幕間ニ(完)






「決して謝ってはいけない」。

 そういえば、侍従たちからは、そんな風に教えられてきた。この国で、皇たる俺が、許しを請う相手などいないのだそうだ。むしろペコペコ頭を下げていては、威厳がなくなると、そう説かれて育った。

 だが本当は謝ることができるなら、謝ってしまったほうが楽なのだと、俺は知っている。


 幼い時分には、俺の遊び相手として、有力貴族の子息などが、皇宮を訪れることも多かった。だがそういう奴らとは、どうもそりが合わない。

 綺麗な服を着て、上品そうな面(ツラ)をしていても、ガキはガキだ。いざ遊ぶとなれば粗野で乱暴だったし、そのくせケンカは弱く、すぐに泣き出す。物を知らないし、何か教えてやっても、すぐにその内容を忘れてしまう。バカばっかりだ。

 今思えば、俺も奴らに負けず劣らず、相当不愉快なガキだったが、それは棚に上げておく。ともかく俺はそんな遊び相手たちに辟易して、友達なんかいらないという思いを強くしていた。

 そのような日々の中、俺にとって特別な少年――少女と、出会った。羽村 雪樹である。確か、皇家とその親戚たちが一堂に会する折りがあり、雪樹もそのために皇宮へ来たのだ。

 彼女はその頃から体が小さく、そのうえ運動神経も悪い、貧弱な子供だった。しかしそれらの弱点を打ち消すほど、頭が良かった。俺の知らないことをたくさん知っていたし、どんな話題を振っても返ってくる。打てば響くとは、ああいう奴のことだろう。

 こいつとなら、仲良くしてやってもいい。そう思った俺は、雪樹とだけは親交を深めていった。

 そんなある日、俺たちは、記憶に残らないほど些細なことがきっかけで、言い争いになってしまった。

 俺はつい癇癪を起こして、雪樹を殴りつけた。雪樹は目に涙をためて、だがすぐに殴り返してきた。

 俺は唖然とした。人に殴られたのは、初めてのことだったからだ。まあ、あいつは非力だったから、全く痛くはなかったが……。

 そのあと怒り狂った俺は、雪樹をボコボコに殴り倒した。逆らう奴がいるということが、許せなかったのだ。

 雪樹はびーびー泣いて、帰った。

 憤りと驚きの感情が失せて、冷静になってから、はたと気づいた。

 あいつは俺のことを皇子として見ているのではなく、ただのガキの、澄花 蓮として見ていたのだ、と。対等だと思っていなければ、殴り返したりはしないだろう。

 上も下もない。これが、「友達」なんだ。

 ――雪を失ったら、俺は本当にひとりぼっちだ。

 今まで仲良く楽しく過ごしていた分、雪樹が去ったあとの孤独は耐え難いものだった。

 また来てくれるだろうか。いや、きっと無理だろう。あれだけ痛めつけてしまったのだから……。

 雪に詫びたい。そしてまた、皇宮に来てほしい。

 だが周囲は、頭を下げるなんて、次期皇には相応しくない行為だと言う。

 どうしたらいいのか。

 悶々と過ごした次の週、しかし雪樹は脳天気な笑顔を浮かべて、のこのこと皇宮へやってきた。


「お前、この前のことは……」


 目の前で屈託なく笑っている雪樹が信じられなくて、俺は尋ねた。


「この前? 何かありましたっけ?」


 雪樹はきょとんと、大きな目を丸くした。どうやら本気で忘れているらしい。


「……もういい」


 俺は脱力した。

 雪樹は記憶力がとてもいいはずなのだが、どうもそういうところが抜けているというか、あっさりし過ぎているというか……。

 それから俺は、少し、我慢することを覚えたと思う。短慮のせいで大切なものを失うのは、つらいからだ。


 ――ああ、そうだ。あのとき、もう絶対に雪樹を傷つけまいと、誓ったはずだったのに。








 俺の腕の中で、雪は寝息を立てている。

 あれだけひどいことをした男の側で、よくもまあ無防備に眠れるものだと、呆れてしまう。

 こいつの中身はきっと、幼い頃から変わっていないのだろう。

 人を憎んだり、恨んだりすることに、向いていない性格。俺はそれを利用しているのだ。

 雪樹の滑らかな肌に、そっと頬擦りする。


 本当は、ただこうやって、お前と眠りたいのだと言ったら、こいつは信じるだろうか。笑うだろうか。




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