第10話 11月15日『僕はかけら』(七五三の日)

「お前、全部笑ってないな」


 壁にかかっている写真を見て、加賀美辰彦はハハッと笑った。


 リビングの入ってすぐのところにある、サイドボードの上には電話機が置かれている。電話機の上の小さな壁スペースには、家族の写真がたくさん掛かっている。が、それは当たり前の風景だったので気にかけたことがなかったし、子供の頃の写真なんて改めて見ていなかった。


 写真に良い思い出はないから、そうかもしれんなと思いながら、マグカップを持ち、加賀美の隣に移動する。


 加賀美はアニメの制作進行をしていて、原画回収という外回りの休憩に、よく家にやって来る。今日も、僕はわざわざ仕事の手を止めて、加賀美にコーヒーを淹れてやっていた。追い返してもいいのだが、加賀美の仕事も大変そうだし、僕も良い息抜きになっている。


「ほら辻も見てみなって」


 加賀美に促され、どれどれ? と自分の家の壁を検分する。


 そこには、僕と兄の写真が成長記録のように飾られている。赤子の写真から始まり、七五三の和装姿や学校の入学式や卒業式、兄の結婚式の写真と、兄夫婦の家族写真もある。甥っ子は可愛くて、僕が漫画やおもちゃをあげると喜んでくれる。兄が教えてくれないことは、こっそり教えてやろうと思っている。


 それはさておき、確かにどの写真を見ても、自分はむっつりとした顔をしていた。


「それで小説家になったわけ?」

「なんで?」


 と尋ね返しながら、『人間失格』の冒頭、主人公がのエピソードを思い出す。写真の主人公が笑っていなくて、手を握っていただけで、「なんて、いやな子供だ」と言われるやつだ。おいおいその言い方はあんまりだろ、と思いながらも、読み進めていく内に、そういうものかもしれんなぁと思わされた。


「太宰はあんまり読んでないよ」

「読んでなさそう」


 お前よりは読んでると思うけどな、という文句をコーヒーと一緒に飲み込む。僕は大人げがある。


「写真撮られるの嫌いなんだよ」

「笑ってって言われるから?」

「目を開けてって言われるから」


 加賀美が壁から目を離し、僕を見る。納得したように、「あー」と頷いた。


 僕は一重まぶたで目が細いし、眩しいのにも弱い。目を精一杯開けているのに、「目を開けて!」と言われるのにはいつも腹が立っていた。いつしか写真に撮られないように撮られないようにとレンズから逃げ、集合写真でも靴紐を結ぶフリをしてそっと消えるという術を身につけた。


 兄が自立し、両親が介護の問題で田舎に帰り、実家には僕だけが残っている。もう何年も経つのだから、これを機会に写真を外してしまおうかとも思ったが、外した写真をしまう場所がないなあ、と頭を掻く。


「七五三の写真とか、よく我慢したよ。カメラマンがしつこかった」

「笑えって?」

「目を開けてって、だよ」


 コイツわかってて言ってんな、と加賀美を睨む。


「しかし、こういう写真になるってわかってるのに、うちの親もよく撮ろうと思ったよなぁ。写真スタジオまで行ってさ。三万くらいするんだぜ」

「なんで知ってんの?」

「そりゃあ、小説家ですから」


 昔、七五三のシーンを書くために調べたことがある。胸を張ったが、加賀美は特にリアクションをしなかった。この野郎、と内心で毒づく。


 壁の家族写真を眺める。僕が家族で写っているのは、中学の卒業式が最後だ。年頃なんだよ勘弁してよ、と説得して撮らせないようにした。なので最近の家族写真は兄一家のものしかない。兄は歳をとり、立派になっていくなぁ、と部外者のように思えた。


 僕は結婚の予定もないし、人付き合いも苦手だし、この家族写真ゾーンに新しく自分の写真が加わることはないだろう。


「辻」

「なに?」


 顔を向けると、スマホを向けられていた。


「しちごさん、じゅうご」


 ぱしゃっと音がして、写真撮影されたのだとわかる。


「だめだ、辻」

「なにだがよ」

「笑ってない」

「今のクソしょうもないダジャレで笑えと?」


 加賀美はハハッと笑い、コーヒーをぐいっと飲み干すと、「ごっそさん」と言ってリビングのテーブルの上に置いた。「それじゃあ俺、仕事に戻るわ」


「おう、お疲れ」

「あと、さっきのだけどな、お前のことが好きだからだと思うぞ」

「何が?」

「親が高い金を払って子供を撮る理由」


 それにしたって、三万も払わなくたってよかろうに、と苦笑する。


「子を持つ親の心理は、子を持たないとわからんねぇ」

「小説家だろ? 想像力を働かせろよ」


 やかましいわ、と反論すると、加賀美は「そんじゃあまた」と出て行った。


 家に一人きりになり、ぼんやりと考える。数年前まで、ここには家族がいたんだよなあ、と。家族写真を見ると、僕は笑っていないけど、ぱっちり二重の兄はどの写真でも笑っていた。陽気で社交的な兄は常に自信に溢れているようだった。


 ぶぶぶっとテーブルの上のスマートフォンが震え、取り上げる。辻からさっき撮影された僕の写真が送られてきた。やはり、目が細いし、笑っていない。


 写真が表示されたスマートフォンを、そっと家族写真の中に並べてみる。なんだか、しっくりこない。そぐわない。僕だけ写ったスマートフォンは、なんだか家族のかけらみたいだった。


 そうだ、写真が嫌いな理由に、兄が眩しかったというのもあるな、と思う。こうして並べると、より自分の目の細さが際立ってしまう。それだけではなく、いつも兄と自分を比較して落ち込んでしまう。家族写真が飾られるこの家では、家族を持つ兄の方が優れているように思えた。


 兄と比べられるのが嫌で、だから僕はあえて集合写真と無縁でいられるインドアな人間になっていったのだ。自分の筆名を作り、家族写真の外に出た。


 スマートフォンをポケットにしまう。この幸せそうな家族写真スペースに、僕の写真が増えることはないだろう。僕は一人だ。だけど、別に良い。僕には小説がある。写真は増えなくても、小説は残る。


 ふーっと息を吐き出し、腕を伸ばす。良い息抜きになったから、原稿を頑張ろう、と思いながら首を回した。


「それで小説家になったわけ?」


 辻の言葉を思い出す。


 案外近いのかもしれないな、と思いながら仕事部屋の扉を開けた。


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