第三十八話 ホテル・キャルトニア、燈火②

 イルカトミア市の中心に、二つの流れに挟まれた中洲がある。


 市の山間部「山手」から流れるイルケア川は上流で大きく二つに分かれ、東の居住区方面に支流、西の工業地帯に本流が走っている。最終的には二つは合流し広々とした下流域が遠く南から東に曲がり、国境を越えてアイルターク湾へと繋がっていた。


 川の中、街の地下には緩力フーロンによって支持された〝水中運河〟が縦横に走り、街のあちこちに地下水路が顔を出している。水中を潜水して走る運搬用魔導器は〝搬出便ポーター〟の愛称で定着し、工業の原料をはじめ、一般の製品や荷物を運ぶ手段として街の人々に親しまれていた。


 中洲の南端、そして工業地帯の南端にはどちらも小さな河川港があって、搬出便ポーターの倉庫も集まっている。そこからシェトランドの港まで船舶が行き来していたのだが、イルケアが帝国ガニオンに割譲されてからは、その往来もずいぶん減ってしまった。


 活気が失われた、辺境の都市なのだ。ただ。


 原因は戦争の余波だけではなく、今も続いている帝都ルガニアへの〝半強制的人口移動〟つまり〝人狩り〟も、当然、響いている。ここイルカトミア市の居住者も戦中に比べれば六千人ほど減少していた。減少の半数以上が若い単身者で、総人口五〜六万の街にとって、それは結構な痛手であった。


〝人狩り〟は最初。人狩りでは、なかったのだ。


 聞けば吐きそうな非人道的弾圧と重税を敷いた前皇帝ガニオンとは違って、政変を起こした皇女クラウディア・ガニオンは人徳者との噂が高かった。

 事実、休戦協定を結んだ後に辺境各地に提示された割譲の条件は「一切の租税と兵役は行わない」という驚くべきもので、カーン領以外の各領は、苦虫を噛む本国と裏腹に、こぞって我先にと調印を済ませたものだった。


 次に帝都ルガニアから公示されたのは、帝都そのものの復興に係る居住者の募集であった。前帝が放置したみやこはまるで平野に広がる貧民街スラムのようで、その再開発のために広く門戸を開けたのだ。


 夢を持つものは、多く帝都に旅立った。残されたものは、それも仕方ないことと受け入れた。それを勧めるもの、家族で移り住むもの、様々だったのだ。


 しかし。

 帝都の人口が七万を越えたあたり。


 辺境周りからの移住もひと段落して、それぞれの街も残されたものだけでやっていこうと、社会が動き始めた頃。〝人狩り〟は始まったのだ。


 帝都の言い分は「足らぬ」との一言だった。


 これでは復興がままならぬ、と。事実、帝都の街はいつまでも変化せず貧民窟のままで、ひたすら横に広がるだけだったのだ。辺境各地は一斉に反駁し「それは帝都の拙い為政ゆえではないか」と訴えたのだが。二つの縛りが彼らを沈黙させてしまった。


 人を寄越さぬなら〝治癒魔法〟を停止する。

 また辺境にも租税と兵役を検討する。


 と。なんのことはない。結局、街の人間を税の代わりに差し出せ、というのだ。それでも辺境がことを起こさず不承不承ながらもその無茶を呑んでいるのは、今の帝都が昔より、遥かにましだからだ。


 魔法五術の全てに精通する、紅玉の大魔導師エグラム。若く聡明で人徳も高い、竜脈の監視官ムーア。


 そして異端の魔法『十五番 契命イグノラム』によって、悪逆無道の前帝が独占していた『光壁アムラクノス』『死門クロージャ』『天雷バベル』を竜脈に帰化して、その追放に寄与した黒騎士グートマン。


 彼らを率いる皇女クラウディアを含め現体制には、過去のような暴虐の臭いはしない。ただただ核が魔導師ばかりで政治家は居らず、始まった為政に不慣れなゆえなのであろうと。困惑しながらも地方の都市は、それでも交渉を重ねながらわずかずつではあるが、街の財産である人間を差し出していた。





「だからな。市長。私らもこんな〝鬼遊び〟みたいな真似は、正直、疲れている。くじ引きでもなんでもそちらで適当に決めてくれた方が、どれだけ楽か。わかるだろ?」


 首元で削ったぼさぼさの髪を揺らして、辺境第三中隊の若き女隊長は疲労の見える顔で説得する。煌々と明かりの照らす一室で、会議机の対面に座った小太りの市長が、ハンカチで汗を拭って答えた。


「そうは言われましても……もう手を挙げるものは、これくらいでして」

「三十五人か?」「三十五人です」


 があんっ!! と。

 女隊長の隣に座った頑強な男が。苛ついて思い切り机を蹴る。

「ふざけてるのか市長?」


「やめないか! 私が交渉してるんだッ!」


「これのどこが交渉だ? なあ。市長。帝国を舐めてるンじゃないか? 何日、猶予をやったと思ってる? 兵隊の飯もタダじゃないぞ? なんとかして連れてくるからって、お前が言ったんだろうが。」


「ま、まだ。説得中の家族もいくらか居まして」

「だったらとっとと連れてこいッ!! 餓鬼ガキ引っ張られてぇのか!!」


「こ! 子供は!!」

「いい加減にしろ! 規約違反だろうがッ」


 慌てる市長をかばうように女隊長が叫ぶが。同じ格好の男は意に介す風でもない。


「孤児なら構わねえって言われてんだこっちは。なあ。手っ取り早く親、撃ち殺して」

「出て行け貴様ッ!! 酒でも喰らいに行けッ!!」


 あらん限りの大声で怒鳴りつける。二人の隊長がしばし睨み合って。男が乱暴に席を立った。睨みつけたままの彼女が、凄みのある声で。


「自腹でな。三隊さんたいの金を触るな」「ちッ!」


 舌打ちして椅子の背を壁に叩きつけ、辺境第四中隊長が席を後にし、部屋を出る。鉄板の扉が乱暴に閉まる。しばし出口を睨みつけていた女隊長が、やがて息を吐いて。


「すまないな」「……いえ」


 まだ汗を拭きながらうつむく市長を残し、席を離れて。大きめのガラス窓を開けて外を見た。中洲の涼しげな夜風が、もう何日も洗ってない髪を揺らす。くまのできたまぶたを少しこすって外を見る。


 公営停泊所の一角のビルから眺める停泊広場にはいくつもの仮設テントが明かりを灯していた。今の時間も多くの兵士が行き来し、警備のモノローラが十数台、夜の闇に光線を伸ばしながら緩やかに飛んでいる。


 第三、第四中隊の二隻のベスビオは、行ってしまっていた。相変わらずネブラザ領の反乱が鎮火していないのだ。仕方なく第四中隊に二隻を任せ、こちらはモノローラのみの機動隊で人狩りを行なっている。兵士たちも疲弊していた。


 徴集は原則、捕獲順だ。

 誰でもいい。

 しかし、どうでもいいわけでは、ないのだ。

 

 同世帯の者、特に親と子供を引き離すことは、固く禁じられている。だから単身者か、もしくは家族全員で連れて行かねばならない。それを思えばこんな市街地よりアーダンあたりの流浪人の収容所の方が、いくらも楽かもしれない。


 逆に身寄りのない子は、見つけたら保護しなければならない。他者の手に渡る前に、帝都直轄で生活させる、というのが皇女の指針で、孤児に対する搾取を繰り返していた前政権への反省なのだろう。ただ魔導師ムーア主幹は、これには反対の意向だった。故郷で信頼できる里親を探すべきとの立場を取っていたのだ。


 健康診断や魔力の測定もある。病人や怪我人は原則、連れてきてはならない。魔力を使う恐れのある者も帝都の周りにみだりに置けない。魔導師は別枠で届けが必要だった。


 そして。獣は決して連れてきてはならない。これは黒騎士からの直接の厳命であった。


 様々な検査と判断を繰り返しながらの徴集は遅々として進まない。見下ろせば数台のキャリアがまた帰還して、何人かの市民を兵士が下ろしてテントに追いやっている。次にベスビオが戻ってくるのは、いつになるだろうか。それまでは捕まえた人間を、この中洲で管理しなければならないのだ。


「今……何人ぐらいなのでしょうか?」

 後ろから尋ねる市長の声に、夜の広場を見たままで答える。


「昼の報告では、百二十ほどだ」「ひゃ、百二十……」


 絶句する市長に。振り返って窓にもたれかかって、女隊長が苦笑した。


「全然足りない。今回の徴集は最低、三百は必要だ、市長。あなたの提示は十分の一だ。もう少しなんとかならないか? 強制より、説得の方が、われわれも気が楽だ」


「三百……は、とても……」

「全部とは言わない。無作為で集めるより、少しでも自主的な移住者が欲しい。お互い、そのほうがいいだろう? 違うか?」

「そ、そうですな……なんとか頑張ってみます」


「とりあえず、その三十五名は明日こちらに連れて来てくれ。診断が必要だ。もちろん増えたら増えたで構わない、我々も助かる。頼んだぞ」


 隊長が言う。あまり期待もしていないような顔で。




◆◇◆




(うおっ。一泊五万はしそう……)

 部屋の入り口で、アキラが立ち尽くす。


 まあ建物の外観からして、さすがに出張で使っていたようなビジホのような個室ではないだろうとは思っていたのだが。しっかりした調度品に囲まれたキャルトニア=ホテルの受付をさらりと通されて吹き抜けの階段を上がり、渡された鍵の部屋を開けてみれば。


 セミダブルベッドが二つ。広々としたバルコニーの向こうには見事な夜景が一望で、暖炉付きの居間にはなぜか、チェアの類はなくていくつかのクッションと大きめのローテーブルが、ふかふかのカーペットの上に並べてあった。

 50〜60平米ほどでもあるだろうか、ちょっとしたセミスイートの立派な部屋だ。よく目を凝らせばバルコニーは屋根付きなのだろう、ラタン調の椅子とテーブルが置いてある。


 わあっと。アキラの脇を抜けた子供ら三人が部屋に駆け込んで。器用にぽんぽんと靴を履き捨てて。ばふっとベッドに飛び込んだ。


「ちょっとっ。みんなっ、靴。ちゃんとして。もうっ」

「はーい」「もうちょっとぉ」「ふっかふっかだあ」


 口では言いながらごろごろとしている。しゃがんで扉近くにあったスリッパを人数分アキラが出しながらサンディに笑う。


「子供は、どこでも一緒ですね」

「え、そう。そうですね。はいっ」

 まだ固い態度の彼女にも、スリッパを渡して続けた。

「あまり緊張しなくていいですよ」


「……その。アキラさんも」「え?」


=お前もこの子に丁寧過ぎだアキラ=

(あ。出張のクセかなあ)


 今はやや癖っ毛になった銀色のまだらの髪をかりかりと軽く掻いて。きちんと立って改めて正面に向き直って。サンディがびくっとする。


「他人行儀だよね。遠野 輝です。よろしく」

 差し出された右手を。彼女がじっと見て、目を伏せて。伏せたまま握手して。ぎゅううううっと両手で掴むので。アキラがいぶかる。


「ええ、っと、いいのかな?」

「さ、サンディ=ロスコー。です。——あの、えっと」

「はい?」「ちょっとだけ、ですねっ!」


 今まで大人しかったサンディが、ばっと顔を上げて意を決したように。大きな瞳でアキラを見て。そしていきなり。


(わっ。)

 首筋に鼻がつくほど飛び込んできて顔を近づけて。くんくんっと。ほんとうに一瞬だけ。首の匂いを嗅いだと思ったらさっと引っ込めて。短くまとめた茶髪を揺らして目を丸くしたままアキラの顔を見る。ほっぺたが真っ赤だ。


「……す。すみません、でも……ホントだ……匂い、しない……」

「あはは、なんかそうらしくて。えと、もう一つの部屋は」

「はい?」

「男子は、もう一つの部屋ですよね」


「えっ? 俺らアキラさんの部屋でいいのっ?」

 ばっと。リッキーがベッドに埋めていた顔だけ向けて声をあげたので。すぐさまリザが反応した。


「なんで。あたしもでしょ?」「へっ?」


「えっ。あたしっ独りなんですかっ?」

 サンディが泣きそうな顔をするのでアキラが慌てた。

「いや? ちょっ」「リザはサンディと一緒だろお」


「なんでよっ、じゃエリオットよこしなさいよ」

「それじゃそっちの勝ちじゃん」「勝ち?」

「二人でもサンディ泣くでしょ」「泣く?」


「アキラさんアキラさん」

 ごろっと仰向けのまま、おでこを見せたエリオットが呼ぶ。

「アキラさんは一人部屋だよっ。そのつもりで艦長、取ってたんだと思うよ」


 エリオットの言葉にアキラがひたいを掻く。

(うーんホントに基準がわかんない)

=まあ、無難に従っておけ=


「じゃあ。はい。自分ひとりで。ごめんだけど。いいかな?」

 アキラが宣言する。サンディが少し心配そうに。


「ひとりって……つらくないですか?」

「だいじょぶですっ」




 ローテーブルの意味は、すぐにわかった。ホテルの女将が次々に、ところ狭しと夕食を並べ始めたからだ。聞いてみたら階下のレストランではなく部屋に持っていくよう、すでに頼まれていたらしい。ヒトのいる場所では気も休まらないだろうとの配慮なのだ。


 食事と一緒に女将が小さなメモをリザに渡す。いくつかの記号番号が書かれていた。市場のお勧めの店とのことだ。何からなにまで手廻しが素晴らしいあの老婆はいったい何者なのだろうと。アキラがサンディに訊ねるが。


「名前も、知らないんですよねえ」

「えっそうなんですか?」「はい」


「どこの街でも、イルカトミアのばあちゃん、って言ったらみんな解るから。けっこう有名人ですよ」

 不器用にフォークをいじりながらエリオットが言う。


「顔役かあ」「顔役?」

「そういうヒト。いるもんですよね。自分の上司にもいました」

「えっアキラさん上官がいたの?」「そうそう」


=アキラ=

(え、まずかったっけ?)


=違う。赤猫。=

(うん?)


 声に言われて。男子二人の横に座ったリザを見ると。確かに部屋に入って来た時とは打って変わって、やや元気がない。


 フォークの先でつんつんと煮物をつついているようで、食も進んでいないようだ。どうも部屋に美味そうな夕食が並び出した頃から。それを見た時から。なんとなく口数が減っていった気がする。


 ひとつだけ。思い当たる。


「リザ、ちゃん」「え? うん?」

「ひょっとして……パメラちゃん、だっけ」


 男子の手も止まってしまった。あ、と思ったが遅い。サンディも困った顔でうなじに手をやる。


=おまえは……本当に迂闊だなあ=

(ごめん……)


 だが。その最初に元気がなかったリザが。目を伏せたまま。

「あの、ね、アキラさん」「はい?」

「ウォーダー。治したじゃん」「うん」

「……リザ?」


「あの男の子も、アキラさん、治したんだよね?」

「おとこの……ああ、あの魔導師の子。そうだね。エイモス先生の言った通りにしただけなんだけど」


「じゃあさ」「リザ。」

 強くはない。が、しっかりとした口調で。アキラの隣に座るサンディが声をかける。


「リザ。だめ。それはロイさんに訊かないと」

「……だめ、だよね、やっぱり」


=あの白猫の眼のことだろうな。おそらく人に化けても眼帯が外せないから、今回も置いて行かれたのだ=

(そうなんだよね、やっぱり……迂闊ついでで、いいかなあ?)


=好きにしろ、なんでも手伝ってやる=

(ありがと。)


「帰ったら聞いてみるよ。ロイさんに」

「え!」「あ、アキラさん。それはっ」


 サンディが慌てた。リッキーとエリオットもびっくりしてアキラを見るのだ。リザの目は期待と。不安で。瞳が震えている。アキラが念を押す。


「どうなるかは。わかんないよ」

「……うん、うん」

「じゃあ、食べよ。食べて、ね」


「あ。あの。あたし。リザ。リザ=フレミング」

「知ってる。あれ? なんでだっけ? ああ、エイモス先生がロイさんに褒めてたんだ」

「えっホント?」

 ぱっとリザの表情が明るくなった。


「リッキーと先生のケガ、手当てしたんだよね。上手だったって」

「そ、そうなんだ……えへへ。でもリッキーの背中は、本当はパメラなんだよ」

「そうなの? パメラちゃんは、なんて言うの?」


「ガーネットっ。パメラ=ガーネットだよアキラさんっ」

 元気になったリッキーが参戦して来た。

「あとね。食堂の二人も。知ってる?」

 エリオットも入ってくる。


「えっと。男の子と、女の子だよね」

「うん。男はフランだよ。髪が短くて耳が丸い方。よく名前で女の子と間違えられるんだ。フラン=トレイニーだよっ」

「あと、耳の長いウサギの女の子だよね。ちょっとほわっとした感じの」

「シェリー。そう。覚えてるじゃんアキラさん。シェリー=ハート。あと一人、わかる?」


「わかるよ。あの魔法が好きな犬の男の子。だよね」

「リンジー。リンジー=フィッシャー。ね、サンディ」


「えっ。うん。そう、そうです」


 そこからアキラと子供たちは。わいわいと蛇の面々について、特に子供たちについて。お喋りしながらテーブルの温かなおかずをつまんでいく。


 ときおり、話に参加しながら、相槌を打ちながら、サンディは。子供たちを、銀髪の青年を。ほおっと見ていた。少し火照った頰を撫でながら。




◆◇◆




 ごんごんと屋内に響く起重機の音で、隣の声もなかなか聞き取れない。蛇の巨体の上部には折れた三番砲身の代わりが吊り上げられ、ゆっくりと。他の右舷主砲にぶつからないよう慎重に降ろされていた。

 二番四番の調整と、表面のあちこちの微損壊の補修で、ウォーダーの周囲は忙しく作業員が行き来している。ぎゃあああんと研磨機が火花を散らす。


「とりあえず。今夜いっぱいで。砲身はなんとかできそうですなっ」

「こっちは構わねえ。先に飯食ってくれロイ。」

「了解です。」


 蛇の修繕を見ながら虎と飛竜が大声で話す。若手がいないと婆さんは言っていたが、それなりの人数が集まっているおかげで乗組員たちは監督以外にすることもないのがありがたい。後ろからタンクトップにツナギのような作業着を着たミネアが近づいて言う。


「あんま難しい修理、ないっぽいね」

「そうだな、突貫で済みそうだ」

「だからログいないの?」「うん?」


「ログが立ち会わないって、珍しくない?」

「なんだろうな、モニカに呼ばれて行っちまったが」

「そうなんだ」


「飯の話か、魔法の話だろ、あのふたりなら」

 虎が笑う。





 話は。魔法の話だ。

 食堂車のテーブルに座って、ログが腕を組む。


緩力フーロンまで、知らんのか」

「そうらしいね」


 厨房の中ではフランとシェリーがかちゃかちゃと忙しく動き回っていた。とうに料理は済んでいたのであとは配膳の準備だけだ。もうしばらくすれば大人たちも食事に来るだろう。いつもならモニカも采配している場面だが、今日は少しふたりに任せて岩の男と話す時間を作っている。


「どのくらいなんだっけ? 解けたのって」

「百年は前だな」「だよねえ」


 頭に手を回して、モニカが椅子に寄りかかって。

「……これは、もう。いよいよかねえ」

 ぼおっと天井を見て呟く。


「窓の旅人、か?」

「ただの謎かけかと、思ってたんだけどねぇ」

 ばっと。ななめ上に両腕を仰々しく広げたモニカが。


「おお! 天よ! 天よッ! 私を許してくれっ!」

 その大声にフランとシェリーがびっくりして。半笑いで厨房から覗く。


「モニカ……なにそれ」「へんなのー」

「いいんだよ。早く配膳やっとくれ」

「はーい」「はーい」


 ログが苦笑する。

「『罪を許してほしい』だ」

 

「だったっけ? もうずいぶん昔に習ったっきりだから。忘れちまったよ。天よ天よのとこだけ、なんとなく覚えてんだ」

「この蛇で知ってるのは、我々くらいか?」

「だろうねえ。ああ、あの医者は、ひょっとしたらかもだね」


「艦長に話すべきだろう、どのタイミングで話す?」

「まあ、シュテに行くなら、その前だろうねえ」


 ログの目が細くなって言うのだ。

「あの子供の魔導師に、妹御のことは聞かなくてよかったのか?」


 その言葉に。ちょっと鼻先を掻いて。テーブルに頬杖をつく。


「いいよ。迷惑かけるだろ」

 モニカが、寂しそうに笑った。









——・——・——


そこに扉はない

そこにあるのは窓なのだ


窓より神は 髭を伸ばし

私は叡智を 手に入れた



おゝ 天よ 天よ

罪を許してほしい 隠さねばならぬ

竜脈の 鏡に映る二十二の印象に

私はいにしへの法を隠す

解くべき時に 解かれるのが智慧なのだ

解くべき時を 待つべきなのだ


ただ扉なき 窓の彼方の旅人が


開き 求むるならば すべてを

我が名を記した燈火カンテラ

差し出しても良い


ひとつめと ふたつめの

その言葉で 読むと良い


そうしなければ 間に合わないと

そうしなければ 滅びが始まると


の旅人が 云うのであれば



(ノエル / 詩『燈火 源泉にて』)


——・——・——





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