第十七話 光の河


 そこが竜脈直下であることは、獣たちにはさいわいであった。


 爆発のショックで大きく揺れ動くウォーダー頭部管制室で艦長が叫ぶ。

「ミネア! 姿勢制御スラスタ全開!!」

「了解! ウォーダー! 踏ん張って!」


 細い腕に紋を輝かせて筋肉をばきばきと張らせたミネアが、歯を食いしばり舵を戻して両足元のペダルを一気に踏み込む。ごおおおと蛇全体から唸り声が上がった。続けて艦長が腕輪に声を上げる。


確認コールッ!!」


『動力班。異常ありません!』

『砲撃班! 俺が怪我しただけ!』

『副砲車両。異常ないよ! チビたち返事して!』

『厨房大丈夫です!』


「ロイ。聞こえるか?」

 レオンの肩を押さえて、腕輪に声をかけながら艦長がエイモスを見る。


 激しく揺れる壁に背中を押し付けて座り込んだエイモスは、左の頭部を手で押さえ込んでいる。指の隙間から血が流れていた。


「……先生! 大丈夫か! 離すぞレオン」

「だ、だいじょうぶだ。たすけてあげて。」


 静かにレオンの側を離れた艦長が医師に駆け寄りながら自分の上着の袖を虎の爪で引き裂いてくしゃっとまとめ、傷口を押さえている医師の手をゆっくりと引き剥がした。ばたばたと血が溢れてエイモスが弱々しく応える。

「す、すまない……人間はダメだな、脆くて」

「馬鹿言うんじゃねえ先生。それが普通だ。強く押さえるんだ」


 額に押し付けた布が赤く染まる。左手を掴んで添えさせるとエイモスが細かく頷きながら、自力で強く布の上から押さえた。そこまで確認した艦長が立ち上がり、もう一度腕輪に話す。


「ダニー。魔導錨アンカー状態確認。リンジーに魔導炉の様子を見に行かせてくれ。リッキー。着弾箇所と主砲の状態を確認。リザとパメラは負傷者に対応。モニカは敵モノローラを続けて牽制、ベスビオの直射砲バルトキャノンの状況を教えてくれ。ロイ、聞こえるか?」


『右舷魔導錨アンカーに損傷! 逆流130万まで低下です!』

『リザです。リッキーは背中に裂傷。今パメラが止血してます』

「リザ。来れるなら管制室に。怪我人がいる」

『了解です』

『こちら副砲。敵機は続けて牽制中。直射砲バルトキャノンが一本吹っ飛んでるよ』

「吹っ飛んでるだと?」

『艦長! 主砲は右の2、3、4番がダメだ!』

『リンジー、魔導炉は異常なし!』


『こちら副砲。旋回狙撃砲バッシュレイの勢いが落ちてる。搭乗急いで』

『逆流120万まで低下。炉心480。姿勢制御スラスタ弱めてください!』


「ミネア。姿勢制御スラスタ75%」

「了解」ミネアが足元のペダルを弱める。


「ロイ。聞こえるか?」

 艦長がたび声をかけた。返事はない。



◆◇◆



 鮮やかに光る流紋を竜の翼全体にみなぎらせたロイが空中で身体を大きくひねって向きを変えた。そこに狼がどさあっ! と飛び込んでくる。


「うお! お! お!」

 勢いで二人が空中で沈み込む。ケリーはぐったりして反応がない。

「ぐうううおおお!!」

 ロイが叫んで後ろに反り返った姿勢をぎりっ。ぎりっ。と背筋で耐えて全身で狼を抱え上げ、翼をひときわ大きく広げて羽ばたかせる。

 ゆっくりと姿勢が戻り上に上にと二人が揚がっていく。横で風に煽られながら落ちていくケリーの機体をロイが目で追った、その瞬間。


 ぶわあっ! と後方で。強烈な気配がした。


「なっ!? おまえっ!」


 赤い空に青年が飛び出した。


 その身体は虹色の障壁が覆っている。ケリーの機体を見据えて迷いなく飛び降りたアキラの横顔に、鮮やかな薄水色の流紋が走っているのを。ロイが一瞬だけ視認する。

 あっという間に青年は振り向いたロイの後ろを下に落ちていった。



「ア、アキラくんっ!」

 もうそこにいない相手に向かって、やっと声が出た格納庫のリリィの眼前に。ざああああっ! と左舷の扉からカーキ色の機体がなだれ込んできた。全体から吹き出されたモノローラの蒸気で一斉に視界が悪くなる。

