第三十二話 祖父と少年


 浮かぶ巨大な蛇と砲台は、互いの動きを測るよう駆動音を唸らせながら対峙していた。未だ草原の雲は、寒々しく重い。遠く隠れた空より幾筋かの光芒が射している。


 睨み合う間に。フォレストンが弾を曲げた右の艦首に、また光が収束する。これでふたたび三つ。


 不利ではあるがミネアは易々と動かない。じっとりと汗をかく雉虎はタイミングを伺っているかのようで自分の頰に少しずつ、ゆらめいてえてきた紋に気付いている風でもない。虎もそれには今は触れずに指示を出す。


「……とりあえずあのデカブツを巻く。距離を取る。主砲に背中狙われたまま山脈を越えるのは、ぞっとしねえ」

「わかった。どうするの?」


 応えるミネアの顔の横で、虎が地形図を指差す。


「南東の沢に駆け込む。距離で3000リームってとこだ。沢向こうなら弾が曲がろうがなんだろうが射線は通らねえ。その前に、あっちの直射砲が三発残ったままだ、先に撃たせろ。からにしろ」


「わざわざ撃たせなくてもいいんじゃない?」

「うん?」「火星イグニス大地星タイタニア。どう?」


 その提案に。ちょっと虎が猫に目をやって。腕輪に言った。


「ロイ。主砲に火星イグニス大地星タイタニア。頼む」

『励起系なら有効かもしれませんな。了解です』




 蛇の駆動音に、わずかに変化が起こったようだ。


 東に逃げるか? 蛇は背を向けるか? それだけは、やらせない。行かせない。モニタを睨みながらフォレストンが右の拳を握って肩ごと後ろ手に引いて構える。ぶわあっと管制室の室温が上がる。マーガレットも顎を拭った。


「……加速に気をつけろよお」


 瞬間。かすかに。黒く輝く頭部を振って。

 身体をS字にざあっと一気に蛇が下降した。


「なッ! また向かって……発射!! 俯角ッ!!」


 蛇が草原すれすれを滑走する。

 わずかにリボルバーの主砲が沈み、真ん中の直射砲が火を噴いた。しかし、向かってくる蛇に射線が合わない。拳を打ち込むタイミングが合わない。光線が遠くで爆発する。


「くっそおっ!! もう一発だあ!!」

 声とともに左舷主砲が撃ち出される、が。すでに距離が近い。


「ぐ! う! う! おおおおッ!!」

 振り切る腕がきしむ。フォームが不十分で、曲がらない。曲げきれない。すでに蛇が走り抜けた草原に着弾し斜め後方の地面を吹き飛ばした。


 近付く相手に拳を振るのが、ここまで難しいとは。フォレストンもまた、そこは実戦が足りていなかったのだ。地の草を巻き上げて。まるで生物のように。まるで本物の蛇のように。


 汗を散らして少年が叫んだ。

「なんだこのはやさはあッ!? アレの乗組員は、どうやってるんだあ!?」




 実際は。


 戦闘中のウォーダー内部から外の様子はうかがい知れない。窓がない動力室でも、医務室でも、後方車両でも。ただがたがたと周囲が揺れるのを体感で知るのみなのだ。今は厨房でモニカ他の工兵の面々は、壁や天井の揺れを見ながら待機している。


「大丈夫かね、爆発が聞こえたけど。うぉっ。」

 ぐらっと大きめに床が揺れたので、モニカとログがテーブルに手をついた。フランとシェリーも椅子に座ったままぐっと身体を沈めて様子を伺っている。医務室のケリーとノーマも。動力室の三人も。わずかに身体が揺れた。

