第四話 帝都の黒騎士
「管制官が逮捕されたのか? 何箇所だ?」
「十三基の停止した魔導炉の管制官です。全員、身体を拘束されていましたので、おそらく抹消処理かと」
「くそっ!」
その三人の魔導師は、同じ幾何学的な文様が描かれた白色の
男に答えた女性は長身の成人、もう一人は年端もいかない少女のようで、両手で杖を握り大人二人の歩調に合わせ、黙って小走りで付いてくる。
兵士の列がざくざくと、魔導師たちとすれ違って通り過ぎていく。
あちこちで兵士達が行き来するその広い回廊は、天窓の外周に虹色の魔光がうっすらと輝き、この夜間でも明るく美しい。しかし今はその美しさに似合わない不穏な雰囲気に満ちていた。
【無限機動ベスビオ、第二航路より発進準備】
また無機質な放送が回廊に響く。
「なんでこんなに兵士が多いんだイングリッド。ベスビオが何機出る?」
「五機です。それとハンマーが二機」
名を呼ばれた女は、フードから溢れる薄紫の長髪に理性に溢れた端正な顔立ちで、しかし美しい顔貌の左目が、真っ黒な義眼だった。彼女に質問する男の左目も、また同じ義眼である。
義眼は宝石である。二人とも左目の眼窩に、カットされた黒曜石のような石が埋め込まれていた。
「ハンマー? リボルバーじゃないのか? なぜ緊急防衛に突撃艦が出る?」
「——人間の捕獲」
反対側から、胸に杖を抱いて前を向いたまま銀髪の少女がそれだけ言った。その子だけは両目とも美しい緑の瞳で、義眼ではない。
その答えに男が彼女に目をやり、また正面を向いてぎりっと歯噛みして回廊を急ぐ。
「あの、狂人が!」
忌々しそうに吐き捨てる大柄の男は、ガニオン中央魔導軍「竜脈研究班主幹」ムーア導師である。導師であり主幹であるが歳は若く見える。彫りの深い顔立ちに魔導師に似合わない剛健な体躯は励起系の気術を得意とするからである。
同行するイングリッドは長年の助手で無詠唱・顕現系理術の達人であり、ムーアが主幹に抜擢された時からは、助手と秘書を兼任している。そのイングリッドがムーアに釘を差した。
「間違っても黒騎士に手出しするようなことは」
「約束はできん。場合によっては——」
その返事を。悲痛な叫びが遮る。
「うわああ! やめて! やめてください!」
ムーアの顔が一層険しさを増した。駆け足で回廊を抜けた三人が先の広間に踏み込む。
広間の中央で。全身黒づくめの法衣を着た男が、立て膝で屈んでいる。
漆黒のフードから太い牙のような頰当てを付けた兜が覗き、複雑な装飾の施された法衣の内もまた黒を基調とした頑強な鎧に身を包んだ騎士であった。
騎士が片膝を折って床を見下ろす前には、二人の兵に捩じ伏せられ無理矢理に、顎を掴まれ顔だけ前にぎりぎりと持ち上げられた痩せぎすの小男がいた。拘束着で腕も足も縛られ、抑え付けられたままバタバタと、なお激しく暴れて抵抗をやめない。
少し離れた位置から、暗褐色の
騎士は伸ばした黒手袋の指先で、小男の左目から抜き出したと思われる、べっとりと不可解な粘液のついた黒い宝石を掴んでいた。
「返してください! 返してください! 返して!」
また男が叫んだ。
見れば広間の端には、十数人の男女が拘束着を着せられたまま、芋虫のように打ち捨てられている。
あるものは呆然と虚空を見つめ、あるものは嗚咽し、あるものはがんがんと床に頭を打ち付けていた。すべての者の左目は黒い空洞で、もう何も入っていない。
小男が懇願する。
「やめてください……それは私のすべて——」
が。ぱきり、と。
「うわああああああああああ……」
騎士が宝石を、軽々と押しつぶした。
広間の入り口に立ち尽くし一部始終を見ていたムーアが、ぎりっと拳を握りしめるのを、横からイングリッドが強く手で押さえる。が、彼女も顔を斜めに伏せて正面を見ない。少女は杖を抱えたまま、黒騎士をまっすぐ見据えて無言である。
「ああ……はあああ……ほおおおう」
叫ぶ男はまるで脳が溶ろけたような顔で首を左右にぶらあん、ぶらあんと振り、数回目に頭からがんと床にぶつかって倒れたまま動かなくなったので、兵士がずるずると引きずって部屋の隅にどさりと捨てた。
「これで全員じゃ。くだらん真似をしてくれるものだのう」
顎を擦りながら淡々と話す老人はガニオン中央魔導軍「魔導機開発班主幹」エグラム導師である。
