と。四隊か? きさまら!』


「はい」「こちら、三隊です」

 腕輪から発するのは野太い年老いた男のダミ声だ。明らかに機嫌が悪く、やや焦ったようにも聞こえるその声が、不愉快そうに続ける。

『なぜ四隊の隊長が、イルカトミアにいるのだ!? ネブラザの応援に飛んだのではないのか!』

「街で残務がありましたので」


 しれっと言う。第三隊長が睨んで、しかし何も言わない、今はそんな場合でもない。逆に四隊長が声に訊く。

「それよりイルケア領に蛇が侵入しているとの連絡がありませんでしたが? それがあれば警戒しておりました。他の隊からの報告はなかったんですかね?」

『私が知るか! うおおおっ!』

(おいおい大丈夫かこのおっさん)

 思わず四隊長が腕輪から顔を離した。奇怪な調子で声は続く。


『蛇は、蛇は、一隊が追跡しておったはずだ! ううう! どこでどう隠れてイルカトミアに侵入したのか、情報は拾ったのか!?』

「はっ、市長はじめ現地の人間より収集しております。まだ目立った目撃がなく」

 横から真面目に第三隊長が答える、が。


『そんな市長は銃殺しろ! すでに移住者を捕獲しておるだろうが! 拷問してでも聞き出すのだ!』

「大隊長。捕獲対象に拷問などできません。帝都ルガニアに知られたら大ごとになります」

『なにが大ごとだ! 耳でも唇でもはさみで切り落とせッ!』

「そんな命令には従いかねます!」

 腕輪に向かって大声で言い返す彼女の横で。さすがに第四隊長も顔をしかめる。元来ががさつなので殴ったり蹴ったりはするものの、さすがに昔の自分でもそんな陰惨な真似はやったことがない。


 いよいよ、おかしい。そう思う。


 ガニオン辺境防衛隊は全隊で五千人ほどの兵が二十の中隊に分かれて、大陸の東部に配置されている。アイルターク国とウルテリア・アルター国境の警備とカーン・イルケア・クリスタニア・ネブラザの巡回を兼ねた辺境隊にしては異常に少ない人員ではあるが、そもそも魔導の軍に兵士の人数は意味をなさない。


 百人、二百人が、一瞬で吹き飛ばされるのが魔法の戦闘なのだ。本気の戦いなら魔導師の一人ふたりでも派遣した方が早い。これらの人員は主に魔導を使わない一般市民、一般の国々を対象とした示威が目的で、そこでも無限機動や魔導機といった機械が主役だった。動かせる人間が足りていればいいのだ。


 だからやる気がないのか知らないが、辺境隊の本部隊長ムルバオは昔から統率力もない男だった。辺境を任されたのが都落ちとでも思っているのか、退任まで無難に過ごすためなのか、細かいことまでいちいちいちいち口やかましく、第四隊長も苦手の部類の上官だったのだが。


 ここしばらく、どうにも様子がおかしく、奇妙な指示ばかり出る。辺境各地から金と人を無理矢理に集めて、本部クリスタニアにわけのわからない建築物を立てたり、湖で夜間に実験を行ったりしているのだ。


 命令だけでなく挙動も、明らかにおかしい。昔のムルバオは小物ではあったが残虐ではなかったはずだ。第三隊長の反抗に腹を立てて腕輪の向こうで声を荒げる。


『逆らうのか貴様! 庇いたければ貴様から刻むぞ!』

「な、なにをっ」「まあまあ隊長」


『一隊は! 一隊は! 何をやっとる! うううう! どこに行っとるのだ! 命令しておっただろうが!』


 そこに別の音声が割り込む。

『我々は蛇を追跡して南下中です』


 聞こえた声に第四隊長が眉根を寄せる。

 第一中隊長だ。別の意味で、おかしい。こいつも。



◆◇◆



「合流したカーン伯のリボルバーが国境で蛇と交戦、こちらは二機とも損傷があります。現在、修復を終えて本部へ向かっています」


 緑の山麓に影を落とし、無限機動が緩やかに飛んでいた。砲撃艦リボルバーが先導し、その後方300リームほどを追う輸送艦ベスビオの中央管制室から、辺境第一中隊長が答えている。


「半日ほど手間取りましたが、蛇がイルカトミアに寄港したのなら距離はだいぶ縮めているでしょうな」

『国境の山ン中で半日かよ、ずいぶんと悠長じゃねえか。砲撃艦リボルバーまで付いてて何やってんだ?』


 やさぐれた声が戻ってきたので隊長が笑う。この声は四隊だ。


「情報が不足していた。蛇は昔の蛇ではないらしい、運動性能が段違いに上がっているようです。もし罠にでも嵌めるつもりなら、配置は慎重に行なったほうがいいでしょう」


『ふ! ふふふ! それではこちらに向かっておるのだな! 性能が段違いか! いよいよよろしい! きっちりと仕上げてやるわ!』


 大隊長ムルバオの声に不穏を感じた隊長が、少し訝しげに聞き直す。

「楽観は宜しくないかと」


『もちろん全力だ! ううう! 辺境軍全力で迎え撃つのだ!』

『大隊長、お言葉ですが。そこまで大仰な討伐指令は出ておりません』

 三隊だ。一隊長の言いたかったことを、彼女が訊いている。


『やかましい! 獣は人間の敵だ! 呪いを解くのだ! それが帝国ガニオンの進む道であろうがァ!!』



 そこにまた。別の声が。

 涼しげな女性の声が、割り込んできたのだ。

『なぜ辺境の隊長が、帝国の道を説くのだ?』


『あああッ?! 何者! 何者だ貴様ッ!』

『竜脈研究班。イングリッド=ファイアストン』



 川風に煽られながら腕輪の声に耳をそばだてて聞いていた第三、第四の二人の隊長が固まった。顔を見合せる。

「……ルガニア中央魔導軍?」



 無限機動ベスビオの中央管制室で。第一中隊長がわずかに息を吐いた。


(報告に気づいてくれたか、しかし早い。この短時間で大陸を横断したのか……噂の子を連れてきているのか?)




◆◇◆



 どこまでも広がる砂漠の、遥か東の地平に見える山稜のさらに向こうがクリスタニア、イルケアの地である。そんな砂漠の何もない中空に、小型の無限機動が浮いていた。

 その無限機動は、風防が開いて広々とした八人乗りほどの座席が露出していた。数人の運転する兵士の後ろに座って足を組むイングリッドの隣で。


 ショートの銀髪をさらさらとなびかせ座席から立ち上がり、澄んだ瞳の色と同じ緑の宝玉が組まれた杖を高々と掲げて、少女が天を見上げる。


 イングリッドが通信に言う。

「我らも明日には、クリスタニアに入る」


 同時に少女が、砂漠の空に呟いた。


「『声律トーラ』」


 普通に一言放っただけなのだ。

 あまりに広い空は、そのままで。そして。


 ざあっと。風が吹いた。東からだ。髪を舞い上げた少女が席に座り込み、杖を抱える。運転席の兵士にイングリッドが声をかける。

「風防を」「了解しました」


 ガラスの風防が閉じていく小型無限機動が微かに揺れて。遠い東の地平から特徴的な雲が現れた。まっすぐ、柱のような。黒い雲が少しずつ砂漠へと向かって伸びてくるのだ。風がいよいよ強くなる。また女史が言った。


「発生後に竜脈移動ドライブ。目標クリスタニア」



 ノエルの使途不明呪文ジャンク=スペル。二番。

声律トーラ』。


 世界でその子だけが。クレセントより人間となった少女、ソフィア=フラナガンだけが。自ら竜脈を呼び出せるのだ。


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