第二章 北サンタナケリア竜脈〜無限機動ベスビオ登場〜
第十一話 乗組員たち
午後の太陽を浴びた蛇の頭部が鈍く輝く。低い稼動音を唸らせて上空を緩やかに旋回し、ウォーダーは東に進路を取り始めた。
上昇してきた二台のバイクはウォーダー胴体節の後方、扉の開いた
風を通して煙を払うためだろうか。開け放った格納庫からは外の遠景も山々の稜線も見て取ることができる。落下防止用の柵に並んで同型のバイクが六台駐輪している。それでも十分に余裕があるほど内部は広い。
「そこで大丈夫だ。珍しいお客さんだな」
「あら、ホントに」
庫内に二つの人影が待機していた。どちらも体躯が大きい。あの虎の艦長と同じか、身長は彼以上かもしれない。
ミネアとアキラが降りたバイクを、一人が正面からハンドルを押さえて受け取り、そのまま左に動いて取り回す。
少し癖のある銀毛で全身が包まれた、精悍な狼の獣人である。
引き締まった鼻先から眉間にかけて目の内側にラインが通り、耳は尖って大きい。正面には白色のふさふさとした体毛がシャツの胸元まで溢れている。
このバイクはタンク付近からボディにかけて強めの赤いラインが走り、地色は黒褐色で染め上げられていた。カーゴズボンに半袖のシャツの、鼻筋の通った狼が支えて立つと
「どうした」
「……あ。いえ、すみません」
「まーた謝ってる。なんなの? ケリー、服余ってないかな?」
「彼用か? 丁度いいのがないなあ、ウチは男物はデカイのばかりだ」
その後方に艦長が運転するバイクが乗り込んできた。あちらは器用に三人乗りで、ウサギの子はテールに立ちっぱなしでこの空を上がってきたらしい。
停まったバイクから一番に飛び降りて「ノーマっ。たっだいまー」と、もう片方の獣人の胸に飛び込んでいった。
「はいはい。いい子にしてたのリリィ?」
答える女性の腰からは、鮮やかな山吹色と白色のツートーンで彩られた、ふわりとした大きな尻尾が生えている。金髪の綺麗なストレートの髪を背中に垂らし三角の耳をつんと立てて袖なしのジャンプスーツを着た、狐の獣人である。切れ長の目は妖艶で、しかし兎を見る瞳は優しい。
あちらの世界では狩る狩られるの間柄の狐と兎が抱擁している。見渡せばこの格納庫の中に人間らしい人間は自分と要塞の医師だけなのだ。
改めて今ここが違う世界だという実感が湧いて、やや緊張してきたアキラの後ろから急に野太い声が飛んで、驚いて振り向く。
「帰艦早々申し訳ありません、艦長」
前方入口から二人の男性が入ってくる。
彼らもやはり獣人で、一人は管制室に居たヨロイトカゲの指揮官で、もう一人は巨体の犬である。全身灰色の短毛で耳と頰がたるんと垂れている。タンクトップのシャツと、ズボンには数本の工具がぶら下がっていた。
トカゲの獣人はアキラと医師をじろっと一瞥して艦長に言い放つ。
「医者の
「成り行きだ」
艦長がバイクをケリーに預けながら答える。トカゲが鱗をしかめて話す。
「艦長。嫌味が言いたいわけではなく、人間は、あの子らが怖がります。そこは、わかってくれていると——」
「わかってる。いつまでも怖がるだけじゃ、いけないってのも、わかってる。違うか、ロイ? まあ、でもこんな話は後だ。報告があるんだろ?」
言われたトカゲは、ちらりとだけアキラをもう一度見て、踵を返してつかつかと戻って行った。
微妙な空気が格納庫内を包む中、艦長が歩を進めてアキラの肩をぽんと叩き、犬の獣人に「ジュールが足りんのか?」と問いかける。野太い声で犬が答えた。
「足りません。先ほどの戦闘で2000万ほど減少しました。炉に残っているのは2700万程度です。もし追撃が来たら、全体に壁を張るのは難しいかと」
「砲も撃てんか」
「航行時間を考えると、ちょっと無理でしょうな」
「レオンはなんて言ってるんだ、ミネア」
「えっなんで?
