第四十一話 イルカトミア・チェイス


 獣たちは、見たことがないのだ。向かってきた敵機モノローラを高圧の水流で弾き返す魔法なんて。


 大量の飛沫を上げて、午後の空に十二番艇が飛び出した。


 裏通りに連なる煉瓦ビルの三階付近まで浮き上がった搬出便ポーターの、キャリアに乗った獣たちは、目を丸くしていた。アキラが後ろに「掴まって!」と叫んだので一斉に身を伏せて。ギアが最大に入り底部から魔力を吹き出す。石畳に一回バウンドして広場に滑り込む。子供らが叫んだ。


「ぎゃんっ!」「うわわっ!」


=光点。帝国だ。前方三。左二。=

(前から? 通り走るの不味いじゃん。)


=まずい。一つ先の角を右だアキラ。=

(了解っ)


 声の指示に従う。ぶわあっとスロットルを吹かせて、砂煙をあげてドリフトする。ざあああと後部が流れた。犬のサンディが耳を揺らせて、混乱して。


——「あれって、水に潜れるんですか?」——


 そんな台詞を言っていた青年の、この運転はどういうことなのか? 伏せながら顔だけ覗かせて、アキラの背中を見る。

 異邦人ではなかったのか? 大陸は初めてではなかったのか? 通信でも「道を知っている」と言ったのだ。


 子供たちも恐るおそる首だけ上げる。裏通りの景色がぐんぐん後ろに流れていく。

「今のナニ?」「すっげえ魔法……」


 銀髪を激しくなびかせたアキラがフロントの計器に声を出した。 

「出ました。聞こえますか?」


『早かったね。どこだい?』

「上手三番を出て本通り沿いに裏道を西に抜けてます」


『それでいい。上に帝国が飛んでる。小道をじぐざぐに行って産業道路の西大橋まで戻りな。そこから左折だ。中洲西の川端かわばたを埠頭まで走れば手前にでっかい橋がある。大橋だ。そのあたりで蛇が飛ぶはずだ』


「えっ街から飛ぶんですか?」

『あんたらのせいだろ。なんとかしな。あちこちにある水路橋は降開型サブマリアだ。もうすぐ放水で沈むから早めに通るか迂回するんだ、いいね』

「了解です。」

『その子らにケガさせるんじゃないよ』

「はいっ。」


「ふん」と鼻を鳴らしたのか、笑ったのか。そこで通信が終わった。逆に頭の中の声が戻ってくる。


=光点。上空五。後方九。まだ増えるぞ=

(えええっどこっ! 多いって!)


 いきなりの数にアキラが上を見るが、裏通りは建物に阻まれて空が狭い。が。その屋上をざあっ! とかすめて敵機が出現した。そして見つかる。兵士が腕輪に叫んだ。


「発見しました! 本通り上手北一番を西に向かって……いえ!」


=アキラ。探索。通りを渡る=


 その瞳に。建物を透過して大通りを走る一般車がフレームワークで映り込む。アキラがまた左にハンドルを切り激しくドリフトして通りに向かって加速して。


=右一台。左二台。浮力八十で跳躍可能=

「伏せて!」


 浮力ギアをがん! がん! がん! と立て続けに噴き上げて全速力で大通りに跳び込んだ。


 上空の、カウルを鳴らして旋回するモノローラから。見下ろす帝国兵が目にしたのは左右から走り込む数台の一般車を飛び越えて本通りを横断した十二番挺だった。

 猛スピードで脇道から突っ込んできた搬出便ポーターに驚いた本線の右一台は急停車し左の二台が追突する。獣たちの乗った車はそのまま通り反対の小道に飛び込んでバウンドしてすぐに再加速した。


「な、なんだありゃあ……本通りを下手に逃げました! 南一番!」


 固まった五台のモノローラがぎゃあああ! と独楽のように両極カウルを回転させて一気に小道になだれ込む。本通りの歩行者が何事かと目で追いかけた。

 

 その空の東、山手の川上よりさらに九台の固まって飛ぶモノローラが後を追うように旋回を始めようとした矢先。数人の兵士が地上を見て気づいた。ごんごんと音を響かせながら本流のあちこちに設置された水門が、上流より次々に開いていくのだ。


