第三十七話 ホテル・キャルトニア、燈火①
——
竜脈を起源とするエネルギー『
対して、魔力をさまざまな
そして特殊なのは、魔法には〝銘〟がある、ということだ。銘は製作者・使用者・管理者の名であると同時に、その法の使用権限でもある。特定の個人しか使えないもの、一部の集団に使用が許可されているもの、すべてに等しく使用が許可されているものの別がある。
竜脈より発する〝さかさまの樹〟から産み落とされるクレセントのように使用権限を超越する種族や、十三番『
開かれた呪文は広く浸透し、
八番。『
ノエルの
「うっわ、ホントに滑走路だ……」「ね? ね?」
格納庫の左舷扉から身を乗り出し、左手をかざし銀髪をなびかせてアキラが言う。柵の横から子供たちも顔を出している。
蛇は、一度山向こうに見えるイルカトミア市を少し背にして素通りし、山稜の裏手上空で旋回して流れる河川へ近づいて飛ぶ。
森の中を走る川の上流は、確かにそこそこの幅ではあるが深さがあるようには思えない、が。蛇は流れに沿ってだんだんと高度を下げていく。
岸の両側、鬱蒼と
イルカトミア市の隠し
炉の計器盤を見ながら動力室のダニーが声をあげる。
『
管制室操縦席のミネアがゆっくりと蛇の速度を下げる。
『水深、変更なし。
滑らかに、しかしあっという間に。蛇が森に降りていく。リッキーたちが首を引っ込めて言うのだ。
「ほらっ、アキラさん危ないよ」「え?」
開いた扉の外に、もうそこまで。暗い森の枝葉が迫ってきた。
「うおっとっと」「もっと中、中。こっち」
『着水。』
周囲の樹々が風圧で
翼を完全に閉じたウォーダーが、川に降りる。
岸に膨大な水が溢れ出し、夜の森へ流れて広がっていく。
どおおおっと目の前に流れる水量にアキラが仰天するが、透明な水槽のごとく、水は魔法の壁の向こうで留まったままだ。そして。
(ふ、ふっかい。この川。なんだこれっ。どうなってるの?)
黒の体表のあちこちに細かな泡を立てた蛇が、川底へと潜水していく。しばしの
=水深十メートル以上はある。底を人工的に掘削しているな……アキラ。この川、
(え? なにそれ?)
=水が二層に分かれている。しかも……下層は、これは魔力か?=
「ひょっとして。川の深さに驚いてるのかい?」
慌てて振り返るとモニカがいた。同時に艦内にミネアの声が響く。
『モニカ。
「
『了解』
そう腕輪に答える間に。赤毛の少女が、不思議そうにアキラを見上げる。
「——『
アキラが頭を掻くので。子供たちが顔を見合わせた。
じっと。その困ったような顔を見て。
少し笑ってため息をついて。アキラに説明する。
「——
「は、はい」
「あれも
「下の層が、運河になってるんです?」
「運河。そうだね。いい表現だ。——昔は、けっこう面倒だったんだ。火は火で、水は水で、土も風も、こんな魔法はあったけど呪文も難易度もバラバラだった。それを統一したのが
=一種の産業革命だな=
(やっぱ、すごいヒトだったんだなあ……え、じゃあさ)
「はい先生」「ふふ。なんだいアキラくん」
「固めた下層の水は、腐ったりしないんですか?」
またモニカが笑う。笑うのだが。
「いいねえ。——長いこと
=それは……おそろしく汎用性が高い。つまり保存の呪文だ。食料品も
「ウチの厨房でも使ってるよ」「そうなんだ……」
「買い出しで恥かかなくて、よかっただろ?」
アキラは、きっと。よい生徒なのだろう。
しかしモニカの笑顔の奥は。なにか、遠い目をしている。
◆◇◆
まるで水中の地下鉄のような、切り立った岩盤に囲まれた水路を。10分そこらでも進んでいただろうか、少しばかり首を覗かせると、やがて前方の岸壁が一部くり抜かれたホームのような入り口が見えてきた。ミネアの声がする。
『
蛇が滑らかに停止し、左に全体を寄せて。固まった水を抜けていく。ざああああっと滝のような音がして障壁を水が流れ落ち、その先は。
(ひ、広い……)
=これが民営なのか。立派な係留施設だな=
数メートルほど高さが取られて岩盤がむき出しの天井には細かい鉄骨が規則正しく張り巡らされ、そのあちこちにぶら下がった傘形の照明が、屋内を煌々と照らしている。
いくつかの太めの鉄骨には工場で見かけるような可動式のチェーン
水を
出てきたばかりの魔法の水はすでに垂直に切り立った水面に戻ってざあざあと、向こう側に流れを揺らめかせているのみなのだ。