「うぴゃあっ!」

「リリィ!! ケリーはっ!?」

 蒸気の中からノーマが降りてくるが、歩こうとした途端に膝から崩折れて片腕を床につく。リリィと、そしてエリオットが立ち上がって駆け寄った。

「ノーマさん!」

「ノーマ! ノーマ! 大丈夫!?」


 二人で抱え上げたノーマは全身が汗びっしょりで息が上がっていたが、それでも気丈に蒸気の立ち籠める格納庫内へ視線を彷徨さまよわせて狼の姿を必死で探す。

「ケ、ケリーは無事?」



◆◇◆



 風を切る音も壁にさえぎられて耳を傷めない。まるでゴーグルでもしているかのように視界ははっきりと見える。地上は雲に隠れて落下するモノローラだけが眼下に小さい。そしてアキラが意外なのは空気の粘度が思ったより高いのだ。身体にまとっている魔法の壁と周囲の魔力が摩擦を起こしているのだろうか。


=落下速度は時速280キロ程度。32秒後には地上に激突する。障壁の空気抵抗を調整するから腕を広げて向きを変えろ、できるか?=


「こ、こうかな」

 アキラが少し身体を反ると頭が上に引っ張られて全身が回転しそうになる。

「うおっとととッ!」

=頭は下げろ。もっと右手を中に。28秒。=


 言われたように姿勢を変える。ぐっと速度が上がり微妙にモノローラと位置が近づいた。額に玉の汗を浮かべたアキラに変な笑いが出る。この急降下に思考も冷めて恐怖を全く感じない自分が馬鹿みたいで可笑しいのだ。


=スカイダイビングの経験は?=

「ないない、はじめて。でもなんだろう?」

=怖くない、か=

「そうだね、夢の中みたいだ」


竜紋態ドラゴニアとは便利なものだな。23秒。中指の「分析」で構造と操作法が解る=


「え、すぐわかるの?」

=一瞬だ。大したデータ量じゃない。19秒。もっと身体を小さく=


 言われてアキラが腕を曲げ身体を縮める。落下するモノローラに近付いていく。すると。がくんがくんと機体のカウルが細かく震え始めて、ぼおっと。

 消えたはずの光の紋が線となってカウルのあちこちに走り始めた。その色はケリーの竜紋態ドラゴニアと同じ紅ではなく、今のアキラが発している紋と同じ水色である。


=うん? こちらに反応しているのか?=

「なんだか、そう見えるね」


 少し胸を張って戻して。曲げた肘を両側に広げて減速する。やや離れる。肘を戻す。やや近づく。機体の方も明らかに振動が激しくなった。


=15秒。今だ。=

 ざっと手を伸ばしてアキラがモノローラのハンドルを掴んだ。中指の付け根を握りしめて押す。


 と。


「うおおおおお? こ、これって!」

 ぱりっと。脳に閃光が走った。魔導機の透視映像と駆動システムが分析されて大脳基底核にインストールされる一瞬は本当に『一瞬』であったのだ。


 もう随分と昔から乗り慣れている愛機マシンのように。


 考えずとも身体が動く。アキラが全身の魔力を上げると虹色の障壁が一段と輝き、同時に機体がぶおんっと音を立てた。自動でエンジンが掛かる。


=12秒=

「よしッ! いい子だ!」

 両手でハンドルを掴み身体を引き寄せ、両足をざあっと座席下のフットカウルに滑り込ませて立ち乗りの状態になり、ペダルを一気に踏み込む。


=10=

 自由落下が止まらない。しかし底面からはぎゃあああと激しい音が響いて、モノローラが必死に水平制御を取り戻していく。


=9=

 下に見えてきた地面には視線をやらずにアキラがぐううっと力任せにハンドルを引き上げて両足のペダルを全力で踏みつける。


=8=

 ぎっ。ぎっ。ぎっ。と。徐々に。徐々に。機体が水平に戻っていく。そして。


=7。完了だ=


 ぶわあああ! とエンジンの響きが完全に復活した。座席の周りを両極カウルがプロペラのように高速で回りだし、ケリーの機体が易々と重力加速度を振り切った。


「おおおおわああああああっ!!」


 逆にアキラの身体には急上昇の加速度が勢い良くかかってぐおっと全身が押さえつけられる。カウルが回転を止めて、ぶわあっと蒸気を吹いてがしゃりと先端を楔状くさびじょうに五つに開き全体に青白い流紋が浮かび上がる。

 ぐんぐんと上昇する機体のハンドルを握りしめながら初めて下を見ると、ごおごおと強風によって砂塵が渦巻く地上が見えた。


 ふうっと一息吐いたアキラが今度は空を見上げる。


 空を横切る赤黒い雲の上に激しく輝く竜脈が、いくつもの光の筋を下方に降ろしている。蛇のシルエットは左右にゆっくりと揺れながら姿勢を制御しているようで、後方より近づく沢山の敵機に、胴体を旋回する衛星から曲線を描いてひっきりなしに砲撃が飛んでいた。敵モノローラが撃ち放っている光弾は今のところ蛇の尻尾に当たって弾かれている。


 だがそのさらに後方に。


 とてつもなく巨大な船が見えた。長さはウォーダーの倍以上、横に広くてヒレを出し大きな尾を流したフォルムは、まるで一本足の頭足類か、ややスリムな海鷂魚えいのようである。


「イカの頭が飛んでる……あれが敵の本艦?」

=そうだな。急げ。蛇が危ないぞ=



◆◇◆



 格納庫に立ち籠める蒸気をぶわあっと吹き飛ばしながら、大きく翼を広げた飛竜が狼を抱えて開放扉から入ってくる。ノーマが叫んだ。

「ケリイッ!!」


「気を失っている。しかし重いッ」

 悪態をついてロイがゆっくりと床にケリーを降ろす。リリィとエリオットに支えられたノーマが近づいて、立て膝をついて狼に触れようとするのをロイが一旦止めた。

「そっと、だ。そっとな。脳揺れを起こしている。誰かいないか?」


『聞こえるか? ロイ』

「格納庫。ケリーが意識を失ってます」

『大丈夫か? 艦内には回収したか?』

「はい。ノーマも回収済みです」


『了解だ。ダニー。搭乗を——』

「待ってください! 艦長、もう少し」

 ロイが慌てて艦長に頼み込んだ。

『どうした?』


「青年がケリーの機体を回収しに飛び降りました」


 一瞬沈黙した後、何も訊かずに艦長が了承する。

『——わかった。どのくらいだ?』

「1分で。青年聞こえるか! 我々は1分しか待たない! 1分だ!」

 聞こえるかどうかは全く定かではない。しかしそれでもアキラに向かってロイが腕輪に叫ぶ。その額に一筋の汗が流れた。


(ヒトの身体で竜紋態ドラゴニアを出せるのか……変動値コントが高ければいいのだが)




◆◇◆




=受信した。1分以内だアキラ。距離約2000メートル。最低でも時速130キロをキープしろ。出せるか?=

「それくらいなら。バイクなら140はなんとか」

=いいだろう、フルスロットルで飛べ=


 言われてアキラががあああんっ! とエンジンを吹かしてハンドルを手前に引いた。今度はカウルが回転することなく、ぐんっと水平角から10度ほど上を向いたまま、一気に機体が加速して上昇していく。


 ハンドルは前後で上昇、下降、普通のバイクのように左右の旋回も可能で、両足のペダルは両極カウルの回転方向制御と速度調整。そのカウルの回転で急停止してその場で機体と座席の向きを変え鋭角軌道も可能。スロットルはエンジンのトルク。全部頭に入っているのが不思議に感じる。そして素晴らしく加速がスムーズである。


「うおおおおおっ。スゴイ安定感っ」

=言っただろ、この機体は貴重だ……蛇は羽に着弾したのか?=


 強風の中を上昇するにつれ近づいてくるウォーダーを下から見ると確かに両方に広がっているはずの砲塔群が今は左舷だけが横に開き、まるで傷ついた片羽の鳥のようである。


 竜脈に魔導錨アンカーを撃ち込んだ蛇は中空でふらついた状態で、背後から迫る帝国機が急速に近づき次々に旋回狙撃砲バッシュレイの弾道で撃ち抜かれ粉砕して墜落していく、が、その反撃も長くは保ちそうにない。


=まずい。もっと出せるか?=

「これなら大丈夫! 行けえッ!」


 まるでその命令に反応したかのように。ケリーのモノローラがぐううんと推進角を60度近くまで持ち上げた。かかるアキラの体重も渦巻く強風をも全くものともせずに、まるで空に吸い付くように機体が滑らかに加速する。さらに推進角が上がる。65、70、75度。


「こっここ、こんな角度で後ろにひっくり返らないって」

 ぐっと前傾のランディングポジションを取って機体に貼り付く。さらにモノローラが加速した。




◆◇◆




『逆流100万まで低下! 炉心330! まだですか!』


 左右に揺れが止まらない管制室にダニーの声が響いた。医師の頭に血止めを貼っていたリザも、操縦桿をぎりぎりと制御するミネアも不安げに、モニタを見つめる艦長に目をやる。ミネアが声を出した。

「まだ?」

「まだだ。1分待つ……運のいいやつだアイツは」

 答えた虎はぎりっと牙を噛みしめるが、焦りは見えない。



「マズイよ! もう保たない! 前に抜けられる!」

 汗だくになったモニカが銃座を振って次々にマークしながら部屋で叫んだ。隣のログは沈黙したままひたすらスコープで帝国機を追う。が、しかし。

「モニカ。直射砲バルトキャノン。」

「えっ!」

 スコープに映る無限機動ベスビオの三本ある直射砲バルトキャノンの中央は砲塔が吹き飛び、向かって右は折れ曲がって使い物になりそうもない。だが左の一本が。また光を蓄え始めたのだ。

「くそッ……! しまった!」

 気を取られてしまった。敵機の一台が旋回狙撃砲バッシュレイの弾幕を抜けた。


 抜けた敵機は前方主砲群を目指す、そのつもりであった。機体を砲座に衝突させて脱出する準備に入っていた帝国兵の目に、しかし一瞬見えてしまったのだ。

 蛇の横壁が大きく開放された車両に数匹の獣の姿があった。モノローラも停まっている。格納庫に違いないそれを見て兵士が「見つけた!」と叫んで思い切りペダルを踏み込むとカウルがぎゃあああん! と回転して空中で急停止し座席がぎゅんと横を向く。躊躇なく右腕の銃砲を兵士が構える。


「ロイッ!! 後ろ!!」

 ケリーの両足を持ったリリィが叫ぶ。狼の肩を抱えてゆっくりと格納庫を移動していたロイの背中に敵機は唐突に現れた。すでに帝国兵は銃口を向けている。ロイが肩越しに空中を見ようとした、その瞬間。


 がっしゃあんッ!! と。真下から垂直に。


「どおおおわあああああっ!?」


 奇声を発したアキラの乗った赤褐色のモノローラが、帝国機の高速回転するカウルに下から突っ込んだ。回るカウルがばらっばらに吹き飛んで帝国兵は座席ごと仰向けに弾かれて空中へ放り出された。アキラの機体はぐおんぐおんとその場で座席ごと回転している。


「どっどおりゃ!!」


 大仰な掛け声とともにアキラが捩じ伏せるようにハンドルを逆方向に切りながら右のつま先でペダルのクラッチを切り上げる。座席が勢いよく逆回転しカウルと左右からがしゃっ! と合わさり機体の回転が止まった。そのまま。


 ぶわんっ! と思い切りスロットルを吹かす。

「どいてっ! どいてくださいっ!」

「うおおおっ!」「ぴゃあ!」


 気絶したケリーの両肩を抱えながら後ろ向きに飛んでロイが避ける。反対側にリリィが跳んで逃げた。そこに機体のテールを思い切り流しながらアキラが滑り込む。

 ざざあっと滑って停まった赤褐色のモノローラからまた同じようにぶわあっと水蒸気が立ち籠めた。


 ぜえっ。ぜえっ。とアキラが荒く息を吐く。支えられたノーマと、支えるエリオットは、ケリーの機体を回収してきた竜紋態ドラゴニアに変化した人間の青年を、ただ目を丸くして見ている。


 トカゲが笑った。

「運転が荒い。……艦長! 回収完了しました!」



◆◇◆



『回収完了しました!』


 ロイの声を聞き、艦長が叫ぶ。

「ダニー! 竜脈移動ドライブ開始!」

『了解! 竜脈移動ドライブ開始!』

「ミネア。合流角17。右舷2度上げ。全速!」


「了解!」

 ミネアが答えて操縦桿をやや左に回しぐうっと手前に引き込む。が。ごごごと蛇が揺れて前に進む気配がない。ダニーの声がまた響いた。


『右舷魔導錨アンカー、逆流87万まで低下! 炉心300! 魔導錨アンカーが保たないかもしれません!』


「——ウォーダー。頑張って、お願い!」

 ミネアの声に応えるように、蛇全体からうおおおんと低い咆哮が聞こえる。しかしがくっ、がくっと徐々にしか動かない。逆にぎいぎいと左右に身悶えするように蛇が揺れている。

 画面に映る右の魔導錨アンカーはぼおっと炎が上がるたびに伸びて細くなり縮んで太くなりを繰り返している。艦長が腕輪に訊く。


魔導錨アンカーから魔力が漏れてる、ダニー。切って撃ち直す時間は?」

『数分ほど。ですが残り100万を切ります。危険です』

『艦長まだかい! こっちは限界だよ! また直射砲バルトキャノンがくる!!』

 二人の声にモニカの叫びが混ざる。さらにダニーの声が響いた。


『逆流80万まで低下!』


=聞こえたぞ。動力部に異常か? 少年=

 びくっと。片膝を立てていたレオンが身体を震わせ、小声を出す。

(うん。まなが、たりない。たぶん)


=そうか。さっき、空を見た=

(え?)


=おそらく200だ。


 声に言われて目が見開く。

 杖を床に置き、レオンが艦長の後ろで立ち上がった。がたがたと艦内の揺れが一層激しくなる。未だ蛇はわずかしか前進しない。


『逆流76万!』

「仕方ない、右舷魔導錨アンカーを一旦——」

「いーすッ!」

 それをさえぎるレオンの声に艦長が振り向いて、ぎょっとする。

「レオン!!……お前なにを」

 声に驚いて二人の猫と医師もレオンに目をやった。


 ぶわあっと赤髪をなびかせ幼い顔を真っ直ぐに。レオンのつぶらな瞳が見据えているのは眼前のモニタに映る蛇を繋ぐ右舷魔導錨アンカーである。だらんと垂らした両腕の腹を少し正面に向けて。思い切り胸を膨らませ空気を吸い込んで。


 右手を勢い良く前に伸ばしクレセントの少年が宣言する。


円環ウロボロス!!』


 ひとつ。ふたつ。みっつ。

 右の魔導錨アンカーの中点に。ノエルの使途不明呪文ジャンク=スペルが発動した。


 三つの光球セフィラのそれぞれは美しく輝く紋が刻まれて、そこから発せられた三本の光柱バスは会議室で見た『三角』ではない。120度角の『真円の弦』となって魔導錨アンカーを『円環の形』に取り囲む。


 そして爆発的な輝きが溢れ出した。魔法陣の中心から強烈な光が魔導錨アンカーに流れ込み、伸縮ががくんと止まって安定した。ダニーの声が響く。


『逆流回復!! 85、92、105、上がっています!! 今です!!』


「——ミネア! 全速!」

「了解! ウォーダー! 前進!」


 咆哮一声上げて。蛇が魔力の線路を登る。


 尾まで達していた帝国のモノローラを振り切って長い鋼鉄の身体を滑るように走らせ雲の上の竜脈に頭から突っ込んだ。


 それはまるで巨大な生物が浮上するかの如く。

 夜空を水平に貫く光の河を突き抜けて。


 全身に紋をまとったウォーダーが竜脈表面に姿を現す。

 

 痛々しく傷ついた砲塔の羽を大きく広げたその巨体が、真っ白な魔力マナの粒子を波飛沫しぶきのように散らしながらざああっと竜脈に滑り込む。

 後ろに羽を折り畳み、竜脈と接する全ての基底部に、薄緑色の強い光を前方から輝かせてわずかに蛇が浮き上がる。


 艦長が叫んだ。

竜脈移動ドライブ開始!」


 ミネアが前面パネルのレバーをいくつか降ろして出力を切り替えながら、ゆっくりと、大きく右足を踏み込む。

竜脈移動ドライブ開始。基底浮動接続面フロートコネクティング安定。姿勢安定。速度300。」

『炉心回復します。現在1400。充填完了予測時間は夜第3時です』


 加速が始まる。滑らかに。やがて速く。そしてより速く。魔力の河を鋼鉄の蛇がぐんぐんと東へ走り出した。無限機動ウォーダーはその形状から、竜脈移動ドライブ状態では大陸最速を誇る魔導機であった。



 格納庫の面々は蛇の加速をまともに受けてずるずると後方へ身体が追いやられる。エリオットはギリギリまで頑張ったようで後ろの壁とノーマの胸に挟まれて鼻の頭が真っ赤である。

