第三十六話 停泊準備 ②
頭を掻いて虎が言う。
「まあ、動けそうなのはサンディぐらいしか、いねえなあ」
昼食後の部屋でくつろいでいるのは艦長を始めロイ、ダニー、ケリー、ノーマ、そしてエイモス医師であった。灰犬のダニーが天井を見ながらしばし考えて、答えた。
「停泊時間を考えるとですね……
「でもサンディだけじゃ、ちょっと心配だわ。私、行こうかしら」
「いや、それだとモノローラの乗り手がいねえ。お前は残ってくれ」
虎の言葉に、狼が隣の狐にすまなそうな声を出す。
「悪いな、最近、俺はなんだかついてないらしい」
「そうねえ。少し運が悪いわねえ。あんな子供なんてねえ」
「まったくだ……
そんな話に参加せず腕組みして何ごとか考えているような飛竜に、艦長が言う。
「あんま無理は考えなくていいぞロイ」
「え。ええ、もうそれくらいはやらせてもいいか、と」
おそらくリッキーたちをアキラに付けることを思っていたのだろう、と獣たちが納得する。
元来、獣が極限まで魔力を抑えこんで人に化ける〝
その性質によって、むしろ子供の獣のような、魔力が未発達な者の方が隠身は得意なのだ。蛇の乗組員たちも例外ではない。ないのだが。
「どうせ帝国兵がいる。俺の時みたいに外から鍵かけるのは危ねえぞ。けどそれだと、すぐ解いちまうだろ? あいつらは」
「でしょうな、
「うーん」と唸る虎をよそに、医師が少し可笑しそうにしている。今は飛竜が子供たちを彼につけると提案している。この蛇に乗り込んだ時に比べたら、ずいぶん青年の株も上がったものだなあ、と。
「解呪にサンディを紐づけとく、ってのでいいんじゃないかしら? アキラくん足して、四人くらいで。どお?」
「——うん、任せる。ロイ決めてくれ」「了解です」
四人とノーマは言ったが、最終的には五人で決まった。リッキー、エリオットに加えて買い出し要員にしっかり者のリザを加えることにして。ロイが伝えたら男子猫組は俄然、張り切る。
「ぜんっぜん大丈夫。まっかせて!」「了解ですっ」
「役割は護衛だ、遊びじゃないぞ」「うんっ」
赤猫のリザはパメラを置いていくのに最後まで渋ったが、パメラの方が「遠慮したらダメだからっ」とリザの背中をぐいぐい押すので、結局出るのに承諾し、そこからはさすがというかモニカに聞いてばりばりと買い出しリストのメモを取る働きっぷりだった。
厨房のフランとシェリーも少し羨ましがったが、帝国兵がいるらしきこと、隠身の時間がそれなりに長いことを聞くと腰が引けて納得する。単純に生身の身体能力、戦闘力でいえば子供たちの中ではリッキーとエリオットが頭一つ抜けているからだ。もう一人機敏な子はリンジーだが、彼はサンディに代わって動力室の点検に関わる。
「今回は帝国領内だから、しかたない。また別の街で羽を伸ばすといい」
「うう、そうですね」「ですねえ」
ログに言われて二人とも引き下がるくらいには、聞き分けがいい。むしろ聞き分けが最後まで悪いのは。
「えええええなんんでえええ。なんでえ。いつ決まったの。いつううう」
「いや私は全然代わってもいいんですけど」
「じゃ代わろっ」「ダメよリリィ」
サンディの腕にしがみついたリリィに。ぴしゃっとノーマが釘を刺す。
「リザの負担が増えるじゃない」
「いやいや。なんでノーマ意味わかんない」
「どうせ街の人、驚かそうとして隠身解くでしょアナタ」
「うううっ。今回はしないからっ」「ダメ」
=なんという危険因子だ=
(ちょっとわかる気もするような……あれっ?)
医務室前の通路でそんな話をしていた全員の前に。がらっと開いた扉から、ひょこっと顔を出したのは。アキラがびっくりして声を出す。
「おおわっ! すっご。」
「へっへーいっ!」
藍色の髪を耳元まで伸ばした、元気そうな少年だった。
顔立ちは幼く大きな瞳が印象的で、やや鼻筋がしっかりして目尻がわずかに上がって眉がざっと広がっているのが猫っぽい。小柄な体に薄手のパーカーとシャツ、下はジョギングパンツのようなちょっと緩めの格好でぴっと上げた片足が様になっている。
その後ろからさらに男の子が顔を出す。「えっへへ」とはにかんだ顔はさらに童顔で大きなメガネの奥からのぞく目は丸っこい。鼻の頭も丸っこい。頭全体が丸っこいのは茶色の髪がきれいにおかっぱに揃っているせいだろうか。少し大きめのシャツを着崩してカーゴパンツを履いている。
「よーし、子供らは終わったよ。サンディ入りな」
そう言うモニカと一緒にひょいと出てきた女の子はふわっふわの緩いウェーブのかかった赤毛のリザだ。こちらは猫の子の時とほとんど外見が変わらない、耳と尻尾が消えているだけなのだ。赤いジャンパーにデニムのパンツが似合っている。
=これは……四種混合ではないのか?=
(耳も尻尾も、消えてるね。変形してるのかな)
=無自覚に使っているのか? この世界の魔法は、謎が多いな=
疑問に思う声をよそに、目の前の子らは何か感想を言ってほしくてそわそわしているので。
アキラがしゃがんで「みんなかっわいいなあ、おしゃれじゃん」とか言ってみると、三人ともてれってれでアキラをパンパン叩いたり髪を撫でたり服をいじり始めた。可愛いものなのだ。それを指を咥えてじいっと。ウサギは見るのだ。
「うらやましい……」
「はいはい。ねえアキラくん」「え、はい?」
「あなたの髪も、なんとかしなきゃダメよ」
ああ、と思ってアキラが自分の前髪を数本つかむ。そういえばこれまで自分と同じような真っ黒な髪は、結局誰一人、出会ったことがない。
「えっと。何色がいいんでしょうか?」
「青!」「茶色!」「赤っ!」「白!」
「ちょっと混ざらないのリリィ」
=まあ脱色するぐらいがいいだろう。頭を振ってみろ=
(思いっきり? こんな感じ?)
声に言われて子供らの前でしゃがんだまま、ぶるぶるっと、アキラが頭を降る。ばさっと黒髪が変化して。
「うおおお!」「すっごい!」「ひゃああ」
アキラの髪がやや白のラインがかかったグラデーションメッシュの銀色に変わった。少しクセも入っている。きゃあきゃあよろこんで頭を触りにくる子供たちと別に、リリィとノーマが口を開けて固まっている。
「似合うっ。似合う。アキラさんっ」
「ケリーっぽいっ。いい感じ!」
「あたたた、そんな引っ張らないで」
「……いいじゃない!」「うわっえっと」
「ホント似合うから。そのまましときなさいよアキラくんっ」
両手のひらを揃えて喜ぶ狐の横で。ウサギが赤い。真っ赤だ。それをあざとくリザが見つける。
「リリィちゃんっ。顔が真っ赤ぁ。うっふっふう」
「うえっ? う。う。ううん?」
ウサギがあまりに真顔で頰から下を右腕で
「おっ……おお、っとぉ……」
「なんっだい、髪の色変えられるのかい? 似合うじゃないかアキラくん」
医務室の扉からモニカの声がしたので振り向けば。
「え。ええ、っと」「あの。どうも……」
ネズミの娘の横には、アキラより背丈のやや低い茶髪のボブヘアーの女の子が立っている。目の輪郭はしっかりして上に丸く、鼻筋が通ってやや厚めの唇は何か言いたそうにしていた。薄いセーターにカーディガンを羽織って、スリムのパンツに脚の線がしっかり出ている。
お互いに固まるアキラとサンディを見て、ノーマの顔を見て。交互に見て。リリィが涙目で狐の胸をぽんぽん叩くのだ。小声が聞こえる。
のーまっ のーまっ とられるっ のーまっ と。
「隠身、練習しようねリリィ」狐が苦笑した。
◆◇◆
結局、イルケア領内に進む頃には西日もそろそろ落ちて、周辺の山麓はだいぶ薄暗くなってきた。しかし今までの風景とやや違うのは、山裾のあちこちに家の灯りが見えるのだ。
飛ぶ蛇の眼下にも街道が見える。さすがにこの時間、この田舎だと静かなものだが、それでも時折ぽつぽつと道を動く光も見えるので。
「ダニー。そろそろ
『了解です。音も下げます』「頼む」
管制室の右端のモニタに映った地図は、これから停泊するイルカトミア市のものなのだろう。山間から流れる大きめの河川が街の北側で二つに分かれ南に向かって街が三つに分かれている。真ん中の、ちょうど大きな中洲のような地区の中心に広々とした公園や広場が描かれ、主要な道には橋が多い。
=アキラ。計器盤に右手を=
言われて、そっと。自然に手をつけば頭の中に一瞬で。ざあっと街の地図が書き込まれてきた。通りの名や町名、主な建物の名称まで流れ込んでくる。
(ううおっ。これっ、慣れないなあ)
そんなアキラには管制室の皆は気づかない風で、虎の後ろに固まって通信を聞いている。珍しくこの部屋に来ているモニカの
「なるべく早く頼む。できれば一日で発ちたい」
『一日かね、突貫になるじゃないかね。砲身は右の三番だけでいいんだね?』
「あと二番四番も補強ができればいいんだが」
『最近ねえ、人狩りですっかり若いもんが減っちまったんだよねえ、この街もさあ。金に困ってる連中は、多いんだけどねえ』
虎が苦笑する。
「配分はまかすよ婆さん……ああ」
横でモニカが渋い顔をするのに気づいて、言い直すのだ。
「なるべく残りは帝国紙幣とアイルターク金で半々で割ってくれ」
『ロクヨンだね』「半々じゃダメか?」
『55、45かねえ』「
『イルケアの地金はいるのかね』
「先に50取ってくれ、こっちは20ほどあればいい」
『宿は?』「うん?」
ちらと虎が地図を見る。山間の上流域から街全体は、おおむね10キロリーム(約12キロメートル)圏内というところか。モニカの顔に目を向けて。
(買い出し、多いのか?)(まあまあね)
「……取ってくれ。部屋はふたつだ」
ええええええっと声が聞こえんばかりにウサギが呆然とするので。ノーマが可笑しいような困ったような顔をした。人に化けたサンディは少し目を丸くして両手で口を押さえる。対照的な二人をミネアが面白そうに見ていた。
(え? 旅館みたいなのがあるの?)
=それは、あるだろう。大きな街だ……おまえ平気なのか?=
(関西はだいたい泊まりだったしね、ビジホは好きな方だよ)
=うーん、ズレてるが、まあ平気ならいいんじゃないか?=
「あといつものロックバイクをリアのカーゴ付きで」
『ああ、準備してあるよ。買い出しだろ。中洲通りの東街と中央公園から南は避けなよ。公営の
部屋に緊張が走る。
「二中隊も? なんでだ?」
『第三が定例の人狩りだ。第四は補給に寄っただけさ、もうほとんど出ちまった。街がでかいから中隊長がサボってるだけだね。実質、人数は一中隊だよ』
「……それなら、なんとか想定内ですかな」
少しロイが息を吐いた。虎が頷いて続ける。
「じゃあ山手の商店街と西街の工場が安全か?」
『西街まで渡らなくていいよ。
へたっとリリィが耳を下げるのを見てノーマが呆れた顔をする。やはりこの子は帝国領内では降ろせない。
夜風の吹き込む格納庫に、アキラが腕を引っ張られてくる。もうそろそろ街が見えるというので、リッキーとエリオット、リザの三人が連れてきたのだ。なんだかんだ言って皆ひさびさの街で気分が高ぶっているのだろう。そこはやはり、子供たちなのだ。
「今は風防に色がついてるからね、そんな見つからないから平気だよっ」
「そ、そうなんだ、どこだっけ?」
「下見て、ほら、アキラさん。下」
言われて恐るおそる、格納庫の柵から身を乗り出す。
「……うっわあ……」「ね?」
もうすっかりしじまに包まれた山あいに、それでも。うっすらと道がわかるのは街道沿いに家の灯りが点々と列をなしているからだ。灯りは少し曲がりくねって重なるふたつの
蛇がゆっくりと高度を上げる。山向こうが、視界に広がってきた。
「……街だ」
帝国イルケア領、イルカトミア市。
総人口五万程度の小都市である。大型河川が街を三つに分割し上流の山手地区から主要幹線道路が扇状に走る。中央の中洲地区に公共施設が集中し、南には中央公園と公営停泊所が開けている。
山手から東区は主に住宅街で、今はもうたくさんの家の明かりが集まっていた。
「……あれ……」
「……アキラさん?」
中央区から西は工場が軒を連ね、産業である鉄の錬成と岩塩の生産が行われている。西区の下流域に広がる点滅した灯りは、鉄鋼のプラント群であった。その先に広がる河の下流が、工業団地の輝きをゆらゆらと水面に写している。
小さく。船の汽笛が聞こえた。大河をさらう
「アキラさん?」
心配そうにリッキーが見上げる。
アキラが、泣いていたからだ。ぐっと。手すりを握りしめて。
「うん? なんでもない。なんでも。」
違う世界で。
初めて青年のこころを震わせたのは。
出会いでも戦いでもなく。
夜の街の
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