第二十四話 高原に吹く風


 青空に黒の外殻が鈍く輝く。

 基底部を薄緑色に輝かせ、蛇がゆっくりと下降を始めた。


『これより幻界アストラルへの干渉実験を行う。時間は約一時間。各員、不慮の事態に対応できるよう配置についてくれ』


 高度300リームは、周囲の山稜から降りること中腹程度である。低い駆動音を響かせて、ウォーダーが左右の尾根に挟まれた森林地帯の上空まで近づく。

 広がった翼の主砲は斜め後方、すべての砲塔がもっとも安定しやすい六〇度ほどの角度を保つように、壊れた右舷も綺麗に閉じていく。


 前方にどこまでも続く森は。

 緑の波のようだ。


『エイモス先生、管制室まで来てくれ。ノーマはそのままケリーと待機。砲撃班は周囲警戒。後方はモニカ、状況に任せる』


 放送に顔を見合わせ、エイモス医師が獣二人に頷いて治療室を後にした。ベッドに半身を起こして天井を伺うケリーの横にノーマが座る。

 主砲車両ではリッキーとエリオットが操作盤に腰掛け操縦桿を握って微調整を行う。パメラの顔色が若干悪い。リザがきゅっと抱きしめるのを、ロイは黙って見ている。

 後方車両でモニカがエプロンを解いて丸めた。フランとシェリーが不安そうな顔で見上げるので、ログが少しだけ石の口角を緩めてみせた。

 

 樹々の頭を揺らめかせながら。蛇が飛ぶ。虎が叫ぶ。


確認コールッ!!』


『炉心安定。問題なしッ』ダニーが答える。

『高度、速度安定』ミネアも応じた。


『いつでも』治療室からケリーが返答した。

滑空三角翼グリード・トライン、展開完了』リッキーが言う。

『こっちもいいよ』モニカが返した。



◆◇◆



「アキラ。いつでもいい」

 虎が腕輪から顔を上げた。


 アキラが軽く頷いてこめかみに手をやるので。本当は今すぐにでもレオンに聞きたいことがあるのだが。ぐっと胸元を握りしめてリリィが息を飲む。


=まずは探索だアキラ。人差し指。領域帯レンジは外界10キロ=

(探索? 周辺を?)

=そうだ。そのために降下したのだからな=


 声に言われて顔の前で、アキラが右の人差し指だけぎゅっと曲げて押し込む。端から見れば眼前で印を切るようなその仕草を、ウサギと虎が注視する。


 ざあっと。音も立てずに。それはもちろん、アキラだけに。

 蛇の壁面を透過して、外界の山々がすぐそこまでワイヤーフレームで出現した。ゆっくりと右手を下ろしながら周囲を伺う。異常はない。そしてなかなか慣れない。


(うおおおおっ……山が近いや)


 周辺の山腹はすぐ近く、足元を見れば森林の嶺がけっこうな勢いで後方へ流れていくので、少しおぼつかない。

 あちこちに目をやるアキラを、虎は黙って見ている。何かはわからない、が、アキラの周辺で確かに何かが始まったのだ。操縦席のミネアは自動巡航オートクルーズに入ったのでアキラの方を振り向き注視している。腰掛けたレオンの杖を持つ手は止まっていた。


(……それで。これから?)


=お前。ツーリングするのか?=

(へ?)


 唐突であった。


(いや。いきなり。なにを——)

=向こうにバイクを置いているんだろ? もう乗って長いのか? 正面に目を向けろアキラ=


(ま、まあ。うん。あれはね)

 言われたアキラが真正面に視線をやる。確かに今は。周囲をぐんぐんと後ろに流れるワイヤーフレームの風景が、バイクを運転しているその時と。


 似ている。


(今買うと中古でもすっごい高いんだってさ。もう作ってないから。大学の先輩が卒業するときに、安くで譲ってもらってさ)


=最近は、どこか走ったのか?=

(ええ? っと。しばらく忙しかったから遠出はしてないなあ。去年の秋に西伊豆を流したくらいかなあ)


=日本の高速は、こんな山の中を通るのだな、確か?=

(土地がないからね日本は)


 そうだ——似ている。


=でも景色はいいのか?=

(いいね。その時もちょうどこんな山を抜けた先に——)


接続リンクする=

(え?)