びっくりしてミネアが返す。艦長が耳を伏せ天井を見てがりがりと頭を掻いた。への字に曲がった口元から牙が覗く。
「情報、読み取る暇がなくってな」
「あきれた。」
「そんなお前、こいつが来たのは昨日だぞ。なんでこんな遅かったんだ」
「え。えっとね、それは」
艦長に返されて答えを詰まらせるミネアの後ろからリリィが答える。
「はいはーい。頼んだ相手をかたっぱしからボッコボコにしたからでーす」
「はあ? なんだそりゃ?」
「ちょっとリリィ! なんで言うの?!」
苦笑する狐の尻尾の陰にささっとウサギが隠れた。バイクの横で屈んだままラジエーターの点検をしていた狼がくっくっと笑う。じろっと睨んだ艦長に、鼻先を突き出して山猫が言い訳をする。
「だって。こっちは時間がないのに、アイツら足元見て金額吊り上げてくるから。頭にきて。それで」
「牢屋に入ってもおかしくないような連中にモノを頼めば、そりゃ少しは吹っかけて来るだろう。時間がないなら払ってやればよかっただろうに」
「そんなお金があるなら! ちょっとでも修理に回して——」
「ミネア!」
ミネアの台詞をさえぎって、ぴしゃりと艦長が言う。
「修理は無理だって言ったろう。いいかげん諦めろ」
艦長とミネアが睨み合う。目に少し涙を溜めたミネアが何も言わずに、車庫から走って出て行った。
狐の尻尾から申し訳なさそうに顔を出したリリィに、上からノーマがぺんぺんと軽く頭をはたいて叱った。
「謝ってらっしゃい」
「ううう……はあい。ミネアー」
追いかけてリリィも車庫から出て行く。ふうとため息をつく艦長に、ハンドルを下から覗き込みながら工具でカチカチと調整していた狼が声を出す。
「何かあったら、俺とノーマで出ますよ」
狐も頷いた。
「悪い。その時は頼む。先生。それと、アキラ、だったな」
改めて、虎の艦長が二人に向き直った。
開け放った扉の向こうに見える山稜が、午後の日差しを受けてくっきりと目に眩しい。吹き込む風に煽られて、裂けた囚人服から溢れ出した金の産毛が逆光に輝く。まるで石で彫ったようなごつい鉤爪の付いた右手を差し出して、虎が言った。
「獣の船に、ようこそ。俺は艦長のイース=ゴルドバン」
ぐっ、ぐっ、と。力強い虎の掌が二人の右手を順に握った。
「ウチの面々を紹介しておく。こっちのデカイのが動力班兼工兵のダニー=ジャックマン」
「ダニーで。よろしく。動力班は私とは別に犬系の獣人が二人います」
犬が灰色の大きな手を差し出し、二人と握手する。艦長がさらに続ける。
「そっちの二人がケリー=ウインターフィルとノーマ=アンブローズ。モノローラ操縦班だ。この三人がウチの古参だから、何か分からないことがあったら聞いてくれ」
狼が工具でバイクを弄りながら片手を挙げる。
「ケリーだ」
「ノーマ。よろしく」狐が答えた。
「あ、アキラです。
「
狐が聞くが、狼が否定した。
「いや、その髪は違うな、この大陸の出身じゃない。そうだろ?」
アキラが頷く。「え、ええ」
「だからあの子らの情操にも、いいかもしれないって、そういうことなんでしょう? 艦長」
「そういうことなんだ」
虎がちょっと得意そうに繰り返す。腕を組んだノーマが呆れて言う。
「だったらロイにも、そう言ってあげればいいのに。意地悪ね」
「いきなり文句言ってきたじゃないか、それにきっと『人間はどこでも一緒です』とか言うんだ」
「言いそうね。でもこの子なら心配ないんじゃないかしら、ねえアキラくん」
「え、あ、よくわかんないけど、頑張ります」
「うふふ。ありがと」狐が微笑してゆっくり尻尾を振る。
医者がアキラの顔をじいっと見ながら、呟いた。
「髪の色——そうだったか……」
「え?」「いや」
そのやりとりを遮って、横からダニーが医者に語りかけてきた。
「それで、こちらが例の魔導師さんですか」
「えっ?」
アキラが少し驚く。医師が少し困ったように答える。
「帝都を降りる際に石を返したから、もう何もできない。すべて置いてきた、ただの医者だよ」
「自主返上は、珍しいんじゃないんですか?」
「珍しいだろうね、二度と石が使えないように、こんな傷まで入れられる。ここまでしてスラムに降りる物好きは、そうそういないだろう」
そう言って自虐的に自らの左目の傷をなぞる。アキラは意味がわからずに、犬と医者との会話を交互に聞いていた。
(石? 石ってなに?)