「——川上より連絡! 水門が解放されています!」




「水門が? どこの仕業だッ!!」

『連絡ありませんッ!』


 南大橋のたもとで第三、第四隊長がお互いを見て、周囲に叫ぶ。

「誰か水門の調整を指示したかッ!」

「指示ありませんッ! 予定もなしです!」


 第三隊長が近くの兵士に訊く。

「水路の搬出便ポーターはどうなってる? 巻き込まれるぞ?」

「い、いえ。今日は調整日らしくて搬出便ポーターは止まっています」

「止まっている?」「はい」


 振り向いて彼女が言う。

「……偶然か?」


 第四隊長が血の固まった頰を強張らせた。

「偶然じゃねえだろ? 誰か市長を呼んでこい!」

「了解です!」

『連絡! 連絡!』


 そこにまた通信が入ったのだ。第四隊長が腕輪に叫んだ。

「今度はなんだ!」

『上流から! なにか! なにか来ます!』

「はあ?」『水が! あちこちで!』



 小道のあちこちにある搬出便ポーターの荷出し用の水場が。どおおん! と勢い良く水柱をあげた。周囲を歩く通行人が慌てて逃げ惑う。次々に。どん! どん! と上流から順番に街中で噴き上がるのを、上空のモノローラが報告したのだ。


「街から水路の水が噴き上がっています! なにか巨大なものが!」

 ぎゃああっと鋭角に旋回した九台が山手方面に引き返し、川の流れを見下ろして。


 絶句する。

 その真っ黒な影は。あまりに長い。


 街のひと区画分を優に越える程の漆黒の物体が、ざあざあと川の本流を揺らめかせながら移動していく。上空からも。街からも。その怪しげな水の膨らみは見る者を立ち止まらせ、掛かる橋の上から、両岸の整備された山手の歩道から、幾人もがざわめいて指差し視線を飛ばす。ついに兵士が叫んだ。


「……む! 無限機動ッ!! 川に無限機動ッ!!」



『どうしますかッ! 命令を!』

 その報告に南大橋の兵士たちが一斉に固まった。腕輪を呆然と見つめた二人の隊長が、やっと。


「無限、機動だと?」

「あいつら……〝蛇〟の乗組員クルーか?」


『命令をッ!!』

 その声にはっとして。第三隊長が周囲を見渡して。

「全台!! 上流域に集結ッ」


「待て待て」「はっ?」

「待てっ。つってんだ! ばかやろおッ」


 まだ薄く火花の散る兜を軽く揺する。彼女の顔を見ずにがりがりと顎を掻く。第四隊長は顔を歪めた。

 中洲に停泊していた第三中隊のモノローラ群はイルカトミア市の巡回用で最大兵装は艇の両舷に追加できる魔導砲ビーキャノンが二挺、運搬用のキャリアーはそもそも戦力にならない。


 相手が蛇なら。威力の通る武器は。

 今、この街にはない。


「水の中だぞ。壁張ってんだろうが!」

「じゃあどうするんだっ!」


 黙ってお帰り願うのが一番に決まってるじゃねえかとは、この堅物には言えねえなあと苛つきながら。

「生け捕りだ」「は?」


「クリスタニア本部に連絡! 近くのベスビオでもハンマーでも何でもいいから街に寄越せと連絡しろ! モノローラ隊! 全機集中して逃亡中の獣をひっ捕まえるんだッ!」

『了解しました!』


「つ、捕まえてどうするっ」

「街に潜んでた理由も獣を連れて逃げた理由も確かめなきゃいけねえだろうが。殺すんじゃねえぞ、殺せば俺らも終わりだ。こっちの船が着くまでの人質にする」


「……獣だぞ? 私らで、なんとかなるのか?」


 いまだ気丈に睨み返す第三隊長は、しかし、じっとりと額に脂汗をかいていた。第四隊長が獣に突っかかられた脇腹を撫でればまだ痛みは引かない。餓鬼がきだった。ガキであの威力だ。道に目をやれば亀裂が走って縦に七ヶ所の瓦礫が立ち上がった車道はそのままだ。


「なんとかするしかねえだろうが。蛇の中身はこんなもんじゃねえぞッ」


 そうだ、こんなものじゃないはずだ。あの無限機動の中にはどんな化け物が搭乗しているのだろうか?