暗く赤いローブから覗く顔の左目に嵌め込まれているのは、これもまたカッティングが施された巨大な真紅の宝石である。眼窩から溢れんばかりの大きさで、無理矢理に押し込んだのか、左顔面の皮膚には数本の傷が放射状に広がっていた。
「……原因はまだ、何も分かってないはずでは? グートマン」
凄みのある声でムーアが言う。グートマンと呼ばれた騎士はゆっくりと体を起こし、指を擦ってぱらぱらと石の破片を床にこぼす。
「事故の折 彼らは魔導炉の 管制官だった」
まったく抑揚のない声で振り向いて話すグートマンの顔面を、苦い顔でムーアが睨み付ける。
いつ見てもこの顔は、あまりに不気味で。
どうしても慣れない。
ずっと見続けると心臓が苦しくなってくるので、一気にムーアが叫ぶ。
「彼らには何の責任もないだろうが!」
「そうだ 責任はない ただ管制官だった
そして今回の爆縮は 巨大だ 彼らは不運な者だ」
言葉を続けるグートマンの顔には口がない。
鼻もない。
目もない。
頑強で禍々しい兜に覆われた騎士の顔面は、全てが一つの宝石なのだ。
真正面はまるで鏡のようにばっさりとした平面で、端に寄るほど複雑にカッティングが施されている。深い深い瑠璃色のその正面は、しかし宝石の平面であるのに、何ひとつ写り込まない。
その闇に吸い込まれそうになるのを堪えてムーアが睨み返し、言葉を返す。
「霊術を使われた、と?」
「そうだ
幻界より 侵襲を受けたのならば
この者等に 炉を任せるわけにはいかない
汚染された者の
依って石を砕き
責任の有り無しは 全く関係がない
それが
違うか クレセントの少女よ」
宝石の顔がゆっくりと少女の方を向く。それを真正面から少女が睨んで答えた。
「違わない」
「そうだ 何も問題はない」
「でも竜脈の穢れは竜脈が祓う。ヒトが踏み込んで決める事じゃない」
「ヒトに甘いから堕ちるのだ 少女よ」
「ソフィアを貶めるな、黒騎士」
ムーアが一歩前に出る。堕ちたと言われ視線を落とし、ぐっと唇を噛む少女の肩を、イングリッドが抱き寄せた。
「貴様は他人の石を軽々しく扱いすぎだ、奪う前に術を祓うこともしないのか?」
「時間の無駄だ 捨てた方が早い」
「……それで、また拾ってくるのか?」
「よさぬかムーア!」
対峙する二人を紅玉の魔道士エグラムが一喝する。ムーアの怒気は、まだ解けない。構わずエグラムは、今度は黒騎士に声を放つ。
「グートマン。ガニオン脈が活性化する前に、
ただ冷静に命ずるエグラムに、イングリッドが後ろからムーアの肩に手を置いてゆっくりと首を振って、声をかける。
「なりません。ムーア様」
「……」
肩を落として。ムーアが誰にともなく話す。
「——ハンマーが出ると聞いたが? 街を襲うつもりか?」
「さよう。こやつらの代わりも要る事だしのう」
傍で放心している集団に目をやりエグラムが答える。苦い顔でムーアが続けた。
「
「辺境防衛隊を派遣しておるではないか」
「辺境防衛隊? 爆縮の調査にこそ人を割くべきじゃないのか?」
ムーアの問いを面倒そうに右手で払って、エグラムが続けた。
「ファガンがやらかしたに決まっておろうが。一瞬で26億ジュールじゃぞ? 連中でなければ誰が盗める? 事実こうやって越境を始めておるではないか。どのみち東で事が起こればネブラザかクリスタニアの分隊が捕捉するじゃろう」
「ではせめて、カーン卿へ打診したらどうなんだ」
「ろくに言うことも聞かぬ 辺境伯風情に
打診など必要ない
騎士隊より人を送る 案ずるなムーア」
横から黒騎士がそれだけ言って、広間を出て行こうと歩みを進める。すれ違いざまにムーアが横睨みで声を出す。
「子供だけは、連れてくるな」
「ならば 我らから
戦地の子らが逃げおおせるよう 祈っていれば良い」
それだけ答えて黒騎士は回廊を去って行った。漆黒の法衣をムーアが目で追いながら問いかける。
「どう思う? イングリッド」
「規模はともかく……爆縮そのものは珍しいことではありません。エグラム様の仰る通りファガンの陽動かと」
「——ノエルの式の可能性は?」
「えっ……」
問い直すムーアの言葉に、ソフィアが反応した。振り向いて顔を上げる。が、イングリッドが首を振る。
「可能性があるなら十六番、ですが、それは——」
「そうだ。十六番はグートマンが持ったままだ。それは、ありえない……石を失った者たちを介抱する。手配を」
