第四十話 衝突 第三中隊


 ——それは、一時間ほど前から始まった話だ。


「ホント、よくやるぜ」「しっ」


 脇に外した兵士たちの中には呆れ声で愚痴をこぼしている者もいた。無理もない、本来なら昼第零時にはさっさと荷物を渡して飯に出られるはずが、こんな通りの端で一時間半は待機しろというのだ。


 産業道路とは言ってもそこまで車が行き来するわけでもない。広々とした通りはいい天気で魔力の流れが涼しげだ。南大橋の西側に停められた詰めれば二十数人は乗れるキャリアーが二台。住人は三十五名、兵士九名である。二台のうち一台には護衛用の魔導砲ビーキャノンが積まれていた。


 その住人たちをご丁寧に数組ずつ降ろして、うっすらと青い魔力線の溜まる道路にしゃがんで話をする。他の兵は寄せつけない、第四隊長だけが面談するのだ。三十五名で世帯数は十四組、一組につき十分ほど、話し込む。さっさと話が終わる組もあれば、結構時間のかかる家族もあった。


 世帯主だけではなく、全員と話す。その方が落としやすいからだ。


「え。バラバラ?」「そうだ」

 しゃがんだ家族四人の旦那に寄って小声で隊長が言う。


「土地がそんなに余ってるわけじゃねえ。いい場所は先着順だ、下手なところに当たったら家族バラバラで暮らすケースも、あるらしいんだ。なあ、お父ちゃんいなくなっちゃうかも、しんねえぞ」


 少年二人と嫁が不安そうに旦那を見た。慌てて旦那が懐に手を忍ばせて。この男は話が早そうで助かった。

「こ、これくらいなら。あります」


 こそっと小袋を隊長に渡す。頷いた隊長が外套にしまう。


「バレたら俺のクビが飛ぶ、誰にも言うんじゃねえぞ」

「ほんっとうに申し訳ありません。どうか。どうか宜しく」

「なんとかやってみるさ」


 ぽんと軽く旦那の肩を叩いて。全員で立ち上がる。晴れやかな顔で家族をキャリアーに戻す。まあ嘘ではないが、昔話だ。今の政権なら彼らは一緒に暮らせるだろう。せいぜい感謝してもらいたいところだ。


「よおし。次」




 そうやって何組目か。次にしゃがみこんだ組は二人組だ。父娘だ。母親が、いない。娘は年の頃が十六、七だろうか、目深にフードを被っているので顔がよく見えない。そしてどうも肩の上下が激しい、明らかに息が荒いのだ。少し隊長が眉をしかめる。


「……おい、やまい持ちじゃねえのか?」

「昨夜から、です。はい。街を出るのが、その。響いているのか——」

「ああ、ああ。なあ親父さん」


 腰を曲げた隊長が顔を寄せる。小声だ。

「関係ねえ。病人は弾くぜ」

「そ、そこをっ。なんとか」


(あの馬鹿市長、ちゃんと人選やってんのか?)


 さすがに帝都まで連れて行く許可は取れないだろう。しかし父親が差し出したのは前の家族より一回り大きめの袋で、そっと中を開けて見せるとわずかに光が漏れた。ひとつぶの石が、入っていたのだ。


「……何ジュールだこれは」「1万5千ほどです」

 大金に換えられる。じろっと隊長が睨む。


「一旦、クリスタニアで降ろすかもしれねえぞ」

「い、いいです。この街では無理です」


 それはそうだろう。一般人がイルカトミアで受けられる医療など、たかが知れている。だが湖の都まで行くのに帝国を使う必要が、あるだろうか? そんなに、急を要する病状なのだろうか?

