十幕ニ(完)





 宝物庫に初めて足を踏み入れて、雪樹は愕然となった。

 いや、収められているものは、どれもこれも立派で、問題ない。たったひとつ売り払うだけで、一生遊んで暮らせるだろう逸品揃いだ。

 しかし――こうも量が多いと……。

 金銀財宝は棚に収まりきらず、床に溢れてしまっている。あまりの量に分類することもあきらめたのか、それらはなんの秩序も規則性も見いだせず、ただただぞんざいに放置されていた。

 宝物とは、きちんと大切に飾られてこそ、ありがたみを感じるものなのだと、雪樹は認識を新たにした。そしてこの散らかりようを見て、すぐ上の兄・海棠の部屋を思い出し、懐かしくもなった。


「これ、全部でいくらくらいになるんですかね?」

「さあな。前に目録を作ろうとしたらしいが、あまりに大量過ぎて、途中で諦めてしまったそうだ」


 おおらか過ぎるだろうと、雪樹は半目になる。以前蓮から贈られた宝飾品も、ここが出処だろうか。


「そんなにたくさんあるんですか……」

「宝物庫は、あと三つあるぞ。書物や美術品なんかはちゃんと管理しないと傷むから、別にしてあるしな」


 言いながら、蓮はその辺に置かれていたダイアモンドの首飾りを、重たそうにつまみ上げた。宝石たちが放つ輝きに少々胸焼けを起こしながら、雪樹は重ねて尋ねた。


「そのほかの収入は、どうなってるんです?」

「さあ? 考えたこともなかった」


 こういうところは皇らしく鷹揚なのか、蓮は首を傾げるばかりだ。仕方なく雪樹は、別の人間に回答を求めた。

 嫌がられるかと思ったが、皇宮で経理を担当している者たちは、包み隠さず皇一族やその他のお財布事情を明かしてくれた。

 皇、そして彼の住まいである皇宮は、公人、あるいは公共機関とはみなされていない。よってその生活・運営は、皇の私費でなされているそうだ。

 皇の収入といえば、そのほとんどが借地代だ。首都や主要都市の一等地の多くに、皇は直轄地を持っている。

 平たく言えば、皇は大地主ということだ。

 毎年入ってくる借地代の額は莫大なものであり、この広大な皇宮を賄っても余りあるほどだという。


「思ってた以上に、お金持ちなんですね!」


 急に目を輝かし始めた雪樹に、経理係は苦笑を返した。


「そのせいで、最近は何かと理由をつけては、議会が援助を求めてきます。ゆくゆくは議会は、皇の財産を召し上げてしまおうと、画策しているのかもしれないですね……」

「ふーん……」


 これなら、学校を一つ二つどころか、百でも二百でも作れそうだ。


 ――ならば。


 雪樹は、後ろで興味なさそうにぼんやり話を聞いていた蓮を、振り向いた。


「ねえ、蓮様。芸術家の育成にも、手を出してみませんか? 伸びそうな人たちを、全力で支援してあげましょうよ!」

「皇らしい、慈悲深さだな。だが、議会なんぞにみすみす財産を奪われるくらいなら、そちらのほうがよっぽどいいか」


 皮肉めいた口調で言いながらも、蓮はその気になったようだ。瞳に、いつもの凛々しい光が戻っている。彼の横で、雪樹はいやらしい笑みを浮かべた。


「芸術っていうのは、結局、余裕のある人の楽しみなんですよ。うまく育てれば、絶対に金になります!」

「――かねに」

「作家も絵描きも、ガンガン育てましょう! 私、前に、蓮様に頼まれたいかがわしい本を買ったとき、すごく高いなって思ったんです。だからそういう本をたくさん作って、安く売れば、絶対にお金になりますよね!」


 そういえば、雪樹は以前、商人になりたいと言っていたか。


 ――お金が好きなんだな。


 指を折り、楽しそうに金勘定を巡らしている雪樹を、蓮は少し冷めた目で眺めた。


「お前は一国の主である皇に、エロ本作りを支援しろというのか」

「そうは言っていません。ただ、身につけた技術をどう使うかは、個人の自由かと」


 雪樹は邪悪に微笑んでいる。


「芸術学校が完成したあかつきには、蓮様が校長になってくださいね」

「俺がか?」

「あなたは目が肥えていますもの。例えば生徒が描いた絵が、名画なのか、ただの落書きなのか、その真贋を見極められるでしょう」

「……………………」


 これから先、創り出されるだろう数多の「美」に、触れることができる。関わることができる。

 想像するだけで、蓮の心は踊った。


「確かにあなたは皇で、どれだけ優れた作品を仕上げても、一人の作り手としては認められないかもしれない。だけどあなたは、この国の芸術そのものを、育て上げることができる。――それでは、つまりませんか?」

「いや――いや」


 美しいもの、魂を揺さぶる何かが、生まれる。その瞬間に立ち会えるならば、日々は退屈ではなくなるだろう。

 自分が存在する意味も、皇として生きる意味も、そこにあるのかもしれない。

 

「ここは狭い檻かもしれませんが、黙って囚われている必要はないんです。楽しみましょうよ、めいっぱい! 二人で!」


 雪樹は蓮の手を取って、大きく上下に振った。なすがままになりながら、蓮は照れくさそうに笑った。



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