アキラの目の前に開かれた格納庫の扉、その障壁の前まで作業員が四人掛かりで、フェリーでよく見るような鉄製の
「ダニー。障壁解除」『了解。障壁解除』
魔法の壁が消えていく。庫内に虎の声が響く。
「なんだ、こっちにきてたのか。予定は頭に入ってるかリザ」
「アキラさんの服は今夜中だよね」「えっ」
ちょっと驚くアキラに虎が笑う。
「朝市は早い。まだ服屋は開いてる、済ませとけアキラ。そのための泊まりだ」
「ですね。前乗りでした」
「前乗り? 面白い言い回しだな」「よく使ってました」
「ほら。鍵だよサンディ。四人分だ」「あっ。はい。はい」
虎の後ろに隠れていた感じのサンディにモニカが近づいて、右手を上げる。二人が握手するとぼうっと。握られた掌が光った。
「宿は部屋なら解いていいよ。ロビーはダメだ、ヒトも泊まってる」
「りょっ、了解ですっ」
緊張しているサンディの後ろ姿を。入り口扉の鉄板を両手で掴んで首だけ出して。リリィがむううううんとふくれっ面で見ているのにアキラが気づく。
置かれたタラップを順番に降りる。やはり子供たちが競って先だ。広場の奥から、二人ほどの作業員を引き連れて、ずいぶん小柄な老婆がやってきた。
頭はもう真っ白の長髪を後ろで縛り杖をつき、着ている服装は魔導師の法衣に似ているが腰に細い布帯を巻き、脇で結んである。
「久しぶりだなあ。婆さん」やや陽気な、虎の声に。
「ホントだよ。こっちが
「ま。待った待った婆さん」
「なにがだね。あたしゃ夜は早寝って決めてんだ。そっちの宿は山手だ。いつもんとこだ。市場の話はおかみに聞いとくれ。服屋にも言っといたから店開けて待ってる、行ってきな。ちびたちは元気そうだね、どんだけ背が伸びたんだい齢をとるはずだ、いやんなるよ。モニカ、袋はどこにあるんだい?」
「あっはは。艦長だよばあさん」
後方で笑いながら手すりにもたれたモニカが虎を指差す。老婆が虎に目を戻して、杖を持たない右手を出した。参った顔で虎が袋を渡す。
「確認してくれ」
「しないよめんどくさい。あとはそっちで話しとくれ。おかえりイース」
それだけ言って、ふいっと。老婆は背を向けてすたすた奥へ戻って行った。突風のようなその喋りに、ほおおおと口を半開きのアキラに言う。
「昔っから、あんなだ」「……そうなんですか」
「アキラさぁんっ。行くよほらあっ。サンディもぉっ。」
いつの間に動いたのか、広場の端の階段前にいる子供らが。遠くから二人を呼ぶのだ。
「じゃ、じゃあ行きます」
「頼む。詳細はサンディとリザに聞いてくれ。気をつけてな」
「はい」「行ってきますね艦長っ」
サンディが駆け出しながら頭を下げる。アキラも虎に一礼して、慌て気味にその後を追って走り出したが、ふと見れば格納庫の手すりまでリリィが出てきてぶんぶん腕を振っていたので、大きく手を振り返した。
「ずいぶん腰の低い青年ですな」
「うん? まあ、そうだな」
作業員の感想に、虎が笑った。
ちょっと寂しそうに柵にもたれたリリィの反対側で、じっと。
モニカの視線は、去っていった青年の背を追っていたのだ。
◆◇◆
薄明かりのぶら下がる何度かの踊り場を折り返しながら、最後にずいぶん長い階段を五人で駆け上がっていく。子供たちは速い、元気だ。ときおり立ち止まって振り向いて「早くっ、早くっ」と大人二人をせかす。聞こえてくるのは、機械の駆動音である。コンクリを削るような音で結構やかましい。振動も感じてきた。
やがて見えてきたドアの向こうは、ずいぶん殺風景な廊下だった。迷わず子供たちがたかたか走って守衛のような窓に近寄って、置いてあった鍵を無造作に手に取って。周囲の音はどんどん大きくなるのだ。暗い廊下をあかりの方へ駆けて。駆けて。外開きの鉄扉を大きく開けて外に出た。
アキラが見渡す。
「うわあっ……」
夜の採石場だ。
大小の重機たちが、ごんごんと崖を掘削していた。人も見える。アキラたちが出てきたのは現場の脇に建つ事務所のようなビルだった。
星の出る晴れた夜空にわずかに粉塵が舞い、埃っぽい現場は広く切り開かれてあちこちに、屋外用の大きく丸い照明が立って周囲を照らしている。いくつかの小さな機械はふわふわと浮上しながら崖に張り付いて、そこに乗った作業員が尖った手持ちの掘削機で岩肌を削っていた。
=なるほど、確かに川で運ぶ方が効率はいいな=
(あ。あの運河のこと?)