 

 青い魔力の塊に浸りながら考える隊長が娘を見る。だんだんと、なんとなく。息が上がっているような気がする。相当状態が悪いのではないか? と。


 ついに娘がふらついて。左手をついてよろける。


「カ、カーナっ。」「おい。見せてみろ」

「いや。その、それはっ」


 様子がおかしい。


「何隠してんだてめえ。退け」「あ、あの」


 構わず父親を脇にどかし、娘のフードを少し上げると。整った顔立ちの眉間は苦痛に歪み、はあはあと息をする顔色は真っ青だ。ひたいには脂汗が浮いている。こりゃあ無理だと隊長が思った、その時。


 娘の瞳の瞳孔が。ぎゅうっと。

「……なっ?」


 縦に。しぼんだ。


 ばっ! と素早く隊長が避けたつもりだった。が。その放たれた鋭い爪は右の頬肉をざりっとえぐったのだ。腕を振り払った勢いで娘が魔力マナの中に倒れこむ。道路についた右手の甲に模様のついた体毛が生えている。


 数歩飛び下がって。隊長が頰を撫でる。痛みがきた。どろっと生暖かい。血がばたばたと外套を汚した。父親はただ呆然として。そして。


「障壁ッ!! 上げッ!!」

 隊長の叫びに周囲の兵隊が驚いて、すぐ。一斉に左手の腕輪を捻る。全員が一気に魔力の障壁に包まれた。


「ま、待って、待ってください……待って」

 壁を張った隊長が思い切り。血まみれの右手を拳に握って上に突き上げると。がしゃっ! と音がして外套の中から魔導銃ブラスターの銃身が飛び出した。


「退け親父おやじ

「お願いです。お願いです。私にもわからない。治るんです。治るんでしょ? お願いです。どうか」

「いいから退け」

「わからないんです。助けて。助けてください」



=深入りさせるなアキラ! その犬を連れ帰れ!=

「サ、サンディさんっ! こっちに。近づいちゃダメだっ」


 道に降ろされた数家族の先頭に。

 そこに。匂いの元がいる。


 だが唐突に。がなり声が聞こえたのだ。

「てめえ! 退けッ! つってんだろうが!」


 魔導銃ブラスターの音が橋のたもとで響いた。飛びついた父親が隊長の右腕を反らす。車道に光弾が撃ち込まれる。返す腕で。鉄棒のような銃身で。父親が顔面を殴り飛ばされた。


 崩れ落ちる父親の背を見た、次の瞬間。少女がぐらっと気を失い、フードがめくれて金髪が舞う。


 頭に見えたのは、獣の耳だ。


 髪をなびかせて路上に倒れこむ。土煙が上がった。身体は細かく痙攣している。その耳の生えた頭蓋にがしゃりと音を立てて、隊長が銃身を当てる。


 すでに男子は一斉に駆け出して。


 隊長が気づく。が。遅い。

「な! なんだてめっ……!」


 リッキーが銃身を蹴り飛ばし。

 のけぞった隊長に。

 エリオットが肩から体当たりする。


 横っ飛びで隊長が吹き飛び、空に二度目の銃弾が撃たれた。キャリアーの全員が一斉に屈んだ。車の側面に叩きつけられた隊長が跳ね返り地面に弾かれ、反動でキャリアーの鉄板は歪む。


「ぐげッ!! げええッ!!」

 隊長が、胃の中のものを吐き出した。


 リザが「解呪ディスペル!!」と指示する。路上に踏み込んだサンディが思い切り右腕を投げ降ろすと二つの光球が道路の青い魔力の上を滑るように走ってリッキーとエリオットに到達する。


 二人の少年が身体を輝かせて。

 握った両の拳を思い切り振り下ろす。


「がああっ!!」


 一気に体毛が全身を覆い、髪が変質し、喉から上の頭蓋が変形して耳の位置と形が変わる。眉間から鼻骨と上下の顎骨が前方に突出し口元が裂けて牙が伸びた。


 帝国兵が叫ぶ。

「けッ! 獣だあッ!」


 道路にサンディが走りこみながらリザにも腕を振る。光が飛んで赤毛の少女から薄い体毛と耳が一斉に生えた。


「あのを!! アキラさん!!」


=仕方ない。連れて逃げるぞアキラ=


 アキラも倒れた少女に駆け出す。荷台に乗った魔導砲ビーキャノンを兵士が路上に向けようとした、その時。地面を跳んで丸まったサンディが両足で砲の側面を横から叩き蹴った。

