第十幕 檻の中の遊戯
十幕一
規則正しく等間隔に並ぶ格子を、気がつけば、眺めていた。この模様には見覚えがある。朝起きると、一番に目に入ってくる――そうだ、閨の天井だ。
意識が確かになってくると同時に、体の感覚が戻ってきた。どうやらふかふかと柔らかい布団の上で、横になっているらしい。
いつもの匂いがする。スッと爽やかな、お香の香りだ。
何か握っている。大きな――手だった。
横を向くと、整った顔に遭遇する。蓮だ。
――蓮様だ……。
雪樹の忙しない瞬きが、蓮の眠りを覚ました。長いまつげに縁取られた目が、ゆっくりと開く。
「起きたか……」
切れ長の瞳が自分を映しているのを認めた瞬間、雪樹の胸に温かいものが満ちた。泣きそうになって、誤魔化すように顔を背ける。
「私、いつの間に、寝たんでしょうか……」
羽村 芭蕉とその息子たちの穏やかならざる訪問、そして帰還ののち、雪樹は蓮に縋って泣きに泣いた。情けないことにそのまま前後不覚に陥り、どこかへ連れて行かれたことはうっすら覚えているのだが……。
「お前が俺を離さないから、なんとか引きずって、ここまで運んだんだぞ」
蓮はゴロリと仰向けに寝直した。雪樹の左手は、まだ彼の右手を握り締めている。どうしても、離す気にはならなかった。
このままこうしていたい。蓮に触れていたい。もう離したくない……。
寝転んだまま、辺りを見回す。やはりここは、蓮と逢瀬を重ねた閨だった。
慣れた場所だから安心して、雪樹はふーっと長く息を吐きながら、再び敷き布団に体を預けた。
「目が重たいです……」
瞼が熱を持っている。腫れぼったいそこを指の腹で揉みながら、雪樹は嘆いた。
「まあ、そうだろう。お前、うぉーんうぉーんと、まるで狼の遠吠えのように泣いていたからなあ」
蓮がくくっと笑い、雪樹はふくれっ面になる。
「だって。だって……」
――絶対に、あなたを失いたくなかったから。
蓮を再びこの手に抱いたとき、安心したあまり、感情の堰が切れてしまった。濁流の如く涙が押し流れてきて、止めることができなかったのだ。
蓮が動くたび、布団と彼の衣が擦れる音がする。さらさらと雨音に似たそれは、耳に心地良かった。
目を閉じると、ここに運ばれる直前のことが脳裏に蘇ってくる。
――蓮の出生の秘密と、父の罪。
「父は……あなたにひどいことをしましたね……」
「多少は私怨を晴らした向きもあるだろうが、芭蕉はそれ以上に、皇制の存続を一番に考えたのだと思う。あいつがやらなくても、別の誰かがいずれ、俺か俺以外の子供をここへ連れて来ただろう。――あまり父君を責めてやるな」
蓮の口調は自然で、無理をしている様子もなかった。彼の中では既に、芭蕉の仕打ちについて、整理がついているのかもしれない。
「でも、あの、大丈夫でしょうか……」
「何が?」
「皇宮の人たちにも、蓮様のお生まれのことが、知られてしまいました……」
「いいんだ。俺は皆を騙していることに、ずっと罪悪感があった。どこかで暴露してしまいたかったんだ。本当は、国中に、触れ回ってしまいたいが……」
「そんなことをすれば、また国が乱れます……」
最後は、雪樹が引き取って言った。
最高議会の議長である羽村 芭蕉が、現在の霧椿皇国における実質的な最高権力者である。とはいえ皇の影響力だって、まだまだ巨大なものだ。
そんな中、現皇である蓮が、実は初代皇直系の子ではないと知られれば、ひと騒動になるだろう。表向きは皇への忠誠を誓っている各地の諸侯が、どう動くか分からない。各自が新たな皇を擁立しようとして、再び戦乱の世になることも考えられるのだ。
「偽物の皇だと、言いたい奴は言えばいい。皇なんて、ただの飾りだと……。いてもいなくても、この国にとって何の支障もないと、皆が早く気づけばいいんだ。そうなれば、俺もお役御免になる」
「それは違います、蓮様。あなたが思っている以上に、この国の民は皇を精神的な支柱に据えています」
そうだ。きっと皇国の皆は、皇を放そうとしないだろう。
支配する、されるといった関係はとうの昔に終わり、今や皇は霧椿皇国の象徴。国民全ての源流である。
「ふん。そんな大層なものではない」
蓮は手の甲で瞼を覆い、つまらなそうにしていたかと思うと、急に横で寝ている雪樹に顔を向けた。
「お前、その……。子供ができたとかなんとか、言ってたが……」
「あっ、あー。えーと、そういう可能性もあるじゃないですか……」
「ああ、まあ、そうか……。遠慮なく、ヤったからな……」
雪樹は怒られるかと身構えたが、何を思い出しているのやら、蓮は頬をかいている。
「でも実際のところ、赤ちゃんができたかどうかなんて、分かりません。真百合先生の話では、簡単に授かるものではないんだけど、そう思ってると、あっさりできたりするそうで……。妊娠って、仕組みは分かっていても、そのとおりうまくはいかないものなんですって」
「ふーん。まあ父上のような場合もあるだろうしな。だが、俺たちの間に子供が生まれようが生まれまいが、俺の后はお前だけだ」
「……!」
蓮が時々さらっと、心臓を撃ち抜くような甘い台詞をほざくのは、これも育ちのせいなのだろうか。
「側にいてくれ」。
あのときの慟哭のような告白を思い出して、雪樹は真っ赤になった。
「お前、後悔しないか? 一生皇宮に、囚われの身になるんだぞ?」
「まだそんなことを」
繋いでいた手を名残惜しげに蓮から離すと、雪樹はむっくり起き上がった。
「じゃあ聞きますけど、蓮様は私がいなくても、大丈夫なんですか?」
「それは……無理だな」
腕を投げ出し、まるで水に浮いているような姿勢で横たわりながら、蓮は断言した。
「だが、せっかくその頭脳を認められて、西方高等学問所への入所を許されたんだろう? 悔いが残らないか?」
「まあ、それはそうですが……」
自分にとって、何が一番大事なのか。雪樹はもう選んでしまった。
蓮の側にいる。
そう決めたから、だから迷いはない。――少し勿体ないかなとは、思うけれど。
ふと見れば、椿を模した金の髪飾りが、枕元にきちんと置かれていた。寝ている間にどこか刺してしまわないよう、蓮が外してくれたのだろう。
大切な、そしてとても高価であろうそれを手に取った瞬間、雪樹の頭の中で閃くものがあった。
「だったら、蓮様、作ってくださいよ!」
「作る? 何を?」
「私がここからでも通える学校を!」
勢いのまま、雪樹はたった今思いついたことを吐き出した。
「がっこう……?」
「そうです! そうですよ! 西国が遠いなら、近くに作ればいいんです! 私、前から変だなーって思ってたんです! 西にこの国一番の学問所があって、なんで皇のお膝元であるこの首都に、大した学校がないんだって! 蓮様なら、お金がいっぱいあるから、作れるでしょう!?」
「……?」
蓮も体を起こしたが、よく理解していないのか、ボケッとしている。雪樹はそんな彼に焦れて、捲し立てた。
「年齢も性別も家柄も関係なく、賢くてやる気のある者ならば誰でも通えるような、そんな学校を! 作りましょうよ!」
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