第三十三話 反射


 森から天へ、さかさまに。

 灰色の雲の中。無数の稲妻が立ち上がった。

 樹上から打ち出される雷撃は楔のようだ。

 蛇を撃って天に繋がる雷撃は鎖のようだ。


 山麓の周辺は厚ぼったい雲に覆われ何も見えない。ひたすら縦に流れる電撃の光だけが、ウォーダーを囲む透明の壁に激しくぶつかり火花を散らす。ばりばりと放電してあちこちに、割れたガラスのような亀裂が入って、はじけた欠けらが森に落ちていく。


「わあああっ!!」

「きゃあっ!!」

「ひッ!!」


 壁を走る衝撃が収まらない。空中で激しく揺さぶられる艦内に断続的に響くのは、心臓に突き刺さるような硬質な破裂音である。小さき獣たちが耳を押さえてすくみあがり揺れる蛇の中で椅子に沈み込む。


「このおおおッ!!」

 蒸気が立ち上るかと見紛みまがうほどに。汗に体毛をしならせてミネアが全身に竜紋を浮かばせて。歯を食いしばって蛇を進めようとするその右腕を、モニタを睨みながら虎が掴んだのだ。

 管制室に容赦なく響く甲高い音が聞こえるたびに、イースが腰を低くしてその耳を伏せ顔をしかめて周囲を伺っている。鼻の頭には同じく汗が浮かんでいる。


「か、艦長。舵が……効かないッ」

「あんま気を張るなミネア。保たねえぞ」

「でも連中が来る。後ろから」

 焦るミネアの腕をぽんと軽く叩いて。蛇の揺れに身体を合わせながら。腕輪を口元にやるのだ。


「ダニー。何の破裂音だ? 壁か?」

『壁ですね。障壁が削られてます。主砲は暴露なので帯電しています』

「撃てば暴発の恐れアリか」『はい』

 その返事に、虎が眉間に皺を寄せた。

「どのくらい保ちそうなんだ?」

『まだまったく不明ですね。あまりに雷撃の威力が不特定です』


『俺、やっぱりりましょうか艦長?』

 横から狼の声が入ってきた。揺れは一段と激しくなる。

「その時は頼む。だが今じゃねえ。この雲、たぶん法術だろ?」

『法術だね。こいつはきっと〝縛鎖ばくさ系〟の術だよ艦長』

 モニカの声だ。


 医務室には狼と狐と医師が待機していた。ケリーがベッドの上で、揺れに耐えながら周囲の空間を見渡して。隣に座るノーマに目をやれば狐も小さく頷いたので、また左手首の時計に話す。

「俺とノーマも同意見です。しかも……励起じゃないですか? これ」

『励起系の縛鎖だな。珍しい使い方だ』

「珍しいなんてもんじゃないでしょう、共鳴から励起に切り替えるなんて、めちゃくちゃだ」

 呆れたような不機嫌なような声でケリーが返した。


 現界アーカディア元素星エレメントを使用して発動させる魔法には気術、操術、法術の三種がある。

 気術は術者の体内魔力を外界に呼吸で接続し、元素を使役する気力的フィジカルな術で励起的な導引と相性が良い。逆に操術は体内魔力をほぼ使わずに外界の元素星に術の発現を依頼する精神的メンタルな術で共鳴の導引を使うのが普通である。


 法術は、そのどちらとも違う。

 法を用いるのだ。


 法は通常、契印シールや魔法のセフィラに書き込まれる。明確な〝しるし〟によって魔法を発現させるので、三種の中では最も安定的で、継続時間が長い。よって法術は「封印・束縛」の効果と相性がいい。数年数十年にも渡って効果を維持するものも珍しくないのだ。


 しかし。普通は。それを励起では、やらない。

 元素を操作し抑え込む負担が大きすぎるからだ。


 どうしても励起を使わざるを得ないケースとは。今のように、対象が離れて印が相手に届かない時である。それでもまだ操術系魔法の方が遠距離ならば効果的かもしれない。


 にも拘わらずリボルバーは、そこに乗っているはずの敵は。印も操術も準備せず、ただ己の気力を頼りに法術を仕掛けてきたのだ。


 偶発的なのだ。その理由はやはり。


「こいつのはやさに、肝を冷やしたか」

「えっ?」

 振り向くミネアの汗が散る。

 壁の割れる音は変わらず響く。が、艦長は言うのだ。

「いやあ、追い込まれてんのは、お互い様かって思ってな」

 笑う。わずかに牙が見えた。


(長くは保たねえ、こっちも向こうも。とどめを刺しに来るはずだ)

 鼻に湧く汗は拭かない。揺れは止まない。




 感じる蛇の動きがどうやら停止したので。少年は〝上手くやれている〟と思ったのだ。

 ぱたたたっと音がするほど勢いよく、法衣を汚して鼻から床に垂れた数滴の大きな血の塊を気にすることなく、フォレストンがモニタを睨む。

(やっと、足止め、できたかあ?)


 ゆっくりと両腕を下ろして胸を張った時に、少し立ちくらみがしてよろめいて、初めて汚れに気づいた。後ろから駆け寄ったマーガレットが驚いて叫んだので。

「フォレストン!!……お前、その血は……」

 その言葉に管制室の兵士たちも、小さな導師に目を向ける。


 ごうごうと唸りを上げて、リボルバーは草原の空を微速で進みながら壁をやや赤く変化させていた。山麓は分厚い雲で埋まり、雲はひっきりなしに内部が強く発光している。ばしっ、ばしっと。弾けるような電撃の音が艦内にも聞こえてきた。


「雲に、突入します。よろしいですか?」

「いいぞう」

「フォレストン!!」

 少しふらついて顔を向け、可笑しそうに少年が答えた。

「マーガレットおまえはあ。喧嘩が始まってから俺の名前ばっかり呼んでないかあ」

「いや。そ、それは。それより血が……」


 そう言われて寄り目で鼻の眼鏡に目をやって。フォレストンが甲でごしごしと擦る。べったりと鮮血が手についた。

「これかあ、法術だから仕方ないだろお。気術でやったら手が空かないじゃないかあ、今からとどめを刺すんだからなあ」

「と、とどめっ?」

「お前、言ったじゃないかあ、蛇を墜とすんだろお?」

「い、言った……言ったけど……」


 少年が右手をぺっぺっと振って血を払う。鼻からまだ唇に流れ込んでくるのは気にも留めない。鍛錬でも何度も流した血だ。いまさらだ。


「突入します」と兵士が言って、艦の速度がやや上がった。だんだんと大きくなる音が急に管制室に強く響きだす。無限機動が雲に包まれていく。


 マーガレットが。モニタを見て数歩、後ろによろめいた。


——私たちは、そんなに強くない——


 それは嘘だと思っていた。


——メグは知らない。あなたは、戦場を知らない——


 腹をくくればいいと、思っていたのだ。技を磨くこと。戦うこと。自分が死ぬこと。敵を殺めること。そんな無情に折れないこころを、鍛えて鍛えて。手に入れたらいいと。そう、思っていた。


 間違いではないのだろう。人と、人との闘いなら。

 彼女が絶望する。下の瞼に涙が溜まる。


 眼前に、異形の世界が広がっていた。


 濃い灰色で外界の光を通さない雲の中は低空にわずかに森林の枝葉が見えるのみで、沢の全てが彼方まで縦に流れる禍々しい電光と時折下から弾けるひび割れのような稲妻で満たされていた。ほどなく前方の三連艦首にも、まとった魔力の障壁にいくつかの電流が激しく巻きつき始めてその表層を流れてばりばりと音をあげている。


 守られたリボルバーの管制室にも空気が割れるような雷撃の音が立て続けに響く。兵士たちが耳を押さえ、肩を竦めて縮み上がる。雷光を浴びてシルエットで浮かぶモニタ前のフォレストンは真っ直ぐに立ったまま何も言わない。


 戦いの場に魔導師が、ひとりいる。

 それは、こういうことなのだ。


 がくっ、と。ついにマーガレットの膝が折れてへたりこんだので。フォレストンが素早く振り向いて叫ぶ。珍しく少年の声に怒気が篭る。


「何してるマーガレット!! それは、ダメだろう!!」

「……こんな、こんなのって……」

「マーガレットッ!! 立てッ!!」


 わかっている。わかっているのだ。今の彼女にできることは。膝を掴んでひたすらに正面を向いて。溜まる涙は零さない。そのことだけだ。

 その所作に少年が怒声を止めて、ごしごしと。右手をひたすら法衣でこすって、ばっと開いてマーガレットの前に差し出した。


「つかまれえ、ほらあ」

 後ろにまとめた金髪を揺らして、くっと。彼女がフォレストンを見上げる。

「ほらあ」「……わかった」


 血にかすれた右手を掴んで立ち上がるマーガレットを目で追って、すぐ。計器盤に座る兵士に振り向いて声を飛ばす。

 

「低速前進。左前方2度方向に蛇、距離2000リームほどだあ」

「距離2000リーム。了解しました」


 雲塊の中で魔力検波盤パルスコープも目視も使えないリボルバーは、フォレストンの感知に頼るしかない。モニタの画面に向き直る。


 あとひとつだけ。それで約束も終わる。


——蛇は右の羽根が傷ついた。だから、そちらはどうにかして左の羽根を狙ってくれ。連中は賢い。おそらく伝わるはずだ——


(もう一息だなあ)

 マーガレットにはああ言ったが、元から墜とすつもりなどない。右手の拳を開いた左手にぱしぱしと当てて。


 フォレストンが、目標を定めてしまったのだ。

 そこで確定して運命は、反射が始まったのだ。





 モノローラのような単座の小型魔導機なら数百居ようと纏めて吹き飛ばすであろうほどの雷撃の嵐に、しかし無限機動のウォーダーは顫動せんどうしながらも耐えていた。

 ばらばらと。ひび割れた魔法の壁はいよいよ脆く、森に欠けらを落としていく。中にはぼこっと塊になった障壁ががらりと崩れていくつか落下するものもあった。


 動力室では炉の計器盤の前で立ったまま、専用のヘッドフォンを耳に当てたダニーが反響探知盤トーン=ソナーを睨んでいる。後ろの机上に大きく映った地形図の両脇で両手をついて、サンディとリンジーが揺れに耐えながら、その背中を見つめたまま息を飲んで見守る。遂に灰犬が腕輪に言った。


「後方にリボルバー。距離約2000リームです」

『了解だ。壁はどんな感じだ、ダニー』


「だいたい劣化速度がわかりました。保って15分ほどじゃないでしょうか」

『リボルバーの砲撃に耐えられそうか?』


 数瞬考えて。ダニーが答えた。

「一発だけ、でしょうな。おそらく壁が弾けて吹っ飛びます。そのあとは雷撃をまともに食らえば基底盤が連続して破裂するでしょう」

 後ろで聞いていた犬たちの肩がすくんで、顔を見合わせる。



 予測を聞いたミネアが緊張した面持ちで艦長の顔を見る。虎が腕輪に答えた。

「しかたねえ。劣化で壊れるにしても撃たれて弾けるにしても、障壁が解除されたらすぐ再開だ、魔力マナを溜めておいてくれ」


 と、言ったのだ。その言葉に、ロイがまず反応した。

『……? 障壁、解除後に再開ですか?』


「うん? どうしたロイ」『いえ、なんだか』

 飛竜の呟きをさえぎって、灰犬の声が響く。

『リボルバーから異音!!』




 主砲を制御する管制室の兵士がフォレストンに訊ねた。

「右舷主砲発射します、自動追尾は生きてますが正確かどうか不明です」

「大丈夫だあ。俺が誘導するぞう」


 そう答えて、ぐうっと。また少年が後ろ手に右腕を構える。少しふらついたので。マーガレットが不安げに声をあげた。


「おまえ、フォレストン。だ、大丈夫なのか本当に?」

「今度は狙い十分だあ、問題ないぞう」

 そうだ、あと一息なのだ。




「距離変わらずか?」『変わらずです』

「壁、用意しておいてくれ」

『了解です……異音が強まりました!!』


 ミネアもアキラもリリィも固唾を飲んで見守るなかで。腕輪を口元に当てたままだったので。虎のそのふとした呟きが、艦内に響いた。皆が聞いたのだ。


「やっぱり最後は主砲か。そりゃ砲撃艦だもんなあ——」


=うん?=

「はい?」「へっ?」「あれ?」「艦長?」




——やっぱり最後は爪か。そりゃトリだもんなあ——




 呟いた当の本人が。


 自分のなにげなく発した言葉に、目を丸くして固まる。ばっとモニタを見上げる。凝視する。相変わらずどんよりとした重い雲塊に、ばりばりと縦に電光の走るさまは、


「……こりゃあ、なんだ?」


——ま、まずい……艦長! 舵が効かない——


 似ている。ミネアも気づいた。目を丸くして虎を見る。


——ダニー! 障壁解除! 障壁再開!——


 医務室で、その既視感にベッドの狼と席を立った狐も固まる。ケリーの左腕をエイモス医師が横から掴んだ。

「せ、先生っ」「すまん。艦長。聞こえるか?」

 狼の手首の時計に言うのだ。



「……なんだ先生?」

『幻界は、鏡だ。艦長』



 その台詞に。だんだんと虎の視線が強くなり、少し口元が緩んだ。そのまま腕輪に声を出す。

「ノーマ。ロイ。幻界でトリの飛んできた方角、覚えてるか?」


『ははあ、覚えていますな』

『ちょ、ちょっと待って、覚えてるけど。どういうこと? そういうこと? そんなことって、ある!?』


「ある。合わせろ。迎え撃つぞ」

 ぱしっと虎が拳を叩く。ノーマが慌てる。


『え! ? なのよっ?』


『いいでしょう。気づきには乗るやつが生き残るもんです』

『いやでも私そんな二人みたいにパワー系じゃ』

「ダメだ。こういうのはきっちりやるんだ。再現するんだ」

『なんだよ混ぜなよ面白そうじゃないか』


「ダメだ。あの時の三人だ。きっちりやるんだ」


『わーかったよ。ケリー聞こえるかい?』『うん?』

『当てたらきっと乱れる。狙い目だ。っちまいな』



「りょーうかい、だ。……ノーマ。」

 少し笑って無事な左の手をぐっぐっと数度握りしめて、ベッドの上で半身をしっかり起こし左の片膝を立てて。狼が声をかけた。普段は冷静なノーマが不安げな顔で振り返る。


「骨は拾ってやる」「……もうっ!」

 ぷんとして向き直るのだ、あの鴉が飛んできた方向に。

 ダニーの声が響いた。

駆動音トーン一致!! 主砲きます!!』



 雷鳴轟く雲の中で、巨大な光球が右舷艦首に膨れ上がる。

「撃てえッ!!」「主砲!! 発射!!」


 周囲の電光を吹き飛ばし。一直線にエネルギー波が宙を焼く。


「う! お! おお! おおおッ!!」


 振りかぶって。

 腰を入れて。鮮血を散らして。


 フォレストンが思い切り右腕を振り抜く。撃ち出された直線の先端がぶわっと揺らいで、弧を描いて蛇の左舷上空に飛びかかって——


「合わせろッ!! うおおおおおッ!!」

「ぬうううッ!!」

「えぇえええええい!!」


 三人の魔力が衝撃波となって。

 光を打ち返した。

 弾の先端が爆発して真円状に弾けて。


 周囲の沢に広がった爆圧が衝突して樹々を吹き飛ばす。真芯を撃たれて反射した光線は山頂をかすめて飛び去っていく。


 管制室の空気が大きく揺れる。投げ出されそうになるのを全員が椅子にしがみついて堪えた。

 虎は反動でざああああっと床を後ろに足を滑らして停まった。

 飛竜は背中方向の計器盤の椅子に思い切りぶつかり、椅子が音を立ててぐしゃあっとひしゃげる。

 狐が反動で跳ね飛んだのを、後ろで狼が右手の三角巾を肩から大きくあげて胸板で。倒れ込んだノーマをばんっ!! と受け止める。

「……ふぅっ。」片膝で艦長が息を吐く。

「ぐおぉ、く、痛たたた」ロイが背中を抑える。

「け、ケリーっ。」ノーマが振り向いた。



(あ、あ? 合わせ撃ちだとおっ?)

 渾身の一発を撃ち返されたフォレストンが混乱する。



『乱れた!! ケリー!!』

 モニカの声が響くやいなや、抱えたノーマの左肩の外から。目の前の空間に向けて。狼が一直線に左腕を思い切り突き出す。

 風を切る。

 まるで見えない何かを鷲掴わしづかみにするように。



「ぐおおッ?!」

 意識の隙間から。唐突に。強い衝撃と痛みがフォレストンの胸元から鳩尾みぞおちにかけて突き抜けた。

 思わず両腕でガードするがぎりぎりと、まるで内臓が締め付けられるような激しいストレスを受ける。急激に膨れ上がる魔力の波にマーガレットが驚いて叫ぶ。


「どっ、どうしたフォレストン?!」「ちッ、近寄るなッ!」

(しまったッ……元素星エレメントが、られるッ……くっ!)


 ぎっ、ぎっ、がりっ、と。狼の牙が鳴る。

 がたがたと少年が胸元の両腕を震わせる。

 が、やはり。


 隙を突かれれば、所詮しょせん。獣と、子供だ。


「お前の魔導は! なっちゃいねえんだよッ!!」

 狼が勢いよく左腕を引き抜いた。


 これが真正しんしょう魔力マナの導引なら、また違ったのかもしれない。火星イグニスとの相克の禁忌に囚われ苦しんでいた水星ハイドラが、救いの手に一斉にすがって縛りから飛び出して魔導師の元を後にする。


 法術が、壊れた。


 腹から喉にこみ上げる焼ける酸味を帯びた鉄の味が、口に広がってフォレストンがげえっと吐いた。こぼれた胃液は強い赤みがかかっていた。膝を折り両腕で鳩尾を抱えて少年がうずくまる。鼻の眼鏡がかしゃっと落ちた。

 熱い。痛い。鍛錬でも経験したことがない。痛めた内臓が激しく痙攣しているのがわかる。息が詰まる。そのまま吐いた胃液の中にばしゃあっと激しく音を立てて横倒しに倒れ込んで震える。マーガレットが駆け寄って少年の頭を膝に抱えた。


「フォレストン!! フォレストン!! 誰か早く!!」

「は、はい! 誰か手を貸せっ!!」



解呪ディスペルだ。おまえたち。」

 そう言って狼が引き抜いて固く握った拳を、顔の横でゆっくりと開いていく。


 がらがらと音を立てて雲を照らしていた稲妻と電光が、一つ止んで、ふたつ止んで。だんだんと数を減らし、雲塊の色が明るくなっていく。やがて少しずつ外界から陽の光線があちこちで、差し込んで差し込んで、山麓の。そこにあったはずの森林が風景に現れてきた。ばちっ、ばちっと。樹木の上で残る電光も。そのうち収まって音が止む。


 両脇を山に挟まれた緑の谷間にリボルバーは浮いていた。はるか前方の蛇が、ゆっくりとこちらに旋回するのが見える。


 魔導の雲が去り、ほんとうの天から谷間にいく筋かの光が降りてくる。




 座り込んだ女艦長の膝で、少年が言う。

「しゅ……主砲だあ……まーがれっと……主砲っ」

「ッ!……三連、艦首ッ!」

「はいっ! 主砲準備っ!」


 ぎりぎりと少年がまた震えた。扉が開いて数人の兵が駆け寄ってきた。

「急げ! 診てくれッ!!」「は、はいっ……?」

 だが。脈を取ろうとしたり、服の周囲を見たりで、一向に。

「おい! 診てくれ! 何してる!」


「い、いえ。これは。何の症状ですか?」「ええっ!?」

「その。どこにも外傷が。病気は、私たちでは、とても」


 途方にくれる兵士の顔を見上げ、周囲の兵たちの顔を見渡して。また少年に視線を戻せば歪んだ唇が細かく震えている。モニタを見れば、遠くの蛇が完全にこちらに向き直って、主砲の翼を広げながら接近してくるのが見て取れた。


「か……代わってくれっ。」「は、はい」

 そっと。隣でしゃがむ兵士にフォレストンの身体を預けて。よろっとマーガレットが立ち上がって計器盤の兵士に言った。


「主砲、解除っ」「は? はっ。主砲解除」


 その言葉にフォレストンがきっと気丈にマーガレットを見上げるが、もう遅いのだ。彼女のこころは決まっていた。がしゃっと前面モニタ前の有線を手に取って。


 叫んだのだ。


「降参だイースっ! 手を貸してくれッ! 重傷者だ!!」


「ま、まーがれっと……だめだっ」

「お願いイースッ!! ミネアッ!! 助けて!!」

「まーがれっとっ! おま、おまえ、おまえはあっ」


「うるっさあああああああああいいッ!!」

 あらん限りの大声が。管制室に響く。


「私が決める! 私が艦長だ! いいかッ! 黙ってろッ!! お前は死なさない!! 死なさないんだッ!! 絶対だッ!!」


『重傷者は緊急か?』


 ばっ、と。返ってきた音声にマーガレットが振り向いた。イースの声だ。虎のおじさんの声だ。またマイクを掴み直して返答した。


「わ、わからない、わからないんだ……」

『魔導師か?』「そ、そうだ」


『リボルバーの高度をできるだけ下げて。メグ』

 腰が砕けそうになる。ミネアの声だ。


「ミネアっ……」

『ウォーダーを上からつける。私たちは艦内にまでは、入れない。外に連れてきて。そこで診るから』

「わ、わかった」





 戦闘が、あっけなく、終わった。

 だが、少年には。まだよくわかっていない。


 もう一息だったのでは、なかったのだろうか? 蛇を追い詰めたんじゃ、なかったんだろうか? 何が起こって、一瞬で。状況は逆転してしまったのだろうか? どこから、その前触れが、あったんだろうか?


 背負われたマーガレットの肩に掴まり、フォレストンが思う。たん、たんと上がっていく薄暗い階段の、鉄板の床の振動がわずかに響いて痛い。


 リボルバー主砲艦首を束ねる後方の広い屋上は比較的平坦で、今は眼下の森林すれすれまで高度を落とした甲板の周囲を見渡せば鬱蒼とした山々の緑が視線の上までそびえ立っている。


 その甲板に近づいてくるのは。蛇の船底だ。緑色の基底盤を輝かせながら、黒い蛇がゆっくりと旋回してリボルバーに向きを合わせ、4、3、2リームとだんだんと、屋上ぎりぎりまで降下してきた。風が舞うので。マーガレットが見上げた。思い出した。


 それは砂漠でも、何度も見た風景なのだ。蛇が降りてくるのも。その二人が降りてくるのも。何度も。


 見たのだ。覚えている。今もそうだ。


 甲板よりわずかに浮いたままの蛇の格納庫から、身軽にとっ。とっ。と。少し跳んで。

 リボルバーに、虎の艦長とミネアが降り立った。

 風に外套をはためかせて。


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