 人の姿でも怪力で、蹴られた巨大な砲身がキャリアーの荷台にがらがらと倒れ込み火花を立てた太いケーブルがちぎれて宙を舞う。そのまま着地し姿勢を戻した彼女が少女に駆け寄るのとアキラが到着するのがほぼ同時で。


 リザは二人の少年に叫んでいた。

震脚ロックバウンド!! 対象7!!」


 並んだ男子猫二人が大股に構えて右足で。思い切り地面を踏みつける。

「ううウ!! りゃあッ!!」

 

 激しい音を立てて岩盤の道路が陥没する。帝国兵の足元に亀裂が走って。まさに銃身を構えた七人の地面が。


 内側から一斉に破裂した。兵が投げ出され、吹き飛ぶ。


 少女は激しく震えたまま息が荒い。伏せた父親に目を向けると、ひたいが割れてべったりと張り付いた髪が血に染まっていた。手を出せば。ぶるぶると首を振った。


「その子を……もう、もう、私ではッ……」


「——保護します。安心して」


 その一言に。目に涙を浮かべて父親が頷き、サンディが少女を引き上げてアキラの背に負わせた。遠くからまたリザが「早くッ!!」と叫んだので、ぐっと立ち上がって。また視線を戻した、が。父親は四つん這いのまま激しく、行けと手を振る。


=あの角に駆け込め。道の先に六番水路がある=


 少女を背負って全員がリザの元へ走る。倒れた兵士たちが「逃すなッ!!」と銃身を向ける。リザがぐうっと右腕を。後ろに振りかぶって。


「しゅうッ!!」


 勢いよく真横に振り払った。獣たちを取り囲むように、光の曲線が空中に走って。そこから上下に七色の薄い光の壁が現れる。次々に発射された光弾が壁にぶつかってわずかに亀裂を走らせるが、向こうの獣たちは角を曲がって逃げてしまった。

 数人が走って光の壁を足で踏み抜こうとする、が。がんがんと相当に固い。彼らが逃げた小径に行けない。


「くそッ!! 回り込むぞ!!」


 父親は消えた一行を目で追って。すがるように。祈るように。しかし。

「この屑がッ!!」「ぐぼッ!!」


 隊長の靴のかかとが鳩尾を蹴りつけた。崩れる父親の横腹をまた踵で蹴る。うずくまったまま動かなくなってしまったのを放っといて。隊長もまた腹を苦しそうに押さえたまま、切れた頰から血を垂らしたまま。肩で息をして。


 全隊帯域で腕輪に叫んだのだ。

「獣がいるぞッ!! どうなってんだッ!!」



◆◇◆



『三隊全員!! 捜索ッ! 障壁上げッ!!』

 その通信に市内全域の帝国兵が反応した。右腕を外套から掲げて銃身を露出し、周囲を警戒し走り出す。


『警備中のモノローラ! 中央街から河中かわなかの本通り上空に向かえ!』

 緩やかに空中を浮遊していたモノローラの両極カウルが勢いよく回る。一斉に空を旋回して速度を上げる。


 声は公営停泊所の本部ビルディングにも響いた。

『南大橋から中央街に逃亡! 六番通り付近の巡回は急行しろ! 停泊所待機班! 機体に魔導砲ビーキャノンを設置して飛べッ!!』


 廊下を早足で歩きながら外套をなびかせた第三隊長が横の兵に言う。

「どういうことだ! アイツは何をやらかした!」

「ま、まだ詳細がつかめておりません」

「キャリアを出せ! 私も南大橋に向かう!」



『獣は五匹! 人間も混ざっているぞ! 魔導を使う! 見つけたら撃て! 容赦するなッ!!』


 なぜか。その帝国の通信が。

 民営第一地下停泊所にも響き渡ったのだ。


 蛇の屋上や側面で点検中の作業員たちの手が。全員止まって。屋内に流れる通信に耳を貸す。広場の向こうからすたすたと、また二人ほど引き連れた老婆が歩いてくる。どうやら杖は飾りらしい。


