幕間 身勝手な男のはなし

幕間一


『時々俺は、何のために生まれてきたのかと、思うことがある』


 ――あいつには弱音ばかり、聞かせている気がした。









 振り上げた腕を押さえつける。暴れる足は、組み敷いた体に少し体重をかけただけで、おとなしくなった。時間にして、五分程度だったろうか。それだけで、雪は力尽きた。


「もういいか?」

「……!」


 ぜいぜいと苦しそうな呼吸を繰り返しながらも、雪は気丈に俺を睨みつける。

 そうだな、これは愚問だった。返事があってもなくても、してくれと言われても、やめろと言われても、俺は結局やりたいようにやるのだから。だから粛々と、俺は雪の服を脱がし始めた。

 細い帯を解き、衣の前を開くと、肩紐がついただけの下着が現れる。その下で忙しなく上下している大きな丸い胸に、引かれるように手を置いた。途端、雪の体はびくっと強張り、だがすぐに弛緩する。乳房の下側に手をやり、持ち上げるように揉む。いつも思うが、随分ずっしりと重量感のあるこれを、常にぶら下げていて、肩は凝らないのだろうか……。

 それにしても、柔らかい。男の体には存在しないその感触が面白くて、飽きることなく手を動かしていると、雪が呆れたようなため息をついた。彼女の胸の頂点は既に立ち上がり、絹の布地を持ち上げている。そこを弱くつねると、雪の体はまた跳ねた。


「いや……」


 恥ずかしそうに身を捩るその仕草に、表情に、ゾクゾクする。

 誰にも言ったことはないが、俺は女が嫌いで、だが、こいつのことは好きだ。









 確かあれは、俺が十四のときだったはずだ。

 父上が病を患い、床から出られなくなってしばらく経ってからのこと、俺は「後宮内作法」とやらの引き継ぎを受けることになった。

「後宮内作法」。偉そうな名前がついているが、要は後宮の寵姫たちをどう扱えばいいのかだとか、もっと平たく言えば、セックスの仕方を教示致します、ということだ。

 なぜ急に後宮のことなど、学ばねばならぬのか。考える間もなく察しがついた。父上の死期が迫っているのだ。父が死ねば、俺が皇位を継ぐことになる。後宮も含めて、だ。

 ちなみに後宮の中の女たちは、皇が代われば、一斉に入れ替わる。父と息子が同じ寵姫と交わるなど、あまりにおぞましいからだ。

 ――あの日のことは、今でも忘れることができない。

「後宮内作法」を伝授する教室として使われたのは、宮殿の中にある小さな会議室だった。照明を落とした薄暗いその部屋の中央には、何段も重ねた畳に布団を敷いただけの台が設置されていた。その周りをぐるりと、医師や学者たちが取り囲んでいる。関係ないが、俺には後宮つきの医師の中で懇意にしている清田 真百合という女医がいるのだが、そこに彼女の姿はなく、ホッとしたのを覚えている。性的な事柄が関わる場で、親しい知り合いに同席されるのは、あまりにこっ恥ずかしいからだ……。

 即席の寝台の上には、一糸まとわぬ女が正座し、俺を待ち構えていた。青白い肌をした痩せた女だった。そして医師たちに促され、俺がおっかなびっくり台に上がると、それが合図のように、女は突然足を開いたのだ。「初対面の男に、自分の恥ずかしいところを見せる」という、本来不自然な動作のはずなのに、女はやけに自然に流れるように動いた。まるでゼンマイを巻かれた直後の、カラクリ人形のようだった。俺は興奮よりも、気味悪さが先に立ってしまい、そうなるともう駄目だった。耳から入ってくる学識ある男たちの講義も、嫌悪感に拍車をかけた。平坦な調子で語られる、女体の仕組みや性周期についての説明、その内容が何やらオドロオドロしい儀式のように思えてならなかった。

 俺は嫌な汗をダラダラと流しながら、無表情なその女と対峙し続けた。本来なら実地訓練を兼ねて、衆人環視の元、俺はその女と契ることになっていたのだそうだ。だが俺のイチモツは役に立たず、事なきを得たのである。

 これが俺の初体験「未遂」の顛末で、これがきっかけで、俺は女という生き物に幻滅したのだった。

 あのときの女の顔はすっかり忘れてしまったが、彼女の視線がずっと虚空を漂っていたことだけが、妙に心に残っている。

 ――後宮の女は、みんなこうなのか。

 このときの女と、実際の寵姫は別物なのだろうが、だが本質的には同じだろう。

 皇という位を持つだけの、愛してもいない男に足を開き、子種をねだる。その姿は、犬が餌をねだるのと、どう違うのか。

 そんな女を抱けと? 俺がこれから先、皇としてこなさなければならないセックスは、こんなにつまらないものなのか。

 ――時間の無駄だ。

 歳相応にあった異性への興味も、この件のせいですっかり失せてしまった。

 父上が亡くなって、新たな後宮が作られても、俺は一度もそこに出向くことはなく、今日(こんにち)に至っている。

 ――そうだ、女を抱くなんて、つまらないと思っていたのに。

 今は狂ったように、あいつを求めている。









 愛撫が股間に移ると、再び雪樹の、無駄な抵抗は再開される。終わるのを待ってやってもいいが、いい加減面倒くさいから、今度は強引にあいつの足を押さえつけた。


「やっ……! く、国の長たる皇のくせに、こんなことして、恥ずかしくないんですか!?」

「ないな」

「……! あ、あなたはそれでいいかもしれませんが、ご家族のことを考えてください! 自分の息子が、女性を無理やり乱暴するような人間だなんて知ったら、ご両親は泣きますよ!」

「いや、別に」


 強がるつもりもなく、ごくごく普通に判断して、俺は答えた。

 父上は朝から晩まで後宮に入り浸り、酒色に耽っていたダメ人間だ。そんな奴に、俺の行動をあれこれ言う資格はない。

 母上は、俺には無関心だ。あの人の心にあるのは、自身のことだけである。むしろ俺が非道なことをすればするほど、「鬼畜な息子を持った、可哀想な母」という境遇を、楽しんでくれるのではないか。

 ――そう、母上。彼女は、息子から見ても美貌の人だと思う。儚げで守ってやりたくなるような、そんな女性だ。だから幼い頃の俺は母上を幸せにしてやりたいと、とりあえずは立派な皇になるべく、勉学に励んだものだ。そんな俺を、しかし母は形ばかりは褒めてくれるが、積極的に構ってはくれなかった。

 生まれたときから引き離され、俺たち母子(おやこ)は週に一度ほど顔を合わせるのだが、母はそれすら億劫そうだった。そんな彼女を見て、俺はある日、唐突に気づいた。

 この人には他者への愛情がない。母は母自身が何よりも好きなのだ。そして母上は、今のままでいるのが一番幸せなのだろう、と。

 婚約者を殺した憎き皇の寵姫となり、汚され、子を産んだ。

 皆にカワイソーカワイソーと同情されているときの母上は、表情こそ憂いでいても、光り輝いて見える。

 悲劇の元皇妃。母にとって、周囲の同情と関心を集めるその座は心地良く、退きたくはないのだろう。――だから、放っておくのがいい。

 もっとも俺だって、母上のことをとやかく言えない。不満だらけの現状を変える努力もせず、そんな日々に甘んじているのだから。そのくせイライラした態度だけは取るのを、そういえば雪に、何度も叱られたものだ。





 雪樹の正体について、今思えば、おかしなところは多々あった。

 伸びない背、折れそうに細い体、米俵の一つも抱えられないほどの、貧弱な腕力……。

 何かの病気なのかとも思い、あいつが皇宮に来る際は、滋養のあるものをせっせと食べさせたりしていたのが、今思うとバカバカしい。思い込みというのは、恐ろしいものだ。

 ――女、だったとは。

 真実を知ったとき、俺はまず混乱し、そのあと狂喜した。腹の底から喜びがこみ上げてきて、止めようがなかった。今まで抱いていた、女への不快感や嫌悪感は、都合のいいことに一瞬で忘れてしまった。

 雪は俺にとって、唯一の友人だった。誰よりも分かりあえる存在――それが「女」だったならば、ずっと自分の傍に置いておける。遠慮なく、慈しんでいいのだ。

 詰まるところ俺は、誰かを愛したかったのだと思う。

 雪が性別を偽ってたことに対する怒りは、全くなかった。高等学問所へ入るために西国へ旅立つという、その自由が羨ましくて、嫉妬はしたが。

 自分の罪の重さを知ったのは、事が済んだあと、静かに涙を流していた雪を見たときだった。雪の目は、「後宮内作法」を引き継いだあの夜の、あの女と同じだった。


 俺が嫌いだった「女」は、生来のものではない。俺たち男がそうなるよう、彼女たちの人生を捻じ曲げた結果、生まれるのだ。








 赤い顔をして息をする雪の頭を撫でてやると、彼女はぽかんと俺を見上げた。その目は出会った頃と、なんら変わらない。まだ堕ちてはいないのだと、俺は胸を撫で下ろす。

 勝手なものだ。彼女の進むべき道を歪めておきながら、まっすぐ歩け、などと言っている。


 「蓮様……」


 健やかな吐息をこぼす、艶やかな小さな唇に、俺は見惚れた。

 ――貪りたい。

 だが、なんでも女にとって、口づけは特別な行為なのだそうだ。「体は許しても、唇は許さない」とか何とか、まあこれも本の受け売りだが、ともかく、小説の中の女は、たいていそんなことを言うのである。だから俺も、これ以上雪を傷つけまいと、なんとか自分を抑えている。

 抑えている……。


 ――ああ、本当に俺は馬鹿だ!!!!


 何を今更、善人ぶっている?

 俺は雪の脇腹の下に手を入れると、ぐるっと勢い良く、彼女をひっくり返した。


 「えっ!」


 突然うつ伏せにされて、雪は咄嗟に腕を使って起き上がろうとした。四つん這いになった彼女の腰を掴むと、俺は素早く狙いを定め、突入した。

 性欲と愛情は別だと言うが、俺にはそんな器用な考え方はできそうにない。

 愛しいから抱きたい。好きな女しか抱きたくない。

 雪が女だと分かってから、雪を愛していいのだと知ってから、どんどんこいつに溺れていく。

 ――好きだ。愛している。

 声には出さずつぶやいて、俺は我慢を解いた。





 ――謝ってしまいたい。「ひどいことをして、すまなかった」、と。

 だが、それで楽になるのは、俺だけだ。雪はきっと俺を恨みきれなくなって、許し、哀れみ、自分の人生を捧げようとするかもしれない。こいつはそういうマヌケなボンクラだ。

 ――やっぱり、駄目だ。

 雪に付けた深い傷を、償うことができない。俺には、それだけの時間がない。更に最悪なことに、俺はこいつを手放せない。憎まれても、疎まれても、抱き続ける――。


 ――地獄に堕ちてしまえ。





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