第三十一話 ミネア覚醒

 山頂を覆う雲が、底を夜明けの光で染めている。

 東へ連なる一層高い峰々は、帝国ガニオン東国アイルタークを分かつ国境くにざかいだ。


 その船が現れた知らせに、ミネアは飛び起きた。

 ブーツの片方を紐から口に咥えてぶら下げたまま、管制室に飛び込んできた雉虎が見渡せば、そこにはほとんどの大人組がすでにモニタを睨んだまま集合していた。


 警報で目覚めたアキラも管制室入りしている。彼だけは、室内のただならぬ雰囲気の意味がまだ読めないらしく、飛び込んできた猫を振り向いて「あ、ミネアさん」と声をかけたが、軽く手を挙げただけでミネアはいつもの操縦席に飛び乗って、通していなかったベストの袖に右手を通し、咥えたブーツを履きながら虎に言った。


「伯爵が?」


 曇った顔で虎が頷き、顎で正面のモニタを指す。

「カーンのリボルバーだ」


 モニタに映るまだ薄暗い草原に巨大な無限機動が浮いている。左右に並んだ二本の副艦首と、そのやや上部中心に位置する少し短い主艦首の三連艦首は、その先端に空いた射出口を、こちらに向けている。

 ぎっと歯を鳴らして手元の計器盤に伸ばした右手を、虎が素早く横から捕まえたので。ミネアが艦長を睨む。


「何するつもりだお前、ミネア」

「通信するに決まってるじゃない」


「馬鹿言うな」「なんで?」


 それには答えず、虎はミネアの腕を掴んだまま周囲に指示を飛ばす。


「ロイ。主砲の準備を。火星イグニス風星エアリアに寄せてくれ」「了解です」

「ねえ!」


「砲撃が来る。モノローラは出さない。ケリーとノーマは待機」

「援護はできるようにしておきます」「頼む」

「ねえ!」


「ダニー。合図したら障壁1000……2000万だ。砲口は暴露で頼む、偏光障壁バインドじゃ押し負けしそうだ」「わかりました」

「艦長!」


 大人たちがそれぞれの持ち場に散っていく。虎が向き直る。つかんだミネアの腕をそのままに、言う。


「操縦しろミネア」「通信が先」

「ダメだ」「どうして?」


 虎と雉虎と。後ろであわあわと見ているリリィとアキラと。黙って成行きを見守るレオンと。管制室に残ったその五人に、唐突に声は響いたのだ。


『獣の船に告ぐ! 直ちに武装を解除し投降せよ!』


 ありえないほど目を見開いて。艦長とミネアが二人同時に、モニタに映った船を見る。虎が、呆れ声で呟いた。


「嘘だろ……メグなのか?」




 乗っているのが私だ、と。ただ知らせたかっただけなのかもしれない。


 しかし普通はそんなことはしない。いきなり管制室前面の計器盤から有線のマイクを引き上げて敵に向かって叫んだマーガレットに。周りに座った兵士たちが慌てて視線を飛ばし、そして隣のフォレストンを見た。


 女艦長の隣に立つ少年もぽかんとして金髪のポニーテールを見上げている。彼女の顔は紅潮していたが、表情は引き締まったままだ。口元に構えたマイクは動かさず、じっと。画面に映った蛇を見ていた。応えを待っているのだろう。


 通信など宜しくない。元々味方であった両者なら、なおのことだ。遠くでベスビオが聞いているのだ。そもそも蛇を投降させる命令も出ていない、南に追いやれという話をマーガレットは解っているのか?