 蛇の外で最終確認をしていた艦長とミネアが、声の響く天井の岩盤に目をやる。

「——五匹って言ったか?」「言ったね」


「ヘマやったねイース。さっさと出て行きな」

 老婆が軽く杖を振る。放送の聞こえたロイとダニー、ノーマ、ケリーが格納庫まで出てきた。虎が腕輪を拡声器スピーカに切り替えて話す。


「サンディ。何があった?」



◆◇◆



 石畳の小径を全員で駆けながら。リザが指差した。

搬出便ポーターがある!」


 四角くひらけた広場の中心に組まれた石垣の中央には水場があって一台の車が浮いていた。一行が乗ってきた魔導器と、ほぼ形状は同じに見える。子供たちは一斉にジャンプして後方のキャリアに着地した。


 サンディとアキラが階段を降りて。少女をキャリアに寝かせる。ぐったりとなった少女は高熱で全身から汗を吹きながら息が荒い。アキラは操縦席に飛び乗って右手を計器盤にがしっ! と押し付けた。


=起動する=


 ばああああうう!! といきなりエンジンが掛かったので獣たちが驚く。リザが叫んだ。


「アキラさん?! 運転できるのッ!」

「大丈夫っ!」


 ようやくサンディが腕輪に返事をする。

「少女を保護しました。獣化してます」


『獣化? 始まったばかりか』

「三割ぐらいです。急性症状はまだです」

『帝国は?』

「接触しました。すみません。追われてます」


=障壁展開。潜水するぞアキラ=

(了解っ)


 前面のパネルをかちかちといじり一気にサイドを引いてスロットルを噴かす。周囲の水面がどおっ! と弾けて水柱が上がり、完全に障壁バリアで包まれた。獣たちが驚く。


「うわああ!」「きゃあっ!」

「行きます! 掴まって!」


 ぐっと。前のめりになって。まるで水棲動物が潜水するが如くに。水を噴き上げて搬出便ポーターが潜った。



◆◇◆



 顔を見合わせて。すぐにミネアが舷梯タラップに走る。獣たちに虎が大きく指を振る。格納庫で見ていた全員が素早く動いて蛇の中へ消えていった。


「すまない婆さん」「いいから行きな」

『い、い、今。搬出便ポーターを借りましたっ』


 サンディの声に。

 老婆がくしゃっと顔を歪めて口元だけで笑う。


「豪気だね。何番だい?」『はい?』

「何番の船かって聞いんてんだよ」

『え、え、えっと。これは』


『本通り六番付近に停めてあった十二番艇です』


 アキラの声だ、今度は虎が笑う。

 老婆が少しだけ驚いた顔をする。


「水路は、わかるのかい?」

『わかりません。地上は頭に入ってます』

「水中の運転は?」『大丈夫です』


「じゃあそこから真っ直ぐ北に向かいな。十分ほどだ。突き当たりで左だ。あとは追って連絡するよ」

『了解です』


 一旦通信を切って。虎が老婆に言う。


「最初は途中で反転するつもりだったが、時間がねえ。本流を下って産業道路の大橋向かいから直接飛ぶ。後は任せる」

「工業団地から蛇を飛ばすのかい、街は大騒ぎだよ。貸しだからねイース。返しにきなよ」


 それだけ言って老婆がさっさと踵を返したので。虎も外套をひるがえして蛇に乗り込んだ。




「ウォーダー起動! 障壁展開!」

 席に飛び乗ったミネアが操縦桿を握って叫んだ。ダニーが返す。


『魔導炉、起動。基底浮動接続面フロートコネクティング着火。姿勢安定。通常障壁メインバリア展開。』

 

 接岸部の数人がタラップを外し大きく蛇に向かって円形に腕を振る。唸りを上げて蛇の巨体が振動を始める。水面が規則的に波打ち、緑光が川底に輝く。頭部の障壁発生塊から全身に。どおおおおっ! と一気に魔力の壁が放出されて膨大な水飛沫みずしぶきが上がった。


 管制室に虎が戻ってきた。ミネアが続ける。


離岸制御サイドスラスタ30。微速前進」

制御スラスタ30。微速前進』


 垂直に流れる緩力フーロンの水壁に。蛇がその全体をゆっくりと突入させていく様を。フロアの作業員たちが見守っていた。



◆◇◆



 複雑な計器が並ぶ地下の部屋に、巨大なモニタが前面に設置され、街全体の詳細な地図が浮かび上がっている。早足で入ってきた老婆が杖を振って周囲の管制官オペレータに言った。