「おおっと」「大丈夫っ?」


 見えない彼らは、揺れた。のみなのだ。


 のは。


 管制室の五人。そして砲撃用外部モニタのある主砲管制室の五人であった。流れる空に子猫らが叫ぶ。

「うええええええっ!!」


 草原から蛇は。空飛ぶ砲座に飛びかかっていたのだ。


 広げた翼が一気に正面を向いた。飛竜が命じる。リッキーが応える。

「主砲!! 連続発射!!」

「は!! 発射!!」


 三日月のように大きく尾を弓なりに振り上げて。

 頭を中心に逆さまに扇を描く。


 十一本の主砲を次々に噴きながら逆立ちで、蛇が三連艦首を飛び越えた。連続した轟音と爆発がリボルバーの障壁を叩き下ろす。火星イグニス大地星タイタニアの混合で、辺り一面真っ黒な爆煙の量が凄まじい。


 振り下ろした尾の反動で今度は頭部を縦に振り、黒煙を振り払い、一回転した蛇が撃ち切った翼を広げて草原に降りる。その後ろでリボルバーの巨体が、斜めに沈んで艦底をついた。


 無限機動の質量が草原にめり込んで、膨大な土砂を巻き上げながら後ろに滑る。


 艦内に衝撃が走った。斜めになった管制室のフォレストンとマーガレットは後部扉まで雪崩れ落ちる。兵の数人も椅子から投げ出されて床に叩きつけられた。がんっ! と。一瞬背中を壁に打って息が詰まった女艦長が、倒れた少年に叫んだ。墜落の警報が鳴り響いている。


「だ、大丈夫かフォレストン!?」

「大丈夫だッ!! 自動追尾ッ!! 自動追尾は生きてるかッ!!」


 気丈に少年が半身を上げて声を上げる。投げ出された兵がばたばたと四つん這いで計器を確認した。


「じっ、自動追尾ッ、問題ありません!!」

「再浮上!!」


「再浮上します!!」


 黒に煙るモニタの向こうは何も見えない。

「フォレストン!! 見えない!! 狙えるのかこれで!!」


 まだ座り込んだままのマーガレットに、片膝をついたフォレストンは手を広げた。浮上したリボルバーの艦首が自動追尾で南東を向けば、問題はない。ないはずだ。


「……デッタラメな動き、しやがってぇ」


——いいか。蛇の視覚を奪ってくれ——


 少年が幻界通信クロムコールを思い出す。


——あと一時間ほどで蛇とぶつかることになるが、真東に逃げたら徹底的に追撃しろ。リボルバーの三連主砲に追われてまで山嶺を越えたりはしないだろう。蛇が南東の沢から峰を迂回して国境へ向かえば、しめたものだ。そこで時間を稼ぐんだ——


(飛びかかって来るなんて、聞いてないんだがなあ!)


——山岳。曇天。低空。有利な元素星エレメントは、わかるな?——


(……望むところだあっ)


 祖父が最も得意としていた元素星エレメントなのだ。フォレストンの瞳に力が篭る。草を撒き散らしてリボルバーが再び浮いた。未だ黒煙に絡まれながら、艦首が南東に旋回して止まる。





 草原を駆ける蛇の中で。

「今のは……どういうことですか艦長?」

 鱗に汗を光らせてロイが腕輪に言う。視線は子猫たちから離さない。


 リッキーは、全弾発射した主砲操縦桿を両手でぎゅっと握りしめたまま、すっかり固まってしまっている。リザがやたらと周囲を伺う。まるで今起きたことを、そこの面々が共有したのかどうかを確かめるように。エリオットとパメラも椅子に深く腰を埋めたまま呆然としていた。


 飛竜は座ってすらいない。蛇が横っ腹を撃たれた時に椅子から離れて片肘をついたまま臨戦態勢を取っていたのだ。その姿勢ですら。


 何も感じなかった。蛇は下を向いていたのに。


 眼下のリボルバーに向けて砲を撃ったのだ。ほぼ一回転、高スピードで縦に旋回したはずなのだ。この部屋自体が大きく傾いた、そのはずなのだ。

 しかし圧も加速も衝撃も。上下の移動すら感じなかった。それだけではない。壁面にぶら下がる計器類も、何も。壁から落ちていない。外れてさえいない。今もわずかに揺れているだけだ。腕輪から艦長の声がする。


『その質問、お前だけだロイ。外を見てたか?』

「モニタで見ていました。まるで……幻界の時のようです」

『どうしたの? 何かあった?』

 横からノーマの声がする。




「いや。あとで話す」『わかったわ、了解』

 そう言って艦長が通信を終わる横で。


 もはや、はっきりと。ミネアの全身に竜紋が浮かんでいた。


 操縦しながら本人も自分の腕を見て、胸元を見て、びっしょりの汗をかいたまま。困惑して虎を見るので。指示を出す。


「考えるのはあとだ。急ぐんだ」「うん。うん」

「サンディ。リンジー。南東山系の地形図から国境への最短ルートを出してくれ。なるべく嶺越えしないルートだ」


『はいっ……最低高度で……ちょっと複雑ですっ』

「急いでくれ」『は、はいっ。ええっとっ。』


=アキラ。計器盤に右手をつけ、虎を呼べ=


「え、わかった——艦長」「うん?」


 声をかけたと同時に手のひらを計器盤に、ぱん。と置く。一瞬のタイムラグもなく。左モニタで展開していた地形図にぶんっと赤いルート線が浮かび上がった。同時に腕輪から。『ひゃあっ!』『うわわっナニこれっ』と動力班の声がする。


 艦長と。ミネアと。そしてアキラの向こうのリリィも目をみはる。ルート線には丁寧に、入り組んで繋がる沢ごとの直進距離の数値まで描かれている。汗だくの猫が半信半疑で訊いた。


「……合ってるの?」「合ってるよっ」


 頭の後ろから即答したのはリリィだった。慌てて振り向くと、汗をかいた顔で「にひっ」と笑う。驚きながらも、どうやらウサギはミネアの変化を楽しんでいるようだ。アキラがうんうんうんと大きく頷く。


「これでいこう。お前、数字には強いな」「えっと、はい」

 艦長の返事に納得したのか、ミネアが正面を見据えて操縦桿を動かす。



=ウサギの信頼が高いな。いいことだ。しかし、もう間違いない。あのキジトラは何か魔法を放っている。画面を見たかアキラ=

(うん。なんだかVRの映像みたいだったんだけど。あれって本当に飛んだんだっけ)


=本当に飛んだ。アキラ——これはな、とんでもない魔法だぞ=

(何? 重力操作とか?)


=重力だけではない、乗員を保護するように加速減速にも干渉している。おそらく蛇が〝初期慣性系を記憶〟しているのだ。こんな力場の調整チューニングは、地球では決して実現できないだろう。まるで——=


 声が言う。


=まるで、恒星間航行インターステラ技術テクノロジーだ=


(へ? なんのテクノロジーって?)

 聞き取れない。だがレオンには聞こえたのだろうか。その声の台詞に、わずかにアキラに視線を飛ばす。


 




 ようやくモニタの画面を包む煙も晴れてきた。リボルバーの管制室で少年は、立ち尽くしたまま動かなくなってしまった。その理由がマーガレットにはわからない。


「フォ、フォレストン」


 後ろから声をかけても、また手を上げて止める。先ほどの強烈な魔力マナの気配も消えている。常日頃から捲り上げている法衣の裾を今はばっさりと手首まで降ろしたまま、じいっと何かを伺っているのか、待っているのか。


 待っているとすれば、何を? 堪えきれずにまた声が出る。


「フォレストン! 蛇が、行ってしまう……」


「距離、どのくらいだあ?」

「はい。現在2200リームほど」

「2200……フォレストン!」


 そこで初めて少年が振り向いた。意外なのは。竜紋が消えていない。


「落ち着けえマーガレット。視界から消えたって魔力で追えるだろお?」

「そ、それはそうだが。間違いなく向こうの方が速いじゃないか!! このままじゃ引き離されるばかりじゃないか!!」


 ほんとうに、この速さだけは計算違いだなあ、とフォレストンが思う。


 操術の曲射ができなければ下手をすれば蛇を取り逃がしたかもしれない。そこまで蛇が自在に動くことを、しかし、ベスビオの艦長は知らない風であった。


(ベスビオと離れてから、蛇に何か起こったのかあ?)

 その黒髪の魔導師のせいなのだろうか? やるなら舐めてかかるなと、アーダンの所長も言っていた。


「フォレストン!! どうするんだ!!」

 女艦長の叫びに、我に返って少年が振り向く。


「大丈夫だあ。距離、どのくらいだあ?」

「3000リームを越えます……越えました。」

「そおかあ」


 その声にフォレストンが右肩を少し回しながら管制室のでかいモニタまで歩み寄る。草原の向こうに見える曇天の山稜は峰が低く樹々の緑に染まり、その沢に蛇が隠れたのが、最後に目に映った。


 蛇は行ってしまった。これでは狙えない。じきに射程圏外に出てしまうだろう。だが少年はゆっくりと、法衣の袖を翼のように左右に上げて。


 ぱあんっ!! っと。


「ひっ!!」「うわッ!!」


 顔の正面で一拍、両手を打ち付けたのだ。音の大きさに全員が怯む。拍手かしわでは。まるで草原と山々に染み入るような鮮やかな響きであった。フォレストンがひとり、満足する。


(この音が出るまで、ずいぶん練習したなあ)



——いいかあジェイム。共鳴系の一番いいところはなあ。どこまでも際限がないってことなんだぞう。この山の向こうも、その向こうも、どこまでもだあ。——


——えええ、うっそだぁ、じいちゃん——


——嘘なもんかあ。むりやり元素星を動かすんじゃないからなあ、お願いすれば、どんどん伝わって動いてくれるんだぞう。おまえもいつか、できるようになるんだぞう——



 胸の前で合掌したまま、目を閉じて。兵に言う。

「時間、測ってくれよお」「は、はい。計測開始。」


 あの頃。自分が夢中で見ていた、祖父の所作を真似るのだ。






 それは森から始まった。


 薄曇りの沢を飛ぶ蛇の周囲にだんだんと。眼下でたなびく樹々の峰より、まずは白煙の如くに立ち上って湧いて来るのだ。その朝霧に特に意識を向けることなく、管制室ではミネアが順調に操作していた。

 

(煙が効きすぎたか? 追ってこねえなあ)

 訝しんだ虎が腕輪に話す。

「ダニー。駆動音トーン、どうだ?」


『捕捉してます。3000リームほど後方で停止したままです』

『停止? 艦に異常でも出てそうか?』

 ロイの声が入った。


『いえ、通常の音ですね。単純に浮いて止まっているようです』

『それってむしろ、悪くないかい。艦長』

 モニカの声も入る。


「だなあ、なにか仕掛けて……ちょっと待て、ミネア」

「うん?」


 あまりに静かな。元素星の流れであったので。

 今さら虎がモニタを見る。

「こんな霧が出てたか?」「え?」


 虎の声は左腕の腕時計からも聞こえた。ケリーが尖った鼻を高くして。瞬間。ぞわっと毛を逆立てた。

「艦長っ。水星ハイドラの動きがおかしい!」

『なんだと?』


 その途端、迫り来る。


 取り囲む山の頂上より音のない雪崩のように膨大な霧の塊が目の前に流れ込んで近づく。真っ白な、しかし光を遮る水の綿が蛇を埋めていく。一斉に視界が奪われ、管制室が暗くなるが自然に天井が発光する。


 飛ぶ蛇が霧に巻かれること自体は珍しくもないのだろう、ミネアが慌てず操縦桿を戻し速度を落として手前のパネルをいじると、蛇の目が点灯して前方に二本の光線が走る。が、それでも遠くは全く見えない。


 沢は濃霧に包まれた。どこまで続いているのだろう。


「深いよ。かなり」

「……ダニー、敵艦どうだ?」


『リボルバー変わらずです』

「そうか。ケリー、これ向こうの仕掛けなのか?」


『間違いないです。水星ハイドラで仕掛けてくるのは気に入りませんね、っちまいましょうか』


 狼のやや怒ったような声に、艦長が笑う。水星ハイドラの導引はケリーの得意とするところなのだ。

 しかし今は元素のり合いをしても仕方がない。むしろこの霧はこちらの速度を封じるためのものだろうか。


「盗めなかったら、お前がダメージ喰らうぞ? まだそんな危なっかしい動き、してないんだろ?」

『まあ、そうですね。ずいぶん静かでおとなしい使い方です。本当にさっきと同じ魔導師なんでしょうか』


「うーん……いっそ高度上げるか? 出たら狙い撃ちされちまうかな」

『ああ、遮蔽物から燻り出すのが目的かも知れませんな。ならむしろ、この沢に居るのが安全なのでは?』


 ロイの言うことも、もっともだと虎が思う。

 どうするか、と。顎に手を当てた時。


『リボルバー。微速で前進し始めました。それと魔力検波盤パルスコープは使用不可です。駆動音トーンだけでマークします』

「……了解だ」





 わずかに口を開いたまま、マーガレットが前面モニタを見る。


 南東の山地が霧に包まれていく。遠目にもわかる。霧は沢からも流れ出して草原の境目までうっすらと広がって埋めていく。


「四分経過……霧、た、ただいま直径……二万リームに達しました。南東山系はすべて埋まりました。蛇も埋まりました。霧の範囲内、魔力検波盤パルスコープは全域、使用不可です」


「に、20キロ?」


 兵士の報告に声が裏返る。目の前の少年からは、主砲を曲げた時のような強烈な魔力マナの励起は、なにも感じられない。


 共鳴系とはいえ、こんな静かで。穏やかで。

 しかしこんな巨大な導引を。

 マーガレットは見たことも聞いたこともない。


 フォレストンが、両手をゆっくりと離す。目は閉じたままだ。しかし眉間に皺が寄った。


(あの蛇、まだ動いてるなあ……なにか音でも探知できるのかあ?)


 祖父から受け継いだ霧の魔法。

 その本質は〝索敵の魔法〟なのだ。


 祖父のそれは不思議な霧だった。

 森の中に潜むもの、棲むもの、隠れるもの、すべて小鳥一羽見逃すことなく、指差して教えてくれた。そしてどの獣たちも鳥たちも、霧から逃げることはしなかった。


 魔導を使うものは、魔導を使うものを見つけ出すことができる。相手の魔力マナを感知できるからだ。

 霧の魔法はその感知能力を無効化する。霧に包まれた領域は内部で発する魔力を乱反射し、拡散する。魔力の発信源は術者しか感じ取れない。蛇の視界も奪えるはずだった。

 しかしどうやら、別の方法で連中は周囲の状態を感知できるらしい。速度は落ちたが、止まってはいない。


 ベスビオとの約束が、まだ実行できていない。


 少年がやっと目を開き、両手の掌に視線を落とす。じっと見つめて動かない。くるりと裏返せば甲にゆらゆらと、紋が揺らいで淡く光を放っている。


(……じいちゃん)