 だが。その真剣に上気した横顔に。

 フォレストンが少しだけ考えた。


 話に聞いていた〝あいつら〟は、果たしてどんな応答を——


『断る。邪魔すると叩き落とすぞ』


 ぐううっと。マーガレットが唇を結ぶ。睨んでいるのか泣きそうなのか分からないがフォレストンがそれだけ聞いて兵士たちに指示を出す。


風防障壁ドラフトバリア偏光障壁バインドウォールへ! 2000万だあっ!」

「了解! 偏光障壁バインドウォール、展開します! 護衛星サテライト発射!」


「三連砲! 旋回連射砲レインブラスト発射準備! 弾性は風星エアリア70で付与エンチャント!」

「三連魔導炉。元素星エレメント追加。風星エアリア70」


 後ろからがしゃりとマイクを置く音がしたのでフォレストンが振り返れば、計器盤に手を置いたマーガレットが大きく息をしている。

 唇は、震えていた。うつむいていたので。少年の背が彼女の横顔まで届いた。


「けじめは、ついたかぁ?」

 言われて細かく頷く。何回も。

「喧嘩だあ。わかってるなあ?」

 それにも頷く。目に涙がたまってきた。

 ごんっ、とフォレストンが肩に肩をぶつける。


「痛たっ」

(国境山岳は蛇の背中に南から。東に20キロリームだぁ。俺らはまだ北寄りだ、定点保持で回り込むんだ。直軸ラダー30、姿勢制御スラスタ30。言えほらぁ!)


 耳元の言葉に涙を拭いた。背を伸ばして管制室に振り返って。


直軸ラダー30! 姿勢制御スラスタ30! 照準そのまま、東に回り込め! 蛇に国境を越えさせるなッ!」


 涙声で叫んだ彼女に兵士たちが呼応して、無限機動が唸りをあげる。フォレストンもまた顔を上げて正面に映る蛇を見て、こきこきと。法衣を肘まで捲った右手を顔の横で鳴らした。


(馴れ合いも無いのは潔いなぁ)

 鼻眼鏡の奥から少年が睨む。





 モニタに映るリボルバーが虹色の障壁に包まれ、三連の艦首を向けたまま、右舷より緑の噴射を起こして緩やかに草原の空を東に移動し始めた。

 それぞれの艦首に互い違いに据え付けられた機関砲がぎゃあああんとドリルのように旋回し、さらに。後方艦体部分より光弾が複数吹き上がって周辺を回遊する。


 ミネアが足盤ペダルを踏みながら操縦桿をゆっくりと倒す。蛇と敵艦の距離が徐々に縮む。動力室からサンディの声が聞こえる。

『距離28キロリーム、射程圏内突入2分前です』


護衛星サテライトが出たな……北に逃げると大回りだ、山沿いを押し抜く。撃ち合いが始まったら進路を右に。旋回連射砲レインブラストの弾幕が来るぞ」


 座る雉虎の背もたれに手をかけたまま虎が言う。

 二人ともモニタから視線は外さない。


「了解。……あんな言い方って、ある?」

「ある。まずは敵の左舷を浮かせろ、いいな」

「わかった。みんなにさ」


「うん?」

「深く座るように言って。振り落とされないように」


 いつもより毛羽立ったミネアの横顔に。虎が一瞬視線を落として、すぐ。前屈みの身体を起こして振り返る。

「アキラ。リリィ。座れ。アキラはどこでもいい」

「は、はい」「あいっ」


 ばたばたと移動する二人を尻目に腕輪に声を出す。

全員オールッ! 立たずに席につけ。ダニー、ロイ、モニカ。各部署は任せる。ノーマはケリーを頼む」

『了解です』『わかりました』

『お手柔らかに頼むよ』

『こっちも問題ないわ』


『射程圏内突入1分前。』


「モニカ、やっぱり革帯ベルト考えておいてくれ」

『だろ? あいよ』

 その返事に少し笑った虎にちらと目をやってミネアが言った。


「座ったら?」

「俺はここでいい」「転ぶよ?」

「いいから色々試してみろ。試してみたいんだろ?」


 可笑しそうに返す虎の言葉に雉虎が「ふん」と鼻を鳴らして。ぎゅっと操縦桿を握り直した。


 イースからミネアへウォーダーの契約痕クレーターが移動した頃には、もうすでに蛇の動きはおかしくなっていた。この席を譲り受けた時から幻界の蛇は傷負いだったのだろう。だからミネアは実際の戦闘で、ウォーダーの全力を経験したことは、まだない。


 その意味では、奇しくも。草原で向き合う二人とも、初戦だったのだ。


『突入30秒前。』


 腕輪に虎が言う。

「ダニー。壁、張ってくれ」

 頭部の障壁発生塊より分厚い魔力の壁が全体に流れる。朝焼けの草原を眼下に、二つの無限機動が互いに距離を縮めていく。


 射程にあと少しのところで。ミネアが言ったのだ。


『突入15。14。13……』

「艦長」「うん?」


「試してみろって。言ったッ!」


 がんっ。と。

 ミネアが前のめりで足盤ペダルを踏み込んだ。

 加速する。草原に駆動の風が舞い上がり一直線に波打った。


「うわあッ!!」「ぴゃあッ!!」

「お! おいミネア!!」

 全員が椅子に押し付けられた。空を切って蛇が飛ぶ。




「蛇が急加速しました!!」「なッ!!」

旋回連射砲レインブラスト!! 発射だあ!!」

 驚くマーガレットのわきからフォレストンが叫んだ。


 リボルバーの三連艦首を高速で回転する機関砲から、一斉に光弾が発射される。風星エアリアの付与で弾が速い。弾幕は一気にウォーダーの頭頂に襲いかかり激しく爆発する。曇天に爆煙が広がる。


 が、ものともせず。

 その煙を振り切ってなお蛇が突進してくる。さらにフォレストンが叫んだ。

「主砲!! 自動追尾開始!!」「追尾開始します!!」


 無限機動リボルバーは言うなれば〝空に浮かんだ巨大な砲座〟なのだ。その三つの艦首を砲身として使用するので、艦全体の旋回機能に大きく機動力を振っている。向かってくる蛇の進路に、自動的に。滑らかに。その巨体が弾幕を放ったまま空中で向きを変えていく。そして。


「三連主砲!! 発射!!」


 ぐわあっと三つの艦首の先端が。そこに開いた砲口が。激しく輝いて輝いて光球を生み、次の瞬間。轟音とともに一斉に火を吹いた。

 ミネアの瞳孔がぎゅうッと縦長に引き締まり、操縦桿を素早く捻り倒して左足盤ペダルを踏み込み右足盤ペダルを蹴り上げた。


「うおッ!!……」


 傷ついた右の翼を広げて。

 空を焼く三本の光線を、蛇が躱した。

 彼方で爆発が起こる。


 横っ飛びに避けた蛇を追尾して未だ降る弾幕を、少年が一旦止めた。

「やめやめッ! 距離取れッ!」


 射出が止まる。艦首の周囲をがらがらがらと機関砲が慣性で回り続け、やがてそれも止まった。どうやら旋回連射砲レインブラスト程度の威力では、この蛇には牽制にはならないらしい。むしろ敵がこれだけ速ければ、煙で視界が遮られて邪魔だ。


 頭から爆煙の残りを漂わせ。

 モニタの向こうで。蛇が睨んでいる。


 管制室でマーガレットが呆然と立ち尽くす。知らない。聞いていない。こんな動きは見たことがない。フォレストンの額にも、一筋、汗が流れた。


(なんだあ今のはッ、あれが無限機動の動きかあッ?)





(……俺の頃より速くねえか?)


 声には、出さない。だが呆れて笑いが出る。

 蛇の中では乗組員が一気に振り回されて全員椅子にへばりついていた。背もたれにべったり寄りかかったまま「どぉぉぉ……」っとアキラが息を吐く。ミネアの座席に中腰で掴まりモニタを見据えた虎の腕輪から、リッキーの声が響いた。


『艦長!! 主砲がすっごい速く動いた!! 開いた!! 艦長!!』

「構わねえ、下手に制御桿はいじるなリッキー。射線のタイミングで撃て。ロイに聞け」

『りょ、了解!!』


「うっふふ……」

「うん?」「うん?」


 振り向くミネアと、目が合う。虎が言う。

「今、笑ったかお前?」

「え?」


 猫の産毛が、うっすらと汗ばんでいる。きょとんとした顔は虎に向けたままで、右足で小刻みにかつっ、かつっ、と姿勢制御スラスタ足盤ペダルを踏む。蛇が徐々に向きを変える振動が足元から伝わってくる。無自覚な猫に虎が軽く鼻を鳴らした。


「ふ、根っからじゃねえか」「なにが?」

「いや。いい。前見ろ。モニタ見ろミネア。左に寄っちまったな、しょうがねえから大回りに……」

 中腰でモニタを指差す虎がそこまで言って、ちらと。真剣に聞く猫の横顔を見て。


「……いや、やめた」

 腰を戻した。ミネアが見上げる。また虎が軽く笑う。

「やりたいようにやれ、とにかく東に抜けろ。やってみろ」


 こくこくと素直に頷いて、前を見て。喉元の汗をぬぐうミネアがモニタに映る無限機動リボルバーを睨みながら。中指で操縦桿の先をとっとっと小突いて数秒考える。そして。


「できるはず。もう一度やる。」


 また踏む。一気に。わずかに振動する操縦桿は正面のままだ。

「ううおッ!!」

 虎が後ろに引っ張られるのを踏ん張った。蛇が走る。



「蛇、加速!!」

 兵士の声にフォレストンが画面を睨んで、右腕をあげる。

「三連主砲!!……まだだ、まだだぞう」

 またこいつは躱すのか。右か、左か。じりっと。向かう蛇の正面を見据えたまま——しかし突然。

(こいつまさかっ!!)

 少年が目を剥くのだ。


 ミネアが操縦桿を。素早く押して。そこから。

 がんっ。と手前に引き戻す。両足を踏みつけた。


 飛び魚のようだ。


 翼を広げたウォーダーが強く輝く砲口の手前で。

 八艘飛びにリボルバーを飛び越えた。


 上移動に軌道が間に合わない。リボルバーの射線が追いつかない。管制室モニタに映る正面から突っ込んできた蛇は、その緑に輝く腹の基底盤を一瞬見せて勢いよく画面頭上に流れて消えた。


 マーガレットも、フォレストンも。思わず管制室の全員がモニタから天井へ視線を飛ばす。自動追尾のかかった艦体が勢いよく真横に旋回し風景が流れて。百八十度視線が回転して。そこに映ったのは。


 飛び去っていく蛇だった。

 マーガレットの膝の力が抜けそうになった。


 こんなの。こんなの艦船の撃ち合いじゃない。船じゃない。あれじゃまるで生き物じゃないか。こんなに簡単に。あっけなく。


 突破されて——


「行かせるかばかやろお!! 右舷発射だあッ!!」

「右舷発射!!」


 リボルバーの右舷主砲が火を噴く。射線は、しかしわずかに南寄りのまま。その時。管制室のフォレストンが右の腕を真後ろに引いて。構えて。腰をねじって左足を大きく踏み出す。床に衝撃が走って足元の鉄板がばきいっ! と窪んだ。


「うおおおッ!!」


 オーバースローで右手を振り切ったのだ。

 撃ち出した大出力の魔力線が瞬間。先端の光球が揺れたのだ。

 そして。


 ぐん、と。曲がった。


 蛇の横っ腹に轟音を立てて主砲光線が命中する。2000万ジュールの障壁がひび割れ細かい魔力の塵が飛び散った。突然の衝撃に蛇の中では乗組員が雪崩て倒れ、左舷に地面が迫る。


減衰爆破バンパーッ!!」


 片肘ついたロイが叫んだ時にはリッキーが盤面のでかいボタンを思い切り叩いていた。ウォーダーの左舷に開いた姿勢制御スラスタの噴出口から立て続けに。緑の光球が膨れて前から破裂する。どどどどうっ!! と草原に縦に並んで爆発がこだました。土砂と草木が千切れ飛ぶ。


「ぐうっ!? このッ!」

 爆破の反動を利用してミネアが艦を立て直す。大きく尾を振って、また蛇が三連艦首に向き直った。まだ光っている。まだ、真ん中と左舷の艦首は砲口に光を集めたままだ。二発残っているのだ。


 びっしょりの汗のまま。モニタに映るリボルバーを睨む。だが、わからない。

「なんで? なんで? 今のナニ? なんで横から?」


狙撃砲マークド?……そんなはずはねえ、リボルバーは直射砲バルトキャノンだ」

「だって! 今」

「曲がったんだ」「え!?」

「おまえら無事か? 確認コールッ!」


『炉心、動力、問題なしッ』

『こっちも。怪我なしだね。なんとか』

『医務室も大丈夫よっ』


「おまえらも。無事か?」「は、はいっ」「あいっ」


 アキラは椅子から滑り落ちてへたり込んでいた。ひたすらレオンとリリィはしがみついている。最後にロイの声がする。

『主砲異常なし。——魔導師ですか。今のは、操術?』


 虎が苦笑する。汗が垂れる。

「そうだ。しかも励起系だ。俺やおまえと同じタイプだ、ロイ」

『ふん、どんな風体か見てみたいものですな』


「リボルバーの主砲、曲げる奴をか? 俺ァ勘弁だなぁ。リンジー。左モニタに地形図」

『は、はいっ』


 返事とともに周辺の地形図が映った。飛び越えた蛇とリボルバーの位置は逆転している、このまま反転し背を向けて東に走れば国境ではあるのだが峰が高い。山頂は厚い雲で覆われたままなのだ。

 たとえ今の速さを維持しても急勾配を登り切るまでに背中を狙って主砲が飛んでくるだろう。それが直射砲なら、まだ躱して振り切りようも、あったのだが。


『若干不利ですな。弾が曲がるとなったら避けても博打です』

「だな。といって草っ原に残っても、らちがあかねえ。ジリ貧だ」


 腕輪のロイに答えて地形図を見る。南東の山系は、尾根と沢が迷路のように入り組んでいた。——敵の図体を考えれば。


「しょうがねえな、決めた」「えっ?」

 みゅっ、と。

「むぎゃっ」

 艦長がミネアの鼻の頭をつまむ。





 管制室に熱が篭る。暑い。そして空気がまとわりつく。そこにいる全員が腕を振り切った少年の背中を注視していた。ぶわあっと陽炎のように周囲の空間が歪んだままだ。振り向かずに。たらっと汗の流れたマーガレットに少年が声をかける。


「早々に、諦めたりするなようマーガレット。」

「うッ……」


「艦長なんだぞう。船、預かってんだぞう。しっかりしろよぉ」


 そこでわずかに見せたフォレストンの横顔には、竜紋が浮かんでいた。赤い。広めのおでこから目元を隈取り、法衣からのぞく首筋から肩まで。わずかに皮膚から浮いてゆらゆらと紋様が揺らいでいる。


 ターガ魔導会の魔導師ジェイム=フォレストン。

 少年は、今はもうジェイムの名前ファーストネームは無い。


 捨てたのだ。『譲渡の聖文ヒエラル』を受けた際に。



 ——先先代のフォレストンは、まだ幼いジェイムに全てを譲って引退した。そうしなければのだ。今でもフォレストンは、祖父を引退に追い込んだのは自分の獣化を防いだせいだと。そう思っている。心に刻んでいる。