「十二番に繋いどくれ。水路も表示だ、蛇を追跡するんだ。水の張りはどうなってんだい? 色分けしとくれ」

「本流の水深調整が必要です。蛇の体積では本通りから二、三、四番街の川沿い、西街上手にしまちかみて卸町おろしまちに水が溢れます」


 その返事を聞いて即座に。


「水路十、十八、二十三番の水門を開放。水深は第一層三リーム第二層十二リームで下流まで統一。制御しな」

「了解です。指示錘シンカー確認。水深指示発信。第一層三リーム第二層十二リーム」


「坊や。聞こえるかい?」



◆◇◆



 アキラたちが潜り込んだ水路六番入口に数人の帝国兵が集まっていた。


 兵士が空中に大きく手を円形に回す。空から三台の、障壁を張ったモノローラが次々に。砲弾のような勢いで飛び込む。激しく舞い上がった水を外套で避けながら。

「水路に逃げた模様です。本通り六番。追跡します!」



「よおし。上手の入り口からも数台突っ込め。挟み撃ちにしろ」

『了解です!』


 頭に兜を被せられた第四隊長が通信を切って空を仰いだ。周囲には停泊所からさらに数台のキャリアが到着して、兵士の数も相当数に増えて警戒していた。


 中央公園の向こうから木々を揺らして十数台のモノローラが高速で飛んでいく。カウルの両側には太い魔導砲ビーキャノンが据えられていた。特有の回転や鋭角飛行はできなくなるが、攻撃力は増すのだ。


 兜からばりばりと細かい火花が頰全体に散っている。だんだんと傷が塞がっていく。血は完全に止まっていたが、引っ掻かれた頰より蹴りを食らった右腕と。腹が痛い。到着したばかりの第三隊長は道路にうずくまったまま呻いている父親を見て。第四隊長を睨みつける。


「説明してもらおうか。何をやっていた!」

「てめえこそ甘いんじゃねえか?」

「なんだとお?」


 睨む彼女に。しかし襟首をぐいっと引っ張ったのは第四隊長の方だ。

「な。なにをするっ!」


「獣だぞ? なあ? 俺が見つけなけりゃ停泊所で暴れてたぞ? 得体の知れねえ自発の移住組を直接基地まで連れてこいってのは、甘いんじゃねえかって言ってるんだ」


 言い訳なのか本気なのかぎろりと睨み返す第四隊長の言い分ももっともで、ぐっと。彼女が言葉に詰まる。そこに通信が入った。

『本通り上手に到着! 水路に進入します!』



◆◇◆



 コンクリ様の岩盤に包まれた四角い水路に転々と連なるライトが、飛び去るように後ろに流れていく。水中を高速で搬出便ポーターが進む。アキラの運転は水中でも安定したものだ。


 彼は。この人は。いったいなんなんだろうと思いながら操縦席のアキラの背中をサンディが見るが。寝かせた少女が呻き始めたので、着ていた薄いニットのカーディガンを脱いで彼女の両腕を緩く縛る。暴れ始めたら鋭い爪が舞うからだ。リザが少女の汗を拭う。障壁の中に音声が反響した。


『坊や。聞こえるかい?』

「聞こえます」


『蛇が泳ぐから川の水を調整する。いいかい。左に曲がったら三番目の交差をまた左だ。そこから二番目の右の出口で外に出な。五分以内だ。遅れたら水流に巻き込まれる、いいね』


 アキラが即答する。

「わかりました。出た先はどこですか?」

『本通り上手の三番だ。また指示する。いいかい?』

「了解です」


=アキラ。敵だ。後方に三機。=


 声にアキラが一瞬振り返ったので。キャリアの全員も後ろを見ると、モノローラが三機、ライトを照らして追ってきた。頭を低くして男子猫二人が後方座席で警戒する。

 サンディがアキラの背中を見る。軍用のモノローラと一般の魔導器である搬出便ポーターでは、あまりにもその性能差が——


 しかし。


=左手を壁につけアキラ。変形する=


 運転しながら周りを囲む透明な魔力の壁に、つけた左手から光が放たれた。たちまち障壁全体が発光して。

「う。うわあああっ!」「きゃあ!」


 ぐうんッ!! と。速度が急に上がったのだ。全員に加速がかかった。寝かせた水滴状に形状変化した魔力マナの尻尾がキャリアの後方にぐにゃあっと伸びる。その速度差は圧倒的で、後方のモノローラをぐんぐんと突き放していくのだ。