=ああ、
(えええっ。左目をわざと潰すの? もっと別のところに埋めるんじゃダメなの?)
=視神経が通っているのが便利なのだろう。ただこの医者は——=
「名前はエイモス。家名は帝都入りで消えてしまった。
医師が言って、艦長が応える。
「エイモス先生、で、いいんじゃないか? 帝都ってのは、いろいろ消えるとこなんだな」
「……そうだな、いろんなものが、消えるところだ。あれは」
エイモスが、少し寂しげに呟き、顔を上げて艦長に言う。
「契約の話がしたい。イース艦長。どこか、部屋はないか?」
◇◆◇
アキラは、極めて居心地が悪い。
ウォーダーの最前部三両は前から順に、障壁発生塊・魔導錨誘導帯がある頭部の第一両目、そこから炉心・動力管制分配室・動力班待機室のある第二両目と、総合管制室・艦長室・幹部会議室・治療室のある第三両目が、頭皮状の兜部に覆われていた。アキラと医師が案内されたのは、その三両目の幹部会議室である。
まず、テーブルを囲んでいる面々が異色なのだ。
正面に艦長。右列上席からトカゲのロイと犬のダニーが座り、頭の上に腕を組んで姿勢を崩すケリーと居住いの美しいノーマはなぜか末席だが、二人は特に気にしていない風に見える。そもそもこういう会議の席が得意ではないのかもしれない。
左列に上席からミネア、リリィ。ミネアは少し緊張していて、リリィは目の前のテーブルで何やら手遊びをしている。
問題はリリィの隣から末席に向かって座っている二人で、まずアキラと医者のエイモスは艦長の正面、テーブル対面に左がアキラ、右がエイモスと並んで腰掛けているのだが、そのすぐ左隣に位置する末席に座っているのが。
どう見ても人間の子供なのだ。
そしてあからさまに興味を持たれているのだ。
さっきからアキラをじいいっと見てニコニコしている。よく見ると椅子まで近付けてきている。
子供の顔立ちは可愛いのだが男子なのか女子なのか全く性別がわからない。耳を隠す程度にふさふさと長く伸びた髪は燃えるような赤毛で、着ているものは紐のついたフードのパーカーにも見えたが、裾が足元まであるのでどうもローブの類いらしい。
気になるのは両手で抱えた、その体に似合わない、まるで魔法使いが持つような大きな緑の宝玉がはめ込まれた杖だ。その杖を机と椅子の間に挟んでキコキコと器用に椅子を後ろに揺らしながら、にっこにこしてアキラを注視している。
さらにその子供の隣に座っているのが——もはや、獣ですらなかった。岩なのだ。何度かちらちらと失礼にならないようにチラ見したアキラだが、皮膚にも鱗にも見えない。岩なのだ。綺麗に禿げ上がった頭部から額にはいくつかの溝が走っていて眉間から落ち窪んだ目は小さく、若干下顎が大きい。
岩は時おり、あまりにもアキラを注視する子供の頭をわしっと固そうな手で掴んで正面にぐりんと戻すのだが、またすぐ子供がこっちを見始める。たまに目が会うと、
「えへへっ」
と笑う。どう反応していいか分からないアキラが、とりあえず愛想笑いを返す。
さらにアキラを居心地悪くしていたのは、その子とアキラの位置するテーブル後方にある部屋の扉をそっと開けて覗き見している、四人の猫たちだった。
——話は少し遡る。