◆◇◆ 




 膝まで覆うコートをなびかせた飛竜の後ろに狼と狐と。そしてウサギのリリィが早足でウォーダーの通路を後方へ急ぐのだ。


「今度は何をやった青年! 聞こえるかッ?」

『はっはい。すみませんロイさんっ』


 リリィだけ医務室に曲がって入る。ロイが続けた。


「獣化はな。急性症状が出たらお前たちの手に負えない。一刻も早く回収する。いいか」

『わかりました。指示をください』


 後方車両部からモニカがやってきてすれ違う。両腕には大量のタオルが入ったバケツや洗面器を抱えていた。


「この街の下流域は川幅が800リームほどだ。岸まで近づいている暇はない。私とログで魔導錨アンカーを撃つ」

『この車にですか?』

「そうだ。そいつは同期できない。吊り上げる」


 格納庫に入る。向かいからログもやってきた。飛竜と岩が横並びに開いた扉に向かい、狼と狐はそのまま格納庫を抜けて後方車両に駆けていく。扉の向こうは魔法の障壁で覆われた川の水だ。


「速さは任せる。こちらで合わせよう。ただし硬度調整キュアリングを30000ジュールは確保しろ。それ以下だと魔導錨アンカーの衝撃で魔導器が吹き飛ぶぞ」

『30000ジュールですか?』

「30000だ。できるか? できなければ別の方法を考える」

 答えるロイの横で。ログが石の拳を胸元で組んでごりッと鳴らした。




「いやこれに30000とか無理だって!」

 サンディの腕輪から響く飛竜の声に。ばたばたと体毛をなびかせたリッキーが背中から叫んだ。獣五人とヒト一人乗っているとはいえ、ほんの数メートル四方の体積に圧縮した壁を張るのだ。

 アキラも思い出す。要塞の倉庫全体に縦に張ったあの分厚い壁が、確か16000ジュールだったはずだ。だが。


「——別の方法って、なんでしょう」

『敵の殲滅だ。言うまでもない』


 躊躇ないロイの応答に子供たちが毛羽立った。アキラは即答する。


「必要ありません。壁を張ります」

『了解だ。上手くやれ』「はい」


=安請け合いし過ぎじゃないか?=

(できるんだろ?)

=まったく問題ない。別の問題がある。一斉に集まってきたぞ=

(ええっ)


 銀髪が揺れる。周囲を伺う。スロットルを吹かす。街路樹が並ぶやや広めの並木通りを疾走する十二番艇の後方に四台のモノローラが追いついてきた。獣たちが振り向いて見れば、敵機の両極カウルに巨大な二本の砲塔が据え付けてあるのだ。


 リザが叫ぶ。モノローラの砲身が強烈に輝きだした。

「アキラさん! 魔導砲ビーキャノン!」


傾斜角バンク左3.5。速度80に減速=


 運転機を機体ごと全身で傾けた瞬間。轟音とともに光線が車体の障壁をじりっと掠めて。前方で爆発が起こる。が、ふたつの爆煙を搬出便ポーターが抜けた。頭を抱えて身を伏せた獣たちが一斉にアキラの背中を注視する。


=横移動右舷6。浮力25。加速90=

傾斜角バンク右2.5。浮力マイナス10=


 実際は。脳内音声による指示への反応と筋肉の挙動に生じるタイムラグまで計算された上で声はアキラに情報を伝えているのだが。


 まるでそれは。

 背中に目があるかのようで。


 ただ前だけを見てギアとハンドルを切り回す、その十二番挺にモノローラの光弾が当たらない。次々に放たれる光線は車体を虚しく擦り抜けて前方の空中で爆発を繰り返すのみなのだ。しかし。


「アキラさんッ!!」


 リッキーが肩越しに前を指差す。道の向こうに掛かる小さな橋の手前の踏切ががんがんがんと警告灯を鳴らしながら遮断板を下げていくのだ。鉄の橋が川に沈んでいく。


 降開型サブマリアの水路橋だ。上流からざあざあと放流された川の水が流れてくる、その橋向かいにも五台。上空からカウルを激しく旋回させて垂直にモノローラが降りてきた。後方の敵機は、まだ振り切れていない。前後で九台、挟まれる。声が言う。

 

=水面。浮力を全開に。=

(!!……了解っ)


 踏み込んで加速した。風が唸る。

「きゃあああっ!」


 横倒しになった遮断板を叩き割って。獣たちの搬出便ポーターが水路に落ちた。がんがん! とギアを入れて上げた浮力が水面に反発して波打って滑り込む。水が弾け飛ぶ。ぶわああとカウルを旋回して急停止するモノローラを振り切って水路を川下に逃げていく。後ろから増水した濁流が迫ってくるので加速して。


=次の橋に飛び乗れ。水上では上から丸見えだ=


 そう声が言い終わらないうちに前から上空にさらに三台。その敵機が。


「えっ!」


 空に真横に走った一本の光線に。

 ずどどおッ!! と。まとめて貫かれて。

 爆発したのだ。


=今だアキラ!=


 粉砕されて墜落するモノローラの破片を避けて。水中に沈みかけた二つ目の水路橋を跳び越えた機体がまた踏切の遮断板を叩き割って地上に滑り込む。思い切りハンドルを切って街路樹への衝突を避け、アキラが裏道へ復帰する。


「うおおおおっ!!」




 最初に川から飛び出したのは魔法の水晶ビットだ。膨れ上がって進む水の塊を突き抜けて上空200リームほどまで高速で打ち出されたそれはぴたりと高さを維持したまま蛇の動きと基準座標ベースラインを同期する。左手でゴーグルを軽く支えながらビット制御のスティックを動かすノーマの指示に。


「南西。1280リーム。二機。二機。三機。見える?」

「二、二、三……見つけた。セット」


 ケリーが答える。

 右腕を庇って半身で座り左手一本で巨大な旋回狙撃砲バッシュレイの銃身を胸に抱え込み、狼は狙いをつけている。


「1、2、3。発射シュート


 どおっと水飛沫しぶきを上げて浮き上がった蛇の一部から。川を垂直に真っ直ぐ三本の光線が飛び出して。直角に曲がって彼方へ、数キロ先の敵機へ光弾が走るのだ。

 魔力で照準を合わせた狙撃砲は敵が移動しても追尾ホーミングする。空で次々に爆発が起こりモノローラが撃ち落とされていく。その蛇の影を追いかけて飛ぶ機体の兵士が腕輪に叫んだ。


狙撃砲マークドキャノン! 水中から撃ってきます!!」




 声の届いた第四隊長が周囲に命令する。

狙撃砲マークド出してきやがったぞ! 何やってんだ! 搬出便ポーター一機捕まえられねえのかッ!!」


『そ、それが連中、水上を走ってます!』

「ああ?」『水上です!』


 第三隊長が怪訝な顔で横から。

搬出便ポーターは〝浮上式ホバータイプ〟だぞ? 〝飛翔体フライトタイプ〟じゃないのに、どうやって水上を走る?」


 悪路であろうと平坦であろうと〝浮上式ホバータイプ〟の魔導器は、その推進に固い周囲が必要になる。だから地上や水中は進めても、空は飛べない。それが常識だが。


「……どいつだ? あの銀髪の野郎か?」


 わずかにいるのだ。そういうことのできる乗り手が。斥力が乱反射する水面で〝浮上式ホバータイプ〟の魔導器を安定して走らせるには、相応の反射神経と操縦経験は必要だが、できなくはない。そしてそういう乗り手であるのなら。


「単機戦は無理だな、くそ」「え?」

「どこの水路だ。どこに繋がってる」


『二十三番水路です。西区から中洲中央に繋がっています』


「だったら方向が違う。すぐ陸に上がるはずだ。行き先は西の下流域の埠頭だっ! 集合させろ! 西川端の護岸通りで一斉射撃だッ!! お前ら全機、道路を飛べ! 空中を飛ぶな!」


『え! いやそれでは捕捉できなくなって』

「こっちが捕捉されてるじゃねえか馬鹿野郎! 狙撃砲マークドを避けろって言ってんだッ! タイミングを決める! 獣が産業道路から護岸に走りこんだタイミングで一斉に飛び出す! いいか!」

『了解しました!』


 通信を切って第四隊長が周囲に叫んだ。

「移動するぞ! 西大橋の川端通りだ!」




 空を飛びっていた帝国のモノローラが次々に降下して街の中に姿を消していくのが、ノーマの被ったゴーグルにも映り込む。腕輪に手をやる。


「効いたみたいね。アキラくん、聞こえる?」

『はい。聞こえますノーマさん』


「上空の敵機はこっちで牽制するから。なるべく見つからないように産業道路まで南下して。川端を西に埠頭まで下るのよ、いい?」

『了解です。時間はどのくらいありますか?』


 割り込んできたのは動力室のリンジーの声だ。

『現在中流域を卸町から工業団地へ向かっています。速度40。西大橋まで七分です。それまでに産業道路を渡って南へ抜けてください』

『わかった。ありがとリンジー』

 