 こんな魔法は、彼らも知らない。

「うおおおおっ!」「速い! アキラさんっ!」

「リッキー! 速いけど曲がりきれない!」

「えっ!」


「蛇みたいに! 緩衝バンパー! できるッ?!」

「りょ、了解っ! エリオット!」

「了解!」


 もう目の前に突き当たりが迫っていた。左折だ。思いっきりアキラがテールを振る。後方のキャリアが横殴りに水中を流れて。女子二人が少女に覆いかぶさって伏せた。


「来たッ!! りゃあああッ!!」


 男子二人が水路に拳を振り抜いた。障壁の外で魔弾がはじける。激しい爆発とともにキャリアが揺れた。全身の力を込めてアキラが姿勢を制御して曲がり切った。

「こんのおおおおっ!」


 そのタイムラグにモノローラが追いついてくる。後方の兵の二台が爆発の水泡に視界を奪われて。

「うおお!」「ど、退けッ!」

 水中で接触して回転し壁にぶつかる中を。一台が抜けて曲がって追ってきた。距離が近い、二十リームも離れていない。帝国兵ががしゃっ! と右手の魔導銃ブラスターを構える。


 サンディが。

 席に座った身体を伸ばして。


解呪ディスペル


 ここまでまだ人の姿のままだった彼女の姿が獣に変わっていく。右腕を後方にまっすぐ伸ばして半身に構えて。髪質が変化し。大きな耳が垂れて。鼻すじが尖って。伸ばした右腕に光がこもる。


 帝国兵がモノローラのハンドルに右手の砲身を乗せた瞬間。

 轟音を立てて、犬は光弾を打ち放った。

 ばぎいっと。魔力の壁に穴が空く。

 

「ああっ!」「ちょっ!」

 どおおおっと水が溢れてきたので。アキラが慌ててまた壁に手をつくとぎゅうううっと穴がしぼんで水が止まる。

 撃たれた光はモノローラの真正面に着弾した。障壁にヒビが入ったのか兵士が慌てて制御盤をいじっているのが小さくなって見えなくなった。


偏光障壁バインドじゃないんだからっ!」

「ご、ごめんなさいっ!」

 サンディがリザに怒られた。


 三番目の交差は広いロータリーだ。ここは余裕でアキラが曲がる。出口が近づいてくる。が。声が言った。


=アキラ。進入してくる。前から二機だ=

(げっ、前から?)


 二股の水路を右に行く、と。前に見える外の光を揺らめかせて。どおっ! どおっ! っとモノローラが潜水してきた。後ろの獣たちも気づいて全員が見る。


(この速さじゃターンは無理かあ、でも突っ込むのも無茶だよね)

=壁の硬さはさすがに向こうが上だ、博打になるな=


(何か手がある?)

=ある。やってみよう。火星イグニス水星ハイドラを組み替える=

 

 ハンドルを左手一本で操作して。アキラがぐうっと。右の拳を顔の横で握りしめた。左目にコバルト色の光が宿り、握った手の甲に青白い紋が漂う。

「つかまって! みんな!」


 敵機が迫ってくる。全員が身を屈める。

 ぶわっとアキラが正面に右手を開いて。


 魔法の陣が浮かび上がった。


重圧撃バルクデンシティ=ブレス!!」




 街路樹に包まれた本通り上手の三番水路出口から。

 膨大な水流が蒸気とともに噴き上がる。

 水場の岩盤が、石組ごと吹き飛んだ。


 障壁を破られて水圧でひしゃげて曲がり、

 投げ出された二台のモノローラの、その上空を。


 十二番搬出便ポーターが飛んで行く。


「よっし! 外だッ!!」

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