=そうだ。おそらく下流域の工業地帯まで、水路で搬出しているのだろう=
そんな景色は見慣れているように子供たちは。広場の脇に停めてある魔導器に近づいて走る。
魔導器はリアにむき出しで大型のキャリアをつけた牽引車で、キャリアは座席が四つと少々の荷物スペース、流線型で大型のスタンドを使って接地している。運転部は地球でいうスノーモービル風のデザインで、シングルの座席が付いていた。
たんっ、たんっ。と次々に。結構な高さに支えられ手すりまでついた後部をバルクールばりに子供ら三人が軽々と飛び越して乗っていく。人に化けてるとはいえ相当な身体能力なのだ。
すっごいなあと感心しながら運転席に座ろうとしたので、アキラがサンディとぶつかりそうになった。
「とっ、すみません」
「あ、あれ? 運転、できるんですか?」
サンディが戸惑う。もともとアキラにとっては、今回は出張——要は仕事モードであったし、モノローラの操作も体験していたので、当然のごとく答えるのだ。
「道順、教えてもらえれば」
「えっアキラさん運転なのっ? じゃあ、はいっ。ほらっ」
後部からリッキーが投げた鍵をちゃりっと片手で取って。サンディに続けた。
「大丈夫だと思いますよ」「は、はいっ」
=格好をつけたな?=
それもある。
(まあ。うん。大丈夫だっけ?)
=まったく問題ない。分析は中指だ=
横から覗くサンディは気にせずに、アキラが右手をハンドルに触れる。またこれも一気に。機体の構造と操作の仕組みが脳に焼きついた。やっぱり慣れない、ちょっと眉をしかめてとんとんと左手で頭を傾けて叩いて、座席にまたがる。理解した機体の構造は、蛇やモノローラとはまったく違う単純なものだった。
(これは……本当に機械なんだね)
=そうだな。幻界の生き物というわけではない。誰にでも運転できる魔導の機械だ=
鍵を差してセルをかけると、ゔぅぅん。と柔らかい駆動音と緑の光が発して機体がかすかに浮いた。サイドレバーを一つ入れる。さらに全体が浮上し両脇のスタンドが後ろに回転する。完全にキャリーも宙に浮いた。操作に問題はなさそうである。アキラが振り向いた。
「行きましょうか」「は、はいっ」
サンディは同じような返事を繰り返すのだ。
◆◇◆
道はわずかに近未来だった。
採石場から出た道路はさすがにアスファルトではなくコンクリっぽい石畳で広々として、ただうっすらと道の型に延々と、青いゼリー状の
周辺は山間だったが、峠を越えて大きなカーブを曲がった途端。
(うっわあ。久しぶりだなあ。こういうの)
下り坂の左手は。
大きく空が開けて、街の夜景が眼下に広い。
子供たちも手すりにつかまって。遠くに広がる河の下流を指差して。優しい夜風に髪をふわふわとなびかせてお互いに話をしているようだ。
ちいさい子らは気づかない。キャリアが揺れない。浮力のクラッチを低めにしているからだ。風が心地よい。
悪路なら、浮力は高めがいい。が、重心も上がって浮き沈みが激しい。だから酔う時もある。こういう舗装された道路なら、浮力は低めがいい。ただステアリングは重くなるのだ。
華奢なはずの運転席の銀髪の青年は、それでも。ときおり細かくかしかしとサイドを切り替えるだけで、慣れた手つきで重めのハンドルを
元来、アキラは社用車で出かける際に乗せる相手は医療関係者が多かった。お偉いさんなのだ。運転が丁寧なのは身に染み付いている。
が。キャリアの座席に収まった彼女には。こんなラグジュアリー優先の操縦は、とてもとても馴染みがない。ただ黙って。閉じた膝に両手を乗せてシートにもたれかかるサンディの、ブラウンの前髪が揺れていた。
山手のこじんまりとした商店街も、今はほとんどの店が閉まっている。その中で、坂の手前の交差点に一軒だけ、まだ店の明かりが灯っているのが見えた。肩越しにリザが指差すその店の駐車場に一行が乗り付ける。
「いらっしゃい。お話は聞いてますよ。どうぞどうぞ」
ウッドハウス調の玄関で美人の女店長に迎えられた。店の中には棚にも壁にも、高く組まれた屋根裏の
「こっちこっち」「へ?」
奥のカウンターの上には。すでに数セットの衣服が準備されていたのだ。上着の上下、靴、ベルトや、そして固めて置かれた男物の下着まであったので。びっくりしたサンディがばっと視線を外して言うのだ。
「あ。あのっ、ちょっと服を見てきますねっ」
たっと走って棚の陰に消えたサンディの意味がわからなかったアキラがテーブルの下着に気づいて「うわっ」と声をあげる。子供たちはきょとんとしたままだ。
とりあえずセットの服を抱えて試着室に通されたアキラが着替えれば測ったようにぴったりで。いったい誰がサイズまで店に通しておいたのか、だいたい想像はつくのだが。
=まあ、ウサギだな=
(やっぱそうかなあ)
シャツとズボンは割とスリムなデザインだったがミリタリージャケットぽい厚手の上着はやや大きめだったので袖を捲って羽織るだけにする。「できた? できた?」と外から子供らがやたらと声をかけるので開けてやればわあ、っと喜んで飛びついてきた。棚の端から覗いたサンディが、やっと出てくる。
「あ。あ。あの。似合ってます。うんっ」
「あはは、えっと。この着替えた分はどうしましょう?」
「洗濯してお届けしますわ。お代も、いつも通りで」
「え?」「了解でーすっ。ありがとーっ」
リザの返事に。残りの数着を布袋に畳んで詰めていたカウンターの店長がにこにこしている。どうやら支払いすら手際よく終わっているらしい。荷物を受け取って、見送られながら店を後にする。
子供らの案内だと宿はさらに、この道の上手とのことだった。青く
◆◇◆
五、六分でも走っただろうか、やがて登りきった先に洒落たコロニアルスタイルの建物が見えてきた。建物正面の開けた駐車場にはいくつかの車が停まっている。数人乗りらしく滑らかなデザインだが、要塞で見た車のような頑強さは感じない。一般人向けの量産車なのだろう、そしておそらく。
(これも、機械なんだよね、きっと)
=だろうな、おそらく魔力で励起したりはしないのだろう。それよりアキラ、あの先まで行ってみろ=
声がそう言うので。車を停めたアキラが運転席から降りて。ぱたぱたとキャリーから下車する四人が後ろから「アキラさん?」と呼んだが、振り向いてちょっと手をあげて。駐車場の南へ歩む。
そこは街が一望できる、ひらけた高台だった。
=いいか? 無線の位置をトレースする=
(うん?)
次の瞬間、アキラの左目の瞳孔がぎゅうっと収縮した。
夜景のあちこちに。赤い光点が浮かび上がる。
ぞわっと。数歩アキラがたじろぐのだ。
それは巣箱の虫のように。
街の灯りを、道を、無数に動き回っている。そして声が届く。
『小隊3。先は袋小路だ——通して——捕獲しろ』
『こちら十名前後です——足りません。いえ、——送ります』
『座れ!! 座らないか!! 大人しくしろ!!』
『この子の親はどこだ? 逃げたのか?』
『中央街六番に——先に急行して十二番街に回り込んでくれ』
『緊急ありません——男性二名が抵抗の末、軽傷です』
=郷愁はかまわない。アキラ、だがここは敵地だ=
傍受された帝国兵たちのやり取りに声が重ねて言うのだ。ひたいに数滴の汗を浮かべたアキラが、小さく頷く。声は出さない。後ろに彼らがいるからだ。
=世界の情報は必要だ。帝国の〝人狩り〟も例外ではない=
(うん……そうだ、そうだね)
=あれが何なのか、アキラ。我々は知らなければならない=
(わかった)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます