第二十五話 四種混合


 猫とウサギと、少年が、振り返った先で。

 虎はエイモス医師を見据えていた。



水星ハイドラ大地星タイタニアに、風星エアリアが混ざっているって話じゃなかったか? ここは陰相の原因になった風星エアリアの除去が正道セオリーじゃないのか先生?」


 蛇の三次元ホログラムの前で、医師と艦長が向かい合う。アキラは二人の間に何の意見の相違が生じたのか、まだ理解していない。虎にエイモスが答える。


「普通の魔力管の滞留なら、そうかもしれない」

「——今回は、何が特別なんだ?」


「この管の先が、蛇の砲塔につながっている点が特別だ。あの砲身は長い。異様に長い。通常の治癒のように風星エアリアを除去すれば、麻痺は取れるかもしれないが、今度は可動部が砲身を支えられなくなる懸念がある」


 そこまで聞いたアキラが、声の言葉を思い出した。

(……『気づくかな』ってお前が言ってたの、これのこと?)


=そうだ。この蛇の羽根は、エネルギー波を発射する装置として力学的なバランスが取れていない。長すぎるのだ=


(でも。動いてるじゃないか、ちゃんと)


=動いている。だから内包される魔力マナの一部が、素材の応力に変換されて全体の荷重を支えていなければならないはずなのだ=


(じゃあ治療するためには? 麻痺してるんだろ確か?)

=引き算ができないのだから、足し算するしかないだろう=


(足し算って……)


「だから、火星イグニスを足せ、と?」

「そうだ」

「主砲の駆動部に四元素を全て流せ、と?」


「全て集めて、火星イグニス水星ハイドラで、風星エアリア大地星タイタニアの相克を分散する。四元素を緊張状態に置く」


「え?……そんなこと、できるの?……」

 ウサギが呟く横で。レオンの赤髪が風に揺れる。その不思議な少年は何も言わない。


「だが、元来ウォーダーは、それを、やっていたんだな?」

「おそらくそうだ、艦長——アキラくん」

「は、はい」

「この会話は、私たちだけ、なのだな?」


=問題ない。意識した対象にだけ聞こえているはずだ=


「はい。届けようと思わなければ、届きません」

 答えたアキラに軽く頷いて。医師がまた、虎に向き直る。


「艦長。砲塔だけではなく、全体的な話をすると……この蛇は、総じて火星イグニスの力が、極端に衰えている」


火星イグニスが?」

「そうだ。素人の私が言うのも烏滸おこがましいが、かなり偏った運用をしてきたのでは?」

「……例えば?」


「なるべく、戦闘を避けてきた、とか」


 ぴくり、と。


 医師の言葉に虎が反応して。しかし、顔を上げて睨んだのはミネアで。その視線の変わりようを、リリィが不安げに見る。


 かりそめの空が青い。足元では、まるで本物の高原のように草々がなびく。しばし沈黙する虎に、医師が言葉を続けた。


「元素火星イグニス本性ほんじょうは『ねつ』だ、艦長」


「知っている」

「——蛇に、離脱を強いてきたことは?」


 敢えてそう表現する医師に、虎が笑った。


「逃げたことなら、何度もあるな」

「違う! それは、まだ私たちが子供で!」

「いい。ミネア。いいんだ」


 思わず叫んだ猫を止め、顔を上げ。


 まいった、な。と。虎が思う。見上げてかりかりと、頭を掻く。蛇の修理に来たと思えば、元素の偏りにそんな意味が映るとは。不意打ちもいいところだ。


「ここはそういう場所なのか、そうか」


 だが——こういう話がこんな何もない草っぱらの中で、よかったかもしれない、とも思うのだ。無機質な管制室で話すようなことでも、ないだろうなあ、と。


「……横から混ざった風星エアリア本性ほんじょうは、確か『かん』だったか」


「そうだ艦長。かんねつじょうしき、だ」


「俺のやり方は、『かん』に過ぎたのではなく『ねつ』が足らなかった、ということか?」


 その問いには答えず。

 医師が真っ直ぐ虎を見る。


「私は知らない。この蛇の乗組員が、彼女たちが、あんたが、どんな過去を生きて、何を背負っているのかは、なにも知らない。だから、これまでの艦長の選択がどうだったかなんて、答も出せない。ただ——」


「ただ?」


幻界アストラルは、鏡だ。艦長。主人あるじようは、蛇に出る」


「鏡……か」

「私は竜脈に、そう教わった」


 言われて虎が、数度、頷いた。



=お前では、あそこまで言えまい。だから黙っていたのだアキラ=

(……うん。そうだね、そうだ)




◆◇◆




 じっと考える虎の傍で、こうべを垂れて、ぐっと。拳を、濃い茶色の産毛をミネアがかすかに震わせる。


 それじゃまるで。間違っていたみたいじゃないか。

 そんなの。納得できない。


 頭を上げない雉虎に。医師が言う。


「お嬢さん」

「ミネアだ……です。呼び捨てでいい、先生」


「そうか。ミネア。悲観するばかりじゃない。朗報もある」

「……?」


「あくまで私は竜脈研究班で、魔導炉の研究班は別にいたから、今から言う話は保証はできない、いいね」

「わかった」


「無限機動が竜脈移動ドライブする際に魔導錨アンカーや基底部から炉に魔力マナを取り込む。もともと無属性の魔力マナだ。知っているだろう?」

「知ってる」

 

「その無属性の魔力マナを、蛇が分解して各元素を励起させる、という仕組みのはずだ。しかし今の蛇は火星イグニスのみ励起が貧弱で、すぐ枯渇する……のだと思う」


 エイモスの言葉に、だんだんとミネアが顔を上げる。リリィの目も輝いてくる。まず理解したのは虎だった。


「確かにこいつは、竜脈から離れて飛ぶことができない」


「そう聞いた——しかし、蛇の生成が足りないのは火星イグニスだけなので、新たに魔力マナを補給しようとしても、余った他の元素が邪魔をしてしまう」


 もう猫ははっきりと目を上げて、医師を見ていた。それはその場の他の皆も同じである。


「だから結果として、小刻みで補給をしなければ遠距離を飛べない」

「……その状態が、治ると?」

「わからない。が、試す価値は、あるのでは?」



=うむ。ビタミン不足みたいなものだ=


(そう? プリンタのインクに似てると思ったけど)

=……いや、それはが偏ってるだけだ。黒だけ減るんだろ?=

(そうそう。てか簡単じゃないんだろ? 元素のバランス取るったって)


=じつは、そうでもない。が、手助けは必要かもしれん。私の言う内容を伝えてくれ=

(了解)



 獣たちは顔を見合わせて、医師の話を反芻しているようだ。レオンだけがそれを遠巻きに見ている。まず虎が質問してきた。


「具体的には、どうすればいいんだ先生?」


 医師は若干前屈みにしてじいっとホログラムを見る。そして姿勢を戻して、次は周囲の空を、蛇の輪郭を見渡す。


 相変わらず青空のあちこちには、赤い光が残っているのだが、特に目立つのが、話に出ている右舷第五砲塔より伸びて格納庫上で交差し、戻って右舷二番砲塔を抜けて、魔導炉あたりまで届いている赤い太い線なのだ。


 人で言うところの動脈なのだろうか。


「この赤い線の所々に火星イグニス一番・陽の励起を張る。ただ個数と位置に気をつけないと、元素星エレメントのバランスが崩れる。先に不足量の数値と割合を分析する必要があるんだが……」


 そこまで言って。くるりと。


「なにか、言いたいことがあるんじゃないか?」


 医師がアキラに振り返った。少し口元が微笑んでいる。読まれているのだ。アキラも少し照れ笑いしながら、左のこめかみに——もうしっかりと触るのではなく、耳の前の頬骨のあたりに軽く人さし指中指を添える程度で。この方がよく頭に声が響くのだ——手を当てた。


 それを見たリリィが。レオンのそばにしゃがんで頭の高さを合わせる。

(な。なんだ、おまえ)

(うーん? うっふっふー)



火星イグニスですが、生成できないのは、炉の総量の96分の11です」



 即答に。虎が。猫が。目を丸くした。

 ウサギはぎゅっとレオンの首を抱きしめた。


(ぎゅ。り。りりぃ。くるしっ)

(ね。ね。聞いた? 声、聞こえたでしょ?)

(し、しらないっ)

「ふんふんふん」「くふふふっ。やめっおまえっ」


 医師が可笑しそうに、自分の顎に拳をこつこつと当てた。


「君もわかっていたのか、やっぱり」

「はい、まあ、そうです」

「そうだろうと思っていた。しかし96とは半端な数字だ、四元素の比率を24で分配するのは、どうして?」


「この世界の魔力マナは純粋状態で、若干、水星ハイドラが多くて風星エアリアが少なく配合されています。その配合比が、火星イグニス大地星タイタニアを24とした時に、ちょうど水星ハイドラが25、風星エアリアが23の割合できれいに割り切れるんです。だから総量が96です」


 これには、エイモスも少し驚いた顔をする。


「……それは帝都ルガニアの導師に聞かせたい話だな。単純に四分割ではわずかに狂うのか。それで炉の運用を続けると酸化するのか……では、正確には火星イグニスは配分24のうち、11足りないと?」

「はい」


 青年が。すらすらと世界を読み解く。虎は呆れて声も出ない。


「私の体感とほぼ近い。それぐらいだと思う、艦長。そして問題はもっと大きい」

「う、うん?」


「11足りないということは、分解できずに残るということだ。当然大地星タイタニアも11が分解できずに残る。水星ハイドラ風星エアリアは若干比率が違うが、足して22、これも分解できずに残る」


「……全部か? それじゃあ……」


「常に96のうち44は、使えないまま炉に溜まるということだ。52——ほぼ半分と少ししか使用できない」


 むうと唸って、虎が顎を撫でた。本当なら、深刻な症状だが。


「そんな半分も残ってないぞ。いっつもすぐ空っぽだ、こいつの炉は」

「漏出させている。おそらく外壁から、たぶん、あれだ」


 エイモスが指差したのは。まさしく虎と灰犬が悩んでいた外壁の箇所、赤く薄く広がった左舷の光であった。


「本当なのか?……解決できたら、すいぶん違うな」

「そうだ。艦長。ミネア。いい話だろ?」


 猫は、しきりに胸元を撫でている。どうもミネアは気持ちが強く揺れた時に鼓動を確かめる癖があるらしい。鳩胸の真ん中を押さえながら、医師の言葉に。細かく相槌を打つ。


(なんかメタボっぽい話になってきた?)

=メタボというより消化不良だな。溜めずに外に出すのだから=


「……なあ、りりぃ」

「うん? なになに?」

「めたぼって、なんだ?」「へ?」




◆◇◆




 それぞれの人員に、これまでの話を。伝えてみれば反応は様々だった。腕を組んでずいぶんと感慨深く回答したのは、草原の前方にいる動力室の灰犬のダニーである。


「確かに。それくらいです。あなたと一緒にエメラネウスの氷穴でこいつを見つけた頃に比べたら——」

「あっはっは。懐かしすぎる。そうだエメラネウスだ」


 横からケリーの声が混ざる。艦長も額をぱりぱりと掻いて笑うが、たしなめた。

「ケリー。昔話はまた今度だ」「はは、すみません」

「ふふ。で、あの頃に比べたら減り方は倍の早さです。もう炉の寿命かと思っていました。本当に治るんですか?」


 吹く風に体毛を揺らせて、虎が言う。


「やってみないとわからんが、いけそうだ。ただどうだろう? 危険か? みんなどう思う?」


「言うほど危険じゃないね、難しくもない」

 モニカの声である。アキラが遠く蛇の後方に目をやる。


「これが初めてってんなら危険もあるだろうけどね。もともとウォーダーはんだろう? てことは、今がバランスが崩れた状態なわけじゃないか」

「そうだな、確かに」


「それで出てる症状が砲塔の麻痺とか振戦なんだろ。元素のバランスに異常が出ても、急性症状は出ないんじゃないか? それとね、あたしは見たことはあるよ」

「……四元素の緊張か?」


「ああ、田舎でね。意外とね、緊張って言ってもそんなぴんと糸が張った感じじゃないんだよ。なんて言うんだろう、固めたピール生地みたいな感じだ」


(ピールって?)

=いわゆるパンのことだ=


「プラグネシアの民が海に潜る際に張る膜は、確か、四元素をすべて使っていたはずですな」

 これはロイの声である。周囲の子猫たちが「へぇぇ」と感心するのが聞こえた。


(えっと……有機化合物っぽい? とか?)


=そうだ。元素星エレメントの単体使用や数種混合だけでは、結局無機的な障壁や一時のエネルギー系の魔法しか発現できない。安定的で有機的な作用を生むには、四種混合は避けては通れないのだ=


(……てかお前、どうせ使えるんだろ?)


=四種混合か? できなければ砂漠で人間の体を、どう再現するんだ=


(ああ……俺の皮膚とか弾力とか、そうなんだ……言わないでおく)

=無難だな、あまり前に出るのも、よろしくない=


 と声が答えたので、ちらっとレオンを見る。レオンも困ったような笑顔で視線を返した。横でしゃがんでいるウサギが、二人の視線を交互に見て。また少年の首に飛びつく。


「わかり合ってるっ。ずるいっ」

「ああっもう。めんどくさいっ」


 わちゃわちゃしているウサギと少年を尻目に、医師と艦長がホログラムの前で議論しているのは配置する方陣の距離と数量である。

 ミネアも横で真剣に聞いている。どうやら声はよっぽど不都合が起こらない限り意見を挟まない方針のようで、アキラは黙ってふんふんと頷いている。


「じゃあ全部で七箇所。それぞれの陣が干渉しない程度に距離を置く。大丈夫そうかアキラ?」


=問題ないだろう=

「——はい。大丈夫だと思います」


全員オール。聞こえるか? 前方動力炉からダニー、4800ジュール」

「了解です」

「主砲管制室付近は二箇所。どちらも5400。ロイ頼む。同時発動だ」


「まったく問題ありません」

 遠くでロイが、両の手をくいくいと数回握りしめて準備する。


「格納庫上も二箇所。ここもどっちも5000オーバーか……どうするか」

「あたしが動くよ、任せな」モニカの声が響いた。

「正確な位置を教えてもらえるかい?」


 虎が振り向く。

標点マークだ。リリィ」


「こしょこしょこしょ」「あははははっやめっおまえっ」


「こらリリィ! 遊んでるんじゃないっ!」

「あっ。はいっ、はいっ。やりますやります」


 虎に叱られ慌てて立ち上がったリリィが、腰のホルスターに手をやりながら蛇のホログラムまで駆け寄った。見上げてぱしっと右手で抜いた銃は釘打銃ネイルガンのように銃身にごつい弾倉マガジンがぶら下がっている。


「まず前方は動力室に一箇所、ここだ、それとこの部屋に二箇所。あそこと……」

「はいはい」


 ぼしゅっ! と。聞き終える前にウサギがダニーの方へ躊躇なく銃を打ったので。思わずアキラが後ずさる。

 銃口から発した光球はぎゅるっと蛇の輪郭を綺麗に抜けて、ダニーの頭上で「ばふっ」と破裂した。


「了解。ここですな」


「——それと、あれと。それだ」

「はーい」

 虎が指差した赤い発光箇所に。立て続けに二発。これも寸分たがわず破裂して光のマークが空中に固定した。


=便利なものだな、着弾箇所が意識で調整できるのか=

 もうアキラの目がキラキラと。ウサギの銃に釘付けになる。

(おおおおおっ。かっこいいっ)


 続けて四発。これもぎゅるぎゅると曲線を描いて、後方二箇所それぞれに二つずつ光が固定する。目の前のホログラムが示す通りの場所に着弾したかどうか、しかしこれは遠い。正確に追えない。


「えっと。合ってると思いますけどっ」

「問題ない。思った通りの箇所だ」「へ?」


「ここから見えるのか先生?」

 艦長が少々驚く。さすがにここからでは、虎の目では見えない。エイモスが指で義眼の瞼をぽんぽんと叩く。


「立体視は苦手だが、望遠は割と性能がいいんだ、こいつは。では一斉にだ。艦長」

「聞こえたか? 全員マーキングの位置に」



◆◇◆



 動力炉前に、ダニー。

 管制室には、艦長が位置につく。

 格納庫までモニカが移動し、ロイが左右の手を別々に構える。


「いつでも」「配置完了」「歩きにくいね。こっちも到着」


「よし。火星イグニス一番、各員。発動」


 同じ魔法を。違う所作で四人が発動する。


 灰犬のダニーは三指の印を顔の正面でぐるっと回し素早く中心に印を切る。要塞の所長が行った所作の小型版のようだ。

 虎は、相変わらず早い。右手一本で二箇所の天井に向かって指先を、まるで水でも撒くように風でも切るように。ひゅひゅっと二度振ればそれぞれの場所に印が打たれた。

 

 飛竜は左右の手を最初から目印に向かって拳を握り、すっと軽く肘を曲げたかと思うと。ぱんっと。両手の指をめいっぱい広げる。周囲に魔力の圧がかかって、子猫らの髪が軽く揺れた。

 小さな身体で大きな胸の前に両手の甲を上面に構えたモニカが、ざあっと外回りに円を切ってくるくると回転させながら。最後にダニーと同じ印を、それぞれの天井に投げるように打つ。


 違う所作なのに同じ方陣が予定通りの場所に、七箇所、発現した。


(なんかみんな、やり方があるんだ)

=虎とトカゲは、あれは励起系の操術だな=


(励起系? 操術なのに? 共鳴系じゃなくて?)

=共鳴していない。印も切らない。体内の魔力で周辺元素を一気に動かす魔導だ。発現のスピードは段違いだが、かなり導引に自信がないとできんな、あれは=


(はああ、艦長とロイさんらしいや……うん?)

 足元が振動する。草いっぱいの高原に、低い唸りが響く。


「おおっ?」「え、どしたの?」「な、なにこれ」


 あちこちで獣たちが声をあげ地面を、周囲を見る。と。彼らを包む巨大な蛇の輪郭がゆっくりと波打ち、後方に折りたたまれていた主砲の翼が。

 咆哮とともに、ぶわあっと左右に広がった。まるで本物の鳥の翼のように。同時に蛇の体躯が左右に緩やかに震えたかと思うと、一気に。


 空に飛び立ったのだ。獣たちを乗せたまま。


「うおおおっ!」「きゃあ!」


 子供たちの幾人かは慌てて床に手をつく。壁につかまる。壁も床も触れればそのままそこにある。ただ周囲の風景だけが、世界が。広大な草原がぐんぐんと下に遠くなり、青空に蛇が飛翔した。


 ミネアが慌てて操縦席の輪郭線を振り返るが、操縦桿は全く動いていない。しかし蛇は頭を左右に振り、尾を振り、生きたそれのように天で顫動せんどうする。景色が流れ動く。が、乗組員たちには全く影響がない。ただ世界が三次元で、蛇の動きに合わせて移動しているのだ。


 思わず前かがみに構えた虎が、足元をぐっと踏ん張ったまま辺りを伺う。


「お、お前たち、大丈夫か? 確認してくれッ!」

「問題ありませんッ!」「だ、大丈夫。でもなんだいこれは?」


 透明な蛇に乗って空に浮く乗組員たちは、見渡せば後方まで小さく並んで見える。慌ててはいるが、怪我とかはないようだ。


 蛇がゆっくりと鎌首を上げる。動力室のダニー、サンディ、リンジーが。

「おおおおっ」「ひゃあっ」「ちょ、ちょっとなに? なに?」

 管制室から斜め四十五度ほど垂直に持ち上がる。


 そこから。


「うおおおおっ」

 滑らかに速く。頭部から前方に潜り込むように。


 海に向かってウォーダーが飛び始めたのだ。




 アキラとウサギと少年は。三人とも両手を床についたままだ。「痛たた」と声がしたので振り向けば、エイモスが尻餅をついている。


「せ、先生っ」「いや。大丈夫。ふら付いただけだ」


 全員がゆっくりと腰を上げた。実際。揺れたわけでも振り回されたわけでもないのだ。今はゆるゆると海の上を飛ぶウォーダーのあちこちで、だんだんと獣たちが落ち着きを取り戻している。


 ミネアはそのまま操縦席に座って透明のかんを操作するが、その動きに蛇がほとんど反応しない。まるで——


「なんだか、気ままに飛んでるみたいなんだけど……」

「そうなのか? 足盤ペダルも反応しないのか?」


 虎に言われてミネアがくいくいと足を踏むが、振り向いて首を振った。うーむと虎が考え込み、どこともなく頭を振り上げて周囲に声を出す。


「どうだ。お前たち。何か異常あるか?」


「い、異常ありませんが……何があったんですか?」

「こっちも問題ありません」

「無事だよ。これって、上手くいったのかい?」


 最後のモニカの質問に、虎が医師とアキラを見る。エイモスは辺りを見渡し、足元を覗く。透明の床のはるか下界に見える海面が目に入りぞっとするが、ぐっと堪えて虎に目をやる。


「問題ない……と、思う。周りを見てみろ艦長、赤がほとんど消えている」


 言われて、初めて虎が気付いた。確かに蛇の輪郭のあちこちに点在していた赤の光が、そのほとんどが消滅し一部わずかにそこここに、細かく残っているのみであった。呆然と虎が空を見つめる。


「治ったのか? 本当に? 全く実感が湧かないんだが……」


 おそらく最もそれを期待していたはずのミネアも、明らかに当惑した表情だ。ひたすら首を傾げながら、手応えのない操縦桿を右に左に切っていた。



=まあ、上手くいったんじゃないか? さっきの動きを見たかアキラ?=

(う、うん。まるで本当の生き物みたいだった……)


=こいつの潜在能力ポテンシャルは相当高いようだ。まあ現実世界であんな動きをされたら、中の我々はたまったものじゃないがな=


 すっかり子供たちは周囲の景色に夢中で、後方で遠くを見たり下界の海を見たりで騒いでいる。パメラは足元が怖いのかリザに抱きついて離れない。男子組は「ひゃああ、すっげえ」「おっかないなこれ」とか互いに声をあげていたのだが。


 ふと。誰かが。


「ねえ。これどこに向かってるの?」


 と。


 アキラが。額を掻く。


(あれ? これって、どこまで飛んでいけるんだっけ?)

=いや。どこまででもいい。夢とはそんなものだ=


(そうなの? いいの?)


=……やめろアキラ。疑念を持つな=


(え?)

=疑念は危険だ。考えるな。アキラ。やめろ=

(でもさ。なんにも、ないじゃん?)


 その通りだ。見渡す限りの、海なのだ。

 なにひとつ——


=〝なにか存在するべきだ〟と考えるなアキラ!=



 しかし。在ってしまった。遅かったのだ。



=まずい。侵襲を許した=

(え?)


「……あれ、なに?」「え?」


 最初に子供らが気づいて指差した。それを。前を。

 虎が。犬が。獣たちが前を向く。




 単純に一直線に

 水平線を引いただけの世界の空に

 その黒い双円錐の塊は 唐突に浮いていた


 どこから来たわけでもなく

 最初から そこに在ったかのように


 岩ではない 例えるなら

 巨大な植物の果実のような

 ぎざぎざの瘡蓋かさぶたで表面を覆われた

 その正面に赤い光の亀裂がじぐざぐに


 走り ゆっくりと

 左右に広がるそれは どうやら

 無機質に尖る風切りを湛えた 漆黒の翼だ


 鉄錘のような嘴が 垂れ下がる




「……い、痛っ」


 リザが。思わず声を漏らす。ぶるぶると震えてしがみ付くパメラの爪が腕に食い込んだのだ。


 白猫の少女が見える右目の瞳孔を。開き、見据えて、呟く。


「レ……レーヴァンRavEn……」


 蛇が止まった。


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