 気を失って横たわるケリーを支えていたロイと、蛇の発進と共に前方の壁の突起に掴まっていたリリィは尻餅をついたまま、機体にまたがった青年を見ていた。端から見れば、その様子はおかしい。ただただ空中を目が彷徨さまよっているのだ。


 アキラは、空中のを見ている。そしてロイもリリィも、これが

 

=これが『竜脈に潜る』という感覚だ。わかるかアキラ?=


 アキラの目には、光り輝く無数の『式』が映っていた。

 

 開かれた扉の外に広がる竜脈の、その魔力の河から溢れ出してくるかのように。周囲の空間に様々な美しい魔導の式が飛び交っている。

 いくつかは本来の魔法陣のようにも見えて、またいくつかは、有機化合物の化学式のようだったりプログラム言語のようだったりもする。


 それらの式がアキラの周りを通り過ぎるたびに、頭の中にぱりぱりと軽い刺激が走るのだ。やがて目をあちこちに振っていたアキラが、少し目眩と不快感に襲われる。その感覚はアキラにも十分馴染みのあるものだ。


(あ。まずい。)

=うん? どうした=


(これ酔ってる、たぶん。乗り物酔いだぁ)


 どたどたどたっ! とアキラがモノローラの座席から、床に崩れ落ちた。リリィとロイが一緒に叫ぶ。

「ア、アキラくんっ!」「大丈夫か青年っ!」




◆◇◆




 モニタの向こうに映る竜脈には、もはや走って消えた蛇の痕跡も見えない。さすがにあの速さでは、ベスビオにドライブをかけても追いつけるものではない。

 中隊長はもう左の直射砲バルトキャノンのトリガーからは手を離していた。最後の一本もダメにするつもりかと気が気ではなかった管制室の兵士たちも浮かせていた腰を下ろして一息ついている。


「一匹潰して、片側の砲塔群にダメージか——まあ、上出来か」

魔導錨アンカー、切れかかっていませんでしたか? 蛇が墜ちたらどうするつもりだったんですか、命令違反でスラム行きですよ」


 兵士が苦言を呈するが、気に留める風でもない。

「あれくらいで墜ちるようなら、その程度だってことだ。連中の運も、俺たちの運もな」

「勘弁してください——隊長、人が変わってませんか?」


 外套の左ポケットから巻きタバコのローラーを取り出して。

 辺境第一中隊長が言う。


「変わったというか、思い出しただけだ。俺のことはいいから、もう一度あの『黒い髪の人間』の映像を出してくれ」




◆◇◆




 一生懸命にリリィが背中をさすってくれるが、両手をついて前のめりに屈んだアキラの口からは何の吐瀉物も出ない。それはそのはずで、現在アキラの体内ではほぼ全ての食物は完全に分解されて無機物と組み替えられつつあるからだ。余計なものは胃の中に何も残っていない。


「ぜんぶ吐いた方が、楽になるよ?」「ぶふっ。げほげほ」

「えっなんでソコでむせるの」

「いやなんか……げほげほ」


「——魔力マナ酔いは、するのか?」


 ケリーをそっと寝かせて自分の上着をかぶせ、ロイがゆっくり立ち上がってアキラの方に歩んでくる。ノーマは壁にもたれかかったまま何も言わない。その胸に抱えられたままエリオットも成り行きを伺っている。


 風防障壁ドラフトバリアの張られた蛇の外殻は、開け放たれても緩い風しか吹き込まない。それでも速度を上げたウォーダーの格納庫には、外気がごおごおと音を立て、居るものの髪や産毛をなびかせている。

 外の竜脈が飛沫しぶきを上げながら後方に流れていくのが、すぐそこに見える。夜空を流れる魔力の河の光を背に受けて、翼を畳んだ飛竜のシルエットがアキラのすぐ前に立て膝でしゃがみこんだ。


「魔導も知らない、魔法も知らない、しかし逆位相は知っている。ヒトのくせに竜紋態ドラゴニアは出せて、しかし魔力マナ酔いはする。知っているか、青年?」

「え?……な、なにを……」


魔力マナ酔いは、生まれて初めて竜脈に搭乗ランディングした時だけ起こるのだ。——それも、知らないのだな。そういえば飛竜も、知らなかったな」


 見上げるアキラは視線が痛い。ロイが、続けた。


「いろいろ言いたいことはある」

「は、はい」

「だが大事なことを言うのを、忘れていた」

「え?」



「ロイ=アンバーフィールド。ウォーダー兵装管理長だ。よろしく」


 ロイが、右手を差し出した。



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