今アキラがいる三両目はウォーダーの頭部で、砲塔群が生えている胸部はその後方、バイクの格納庫はさらに後方なので、ここに着くまでにアキラと医者は艦長たちの後を追って、前方主砲車両を通過したのだ。扉を開ける際にイースがやや躊躇して、アキラと医者に注意した。
「ここの子らは、その……昔ちょっと人間には酷い目にあってな、さっき話に出てたと思うが、失礼な態度をとるかもしれない。気にしないでくれ」
「わかりました」「大丈夫だ、艦長」
二人が答えたのを聞いて、艦長から先頭に立って部屋に入った。
主砲部車両は側面全体にびっしりと様々な計器の張り付いた、見るからに大型艦の内部といった雰囲気である。椅子は左右四脚ずつで八脚、それぞれが計器に向かい、前六脚の前には片手で一本ずつ掴む型の、先端が水平に曲がった二本一対の操縦桿がある。
部屋の座席に、猫の少年少女がばらばらに座っている。手持ち無沙汰なのか青毛の少年と、赤いくせ髪の少女は意味もなく計器のあちこちを触っていた。
そして全員、こちらを見ない。挨拶もない。艦長も何も言わない。ただ無言でこつこつと、座る猫たちの中央を一行が通り抜けていく。
じっと計器を見ていた猫たちだが、その内の一人、メガネの子猫が、ちょっとだけ好奇心に勝てずにチラリと見て、そして。
がばっと振り向いて二度見する。
「えっ?」アキラが声を上げた。
びっくりして全員が顔を上げる。エリオットが呟いた。
「……どこの、ヒトですか? そんな真っ黒な髪、見たことない」
「え? えっと、そうなの? なんだかよく言われるんだよね」
アキラが間抜けな答えを返す。
艦長が見渡すと、他の三人も顔を上げて、ぽかんとしてアキラとエリオットのやり取りを見ている。狼と狐がちょっと笑った。灰犬が子猫たちに話す。
「これから大事な会議がある。それが終わったら、紹介しよう。四人とも、それでいいか?」
「あ、ああ」「いいです」「わかった」
リッキー、エリオット、リザの三人は即答した。白猫のパメラだけが返事をしない。艦長が近付いてパメラの頭を撫でる。
「無理はしなくていいぞ、パメラ」
パメラがふるふると首を振って、答えた。
「さっき、ロイがきて。悪い人じゃない、怖くないから心配するな。って」
「……そうか。ロイの言う通りだ、この二人は心配しなくていい」
「……わかった」「うん、いい子だ」
「えへへ」
笑う子猫の眼帯が痛々しい。もう一度ぽんぽんとイースが頭を撫でてやる。
——そんなことがあったのだ。
結果として、アキラは会議室の椅子に座りながら、隣から一人、背中に四人と、合計五人の少年少女に注目されていた。非常に具合が悪い。
扉から興味津々で覗いている猫たちの様子をテーブルの対角線上に見ながら、トカゲのロイがふんっと鼻を鳴らして目を閉じる、が、ちょっと細目を開けてちらっと正面を見ると、艦長がこちらを見てニヤニヤしている。
「始めますかね。まずは今回の作戦の件から!」
ロイが仕切った。子猫たちがびっくりして扉をやや閉める。
「まあ、あれだ、結果としちゃ良かったんじゃないか?」
「説明を求めます。帝国との戦闘は極力回避する予定でしたが?」
適当なイースにロイが質問する。
「それが、俺もなんでかよくわからんのだよなあ」
「は?」
「いやいや、
「それは、ミネアから要請があったからですが」
「え。待って待って。なんで? 戦闘はもう始まってたじゃない」
ミネアが反論した。
(あれ? この流れって……)