「承知いたしました」
イングリッドが一礼する。
◇◆◇
=まあ簡単に言えば「プログラム」と「アプリケーション」の関係だ=
「アプリ?」
=そうだ。パソコンに何か決まった仕事をさせるのに、いちいち最初からコードを書いたりしないだろ?=
「まあ、アプリを立ち上げるよね、普通」
小さな格子窓から、朝の光が差している。
独房のベッドの横で、アキラがぐいぐいと柔軟をしながら頭の声に応える。時おり、からんからんと遠くに鐘の音が聞こえ、よく耳を澄ませばがやがやと人の喋り声もする。この要塞には収監者もいると言っていたので朝食の時間なのかもしれない。
一夜明けても、やはりそこは石壁の簡素な部屋の中だった。夢ではなかったと起き抜けからがっくり肩を落とすアキラに、身体に問題がないか一通り動かしてみろと声に言われて行なっている体操だが特に何の異常もないようで、むしろ極めて体調も良く頭も冴え、まるで十代の頃に戻ったかのような身の軽さに驚く。
声曰く「長年の肉体の劣化と溜まった老廃物がリセットされたからだ、特別なことは何もやっていない」とのことである。
森が近いせいか澄んで冷ややかな朝の空気は心地よく、ほっほっとその場で腿上げをすると、太腿が床と平行になるほど足が上がる。昨日までのくたびれたサラリーマン時代では考えられない身体の動きなのだ。
=死んでよかったんじゃないか?=
「おれまだ認めてないからな。まあ、でも。うーん」
悩むアキラに声が続けた。
=昨日の尋問で分かったと思うが、この大陸の言語、地理、その程度は一通り分析が終わっている。必要に応じて処理するから心配するな。ただ私もまだ知らないことは多い。それとあまり何でもわかると却って怪しまれるぞ=
「ああ、言語……英語、混ざってなかった?」
=英語だけではないぞ。いろいろ混ざっている=
「そうなの? 日本語も?」
=そうだ。理由はわからん。で、肝心の魔導だが。それと魔法か=
「えっと、誰でも魔法とか使えるわけ? この世界」
=そういうわけではないな。技術体系はできているようだ=
砂漠からここまで乗った石の車は、地球以上のテクノロジーであったのをアキラが思い出した。
「車、浮いてたよね。なんかさ、ゲームの魔法とかとはイメージが違うんだけど。どっちかっていうと電気やガソリンみたいなものなのかなあ」
=理解が早くて結構だ。で、その魔力を使用するのが魔法だが、これは式を書かなければ何も発動しない。当然お前に、それは書けないわけだ=
「それが、つまりプログラミング?」
=うむ。だからアプリを作った。右の手のひらだ=
「え? 何? うわっ」
言われてアキラが右手を見ると、手のひらのちょうど人差し指から小指の付け根あたりに、四つの丸い模様がぼやっと発光している。
=人差し指の下が「探索」だ。今は
中指の下が「分析」。対象の構造、特性、操作の方法などがわかる。
薬指の下が「解読」。対象の魔法がどういう効果を持つかを調べる。
小指の下が「通信」。何かあったら押せ。私が戻ってくる=
最後の言葉にアキラがギョッとする。
「え。お前どっか行っちゃうの?!」
=どこにも行かん。行かんが、こうやって話をするのは結構リソースを食うのだ。あとお前の体の維持にもリソースを割いている。何か大きく力を動かす際には、会話は後回しにすることがあるかもしれん=
「例えば?」
=戦闘とかだ。想定内だろ?=
「あー、うん……確かにこの世界、文明的な感じもするけど、なーんか物騒な香りがするんだよね。なんで砲台があるんだろ」
=襲われたりするからじゃないか? 要塞とか言っていただろ=
「やっぱそうかあ……でも、この四つじゃあさ、普通ほら、攻撃魔法とか、なんか『ファイヤー』とか『アロー』とか。そういうのって——」
=使いたいのか?=
まともに聞き返されて、アキラの頰がぼっと赤くなる。
「ええっ! だっ、だって戦闘とかあるって、そういうことだろ?」
わたわたと答えるアキラに構わず、声が続けた。
=第一に、そういう励起系——
「そ、そうだな、うん。それがいいな」
=第二に、お前、人を銃で撃ったことがあるのか?=
「えっ」
=攻撃魔法とは、加害の魔法だぞ? 妙に日本人はそういうイメージに慣れているようだが、一般市民のお前が気軽に他人に使えるとは思えん=
「まあ……うーん」
=火炎放射器だからな? 『ファイヤー』とか軽く言ってるが=
「う、うん……はい……ごめんなさい」
もちろん、そのつもりはないのだろうが、思わず説教された形になってしおしおになるアキラに、声が続けた。
=まあ使ってみろ。その四つでも、かなり立ち回りが楽になるはずだ=
「えっと。じゃあ、『探索』」
アキラが探索の模様を押した。
ざああっと周囲の壁が半透明になり、向こう側が見える。
「うおおっ!」
遠くの壁はちょうど三次元のワイヤーフレームのように輪郭だけで構築され、あちこちで橙色の人型が動き回っているのが視認できる。
=この世界は、全ての物体に魔力が付着しているので、エコーによるモデリングが極めて容易だ。止めるときは、もう一度押せばいい=
一部に大勢の人型が集まっているのは、きっとあそこが食堂なのだろう。外壁の屋外の方を見ると、広場、常夜灯、停車している車、森の木々もワイヤーフレームで表示されている。
=生命体の魔力は若干高いので色が変化して見えるだろう、サーモグラフィーと似たようなものだ。輪郭だけの表示は限界まで発動ストレスを軽くしたかったからだ。お前の体内に眠っている魔力を使ってモデリングしているから、このアプリを発動した際でも、見かけ上の魔力変動値は0.5マイクロジュール程度しか検出されないだろう=
「それって、使っても誰にも見つからない、ってこと?」
=そうだ。魔力の流れるこの世界なら、風が吹いたら変化するぐらいの変動値だ。外界での使用を、相手が察知するのは事実上不可能、屋内でも、おおむね気付かれないだろうな。これはその他のアプリも同じだ=
「……なにげにすごくない? これ」
=そう言ってるじゃないか。さて、止めた方がいいぞ=
声がそう言うと、壁の向こうに人が歩いてくるのが分かった。模様を押すとざあっと元どおりの視界に回復し、そして扉が開いて昨日の制服が入ってくる。
「おはよう、起きてたか」
「あ、おはようございます」
アキラの声色を聞いて、制服が少し驚く。
「……ひょっとして、記憶が戻ったんじゃないか?」
「あはは、わかります?」
「おお! そうかそうか。よかったじゃないか。じゃあとりあえず、どうするか……ちょっと待ってくれ——こちら独居房。連絡です」
制服がヘルメットの通信機でやり取りした結果、まずは身体の診断、そのあともう一度聞き取りを行う順序は変わらずだった。ただ無線で話す向こうも喜んでいるようである。
「ではまず医務室だな。こっちだ」
◇◆◇
要塞の医務室はアキラにとっても馴染みがあるような、特に何の変哲も無いものであった。机と椅子と、布地のパーテーションの向こうには診察用のベッドがある。棚には数多くの、おそらく医薬品であろうガラスの小瓶が並び、水銀式の血圧計も置かれている。
「先生、お願いします」
「おはよう。君が砂漠で見つかった人か、よく無事だったね」
部屋に入った制服に声をかけられ、椅子に座った白衣の医師らしき男が振り返った。白髪混じりで温和そうな壮年の医師の顔を見てアキラは戸惑ってしまう。
「あ、あの、はい」
その医師には、左目がないのだ。閉じた左の瞼は塞がって、縦にまっすぐ傷痕が走っている。
「ああ。この目は気にしないでいい。昔、事故で怪我してね」
「いえ。そんな、すみません」
医師は笑って椅子を勧め、座ったアキラに少し丸椅子をぎいと近づける。
「片目だと距離感がね、まず喉を開けて」
そう言ってアキラの頰に手をやる。言われた通りにアキラがあーんと口を開け、医師が覗き込む。
=左目が見えない? 妙だな=
「ふえ?」
「ん? もういいよ。そこの君、棚の血圧計を取ってくれないか」
「はい」
アキラの口元から少し離れて医師が制服に声をかけた。制服が棚に向かってごそごそと血圧計を探す、その隙に。口元から離れ際に、医師がそっと呟く。
(猫とウサギに会ったかね?)
その言葉に反応して。
アキラの左手の甲に一瞬だけ、ぼっと不可思議な魔法陣が赤く光って、消えた。
「!……」
目を丸くするアキラに、医師が「しいっ」とジェスチャーをする。
そして何ごとか考えるように、椅子に座りなおし腕を組んだ。
=符丁か? 面白い=
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