 さらに。虎が話す。

『聞こえるかアキラ』『は、はい。艦長!』

『埠頭にかかる大橋は地下水路の終点だ。そこから先は二層構造になっていない。タイミングは一度だけだ。わかるな』




「は、はい」と返事をしたアキラがひたいの汗を拭う。

『お前らを回収できなかったら反転して戦闘に入る』

「了解ですっ」また汗を拭う。


 リッキーも。しなった毛を撫でる。暑い。妙に暑いのだ。サンディもべったりと首元に張り付いた上着をつまんで。


 気づいた。

 ふっ ふっ ふっ ふっ、っと。


 横たわった娘の息が早い。フードに隠れた顔の皮膚からわずかに紋が揺れる。だらだらと汗を垂らしてサンディがフードを剥ごうとして。手を伸ばせば。


あつッ!」

 犬の叫びに獣たちが反応する。リザが屈みこんで近づいて。その瞬間。


「があああッ!!」「きゃッ!」


 吠える少女に驚いたリザをとっさにリッキーが引き剥がす。フードが降ろされた彼女の顔が。人間の顔が。皮膚がぶすぶすと爛れて頰や鼻先に寄った皺が戻らずに赤い亀裂が滲んで。ぷくっと膨らんだ赤黒い血の塊が透明な体液と混じって白い湯気を立てている。


 周囲の気温が上がっていく。息がつまる。アキラが後ろに叫んだ。

「壁薄くするから! つかまって」


 周囲に張ってあった風防障壁ドラフトを薄めるとぶわっと新鮮な空気が獣たちの毛を揺らす。が、それでも。少女の全身から一気に湯気が立ち上って、やがて。咆哮とともに全身を左右に激しくゆすり始めた。


「ああ! あああ! がああッ!」

「いけない! 押さえて! リッキー! エリオット!」

「ぐうッ! 熱っいいッ!」


 少年たちもサンディも。強く手のひらに魔力を張って少女を押さえつけるが、怪力なのだ。暴れる足が踵からシートに叩きつけられ、そのまま穴を開けて詰め物が飛び出した。激しくキャリアが揺れるので。


「だ、大丈夫っ、みんなっ」

「アキラさんは運転に集中して。こっちはなんとかするからっ」


 しかし高速で走る十二番艇の周りを囲む風防の中が、いよいよ暑く焦げ臭い。ついに少女の足元が食い込んだシートから。ぶすぶすぶすと黒い煙が上がってちらちらと火が生じてきた。


「火が出たッ。リザ消してっ」「了解!」


 魔力を固めた右腕を思い切りリザがシートに叩きつけて。焼けたシートを払って消した。少女の眉間に刻まれた皺が深くなり、鼻先がぎりぎりと音を立てて変形する。目の周囲に隈が浮かんで薄茶色に変色し、眉の中心から特徴的な黒い縦の文様が浮かんできたので。サンディが目を見張って腕輪に言った。


「——急性症状、始まりました。励起反応フォージング、『火星イグニス』。この子……形態は〝火炎豹クーガー〟です!」




『形態は〝火炎豹クーガー〟です!』

 腕輪からの声に、医務室の三人の手が止まる。持ち込んでいたタオルをびりびりと破いて縦に長い紐を作っていたリリィがモニカと目を合わせる。


火炎豹クーガー……また厄介だね、それは」


『発熱が加速してます! どうすればいいですか!』

 サンディの叫びに。モニカの横でベッドのシーツを慣らしていたエイモス医師がネズミの腕輪に声を発した。


「リザは、いるね?」『せ、先生っ』

 すがるようなリザの声が返ってくる。


「運転はアキラくんがしているんだね? 処置を教える、できるか?」

『は、はい。お願いします』

「まず魔導器の障壁を解除するんだ。熱が篭って全員が失神するぞ」



 その指示にロイとログの二人が反応した。

『解除? 壁を消すのか先生?』

『そうだ。急いだ方がいい』


=現在の内気温35度。医者の言うのが正しい。アキラ=


 頷いたアキラが全面パネルをかちかちと弄った。だんだんと周辺の風防が薄くなって、消えていく。一気に風が吹き込んで気温が下がり、しかし風圧で獣たちが屈み込む。少しだけ、はあはあと息を継ぐ少女が楽になったようだ。


 ばたばたと髪をなびかせて魔導器を走らせるアキラに、またロイの声が聞こえた。サンディが慌てて腕輪をアキラの耳元まで持ってくる。


『青年。さっきの話だが。障壁が使えないなら——』


=いや。続行する=


「ロイさん。なるべくウォーダーまで近づきます。水上を走ります」

『水上を? 搬出便ポーターで、か?』


「はい。俺の身体に魔導錨アンカー、撃ち込んでください」

『なんだと?』


 西大橋到着まで、あと五分。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る