=うーん、ちょっとマズイな=
アキラが声と会話する。隣の子供の目がくりっと大きくなった。
「うん? 俺は食堂に、先生と一緒に閉じ込められてたんだぞ? そもそも隠身を解いてもいないのに獣化も強化もできないだろうが」
「え?」「ええ?」
ミネアとリリィの反応の意味が艦長には分からない。
「いやいや。あれは帝国兵とカーン兵の小競り合いだろ?」
「ええ? じゃあ、帝国のビークルを吹き飛ばしたのは?」
「ああ、二台ほど壊れていたな。あれは俺じゃない、あそこの所長だろ?」
「えええ? 伯爵がそこまでやる? 帝国領内なんだよ?」
「テオは関係ないだろう、端っこの要塞で起きたことだ。所長はターガの人間だろ? ——お前ら、ひょっとしてあれを俺の仕業と思ってウォーダー出したのか?」
「艦長が暴れはじめたから援護して、って通信でしたな」
犬のダニーが口を添えたが、ミネアはまだ納得いかなそうである。
「だって……そんな、普通は艦長以外いないと思うじゃない、あんなメチャクチャするのは」
アキラは正面を見たまま座っている。
「あたしもそー思いました。むしろ私がそー言いましたメッチャ言いました」
リリィが手を上げて割って入ってきた。
「お前らなあ。なんのために俺が封印までかけて十日も前から侵入したと思ってるんだ。騒ぎを大きくしたらテオ……カーン伯爵にも迷惑かけるだろうが。結局、竜脈前に脱出しちまったが」
「当初の予定なら、竜脈の発生時刻が確定したら、すぐに解呪して脱出、速攻でドライブして越境、という流れでしたが。まあ、でもかなり近い時間には寄せられたかもしれません」
艦長とダニーが話す間に、医師が食堂での会話を思い出した。
「ああ。事情があると言ってたのは
「そうだ。竜脈のタイミングがわかってから侵入してたんじゃ間に合わん。脱出も正直、あの所長だと少し手こずる予定ではあったんだが。確かに、混乱に乗じたのは正解だったなあ」
=なんとか収まりそうか? ここはマインストンにかぶってもらうか=
(ちょっと所長さんに悪い気も——これ、黙ってた方がいいのかなぁ)
「どっちでも、いいぞっ」「わぁっ!」
アキラがびっくりする。全員がアキラの方を向いた。
「あはは。こいつ、おもしろいな」子供が笑う。
「なんだレオン。ああ、そう言えば、あとどのくらいなんだ?」
「あと、さんじかんぐらい、たぶん。こんどのは、おおきいぞ」
「今、何時だ?」
「昼の第三時過ぎですね」
ケリーが腕のごつい時計を見て艦長に答える。
「じゃあ夕方か。まあ上出来か。残量はどうなんだ?」
「単純航行なら問題ありません。竜脈発生で補給できるでしょう。あくまで先ほど言ったように、戦闘がなければ、の話ですよ」
ダニーが念を押した。
「——クレセント族? 竜脈が読めるという種族か。帝都にもいたが、まともに会うのは初めてだ」
興味深そうに医者が子供を見る。子供の隣の岩が、
「この子は未分化なので取り扱いには注意されたく」
そう喋ったのでアキラがちょっと驚いて、そして声に問いかけた。
(未分化って?)
=おそらくだが、まだ性別がない=
(うん、そうだぞ)
気を利かせて少年が、杖で口元を隠して小声で喋る。アキラが冷や汗をかく。
=……あのな。私のことは、ちょっとまだナイショでいいか?=
(うん、いいぞっ。あとでもっと、しゃべれるか?)