◆◇◆



 澄み渡る青空の下いっぱいの。柔らかく風が吹いて。


「あれっ?」


 蛇の乗組員たちは。

 それぞれの場所に。

 それぞれの位置に。


 蛇の配置そのままに。


「うおおっ! とっとっ。痛たっ」

「きゃあっ。」


 思わずケリーが声を上げて両の手を広げようとする。下半身を寝かせたまま身体が草の上に浮いていたからだ。しかし浮いたまま落ちない。右腕が三角巾に引っ張られて痛みが走った。


=事象接続。識域下より認識域へ。元素星エレメント実体化、共有開始=


「ひゃ! あわわ」

 座っていた椅子が消えて中腰のリッキーとエリオットが手をやると、見えない椅子に手が触れる。ミネアも後ろにひっくり返りそうになって。慌てて両手で周囲を押さえると席に触れた。


=事象反射開始。世界深度、80、170、260=


 見えないはずの相手が遠くに見える。炉の計器盤を見ていたはずのダニーはその場に固まり、振り向けばリンジーは草の上に尻餅をついていた。誰もが。まず青空を見上げ、そこに現れた一面の野原を。世界を見渡して呆然とする。


界振動アトラスウェーブに干渉完了。元素星エレメント安定。事象元、物理共鳴を開始=


 そして。今度ばかりはレオンも。


「ううっ……は。ははっ。あははっ」


 驚いていたのだ。少年も。

 見えない椅子に座ったまま杖を抱きしめて、目を丸くして笑う。


=マッピングデータ、開放=


 声とともに、草原の前方より。

 まるでそれは。先ほどまでアキラが見ていた探索の景色と。


 真逆なのだ。広がる空と草原に。ざああっと、輝く光の線が細かく空間を走って輪郭を描き、管制室を。動力炉を。それぞれの部屋を。蛇の内壁を。光のフレームがかたどっていく。


「全員!……動くな! 怪我するぞ!」


 叫ぶ虎もまた広がる青空を、そこに走る光を見上げて汗を流す。立ち尽くすリリィの視線が飛ぶ。風景へと。彼方へと。遠くには、なんと。


「海だ……」

「えっ」「ほらっ、向こう。あれ」


 後方でフランが指差す向こうに。海が見える。管制室の入り口付近にいるであろうエイモス医師も、空を仰いでいる。


 獣たちを包んで。

 海の見える高原に蛇のフレームが完成する。




 ぽっかあああんと。口を開けて目を点にしているのは当のアキラも一緒で、そこにようやく声が話しかけた。


=上出来だアキラ。いい仕事だ=

(あ、え、えと。これっ)


 さすがに。アキラの思考が追いつかない。


=言っただろう? お前は希少レアだ。というより地球人が、だな=

(これっ? これっ、なに? どこ?)


=お前の回想イメージ幻界アストラル魔力マナの反応だ。事象元アストラにおける個別世界レイヤークオンタムの顕現だ。いや。そんなに難しく言う必要もないか=


 声が言った。


=お前たちが『夢』と呼んでいる世界だ=


(ゆ。夢っ?)

=そうだ。地球人の精神は夢を創れる。それだけで規格外なのだ=



◆◇◆



 巨大な蛇の形をした全長200メートルほどの細い光線の輪郭フレームは、獣たちを内部に包み込んで広大な草原に、世界に溶け込んで浮いている。


 手をやれば触れる。確かに、そこにある。

 先ほどまでと同じように。

 ここは相変わらず蛇の中なのだ。


 だが吹く風はあまりに涼やかなので、つい。遠くに見える海の輝きに誘われたパメラが、ふらっとリザの胸から離れて数歩動いた。


 かん。と。

「あうっ。」「パ、パメラッ」

「うくうぅぅ」

 あるはずの計器盤に脛をぶつけた白猫が座り込む。赤猫と飛竜が寄ってきた。


=元来、夢というものは生命の事象元アストラにおける連鎖反応チェーンリアクションだ。生命は物理元アトラスでの経験や学習を波動化し、個別世界レイヤークオンタムの一部としてクオリアの中に圧縮していく。その過程で起こる映像反応が夢だ。最初、私は考え違いをしていたのだアキラ=


 アキラの立つ草原——そこはまぎれもなく蛇の管制室のはずで、今まで通り模型のようなウォーダーの透過映像が、ところどころに赤い反応を示したまま浮遊しているのだが。


 次に起こったのは。


魔力マナのない地球に暮らす生命ですら、事象元アストラと反応して夢を見る。ならば魔力マナのあるこの世界の生命は、事象元アストラと魂を接続することは、さらに容易だろうと。そう予測していた=


「こ、これはっ……」


 エイモス医師が目で追う先に。ミネアも、リリィも、虎も。彼らを覆う光のフレームに前方から、またもや。


=第二レイヤー、展開=


 アキラの示した蛇の赤い〝しるし〟が次々と、空に広がっていく。それは正確に、三次元模型映像と位置を違えず示されていく。


=しかし、アキラ。それはどうも違ったようだ。この世界の獣たちも、人間も、幻界アストラルと呼ばれる世界に手出しができないと。それは希少だと言った。つまり彼らは『そういう進化をしていない』のだ=


 呆然と。空と、草原と。遠景の海と、獣たちとの間を、ひたすら視線を動かしながら。

 アキラは声が話すに任せていたが、ここで初めて。


(夢を……見ない、ってこと?)


=そうだ。見ない。彼らは事象元アストラに意識のフィールドが作れない。イメージを展開できない。だから私は再度、推論したのだ=


 声が、問う。 


=アキラ。そこに場所が取れない理由はなんだ? なぜ人は、席に座れなくなる?=


(それは……先に誰かが……あ。)


幻界生物アステロイドだ。こちらの事象元アストラには〝先住者〟がいたのだ=


 空に広がるいくつかの赤をエイモス医師が見渡しながら。アキラの立つ横を歩き、虎とウサギが見つめる中、少しかがんで蛇の映像に目をやる。


=アキラ。クオリアは脆い。肉体より、思考や精神より、はるかに脆い。簡単に他者の侵襲を受けて傷つく。変容する。だから事象元アストラに先住者のいるこの世界の者たちは、夢という形で日常的に魂を解放することを、危険視してやめてしまったのだろう=


 模型映像の右舷五番砲塔の付け根が赤い。

 遠くを見れば。向こうにリッキーたちが座る上空の輪郭あたりに伸びた光線が、その五番砲塔のあたりである。無限機動ベスビオの砲撃によって痛々しく曲がった四番のすぐ後ろのその砲は、確かに根元の砲座部分の空が赤く染まっていた。


 目の前の映像と遠方をしばし交互に確認した医師が、虎に顔を向ける。


「……幻界アストラルに、こんな入り方があるとは知らなかったな……艦長」

「あ、ああ。どうした先生」


一般級クラス=コモン元素星エレメントの操術、基本数の使える者は?」


「——俺とダニー。ケリー。ノーマ。あとロイもすべて使える。後方はモニカと、ログは……どうだったか? レオン」

「ろぐは、かぜが、にがてだ。つかえなくはないけど」


「だそうだ。しかし操術か? 霊術ではなく? ここは幻界アストラルじゃないのか?」


 二人の会話を、猫とウサギがじっと聞いている。医師が答えた。


「おそらく、幻界アストラル現界アーカディアの混合界だ。彼が構築したオリジナルの領域だ……そうなんだろ?」


=教えてやれ、アキラ=


「はい。〝クオリア〟と言います」

「クオリア?」「はい」「クオリア……か」

「クオリアっていうんだ、これって」


「はい」


=違うだろ! 個別世界レイヤークオンタムだろ! ちゃんと聞いてたかオマエ!=

(言ーいにくいじゃんっ。違いがわかんないよだってっ)


=だから『生命起源事象元アストラクオリアが総体の事象元アストラと反応して顕現した個別世界レイヤークオンタムの部分解』が地球人の言う『夢』だと——=

(わーかったって。わかんないけどっ)


「でも、どうして草原なんだ? いや、いいところだが。とてもいい」

 虎の目線は彼方の海に向かう。遥かの水平線は青々と凪いでいる。


「えっと、それは……」


=ここが美しいからだ=


「えっ?」「うん?」


事象元アストラでは美しい情景を素材に生成した場が強い。魂が平穏を保つほど、界が安定して侵襲されにくくなる。バイクの話でお前の回想に浮かんだ高原も、美しかった。だから接続したのだ=

(えええっとっ、うーん。それ説明しづらいなあ)


「ウルテリアの……高原に似てるね」

「ああ、似てる。うん。あそこもこんな感じ。草いっぱいでねえ」


 おぼつかなく見えない椅子に掴まったままのミネアが振り向いて言うのに、リリィが合わせた。猫は端から見たら中腰で浮いているようで、かろうじて椅子の輪郭で座っているのがわかる。


「ひょっとして、お前の田舎か?」「あ。そう。そうです」


「そうか。いいところだ」

 虎が気持ちよさそうに遠景に目を細めて、同じ言葉を繰り返す。その立ち姿を見ながら、アキラが声に訊いた。


(でも。夢ってさ。俺、起きてるんだよ今?)


=十分に魔力マナが多い世界だからな。ここなら覚醒したままでも、一般的な地球人は事象元アストラと反応して場を生成できるようだ。何万年という進化の結果だ=


(実感ないなあ、夢を見るのがそんな大げさなことなんて)


=夢は、異次元での場の構築だ。立派な霊術だ。十分な魔力マナがあれば、周囲の意識も巻き込んで界を創る。今朝の話を覚えているか?=


(え? えと……ああ、ひょっとしてまとまって寝る話?)

 言われてアキラが思い出す。


=そうだ。おそらく、この世界の睡眠とは、他者の霊的な侵襲から身を守る術でもあるのだ。だからなるべく平穏を得るために、彼らは固まって眠るのだ=


(そうなんだ……でもそれと引き換えに、夢を見られないんだよね)

=なにか問題か?=

(いや。もったいないなあって。ちょっと思っただけ)


=最初から持たずに生きている者が、それを欲したりはしないだろう=


 声はそう言う。が。はたして。


 打った脛を抱えながらしゃがみ込んだパメラは、それでも。


 ひらすら、空を見ていた。青い空を。

 幼い右の瞳を潤ませて。



◆◇◆



「問題がなさそうなら、やってみるか」

 虎が腕輪を口元に近づけた。


「各員! 今見えているのは……うん?」

『各員! 今見えているのは……うん?』


「あれっ?」リリィが首をひねる。ミネアも不思議な顔をした。

 虎も。口元の腕輪を見て。もう一度。


「みんな、聞こえるか?」

『みんな、聞こえるか?』


 声が二重に響いた。遠くで乗組員たちも、こちらを伺っているようだ。試しに虎が手を降ろし、普通に声を出してみる。


「みんな、俺の声が聞こえるか?」


「え? これどこから聞こえてるの?」「これは艦長の声か?」

「聞こえます、艦長」「あはは。もしもーし」

「聞こえるね、なんだいこれ?」


「うおっ」


 あちこちから一斉に。耳元に声が返ってくるので虎がのけぞった。


=ここは夢の中だアキラ。通常空間とは法則が違う。意識はネットワーク化されていると言ってやれ=


(ボイチャみたいな?)

複数同時通話ボイスチャットのことか? そうだな=


「あの。艦長」「うん?」


「ここでは、距離に関係なく話したい相手と話せます。全員と話そうとすると、全員と会話がつながります」


(ってことだよね?)

=問題ない。マンツーマンの会話もできるはずだ=

(あらためて、夢なんだなあ。これ)


「そ、そうか。慣れんな。霊術に似ているんだな」

「そうなんですか?」


「霊術にも、こういうのがある。何百キロリームも向こうの相手と喋ったり、離れた複数の相手で会議をしたりな。俺は苦手だ。だから腕輪を使う。今は、いらないってことか」


 虎が前を向いて、ぽんぽんと二度ほど右手で胸を叩いて。大きめに声を出した。


「各員。今見えているのは幻界アストラルの風景だ。だが俺たちは変わらずウォーダーの中にいる。いつもと視覚が逆だ。今は現界アーカディアの風景が見えない」


 そこまで一気に話した。声は返ってこない。みんな黙って聞いているらしい。


「周りに見える輪郭が実際のウォーダーのようだ。手で触れば、触れるだろう。壁も廊下もそのままだ。動くときには気をつけろ。何か質問は?」


「はい! はい!」「はーい!」

「しつもーん!!」

「お前らうるさい! 一人ずつだひとりずつ!」

 虎が両の耳を押さえて叫ぶ。


「エリオットです。今からウォーダーの修理を?」

「まあ、実験的にな。指示はエイモス先生と……アキラ、でいいのか?」

「構わない、艦長」「は、はい。俺はよくわからないんですが」


幻界アストラルって、どこでもこんななんですか? フランです」

「いや。これは——アキラのオリジナルらしい」

「オリジナルの幻界アストラル? そんなの、聞いたことないよ?」


 横からモニカの声が割り込んだ。答えたのは虎ではなく医師である。


「正確には、幻界アストラルの一部を領域で囲って、自らの支配域に置いているらしい。なんと言うのだったか……」

「〝クオリア〟です」「そうだ、クオリアだ」


=レイヤークオンタムだ=

(いいじゃんもう……)


「ふーん。あとで詳しく聞かせてよアキラ君。興味がある」

「わ。わかりました」


 そして最後の質問は。


「あのさ。警戒。解いていいの?」


 リッキーの声に。全員が静まる。虎が顎に手をやって考え込む。が、本人の傍にいるロイが答えた。


「……念のためです。警戒は、続けます。それでいいな」

「ま、まあ。俺は別に。うん」


 青猫は納得したようだ。虎は、アキラに振り返る。


「実際のところ、どうなんだアキラ。ここは危険か? 安全か?」


「すみません。正直、わかりません」

「——そうか。かまわん、なんとかしよう」


=珍しいな。即答、できたか=

(実際、わかんないんだろ?)

=わからん。情報が足りない=


 夢の中なら今吹くこの風も、現実のものではないのだろう。髪がなびいて心地よい。そんな世界の紡ぎに不穏はないと、アキラも云い切りたかったのだが。


(わかんないよね、なにがあるか)



◆◇◆



 ことが始まれば、エイモスの指示はてきぱきとしたものだった。それぞれの場所、一番近い者を虎に選ばせる。


「この頭部から3つ目の部屋は……動力室か。艦長、動力室前方より天井左二箇所に見える赤に、大地星タイタニア四番『泥濘』を」


「うん? 『泥濘』は陰相だぞ? 陽の『重合』ではなく?」


大地星タイタニア四番は陰陽ともに中性ちゅうじょうだから問題ないはずだ。強すぎるなら一番を代理で使ってもいい」


「わかった。聞こえたか、ダニー頼む」

「了解です、あと部屋の後方に赤い線がありますが?」


水星ハイドラ六番・陰の『溶解』。そのあとに風星エアリア二番・陽の『対流』で……ああ、いや。その前にこっちだ」


 蛇の三次元画像を虎と一緒に覗き込みながら。エイモスが指で赤い線をなぞる。ミネア、リリィ、アキラ、レオンの四人も「へぇえ」と感心しながら、医師と虎を取り巻いて伺っている。

 時に少し考え込み、別の場所からまた指でなぞり、どの部位に何の元素を当てていくのかかたわらの虎に指示を出していくのだ。


=見立てが〝経絡〟に似ているな=

(経絡って……鍼灸の?)


=そうだ。確か日本では盛んだろ? もともとこの世界の元素星エレメントの様相も、陰陽五行や体液病理説に似ている。経絡と相性がいいのだろう=


(機械の修理かと思ってたけど。ホントに生き物なんだなあ)

 声に言われたアキラがそう思いながら医師を見て。虎を見て。そして空を見る。医師の指がちょうど画像の管制室の上で止まったのだ。全員が空を見上げる。


 見上げた上に光る輪郭が走っている。本来なら右モニター天井のあたり。立体画像と同じ位置に、赤い光が漂っていた。


「あれだ。あそこにも水星ハイドラ六番。こっちは陽の『柔化』でいい」

「俺がやろう」


 虎が即答して右手の親指、人差し指、中指の三指だけ広げてしょうを向け、詠唱もなく、青空に浮かぶ赤光に触れんばかりの、そのすぐ前に。


 ほうっ、と印を出す。所作が早い。


(おおっ。やっぱすごいや艦長)


 元来、一般級クラス=コモン元素星エレメント四種の一番から九番、合計三十六種の操術は魔法の基礎なのだ。基本の三十六にそれぞれ陰陽のそうと盛・中・衰のしょうを持ち、その組み合わせによって様々な性質を顕現する。


 これを熟知していなければ高位の魔法の設計は、話にならないのだが。今のアキラはまだ、それを知らない。竜脈からも手に入れていない知識であった。


 虎の魔法に素直に驚いている風なアキラを横目で見て、なぜかちょっと。ミネアが得意げであり。その得意げにするミネアの横顔を見て、こちらもちょっと。リリィは楽しげにしている。が。


 思い出してしまった。ぴょっと耳を伸ばして振り向く。


「うん? なんだ? りりぃ」

 すすすす、と。


「うん? うん?」

「あのね? レオンちょっとね」


 アキラとミネアは、虎と医師のやり取りに気が向いているらしく、リリィがレオンの側までにじり寄ってきたことには気づかない。草の上にしゃがんで、かしっと。レオンの肩を掴んで引き寄せる。


「うんん?」

(アキラ君からね?)「うん?」


(別の声が聞こえてない?)

「うんんんんんんんーん?」


 耳元で囁くリリィの質問に。レオンの目が泳いで口元が波打つ。すかさずその首元に鼻先を埋めて。

「ふんふんふん」「くひひひひっ」


「……やっぱ、ホントなんだぁ」

 レオンの首から鼻を引いて。リリィが驚いたような丸い目で、それでもずいぶんと嬉しそうだ。レオンが顔をしかめて杖を振る。


「おまえっ。ずるいぞそれっ、りりぃ」

「えっへへへ。ごめんねぇ。でもねレオン、あのね」


 振られた杖の先をはしっと握って、リリィがまたレオンに顔を近づけて。


(あたしも、それ。聞きたいなあ)

「えっ だめだだめだ。やくそく、したんだからなっ」

「約束?」「あっ」


「えっ? えっ? 約束ってどーゆーこと……」

「なにやってんのアンタら」「あ」「あ」

 さすがにミネアが気づいた。


「この大事なときに。遊んでるんじゃないでしょうね」

「いやいやなんで先輩。ねぇレオン」「うんうんうん」


 慌てて否定する二人に腰を曲げてじりっと猫が詰め寄ろうとした、その時。

 艦長の声で三人が振り返る。



「いや。それはちょっと、危険なんじゃねえか先生」


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