第五話 アーダン要塞にて


 乾いた荒野に土煙が長く尾を引く。

 地面を浮遊して走る四台の車輌は帝国の険路用搬送車アウトランドビークルである。


 車体が暗緑色の艶のある岩石で、つり目のライトが太陽光を反射するフロントは甲虫の顔のように見える。運転席の後方に荷台があり、どの車にも七、八名の兵士が搭乗しているので全部で四十名程度の小隊なのだろう。

 荷台に幌はなく上部はフレームが剥き出しのままで、フロントだけに風防用のガラスが嵌め込んである。車体の下には前方に一組、後方に二組の、円形の端をいくらか切り込んだ形のダクトが搭載され、後ろの二組のうちの一組が九〇度回転して切込みからごうごうと青い光を放ち、車体の推進力を生み出しているように見えた。


 兵士達は服の上から軽装の防具を身につけ、耳当てのついた薄い兜を被っていたが、この辺りは乾燥帯だが気温も低いせいなのか、皆、厚手の外套コートを羽織っている。


 先頭を走る車の助手席に陣取る兵士が、座席を倒して無造作に足を投げ出したまま、誰に言うこともなく呟く。

「なあ。ファガンの連中が原因てのは本当か?」


「本当なら俺たち全員〝蟲〟の餌だな」

 運転手の答えに、助手席の兵士が身を起こす。


「冗談じゃねえぞ。なあ。何で本隊が調べに来ねえんだ?」

「南の国境で戦闘中だろ」

「俺らの装備でファガンとか相手すんの、勘弁だぜ?」

「あの手際のいい連中が、今さら行ったところで誰も残っちゃいないさ」

 運転手の方は、割と楽観的である。


「は? 成果なしで帰るってのか?」


「アーダンに寄って流浪人を狩る」

「あー……」

「それで顔が立つだろ? どうせ補給もしなきゃいかん」

「今の時期なら喧嘩だな。行っても掘り出し物もいねえんじゃねえか?」


「運が悪ければな。不運な奴は楽園に住む資格がないらしいじゃないか」

 答える運転手に、助手席の男が自嘲気味に「へっ」と笑った。




 遠く走り去る車を、岩棚の縁から二つの影がしゃがんで見ていた。藪から飛び出た猫耳とウサギの耳が、たまにひょこひょこと動く。ぼそぼそ生えた低木の茂みの中で双眼鏡のレンズが光を反射する。


 ウサギ耳が横を向く。

「アーダンに向かう感じですよあれ。ケリーが言ってたやつでしょ?」


「まずいなあ……帝国の巡回時期、わざと外したつもりだったのに」

「これ夜まで待つのって、難しいんじゃないかなあ。やっぱケリーが潜入すればよかったんじゃ? 隠身おんしん得意だし」

「それはダメ。何かあったら艦長が対処しないと」


「うーん、でもあいつハダカだったしなぁ」

「……男のハダカになんか恨みでもあるわけ?」


 猫耳にそう言い返されて、またウサギ耳が横を向いた。


「だって身元不明で独房とか入ったら、艦長とは会えなくない?」


「えっ?」

「んっ?」

「そうなの?」

「だってハダカだし身元不明じゃん?」


「それはもっと早く言ってよ!」

「えええええええ?」

「大丈夫かなあ艦長」

「えー」





◆◇◆





日本国ニホンコク? 聞いたこともないなあ、海の向こうかね?」


 マインストンが首をかしげた。

「はあ、まあ……ここからは、かなり遠いです」

 苦笑してアキラが鼻を掻く。


 昨日に引き続き、部屋での調査は参加者も同じ顔ぶれである。ただ一人だけ、医務室の医師も「異国の話に興味があるから参加させてほしい」と同席していた。例の左手に浮き出た魔法陣の件は、今のところ医師からはアキラに何の説明もない。


 マインストンが続けて質問する。

「ではトーノ遠野君は、大陸への入国はアイルタークからということでいいのかね?」


=アイルタークのシェトランド港からだ=

「えっと、はい、シェトランド港からです」


=それで行商の許可を得て半年ほど移動していた、と=

「行商の許可を得て、えっと半年ほどあちこち」


「そうか、じゃあシェトランドに問い合わせてみよう。おい、頼む」

「了解しました」

「えっ! え、ええ。ええ。」

 アキラが首をかくかく縦に振る。制服の一人が部屋を出て行った。


=挙動が怪しい。もっと、しゃんとしろ。昨夜の方がマシだ=

(いや、だって問い合わせるって——)

=私が処理するから心配するなと言っただろう=


「どうかしたかね?」

「あ。いえ。ははは。何だか落ち着かなくて」

「そうだろうそうだろう、それが普通の反応だ、昨夜の君は無表情で心配したよ」


 マインストンがにこやかに笑う。それがアキラには腑に落ちない。つい質問する。


「……あのー」

「うん? 何だね?」

「あの、なんていうか……刑務所の所長さんなんですよね?」


「刑務所とはちょっと違うんだが……ああ、ひょっとして向こうで帝国の悪い噂でも聞いたかね? ここはカーン伯爵の領地だから、もともとアイルタークと人は変わらんのだよ」


「……えー、そうなんですかぁ、知らなかったなあ」


=本当に日本人は、わかった振りが得意な民族だな=

(うるさい。あれって、どういう意味なの?)


 結局なにも分かっていないアキラに、声が答える。


=このカーン領、東のアイルターク、東南のウルテリア・アルターは、もともとアルター国という一つの大国だったのだ。帝国との戦争に負けて割譲されたのがカーン領だ。カーン伯爵は今でこそ帝国の伯爵だが、帝都のことは快く思っていない=


(政府と、仲が悪いってこと? 外様大名みたいな?)


=そうだ。私たちのような越境した外来人に人道的なのは、帝国への反発もあるのだろう。そういう場所は他にもいくつかある。試しに、南のイルケアとクリスタニアがどんなところか聞いてみろ=


「……あの、じゃあイルケアとかクリスタニアって」


「ああ、イルケア、クリスタニアでの行商は諦めたほうがいい。特にクリスタニアは帝都の辺境本部だ。人狩りがウロウロしている。間違っても湖の都を見に行こうとするんじゃないぞ。あそこは……もう寂れて久しい」

 そう言ってマインストンが顔を曇らせた。


「昔は良いところだったんですか?」

「そりゃあもう。古アルターの奇跡だ。今も人は住んでいるが老人ばかりで——」

「報告します」


 部屋に制服が戻ってきた。


「シェトランドにて彼の在住許可と購入家屋が確認できました。それとアイルターク銀行の金庫にも名義があります」


(へ? 家と銀行?)

=なければおかしいだろう、商売人が半年も暮らすのに=


 平然と声が答えた。


(いやお前、家買ったり口座作ったりできるの?)

=できない。ここに飛んできた無線を書き換えただけだ=

(あ、なんだ……)


 本当に家持ちになったかと思ったアキラががっかりする。逆にマインストンは納得した顔で、しかし少し気が抜けたようだ。


「じゃあ、もう問題ないな。あとはどうするか……おそらく賊の類に襲われたのだと思うが、届を出して一旦アイルタークに帰るかね? ただ申し訳ないが買い出しの便が出るのは明日以降になる。構わないかね」


「ええ、それは、はい」

「あと身体の調子と魔力量だが、特に問題はないんだな。先生」


「…………」

「先生?」


「うん? ああ、問題ない。常人の量だったよ。身体もいたって健康だ」

 少し考え事をしていたかのように医師が答えた。異国の話に興味があると言っていた割には、あまり本人は話に噛んでくる風でもない。


=さてはアテが外れたか=

(え?)

=いいや、鳩が小屋に入らないって話だ=


(なにそれ、スズメとかハトとか……でも魔力量って大丈夫だったの?)

=完全に圧縮してある。実際値は普通の計器では測定できまい=

(便利だねお前って)


=私ではない、魔力が便利なのだ、こんなに自在に圧縮できるエネルギーは地球にもない。ただ、気を付けないと——=


「——どうするね?」

「え?」

 声との会話に気を取られ、今度はアキラがぼうっとしていたようだ。


「いや、昼食だよ。もうそろそろ朝の第五時も終わる。部屋でもいいし、我々と一緒でもいいが」


=この場所からどこに行くにしても、まだ情報が足りない。ご一緒させてもらえ=


「あ、ご迷惑でなければ」

「そうかそうか。あまりいいものも出せないが。先生はまた食堂で取られるのかな」


「うむ、彼らの体調管理も仕事なものでね」

 医師が笑った。



◆◇◆



「皮肉なもんだろう、昔は帝国軍との戦闘の拠点だったのが、今では帝国の補給拠点になっているんだからな」


 長い石組みの回廊に複数の足音が響く。数人の制服に護衛されて歩きながら、マインストンとアキラは話を続けていた。


 石造りの屋内は窓もないが、あちこちに灯りが掛けてあるので足元がおぼつかないほど暗くもない。

 広い回廊は中央から、道なりに縦に二つにさえぎられ、石柱の間を続く壁にはところどころに大きな鉄格子が嵌め込まれていた。切れぎれに向こう側の様子が見える。おそらくあちらが収監者のエリアなのだろう。


 たまにアーチ状の石門があり、門の部分だけ全体が黄色くぼうっと輝いている。アキラはなんとなく空港の保安検査を思い出して、聞いてみた。


「あれって、何かの検査用なんですか?」

「探知門だな。周囲の魔力だけではなくて、金属、爆発物に反応する」

「えっ。それだけだと、人間は普通に行き来ができるんじゃ——」

「収監者は特殊な腕輪をしている。許可なく門を通れば警報が鳴る仕組みだ」


 これだけさらさらとマインストンが話すということは、特に知られても問題ない、ということなのだろう。魔法というものがあるせいで、この世界のところどころは——


(……普通に地球より進んでるよなあ)

=確かにそうだな。せっかくだから、あの門に解読を試してみろ=

(え? 解読? 薬指だっけ)

=うむ=


 アキラが右手の親指をぐっと握り込んで、薬指の根元を強く押す。すると石のゲートの輪郭が、ふわっと発光するように目に映った。続いていくつかの文字がざあっと眼の前に現れたかと思うと女性的な機械音声が耳の奥で響いた。


魔力探知マナサーチ

「ひょっ。」


金属探知メタルサーチ火薬探知パウダーサーチ障壁発動オートシールド、硬度2000ジュール。解呪ディスペル


「うん? どうしたかね」

「あ、足がつっかかって」

「気をつけたまえ、そんなに明るくはないからな」


=いちいち変な声を出すな=


(音声が出るなら最初に教えといてよ!)

=私が喋ると馬鹿みたいじゃないか。まあ問題なく作動するようだな=


(そうだね。あれっ、でもあの門って魔力に反応するんじゃ……)

=このアプリが、魔力探知でも引っかからないということだ=


 アキラの頰に冷や汗が流れた。

(……ひょっとして実験した?)


=しかし解呪ディスペルか……何かの発動系の秘密鍵プライベートキーかと思ったが=

(えっ)

=いや、その左手の魔法陣だ=


 言われてアキラが左手の甲を見ると、確かに「解呪ディスペル」と文字が浮かんでいた。



◆◇◆


 

「俺がやる、先生。貸してくれ」


 そう言って医師の背後から声をかけたのは、顎髭を蓄えた体躯の良い壮年の囚人である。遠近感が取れないのか、医師が深鍋の端に玉杓子をカタカタとぶつけているのを、カップと一緒に受け取り適量のスープを掬ってトレイに渡す。がやがやと話しながら食事を準備する他の収監者たちは、別に二人を気に留めることもない。


「あ、ああ。すまない」

 医師が苦笑しながら礼を言う。


 元々は古い要塞であったアーダンには、現在は様々な顔がある。


 帝国としては北東砂漠地帯の補給基地、警戒拠点、カーン伯爵領としては領界監視と防衛拠点、そして犯罪者の収監所である。

 ただ山賊や盗賊などの重犯罪者は、アーダン近辺ではあらかた辺境軍に連行されており、最近は帝都スラムからの脱走者や流浪人、それに近隣の村落で捕まった泥棒や暴行犯が収監されているのみで、実質は身寄りのない者の簡易的な収容所である。


 魔導によって管理された要塞なので、特に看守らしい看守はいない。この要塞に腰を据えているのは所長のマインストンを含む数人のみで、その他の守りは基本、カーン領の兵士たちの交代制である。

 砂漠のちょうど反対側にある中心都市エールカムと西の端にあるアーダンとを、兵士たちは東西にぐるぐる巡回しながら交代で駐在していた。


 正午を過ぎた食堂の中も混雑はしていたが、武装した兵士は食堂門のすぐ外で二名が控えているのみである。その門は青色で、今は出入り自由らしい。


 トレイに食事を乗せて先に歩き出した医師は、雑談をしながら昼食をとる収監者たちの脇を通り、壁際の誰もいない長テーブルの端に座る。しばらくして先ほどの顎髭の囚人がテーブルを挟んで医師の対面に腰を下ろした。


 男は、ぼさぼさの頭髪で前面にはひと束の白髪がラインを作り、眉は太く一見すれば強面の部類である。が、その表情は穏やかで、耳元の揉み上げから顎に向かって蓄えた髭と相まって、少々、人懐っこくも見えた。

 目を落とし、大きくゴツゴツした指で器用に黒パンをちぎりながら、男が小声で医師に問いかける。


(さすがに鍵が届いた頃じゃないか、先生?)

(届いた。が、問題がある。囚人でも流浪人でもない)

 同じく小声で返した医師の返答に、男がやや視線を上げる。


(囚人じゃない?)

(ただの年の若い、行き倒れの商人だ。だからこちらに来れない。今も向こうで食事をとっているはずだ)


 呆れた男が、つい声を出す。

「……ナニやってんだアイツら。適当に、こそ泥でも寄越せって言っといたんだが」


(やっぱり別の方法がよかったんじゃないか?)

(こっちにも事情があってな。まあ鍵が届いたってなら、だいたい竜脈の発生時刻が決まったってことだ)

(じゃあどうする? 青年は防衛区だぞ)

(俺の方から医務室に行く。腹でも下せばいいんだろ?)


 男が軽く笑って続ける。


(先生の方で、なんとか会えるように連れてきてくれ)

(……わかった、どうにかしよう。でも時間は大丈夫か?)

(符丁で何色に光った?)


(赤だ。赤く光った)


 それを聞いて、渋い顔をして囚人が顎髭を撫でる。

(まいったな……遅くても今夜だ。じゃあタイミングは昼第4時あたりでどうだ)

(いいだろう。食事が済んだら、私はしばらく他の囚人にも声をかけてから戻る)


「ええ、ええ、俺は元気なものですよ先生。お気遣いなく」

 わざと大きめの声で男が答えた。



◆◇◆



 スープの中身は葉物の野菜と細切れの干し肉で、薄く塩味がつけてあった。他にも黒パンが皿に盛ってあり、昨夜の食事と特に変化はない。


「本当に大したものがないんだ、申し訳ないが」

「いえ、おいしいです。ありがとうございます」


 自然光の差し込む明るい部屋には、会議用のチェアと広々としたテーブルがあり、その上に四人分の食事が準備してあった。

 アキラとマインストン、そしてやや離れて、堅めのデザインの軍服を着た、尋問の際に所長の両隣に座っていた二人が座って食事をする。どうやらこのペアは上位兵らしく常にマインストンに付き従っているようである。


 所長室は大きく格子窓が取ってあり屋外の広場も良く見える。広場中央に並んだ常夜灯は今は点灯しておらず、遠くに停車した車、そしてさらに遠くには、森へと道が続いていた。


 食べるアキラがふとスプーンを置いて、唇に残ったスープの雫を右の中指で軽くぬぐい、じっと指先を見つめ親指の腹と擦り合わせて、またぺろっと舐める。行儀の悪いことをしているのだが、本人は自覚がない。


 塩味がして、食べ物の味がする。昨夜独房で記憶を取り戻した直後から身体の感覚は回復してはいるが、最後までわずかに痺れるような違和感が残っていたのが舌の味覚であった。

 それが今は戻ってきているだけでなく、食物を口から入れると、なんとなく、食べたものが全身にふわりと広がっていくような不思議な感じを覚えるのだ。

 無機質から有機質へ徐々に変えていくと、頭の声はそんな表現をしていたことをアキラが思い出して、左手で右手、右手首、右前腕と、順番に自分で揉んでいく。目の前に座ったマインストンは、その様子をじっと見て言った。


「砂嵐の中だったらしいな。ウチの者たちが見つけるのが早くて良かった」


「ええ。ホントに。助かりました」

 少し慣れたアキラがそつなく返し、マインストンが頷いて続ける。


「その幸運は、君は持って帰んなきゃいけない。まだ次の巡回まで数ヶ月あるが、帝国の人狩りに見つからないうちに戻りたまえ」


「人狩り……」

=今は訊かないほうがいい。地理以外の情報収集は、もっと安全な——=


 声が注意するが、アキラは少し探りを入れた。

「その人狩りっていうのは、何なんでしょう?」


=続けるか?=

(この所長さんは、安全だと思うよ)

=そうか、任せよう=


「なんだ、話を聞いたこともないのかね? 本当にアイルタークから出たばかりだったんだな。君みたいな風体の人間は、おそらく一発で捕まるぞ」


「捕まったら、どうなるんです?」

「わからん」「え?」

「いや、どうなるかは知ってるんだが。意味がわからん」


 少し苦笑してマインストンが、皿のパンを千切って口に入れた。代わりに横から上位兵が答える。


「捨てられるんだ」

「捨てられるって……ヒトが、ですか?」


「そうだ。帝都ルガニアは巨大な岩山の中に都市があるんだが……入口や街道はなくて、飛行用の魔導機がないと乗り込むことができない。そして岩山は広い平野の真ん中にあって、周りは見渡す限り海辺まで人間が住んでいる。大陸中から兵士が狩ってきた人間たちだ」


「その街に捨てられるんですか?」

「街ではないな、あれは。巨大なバラックだ。それか貧民街スラムかな」


 パンを飲み込んだ所長が話を続けた。


「捕まる人間には特に基準はない。強いて言えば目につく者から片っ端に、といった感じだ。だから目立てば連れて行かれる。そして、帝都の周りに捨てられるわけだ」

「それは……なんのために」


「そこがわからんのだ、誰にもわからん。……ああ、二つだけ。二つだけ確かなことがある。一つ目は、この人狩りが先の大戦が終わってから始まったということと、もうひとつは、決して捕まらない連中もいる、ということだ」

「誰なんです?」



「獣だよ。帝国は獣人は決して捕らえない」

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