 フォレストンは、ターガ魔導会の派遣魔導師である。


 だがその前に、人なのだ。年端もいかない少年なのだ。それはわずかな歳月かもしれないが、生きてきた過去も時間もある。


 ここで水星ハイドラを用いなければ。

 使ったのが霧の呪文でなければ。


 遠い昔は思い出さなかったかもしれない。いつものように飄々と、魔導師然と振る舞えたのかもしれない。


 そしてあれほど蛇がはやくなければ。

 得体の知れない黒髪が乗っていなければ。


 今、蛇が止まってくれていたら。


 ただこうやって視界を奪うだけで、やめていたかもしれない。満足していたかもしれない。


 これでは、足りないんじゃないか、と。


 だから。彼が。そう思ってしまったのも。

 運命だったのかもしれない。


「五分経過」

「フォレストン?」


 背中から聞こえるマーガレットの声に、少年が。

 ぐっと。開いた手を拳に握って言うのだ。


対元素暗号アンチマテリアル。コードクリムゾン薄紫オーキッド暗紅カーマイン。」

「えっ?」

「は、はい。コードクリムゾン薄紫オーキッド暗紅カーマイン。障壁に付与エンチャントします」


 兵士が計器盤を忙しく操作する。マーガレットが後ろから声をかけた。

「フォ、フォレストンっ。なんでそんな分厚いキーを……」


「厚くしなきゃ、入っていけないだろお?」

 その途端。急激に。


 またしても部屋の空気が歪む。温度が上がる。マーガレットが。兵士達が。魔力の圧で身体を押される。


「うわわっ!!」「フォッ!! フォレストン!!」


 少年は握った両手の拳を顔面より眉間に向けて構え、曲げた肘を閉じていく。ぎりぎりと篭る力に全身が震え出して垂れ下がった袖から見えた両腕には。


 激しく竜紋が浮かんだ。揺らめく。陽炎のように。





 ばしっと。何かが弾けるような音が聞こえたのだ。

「うん?」

 虎が天井を見る。リリィも周囲を見渡した。次の瞬間。


 ごおんっ!! と。蛇が揺れた。

「うおおおっ!!」「びゃあっ!!」


 まるで急にブレーキがかかったような前後の揺れが蛇を襲う。ミネアが慌てて操縦桿を戻す。が、細かい揺れが断続的に響くだけで、蛇が進まない。汗を飛ばして虎に言う。

「か、艦長。なにかおかしい」


=アキラ。何か干渉が起きている=

(えっ。干渉って?)

=キジトラの魔法に外部から干渉が加わっている。力場が狂い始めた=


 医務室でも、だんだんと激しくなる揺れにノーマがベッドの手摺りに掴まる。半身を起こしたケリーの眼光が一段と鋭くなった。壁に目を向けて呟くのだ。

「なんだ……この元素星エレメントの使い方は?」

『ケリー。水星ハイドラの動き、どうだ?』

「なんか混ざってますね。これは風星エアリアと、火星イグニスも」



火星イグニス? 水星ハイドラに? 禁忌じゃねえか、向こうも無事じゃ済まねえぞ」

『と、思うんですけどね。使い方が違いすぎる。二人乗ってるんでしょうか。出た方がいいですね』


「わかった。しょうがねえ、一旦上に出るか」

 腕輪を離してモニタを見た瞬間。霧の中に、光が見えた。揺れが激しくなる。じっとりとミネアが嫌な汗をかく。なにか、色がおかしい。


「艦長。色がおかしい」「うん?」

 また音が聞こえた。数回。光が見える。霧がだんだん灰色を増してくる。


 虎が気づいた。全身が総毛立つ。

 狼も気づいた。腕時計に叫ぶ。


「上昇しろミネアッ!! これは風紋豹バックリンクスと同じだ!!」


=アキラ! 電位差が高い!=

(えっ!)

=変化した。雷雲だ。低層雷雲だ!=




 引退とは名ばかりの、破門だったのだ。




——導師はどういうつもりか!! 魔導は聖域の財産であるぞ!! 私情に溺れ打ち棄てるとは時節も読めぬほど耄碌されたのか!!——


(ごめんなあ)


——間に合わぬのなら、それも仕方ないではないか。次の産まれを待てばよかったのだ。獣にしてしまえば良かったのだ——


(ごめんなあ、じいちゃん)


——小童こわっぱが偉そうに。代わりが務まると言うなら、辺境カーンより派遣の依頼が来ておる。帝国に差し出された惨めな土地よ。できるか? 聖域の名を汚さずにすむのか?——


(俺はやっぱり、証明しなきゃ、いけないんだあ、じいちゃん)


——お主に魔導師が務まるのか?——


 ぐうっと。フォレストンが正面を睨みつける。

 少年の、魂の傷に血がにじむ。



樹雷衝オーバーフィールド=ライトニング!!」



 森林の、樹々の枝葉を吹き飛ばし。

 さかさまの。

 無数の稲妻が霊気あふれる山麓に立ち上った。




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