 魔力マナは残酷だ。その励起は残酷だ。


 魔導師を選ぶか。獣に堕ちるか。たかが三つ四つの幼子おさなごが、どうしてそれを決められようか。大好きな祖父が自分のために、生涯を捧げたその魔導を捨てると知っていたなら。周りが教えてくれたなら。


 受けなかったかも、しれない。

 今、自分が乗っていたのは、あの蛇だったかもしれない。——



「へへ、因果だなあ」「え?」

 少年がこきこきと手首を鳴らして、振り向く。いつもの気の抜けた顔をする。


「なんでもないぞお。それより、聞いてないんだがなあ。なんだあの蛇の動きはあ?」

「い! いや! 私も、あれは、わからない」

「……あんなはずは、ないのかあ?」


 こくこくとマーガレットが頷く。フォレストンが正面を向き直った。モニタの蛇はじっと動かずこちらを伺っているらしい、当然だろう。すでに直射砲には魔力の充填が終わっている。三連主砲の強みである。だが。


(ベスビオも、これは言ってなかったなあ。上手く誘導できるかあ?)

 予定外でも、やるしかないのだ。下手は打てない。少年が汗を拭う。


 



直射砲バルトキャノンの欠点はな」

「なんで鼻つまんだのっ?」

「水平より下を狙うのが苦手なんだ」

「なんで鼻つまんだのっ、今!」


「撃たずにやり過ごそうと、思ってたろ?」

「う。それは……」


 詰まるミネアの席の横で、腰を曲げて虎が笑う。椅子に手をかけ顔を寄せ、師弟のようにも親子のようにも見える二人を遠目に、アキラが声に聞く。


(そうなの? なんで下狙うのが苦手?)


=浮いているからだ。重力に対抗して強い浮力を発している無限機動が、下向けに砲を放つと浮力と反動が合力になって揺れが大きい。射線が乱れるのだろうな=

(ああ、なんとなくわかった)


=それよりアキラ。さっきから、なにかおかしい。妙だ=

(え? おかしいって、なにが?)


=いや……この蛇の、力の伝わり方が、妙だ=


 虎が続けてミネアの耳元で言う。

「まかせると言った。だからそれはかまわねえ。だが魔導師が乗ってる」

「うん」

「納得したな? どっちも無傷じゃあ、終わらねえぞ」

「わかった」


「じゃあ聞け。いいか。リボルバーは下を狙うのが苦手だ」

「でも弾が曲がるんでしょ?」

「それでも、だ。励起系の操術も、打ち下ろしが一番苦手だ。拳に力が入らねえ。だから高度下げるぞ。限界までだ。草っ原を縫うように走れ」


 指示にミネアが頷いて、ぐいっと。胸元をはだけるので。虎が怪訝な顔をした。


「……なんでお前、そんな汗かいてんだ、暑いのか?」

「うん、さっきから、なんだか」


 手の甲で喉元を拭くミネアを横目で見る。わずかに。わずかに産毛の周りの空気が揺れているのだ。


「お前、さっき、リボルバーを飛び越えたな……あれ、どうやった? 水も地面もねえのに、どうやってねたんだ?」

「うん? やりかたは、わかんない。とっさに身体が動いて。でも」

「でも?」


「なんとなく、その。? って」


 その台詞に一層。虎の目が真剣になるのだ。振り向いて赤毛の少年を見れば、座席にしがみついたままレオンもまた、二人のやりとりをじっと聞いていたようだ。虎の視線に、わずかに頷く。また艦長がミネアに向き直る。


「そう、のか?」「うん」

 ミネアが頷いた。


 記憶が蘇る。遠い昔に、そのひとに。

 虎が言われた言葉だ。



——解くべき時に、解かれるのよ。そういうものよ。しるしだと思えばいいんじゃない? 生き方を変える、そのしるし。ねえイース。——


 

 ノエルの使途不明呪文ジャンク=スペル、第七番。


軍霊ケルビム』。


 ミネアの中で。太古の呪文の鍵が、かすかに回った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る