第二十三話 国境山岳の夜明け


 しんとして誰もいない管制室の、計器盤に並んだ座席の一つをぐるりと中央に向けて。レオンは大きな杖を体に抱えたまま、きこきこと椅子を揺らして空間に描画されたままの蛇を見つめていた。


「なおせそう、なんだって。よかったな。おまえ」


 少年の独り言にどこからか。ごおうっと微かに低い駆動音が響く。赤毛を少し揺らしてレオンが笑う。


「だれか、はやく〝かんてら〟みつけたら、いいのにな」

 杖先の緑の宝玉を唇に当て、呟く。

「むつかしいのかなあ」


「『燈火カンテラ』は竜脈に流れておりませぬゆえ


 そう答えて部屋に入ってきたのは岩男のログ、ログモート=ヴァイアンである。


 全身が岩石質で覆われた、およそ生き物とは思えない男の口調はしかし少年に丁寧で、落ち窪んだ目の奥にかすかに見える瞳が思慮深い。

 石を固めて組み上げた土人形のような太い腕に小皿の並ぶ鉄の盆を抱え、ゆるりと蛇の映像を避け、部屋を大回りして。少年が座る計器盤の傍に遅い夕食を置いた。


「ありがと」

「いえ。シェイ殿の『星辰アルゴ』に訊かれては、いかがですかな」


 くるっと椅子を回したレオンが盆のおかずを手でつまむので。岩がちょっと眉根を寄せる。


さじがありますぞ」

「えへへ。おいひい。〝あるご〟は、ばしょまでわかんないからなあ」


「いずれ何処かで、お目にかかれましょう。『解くべき時に解くべきものの手にある』のです」


「そうだなあ。まつしか、ないのかな」


 言いつつしかし少年は楽しげに微笑んでいる。食い物が旨いのか、それとも別か。岩が腹の前で緩く指を組み、レオンに問う。


「あの十番は、先の記録に残っておりませぬか」


「うん。〝ひえらる〟じゃない。あいつがいて、よかった」

「では式の銘は、あの片目の医師になりますか」

「どうかなあ」


「……他に誰か『円環ウロボロス』とやらに関わりましたかな?」


 怪訝な顔をするログを余所目に、レオンがまたおかずをぱくつく。


「匙がありますぞ」

「えへへ。だれっていったら、だれなんだろうな、あいつ」




◇◆◇




 薄雲が、明け方の紅い光をまとって上空を流れている。


 格納庫はまだ薄暗い。飛ぶウォーダーに流れ込む澄み切った朝の冷気が魔力マナの壁で和らいで、さらさらとアキラの黒髪を揺らす。


 ふと目を覚ますと、鉄板の床が痛くもない。昨晩の敷布とは別物のずいぶん厚手の布団に変わり、身体にも暖かい上掛けが被せてあった。指で触れば上質の布に感じる。


=アンゴラに似ているな=

(……そうなんだ、って、あれっ?)


 右半身の温もりに身体を捻れば、すぐそこに。同じ毛布にウサギが寝ていた。


(えっと……あれっ? え?)

=起こしてやるなよ。まだよく寝ているだろう=


 リリィが寝息を立てるたびに、ちらちらと。格納庫にわずかに舞う埃が弱い光を浴びて頰の産毛の辺りを遊ぶ。真っ白な小鼻が時折すんと動く。


 目の前の長いまつ毛に見惚れながら、アキラが昨夜を思い出していく。


(うーん)


 ——医師と向き合うアキラが座る、上座の席に突入してきたのは子供たちであった。名前は何か、どこから来たのか、歳はいくつかの質問責めで一番気を使ったのは「魔導師なのかどうなのか、どこで魔法を覚えたのか」というリンジーの問いかけで、まあ穏便にリリィに答えたのと近しく「祖父に習った」と答えたあたりまでは、覚えている。


 酔って寝たのか。疲れて寝たのか。そのあたりが定かでない。


 そおっと身体を少し起こして見渡せば、大人組は消えている。それぞれの部屋に戻ったのだろうか。


 やや離れた一角でミネアと一緒に、リッキー、エリオット、リザ、パメラの四人の子猫が同じ毛布にくるまって寝ていた。別の布団にはリンジーと一緒にフラン、シェリーが寝ている。

 ミネアとリリィの大人二人がいるから安心しているのだろうか、それとも、子供といっても年頃の男女が丸まって寝るのは、獣には普通なのか。


(あんまり気にしないのかなあ。わりとその辺、緩いのかな)


=群れて眠る、か……事象元アストラに関係があるのだろう=

(そうなの?)


=群れて寝るのを好むには、理由がある。おそらくだが=

(よくわかんないけど……てか、この布団ってだれなんだろ)


=本当によく寝ていたのだな。まあ身体の再構成が捗るから構わんが。寝ているお前たちを抱えて動かして、全員の寝床を敷いて回ったのは、狐と狼だ=

(えええ……ケリーさん右腕大丈夫なのかなあ)


=お前がさっさと酔いつぶれるからだ。あと虎が書き置きをしていったな=


 声に言われて、アキラがふと枕元を見ると、果たして何やら文字の書かれた紙が置いてある。手に取るが随分と達筆で読めない。

(これはちょっと……なんて書いてあるの?)


=『リリィの頼みにより今夜は据え置く。明晩から手のかからぬよう』=

(ううっ かっこ悪いなあ)


 隣のリリィを起こさぬように気をつけてアキラが寝床から抜け出し、外を見れば薄く白くけぶっているので、音を立てずにそろそろと四つ這いで格納庫の開け放った扉の前まで行ってみる。


(……うっわ)


 向かう眼前の東。陽はまだ遠山の稜線と雲間の向こうに隠れて輝き、地平に立ち込める霧は薄衣うすぎぬのようだ。


 竜脈はもはや終わっている。蛇はゆるゆるとアイルターク国境に近い山合いを飛んでいた。


 見下ろせば砂漠をすでに抜けた下界はまだ暗く、しかしどこまでも続く緑のうねりに包まれているのがわかる。低空に漂う朝霧を、小高い丘といっぱいに広がる樹々の先が切り分けてところどころに顔を出し、南に目をやると明け方に染まる峰の切れ目から厚ぼったい雲が緩く風に煽られて、後方に千切れて流れている。


(山だぁ、すっごいなあ)

=お前……なんだその残念な感想は=


 呆れる声にかまわず、扉のへりで正座に直ったアキラがすううっと。胸いっぱいに空の冷気を吸い込む。と。顔と両腕がぼうっと光って微かに紋が浮かぶ。

「わっ。……と、と」

 慌てて叫びかけた口を閉じて、後ろをきょろきょろと見渡すが、誰も目を覚ました風はない。浮かんだ紋も一瞬のみで、すぐ消えて無くなった。


=深い呼吸が紋を出すようだ。要塞で壁を割った時の虎が、そうだった=

(こ、これって励起系の気術?)


=そうだ。励起系の導引は体内の魔力を増幅して外界へ接続することから始まる。接続の基本が呼吸だ——言っておくがアキラ、お前は励起系とは相性が悪い。眠っている魔力にはなるべく触るなよ=

(なにそれ、暴走とかするんじゃないよね?)


=下手に魔力を減らすと帰れないかもしれんのだぞ、わかってるか?=

「!!……そ、そうか、そうだね」


 つい声が出る。ウサギが目を覚ました。


「ううん。うん?……」

「あ、おはよう。起こしちゃった?」


 振り向いて目を合わす。横たわったままリリィがアキラを見て。じいっと。そこから。柔らかい上掛けを身体に羽織ったままへたへたと。


「リ、リリィさん?」


 寝ぼけた顔で四つ這いでアキラの側まで近づいて、足の上に、とさっと頭を乗せてきた。そのまま外を向いて何も言わない。


「あの。もしもし?」

「……くう」


 また寝はじめる。足が痛い。


(ええええ? なんで? なんでこんななついてるの?)

=ケモノはヒトに懐くもんじゃないのか?=


 長い耳がたまにぴくぴくと動く。地球では見たこともない青白の髪がふわふわと外の風に巻き上げられている。少し出た肩の上まで上掛けを掛け直し、そっと頭を撫でると髪の束が柔らかい。


 真っ白な頰毛に指先が触れるとリリィが「ううん」と少し体をよじって、左手でアキラの指をきゅっと掴む。そのまま首元に挟み込んでしまった。


 獣のままでも充分に可愛いがヒトであったら相当な美人だったはずのリリィに懐かれるのは、まったく悪い気もしないが。軽くため息が出る。


(まあ、自分が変わってるからだよね)

=わかっているなら殊勝だな。その通りだ=

(あ、肯定するんだ)


=状況を自覚しているのは悪いことじゃあない。アキラ。お前の身体がまだ九割以上、砂漠の砂だということを忘れるなよ。やることは多いぞ=


(そうだね……まず蛇を治さなきゃ……でも、俺にできるのかな)


=何が心配だ?=

(いや、その幻界アストラルって、なんかずいぶんハードル高そうだったし)


=それは、きっと問題ない。この世界で、お前は希少レアな人間だ=

(ホントに? そりゃ地球人だし……なにか関係があるの?)


=ある。確信した。まあ、やってみろ=




 遠山のきわに掛かる雲は未だ紅い。獣が起き出すにはまだ時間が早い。


 が。


 朝焼けを薄く浴びる二人の奥で。雉虎の猫の上掛けからはみ出た長い尻尾は、床をはたんはたんと音も立てずに打っていた。




◇◆◇




 結局、格納庫で寝ていた獣たちを起こしたのはモニカが柄杓で小鍋をかんかんかんと叩きながら発する声だった。


「ほうら。いつまで寝てるんだい! 遅れるやつは飯がないよ!」


 ぶわっと起きた子供たちは一斉に後尾部へと駆け出す。上半身が裸のリッキーが「一番乗りぃ!」と叫んだのに反応して、後ろからリザが声を投げた。


「リッキー! あんたはダメ! 背中診てから!」

「えっ? えええ! なんで?」

「あったりまえじゃない! ほら先生のところに行って!」


「じゃあねー。おさきー」と言って駆けていく他の男子に、青猫がぐぐぐと両手を握って「ああ! もう!」と地団駄を踏む。


 ミネアは布団の上で足を崩し、組んだ両腕をきゅうううと上げて伸びをする。目を覚ましたアキラの横ですでにリリィが畳んだ上掛けを抱えて座り込み、首を傾げて耳を横に下ろす。


「おっはよお。鉄の上で痛くないの?」

「あ、あれ? 痛てて」

 どうやらひんやりとした鉄板の上で二度寝したようで、肩をさするアキラを見てリリィが笑う。


 遠目に肩をすくめたミネアがふと目をやれば、寝床から出て行った他の子たちを追うこともなく、白猫のパメラだけがうつむき気味に座り込んだままだった。


「……おはよう、どうしたのパメラ?」


「あの、ウォーダーの、修理」

「え?」

「無事にできるかなあ」


 色白の少女がなお白い。「ああ」と返事してミネアがそっと抱き寄せた。この子はそうだ、幻界アストラルで負った傷が、未だ癒えていないのだ。


「大丈夫。あたしが、確かめてあげるから。ね」

「うん……うん」

 髪を押し付けて眼帯の少女は不安げに返事をした。胸元に引き寄せたミネアがパメラの耳をぜながら。


 視線は開けた外へと向かう。

 鉄の蛇に、鳥が並列して飛んでいる。国境山岳は晴れだ。




 ウサギに案内されたアキラが驚いたのは、この蛇の内部が生活空間としても極めて充実していたことで、まず意外だったのが水浴設備が整っていることである。


 子供たちが競って走って行ったのはこの朝のシャワーを浴びるためで、噴出口は田舎のプールでも最近は見ないような鉄パイプに規則的な穴の空いたタイプの簡素なものだが、見ると穴の目が相当細かい。そして浴室は錆や水のぬめりもなく清潔なのだ。


=腐食防止や抗菌は元素星エレメントの仕事だろう、見事なものだ=


 浴室前で自分の二の腕をちょっと嗅いだアキラだったが、今はまだ有機物の代謝が始まっておらず特に汗臭くもない。ただ砂漠を抜けた体で浴びずにいるのも妙なので、いただくことにする。


「ううう。生き返る」

=その感想は私に欲しかったな=


 ぬるい水のシャワーは心地よく、見れば脇の棚に目の細かい白い泥が鉄のボウルに溜めてある。手で取るとじわあっと溶けて油分が高い。


「これ……石鹸だよね」

=おそらく頭髪や体毛が洗えるように、油分が高めにしてあるのだ。岩塩も混ざっているな。上質の品だ=


 髪につけると泡立ちは少ないが良く馴染む。明け方に見たウサギの髪がさらっさらだったのを、今になってアキラが納得する。濡れた身体はすぐ乾く、着替え場に置いてあった大きめの布が随分と吸水性に優れているのだ。わしわしと拭くと馬毛のように少し恥ずかしいぐらいつやつやになる。


 先を争って水を浴びた子供たちは、着替えてすぐに食堂車へ走りこむ。テーブルの上に並んだ人数分の水筒と、紙に包んだ携行食から自分の分を思いおもいに手に取って、すぐに引き返していく。


「エリオット! リッキーの分も持って行きな!」

「はーい!」


 遅れて歩くアキラとすれ違いざまに。次々に声が飛ぶ。

「おっはよー。アキラさん」

「おはようございまーす」

「頭つやつやー」


「あ。ああ、おはよう」


(え? 頭そんなおかしい?)

=まあ放っとけ、バレないよう徐々に吸収してやる=

(ええっ 髪から?)

=そうだが? 上質の油分とミネラルだ。摂れるものはどこからでも摂るぞ=


 俺の方がはるかに人間離れしてない? と疑問に思うアキラに、厨房から出てきたモニカが寄ってきた。

「おっはよう。アンタはこっち。そこに並んでるやつは、ヒトの歯じゃ無理だからね」


 ぽんと手渡された包みはまだ暖かく、少し柔らかい。テーブルの水筒を一つ掴んでさらに渡す。


 両手に持たされたアキラを、じっと。大きいネズミの耳がはたはたと動く。


「あ、ありがとうございます……えっと。なにか」

竜紋態ドラゴニア、出るんだって?」

「え、ええ。そうです」

「ふうーん。シュテに、行きたいんだって?」

「はい」「ふーん」


 アキラの鼻の頭に。指が。いつの間にか。


(あれっ?)

「変なやつだね。なんでそんなに隙が多いんだい?」


 背の低いネズミの娘が真顔で見上げる。アキラの鼻先をつんつんと右の人差し指で突きながら。


=霊術だアキラ。このネズミは霊術の使い手だ=


「……霊術?」

「わかるかい? ウォーダーを治すと言うだけは、あるね」

 モニカがにっと顔を崩す。


「でも。霊術って。だったらモニカさんも治せるんじゃ?」


 伸ばした右手が戻りながら、ぱたぱたと振られた。

「無理無理。アタシができるのは精神への干渉だけ。幻界アストラルにまで手の届く魔導師が、この世界にどれだけいるってんだい」


「そ、そうなんです?」


「……面白いねえ、アキラくん。アンタものごとを知らなすぎるのに、いろいろと出来すぎる。どういうことなんだろうねえ? ひょっとして魔導師の死に返りかい? それとも聖文ヒエラルでも受けた身体かい?」


「……モニカさんこそ。いろいろお詳しそうなんですが」


「うん? 名前、教えたろ? パインストンだよ?」

「はあ」


「呆れた、それも知らないのかい? 苗字にストンかシュタインが付いてたら、十中八九は魔導に長けてると思ってた方がいいよ……アタシが言うのもなんだけどさ」


 アキラが少し気になったのは最後の方。モニカがふいっと視線を外して呟いたのだ。そこには触れずにおくことにする。


「わ、わかりました。いろいろ勉強します」

 

 モニカの耳がちょっと動いて、笑って、横目で見上げて。

 ひょいっと顔を真正面に向き直す。


「気を使ったね?」「え」

「気を使っただろう、今。うーん?」

 また悪い顔だ。この笑顔は悪い。そしてやや面倒くさい。


「中途半端に優しいのは駄目な男のすることだよねえアキラくん?」

「あ、あ、そうかもですね、ははは」


「優しいってのはほらあ、最後までちゃあんと」

「はいはーい!! おっはよお!! パインちゃん!! ご飯ごはーん!!」

「ぐッ……」


 元気に。大声で。食堂車に。風呂上がりでふわっふわのリリィが踏み込んできた。


「みんなの分もねっ」

 にかっ。と。いい笑顔だ。




◇◆◇




「この左舷後方一面に広がっている赤は、外殻の異常でしょうか?」

「おそらくな……しかしそんな兆候、現界こちらがわにも出てたか?」


「ううん、だってこんな面積で異常があれば、気がつかないわけないし」

「主砲群にも、特に目立った異常はありませんな」


 映像の前で虎が顎を撫でた。


「うーん。なんだろうな……おお。なんだ、飯を持ってきてくれたのか。すまんな。よく眠れたか?」


「あ、は、はい。おかげさまで」


 管制室に足を踏み入れながらアキラが頓珍漢な返事をする。部屋にはすでに艦長とロイ、ダニー、ミネア、そしてレオンが揃っていた。

 獣たち四人は、昨夜からそのまま残っている蛇の三次元映像のあちこちを指差しながら話している。レオンは相変わらず椅子に腰掛けてきこきこと、足に挟んだ杖を漕いでいた。


 アキラの返事に虎が笑った。


「あんま、他人行儀じゃなくていいんだぞ」

「……なんというか、国民性です」


 リリィが全員の携行食を計器盤の隅に置くのに合わせて、水筒を並べながら返すアキラに、艦長が首を振って指し示す。「へ?」と気の抜けた返事でそちらを見ると。


 ミネアと目が会ったので。ふいっと。猫が正面を向く。


「ふっふ」「え?」


 また虎が笑う。灰犬と飛竜は目を頭上に逸らす。そしてミネアが少しだけ、不貞腐れたように顔をしかめた。アキラは意味がわからない。


「あの? なにか」

「朝からいつやるのかうるさくくてな……痛っ」

 こんっと。ミネアが虎の左脛を蹴って、アキラに向き直り大きな黒目でじっと見つめる。


「それで。どうするの? ウォーダー治せるの? できるの?」

「いや、その」「幻界アストラルに、手を伸ばせるの?」


 尻尾の揺れる細い腰に手を当てて猫がぐいぐい来る。


「せ、先輩。あのねミネア」

 横でリリィが慌てた。どうもこのウサギは猫に対して、ときおり常語と敬語が混ざり込んで奇妙な言い回しになる。後ろからロイも軽くミネアをたしなめた。


「ミネア。気持ちはわかるが。そんなに——」


「そうじゃない。先にはっきり聞きたいだけ。だって。ひとりもいなかったんだよ、今までひとりも。私が小さい時から。だから治せなかったのに、ずっと。」

 ミネアはアキラから、挑戦的な視線を外さない。


「私は。あとで、がっかりしたくないから」


=がっかりか。そうか。じゃあ今やろう=


「へっ?」「えっ?」

「うん?」

 アキラとミネアと虎が立て続けに声を上げた。椅子に座って杖を漕いでいたレオンの手がぴたっと止まり、少し笑って顔を上げる。


=がっかりなど、させん。今やる。そう言えアキラ=

「ちょちょっ! と、あのえっと」「?」「?」


 アキラが慌てて脇を向く。左のこめかみに手をやる。リリィがぶわっと嬉しそうに耳を立てた。


(なんだよっ? 煽り耐性ゼロっ?)

=煽り耐性とはなんだ? さっさと伝えろ。今すぐ始めるぞアキラ=


 アキラはミネアに右手を開いて伸ばし、そのまま左脇に少しかがんで顔を背けて下を向く。奇妙な挙動を猫はきょとんと見つめたままである。獣たちの後ろでレオンが口元を伏せてぷるぷると震えている。


(いやまだ。エイモス先生も来てないじゃん。すぐやるったってさ)

=我らを過小評価している。許容できん。その生意気なキジトラを驚かせてやる=

(なんなのオマエそのサプライズ好きなのなんとかしろよっ)

=OSの性能などユーザーが腰を抜かしてなんぼだろうが=


 レオンがくっくっと笑いをこらえながら足をパタパタさせる。

 


 震えるレオンと屈んだアキラを交互に見比べて。

 だんだんと。ウサギの目が見開かれて。

 口元がほころんでくる。


 いつまでも顔を上げないアキラに。ミネアが一言放つ。


「……ねえ。ホントにできるわけ?」


=そのキジトラを驚かすのだアキラ!=

(わかったから! 言うから!)


 屈んでいたアキラが背を伸ばし、ぐっと胸を張るのでミネアが少したじろいだ。


「な、なに」「やりましょうか」


「青年。おい。やるって、今か?」

「アキラ君。どこか停泊所ポートのある街まで待ってもいいんだぞ」


 飛竜と灰犬がほぼ同時に声を出す、が。ミネアも負けじと鳩胸をぐっと反らし返して。


「やってみせて。何をすればいいの?」

「——操縦。おまかせします、ミネアさん」


 言われたミネアが数瞬アキラを見つめて、くるっと踵を返して操縦席へすたすたと歩き、どさっと腰を下ろす。もう一度アキラを振り向き両手を操縦桿の前ですくめて見せた。


 意外と。面白そうに見ていたのはレオンだけではなく。腕組みした艦長も顔がにやけていたので、隣のロイが少し渋い顔をして虎を睨むと頭を掻いた。


「今始めるなら、私は向こうに。パメラに付きます」

「あ、ああ、そうだな。頼むロイ」


「では。——うまくやれよ青年」

「あ。はい。すみませんロイさん」


 アキラの返事に軽く手を振ってロイが部屋を出て行った。



=よろしい。指示はこうだアキラ——=


「艦長」「うん?」


「蛇をなるべく等速で安定できますか、加速減速、蛇行もなしで」

「できる。前後角ピッチ傾斜角バンクは?」

「すべて水平で」「高度は?」

「できるだけ低いほうがいいです」「時間は?」

「とりあえず一時間ほど」


 少し虎が首をかしげる。

「それならダニーの言う通り、停泊地ポートまで待ったほうがよくねえか?」


=いや、魔力マナも蛇も停滞するより動いていたほうがいい=

(でも低い方がいいのはなんで?)

=外界の遠景を目線まで下ろす。他にも目的はあるが、あとで説明する=

(うん、わかった)


「飛行中の魔力マナの流れがたいです」


「そうか。了解だ。ミネア。ダニー。」


 艦長に言われたダニーが腕輪に話す。


「サンディ。炉の出力を自動巡航オートクルーズで安定。リンジーは前方200キロリームの地形図で最低安全高度を出してくれ。航行一時間ほどだ」


『はーい。自動巡航オートクルーズ、了解です』

『……出ましたっ。高度280リーム。速度80で一時間ほど障害なしっ。余裕みて300でお願いしますっ』


 腕輪の先から犬たちが返答した。ミネアが頷いて操縦桿と足元を操作する。

「了解。高度300、速度80で安定」

「私も定位置につきます」

 そう言ってダニーも管制室を後にした。


 虎が腕輪に声をかける。

「リッキー。両舷主砲を滑空三角翼グリード・トラインに固定。一時間ほどだ」

『了解。あれ? どしたのこっちに来て——』

 ロイは向こうに到着したらしい。



全員オールッ。」


 艦長が腕輪に大きめの声を出す。蛇全体に音声が響いた。



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