=ああ、かまわない=
(わかった。へへへっ)
もうレオンはにっこにこで、足をパタパタさせて杖を口元にあてたまま、じわっと汗ばんだアキラを楽しそうに見ている。隣の岩が訝しげに見るが、あまり気にする風でもない。日頃からこんな変わった感じの子供なのだろうか。
艦長が話を続ける。
「それで、だ。とりあえず、今のところ半分は約束した通りだ。先生」
「そうだな。私ではとてもじゃないが砂漠の越境は無理だったろう。感謝している」
「礼は全て終わってからで構わないんだが、確認はしておきたい」
「わかった……ダニーさんだったか。さっきは嘘をついた。申し訳ない」
「はい?」
「すべて置いてきたってのは嘘だ」
=やはり、そうか=
(え、何が……)
声に質問しようとしたアキラが、隣の医師を見て、ぎょっとした。それはアキラだけでなく、その会議室にいたほとんどの面々が同じである。
医師が右手をあげ、人差し指と中指の二本を残った右目の下の頬骨の膨らみに当てる。そして左の親指と人差し指で、瞼をぐいっと上下に大きく開いて、頬骨に当てた右指二本を、ごりっと。眼球の下から押し込む。
ゆっくりと、右の眼球がはみ出して、医者が丁寧に受け止めた。
空洞となった右目の跡からは若干の涙と体液が溢れている。抜き取られた眼球には直径に沿って丸い筋があり、もはや両目とも見えない医師が、その眼球を器用に両手の指でかちかちと、右と左に数度ずつ回す。
かちりと音がして眼球が二つに割れ、どろりとした液体とともに、内部から黒色の石が現れた。ぱたぱたとゼリー状の液体が医師の掌から机に滴る。
=あの要塞で彼だけが、お前の髪の色に言及しなかった。覚えているか?=
(い、いや。わかんなかった。わかんなかったよ。じゃあ)
=そうだ。彼は左だけでなく、元から全盲なのだ=
(でも。とてもそんな風には見えなかった。動きも普通だったし)
=お前の右手と一緒だ。ある程度は魔力の流れで物の形や動きは追うことは可能だ。しかし、右目も外した状態だと魔導は使えなくなるのでは——=
「いまはもう、なにも、みえないんだな」
一番最初に口を聞いたのは、意外にもレオンである。閉じた両目の眉を少し上げて、医師が声のした方を向いて答えた。
「そうだ。今はもう何も見えない。また嵌め直せば見えるから、問題ない」
「だったら、よかった」
「ありがとう。レオン、だったな」
「そうだぞ」
レオンが笑う。その表情は若干大人びて見える。不思議な子である。
「……越境の対価ってのは、その中か?」
艦長が声を出す。表情は変えない。医師が答えた。
「無限機動を修理するには、程遠いかもしれん」
その言葉に、ぐっと、ミネアが下を向くが、艦長は気付かないふりをして頭をかりかりと掻いて続けた。
「まあ元々フィルモートンが仲介している依頼だから、問題ないんだがな」
「問題あります。艦長」
ロイが口を開く。
「財宝だの証文というなら、それでいいんでしょうが。石ってことは中身は『式』ということです。先生、そうでしょう?」
「まあ、そうだ」医師が認める。
「何の『式』か、聞いてもよろしいか?」
「ロイ。余計なことに首をつっこむのは、どうなんだ?」
「我々が引き受けたのは越境であって密輸密売の類ではないでしょう。真っ当な物でないと困る。しかもそれが帝国から持ち出された『式』というなら、モノが危険すぎます。確認を求めても、なんら問題は——」
「じつは提案がある」
ロイの言葉を遮って、医師が続けた。全員が医師に注目する。
「この中身は帝国が権利を持つ式ではない。違法に持ち出したわけではない。むしろ、私はこれを帝国に知られたくなかったから、亡命を決意したのだ」
「では、その式は先生の『オリジナル』ですかな?」
「違う。だが、所有権がある」
ロイの表情が変わった。
頭を掻いていた艦長の手も止まった。
「まさか……先生、それは」
ロイが少し、腰を浮かしたのだ。
ミネアが顔を上げて、目を見張る。
リリィが右手の石をよく見ようとして立ち上がる。ダニーとケリーとノーマと。そして岩の男も注視する。レオンだけが、杖を抱えたままキコキコと椅子を揺らしている。
意味がわからず全員の雰囲気の変わりように戸惑うアキラをよそに。盲目の医者はテーブルの向こう、艦長に。真っ直ぐに。右手の眼球を差し出して言った。
「竜脈で見つけたのだ。艦長。ノエルの遺産。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます